パパは新卒社会人   作:拙作製造機

6 / 9
終われませんでした(汗
次回で本当にラストです。期待していた方、ごめんなさい。


クリスマスと新年と

 季節は過ぎ、暑さが薄れ風が涼しくなり、あっと言う間に凍えるような時期となる。八幡達の関係はゆっくりとではあるが、その深みを増していき、既にゆいこが現れて半年以上が経過していた。

 

「もうすっかり冬だよねぇ。お鍋が美味しい季節だもん」

 

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋を眺めて、結衣が噛み締めるように告げる。今日の夕食は寄せ鍋。鶏肉と白身魚が白菜などと共に出汁の中で揺れている。その食欲をそそる匂いと光景に表情を緩めながら、いろはがそれぞれへ椀を差し出していた。秋頃になると、雪乃と結衣も週末は八幡の部屋へ泊まるようになった。それは、何もいろはとの同居生活を邪魔するためではない。実家暮らしの結衣はともかく、雪乃は人の温もりに飢えてしまったのだ。一方の結衣は、単純にゆいこが愛しくて仕方ないためである。出来る事なら実家に連れて帰りたいとさえ思っているのだから。

 

「でも、今年もお野菜高くて大変ですよ。白菜、本当に高いんですから」

「まったくだわ。だからこそ、こうして複数人での鍋は助かるの。一人鍋も悪くないけど、どうしてもね」

「寂しいってか? ま、俺は平気だったぞ。大学時代はよくやった」

「先輩、一応聞きますけど具材は何を?」

「あ? んなもん、基本もやしとか安いもんで、ちょっと贅沢して安売りの鶏肉を入れる事もあったな。濃い味の鍋つゆ買って、シメに麺なんか入れてやれば十分満たされる。夜に鍋として食って、朝は残った鍋に溶き卵と飯いれて、ちょっとした雑炊にしてやれば十分元も取れるし、残りもんを捨てずに済むしな」

 

 鶏肉や野菜の残りと共に煮える玉子雑炊を想像し、確かに美味しそうと思う三人であったが、どこか寂しい気持ちは消えないのだろう。複雑な表情で八幡を見ていた。その彼は、鍋が気になるゆいこを優しく制して、既に意識を彼女達から外していた。

 

「ゆいこ、駄目だ。まだお前に鍋は早い」

「やっぱり同じ物食べたくなるんですかね?」

「かもしれないね。さすがにまだ無理かな?」

「当然よ。離乳食さえまだなんだから」

 

 全員して笑みを浮かべながらゆいこを見つめる。と、そこで結衣がある事を思い付いたのか、鍋つゆを少しだけ別の小皿に入れて冷まし始めた。それだけで何をしようとしているかを気付き、八幡はどうしたものかと考える。何せ、大人と赤子では消化器官の能力が違い過ぎるのだ。なので心を鬼にして現実を突きつける事にした。

 

「由比ヶ浜、気持ちは分かるが鍋つゆの塩分はゆいこには毒だ」

「ええっ!?」

「由比ヶ浜さん、離乳食も初期は味付けなどしないの」

「らしいです。私もゆいこちゃんの世話するようになって、ドラッグストアの店員さんとかに似たような事教えてもらいました」

「う~、せめて味だけでもって思ったんだけどなぁ」

 

 悲しそうに小皿の鍋つゆを見つめる結衣。すると、その気持ちを感じ取ったのか、ゆいこが悲しそうな顔をした。それにいろはが驚く。今までゆいこが彼女達に同調するような反応を見せたのは、その相手に抱き抱えられていた時だけだったのだ。

 

「おっと、由比ヶ浜、ゆいこが泣かないでくれってさ」

「あっ、ごめんねゆいこちゃん。もう大丈夫。いつか一緒にお鍋食べようね?」

 

 笑顔を見せる結衣にゆいこも応えるような笑顔を返す。ただ八幡はその言葉に胸が小さく傷んでいたが。結衣が無意識に返した言葉。それが何を意味するのかを考えて。きっと彼女に深い考えや意味はなかったのだろう。だが、八幡からすれば、それは遠回しのアピールとも言えた。

 

