習ってたけど、もう止めちゃったのかな?
おばあちゃんの家の子になって始めた習い事がある。ピアノだ。
元々おばあちゃんの家には古いピアノがあり、興味を持った私に弾き方を教えてくれていた。
でも上手になりたいのなら、ちゃんとした先生に教えてもらった方がいいと言ったのは、おばあちゃんだった。
「ピアノ教室がお家の近くにあるのよ。おばあちゃんじゃあ、あんまり上手に教えてあげられないから、一度見に行きましょう」
お父さんとお母さんと離れてから、以前よりピアノを弾くことが多くなった私に、そう言ってくれた。
思えば子供の下手な演奏を延々聴かされるのは、さぞかし苦痛だっただろうに、おばあちゃんに文句を言われたことは一度もなかった。私への愛情ゆえの忍耐に、今更ながら感謝します。
そうして見に行った教室には、大きなグランドピアノが置いてあって、家のアップライト式のピアノしか知らなかった私は、それが弾きたくて堪らなくなってしまった。
「触ってもいい?」
最初の先生への挨拶もそこそこに、私は教室のピアノに夢中になってしまった。
そうしてその場で、これからお願いしますとご挨拶をして、おばあちゃんと先生に笑われてしまった。
それくらいピアノに熱中していた。ピアノは大きな慰めで、私の中の、欠けて無くしてしまった物を埋める手段となっていった。
おばあちゃんの家に住むようになって、お父さんとお母さんとは、日時を決めて三人で会うようになった。
時々急な仕事で、お父さんが来られなくなったりもしたが、警察官という仕事柄では仕方がないとおばあちゃんに教えてもらった。
埋め合わせるようにお父さんは、疲れた顔をしながらも仕事の合間に顔を出してくれたから十分だ。
ちゃんと事前に休みを申請しなさいとお父さんと同僚の人に怒ってたお母さんだが、向こうがそれを承知で連絡してくるんだから、仕方がないよ。
だからお父さんを叱らないでね。お母さん。
相変わらず、よく二人は喧嘩をする。せっかく顔を会わせたのに、と思わなくもなかったが。
離れてしまって初めて、お父さんとお母さんの様子を余裕を持って眺めることが出来るようになったのだと思う。
そうは言っても、いつまでも二人の喧嘩を放置していては時間がいくらあっても足りない。せっかく会えたのに。
「ねえねえ。私ね、ピアノを習ってるんだよ」
この頃から、自分のことを名前で呼ぶことを止めた。
私はお父さんとお母さんの間に入り、ピアノを習い始めたことや小学校の話をした。
「そういやあ、おふくろのピアノがあったなあ。昔はよく弾いてたもんだ」
「今は私が弾いてるよ」
私が練習出来るように、おばあちゃんは調律を頼んでくれたから、無駄にしたくなかった。まだまだ下手くそだけど、いつか上手に弾けるよう頑張っていた。
「俺もな。柔道を後輩たちに教えてるんだ」
「蘭。お父さんは強いのよー。犯人もそれで捕まえちゃうの。でも試合では勝てないけど」
「うるせー」
「あら、本当のことじゃない」
あーあ。すぐに二人とも仲良く喧嘩を始めてしまう。困った大人だ。
知らなかったが、お父さんは本当に柔道が上手いらしかった。ただ試合になるとやる気が空回りして、全く勝てないから、選手にはなれないとのことだった。
帰ってからおばあちゃんにも聞いたら、同じことを言っていた。それでも能力が高いので、頼まれて逮捕術を教えてるんだって。凄い! お父さん。
お父さんが得意だという柔道に興味が出て、習いたいなと思ったが。おばあちゃんに調べてもらったけど、近くに教室がなかった。残念。
お父さんが教えてくれたら嬉しいけど、忙しそうなお父さんには頼めなかった。
何年か経ってそのことを話したら、頼って欲しかったと淋しそうに言われてしまった。
うん。そうだね。ごめんなさい。
この日連れて行ってくれたのは、有名なマジシャンの黒羽盗一さんのマジックショーだった。
世界的にも著名だというその人のステージチケットは、なかなか取れないということだったが、お母さんの顧客の人が手配をしてくれたらしかった。
