桜の咲く季節となり、あちこちで新生活の息吹が感じられる頃、八幡は自分の部屋のソファに座ってぼんやりとしていた。ゆいこがいなくなった数日後、この部屋からいろはは出ていった。ゆいこの面倒を見る際の報酬であった合鍵さえ置いて。その理由は一つ。
―――ここにいると、どうしてもゆいこちゃんの事思い出しちゃうんで……。
傷がなかった訳ではないと、そう暗に告げていろはは自分の部屋へと帰って行った。だが、どこかで八幡は気付いていた。それは、雪乃や結衣への気遣いでもあると。選んで欲しいが自分だけ特別な条件では嫌だ。そんな気持ちがいろはに生まれたのだろう。そうしていろはと同時期に雪乃と結衣も部屋を訪れなくなり、八幡は寂しさを強く感じるようになった。彼女達が彼から距離を取った背景には、八幡が未だ答えを出せていない事も関係している。一旦距離を置く事で彼にゆっくりと考えて欲しいと考えたのだ。
「……俺はどうしたらいいんだろうな。雪ノ下も、由比ヶ浜も、一色も、正直俺にはもったいないぐらいの女性だ。誰を選んでも幸せで、誰を選ばなくても不幸なぐらいに……」
思い出すのはそれぞれが抱き抱えたゆいこの姿。黒髪にクセ毛のあるゆいこに、黒髪でクセ毛のないゆいこ。そして亜麻色の髪でクセ毛のあるゆいこ。どのゆいこも愛しく、なかった事には出来ない。誰かを選べば後の二人のゆいこはない事になる。それもまた悩む理由だった。
「それにあの複合されたゆいこ、か……」
ぼんやりと思い出すのは、全部笑っているゆいこだった。本当によく笑っていた。そう思い出すと、その笑顔のためにも決断しなくてはいけないと八幡は思うのだ。
「期限も近い。なら……」
意を決して彼はスマホを取り出した。そして、あのゆいこが切っ掛けで作ったLINEグループへメッセージを送る。それは自分の部屋へ三人を呼び出すもの。答えを聞いて欲しい。その一文を。
時間は過ぎ、夕闇がゆっくりと近付く頃、マンションを訪れる三つの人影があった。それらは揃ってある一室を目指して進み、インターホンを押す。やや間を置いてドアが静かに動いて八幡が顔を見せた。
「……呼び出して悪いな。入ってくれ」
「お邪魔するわ」
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす」
彼女達が揃ってこの部屋を訪れるのは、実に三か月ぶりだった。最後は言うまでもなく、あのゆいこがいなくなった日、即ち元日である。リビングへ通された三人は、そこで思わぬ物を見つけた。それはゆいこの使っていたゆりかご。何故それが出ているのか。そう思う彼女達へ八幡が先んじて口を開いた。
「それを出したのは、ゆいこにも聞いてもらおうと思ったからだ。俺の、本物の答えを」
言いながら彼はゆりかごへと近寄り、それを優しく揺らした。そうされるとゆいこが必ず笑っていた事を思い出して、誰もが懐かしく、そして寂しく思った。もう、あの明るく楽しげな声は響かないのだ。
「俺は、あの頃一目惚れをした。いや、正確にはしていたんだ。だけど、それを気のせいだとか勘違いだと思い込んで見ない振りをした。それに、その相手も俺へ好意を抱いているように見えなかったしな」
「比企谷くん……」
「そうしたら、今度はそんな俺へ好意をはっきり見せてくる奴に出会った。最初は遠ざけた。その優しさは誰にでも向けるもので、俺だけが特別じゃないと言い聞かせて。だけど、そうじゃないかもしれないとある時から思うようになった」
「ヒッキー……」
「そんな風に思っていたら、とある事で俺達は隙間風が吹く関係になった。そんな時、妹のように甘え上手な奴と関る事になった。そいつは学校で一番モテてる奴が好きで、俺はいつの間にかその恋愛を応援するハメになって、そりゃ大変だった。それでも面倒見ちまったのは、放っておけない奴だったからなんだろうな」
「先輩……」
一度たりとも三人を見ず、まるでいないゆいこへ聞かせるように話す八幡。そして彼はゆっくりと彼女達へ顔を向ける。
「雪ノ下に惚れて、由比ヶ浜を好きになって、一色は放っておけないんだ。俺の本物の気持ちはこれなんだ。あの奉仕部で過ごしてた時間。それこそが俺の本物になっていたんだと思う。だから、誰が欠けてもダメなんだ。ゆいこがそれを俺に分からせてくれた。あの最後の姿の意味は、俺の本心だった。選べないんじゃない。三人を選んでいたんだ」
真顔でそう言い切る八幡だが、そこで一旦深呼吸をする。そして勢い良く頭を下げて叫ぶ。
―――虫の良い事を言ってるのは分かる! だけど、俺に三人のゆいこを抱かせてくれっ!