「そういえば、来月で今年も終わりですね」

「そうだねぇ。早いなぁ」

「一色さん、内定は大丈夫だったの?」

「はい、取り消しはないみたいです。まぁ、毎年のように騒がれてますし、早々ないとは思ってましたけど」

「ま、もし取り消されたら、俺が社長に事務として雇ってみないか話してやってもいいぞ。かなりの安月給でも良ければだがな」

「ない事を願いたいですけど、もしもの時は考えさせてください」

「おう」

「あっ、そうだ。ヒッキー、お豆腐いる?」

「ああ、もらっとくわ」

「一色さん、シメは何を予定しているの?」

「一応うどんですけど、ご飯もありますよ。どっちにします?」

 

 それぞれに鍋を食べながら、楽しげに過ごす四人。シメはうどんとなり、様々な具材の旨味が出た鍋つゆで食べるそれに誰もが表情を緩める中、ゆいこが眠くなったのか、八幡の腕にもたれるよう体を倒していた。

 

「ゆいこちゃん、寝ちゃったね」

「最近よく寝るんですよ。まぁ、本来赤ちゃんってそういうものなんですけど……」

「夏を過ぎた辺りから、少しずつこういう事が増えたものね。私も気になってはいるのだけど」

「何て言うか、本物の赤ん坊に近付いてるよな」

 

 八幡の言葉に三人が揃って頷いた。秋頃から、ゆいこは少しだけ手を焼く子になり始めたのだ。初の夜泣きに、あやしてもすぐに泣き止まなくなるなど、春から夏にかけては見られなかった傾向が出始めて。勿論それを嫌がる事はなかった。何よりも、いい予行練習になると感じていたのだ。八幡にとっても、三人にとっても。

 

「これって、それだけゆいこちゃんの存在が現実になってきたって事でいいんですかね?」

「そう考えてもいいかもしれないわ。いえ、その仮定で考えれば、以前の状態も説明出来る」

「どーゆー事?」

「最初の頃、ゆいこさんは安定していなかった。もっと言えば、その存在は極めて不安定だった。だからこそ、現実味が薄い行動が出来たのよ。私達の心情を察したり、夜泣きをしなかったり、すぐに泣き止んだりとね」

「そうか。それが、俺が絶対ゆいこの父になると決意したから……」

「一気に存在が安定したって、そういう事ですか? あー、じゃあ変化の停止はその予兆だったんだ」

「そう考えると今のゆいこさんの状態も納得出来るの。普通の乳幼児と同じになれた。そう考える事でね」

 

 静かに眠るゆいこを見つめ、雪乃は優しい笑みを浮かべた。結衣やいろはも同様に。本音を言えば自分が母親になってやりたい。だが、一番はゆいこが無事生まれてくれる事。そう思えるように、今の彼女達はなっていた。ゆいこと過ごす時間が、彼女達の母性本能を目覚めさせていたのだ。

 

「……今年のクリスマス、ゆいこへプレゼントを渡さないとな」

 

 ぽつりと呟かれた言葉に彼女達の意識が向く。八幡はゆいこを優しく抱き上げると、雪乃達へ顔を向けて小さく笑った。

 

「俺達の初サンタだ。いきなり四つもプレゼントがもらえるとか、ゆいこは幸せもんだぞ」

「そうだね。じゃ、被らない様に相談しようよ」

「値段も決めておきません? 正直、私の財政は仕送りと、先輩からの僅かばかりのバイト代だけなんで……」

「そうね……。ならこうしましょう。各自、絵本を買ってくる。これなら値段も大差ないし、内容が被る事も少ないはずだわ」

「……いいかもな。それに、万が一被っても何とかなる。ほら、子供はすぐに破ったり汚したりするから」

「じゃ、絵本をゆいこちゃんに贈るって事で」

 

 結衣のまとめに全員が頷く。天使のような寝顔を見せるゆいこへ、父親見習いと母親見習い達が初めて過ごすクリスマス。その日まで、後一月を切ろうとしていた……。

 

 

 

「クリスマスは休みたい、か」

「ダメ、ですか?」

 

 あの話し合いの翌日、早速八幡は社長に休み希望を告げていた。こういう事は、早くしなければ不味いと判断したからである。それ自体は間違っていない。だが、社長の反応はあまり良いものではなかった。

 

「比企谷、お前さんにも分かってると思うが、どこも年末は忙しいんだ」

 

