これは 退魔の剣を携えし騎士と ゾーラの英傑の 恋の物語。

 騎士の名はリンク ゾーラの英傑の名はミファー。

 厄災討たれし世界 澄み渡る空の下 神獣の背にて……。

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ゾーラの恋詩

 厄災ガノン。

 

 それは太古より伝えられし、ハイラルを脅かす憎悪と怨念の権化。

 生を授かりし時は、ゲルド族の百年に一度生まれしヴォーイであるという伝説もあるが、真偽のほどは定かではない。なにせ、最も新しい厄災の復活の伝説も、一万年以上も前の話であるからだ。

 

 しかし、一万年前のハイラルにて復活せし厄災は、シーカー族の造りし神獣やガーディアンにより力を削られ、最終的には封印の力を持つ姫と、退魔の剣を携えし者によって封印させられた。

 

 そして、遥か昔に封印された厄災が復活の兆しを見せていると、ハイラル王国の占い師が予言を告げたのはいつの日であったか。

 占いに導かれ、太古のシーカー族の造りし遺物は発掘され、神獣の繰り手に選ばれし英傑も、ハイラル国の現国王『ローム・ボスフォレームス・ハイラル』に叙任された。

 

 選ばれたのは五人。

 

 神獣ヴァ・ルーダニアを繰りし、ゴロンの猛者―――ダルケル。

 

 神獣ヴァ・メドーを繰りし、リトの戦士―――リーバル。

 

 神獣ヴァ・ナボリスを繰りし、ゲルドの族長―――ウルボザ。

 

 神獣ヴァ・ルッタを繰りし、ゾーラの王女―――ミファー。

 

 そして、退魔の剣を携えし剣士―――リンク。

 

 英傑の称号をもらった五人は、王家の血を継ぐ姫巫女であるゼルダを長とし、厄災ガノンに立ち向かった。

 厄災ガノンがハイラル城の地下より復活し、城のみならず城下町に少なくない被害が及んだものの、四人の英傑と四体の神獣、そして土壇場で封印の力を覚醒せしゼルダと退魔の剣を携えるリンクの力により、厄災は再び封印されたのが数か月前。

 

 厄災ガノンにより被害を受けた城下町の復興に時間はかかったが、ハイリア人以外にも、腕っぷしのあるゴロン族や、その飛行能力の高さにより物流に精通しているリト族、繊細な手作業に慣れているゲルド族、漁により食料を供給してくれたゾーラ族などの協力もあって、ハイラル王国は以前よりも美しい国へとなった。

 少なからず互いに偏見を持っている者達が、ハイラル全土を脅かした厄災を打ち倒したことにより、今は手を取り合うことができている。

 

 厄災復活による悲劇もあった。が、この一件を経て各々の部族が結ぶ手は、一層固いものとなったことは想像に難くない。

 

 そして今、ハイラル王家の象徴とも言える青色に似た清々しい色合いの空の下、五人の英傑は、大勢の民に囲まれながら厄災討伐を祝う式に集っていた。

 

「戦士たちよ。命を賭した任を引き受け、そして、見事厄災を打ち倒したことを、ハイラル王国の王として感謝する!」

 

 威厳ある声色が、式を開いている広場を伝わっていく。

 集う民も、王の言葉を遮らぬよう口を結んでいるものの、平和が訪れたことに対しての歓喜を全て抑えることなど出来るはずもなく、嬉々とした雰囲気が広場全体を包み込んでいる。

 

 高い場所に立ち、民たちを見渡すハイラル王。

 僅かに木霊する自分の声を耳にし、今一度深く息を吸えば、今度は五人の英傑らに目を遣った。

 

 体のいずれかに、ハイラル王家の象徴である青色を身に纏った英傑は、実に晴れ晴れとしている表情だ。

 それもそのハズ。ハイラルを脅かす厄災を打ち倒すべく集められた五人が、見事その任を果たしたのだから。

 

