パパは新卒社会人   作:拙作製造機

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遂に登場の彼女。そして終わりも近付きます。


踏み出す一歩は誰のため

「あれ、一体どういうつもりだよ?」

「そのままの意味だよ」

 

 その日、八幡の部屋に結衣の姿があった。日曜ともあり、いろはは自分の部屋の掃除をするためにそこにはいない。ゆいこは結衣が抱き抱えている。そう、今日は彼女がゆいこの母代りだった。

 

 ゆいこを抱き抱えて、少しだけ頬を赤くしながら結衣は八幡へ己が思いを告げる。冗談ではないと分かっていてもさすがにそこまでは踏み込めない彼へ、自分は本気でありいつでも構わないと言わんばかりに。

 

「……でも、あの時お前は」

「たしかにゆきのんが振り向いてくれない時はって言った。でもねヒッキー、あたしは何もしないなんて言ってないんだ。ヒッキーがゆきのんへ踏み出すのが遅れるなら、その間あたしはいろはちゃんみたいに詰め寄るよ? 女、だもん」

 

 同僚から言われた言葉で結衣は少しだけ変わった。いや、踏み込んだ。来ないならこちらから行くと、あの文化祭の時にそう言った事を遂に実行に移したのだ。

 

「由比ヶ浜……」

「いろはちゃんも本気なら、あたしだって本気だもん。ゆいこちゃんのお母さん、ヒッキーが決められないなら決められるようにするだけ。あたし、子育ては上手くなりそうな感じしない?」

「……かもな」

 

 笑顔で八幡にそう問いかける結衣へ彼はそう返すのが精一杯だった。ゆいこのクセ毛は見えたり見えなかったりしている。その意味する事を考え、彼はどうしたものかと思い始めていた。実は同じように、いろはといる時のゆいこの髪色は変化したりしなかったりとなっていたのだ。

 

(本当に由比ヶ浜の言った事が正しいのかもしれん。ゆいこは俺が相手を決めた時、初めて本物になるんじゃないか? だから一色と由比ヶ浜で揺れてる今は、その影響を表したりするんだろう)

 

 最初は一瞬だった。それが今は出たり消えたりとなっている。それだけ今の八幡は揺らいでいるのだ。真剣に想いを告げてきた二人の女性に対して。もう勘違いだの気のせいだのと逃げられなくなった彼には、元から好意を見せてくる結衣といろはは天敵と言ってもいいぐらい相性が良かった。

 

「で、いつゆきのんへ連絡するの? もうあれから二週間近く経ったけど……」

「はっきり言う。未だに踏ん切りがつかん。情けない話だが、ゆいこがお前や一色へ懐いているのを見る度に気持ちがぶれる」

「……ゆきのんが母親だったら、もしくは他の誰かが母親だったらって?」

「ああ、情けないと思うがそうだ。それに、仮に雪ノ下が母親だったとして、俺はそれだけであいつをそういう相手と考えるのは違うと思ってな」

 

 八幡の言葉に結衣は一瞬驚きを浮かべ、そして嬉しそうに笑みを見せた。ゆいこのために母親を。そう思っていながら、雪乃が例えそうだとしてもそれだけを理由に恋人となってもらうのは違う。そう八幡が考えている事が嬉しかったのだ。それは彼女のためでもあり、自分のためでもある。

 

(良かった。これで、ゆきのん次第だけど、あたしやいろはちゃんもちゃんとヒッキーと向き合えるね)

 

 なし崩し的に振られる事だけはなくなった。それが結衣を笑顔にし、つられるようにゆいこも笑顔を見せる。その楽しげな声に結衣と八幡の視線が動いた。

 

「……ゆいこちゃん、ホントによく笑うよね」

「ああ。で、空腹やおむつ以外で泣く時は基本一色やお前が悲しんだりする時だ」

「だよねぇ。これって、あたし達の気持ちを感じ取ってくれてるのかな?」

「そう考えるのが妥当だろ。何せ、お前や一色が少しあやすだけですぐに泣き止むしな」

 