 あの飲み会以来、社長は八幡への接し方を変えていた。今までよりも気安く、また親しみを込めたものへと。だからこそ八幡には分かった。今、社長は申し訳ないと思いながら話をしていると。

 

「特に、世間様が浮かれる辺りから、な。有難い事にウチもそうだ。小さいながら一年の三割から多い時は四割ぐらい稼ぐ事もある」

「うす」

「さすがに休みを与えない訳はないが、本音を言えば誰にも休まないで欲しいぐらいだ。そして、それは事務だって例外じゃない」

「……なら、定時で上がるってのは難しいですか?」

 

 社長の話で八幡も理解していた。大手と違い、中小はいつだって後が無い。仕事で穴をあけたり、あるいは失敗すれば大打撃となる。故に、繁忙期は休み希望を聞いてやれないのだろうと。だからこそ、ならばと彼は食い下がった。全てはゆいこのためにと。

 

「…………女か?」

 

 どこか苦笑いするように社長が問いかける。思わず本当の理由を言いたくなる八幡だったが、ぐっと堪えて頷いた。そう言う方が話が早いと思ったからである。社長はそんな彼にため息を吐いて頭を掻いた。何か思い出しているのだろう。その表情は懐かしそうに笑みを浮かべている。

 

「社長……?」

「比企谷、お前、クリスマス前ならどれぐらい残業出来る?」

 

 告げられたのは思わぬ内容。だが、八幡は瞬時に悟った。それが要求の代償だと。故に彼は即答した。

 

「社長が残業代出したくないってぐらい働きましょうか?」

「くっ……はっはっはっ! そいつはいい。言っとくが師走の事務はしんどいぞ? それでもいいか?」

「うす、俺も男ですから」

「……詳しい事はカミさんに聞け。お前さんの休み希望、たしかに受理した」

「ありがとうございます!」

 

 大きく頭を下げる八幡を見て、社長が嬉しそうに頷いていた。入社前とは見違える程に成長したと、そう強く実感出来たのだろう。こうして八幡はクリスマス休暇の代償として、十二月のほとんどで残業する事となる。それを高校時代の彼しか知らない女教師や雪乃の姉が聞けば、それこそ驚愕したはずだ。あの八幡が自分から残業を引き受けたのだから。

 

 そして、その日の夜には八幡はいろはへその事を伝えた。当然と言えば当然だった。何せゆいこの事がある。その世話をしてもらい、更には夕食まで作ってもらっているのだ。が、一つ普段と異なる事があったとすれば、そこに雪乃がいた事だろう。八幡が十二月は残業するため、夜遅くまで帰宅出来ない。それを聞いて雪乃はこう申し出たのだ。

 

「なら、十二月だけでも私もここで暮らしましょうか? 一人だけよりもいいでしょうし、貴方もその方が多少安心出来るんじゃないかしら」

「そうしてくれると俺としても助かるが、いいのか?」

「ええ。一色さんは?」

「あー、ゆいこちゃんもいますしそうしてくれると嬉しいです。私だけだと何かあった時困りそうだし」

「そう。なら、由比ヶ浜さんにも声をかけておくわ。私が遅くなっても彼女がいればマシでしょうし」

「……何だろうな。由比ヶ浜の場合、居る方が不安になりそうなんだが……」

 

 その何とも言えない発言に、雪乃もいろはも苦笑いを返す事しか出来ない。その後、雪乃が結衣へ事情を説明すると、彼女も十二月中は八幡の部屋へ来る事を決めた。こうして十二月は、八幡にとっての運命の一か月となる。

 

 迎えた十二月一日の夜、八幡が初めての残業で疲れて帰ると、彼を出迎えたのはいろはでなく……。

 

「おかえりヒッキー。お疲れ様」

「お、おう……」

「おかえりなさい。上着、預かるわ」

「その、頼む」

 

 結衣と雪乃のコンビが微笑んでのお出迎えだった。まるで新婚かと錯覚するような出迎えに、八幡は内心動揺しながら何とか普段通りに反応をした―――つもりであった。だが、実際には完全に動揺しており、それをしっかり二人に悟られていた。

 

 リビングでは、いろはが八幡の食事を温め直しているところだった。ゆいこはゆりかごで静かに眠っている。

 