 ふと隣に立つゼルダに目を向ければ、封印の力に目覚めず、焦燥に駆られ憂鬱になっていた頃とは真逆の、穏やかな笑みを浮かべている。その笑みは、今は亡きハイラル王の妻―――ゼルダの母親によく似ており、油断してしまえば目尻より雫が零れてしまいそうだ。

 歳の所為かもしれない。しかし、大勢の民を前にして涙を零すことは、王としての威厳が損なわれるというもの。

 かつて母親の葬儀にて、毅然と姫で在った彼女―――娘を習い、ハイラル王は熱くなる目頭を強靭な精神力で抑える。

 

「其方たちの活躍は、このハイラルの後世に残される偉業足り得ようぞ。英傑たちよ! ささやかではあるが、其方たちにはこのハイラルを代表し、私から褒美を是非とも贈りたい!」

 

 ハイラル王が仰々しい身振りにて腕を振れば、広場に英傑たちを囲むように並んでいた騎士たちが、その手に携える楽器を鳴らし、国中に響きわたる音楽を奏で始める。

 轟く音色には、惜しみない民からの拍手や声も混じっていた。

 歓喜に染まる広場。

 城のベランダからは、純白の翼を携えし鳩が解き放たれ、その羽を数枚散らしながら晴れ渡る空へ向かって羽ばたいていく。

 

 平和は訪れた。

 

 観衆の声や楽器の音色にて震える体を前に、五人の英傑たちは、確かに頭上の青空の価値を実感する。

 

 

 

 ***

 

 

 

 民を前にした式は滞りなく終わったものの、英傑たちをもてなす式はまだ終わらない。

 その後は、ハイラル城のシェフが腕によりをかけた食事を楽しむための晩餐会が開かれた。

 会場となった部屋の中央には、それこそ見上げるほどの大きさのフルーツケーキが置かれている。

 いずれも最高級の素材を用いたフルーツケーキは、ハイラル王国にて祝いの席に欠かせぬ料理。今回は、ハイラル全土を脅かす厄災を討伐したとあって、大きさは普段とは桁違いである。

 

 そんなフルーツケーキに舌鼓を打つゼルダ。元々このケーキを好きな彼女ではあるが、浮かべる笑顔は以前よりも柔和なものだ。

 

 自分を目の前にすると、あからさまに落ち込んだような顔を見せていた頃とは違い、感慨深くなるハイラル王は、ゲルドの英傑・ウルボザと談笑しつつフルーツケーキを食べる彼女の下へ向かう。

 その際、ウルボザがハイラル王を目にし、一礼しようと腰を引いたが、やんわりと手で制する。祝いの場だ。あまり堅苦しいのも、場に相応しくないというものだ。

 

 それにウルボザは、亡き妻の親友。

 他の英傑よりは、厳格な態度を(わずかだが)崩せる数少ない人物の一人だ。だからこそハイラル王は、フッと口角を上げて彼女に声をかける。

 

「楽しんで頂けているか?」

「ええ、ハイラル王。それはもう」

「……我が娘ゼルダの面倒を看てもらって、おぬしには頭が下がる想いだ」

「いえ。そんな恐れ多い……」

 

 余り態度を崩しすぎてもいけない。

 なにせ、二人はそれぞれの国や族の長だ。相応の威厳は常に持っていなければならない。

 それを意識しつつ、しかし態度を崩すよう心掛けてみたハイラル王であったが、結果的には変わらなかったような気がする。

 

「……して、ウルボザよ。褒美の件であるが」

「はい。それについては、先程と同じで」

「うむ……ハイラル王国の兵士とゲルドの戦士による交流……だったな」

 

 立派な顎髭を撫で、ウルボザへの“褒美”について口に出す。

 五人の英傑には、各々へ褒美を送る予定だ。種族も年齢も性格もバラバラな彼ら。土地柄などもあって、与える褒美を統一し、意味のない贈り物をしてしまっても王家の威厳に関わるというもの。なによりも、大役を仰せつかり、見事任を果たした彼らへの礼とならない。

 故にハイラル王は、一人一人に褒美の内容を決めてもらうことにしたのだ。

 

