夏休みに、お母さんのマンションに泊まる機会があった。ちょうどお母さんのお休みと重なったから、久しぶりのお泊まりだ。
晩ごはんを一緒に作って、いっぱいお話して、お風呂から出たら髪を乾かすのも手伝ってもらった。
一緒のベッドで休んで、たくさん甘えた。
「お客用の布団はあるけど、まだ一緒でいいわよね」
「いいの?」
秋には八歳になるけど、甘えん坊だって思わない? ベッド、狭くないかなあ。
「お母さんのベッドは大きいから、二人でも平気よ」
蘭と一緒じゃないと、お母さん寂しいわ。とまで言われたら娘としては、大きいから我慢するという選択は消えた。一緒に寝るの一択だった。お母さん大好き。
次の日のお昼と夜は、外食に行くことが決まっていたから、お母さんのために、私が朝ごはんを作ることにした。
朝はいつもシリアルだというお母さんは、お母さんの独特な料理が苦手な私のために、トーストとサラダくらいの朝食なら用意するつもりだった様だが、私が作ると申し出たのだ。
「蘭は器用ね」
器用って言うより、慣れじゃないかなあ。料理を作るのは好きだから、苦にならないんだ。
それに今から作るのは、料理と呼ぶのも恥ずかしい簡単レシピなんだよ。
朝ごはんの材料は昨日、一緒に行ったスーパーで買っておいた。
お母さんは、ほとんど料理を家ではしないらしく、調理器具はうっすらと、ホコリを被っていたし、自宅の冷蔵庫の中身は、ミネラルウォーターとチョコレートと化粧水くらいしか入っていなかった。あ、お米が少しあるね。
「蘭。パンを買い忘れたわ」
「うん。知ってる」
今からご飯を炊いたら遅くなると言うお母さんに、私は請け合ってみせる。大丈夫だよって。
そのためにホットケーキミックスを買ったんだよ。問題は無いからね。
お母さんには、コーヒーだけ淹れてもらうことにする。
あ、私のはカフェオレにして。カフェオレボールは今から使うから、マグカップに入れてね。
それから私は、マグカップケーキの準備をする。私はよくおやつに作るけど、別にパン代わりに朝ごはんに食べてもいいんだよ。
いつも作る私のマグカップは普通サイズだけど、お母さんのマグカップは小さいから、カフェオレボールを使う。分量も増やしちゃえ。
ホットケーキミックス、大さじ5 牛乳 大さじ2、砂糖 大さじ2、卵1個。おばあちゃんに教えてもらった時は、きちんとボールで生地を混ぜていたんだけど、洗い物を減らすために、今は計量スプーンとカフェオレボールしか使わない。作り方もシンプルこの上ない。
カフェオレボールに砂糖とホットケーキミックスを入れ、ザッと混ぜ合わせて、卵と牛乳を入れてよくかき混ぜるだけだ。
これがマグカップなら、底に混ざらなかった粉が残らないようにお箸で丁寧に混ぜるんだけど、マグカップと違ってカフェオレボールは混ぜやすいから問題無い。
混ざったらラップも何もせず、そのままレンジでチンする。目安は500Wで2分間。
この分量なら2分位じゃ完全には固まらないから、あとは様子を見ながら加熱を調整。
油断して長めに加熱すると、すぐにカチカチになっちゃうから、そこは面倒がったらダメなんだよ。
次は味を変えて作ろう。熱いけど、ケーキをカフェオレボールから取り出し、別皿によけてから次を作り始める。
次は砂糖と卵を抜いて、紅茶をプラスだ。
材料はホットケーキミックス大さじ5、紅茶のティーバッグ一つ、牛乳大さじ4。
カフェオレボールにホットケーキミックスを入れ、紅茶のティーバッグをカットして開けて、中身の茶葉をホットケーキミックスに混ぜ合わせる。
砂糖と卵を入れないのは、紅茶の香りの邪魔になるからだ。甘い方が好きなら、砂糖を入れてもいい。
で、ふたをしないで電子レンジで2分間。
あ、半生だった。さらに30秒追加。
これはマグカップケーキじゃなくて、カフェオレボールケーキだね。いや、カフェオレボール蒸しパンかな?