「あっ、お帰りなさい先輩」

「おう、悪いな一色。そこまでさせて」

「いいんです。これからこの時間ですか?」

「分からん。これよりも多少早い時もあるかもしれないし、もっと遅い時もあるかもしれん。だから、寝ててくれていい。雪ノ下や由比ヶ浜もだ。特にお前達は仕事があるんだからな」

「うん、分かってるよ」

「安心して。私達は自己管理出来るから」

「……まぁ、そこは信頼してるけどな」

 

 何となく会話が夫婦のものに思えて、八幡は少し気恥ずかしそうにそう言って会話を切り上げた。と、差し出される一膳の箸。彼が見上げると、いろはが少しだけむくれるように箸を差し出していた。その理由を察し、八幡は若干息を吐いて呟いた。

 

「お前とは、もっと早くから似たような事してたろ」

「っ?!」

 

 動揺するいろはからそっと箸を受け取り、八幡は食事を始める。それを合図に雪乃と結衣も洗面所の方へと動き出す。いろはは小さく笑みを浮かべながら両手で頬を押さえ、嬉しそうに何事かを呟いていた。そんな中、八幡は内心で呟く。

 

―――疲れたところにこの状況は不味い……。

 

 笑顔の出迎え、労わるような振る舞い、労う言葉。そのどれもが疲れた体と心に染み渡るのだ。しかも、それをやってくれるのがあの三人とくれば、もう好意を自覚してしまった彼の耐久力など無に等しい。今も頭の中では先程の光景ややり取りがエンドレスでリピートされているのだ。

 

 それでも何とか食事を終えて、八幡はいろはに休むよう告げ、自分の手で洗い物を始めた。今は無心になりたかったのだ。だが、それが逆効果をもたらすとはこの時の彼は知らなかった。洗い物を終え、八幡がソファで一息ついていると、そこに三人が現れたのだ。それも寝間着姿且つ化粧を落とした状態で。いろはのすっぴんは何度か見た事があるし、結衣や雪乃もまったくない訳ではない。しかし、三人揃ってしっかりと、とはなかった。

 

「ゆきのんはもっとスキンケアした方がいいよ?」

「そうですよ。せっかく綺麗な肌してるんですからぁ」

「だけど、必要をそこまで感じなくて……」

「「それは甘いよ(です)」」

 

 雪乃へ揃って指を突き付ける結衣といろは。そんな光景を眺め、八幡はあの高校時代との違いを感じ取っていた。あの頃は、もう少し三人の間に距離があった。雪乃と結衣の間も少しだけ開いていたと。それが、今はほとんど感じられないのだ。年齢のおかげなのか、それともゆいこのおかげかは彼にも判断つきかねるが、確実にあの頃よりも仲が深まっていると断言出来る程、彼女達三人は親しくなっていた。

 

 今も肌のケアなどを話題に成人女性らしい会話を繰り広げている三人を眺め、八幡は改めて時間の流れと自分達の変化をひしひしと感じ取っていた。そして、きっと恋愛に関しての捉え方も変わっているだろうとも。何せ彼自身が変わっているのだ。あの頃、付き合う事に結婚などはちらつきもしなかった。精々が肉体関係を持てるか否か止まり。それが、成人し社会人となると、どこかで結婚の文字がちらつき出すのだ。はっきりではないが、学生の頃にはなかったものである。

 

(ゆいこの影響だとは思う。正直、まだその単語が過ぎる年齢ではないとも。だけど、俺が結婚なんて出来るとすれば、あいつらしかいない……)

 

 気品あふれる雪乃。慈愛の塊である結衣。甘え上手ないろは。誰であっても八幡としては、自分では釣り合わないんじゃないかと思うようなレベルの相手達だ。そこから選べと言われている幸福と不幸。だからこそ悩み、迷い、苦しんでいるのだから。

 

「先輩、まだお風呂入らないんですか? 冷めちゃいますよ?」

「あ? あ、ああ、そうだな。俺も入ってくるわ」

「ヒッキー、ごゆっくり~」

「しっかり温まるのよ。風邪を引いたらゆいこさんが大変だから」

「分かってる。お前らも湯冷めしない内に寝た方がいいぞ」

「はーい。なら先輩、おやすみなさい」

「おう」

「おやすみ、ヒッキー」

「ああ」

「お先に失礼するわね」

「気にするな」

 