 その内、ウルボザが口にしたのはハイラル王国とゲルドの交流の機会を設けること。

 ウルボザは族長という立場から、個人ではなく族全体の利益を考えての願いだった。

 

「ふふっ。ゲルドのヴァーイは、強いヴォーイは大歓迎ですので」

「相分かった。早速、今年より我等の一層の親交を深められるような機会を設けられるよう努めよう」

「有難きお言葉」

 

 ゲルドは例外を除き、女だけで構成される一族。妊娠し、子を産んでも生まれてくる子は全員女なのだ。

 故に、一族の血を絶やさないためには、他の種族―――専らハイリア人と番を為し、子供を作ることとなる。

 こうして、ゲルドの女が他の土地へ男を求めて町を出ることを『ヴォーイハント』と言うのだが、ハイラル王国が国を挙げてゲルドと交流を深めてくれれば、ゲルドの女に多くの機会が恵まれるというものだ。

 

―――しかし、裏ではハイラル王国とゲルドが協力し、厄災ガノンを信仰する『イーガ団』への対策を考えている。

 

 こうしたウルボザの願いを聞いたハイラル王だが、まだ聞いていない相手は複数居る。

 

「ゼルダよ。リンクとゾーラの王女は何処へ?」

「二人ならばあそこに……ダルケルの陰に居ます」

「おぉ、成程」

 

 娘に、彼女御付きの騎士たるリンクとゾーラの王女ミファーの場所を聞けば、彼女は山のような巨体を持つゴロン族の背中へ視線を移す。

 人二人は容易く隠せそうな巨体だ。

 岩石のように固そうな筋骨隆々の陰からは、僅かにだがリンクとミファーらしき姿がうかがえる。

 

 リンクを相棒と呼び慕っているダルケルが彼と共に居る所へ、引っ込み思案なミファーが、知り合いの下へ行きたいと集ったのかもしれない。もしかすると、また別な感情もあるのかもしれないが……。

 

「ダルケルには選りすぐりの岩を。リーバルには飛行訓練場を。しかし、あの二人にだけ褒美の内容をまだ決めてもらっていないからのう」

「ダルケルとリーバルらしい内容です。でも、リンクとミファーは……」

 

 無口なリンクと、引っ込み思案なミファー。彼らが褒美に何を望むかは想像がつかない。

 そう言わんばかりの瞳を、ゼルダは隣のウルボザへ向ける。

 

「結論を急いでもらう必要はないが、下手に謙遜された褒美を願われても困ると言ったところか……」

「長という立場は難しいものですね」

「まったくだ」

 

 ハイラル王の言葉に同意を示すウルボザ。

 リンクは、ハイラル王直々に抜擢したゼルダ姫お付きの騎士であるが、彼は傍から見ると何を考えているか分からない人間だ。実直で腕が立つのは確かではあるが、王と明確な上下関係がある以上、遠慮してしまうかもしれない。

 ミファーもまた、その性格からして遠慮する可能性が否めないが、余りに下手に出られた褒美を与えたとしても、王の威厳に関わるというものである。

 

「リンクであれば、ゼルダの婿として王家に迎え入れることも吝かではないのだが……」

「お、御父様っ!?」

「はっはっは! 無論、おまえとリンクが互いに合意したならば、だ。強制するつもりはない」

 

 リンクを婿として迎え入れる旨を口にした途端、頬を赤らめて慌てふためくゼルダ。

 だが、直後の父の言葉に、ホッと胸を撫で下ろしながらも、どこか残念そうに眉尻を落とす。

 そんな様子を見たハイラル王は、徐に大きな手を娘の頭に置く。

 

「なに……ゼルダ。おまえはもう自由だ。立派に、王家の血を引く姫としての任を果たした」

「御父様……」

「幼き頃より背負わされた責務に悩まされたことだろう。だが、もう自由なのだ。おまえの母が願っていたように、私もまた、おまえがこれから幸せに過ごしていくことを心より願っているぞ」

「……はい」

 

 父の言葉に、小さく返事するゼルダ。

 だが、久方ぶりの“王”ではなく“父”としての本心からの言葉を受け、彼女は実に嬉しそうに頬を緩めていた。

 