 二人してゆいこの頬を優しく突いたりしながら会話する。それを第三者が見ていれば完全に親子と思っただろう。それぐらい今の彼らは夫婦のようだった。

 

「ね、ヒッキー」

「ん?」

 

 そんな中、結衣が何気ない感じで会話を切り出す。対する八幡も似たような雰囲気で声を返す。共に視線はゆいこへ向けられたままで。

 

「あたしさ、気付いたんだ。ゆいこちゃん、一年で帰れるじゃないんだよね。一年は帰れないんだよ。これ、どういう意味だと思う?」

 

 八幡は返す言葉がなかった。見落としていた訳ではない。ただ、そんな事は有り得ないで欲しいと思っていたのだ。そして、何故今結衣がそれを聞いてきたのかも分かる。いろはが言った言葉の裏にはこれが関わっているのだから。

 

「……帰るには何か条件があるのかもな。それも、俺が自分で気付かないといけないような」

「あたしもそう思うよ。あの手紙を送ったのって、もしかするとヒッキー自身じゃない? だからヒッキーが考えそうな事を逆手に取って、わざと奥さんを探すように仕向けたとか?」

「ないとは言い切れん。雪ノ下かとも思ったが、俺の妻になっているのならそれとなく何がヒントを残してそうだ。だが、あの手紙には妻のヒントらしきものが一切ない。しかし……」

「そうなると、ゆいこちゃんがどうやって生まれるか分からなくなるもんね~。名前の由来も分からないし、まさか小町ちゃんが産んだとか?」

「ないから。それだけは絶対ないから」

 

 心から断言した。いくら何でも実の妹に子を産ませるなどしないしさせない。そう強く思って八幡はその可能性を否定した。結衣もそれを分かっていたのだろう。どこか苦笑して謝った。

 

「ごめんごめん。だけど、そうなると謎だらけだねぇ」

「そうだな。ま、そこは正直どうにかなるだろ。俺が踏み出せれば、な」

 

 するとその彼の言葉に喜ぶような声をゆいこが出した。その反応に八幡だけでなく結衣も驚きつつ、揃って笑顔を見せた。そして日も暮れ、いろはが戻って夕食の支度を始めた頃、八幡のスマホに着信があった。相手は妹の小町である。何事だろうと思って彼は電話に出た。

 

「小町か? 一体どうした?」

『お兄ちゃん、最近何かあった?』

「は?」

 

 突然の問いかけに八幡は素の声を返した。いきなりの質問では内容が分からなかったためである。しかも、問いかける小町の声はどこか不安そうだった。

 

『一週間ちょっと前からかな。雪乃さんが妙にメールを送ってくるようになってさ。しかも、聞いてくるのはお兄ちゃんの事ばかりで』

「小町、その話を詳しく聞かせてくれ。雪ノ下は俺の何を知りたがってるんだ?」

『え? うんと、大学で彼女が出来た事はないかとか、仕事に就けたのかとか』

「俺の勤務先を聞いたりしたか?」

『う、うん。もしかして教えちゃいけなかった?』

 

 その失敗したとばかりの声に八幡は小さく笑みを浮かべた。むしろ逆だったのだ。これまであの社長や夫人が一度もそれらしい事を言ってきていない以上、未だに雪乃は会社を訪れていない。なら、今後やってくる可能性がある。それはさすがに避けたい。そう考えて八幡は小町へ感謝を述べた。

 

「いや、そんな事はない。ありがとな、小町。おかげで俺も決心出来た」

『へ? ま、まぁお兄ちゃんの役に立てたならいいけどさ』

「おう、役に立ったぞ。今度実家に行く時は何か土産を持ってくわ」

『おおっ! じゃ、期待してるね!』

 