 こうして三人と入れ替わりに洗面所兼脱衣所へ八幡は向かう。そして、そこに残る女性達の残り香に苦悶しつつ、浴室で更に葛藤しつつ、バスタブに浸かって煩悩と戦い、色々な意味で疲弊してベッドへ辿り着いたところで、彼は意識をあっさり手放した。どこかで、これが毎日続くのかと、戦慄と期待を同時に抱きながら。

 

 こうやって始まった彼らの師走は、まさしく目まぐるしい日々の連続となる。誰もが初めて迎える年末なのだ。八幡達新卒組は社会人としての、いろはにとっては卒業と就職を控えての、それまでとは毛色の違う時間と環境。その中で懸命に動く彼らを支えたのは、お互いであり、また幼い無垢な命であった。

 

―――すみません、雪ノ下先輩。私がやるべき事なのに……。

―――いいのよ。たまには私も腕を振るいたかったし、丁度いいわ。

 

 ある時はいろはが説明会などで疲弊し、夕食の支度を雪乃が変わった事もあった。

 

―――お鍋ならあたしでも出来るからね。ヒッキー、召し上がれ。

―――…………おおっ、本当に食える。美味いぞ、由比ヶ浜。

 

 またある時は一番早く帰れたため、結衣が炊事を受け持った事もあった。

 

 そうやって支え合いながら過ごし、遂に迎えた十二月二十四日の夜。仕事を終えて帰宅した八幡を三人の女性が出迎えた。そして彼から上着などを受け取り、静かにリビングへ。すると、テーブルには某チェーン店のパーティー用のチキンセットがあり、ワイングラスが四つと赤ワインが一本置かれていた。

 

「……俺を待ってたのかよ?」

「ええ、ゆいこさんはもう寝てしまったけれどね」

「まだギリギリイヴだし、四人でひっそり大人のパーティーって事でさ」

「なのでアルコールです。今日ぐらいはいいですよね?」

 

 声量を抑えて話す四人。だけども、どこかその声は楽しげだ。彼ら四人でクリスマスと言えば、否応なく思い出す事がある。あの頃は苦い感じの強かったそれも、今では笑い話に変わるだろう。そう考えて八幡が口を開いた。

 

「あれだな。俺達でクリスマスって言うとあのイベントを思い出すな」

「あー、あれですね。もう五年前ですか? 懐かしいなぁ」

「いろはちゃんの生徒会長としての最初の大仕事だったね。えっと、海浜との合同イベントだっけ」

「今でも思い出せるわね、あの生徒会長。やたらと横文字を使いたがる男だったわ」

「でも、意外とああいうの会社にいるよな?」

「いるいる。そのままじゃないけど、ちょっと知った感じの言葉とか使いたがる人」

「やっぱりそうなのね。こっちにもいるわ」

「うわぁ、何かそう聞くと就職が怖くなってきます。あの会長みたいなのがいるのかもしれないんだ……」

 

 席に着き、それぞれが自分のグラスへワインを注ぎながら会話する。既に雰囲気からしてムードなどないが、逆に彼ららしいムードではあった。この数か月もの間で培った、あの紅茶の香りに包まれていた時間よりも深くなった繋がりを代表する、そんな雰囲気だ。

 

「じゃ、今回の挨拶は雪ノ下だ」

「どうして?」

「奉仕部の部長だった者として、こういう事を一度ぐらいやってくれ。誕生日の時は俺だったしな」

「ゆきのん、ガンバ」

「いえ、別に嫌ではないのだけれど……」

「ならお願いします」

「はぁ……こほん。では、数年振りの再会の結果、設ける事の出来たこの会を祝して、乾杯」

「「「乾杯」」」

 

 綺麗な音を軽く響かせ、彼らはワインを口にする。そして同時にグラスから口を離し、息を吐いた。

 

「これ、飲み易くて美味いな。いくらだ?」

「いくらだと思う? 当ててみなさい」

 

 ワインを持って来たであろう雪乃が、どこか挑戦的な表情で八幡を見た。それを一種の余興と理解し、三人は互いを見合って思案顔。まず真っ先に意見を出したのはいろはだった。

 