その姿に雪乃と結衣が息を呑み、いろはは呆気に取られていた。八幡は常識的であり、良識を持っている人間である。だからこそ、ここまで迷い悩んだ。あっさりと三人がいいと言ったのではなく、様々なものを考慮しながらも三人がいいと言った。それが彼女達には大きかった。
今も頭を下げ続けている八幡を見て、最初に口を開いたのはいろはだった。
「先輩、頭上げてください。その気持ち、私もよく分かりますから」
「……一色」
八幡が顔を上げると、いろはは柔らかく微笑みを浮かべていた。そこには、答えを出した事への喜びと振られなかった嬉しさと、自分だけではないという微かな悲しみが滲んでいた。
「私、ゆいこちゃんの世話をしてる内に分かったんです。きっと、奥さんからお母さんになるって、こういう事を経験してなってくんだろうなって。私、まだ結婚もしてないのに気分は先輩の奥さんでした。合鍵もあったし、今だから言いますけど、小町ちゃんにもその事教えて堀埋めてましたから」
思わぬ告白に八幡だけでなく雪乃と結衣も驚きを見せていた。だけども、いろははそんな彼らへ寂しそうな表情を向ける。
「でも、あのゆいこちゃんを思い出すと、私だけがお母さんでいいのかなって思うんです。結衣先輩にも雪ノ下先輩にも、ゆいこちゃんはすっごく懐いてました。あの子にとって、私達三人がお母さんだったんじゃないかなって」
「……そう、かもしれないね。だって、あたしがママだとゆいこちゃんは亜麻色の髪にならないもん」
「私でもよ。あのゆいこさんは可愛かったわ」
「黒髪のゆいこちゃんも可愛かったよ。クセ毛があってもなくてもね」
「心なしかクセ毛なしの方が甘えん坊でしたね」
「あー、かもしれない。あたしの要素?」
自分を指さして小首を傾げる結衣だったが、それを見て雪乃が即座に答えた。
「甘えたがるのは由比ヶ浜さんではなく彼でしょう」
「おい、人を甘えん坊みたいに言うな。確かに甘えたい気持ちは強いが、ちゃんと自立してるだろ」
「あら? 将来の夢が専業主夫だった人が甘えん坊ではないと?」
「……今の夢は三人の娘に絵本を読み聞かせする事だ」
その照れながらもはっきりと告げられた言葉に三人が赤面する。しかし、雪乃はすぐに立ち直ると咳払いをして質問を始めた。
「世間は冷たいわよ」
「ああ、分かってる」
「私の場合、あの母がいるのだけど?」
「全力で立ち向かうだけだ」
「由比ヶ浜さんや一色さんのご家族には?」
「誠心誠意を以って理解を求める。無理なら……無理で考える」
「…………私だけではダメ?」
「っ……ダメじゃない、が、分かってくれ。こんなバカな答えを出す奴になったんだよ」
一度として顔を背ける事なく、八幡は最後まで雪乃の顔を、目を見つめて答えた。そこに覚悟のようなものを感じ取ったのだろう。彼女は小さく息を吐くと結衣といろはへ顔を向けた。
「だそうよ。どうする?」
「そうだね……」
「じゃあ、どこまで先輩の気持ちが本物か試してみましょうか」
悪戯めいた表情でいろはが告げた言葉に八幡の表情が変わった。
「は?」
「まず、ご近所付き合いでの白い目に耐えられるかですね。早速明日から行動開始しましょう」
「うん、そうだね。ママからも、一人暮らししてみた方がいいって言われてたんだぁ」
「由比ヶ浜さん、同棲は一人暮らしとは違うわ」
「きっと、家事などを誰かにやってもらうだけじゃない暮らしをしなさいって事じゃないですか? なら大丈夫かと。今度からは私も社会人ですので」
「当番制? あるいは分担かしら? とにかく、それなら由比ヶ浜さんのお母さんが考えている事にはなりそうね」
「みんなのお家への報告はいつにする?」
「さすがに一年は様子見ません? で、小町ちゃんへ教えて反応を見てから……」
「ね、具体的な話するの止めてくれない? それと、自分で言っておいて何だけど、何でもう受け入れてるの?」