 久しぶりの兄妹の会話はあっさり終わった。だが、その内容はとても濃いと言える。結衣もいろはもその会話を聞いていたのか、どこか優しい表情で八幡を見つめていた。彼の言った決心がどういう事かを分かったからだ。それを裏付けるように、彼はそのままスマホでどこかへメールを送る。しばらくして、スマホが振動した。しかし、何故か八幡はそれを見つめるだけで動きを見せない。

 

「ひ、ヒッキー? スマホ鳴ってるよ?」

「ああ……」

「出ないの?」

「……メールなんだ。中身を見るのが少し怖くてな。でも、大丈夫だ。もう読む」

 

 言いながら八幡はスマホを操作しメールを開いた。そこにはたった一文だけが書かれていた。

 

―――分かったわ。

 

 彼が雪乃へ送った内容は、まず自分である事、連絡先を結衣に教えてもらった事、最後にこれから雪乃のマンションで直接会って話がしたい事の三点だった。その返事が了承。八幡は少しだけ息を吐くと、ゆいこを抱いている結衣へ視線を向けた。

 

「これから雪ノ下と会って来る。だから、一色と一緒にここでゆいこと待っててくれるか?」

「……うん、いいよ。気を付けてね」

「おう」

「先輩、食事は三人分でいいんですか?」

 

 そのいろはの問いかけの意味を悟り、八幡は僅かに逡巡したがこうはっきりと返した。

 

―――いや、四人分だ。どうなろうと連れて来る。

 

 どこか男らしさを感じさせる言い方にいろはだけでなく結衣も、そしてゆいこも笑顔を見せた。それを背に受け、八幡は一人あのマンションまで向かった。駅へ向かい、電車に乗って最寄駅へ。かつて修学旅行での一件の後に出会った事を思い返し、やはり自分はあの頃から成長していなかったと実感しながら彼は歩く。

 

(結局俺はいつだって動く理由を誰かに与えられないと動けなかった。それじゃもうダメなんだ。大人になるって事は、男になるって事は、自分の意思と気持ちで動く事だ。責任を自分自身で持つ。それを俺は今まで出来なかったんだ)

 

 ゆいこが来て、ようやく彼は成長出来た。自分一人なら何とでもなるが、幼い命を抱えた瞬間、彼はあまりにも無力だった。今もゆいこから動く理由を与えられてようやくかつての間違いを、誤解を解き直す事が出来ている。それではもうダメなのだと、そう強く感じながら八幡はマンションを目指した。やがてその視界に見慣れた景色が見えてくる。そしてマンション前の呼び出しパネル前まで到着した。

 

「……覚えてるもんだな」

 

 何度も見た訳ではないが、それでも雪乃の部屋番号を覚えていた事。それに苦笑いを浮かべながら彼は待った。

 

『はい?』

「俺だ。比企谷だ。開けてくれるか?」

『……本当に来たのね。いいわ、待ってて』

 

 ゆっくりと開くドアを見て、八幡は表情を引き締め直して歩き出す。解は解き直せるかもしれないが、失われた時間は戻らない。ならば、もう誤解を出す事は出来ないのだ。そう、自分にとっても彼女にとっても、そしてあの二人にとっても。エレベーターを使い一気に目的の階まで向かう八幡。その足取りが少しだけゆっくりになる。その歩みはやがて一枚のドアの前で止まった。インターホンを押し、しばし彼は待つ。するとドアが静かに開いた。

 

「……久しぶり、だな」

「ええ、そうね」

 

 長い黒髪を掻き上げながら雪乃は八幡を見た。その視線を彼も逸らす事無く受け止める。そんな彼の反応に一瞬ではあるが雪乃が息を呑んだ。気付いたのだ。目の前の男がかつてのままではない事に。

 

「雪ノ下、話は分かってると思う。だが、その前に別の話のけりをつけておきたい」

「別の話?」

「ああ、そうだ。俺達が間違ったままで放置してきたあの頃の事だ」

 