「五千円で買えると思います?」

「いやいや、これはもっとするんじゃない?」

「待て。雪ノ下だぞ? 安直に高価な物で俺達を驚かせるはずはない」

「じゃあじゃあ……三千円ぐらい、とか?」

「五千円近くはするんじゃないですか?」

「由比ヶ浜さんが三千円で一色さんが五千円程度。比企谷くんは?」

「……いちきゅっぱ?」

「正解は、貰い物だから値段は分からない、よ」

 

 楽しげに笑って答える雪乃に、八幡達は呆れるやら苦笑するやら。その後もチキンなどを食べながら話は弾み、日付が変わる頃には、テーブルの上から綺麗に食べ物などが消えていた。

 

「じゃあ、ゆいこへのプレゼント確認タイムか」

「私はこれよ。パンダのパンさん」

「あたしはぐりとぐら」

「良かった。被ってないや。私は14匹のあさごはんです」

「俺は長靴をはいた猫だ」

 

 それぞれに絵本を出し、一名を除く全員が一冊の絵本へ視線を向ける。

 

「「「……パンさん」」」

「な、何? いけなかったかしら?」

「「「そんな事ないから(です)」」」

 

 どこか恥ずかしそうにする雪乃を、三人は苦笑混じりに見つめてそう返す。四冊の絵本はゆいこのゆりかご近くへ置かれ、パーティーはこうしてお開きとなる。そして女性達がそれぞれ床に就いた後、八幡が静かに彼女達の枕元へ何かを置いていく。

 

「……こんな事したら、余計辛くなるんだろうけどな」

 

 三人への彼からのクリスマスプレゼントである。このために彼は通常よりも二時間早く退社させてもらい、閉店前の百貨店へ急行、候補に挙げていた物から、彼女達それぞれに似合う物を選んだという訳だった。読書好きの雪乃には栞とブックカバー、髪型をよく変える結衣には髪飾り、ゆいこを最初から見てくれたいろはには星形のイヤリング。値段などは度外視で、彼女達の事を考えて彼なりに選んだ物であった。

 

 翌朝、目を覚ました彼女達は枕元にあるプレゼント包装に気付き、中身を見てしばらく無言になった後、死んだように眠る八幡へ視線を向ける。

 

「……比企谷くん」

「ヒッキーってば、こんな事するようになったんだ……」

「もう、下心出してくれてもいいのに……」

 

 一人だけ特別。あるいは、三人共に高価なプレゼント。そんな事が出来ない理由が分かるから、彼女達はどこか悲しく、だけども嬉しく思って、久しぶりのサンタからのプレゼントを受け取った。だが、そこでならばといろはがお返しを始め、それを見た雪乃と結衣も恥ずかしながらも続いた。

 

 その後、昼近くにようやく目を覚ました彼は、ゆいこといろはの姿が無い事に気付いた。テーブルの上に置手紙があり、二人は買い物がてら街を散歩してくるとあった。なので顔を洗おうと洗面所へ行くと、彼はとんでもないプレゼントに気付く。

 

「…………やってくれたな」

 

 鏡には、キスマークが三つ付けられた自分の顔が映っていた。しかもご丁寧に色が異なっている。それで八幡には分かってしまうのだ。どれが誰の付けたものかが。しばらく逡巡した彼だったが、意を決して洗顔を始めた。しかし、口紅はそう簡単には落ちない事を彼はまだ知らなかった。結局、いろはが帰ってくるまで、彼は頬に三つのキスマークをうっすらと残して過ごす事となる。これが八幡の社会人として初めてのクリスマスの思い出であった。

 

 そして大晦日の夜、八幡の部屋にはいつもの顔ぶれが揃っていた。本来なら実家に帰ろうと思っていた八幡だが、ゆいこの事もあってそれを中止。小町には若干不信がられるも、そこはいろはがフォローし事なきを得ていた。雪乃は実家に戻るつもりがなく、結衣はむしろ母親から背中を押される形でそれぞれ来訪している。いろはは二人が来るなら当然とばかりに残っていた。

 

「今年もあと僅か、か……」

「色々あり過ぎましたね」

「そういう意味では、あの頃に近いかもしれないわ」

「あー、イベント尽くしだったもんね~」

 