「ガッハッハ!」

 

 ふとその時、豪快な笑い声が部屋に響きわたる。

 

「ガノンってのはぁイノシシみてェな見た目だったのか! ホント、犬じゃなくて良かったぜ。ルーダニアから一発ぶちかました後、すぐに相棒のトコに駆けつけようとしてたからな」

「ダルケルさん……犬、苦手なんだ……」

「自慢じゃねえけどな。でもよ、オレらが駆け付けるより前にガノンをぶっ飛ばしてた相棒にゃあ、流石ってしか言葉が出ねぇな! ……ん、なに? 『自分だけじゃない。ゼルダ姫の力もあってこそ』? ガッハッハ、そりゃあ勿論そうだな! 相棒、おめェの言う通りだ!」

「でも本当に……本当に……大きな怪我しなくてよかった」

 

 豪快に笑うダルケルと、ポツリポツリと言葉を紡ぐミファー。

 この会話だけで、ダルケルのリンクへ対する信頼と、ミファーのリンクへ対する心配がうかがい知れるというものだ。

 

 リンクを覗く英傑四人は、神獣による援護を行った後、すぐさまハイラル城に赴いてリンクの援護にやって来ていたのだ。

 しかし、彼らがたどり着くころに広がっていた光景は、神々しい輝きを放つ退魔の剣を携えるリンクと、これまた神々しい輝きを放つ手を空に翳すゼルダの姿だった。

 

 胸に抱く思いに差異はあろう。

 だが、全員がリンクを助けんと集ったのだ。

 

 今は部屋の隅で兵士や大臣に美談を語っているリーバルも、神獣のみならず自らの力が助けにならないかと、ハイラル城にまで飛翔してきた。

 素直ではない彼が直接語ることはないが、心の底では努力する者を認める彼を知っている者が、厄災をゼルダと共に討伐したリンクの下へやって来て口走った『あわよくば手柄を奪ってやろうとした』という言い訳が本心ではないことを理解するのは、難しくなかっただろう。

 

 閑話休題。

 

 城が容易した極上ロース岩を片手に持つダルケルは、健啖家であるリンクと共に豪勢な食事を口にしつつ、話に花を咲かせる。

 

「んで、相棒よ。褒美はなにするつもりなんだ? 俺は、嫁とチビのために上手いメシをたらふく食わせようって思ったんだがよゥ。……そうか。まだ決まってねえか。ま、じっくり考えてからでいいと思うぜ! ミファーはどうなんだ?」

「私? えっと、私は……その……わ、私もまだ……」

 

 リンクへと振った話題を、今度はミファーに振るダルケル。

 するとミファーは、オドオドした様子で隣のリンクをチラチラ見つつ、まだ決まっていない旨を口にした。

 

「ミファーもか? 実際、限度はあれどなんでも褒美を決めれるってのぁ悩むもんな」

「うん……」

 

 相手も王族。自分も王族。

 互いに各々の種族のトップに君臨する立場の人間である以上、一言に褒美と言っても、対外的なことも考えねばならず、中々に決め辛いという実情がある。

 

 だが、理由はそれだけではない。

 

「っ……」

 

 ふと、リンクへ視線を向けるミファー。

 その琥珀色の瞳は、雨に濡れた子犬のように潤んでいたが、それに彼が気づくことは無かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 晩餐会が終わり、火も沈み始めた頃、ミファーは今日泊まる城の部屋にて、一つの宝箱を前にして立ち尽くしていた。

 控えめながらも、気品溢れる装飾が施されている宝箱には、鎧が入っている。

 そこに入っているのはゾーラの鎧。鎧に込められた特殊な力により、ゾーラ族でなくとも滝を登れるようになるという凄まじい代物だ。

 

 元々、ゾーラ族の住むゾーラの里には、昔ハイリア人と共に貯水湖を建造した友好の証として、ハイリア人向けの装備もあり、流通している数こそ少ないものの、ゾーラの装備は何人かのハイリア人が手にしている。

 だが、今ミファーの目の前にある鎧は、彼女にとって何物にも代えがたい大切な代物だ。

 