あまりにも現実味のある仮定を聞かされ、八幡はその想像で頭と心が痛くなったのだ。特にズキリときたのが同棲という響きである。間違ってはいないのだが、複数人で住むなら、ルームシェアという言い分が通るのではないかと思ったのだ。だが、そんな彼の気持ちを見透かすように雪乃が平然と告げる。
「だって、貴方のその答えが永遠に変わらないとも限らないでしょ?」
「は?」
「うんうん、一緒に暮らしてる間にヒッキーがあたしやゆきのん、いろはちゃんの中で一番を作っちゃうかもしれないし」
「いや、だから」
自分の本心が伝わり切っていないのか。そう思って口を挟もうとした八幡の口元へ、いろはがそっと指を当てる。
「先輩、分かってください。雪ノ下先輩も結衣先輩も、そう思う事で折り合いをつけてるんです。勿論私もですよ? いつか先輩が一人に決めるかもしれないって、そう言い聞かせて、ね?」
「一色……」
「ふふっ、これじゃいつかと逆ですね。今度は先輩がはっきり伝えて、私達は見て見ぬ振りをするんですから」
「だけど、それでいいわ。これで御相子よ」
「ヒッキーが昔やってた事だもん。あたし達がやっても文句ないよね?」
「雪ノ下……由比ヶ浜も……」
最低で最悪な選択をしたにも関わらず、それを屁理屈を以って受け入れてくれる三人に、八幡は言葉がなかった。一夫多妻など認めた訳ではない。これからの時間は実力行使で行う恋愛バトルだ。それが三人の表向きの言い訳である。無論、八幡が誰か一人に決める事はないと知りつつ、そんなはずはないと自分へ言い聞かせて。
こうして始まる四人での共同生活は、早々に引っ越しを考える事態となる。当然と言えば当然だ。何せそれぞれの自室がないのだから。それでも同棲を解消するつもりはなく、四人の通勤事情や住居への希望などを話し合いながら、彼らは助け合って生きていく。
男女的な一線を越える事は中々出来ないでも、色恋的な一線は共同生活初日から名前で呼ぶと八幡が決めた事を皮切りに、それぞれとの個別デートや四人でのデートなどを経験し、まるで大学時代にしておきたかった事を経験するかのように、四人は時間を捻出して過ごす。
そんな生活も慣れ、賃貸の一軒家を見つけて引っ越して数年後、思わぬ動きが政界で起きる。少子化対策として幾多もの法案が出され、試験的に一夫多妻が導入される法案も可決されたのだ。とはいえ、当然少子化対策の一環なので、五年以内に子供を作る事と、妻となる女性達との合意が必須条件となっていた。逆に言えば、子供を産み育て、妻とする女性達の合意さえあれば重婚を許されるのだ。
「……八幡さん、これって」
「ああ、そういう事だよな」
「ゆいこちゃんとやっと再会出来るよ、ヒッキー」
「ついでにこれで周囲の理解も得られるわ。少子化に対する制度の良い見本として、ね」
「……にしても、よくこんな案も通ったな」
「だからこれについては試験的導入なんでしょう。つまり、この条件で制度を利用する者がいなければ廃止する。要するに政府もそれぐらい追い詰められてるんじゃないかしら。他もかなり馬鹿げているものが多いわ。それでも、色々やってみて効果が出るか否かを確かめてるんでしょ」
「まぁ、普通は無理ですよねぇ。特に女同士の合意」
「あたし達もゆいこちゃんと出会ってなかったら……ね」
そしてこの日から、八幡にとっての天国のような日々が始まった。所謂妊活である。本来ならば婚活が先だろうが、この制度のためには妊娠する事が必要。あれだけ越えられなかった一線もあっさり突破し、彼は一夜にして三人もの美女の初めてをもらう事となった。三人ともに初体験は譲れなかったためである。
しかも、それで終わりではなく始まりだったのだから、世の男性が知れば彼はただでは済まなかっただろう。ただ、さすがに彼女達を同時に相手する事は中々なかったが。
―――ゆ、雪乃……もう一度いいか?