 静かな寝息を立てて眠るゆいこを抱え、八幡がしみじみと漏らした言葉を切っ掛けに、それぞれが口を開く。テレビでは新年に向けてのカウントダウンが始まろうとしており、誰もが笑顔を浮かべている。

 

「まさか、この四人で年越しを迎えるとは思ってもなかったしな」

「そうね。由比ヶ浜さんとは毎年年賀メールを送り合ってはいたけれど」

「ヒッキーもそれぐらいはしてたよね」

「むしろ、そういう時ぐらいしかメールしてくれませんよ。ま、今は違いますけどね~」

「……まぁな」

 

 照れくさいのかゆいこの方を見て答える八幡だが、そんな行動をする時点で内心はバレバレである。三人は彼に小さく笑みを浮かべていた。すると、画面からは残り十秒となった今年を数える声がし始める。それに四人が意識を向けて新年を待つ。そして丁度新年を迎えた瞬間、停電したかのように全ての明かりが消えた。

 

「え?」

「停電……?」

「おかしいですね。そんなはずは」

 

 突然の事に軽くざわつく三人。だが、八幡だけは違った。思い出していたのだ。ゆいこが来た時の状況を。あの時も停電に見舞われた。しかも、今回はそうなる原因が無いにも関わらずだ。

 

「まさか……」

 

 もしやと思いゆいこへ目をやる八幡。すると、ゆいこの体がゆっくりと光り始めていた。それがあの最初の出会いを彷彿とさせ、彼は思わず息を呑む。同時に頭の中で疑問符を浮かべていた。何故なら、まだゆいこが来て一年も経過していないのだ。手紙には一年間は元の時間軸へ戻れないと書いてあったからだ。

 

「ひ、比企谷くん! ゆいこさんがっ!」

「光ってる!?」

「ああ! これはゆいこが来た時と同じ状況なんだ! あの時も、停電して、光に包まれたゆいこが現れたんだよ!」

「えっ!? でも、手紙には一年間は戻れないって……」

 

 いろはの疑問に八幡が頷いた瞬間、ゆいこの体が浮かび上がる。そして同時に大きな声で泣き出したのだ。

 

「どういう事なの!?」

「分からん! もしかして、ゆいこが帰ろうとしてるのか?」

「で、でもまだゆいこちゃんが来て一年にもなってないのに!」

「ゆいこちゃんっ!」

 

 いろはがゆいこを抱き寄せようと腕を伸ばした瞬間、その光が三つに分かれて消える。あまりにもあっさりと、未来からの来訪者は来た時同様に突然いなくなったのだった。明かりの消えた室内で呆然となる四人。理解出来ない訳ではないし、理解していない訳でもない。だが、納得など出来ようはずもなかった。こんな別れが、こんな最後があっていいのかと誰もが思っていた。と、いろはがその場で崩れ落ちた。

 

「っひく……ゆいこちゃん……」

「一色……」

 

 一番最初から面倒を見ていたいろはが、真っ先に喪失の悲しみにやられたのだ。髪色が同じになった事もあり、余計自分の子と思い出していたのだろう。すると、それを契機に結衣も雪乃へ抱き着いた。

 

「ゆきのん、ゆいこちゃんが……ゆいこちゃんがぁ……」

「……仕方ないのよ。彼女は元々この時間軸にはいない存在なの。きっと、遅かれ早かれこうなっていたわ」

 

 結衣を優しく抱き留めながら、雪乃も静かに涙を流す。八幡はそんな彼女達の悲しみを背中で聞きながら、一人天井を見上げていた。泣くまいとしていたのだ。男の意地である。すると、何かがゆっくりと彼の上に落ちてくる。それは手紙だった。

 

「っ!」

 

 その事に気付き、八幡は慌てて手紙を手にして中を見る。そこには、印刷された字でこう書かれていた。

 

―――騙す形になって、申し訳なく思っています。あの手紙に書かれていた期間に関する事は、半分事実で半分嘘です。事実はすぐには戻れない事。嘘は、期限は一年間ではなく、貴方達の気持ちが通じ合うまでという事です。

 

 読み終えた八幡は、静かに手紙を三人へと差し出す。一言、未来の俺からだと告げて。まず雪乃が手紙へ目を通し、次に結衣が、最後にいろはが読んでいく。読み終えたところで明かりが戻った。

