感想とか、ここはこうだろ!とかあればお願いします。是非是非。
なので時系列としてはリミヴィ準拠。グラン君のスペックは大体rank110かそこら。クラス4に着手し始める頃でしょうか。何か矛盾があるかも知れませんが、まあストーリーとキャラの入手を合わせないと行けない、なんてことはないと思いますので大目に見てやってください。ユグユグ倒してないのにユグユグ仲間になったりするじゃないですか。あんな感じです。
蛇足ですが、私のグラン君のスペックはrank146くらい。やっと初心者抜け出したかなと言うところ。そんな感じの騎空士が手慰みに書いたものです。よろしければ何卒。
始まりは、どんな感情だったろう。ヴィーラ・リーリエは自分の省察をするに辺り、まずそれを問うた。心の最奥、己の最も深く、暗い場所で、原初の記憶を想起する。
――純粋な憧れだった筈だ。比肩し得る者のない小さな城塞都市で、失望の淵にあったかつての自分。全てが色褪せて見えた風景の中で、その女性だけが鮮明だった。ヴィーラが“お姉様”と呼ぶ、世界で最も大切な人。
“お姉様”――カタリナ・アリゼは、ヴィーラの全てだった。性別や、周囲の眼などどうでも良かった。ヴィーラにとってはカタリナが世界の中心で、崇めるべき女神で、最愛の人だった。強く、美しく、優しく、気丈で、分け隔てない。カタリナさえ居れば、ヴィーラにはもう何も要らなかった。
――ああ。ヴィーラは嘆息した。そうだった。私はお姉様を、慕っていた。ただ純粋で、何よりも深く。
同時に、後悔した。自身の弱さが、悔しくて仕方ない。
カタリナへの想いの深さは、決して変わらなかった。けれどその形は、彼女の意図を汲み、ヴィーラがアルビオンの星晶獣たるシュヴァリエと契約した時から、徐々に変質していった。
今から思えば、最初から矛盾していたのだ。カタリナさえ居れば何も要らない。それほどまでに敬愛する彼女の願いを叶えるために、ヴィーラはこの土地に縛り付けられることを是とした。彼女との離別を諾とした。
ギリ、と奥歯が擦れる音がする。全ては、私の至らぬが故。ヴィーラはそう思った。一度その選択を取ったなら、私は後悔するべきではなかった。
どうしてお姉様は、会いに来てくれないのだろう。
どうして私は、此処に居なければならないのだろう。
どうしてこんなに、胸が痛むのだろう。
誰のせい?
そんな疑問が一抹でも浮かぶことを、かつてのヴィーラの心は許さなかった。圧し潰し、すり潰し、塵となって消えるまで切り刻んだ。何よりも大切なカタリナに、そんな感情を抱くことは、造物主に剣を向けるに等しい悪だった。
しかし、敵は自身の心の一部だ。消せど殺せど、本当に自身の息の根を止めでもしない限り、その黒く冷たい感情は頭をもたげてくる。殺して、殺して、殺して。幾度とない自分の影と戦い続けた。
天才、傑物、逸材、卓越。ヴィーラを修飾する幾多の言葉も、取り去ってしまえば彼女は当時にしてまだ16歳の少女だった。どれほど剣技が鋭く、座学に詳しく、美醜に聡くても、誰も自分自身《・・・・》との戦い方は教えてくれなかった。
相反する二つの感情のために、ヴィーラの心はひび割れ、ボロボロになった。カタリナへの愛に、あれほど消そうとしていた、カタリナへの憎悪が、遂に混ざり合った。結果、あれほどまでに慕ったカタリナを罠に嵌め、あまつさえ『一騎打ち』の際のトラウマを抉ってまで、彼女を手に入れようとした。壊れた心が、全てを正当化した。
――見たくもない筈なのに。冷静で居られるのは、あなたのお陰かしら、シュヴァリエ。
暗闇の中で唯一、自身に寄り添う小さな隣人に、ヴィーラは語りかける。細く、緑光に淡く輝く、妖精のようなそれは、蔓と白い花弁を掛け合わせたような見た目をしていた。愛苦しく、つぶらな瞳がヴィーラを見つめ返す。
あわや瓦解寸前だった彼女の心を繋ぎ留め、懸命に均衡を保とうと粉骨した、騎士の星晶獣。ヴィーラはシュヴァリエの頭を撫でた。人の耳には捉えられない、星晶獣特有の声を発する。彼女には、ある程度その意味が理解出来た。『私もあなたを傷付けた』と、そう言っている。
確かに、シュヴァリエの契約がなければ、ヴィーラはアルビオンに束縛されることもなかった。けれど彼女は、それは違うと首を振った。今なら分かる。私の心が弱かったのだ。お姉様と共に居たいなら、私は相談するべきだった。何か手を考えるべきだった。お姉様のことを思うなら、最後まで心を殺しているべきだった。
そのどちらをも願うなら、私はもっと、強く、深く、広くあるべきだった。そう思った時だった。
不意に、一人の少年の顔が浮かんだ。彼はグランと言った。明るい茶色の髪と双眸、鍛え上げられた無駄のない肉体。かつてのヴィーラとそう変わらない齢にして、騎空団の団長を務め、あらゆる武器と戦技、魔法に通ずるほどの力を持ちながら、お節介で、お人好しで、何処までも甘く、敵にさえ情けをかけがちな、あの少年。
――どうして、団長さんが出て来るのでしょう。
ヴィーラは、不思議だった。最近はずっとこうだ。弱い自身の心を見つめ直し、二度とカタリナに――ついでに、他の騎空団の皆々にも――心配をかけまいとする思索を張り巡らせる度、どうしてか彼の顔が浮かぶ。
もやもやとしたものが、胸中に渦巻く。ヴィーラが彼に一目置いているのは確かだった。これだけの団員に認められ、彼女の慕うカタリナさえ例外ではない。
男など、ろくでもない者ばかりと決めてかかっていた。彼がそうではないのは、何故だかすんなりと理解出来て、それなりの敬意を払うのも、やぶさかではないのだった。
――変ですね。
それでも、ヴィーラの理想はカタリナである筈だった。全てが彼女を中心に、構成されている筈なのだ。グランの顔が浮かぶのは、どうにも不思議で仕方がなかった。
「…ラ」
微かに、人の声がする。少し低い、ハスキーな声。大人になりつつある少年の、聞き慣れた声。