 ゾーラ族の王女がゾーラの鎧を作る―――それ即ち、鎧を渡す相手を婿に迎え入れたいという意志の表明と同義。

 

「すぅ~……はぁ~……すぅ~……はぁ~……」

 

 この鎧を渡したい相手は、ハイラル城内に存在する。

 だが、いざ渡すべく遠路はるばる持ってきた鎧を前にすると、激しい動悸に襲われて平静を保つことができない。

 なんとか深呼吸して体の力を抜こうとしても、まばたきの合間に思い人の姿が瞼の裏に浮かび上がり、元々紅い彼女の体に、さらに朱が差してしまう。

 

(この鎧をリンクに……)

 

 真心込めて繕った鎧。

 渡したい相手は他でもない。英傑のリーダーたる退魔の剣を携えし剣士・リンクだ。

 

 ミファーは彼が四歳であった頃から知っており、俗にいえば幼馴染と言える間柄とも言える。

 しかし、長命であるゾーラ族の成長はハイリア人よりも遅く、いつの間にやらリンクの方の背が高くなってしまっていた。

 

 幼き頃の無邪気な笑顔を見る機会はなくなったものの、代わりに卓越した剣技を手にした彼に、ミファーは恋心を抱いている。

 

 

 

―――かつて、ハイリア人に恋をしたゾーラ族の姫と同じように。

 

 

 

 ミファーの繰りし神獣の名前の由来にもなったゾーラの姫の伝承にあやかり、自身の異種族への恋心を確かなものとし、今日ここまで過ごしてきた。

 教育係のムズリには黙っているものの、ゾーラの王でありミファーの父であるドレファン王にも、この恋心は打ち明けており、彼からは自分が神獣の繰り手となろうとした時よりも色好い返事を貰っている。

 

 後は、リンクが想いに応えてくれるだけで、訪れた平和な時代にて、新たな出発を迎えられるのだ。

 

 しかし、いざとなると決心がつかない。

 病気かと疑うほどの鼓動の高鳴りを前に、胸に手を翳し、治癒の力を使えど一向によくなる気配はなかった。

 寧ろ、掌を胸に当てることによって伝わる鼓動に、『想いを伝えに行け』と急かされているようで、気が安らぐどころの話ではない。

 

―――腹をくくるしかない。

 

 胸から手を放し、グッと小さく拳を握る。

 すると徐にミファーは、目の前の宝箱を抱え、部屋より外へ足を踏み出す。その際、里より付いて来ていた護衛のゾーラ族の者が付いて来ようとしたものの、ミファーはやんわりとその申し出を断る。

 

 想いを伝えるならば一対一で。

 

 多くは語られなかったものの、真摯なミファーの視線を向けられた護衛たちは、宝箱を持って城の廊下を歩んでくミファーを送り出す。

 靴を履く習慣のないゾーラ族のミファーが歩けば、次第に静寂が訪れようとしている廊下には、ペタペタというような音が響く。

 凡そ、普段は聞かぬ音にすれ違う者達は一度顔を上げるものの、凛とした様子を装うミファーを前に頭を深く下げる。初めて城に来た時は、奇異の目を向けられたこともあったが、厄災が討たれた後はそれもない。

 

 少なくとも以前よりは過ごしやすい空間となった。

 これも、厄災の一件を経て他の種族の偏見が減ったことによるものだろう。

 

(そう……これからの世界はもっとよくなって……)

 

 ハイリア人嫌いの里の者達を思い浮かべつつ、今回を機に隔たりがなくなっていけば良いと、フッと微笑むミファー。

 

 廊下を吹き渡る温い風が、これからの春の訪れを告げるようでむず痒い。

 もし、自分とリンクが結ばれる様なことになれば、里の者達はどのような顔をするだろうか?