 

「……では、ゆいこさんは比企谷くんと私達の気持ちが通じ合ったから戻れたと?」

「そうなる」

「待ってよ。じゃ、何で一年間なんて嘘吐く必要あったの? 正直に」

「結衣先輩、多分そう書かないと、先輩が今みたいになれないからじゃないですか? 母親になる相手と気持ちを通じ合わせるなんて書かれたら、先輩の事だから変な意識して余計こじれてました」

 

 いろはの言葉に八幡は返す言葉がない。何せいろはを頼ろうとしたのも、一年間どうやって面倒を見るのかと考えればこそだったのだ。これが、母親になれる相手と恋愛しろと書かれていたのなら、確実に連絡をするのを躊躇っていたか、あるいは小町を頼っていただろうからだ。

 

「そうなると、ゆいこさんは戻れないどころか消滅する可能性も出てくるわね。成程、実に臆病谷くんらしい」

「悪かったな」

「でも、そうなると誰がゆいこちゃんのお母さん?」

「少なくても小町は違う事が証明された。正直、あの名前を思い付いた時、若干不安がな……」

「ああ、”こ”の部分が小町ちゃんかもしれないって事ですね。当たってましたねぇ。さすが本人」

「うるせ」

 

 少しだけ明るさが戻ってくる八幡達。と、そこで結衣が顔をある場所へ動かして寂しそうな顔をした。八幡もそれに気付き視線を追う。そこには、ゆいこの居た確かな証拠が残っていた。ゆりかごや絵本といった、ゆいこのためだけに用意された物の数々が。

 

「……由比ヶ浜」

「ゆいこちゃん、戻ったって事は生まれてくるって事だもんね。そういう事だよね?」

「ええ。思えば、あの最後の大泣きは産声かもしれない。元の時間軸というのは、出産時という事かしら?」

「だとしたら、あのまま戻る訳じゃないですね。そっか、そういう意味でも不安定な存在だったのかな?」

「とにかく、ゆいこの物は大切に保管しておく。紙おむつやミルクは……未開封のは寄付だな」

「そうね。使用済みなのも、場所によってはもらってくれるかもしれない。当たってみましょう」

「うん、捨てるよりもその方がいいもん」

「ですです。それに、ゆいこちゃんと再会したら、新しいのを買ってあげたいですし」

 

 笑みを見せ始める三人を見つめ、八幡はもう一度手紙へ目を落とす。彼はまだ一つだけ気になっている事があったのだ。それは、ゆいこが何故ここに来なければならなかったのか。そこについては一切触れられていないのだ。

 

(どういう事なんだろうか? 教えてはならない理由があるのか。それとも、それはいずれ分かるのか。どっちだ?)

 

 考えても当然ながら答えは出ない。なので彼は一旦その事は忘れる事にした。今はそれよりも片付けなければならない問題が多いのだ。ゆいこが戻れた理由は、彼が三人の誰かと想いを通じ合わせたから。そう考えれば、この中の誰かを選べばゆいこは生まれる事になる。いや、ここまでくれば、もう選んだ相手こそが未来のゆいこの母となるのだろう。そこまで考え、八幡は小さく息を漏らした。

 

(もしかして、これは昔あった洋画みたいな話か? 現代の息子が過去に行き、自分の両親の出会いを変えてしまった事から始まる話。今回のは、未来の子供が過去に行き、現代の俺達を再会させる事がそれか? だから未来の俺はこの事を阻止出来なかった。したら、ゆいこは消えてしまう。あー、もう訳が分からん。バックトゥザフューチャーとか、もう何十年前の作品だよ)

 

 正直何年後の話かも分からない以上、考えても理解どころか憶測さえたてられない。なので、八幡は考えるのを止めた。それよりも、今は自分の設定したリミットまでに答えを出す方が先である。

 

「とりあえず、お前達に言っておく事がある」

 

 その言葉に、三人が彼を見た。その妙に緊張した表情に内心で苦笑しつつ、表向き真剣なままで八幡は小さく呼吸を整える。それさえも、三人へのブラフとして。

 

―――あけましておめでとう。今年もよろしくな。

 

 その年始の挨拶に、三人の美女が揃って拍子抜けし、その後で軽く文句を言った事を記す。


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