薄っすらと、眼を開く。
「ヴィーラ」
目の前には、グランが立っていた。心配そうに、此方を覗き込んでいる。
「もしかして、まだ具合が悪いの?」
「…いいえ、そんなことはありません」
「良かった」安堵した様子で、彼は微笑む。胸がざわつくのを感じる。何なのだろう、これは。
「要らぬ心配ですよ、団長さん。“瞑想”です、ナルメアさんも良くやっているでしょう…まあ、あの方は本当に寝ていることも多いようですが」
ナルメアはドラフ族の剣豪だ。ゾッとするほど美しい太刀筋と、体捌き。星晶獣の加護も何もなしにあれをやってのけるのだから恐ろしい。ヴィーラが深く、自分と向き合えるようになったのは、一つにはシュヴァリエのお陰と言うのもあるが、もう一つはナルメアのお陰でもあった。精神を沈め、浸る所作を教わったのである。ヴィーラ自身も薄っすらと感じている、変化の現れだった。以前はカタリナにさえ、力を借りようとはしなかった。
「そうは言うけど、まだ目が覚めて日が浅いんだから。心配もするよ」
色目を使っている訳でも、下心がある訳でもない。本当に私を心配している。ヴィーラはそのことを理解していた。今更言って、はいそうですかじゃあ心配するの止めます、とならないことも、十二分に。
はあ、と溜め息を吐く。だから、きちんと説明せねばならないのだ。
「この身体にも、もう随分と慣れました。シュヴァリエの手解きもあって、力の使い方も分かってきましたし…団長さんが心配するようなことは、もうありませんよ」
そこまで言って、グランは漸く納得したように頷いた。
「それなら良いんだ。御免、邪魔しちゃって。でも無理しちゃダメだよ、瞑想は瞑想で体力を使うってナルメアも言ってたし。ご飯、今日はセワスチアンさんが作るって言ってたから間違いなく美味しいよ。何なら後で持ってこようか?」
「大丈夫ですと言っているでしょう。ほら、早く行ってください。淑女の部屋に殿方が長居するものではありません」
苦笑して、グランは今度こそヴィーラの部屋を去った。再び溜め息を吐いて、ふと、彼を見た時に感じた胸のわだかまりが、消えていないことに気付く。それどころか、更に大きくなっている。
「…何なのですか、これは」
『分からないの』と言った意味の言葉を、シュヴァリエが言う。
「分かりませんよ。初めてです、こんなのは」
苛立ちとも、嫌悪感とも違う。分からない。もやもやする。
ヴィーラはその名状しがたい感情を、どうにか沈めようと試みた。が、あえなく諦めた。ナルメアは、『そういう時はやらないように』と言っていた。意味がないのだそうだ。今日はこの辺りで終わりましょうか、とベッドから降り、部屋を出た。
何をするでもなく、騎空挺の中を歩く。何人かの団員とすれ違い、挨拶をする。こんばんは。前は会釈に留めていた。老兵に、操舵士に、魔女見習い、茨の星晶獣。皆ヴィーラの変化に気付いていた。然程意識していないのは、当の本人くらいのものだった。
いつの間にか、甲板に出ていた。太陽が彼方に沈もうとしている。
――ああ。
ヴィーラは、かつての記憶を想起していた。アルビオンの領主としての職務を終え、ふと窓の外を見る時、大抵はこの夕陽が広がっていた。
――同じ、夕陽の筈なのですが。
随分と、色鮮やかに映るものだ。
ふと彼女の鼓膜を、賑やかな話し声が打った。そちらを見ると、広い甲板の先頭にはグラン、次いで、青い髪と白いワンピースの印象的な少女に、ふわふわ浮かぶ小さく赤いトカゲらしきモノが談笑していた。
「はわー…いつ見ても、綺麗な夕焼けです!!」透き通るような、幼さの残る声。
「全くだぜぇ!オイラも良くザンクディンゼルで見てたけどよぅ、やっぱこの高さで見ると全然違って見えらぁ。な、グラン!!」キンキン高い、子供のような声。
「そうだねえ。ビィの身体の色とは全く違うや。ね、ルリア」
「そうですね~」
「何だとぉ!!」
「冗談ですよ、ビィさん」
その光景は、微笑ましいものの筈だった。かつてのヴィーラでさえ、それを受け入れられない程、歪んではいなかった。今では猶更その筈だった。
それなのに、何故。ズキン、と胸が痛んだ。足が、それ以上前に行かない。声も出ない。その感情の名前は良く知っていた。
『嫉妬』だった。
気が付けば振り返って、足早に部屋へと戻っていた。胸中では様々な思いが渦巻いて、ない交ぜになっていた。一番は、恥ずかしさだった。
――さっきの言葉は、本心だったのに。
もう大丈夫だと言ってのけたところではないか。落ち着いたのではなかったのか。混乱のまま、扉をバタンと閉める。
『大丈夫か』と、シュヴァリエが言う。
「…勿論です」やせ我慢だと、ヴィーラ自身理解していた。姿見に映り込んだ自分の姿。シュヴァリエの力と融け合ったために、普段身に纏っていた紅の鎧は白の入り混じったものに変質している。小さな赤い角も生え、ヴィーラは今、半ば星晶獣の身体であった。
だからだろうか。自分の顔は、酷いものだった。まるで病人だ。星晶獣の身体は、人の身体よりも遥かに精神の影響が強く出るらしい。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。数回深呼吸すると、少しは楽になった。楽になると、自嘲じみた笑いが漏れた。全く、堂々巡りだ。
ベッドに身体を横たえる。考えなければ。
――私は一体、何に嫉妬しているのでしょう。
気付くと、寝てしまっていたらしい。コンコンと扉をノックする音で目が覚めた。
「はい」
入って来たのは、カタリナだった。ヴィーラは心が沸き立つのを感じた。
「お姉様!」
「やあ、ヴィーラ。調子はどうだ」
カタリナは今日も美しかった。機能性を重視しつつも、女性らしさを失わない鎧。露出された腹部や大腿は灯りに照らされて白磁のように艶めいている。栗色の髪からはふわりと甘い香りがし、その切れ長の眼は気高い騎士としての意志と、海のような慈愛を湛えている。柔らかそうな薄ピンクの唇は、花開いた桜に喩えられるだろう。腰には剣が一振り、彼女が最も得意とするレイピアだった。しなやかで強靭、技量によってどこまでも高まるその鋭さ。彼女を体現していると言って、過言ではない武器だった。