 

 そのような考えが脳裏を過った時だった―――目に映る、青色の衣が。

 

「リン―――」

 

 城内に二人と居ない衣を身に纏う姿を遠目に見つける。

 咄嗟に呼びかけようと口を開いた―――が、彼の傍に立つ人影に息を飲み、続きが紡がれなかった。

 

 ゼルダだ。

 廊下より、大きなガラスの張られる窓を挟んで広がるベランダに立つゼルダは、近衛騎士らしく傍に立つリンクへ、何かを語っているようだった。

 

 はしたない真似だとは分かる。

 だが、どうしても二人の会話に割り込む勇気を持てず、ミファーは踏みとどまったその場から動かない。

 

 何を話しているのだろうか?

 聞きたいようで聞きたくない。

 もし聞いてしまえば、残酷な現実を突きつけられてしまいそうな気がしたから。

 

 されどミファーは動けぬまま、風に乗ってくるゼルダの声に耳を傾けた。

 

『リンク……好き……生きて……のです』

「っ……!」

 

 ヒュっと息を飲んでしまった。

 話の全貌は見えないものの、自分にとって好ましくないものであると考えたミファーのショックは大きかったのだろう。

 その息を飲む音は廊下に響きわたり、ベランダに居たゼルダとリンクが、ミファーの居る場所へ視線を向けた。

 

―――見られた。

 

 その瞬間、まるで狩人に気が付いた動物のように、ミファーは二人から離れるように来た方向へ逆戻りに走っていった。

 この場にムズリが居れば、『廊下を走ってはなりませぬ!』と叱ってくれただろう。

 だが、生憎彼はこの場に居ない。

 だからこそ、ミファーは誰に止められることもなく、真偽を定かにすることもなく、ただひたすらに想いを向ける人から離れていった。

 

 身長に比べ、比較的短足なゾーラ族だ。

 水中では無類の速さを誇るとはいえ、陸上で走ってもさほど速度が出る訳ではない。

 それでも一心不乱に駆けるミファーは、ペタペタと音を鳴り散らかす。

 

 腕に抱く宝箱―――鎧を、やけに重く感じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 気づいていなかった訳ではない。ゼルダがリンクに抱く想いに。

 

 種族は違えど、女という性に生まれた以上、察することができる部分は多々ある。

 

 王族に生まれたゆえの苦悩。

 果たさねばならぬ義務の重さ。

 そして、自身の窮地を救ってくれた騎士へ抱く好意。

 

 始めこそリンクはゼルダにとってのコンプレックスの象徴的存在だった。

しかし、いつからだっただろうか。英傑としての集まる際、ゼルダがリンクへ向ける視線が変わっていたのは。

それが好きな者へ向けるものだということは、ミファーもさほど時間がかからず察することはできた。

 

 片やハイラルの姫。

 片やゾーラの王女。

 

 この二人に想いを向けられるリンクが、彼女たちの想いに気が付いているかは別として、ミファーは彼にとってどちらと結ばれることが幸せかを考える。

 

 姫を守り続けた近衛騎士が、最終的に姫に好意を向けられ結ばれる―――なんという大団円だろうか。今より数百年後までに語り継がれる御伽噺となりそうな展開。些少の違和感もない。

 

(やっぱり……リンクは姫様と結ばれた方が……)

 

 ツーっと熱い液体が頬を伝う。

 逃げるように走り火照った体を冷ますべく、ミファーはいつのまにか、城の庭園までやって来ていた。

 厄災復活の折に荒らされた庭園も、復興の際、各地より集められた草花を植え、庭師が整えたことにより、以前よりも一層美しい光景を作り上げている。

 

 黄昏の刻。庭園は橙色に照らしあげられていた。

 そんな庭園に満ちる鼻腔を擽る柔らかい花の香りが、滝壺の如く荒波立っていた心を落ち着かせてくれる。

 しかし、一度水面に広がった波紋は岸にぶつかり、また新しい波紋が起こるだけ。

 とどまりを知らぬせせらぎのように、ミファーの胸の痛みは治まらなかった。

 

「……これ……どうしようかな?」

 

 宝箱を華奢で滑らかな指で撫で、自分へ向けて困ったような笑みを浮かべる。

 

 他人に言い放った訳ではない言葉は、日が地平線に呑み込まれていくように、地面に染み込んでいく―――そんな気がした。

 

 その時、そんなミファーの下に近づいてくる足音が一つ。

 ハッと顔を上げ、憂鬱な心境の内に未だ残っていた淡い期待が顔に出るミファー。徐に音が聞こえてくる方へ意識を向けた―――刹那、悪寒が背筋に奔った。

 

(―――殺気!)