とにかく基本のやつと、紅茶のを2個づつ作った。
さあ、朝ごはんだ。
冷蔵庫から出した有名メーカーのヨーグルトは、私はイチゴ入りでお母さんのはイチヂク入り。コーヒーは私の分に、牛乳をたっぷり入れてカフェオレにした。
出来上がったカフェオレボールケーキは、そのままでも良いけど、頂き物だというオシャレなビンのマーマレードを付けて食べた。
これに熱いうちにバターとメープルシロップをかけても、凄く美味しいんだとお母さんに教えてあげた。
「びっくりよ。簡単なのに、美味しいわ」
「でしょう? ホットケーキミックスが余ってるから、作ってみてね」
ああ、ホットケーキミックスは開封したから、冷蔵庫にしまってね。常温保存だとダニが湧いちゃうから、危険なんだって。
レシピをメモしておくから、存分に作ってください。
お母さんはご飯を作るのが苦手で、今までいくつもの個性的な料理を生み出して来たけど、私が一緒に作って変なことをしないように注意していれば、そんなに酷い物が出来ることもなかった。
逆にお母さんだけだとどうなるか分からないから、このマグカップケーキがどう化けるのか、ちょっと不安だ。
昨夜、私監修の下で出来上がったお母さんの唐揚げは、見た目は抜群。味はそこそこ。凄く美味しいわけじゃないけど、特に悪い点もないという出来映えの物だった。
良く言えば及第点。悪い言い方なら、無難な味と言うべきか。
うん。おばあちゃんの言う通りだった。作るうちに、ついついアレンジしたくなるんだろう、お母さんの手を止めるには、誰かが監督していないと駄目だった。
おばあちゃんも言っていたけどお母さんの料理能力の欠点は、調理経験の不足と力量に見合わないアレンジをしたがることなんだ。
更に付け加えるなら、想像力の欠如かな。
調理過程に一手間かけたり隠し味を加えることが、プラスの結果になるとは限らないことを、きっと理解してないんだろうと思う。
料理についての足し算は、場合によったら危険なのに。気軽に、ちょい足ししたがるのが怖い。
何よりこれが一番重要なんだけど、そのアレンジ料理を普通に平らげるんだよ。お母さんって、ちょっと一般と味覚が違うのかも知れないわ。もしかしたら俗に言う、味覚音痴ってやつかも知れない。
だって、ねえ。
唐揚げの衣に、お母さんが混ぜようとした物って…。
「お母さん、そんなの何に使うの?」
…こらこら、粉ワサビなんて使ってどうするの?
これは普通、水で溶いてお刺身とかの薬味に使うんだよね。
片栗粉感覚でお肉にまぶしたら、大惨事だよ。そもそもいつ買ったの?
私が止めると、お母さんは不思議そうな顔をした。
いやいや、今このタイミングで粉ワサビが調理台に出現する方が、よっぽど不思議。
色が綺麗? 唐揚げを緑に染めるの? …色付けなら普通に色粉を使おうか。
違う? 隠し味?
ねえ。隠し味って隠れているから、隠し味なんだよ。
粉ワサビを一掴み分も、衣に投入なんてしたら、全てがワサビ味に染まって、ワサビしか感じられなくなるからね。隠したくても、ワサビは絶対隠れていられないからね。
ていうか、なんで普段忙しくて滅多に料理をしない人のキッチンに、粉ワサビなんてものがあるの? チューブのワサビでいいじゃない。
チューブは開封したら、味がボケる?
なら冷凍したら? 試したことないけど。
とにかく、うっかり舞った粉ワサビの粉塵を、吸い込んだりしたらバイオテロ並みの凶事が降りかかるからね。
粉ワサビはお触り禁止です。はい。封印。
私はお母さんを説得して、粉ワサビを没収した。
というやり取りが、実はあったのだ。
ともかくお母さんのあの手料理を、お父さんがなんとも個性的な味と言い換えて表現していたけど。それでも
3人で同居していた頃、私は愛があっても無理だったあの料理を、お父さんは完食していたんだ。みんながそれくらい誰かを愛していたら、地球だって救われるだろうになあ…。
まあ以前のことを思えば、格段の進歩と言い切って構わないと思う。果たしてお父さんが、お母さんの手料理(改)を再び食べる機会はあるんだろうか。
あるといいな。と思いながら、その日のためにお母さんが料理の下味に使いそうで、危なそうな調味料をそっと遠ざけておくことを決めたのだった。
料理って味見をしながら作れば、普通は滅多な物は出来ないです。それでもとんでもなく不味い物が出来上がってしまうなら、それはどういうことなのか。
たぶん妃さんは、味覚音痴なんじゃないかなあと思います。