ヴィーラはカタリナの爪先から頭頂までを眺め、一しきり彼女の美に耽溺した後、漸くその手元にバスケットが提げられていることに気付いた。
「元気なようで何よりだ」困ったようにカタリナは笑い、机から椅子を引っ張ってベッドの傍に寄せた。それからナプキンをベッドに広げ、その上にバスケットを置く。
「どうやら寝ているようだから、セワスチアン殿に頼んで軽食を用意してもらった。ええと、これがメインで…ああ、これは食後だな」
トマトとレタス、それからハムを挟んだオーソドックスなサンドイッチ。湯がいて一口大に切り分けられた鶏肉には、胡麻を用いたらしいソースがかかっている。銀製の杯には――葡萄の実が盛られていた。
「あ…ありがとうございます、お姉様。後でセワスチアンさんにも、お礼を言わないと」
「ああ。胃に優しいようにと、気を利かせてらしたからな。それから、グランにも――」
ドキリと胸が鳴った。彼の名前を聞いた途端に。どうしてだろう、と言う気持ちは、すぐに掻き消えた。カタリナが顔を寄せて来たからだ。激しい胸の高鳴りに、最初の動悸は隠されてしまった。
「…どうした?少し顔が赤いみたいだが」
「い、いえ…何でもありません」
カタリナがヴィーラの顔を覗き込む。近付く桜色の唇。寧ろそれにかぶりつきたい位だった。
「…なあ、ヴィーラ。君は随分変わったが、まだ、一人で背負い込もうとしがちだな」
その言葉は、彼女の心に痛い程に染み渡った。
「お姉様は、優しいですね」私への負い目ですか、とあの頃なら続けていただろうか。
「そうでもないさ。それを言うなら、ラカムやオイゲンも心配していた。ルリアやイオ、ロゼッタなんて、さっきまでその窓から様子を伺っていたぞ。ナルメア殿は君を慮る余り足を滑らせ転んでこぶを作ったし、ジャンヌ殿も態度にそぐわずそわそわしていた。ゾーイ殿でさえ、『心配だなー』と言葉を漏らす程だ。顔を出さなかった団員も皆そうだろうさ」
「お人好しですね、皆さん」
「そう言う奴等の集まりだ。仕方あるまい」
「…団長さんが、ああですものね」
カタリナは、目聡くヴィーラの表情の機微を読み取った。色恋などには滅法弱い――後、料理や、食事の味に関しても――彼女だが、その他には無類の眼力を発揮した。歴戦の騎士故のものか。
「もしかして、グランと何かあったのか」
「――ッいえ!それは…」
「隠さなくても良い。別に邪推などではないんだ」
カタリナは、微笑んで言った。
「私が行こうと言ったら、同時にグランも、『僕が行く』と言い出した。別にそこまではあいつも平常運転だから驚きはしないんだが、その後こう言ったんだ。『なら、カタリナに任せるよ。さっき僕が声をかけに行った時、何だか様子がおかしかったんだ。きっとカタリナが顔を見せた方が、ヴィーラも喜ぶと思う』とな」
「――ぁ」
言葉が、詰まる。顔が熱くなるのを、ありありと感じた。
同時に、様々なことが氷解した。胸のわだかまり、消えないもやもやしたもの、グランとルリアと、ビィ。あの三人の談笑を見た時に感じた、『嫉妬』としか呼びようのない感情。そして今、ヴィーラの身体を火照らせているもの。全ては同じところから端を発していた。
「どうした、ヴィーラ?やっぱり熱でもあるんじゃないのか」
「…いいえ。大丈夫です、お姉様。今漸く分かりました」
「分かったって、何がだ」
「この問題は、お姉様にも頼れないと言うことが、です」
「そ、そうか。だったら、グランに――」
「――団長さんにもです」
彼にだけは、絶対に頼れない。ヴィーラは譲らなかった。カタリナは困った顔をしていたが、やがて、口元を緩めた。
「…そうか。分かった」
カタリ、と椅子から立ち上がる。
「少し前なら、眼を離さないようにしていたよ。君の危うさは、私に起因するものだったから。責任を感じていたし、それを差し引いたって、純粋に妹分が心配だった」
頭を、冷たい籠手が撫でる。ヴィーラはそれでも温もりを感じていた。籠手越しにカタリナの想いが伝わってくるのを、感じていた。
「けれど、今の君なら大丈夫かも知れない。だから席を外すよ。ただし」手を離し、人差し指を立てる。
「一人でどうしようもなくなったら、私に言うこと。勿論、他の誰でも良い。君の問題を解決出来るかどうかは分からないが、一緒に悩むことなら出来る。この騎空団に居る者なら誰だって」
そう言って、カタリナは部屋を出て行った。「お休み、ヴィーラ」そう言い残して。
「…お休みなさい、お姉様。ありがとう」
パタンと扉が閉まる。ヴィーラが最初にしたことは、食事だった。セワスチアンの料理は、晩餐に顔を出さなかった者への差し入れにさえ、全霊が込められていた。
――美味しい。
シュヴァリエも、『美味しい』と、喜んでいる。この後はお礼参りをしなければと考えていたが、まずいの一番に彼の元へ行かねばならない。
元々小食気味だったヴィーラがそれを全て平らげられたのは、二人分の空腹と、セワスチアンの気配り、料理の腕のお陰だろう。グラスに汲んだ水を飲んで、一息吐く。水の魔術を込めた結晶で稼働する機構が、騎空挺には備え付けられている。この結晶を作り上げたのはイオだった。それを指導したのはロゼッタ。組み込めるように製図したのはラカムで、実際に組み込んだのはオイゲンだ。
――支えられている。
開かれた感覚と、受け入れた他者の存在。それが漸くヴィーラにも実感として理解され始めた。改めて、シュヴァリエにも感謝を述べる。『気にしないで』と、伝わってくる。
『私は貴女の騎士だから』
シュヴァリエの声は、いつになく鮮明な意志として、ヴィーラの裡に反響した。それが彼女に力を与えた。