私が以前テレビで観て本物のマジックを見てみたいと言ったのを、お母さんが覚えていてくれたのだ。嬉しかった。
初めて見た圧巻のステージに、私は釘付けだった。
よほど喜ぶ姿が目立ったのか、お手伝いに舞台へ呼ばれたのはいい思い出になった。お手伝いのお礼にもらったウサギの縫いぐるみは、今も部屋に飾ってある。
縫いぐるみのお礼がもう一度言いたくて、ガードマンさんにお願いしたら、控え室に通してもらえた。
お父さんは煙草を吸いに行ってしまったし、お母さんはお化粧直しに行きたいというので、一人でお邪魔することにした。
こんにちは。お邪魔しますと入れば、マジシャンの黒羽さんと私と同じ位の年格好の男の子がいた。
「やあ、さっきのお嬢さん。どうしたんですか」
「この子を……、ありがとう。…さっきは言えなかったから」
さっきは興奮し過ぎて、縫いぐるみをもらったお礼がろくに言えなかった。だからちゃんと伝えたかったのだ。
たぶんお父さんより年上のその人は、笑いジワの出来る優しい笑顔を浮かべた。
「ああ、お礼に来てくれたんですか。でもその子はお手伝いのお礼だから、いいんですよ」
背の高い黒羽さんは、ステージでの紳士的な振る舞いそのままに、私に視線を合わせるためにしゃがんでくれた。
学校のおじさんの先生か、荒っぽいお父さんくらいしか大人の男の人を知らない私にとって、その人は未知の存在に見えた。
今なら笑ってしまうが、本当にその時は後光が差して見えたのだ。
「親切にしてもらったら、ありがとうは当たり前なの。…おばあちゃんが…」
「ああ、そうですね。では改めて私も。お嬢さんこそ、お手伝いをありがとう。助かりましたよ」
恭しくお辞儀をしてくれたその人にドキドキしながら、どういたしまして。と頭を下げたその時。
ぺろんと勢いよく、私のスカートがめくられた。
「にゃあっ」
「快斗っっ」
思わず変な声が出てしまったし、直後に黒羽さんが私のスカートをめくった男の子の頭にゲンコツを落としたので、びっくりして涙が出てしまった。
「お前はっ、レディにいきなり失礼なことをするんじゃないっ」
「痛い…」
「痛いようにしたんだ。ごらん、快斗。小さなレディがびっくりして泣いてしまっただろう」
泣いたのは男の子のせいじゃなく黒羽さんの叱りつける声に驚いたためだったのだが、男の子が慌てて謝ってきたので訂正しそびれてしまった。
「…ごめん。…なさい」
「小さなレディ。家の馬鹿息子が大変失礼をしました。この子は可愛い女性が好きで、よく悪戯をしてしまうんです」
コツンと黒羽さんが、再び男の子の頭を小突いた。
「ぃてっ」
さっきのゲンコツが当たった場所だったらしく、痛かったようで、男の子は黒羽さんを見上げ、黒羽さんに背を押されて私の前に立った。
「…謝ったじゃんかっ」
「快斗。相手が受け取らなければ、どれだけ謝っても意味がないんだよ」
不服そうに呟く快斗君に、黒羽さんは面倒がらず説明した。
「誠意をこめて…。自分が悪かったことを認めて、相手に許してもらわないとダメなんだ」
それに納得した快斗君は、小さな手のひらを私に向かってかざす仕草をした後、虚空からピンク色のミニ薔薇を取り出し、私に差し出した。
「やる。ごめん」
「お詫びの品だよ。受け取ってあげてくれませんか。お嬢さん」
懇願するように黒羽さんに言われ、私は男の子から小さな薔薇を受け取った。
男の子の暴挙に驚きはしたが、謝罪をしてくる相手を無下にするほど、私は怒ってはいなかったから。
ちょっとは思うところもあったが、それも謝ってもらって、お花を受け取ってしまえば許せる程度だった。
何よりも自分と同じくらいの男の子が、彼の素敵なお父さんと同じ魔法のような技を見せてくれたことに驚き、感心してしまった。
するりと誉め言葉がこぼれた。
「すごいねえ。快斗君も魔法使いなんだね」
「おう。……ありがと、な」
思わずこぼれた言葉に、快斗君は照れ臭そうに笑みを返してくれた。
こうして出会った快斗君だが、案外長い付き合いになろうとは、この時は思いもよらなかった。
原作主人公なあの子より先に、怪盗親子が登場しました。
そして、おや? 主人公の様子が…。