風少女 〜蝶の羽ばたき〜   作:小方

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設定に盛り込むための、準備回です。




▽19 後悔先に立たず。うん、知ってる

6月になる前、週に一回だけ通っていたスイミング教室を辞めた。

丁度始めて一年になる頃で、キリも良かったし、ある程度泳げるようになっていたから、通う必要を感じなくなっていた。

選手になるわけでもない私には、これ以上教室を続ける意味はなかった。

 

代わりに習字を習い始めた。

きっかけはポアロでよく会う常連客の人が、自宅で習字の教室を開いていると知ったからだった。

 

自分の字を特に汚いとは言わないが、綺麗とも思えなかったので、おばあちゃんに勧められたのは嫌ではなかった。

 

何よりポアロで偶然居合わせた、小さな生徒さんと先生のやり取りも決め手だった。

先生のお家はポアロの近くだから、自宅からは遠い。

だからどうしてもおばあちゃんの送迎が必要になるけど、私が教室にいる間はポアロでのんびり待っていれば済むことで、問題は無かった。

 

今になって言うが、書道と習字が違うんだってことを、私は全く知らなかった。

 

えっ。習字と書道って違うんですか? って首を傾げて聞いたのは、習い始めてずいぶん経ってからだった。

 

今ごろ何を言うんだろうという顔で先生は教えてくれたが、聞いてみたら全然違うものだった。

 

 

 

習字は、文字の正しい書き方を習うことだった。お手本通りに書けるようになるのが、目標で小中学校で習うのが習字で、だから教科名が、書写や、書き方と言われていたのだ。

正しく書き写すこと。そこに個性はいらない。

 

 

反対に書道は、文字の美しさを表現するのは一緒だが、お手本通りではなくそれぞれが持つ個性を表現するのを目的とする芸術だった。

 

習字は字を習うこと。書道は書く道を究(きわ)めること。と先生に熱く語られてしまった。

 

次いで、ノートに綺麗な字を書けるようになりたいなら、習うのは毛筆ではなく硬筆だとも言われた。

そもそも使う道具が違うんだから、毛筆が綺麗な人は硬筆も綺麗に書けるというのは誤解。だから別に習うべきだとも。

 

なるほど、私に必要なのは硬筆だったのか。なのに毛筆習っちゃってるじゃないか。

道理で普段書く文字の方は、全く上達しないはずだよ。

 

たぶん私は遠い目をしていたことだろう。

 

でも今さら硬筆の教室に行くのもなあ…。と思った私は、先生の話を聞かなかったことにした。

 

うん。硬筆の練習は地力でしよう。と決意して。

 

 

 

 

翌日はピアノのレッスンのある日だった。習い始めて二年目。私には初めての、ピアノの発表会が近付いていた。

私だけでなく、教室のみんながソワソワしている。

 

ずっと練習していた曲のこと、当日に着る衣裳。特に女の子たちは、どんなドレスを着るかとかの話ばかりしている。

 

日頃の成果を披露する晴れ舞台なんだから、浮き足立つのは当たり前なんだけど、失敗しないように練習は欠かせない。

とにかく練習練習と思ってたら、大きいお姉さんに思いもよらないことを言われた。

 

「あのね。一度ドレスを着て、ピアノがちゃんと弾けるか、ちゃんと確かめた方がいいよ」

 

 

え? そうなの? 似合うかどうかじゃなくて、ドレスを着ているせいで演奏に支障が出るってこと?

 

なんだそれって顔をしただろう私に、自分は発表会には制服を着て出るという、中学生のお姉さんが教えてくれた。

 

 

「ドレスの丈が長いとね。ペダルに引っ掛かりやすいからとかあるんだよ。…私は、丈は良かったんだけどね。サイズが合わなくて襟ぐりが大きかった、お姉ちゃんのお下がりのドレスを無理に着てたの…。

それが演奏中に、背中のホックが外れちゃってさ。まあ、考えるまでもなく、まともな演奏にならなかったんだよ」

 

 

 

ああ、そうか。熱中してたら、ドレスが脱げそうになっちゃったんだ。……って、ええ!! そんなことがあるの?

 

びっくりしてお姉さんを見ると、もう一人のお姉さんも口を開く。

 

 

「私は素材で失敗した。艶のあるドレスにしたんだよね。だからペダルに足が届く位置に座ったら、前に滑って滑って…。

椅子から落っこちそうになりながら、泣きながら弾いた」

 

 

あー。まだ背が低い低学年だと、ペダルに届かないからどうしても、浅く椅子に座りがちになるのだ。

お姉さんは、椅子から落ちないようにしないといけないのを耐えながら、ピアノを弾ききったんだね。それは辛い。

 

次々聞かされる体験談には、驚かされるばかりだった。

なるほど。 実際にドレスを着用した状態で、何度か練習をした方がいいんだな。

 

おばあちゃんが発表会のドレスに、袖無し(ノースリーブ)を選んでくれたのもピアノが弾きやすい衣装だからだったけど。長さや素材については全然考えていなかった。

 

袖が無いって初夏でも冷房の効いたホールだと寒くないかなって思ったら、舞台の照明は想像以上に熱があるものだから、大丈夫だってお店の人が言ってたし、長さは膝下で長くはない。

でも椅子に座っては確かめてないから、ちょっと心配になってきた。

 

 

とにかくドレスを準備したら、発表会まで楽しみに取って置くなんてダメダメ。

発表会当日と同じ状態で、練習をしておくべきだよとアドバイスを受けた。ふう。

 

でももう終わりかと思ったのに、終わらない。

 

 

「あと、靴もね」

 

「あと、演奏中は右側が観客席に見える側になるから…」

 

 

あー。無理無理。覚えきれないよ!

メモしていいかなあ。

 

あわあわ焦ってたらお姉さんたちは、注意事項をメモして渡してくれた。ありがとう。

 

 

「ちゃんとおばあさんに、見せてね」

 

「そうだよ。蘭ちゃんは、私らみたいな失敗はしないでね」

 

 

 

 

そう言って、お姉さんが頭を撫でてくれた。

このお姉さんたちは面倒見がよくて、私だけじゃなく他の小さな生徒さんにも、凄く親切だ。

もちろん、みんなに好かれている。

 

私も、こんな優しい人になりたいな。

 

お姉さんたち、ありがとうー。好き。って抱き着いたら、蘭ちゃんーって抱き返してくれた。えへへ。

 

 

そうしてなぜか、お姉さんたちに飴を貰った。

 

…なんだか最近、どこに行ってもお菓子を貰う気がするのは何故だろう。

え? もしかしなくても私って、食いしん坊キャラなの?

 




ピアノじゃないけど、ヴァイオリンの演奏中にドレスの後ろホックが外れた知人はいます。
ドレスを肩から落とさないよう、ほとんど仰向き気味で弾ききったそうだ。
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