 間違いなく雪乃の表情が驚愕に変わった。それでもドアを閉めようとしないのは、彼女なりの強さの表れなのか。それとも意地のようなものであろうか。どちらにせよ、八幡にとっては有難かった。拒絶されない事。それが一番大事なのだから。

 

「今回の事で分かったんだ。俺はやっぱり、周囲と自分は違うと思い込んでた痛い奴だってな。ノリしかなくて、しかも誰かとつるまないと生きていけない奴と、そう嫌っていた奴の方が実社会では上手く世渡り出来る。それを見ない振りして、俺は最低限の協調さえすれば何とかなると思って、それが出来ると思ってたガキだった。今の職場の社長に言われたよ。俺みたいな奴でも来た事を会社の人達は喜んでるみたいでな。可能なら受け入れたいんだと。俺もそれにどこかで気付きながら、そんな事はないと思って、そして仕事さえやれば後はどう過ごしても勝手だと思ってた」

 

 きっと、それは別の会社であれば通用したのかもしれない。だが、それは通用するであって適切ではない。そう、結局彼は成人してもあの頃と同じ事をやっていたのだ。問題の解決ではなく解消。周囲を頼るのではなく個人で何とかしようとする考え方で。

 

「結局最低限の協調さえ出来てなかったんだ。出来てると思っていられたのは、実際は周囲の大人達の理解と寛容に助けられていただけ。な、あの頃と同じだ。俺はお前達や平塚先生のおかげで、総武では何とか上手くやれていただけだ。学校なんて閉鎖空間じゃなくなった瞬間、俺のやり方なんて通用しない。下手をすれば無駄に敵ばかり作って生きていけなくなる」

「比企谷くん……」

「雪ノ下、俺はまだ子供だったんだ。学校が生活のほとんどを占めていたから、俺もあんな生き方と考え方が出来た。通用させられた。だけど、社会を生きていくには、家族を守るためには時にそれを曲げたり、あるいは押し殺さないといけない時が来る」

 

 守るものがあるからこそ、八幡の両親は仕事に打ち込んだ。いや、打ち込めた。今なら八幡もそれが痛い程分かるのだ。ゆいこを一人で世話しなければならないとなった場合、金がどれだけ必要か。保育所の費用。無理ならばベビーシッターの費用。それだけでも痛いだろう。そこへミルクやおむつなどの代金だ。更に家賃や食費、水道・光熱費。考えただけで頭が痛くなるだろう現実がそこにはある。だからこそ八幡は分かったのだ。自分がいかに子供だったのかを。

 

「長々と話してくれたけれど、貴方のしたかったのは説教かしら?」

「いや、お前ならあの頃のままで生きていけるかもしれない。でも、俺には無理だったって事さ。それで、本題はここからだ」

 

 言ってから彼は深呼吸をした。その瞬間、雪乃が微かに息を呑む。

 

「雪ノ下雪乃さん、あの頃から好きでした。今日まで言い出せなかったヘタレですまん」

 

 頭を下げて雪乃の反応を待つ八幡。と、そんな彼の耳にかすれ声が聞こえてきた。

 

―――ズルいわ……。いきなり顔を見せたと思ったら、いつの間にそんな人になってしまったのよ? また、そうやって私を置いて行こうとするのね、貴方は……。

 

 その声に八幡は思わず顔を上げた。雪乃は涙を浮かべていた。だけど笑みを浮かべてもいる。その意味が分からず、八幡は困惑するのみ。それを雪乃も感じ取ったのだろう。笑みを少しだけ苦いものへ変えるとこう告げる。

 

「分からない? 今、貴方は私に何て言った? 好きでした。それだけよ。本来ならそこに続く言葉があるはずなのに、それを言わない辺りが本当に卑怯谷くんだわ。その続きを聞きたければあの赤ちゃんに会えと、そういう事なのでしょ?」