 

 隠しきれぬ殺気を肌で感じ取ったミファーは、咄嗟に近づいてくる足音とは真逆の方へ跳ぶように距離をとる。

 次の瞬間、夕日の逆光の内に視界に移る細い影が振るわれ、ミファーの体に衝撃が襲った。

 

「っ……!?」

「お命頂戴する!!」

 

 切っ先は届いていなかったハズ。

 にも拘わらず、宝箱に襲った衝撃と、僅かに体に裂傷が刻まれた。

予想だにしていなかった攻撃を前に、思わず体勢を崩してしまったミファーはその場に尻もちをつく。

その隙を見逃さなかった暗殺者―――庭師の姿から正体を露わにした、屈強な肉体と風斬り刀を持つイーガ団が、今一度刃を振るおうと風斬り刀を掲げた。

 

 普段の彼女であれば、遅れなど取るハズはない。

 しかし、平静ではなく、丸腰で、更には大切な物を抱えている彼女は、ひしっと宝箱を抱きかかえた。

 

 狭まった視界の外では風を切る音が響く。

 刃から放たれた真空の刃が、宙を疾走する音だ。

 

 赤のボコブリン程度であれば一撃で殺傷できるほどの威力を持つ刃は、例えゾーラの英傑と言えど、一撃喰らえば重傷は免れないだろう。

 命運尽きたか。

 切迫した状況とは裏腹にどこか冷静なミファーは、自分が周りへの警戒を怠ったことによって招いた事態を省みる。

 里に居る父や弟、その他の里の者達に申し訳が立たず、また別の涙が零れかけた。

 

 だが、その涙は零れない。

 

 刹那、瞬いた閃光が真空の刃を打ち砕き、曲者の体に一閃食らわせたではないか。

 間違いない。あの円を描く三日月状の閃光は、退魔の剣より放たれし斬撃だ。

 

―――颯爽と吹き渡る風には、“彼”の香りが乗っていた。

 

「リンク……っ!」

 

 姫を守るように悪党の前に立ちはだかった勇者は、疾風の如く凶刃ごと悪党を打ち倒した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ったく……ガノンがぶっ飛ばされて静かになると思えばよぉ」

「そもそもイーガ団って、ハイラル王家に追い出されたシーカー族の末裔の一部なんだよね? どうせ、意趣返しの口実にガノンを崇めてるだけって人も多いんじゃないかい? 偶像を崇めるだけなら、存在の有無なんてどうでもいいからね」

「なんにしても、大事にならなくてよかったよ」

 

 ダルケルとリーバルが語る傍ら、心配そうに眉尻を下げるウルボザが、部屋の椅子に座るミファーに声をかける。

 先程のイーガ団の手先の者はリンクに打ち倒され捕らえられたものの、まだ城内―――ひいてはハイラル王国内に居ないとも限らない。要人が集まっている城に曲者が侵入していたという事実に、先程ハイラル王は厳戒態勢を敷くよう騎士たちに伝え、現在城内はただならぬ雰囲気に覆われていた。

 

「みんな……心配かけてごめんなさい」

「ホント。浮足立つにしても、自衛できるくらいには気を付けてもらわないとね」

 

 皮肉気に言い放つリーバルにシュンとするミファー。

 その様子に、ウルボザが窘めるような視線をリーバルに送る。だが、彼が口にしたことは単純に皮肉などではなく、余り表面に出すことがない仲間意識からくるものであると分かっているため、ウルボザはみなまで言うことはなかった。

 

 復興に際しての祝賀に水を差すような出来事。英傑たちの顔に曇りがかかる。

 

 そんな時、ふとリンクがリーバルの下に歩み寄り、何かを話し始めた。

 