―――ええ、いいわ。何度でも抱いて。
―――……雪乃、愛してるぞ。
ある夜は雪乃と日が昇るまで求め合い……。
―――えへへ、ヒッキーのがいっぱぁい……。
―――……結衣、悪い。もう一回させてくれ。
―――え? ちょ、ちょっとヒッキー!?
ある夜は天然でその気にさせる結衣を押し倒し……。
―――八幡さん、もっとしよ?
―――っ! ……この小悪魔め。退治してやる。
―――はぁい、退治されま~すっ。
ある夜は挑発するいろはを返り討ちにした。
その甲斐あって、見事三人は新しい命を宿した。最初に雪乃が、すぐ結衣といろはも妊娠が確認される形で。今は、その子達の名前をどうするかで八幡は悩んでいる。ゆいこは敢えて使わない事にしたからだ。同然だ。ゆいこは一人で、彼女達に宿った命は別の存在だと考えていたのだから。
(きっと、平行世界って奴になったんだろうな。ゆいこは俺が誰かを選んだら生まれてきたんだろう……)
紙とペンを前に、八幡はぼんやりとそんな事を考えていた。雪乃の子には雪乃から一字、結衣の子には結衣から一字、いろはの子にはいろはから一字もらう事に決め、三つの名前を考える事にして。
「雪乃の子は、雪をもらうか。結衣は結の字がいいな。いろはは……漢字なら色か。でもあいつは平仮名の名前だからなぁ……」
ゆきみ、ゆいかと書いて、八幡は考える。いろはの名をもらって女の子の名前を作るなら、どの字が一番可愛らしいかを。その結果、ろの字をもらう事にして考え、ろみと書いた辺りで何か違うと首を傾げる。
「……やっぱり”い”にするか」
結果、まいことした。小町のまといろはのいの合わせ技に、母親の名と同じ文字数へ揃えただけである。妹分と妹の名を一字ずつ足すという、何とも彼らしい名付けであった。そうやって一例を書き出したところで、八幡は不意に手元に置いてあったお茶の入ったグラスを倒してしまった。
「やばいっ!」
慌ててグラスを戻し、零れた水分を出来るだけ丁寧に拭き取って、彼は紙へ目をやった。そこで八幡は気付く。零れた水分の影響で文字が滲み、はっきりと読める文字を繋げるとあの名になる事に。その瞬間、思い出されるあの最後の姿と、消える際に三つに光が分かれた事。全てが線で繋がった瞬間であった。
「そうかっ! ……ゆいこは三人の子供の集合体だったんだ。だからあいつらそれぞれに変化し懐いたと、そういう事か」
噛み締めるように八幡が答えを導き出した時、ふと赤子の笑い声が室内に聞こえた。反射的に彼が顔を動かすと、一瞬だけゆいこが天井に見える。だが、驚いて彼が目を擦った後にはそこには何もなく、ただ天井が見えるだけ。
「……大正解ってか? ありがとな、ゆいこ」
誰もいない天井へ向かって一人呟き、八幡はそっとスマホを取り出して画像フォルダを表示した。そこから一つの画像を見つけ、画面へ表紙させる。それは、あの誕生日の時に撮影したもの。ゆいこだけがそこから綺麗に消えている。だけど、八幡は呟いた。
―――例え記録から消えても、記憶からは消えない。ゆいこ、お前は今も俺達の中にいるからな。
翌年、八幡達は一枚の写真を撮影する。そこには、雪乃に結衣といろはが映り、彼女達に囲まれて照れ笑いを浮かべながら、三人の赤子を抱き抱える八幡の姿があった。三人の子供達は、八幡達の会話内で登場する時、セットで扱われる際にこう総称される事となる。ゆいこ、と……。
最後はやはりご都合で片付けとなりました。自分の悪い癖ですね。……こんな法案、現実には実現しないでしょうし(汗
最後までお付き合い頂きありがとうございました。拙作製造機の次回作にご期待しないでください。