「……会ってくれるのか?」

「会わなければあの子の母は由比ヶ浜さんか一色さんになる。戦わずに負けるなんて私の在り方ではないの」

 

 そこにいたのは、紛れもなく雪ノ下雪乃であった。あの頃の、八幡が一目惚れした頃のままの女性がそこにはいた。彼女は一度部屋の中へと戻るとすこししてから外出の用意を終えて戻った。と、そこで八幡はある事を思い出した。雪乃の分もいろはが食事を用意している事だ。

 

「雪ノ下、お前晩飯はまだか?」

「ええ、それが?」

「実は、一色がお前の分まで用意してくれてるんだが」

「そう、それは助かるわ。一人分を作るのは少々面倒なのよ」

 

 その言葉を合図に歩き出す雪乃。八幡もその後を追うように歩き、すぐに並んで歩く事となる。歩きながら二人は高校を卒業した後の事を話題に話し始める。それはこれまでの時間を埋める作業のようであった。互いの知らない事を相手へ教える。だが、会話はやや八幡が主導していた。それもまた彼の成長だろう。時折雪乃が放つ罵倒さえ懐かしく思って受け止めながら、彼は少しだけ大人になった部分を彼女へ見せる。それがより雪乃の心を騒がせると知らぬままに。

 

 電車に乗り、駅から歩いてマンションを目指す二人。その道中でも会話は途絶えなかった。雪乃が詰まったり、あるいはその話題で会話を続けるのが難しくなる度に、八幡が自分の事を話題にして話を続けさせる。しかし、それはスムーズではない。どこかぎこちなく、また無理矢理な感が否めないものである。それでも、雪乃には自分との会話を途切れさせたくないとの意思表示と受け取り、内心でとても嬉しく感じていたが。

 

「ここだ。入ってくれ」

「お邪魔するわ」

「ゆきのーんっ!」

 

 入室するなり結衣がゆいこを抱き抱えたままで出迎えた。待っていたのだろう。その出迎えに雪乃が若干驚きと嬉しさを滲ませて息を吐いた。

 

「由比ヶ浜さん、驚かせないで。お久しぶりね」

「うん、最後に会ったの今年のお正月辺りだもんね」

 

 にこやかに話す二人を眺め、八幡は僅かばかりの懐かしさと寂しさを感じていた。あの頃は毎日のように顔を合わせていた二人でさえ、既に一月に一度も会わない。そこに流れた時間の残酷さを感じ取って。そんな彼の目の前では、結衣がゆいこを雪乃へ手渡していた。

 

「ちょっと重いからね」

「え、ええ……」

 

 どこかおっかなびっくりといった感じてゆいこを受け取る雪乃。するとゆいこの変化が一切起きなかった。ただ、今までで一番の嬉しそうな声を出したのだ。まるで本当の母に抱かれたように。少なくてもそう八幡と結衣は受け取った。

 

「……変化しないわね」

「じゃ、やっぱりゆきのんがお母さんなんだ……」

「待て。そう決めつけるのは早計だ。とにかくまずは上がってくれ。で、飯を食べてから話し合おう」

「そうね。由比ヶ浜さん、この子はしばらく私が抱いていても?」

「うん、いいよ。ゆいこちゃんも嬉しそうだし、ね」

 

 若干の悲しさを滲ませた声に八幡の心がざわつく。その理由を今の彼ははっきり分かっている。それでもまだ何も言えないのだ。彼は雪乃へ言った。好きでしたと。好きです、ではなく、好きでした。この意味を雪乃はきっと察している。そう彼は考えていた。

 

(あの頃なら、俺は悩みに悩んで雪ノ下と言えただろう。でも、今の俺には無理だ。一色と由比ヶ浜の告白を受けた今の俺は……)

 