まずは、セワスチアンだ。彼は思った通り、厨房に居た。獣の耳に、黒と青の燕尾服。高齢であるにも関わらずその高く、引き締まった肉体には何処にも滞りがない。
紅茶を淹れているのだろうか、ハーブの香りが鼻腔を刺激し、良い塩梅にヴィーラの緊張を解いた。
「セワスチアンさん」
セワスチアンは振り向いて、穏やかに微笑みを浮かべる。アンクルの向こうには、好々爺然として細められた眼が見て取れた。
「ああ、ヴィーラ様。お目覚めになられたのですね。大事はなかったようで、爺やはほっとしておりますよ」
「申し訳ありません…軽食まで用意して頂いて」
「お口には合いましたかな」
「勿論です。本当に――」
言い終わる前に、セワスチアンはテーブルにカップを置いた。
「それは何より。全てその身に収められたなら、これをお飲みになると宜しいでしょう。ハーブティで御座います。寝台に入られたならばするりとお眠りになられるでしょうし、この後もお動きになられたならば、十全の力が発揮出来ましょう。そう言う風に調合いたしました」
「…あなたはやはり、只者ではありませんね」
素直にそう思う。好々爺の仮面の下には何かが隠されているのだろう。けれども、それを強いて詮索しようとも思わない。ヴィーラは自身に対して向けられた、奉仕の精神を確かに受け取った。
「いえいえ、ただの世話焼きの老いぼれでございますよ」
甘んじて、カップに口を付ける。澄み渡るようだ。改めて礼を言い、ヴィーラが次に向かったのは広間だった。
まだ、皆起きていた。ラカムとオイゲンは何やらグランサイファーのことについて話している。イオとロゼッタは、島に到着した時の買い出し――大半は、アクセサリーの話だろうけれど――について。ルリアとカタリナは皆の鎧を磨いているところだった。
「皆さん」
そう言った言葉は、少しか細かった筈だ。けれど六人が皆こちらへ顔を向けた。向けてくれた。ヴィーラは、柄にもないなと自分で思いつつ、嬉しくなるのを感じた。
彼等が発した第一声は、重なり合ってあたかも騒音のようになったが、星晶獣と一体化したヴィーラの聴覚は、それを的確に聞き分けていた。
「おう嬢ちゃん」とオイゲン。皺の刻まれた口元が、ふてぶてしく歪められ、一層皺が寄っている。
「もう身体は良いのか」とラカム。良く顰められている眉が、今は緊張が解かれ、優し気に微笑んでいる。
「やあ、ヴィーラ」とカタリナ。寸分の翳りもない美しさ。
「ヴィーラさん!!」とルリア。天真爛漫、とはこのことを言うのだろう。
「心配したんだからあ!!」とイオ。幼く、大きな瞳の淵が潤み、泣き出しそうになっている。
「顔色良くて安心したわ」とロゼッタ。彼女はいつもと変わる様子がない。けれどその言葉は本心だろう。
溜め息が漏れる。本当に、お人好しだ。
「心配をおかけしました。本当に申し訳ありません」
「何、良いってことよ。俺たちゃ何にもしてねえし、な?ラカム」
「いやいや待て、俺は見舞いに行こうとしたんだぜ!けどイオとロゼッタが止めるもんだからよ」
肩を抱くオイゲン。次いで慌てたようにラカムが言った。そんな二人を冷ややかな眼で見つめるはイオとロゼッタ。
「当り前じゃない!寝てるレディの部屋にあんたたちみたいな髭もじゃが入るなんて、許さないんだから」
「イオちゃん、少し棘が利き過ぎてるわ…でもま、私も同意見ね。ヴィーラはアタシの眼から見ても綺麗だもの。そんな子の部屋、男が入るには少し危険よね」
「まあまあ、良いじゃないですか。ヴィーラさんが元気ならそれで」と手をパタパタ振るルリアに、カタリナが頷く。
「もう大丈夫なのか」それは、カタリナに零した、『問題』についての問いかけだった。ヴィーラは曖昧に微笑む。「いいえ」と言えば、残る五人が心配しただろうし、「はい」と言うとカタリナに嘘を吐くことになる。
「団長さんは何処に?姿が見えないようですが」
そう聞くと、ルリアが手を挙げる。
「グランなら、二階です!ナルメアさんとゾーイさん、後ジャンヌさんを集めて、何か話してましたよ。多分、戦いの時の作戦についてだと思います」
「あら。分からないわよ。団長さんだって男の子ですもの。やらしい話かも」
ロゼッタの言葉は明らかに冗談めいていたにも関わらず、ヴィーラの胸には、黒く、わだかまったものが生まれていた。
「…ありがとうございます。では少し、顔を見せてきますね」
にこりと会釈し、足早に階段を上がっていくヴィーラ。
「…ふうん?」
ヴィーラの横顔を見つめ、ロゼッタは得心したように笑った。隣のイオが、不思議そうに首をかしげる。
「どうしたの、ロゼッタ?」
「うふふ、別に大したことじゃないわ。ヴィーラも女の子ね、と再確認しただけよ」
「そんなの、当然じゃない。変なロゼッタ」
イオが呆れたように言う。
ロゼッタは、一方内心で溜め息を吐いていた。
――団長さんも罪な人。あの人の子なだけあるけれど。
ヴィーラが二階に上がると、グランが丁度立ち上がるところだった。こちらを見て取るなり、顔を輝かせる。ルリアと同質のそれだ。しかしヴィーラは、それを正常に受け取るだけの余裕がなかった。
一つには、グランを見ただけで、心臓が張り裂けそうだったからだ。
もう一つには、彼を三人の女性が囲んでいると言うこの状況が、どうしようもなく、受け入れがたかったからだ。ロゼッタの刺した一本の棘が、彼女の心に食い込んでいたことも手伝っていた。
「もう大丈夫なの?」
グランがそう言って、俯いたヴィーラの顔を覗き込むまでに、何とか態勢を立て直すことに成功していた。シュヴァリエの功績もあった。笑みを張り付け、どうにか返事をする。
「ええ。ありがとうございました、心配して頂い――」
「――ヴィーラちゃああああん!!!」
折角絞り出した言葉を言い切る前に、小柄で、柔らかいものが彼女を押し倒した。感極まったナルメアであった。紫の髪がはらりとヴィーラの頬を撫で、次いで熱い液体が頬を打つ。涙だった。
「お姉ちゃんね、ホントにホントに心配だった!!!!ヴィーラちゃんが倒れたって聞いていてもたってもいられなくなってでも皆『ナルメアが行くと悪化しそうだから』とか何とか言って行かせてくれなかったのあっでも団長ちゃんだけは『ナルメアの看病は元気が出るけどね』ってフォローしてくれてあっ御免ねそれで私もしかしてあなたに教えた瞑想のせいで寝込んじゃったんじゃないかって――」
ナルメアの畳みかける言葉は、一週回ってヴィーラを冷静にさせた。これが鬱陶しいとか、そう言うことは――多少は思っているが、それよりも、ヴィーラが抱いた後ろ暗い感情は、勢いに任せて何処かへ飛んで行った。
「ご心配をおかけしました。でも、そう言う訳ではないのです。少し…気持ちを整理したかっただけで、身体に別条はありませんから」
それから、奥に座る二人にも声をかけた。
「ゾーイさんとジャンヌさんも。申し訳ありません」
銀髪と褐色が良く映える少女と、病的なくらい白い肌と髪の女性。
「ああ。元気そうで、私も一安心、だ」独特の間伸びを持った口調で、ゾーイが言う。傍らのジャンヌはと言うと、
「全く、人騒がせな方だ。しかしその様子なら、もう心配は要らなさそうだな」と、妖艶に微笑んでいる。
「ええ…本当に」
この三人は、めいめいが恐ろしい顔を隠している。ヴィーラには、自分のことのようによく分かっていた。ナルメアは除外しても良いかも知れない――けれどゾーイとジャンヌに関しては、怖気が走るほどの相を兼ね備えている。前者はひたすらに容赦のない“力”を、後者はひたすらに悍ましい“意志”を、ひた隠しにしている。
けれど、そんな彼女たちがヴィーラに向ける、この心地良い感情は嘘ではなかった。それを、妙な嫉妬で、不意にするところだった。
これに関しては、未だにヴィーラの胸に顔をうずめるナルメアに、殊更礼を言わねばならないかも知れない。
聞くと、グランを含む四人の会議は既に完了していたらしく、丁度良いと言うことで解散になった。グランとヴィーラは残った、と言うよりは、ヴィーラが引き留めたと言った方が良かった。間を置くと、再び彼を見る度顔から火が出る状態に逆戻りしそうだと言う予感があったからだ。
――きちんと、確かめないと。ヴィーラはそう思った。
「…えっと。その、先程は、失礼しました」
グランは、思い当たる節がないと言ったように首を傾げた。
「何か、失礼があったっけ」
「私を案じて、見舞いに来て下さったでしょう」
思い至った様子で、苦笑を浮かべる。
「ああ。別に、気にしてないよ。邪魔をしたのはこっちだもの。さっきナルメアに聞いたんだけど、彼女から教わったんだろう?疑ってた訳じゃないけど、ちょっと心配だったんだ。でも安心したよ」
「…ですが…」
上手く、言葉にならない。何故だろう。原因は分かっていた。そして、それは今もどんどん、大きく、鮮明になっていく。
「ちょっと顔が赤いよ。大丈夫?」そう言う彼の顔が、とても――ああ。これ以上は、行けない。本当に会話が出来なくなってしまう。
「大丈夫です」ヴィーラは話題を変えようと思い、問うた。
「先程は、何の話を?」
グランの顔が、切り替わる。朗らかで優しい少年の顔から、一人の戦士の顔に、笑みは消え失せ、生き死にのシビアな光が双眸に宿る。
「うん。少し、攻撃陣の組み立てを考えてたんだ」
グランは丸めていた髪を広げて、ヴィーラにも分かるように指し示していく。そこには敵と思しき巨大な黒丸と、一列に並んだ四つの白丸が描かれている。こちらは自陣か。上からグラン、ナルメア、ゾーイ、ジャンヌ、と記されている。
「普段と変わらないようですが」
それは現状、突破力と言う点で言えばこの騎空挺が誇る最高の攻撃陣であった。幾らグランが卓越した才を持ち、それが戦略にも行き届いていると言え、彼は弱冠16歳の少年である。己の身体を駆動させながら全体に意識を張り巡らせ、指示を出すには三人が限界、と彼自身で悟っている。そのため、強敵・難敵との戦闘に於いては、彼を含めた四人で陣形が構成される。様々な組み合わせはあるが、ここに図示されたのはその内の一つで、至って見慣れたものだった。
「それはそうなんだけどね。少し、修正をしないと行けない点が出て来たんだ」
「一体、何でしょう」
「君だ、ヴィーラ」
ドキリとする。戦士の相を見せたグランの眼が、ヴィーラを射抜く。名前を呼ばれた。それだけで、胸が高鳴る。落ち着きなさいヴィーラ、と彼女は自分に言い聞かせる。心が静まり、彼女が普段の透き通った頭脳を取り戻した途端、答えを悟った。歯噛みしながら、自身を呪いながら、答えを待つ彼に言う。
「――マウントの不足、ですね」
グランは頷いた。
マウントとは、身体、あるいは精神に対し、外傷以外に因る妨害・阻害・汚染が起こるのを防ぐための魔法の総称である。例を挙げるならば毒やガスによる麻痺、疲労、洗脳や魅了の魔法による精神汚染などになる。マウントは魔法の多分に漏れず、魔力の他に適正が必要で、誰にでも扱える訳ではない。
身体・精神異常に特化しただけの者であれば対処は易い。問題なのは、その術を持ちながら、甚大な強さを誇る者だ。強敵・難敵はしばしば身体や精神に対し、異常を発生させる力を持っている。星晶獣であればその尋常ならざる魔力によって、人であればその覇気や威圧によって。
マウントの長けた点は、『予防』と言う点だ。クリアに代表される治療魔法が、異常を完治させるまでに最低でも一瞬の隙を生んでしまうのに対し、マウントはそれを弾くので、ラグが発生しない。故に相手が強ければ強い程、マウントの重要性は上昇する。
のだが。
「今、この騎空団でマウントを使える人はカタリナしか居ない。けれどカタリナだって、何でも出来る訳じゃない。この人たちの所に配置するのが、盤石だとは思えない。カタリナは攻防のバランスが高水準だけれど、ナルメアは“守る”んじゃなくて、“受け流す”のが得意だ。それだって致命的な一撃を狙うための一環だし」