 優柔不断。そう人は言うかもしれない。だが、彼からすれば初めての事なのだ。複数の女性から想いを寄せられていると自覚し、選ばなければならない事などは。それでも、もう先延ばしにもしない。ゆいこがいなければならない最低期間である一年。それをリミットに考えて答えを出す。そう彼は人知れず決めていた。

 

「一色さんも久しぶりね」

「はい、雪ノ下先輩もお変わりなく」

「変わりない……そうね、変わってないわ」

「ゆきのん……」

「あの、そういう意味ではないんですけど……」

 

 苦笑いを見せる雪乃に微妙な表情の結衣といろは。仕方ないだろう。この中であの頃に一番近いのは雪乃なのだ。それを何となくではあるが彼女も気付いているのだろう。

 

 大学時代も才女として名を馳せた雪乃であったが、その分言い寄られる事も増えたのは言うまでもない。それらを相手にする事で、彼女があの頃よりも幾分か鋭さを増したのは、ある意味では必然だったのかもしれなかった。いつしか男達は近付かなくなり、女達も遠巻きにするだけ。たまに雪乃と友人になろうとする者はいたが、深い付き合いにはなれずじまい。その問題点も彼女自身だと本人も自覚はしていた。それぐらい彼女は良い意味での変化とは無縁だったのである。

 

「雪ノ下、ゆいこが泣きそうだ。あまり落ち込むな」

「……そうみたいね。不思議な子だわ。こちらの感情を感じ取っているのかしら?」

「だと思いますよ。初日も私の気持ちを察して泣いちゃったぐらいですし」

「人の気持ちに敏感なのかな? ヒッキー、赤ちゃんってそういうものなの?」

「俺に聞くな。ただ、何となくゆいこはそこが敏感な気はする」

 

 四人に見つめられ、ゆいこは不思議そうにしているのみ。その愛くるしい表情に知らず誰もが笑みを零す。そしてゆいこは雪乃に抱き抱えられたままで過ごす事となり、食事中は女性達が代わる代わるでミルクを飲ませていく。その光景を眺め、八幡はその気持ちを大いに乱れさせていた。何せ、結衣が与える時はクセ毛が消え、いろはが与える時は髪色が変わり、雪乃が与える時は元に戻るのだ。それが自分の揺らぎを示していると強く実感し、その原因を考えてより悩んだ。

 

「本当に変化するのね」

「はい、でもここまで長い時間は初めてです。最初は一瞬だったんですよ?」

「最近は長くなりだしてるよね。やっぱりヒッキーが理由かな?」

 

 八幡へ注がれる三対の眼差し。それに彼は息を呑むものの、目や顔を逸らす事はしなかった。

 

「多分な。その事も含めてお前達に聞いて欲しい事がある」

 

 その切り出しに彼女達は黙った。ゆいこだけが指を咥えて八幡を見つめる。その行動に小さく微笑む八幡に三人が揃って息を呑んだ。そこに父性を感じ取ったからかもしれない。あるいは、彼が滅多に見せない表情だったかもしれない。どちらにせよ、その反応は三人の女性の心をときめかせる。

 

「ゆいこは一年は元の時間軸、つまり未来へ戻れない。そしてその戻り方も分からない。だから俺はゆいこが戻れる時までこの部屋で暮らすつもりだった。それで何とかなる。そう思っていたからだ。だが、雪ノ下が抱っこしても変化しなかった事で俺は一つの推測を立てた。ゆいこは、誰を母にするか不安定な存在なんだ。由比ヶ浜は以前こう言った。ゆいこはこのままでは生まれない命なんじゃないかと。俺はそれが一番可能性として高いと思う。その、ゆいこが現れるまでは、俺の中で一番恋い焦がれた存在は雪ノ下だったからだ」

 

 思わぬ告白に雪乃の顔が赤く色付く。それでもすぐにその色は薄くなる。分かったのだ。過去形だった事に。結衣といろははそこに気付いて雪乃と違う意味で顔を赤くしていた。

 