スラスラ、と筆ペンでその紙に情報を書きつけていく。整理しやすいようにだ。
「ジャンヌも守りとは程遠い。彼女は…何かの呪い、なのかな。僕はそう言う知識には疎いから、よくわからないけど、戦闘状態に入って、力の増減が著しい。ピーク時にはナルメアも越えるくらい強いけど、長引くと普段の半分くらいにまで落ち込んでしまう。後戦い方も、長期戦向けじゃない。急所は外しているけど傷は厭わないし、血も流れる。ゾーイは全く分からない。ただ、一度切りの障壁展開に、二つの広範囲魔法、それから本人の身体能力。全体的に見て攻撃的と言って差し支えない」
結論、と記す。
「僕としては、この布陣なら短期戦を望みたい。ここにカタリナを配置しても、兵糧と医療器具の不足した籠城戦みたいなものだ。かと言って、僕が回復に徹すると、攻撃の手が足りなくなる」
以前は、ヴィーラがその穴を埋めていた。攻撃陣に於ける、身体・精神異常は致命的だ。どれだけの破壊力を持っていようと、標的に届く前に止まってしまえば意味はない。故に、攻撃を重視する上で最低限必要なものがマウントであった。かつてのヴィーラは――カタリナと再会し、この騎空団に参加することとなり、しかし未だ危うさを抱えた、あの頃のヴィーラは、まさに適任だった。その最低限を満たしつつ、攻めを加えることに特化した戦技と、シュヴァリエの矛の側面。
しかし今のヴィーラは、マウントを使うことが出来なくなっていた。それが何故かは、ヴィーラ自身には何となく理解出来ていた。
思うに彼女のマウントは、正規のものではなかった。彼女の溢れんばかりの狂気を、シュヴァリエの力で増幅し、同陣営に波及させ、それによって戦いの継続を図る――『予防』ではなく、『既に感染している』状態を作ることで、疑似的なマウントを実現していた。今ではその源となる狂気も消え失せ、シュヴァリエもそれを望んでいない。だから、使えないのだ。
「…私のせいで、団長さんに苦労を」
ぽつりと、本音が零れた。口にするつもりではなかった。自身への歯がゆさと、ほぼ自覚しつつあるグランへのとある感情のために、押し出された本音だった。
パタパタとグランは手を振った。
「違うよヴィーラ。それは違う」いつの間にか、皆から愛される団長の顔に戻っている。慌てたように、彼は言葉を紡いだ。
「いい機会だったんだ。君の戦い方は、ジャンヌ以上に冷や冷やするものだったから――危なっかしいと言う意味で、だけど。僕はまだ弱くて、君の力を借りなきゃならなかった。危うくても、それに頼る外に手がなかった」
困ったように、笑う。それは自嘲の笑みだった。初めて見たかも知れない、グランの弱い部分。あなたも、そんな顔をするのですか。ヴィーラは内心、驚いていた。
「でも、今は違う。君がマウントを使えなくなったことなんて、些細なことだよ。寧ろ、嬉しいくらいなんだ」
「嬉しい?それは、どういう意味ですか」
少し言葉がささくれるのが分かった。微かな苛立ちと、不安。
――私はもう、不要と言うことなのかしら。
けれど彼の答えは違った。微笑んで、そんな不安も消し飛ばすように、明るくこう言うのだ。
「漸く、君のために戦える。今まで助けて貰うばかりだった君に、漸く」
私の、ため。その言葉を反芻する。余りに輝かしく、思いもよらない角度からの日光に目が眩むように、彼の言葉の真意は、ヴィーラには理解出来なかった。只、それが好ましい言葉であることは分かった。
「セージだよ、ヴィーラ」
グランは、自信たっぷりにそう言った。
今日グランサイファーが着陸したのは、辺境の地。ザンクディンゼルと呼ばれるその土地は、古くからの信仰と人々が住まう。長閑で仄々とした、温かい日差しの中に降り立つと、まるで自分がその風景に同化してしまうような錯覚すら覚える。この場所は開かれている。同時に閉ざされている。大らかな空気の奥底に湛えられている、圧倒的なまでの“時間”。それがどこまで遡るのかは分からない。ただ、この場所の時間は静止している。当時のままで、凍り付いている。
そして、ここはグランとビィの故郷でもあった。ヴィーラは人知れず、そして自分でも知らない内に、嬉しい、と感じていた。
チュンチュンと雀が泣き、感極まったように飛んでいる。昼下がりの森の中を、山の間を、飛び、跳ねる。
ドン、と大気を揺るがす音がする。遠方から、目の前の光景にピントを合わせる。森の中の開けた場所。円形のそれは、さながら太古の闘技場か、でなければ儀式の祭壇か。聖職者の装束に身を包んだグランが、汗を流し、息を切らし、後ずさる。随分と長い戦闘にも関わらず衰えないその眼光が向かう先は、一人の老婆。白いブラウスとスカート、そして三角巾。赤茶色の上着に袖だけ通し、不敵な笑みでグランに相対する。その身体から発される空気は、研ぎ澄まされた幾千の剣のよう。静かで、美しく、けれど近付くことの出来ない強大で危険なモノ。ヴィーラが老婆に感じ取ったものは、そんなイメージだった。
「どうした坊や!!それで仕舞いかい!?」
口元だけを歪めながら、老婆が叫ぶ。その声に、グランも笑う。
「まだまだぁッ!!」
立ち上がり、杖を振るう。上空に大きな魔法陣――金色に光る十字架と、四つの空白を埋めるように均等配置された、四つの小さな十字架。聖職者の使用する術式の形だ。見入っていると、老婆も寸分違わず同様の魔法陣を展開した。杖は――用いていない。その両の手だけで、描き出す。
杖とは媒介だ。人が持つ力、あるいは星晶獣の持つ力。そう言ったものを効率良く顕現させるための道具。それを必要とせず、己が身一つで。
「グラーーーーン!頑張れええええええ!!!」
「婆ちゃんなんかに負けんじゃねぇ!!!」
ルリアとビィが声援を送る。グランと老婆の腕が天に掲げられたのは、それとほぼ同時だった。
「「――――シャイニング!!!!!」」
二人分の詠唱が谺する。魔法陣から眩く、質量を持った閃光が射出される。双方を狙った光線は中央でぶつかり合い、再びドン、とあの太鼓のような音が鳴り響く。光は分散し、一面は純白のベールに包まれたが如く。
ルリアとビィが眼を覆う中、ヴィーラはその閃光の向こう側を捉えている。グランが先に駆け出す。老婆も一瞬置いて、それに応じる。眼が眩んでいた訳ではあるまい。出方を窺っていたのだ。淡い碧の光を纏っているのは――恐らくヒール。身体を活性化させ、傷と体力を癒す魔法だ。
肉弾戦の様相を呈している。動きにくいだろうに、グランの鋭い蹴りが老婆の延髄を狙っている。老婆の右掌がそれを受け止め、同時に右足がガードの空いたグランの脇腹に繰り出される。すぐさま右足を地に戻したグランは、待っていたかのように左肘と右膝で老婆の足を潰そうと――それを察知して、老婆は身を翻し、距離を取る。初めて老婆の額を、汗が伝った。
「やるじゃないかい。ビショップのジョブでもそこまで動けるなんてね。今からでもレスラーのジョブに挑戦してみるかい?あたしゃ全然構わないよ」
ヴィーラも、頷いた。
――何故セージなのだろう。
グランはその才を、数々の『ジョブ』と呼ばれる形に分類し、操っている。ヴィーラからしても理解し難い境地だったが、彼は物心着いた時からそれが出来たのだと言う。それは彼の目の前に立つあの老婆や、彼の父親も会得していたと聞いた――血なのか、環境なのか。
彼は状況・場合に応じ、即座に脳の回路を切り替え、肉体・精神の出力を増減させる。喩えるならそれは、無数の仮面だ。今は『ビショップ』。治癒と浄化の魔法に長けたこのジョブは、本来であれば戦闘には不向きの筈だった。肉体自体の出力は、ゆうに平時の六、七割まで落ち込んでいるだろう。
何故そんな束縛があるのか。それはこの戦いが単なる闘争ではなく、老婆の課す試練だからである。彼女はあらゆる道に精髄する、言わば『門番』だ。その道の深奥へ至るために、彼女は同系統のジョブによって挑戦することを強いる。そして自身もその力のみで挑戦者を迎え撃つ。
今回であれば、グランはビショップ同士の戦いを制する必要がある。それを超えて初めて、『セージ』と呼ばれる聖職者のハイエンドに辿り着くことを赦されるのだった。
しかし、その制約を以てして、彼はあの強敵と渡り合っている。
――団長さんはセージに拘っているけれど、今伸びている力は攻めの部分。最近は体捌きに磨きがかかって来て、剣技が体術に付いてこれていないこともありますし。
けれど、そんな老婆の提案にも、グランは笑みで返す。
「セージの称号、貰ってから――ね!!!」
再び距離を詰める。杖の一撃は、身を沈めることで躱されている。それも予測済みだったか、杖の柄全体が光る。先程の魔法陣を極小サイズに縮めたものが、無数に錫杖の柄の部分に浮かび上がって――光線が四方へ放たれる。こちらまでは飛んでこないと分かっているが、ヴィーラは半歩、ルリアとビィの方へ。私とシュヴァリエの障壁ならば、あれを防ぐことは可能だろう。
「はわー・・・何が何だか、さっぱりです・・・」
白熱し、加速する戦闘。ルリアが呟く先では老婆が身を捻り、全ての光線を回避する所だった。その勢いを保ったまま足を振り下ろす老婆。編み上げブーツの重たい踵をグランは右腕で受け止める。ズン、と一段沈む。硬直したグランに、老婆がシャイニングを放つ。横に飛び回避する。しかしその先にも、一つの魔法陣。予め描かれたものだ。地面に即席で刻まれた魔法陣は、少し形が崩れている。けれど発動には事欠かない。予測の外からの不意打ちには十分な一撃が、グランの身を灼く。
「――ッ!!」
「グランッ!!」
声にならない悲鳴。パリン、と何かが砕ける音がする。かけられていたヒールの魔法陣が砕ける音だ。損傷から回復することが出来ず、グランは膝を折った。それを見守っていたルリアとビィも、息を飲む。
ヴィーラは動かない。彼女の心は静謐だったが、それは、諦めや失望では決してなかった。
――団長さん。
「…今回は終わりかねえ。惜しかったよ、後一手あればこのババアに届いていたろうに」
名残惜しそうに、老婆がグランの方へ歩み寄っていく。ポウ、と光が灯る。碧色の光と――金色の、光。
シン、と静まった空間に、声が響く。
「――シャイニング」
静かに唱えるその声は、紛れもないグランのものだった。チリ、と何かの焦げる音がする。老婆の左腕だ。反射的に前に突き出した腕によってグランの閃光は弾かれたが、流石の老婆も無傷ではいかなかったのだろう。手痛い一撃を食らい、にやりと口元を歪める。
「不意打ちを喰らって意識が飛んだかと思ったんだけどね。即座に同じ手でやり返して来たかい。あたしゃ嬉しいよ、坊や」
それを受け、グランはふらふらと立ち上がった。ルリアとビィが歓声を上げる。ヴィーラは、ほっと胸を撫で下ろす。
――いつからこんなに、あなたに。
そう思いながらグランを見つめる。ボロボロになりながらも、その顔は明るく笑っている。
「…ありがとう、お婆ちゃん。ルール違反とは言わないよね?」
老婆は肩をすくめ、溜め息を吐く。
「勿論さ。アンタはギブアップした訳でもないし、本当に失神してた訳でもない。終わってないのに終わったつもりになったババアの負けだよ。全く、歳を取るのはヤなもんだ」
灼けた左腕を即座に完治させ、老婆は懐から何やら金で出来たペンダントを取り出した。杯に月桂樹の装飾がなされた、金色のペンダント。
それは彼女が認めた者に送る、賛辞と許可の証。その道を究め、畢竟の地に至った資質と能力の象徴。
「ほら、持っていきな。【究竟の聖職者】、セージの称号だ」
それを受け取り、グランはありがとう、と言うつもりだったのだろう。口をパクパクと動かしたが――限界が来たらしい。再び膝を折った。今度は、演技ではない。その身体から急速に力が抜けていき、糸の切れた人形のように、傾いていく。
――シュヴァリエ!!