「あの日、一色がゆいこを抱き抱えた瞬間髪色が変化したのは、そのままでいけば一色が母になる可能性が高いとなったからだと思う。由比ヶ浜の時は、一色よりもその可能性が僅かに高いとなったのかもしれん。そして、最近の変化時間が長くなった事は、おそらく俺の気持ちの揺らぎが原因だろう」

「そう、だからあの時好きでしたと言ったのね」

「ああ、そうだ。今の俺はやっと、有難い事に、お前達の中で誰を選ぶかを考える幸せで不幸な状況になれた。正直言う。その答えはすぐには出せない。何せあの頃から考えて単純に五年以上だ。それだけ待たせてすぐに結論が出せたら、それは俺の本物の気持ちかと疑問符がつく」

「ヒッキー……」

「じゃ、どうするんですか? だからってまた何年もは待てませんし待ちたくないです」

 

 結衣が、自分の言った言葉を使ってくれたと感じ入る横で、いろはが当然の意見をぶつけた。雪乃は何も言わず八幡を見つめる。ゆいこは指を咥えたままで彼を見つめているようだった。その注目の的である八幡は、真剣な表情で静かに頭を下げた。

 

―――ゆいこが帰れるようになるまで最低一年。その一年間で必ず答えを出す。申し訳ないがそれまで待ってくれないか?

 

 静寂が室内を包む。雪乃も、結衣も、いろはも、誰もが目を疑っていた。あの頃、彼は滅多に頭を下げなかった。いや、彼女達が知る限り、頭を下げて真剣に謝った事がなかったと記憶しているのだ。それが出来ない人間ではないと分かっている。それでも、実際目の当たりにして強く感じたのだ。目の前の青年はあの頃のままではなくなっているのだと。

 

 子供と大人の違いは、謝罪と感謝をちゃんと言える事。あの社長の言葉通り、八幡はゆいこという守るべき者を得てやっと大人へと一歩を踏み出した。そして、それはそのまま男としての成長でもある。あの青春時代に彼へ想いを寄せた彼女達にとって、それはより想いを募らせる事だった。ある意味では八幡は頭を下げていて正解だったろう。何せ、今の三人は揃いも揃って惚れ直していたのだから。その顔を、耳を、真っ赤にさせる程に。

 

「……先輩、私は言いましたよ。ゆいこちゃんの面倒を見る人が現れるまでここで同居するって。なら、答えは聞くまでもないですよね?」

「いろはちゃん、そんな事言ったんだ。でも、それならあたしだって負けないよ。ヒッキー、あのメールは本気だから。今からなら丁度一年後になるぐらいでゆいこちゃん出来るんじゃない?」

「一色さんもだけど、由比ヶ浜さんもはしたない事を言わないの。比企谷くん、貴方の気持ちは分かったわ。正直言えば一年待たせるという辺りで有り得ない話よ。でも、ここで私だけが諦めたら一色さんや由比ヶ浜さんに負けるみたいで嫌なの。この意味、分かるわね?」

 

 とんでもない返答であった。いろはは予想通りであった八幡も、結衣と雪乃の言葉には驚くばかりである。特に結衣だ。今から子作りすれば、それがゆいこの帰還方法になるのではないかとまで言ってのけたのだから。思わず顔を上げて彼は三人を見た。そこには赤い顔をしながらも微笑む三人の美女がいた。

 

「……ありがとう。それと、今まで長い間待たせてすまなかったっ!」

 

 もう一度頭を下げる。今度は勢い良く。と、そのせいで彼は頭をテーブルに打ち付ける。鈍い音が室内に響き、三人が息を漏らすとの同時にゆいこが手を叩いて笑い出した。そのせいで八幡は照れくさいまま顔を上げ、三人は声を上げて笑う。その声に彼は拗ねるように顔を背けて息を吐く。まだそこまで大人になり切れない八幡であった。

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