ヴィーラは思わず叫んでいた。彼女の盾となり、鎧となり、矛となり、今ではその身に合一した騎士の星晶獣は、主の内なる声に呼応する。ルリアとビィが駆け寄るよりも早く、老婆がグランの身を受け止めるよりも早く。小さい無数の光りの粒へと変じたヴィーラの身体は、気付けばグランの隣に再構築され、彼の身体を優しく抱き留めていた。今までで最も自然な形でシュヴァリエの力を扱えたのは、慣れもあっただろう。けれど一番の所は、恐らくグランの存在だった。
「…ヴィー、ラ?」
掠れる声で、グランが言う。
――ああ、こんなにも胸が張り詰めてしまう。あなたの顔を見るだけで、名前を呼ばれるだけで、身体が言うことを聞いてくれない。
「…こんなにボロボロになって。もう少し、自分のことも大切にしてください」
グランは、ぽかんと口を開けて、ついで、薄っすらと笑った。
「君の口からそんな言葉が、聞けるなんて。今までは僕が言う側だったのに」
「茶化さないでください。何で急にセージなんて…最近は、寧ろグラップラー系統のジョブをよく使っていたではないですか」
照れ臭そうに、グランは頬を掻いた。その動作でさえ、力ない。本当に全霊を賭していたのだろう。
「…セージに至れば、マウントとヒールが両立出来るんだ。それに、より戦略の自由度が広がる。攻撃陣にだって混ざれるくらいに、身体を動かせる。そうすれば、色々と都合が良いし…何よりヴィーラが気に病むこともなくなるだろう?」
そう言って、笑う。
――ああ。やっぱり、そうなのですね。
ヴィーラは、漸く、その想いの正体を確認した。もう、嘘は吐けない。誤魔化せない。こんなお人好しの団長さんにも、その団員の私自身にも。
「…本当に、バカですね」
そう言って抱き締める。駆け寄って来たルリアやビィも、にやつく老婆も、気に留めず。
始まりは、どんな感情だったろう。私は、私自身を振り返る。明るく、ほのぼのとした森の中、当の本人を抱きながら。
――純粋な嫉妬だった。お姉様の傍に居る、お姉様に認められている、目障りな少年。相手にされない男よりも、余程目障りだった。
けれどその思いは、段々変わっていった。彼と剣を交えて、彼の団に加わって。考えていたような人間ではなかったのだと分かった。お姉様が認める理由も分かった。強く、深く、広く。彼は自分を『弱い』と言ったけれど、それこそ私の求める強さだった。
彼の顔が浮かぶのは、それが理由だ。
それから、その微かな尊敬と憧憬は、どんどん大きくなっていって。
思いは、いつしか想いに変わって。
いつからだろうと、考える。
――お姉様と、団長さんが話している時。決まって私は嫉妬していた。お姉様を取られるのではないかと、危惧していた。
その方向が、段々と変わっていったのはいつだろう。
お姉様に嫉妬するようになったのは、いつだったろう。
――夏のバカンスからだろうか。お姉様に、お似合いの水着をご用意して、披露した時。団長さんがそれを見て、顔を赤らめた時。
それは、誇らしいことの筈だった。お姉様の美しさには、団長さんでさえ形無しですね、ひれ伏しなさいと、私は胸を張る筈だった。
チクリと、胸が痛んだ。それは嫉妬だった。けれど、理由が分からなかった。無理矢理に、お姉様の玉体を私以外の眼が眺め回すことに対する嫉妬だと、結論付けた。
今から思えば、違う。合わないパズルと強引に嵌め込んだに過ぎない。
――私は、団長さんがお姉様に、少しでも性的興奮を抱いたことに対して、嫉妬したのだ。私自身の水着にあれ程際どいものを選んだのは、勿論お姉様へのアプローチでもあった。けれど、もう半分はきっと、お姉様への嫉妬だった。
押し殺してきた。知らない振りを、気付かない振りをしてきた。けれど、段々とその感情は膨れ上がって。今から思えば、それも私の精神の疲弊に関係していたのかも知れない。
私はお姉様が大切な筈なのに。
お姉様が世界の中心だった筈なのに。
それが、揺らごうとしていた。お姉様が居なくなる訳ではなかった。けれど、それに並んで、あまつさえ超えようとしている存在が、私の中に現れた。
『何故あなたなんですか?』
――シュヴァリエとの融合を果たし、悪夢から目覚めた時。私は彼に言った。団長さん。グランさん。私の――もう一人の憧れ。
『お姉様でなく、何故、あなたが――』
悪夢と戦う私の手を握って、ずっと傍に居てくれた。『周りに無理に合わせる必要なんてない。ヴィーラがヴィーラらしく居てくれるのが、僕たちには一番嬉しいんだから』と優しく微笑んでくれた。
それは、きっと無償の愛だ。分け隔てない、お姉様と同質の、慈愛。
私が団長さんに抱く想いとは、似て非なるもの。
――もしかして私は、また依存しようとしているのかも知れない。お姉様にしたように、今度は団長さんに。
それは違う、と何処かで反目する。この想いは、確かに慈愛ではないかも知れない。けれど、歪んでも居ない。あの頃とは違う。
同時に、心が決まる。
私はこの想いを歪めたくない。執着に、変えたくはない。
私のためだけではない、皆のために、自分自身のために、懸命に戦うあなた。
それなら私は、あなたを守りましょう。決して離れないように、手の届かぬ場所に行かないように。
あなたを好きだと言うこの思いが、悍ましいものにならないように。
騎士の星晶獣となったこの身で以て。
私はあなたを支えましょう。
あなたの騎士となりましょう。
【追記】
元々の自己評価がどん底だったと言うのもありますが、思っているよりも多くの人にご覧いただけているようなので、調子に乗ってその内続きを書くかもしれません。その時は何卒よろしくお願いします。
【追記終わり】
甘々で砂糖をぶち込んだ非常にスイーツなお話に仕上がってしまったので、「解釈違い!!タヒね!」って言う方もおられるかも知れません。
本当に申し訳ない(世界で最も邪悪な科学者の顔)
そこへの一応の対策として、タイトルは「グラヴィ異教譚」とし、タグにも解釈違いと入れております。「グラヴィは正教だが?ニケーア公会議開いてやろうか」って言う方もおられるかも知れません。
本当に申し訳ない(以下略)
また、グラブルの設定になるべく矛盾しないようにしたつもりですが、随分と文章化が難しい部分があり、(属性や、ジョブなど)目立つ粗があるかも知れません。それは本当に申し訳ありませんが、私はこうグラブルの世界を捉えたと言うことで一つご了承ください。
それでは皆様何卒、良いグラブルLIFEを。