「ん? ……『ミファーが里に帰る時、背中に乗せて連れて行ってくれ』だって? 急に何を言い出すんだい。彼女にはきちんと護衛が来ているじゃないか。……『リーバルなら、イーガ団の手を出せない空を通って送り届けられる』って? はぁ……君のその正論で固めてくる感じ、正直好かないんだよ」

 

 どうやら、ミファーが帰路につく際、リーバルの背に乗せていってくれないかと彼に頼んだ様子。

 最初こそ断る雰囲気を醸し出していたリーバルであったが、周囲より注がれる視線と無言の圧力により、やれやれと首を振った。

 

「しかたないね。他でもない、ハイラルの勇者様の頼みだ。ま、貸し一つってことでいいね」

「ごめんなさい、リーバルさん……」

「いえいえ、ゾーラの王女様を背に乗せて飛べるなんて、なんという光栄なこと……なんてね。折角のいい気分な時に、知り合いが不意打ちでやられるなんて寝覚めが悪い。僕だって男としてのプライドはあるさ。責任もって届けるよ。ただし……」

「ただし?」

「僕に謝るんじゃなくて、彼に礼を言うのが筋ってものなんじゃないかな?」

「あ……うん。ありがとう、リンク」

 

 リーバルの催促を受けたミファーは、彼に頼んでくれたリンクへ感謝の言葉を口にする。

 その言葉にリンクは『気にしなくていい』と言わんばかりに、首を軽く横に振った。

 

 すると、ふとウルボザが二度拍手し、皆の視線を自分へ注目させ口を開く。

 

「とにもかくにも、ここは一先ず引き上げだよ。いくらミファーが傷を癒せるからって、精神の疲労まで癒せる訳じゃない。ミファーの護衛は、きっちりやってくれる人が居る。あんまり長居しても、ミファーが疲れるだけだからね。私らは一先ず自分の部屋に戻るとしよう」

「おぅ、それもそうだな。きっちり休めよ、ミファー」

「さ、て、と……僕も、ハイラルの勇者様の頼みのために体力回復に努めなきゃならないからね。早々に眠らせてもらうよ」

 

 各々がミファーに別れの言葉を告げて部屋を去ろうとする。

 その際、悠然と部屋の隅に立っていたリンクを前に、もじもじと宝箱の方へ歩み寄ったり離れたりするミファーの様子を不審に感じたウルボザが、『あぁ』と声を上げ、リンクへ視線を向けた。

 

「リンク。済まないけど、ミファーと一対一で話したいことがあるから、少し部屋から出てくれないかい? なに、すぐに終わるよ。ミファーが心配なら部屋の近くに居てくれてもいいし……あぁ、そうだ。こんな時だ。一度、御ひい様に顔でも合わせにいったらどうだい? 一皮むけたみたいだけど、不安やらなにやらで緊張してるだろうからね」

 

 ゼルダを気に掛ける旨を勧められたリンクは、数秒思案した後、凄まじい速度で廊下に駆け出していった。

 一度、ナボリスで寝落ちしてしまったゼルダを迎えに来るようリンクに伝えたことがあるウルボザであったが、あの時も疾風の如き速さでやって来たものだ。

 

 成程、この足の速さであれば、当時の到着の速さが納得できるというもの。

 ウルボザはクスリと一笑し、漸くと言わんばかりにミファーへ顔を向ける。

 

「で、その宝箱」

「っ!」

「リンクに渡したいんだろ? でも、中々渡しにくいって顔してるね。なにかあったのかい?」

「そ、それは……」

 

 ウルボザの洞察力に驚嘆したミファーは、観念し、経緯を話した。

 日も暮れ、人と魔物の寝息も闇に呑み込まれる時間帯に、ポツリポツリ―――雨粒が滴り落ちるように。

 染み入るようなミファーの言葉に耳を傾けるウルボザは、その族長たる器の大きさで、真摯に彼女の話に耳を傾けた。

 

「ふぅん……詳しい内容までは聞いてないけれど、御ひい様がリンクのことを好きなのを知ってるから、うっかり耳にした話が告白なんじゃないかと思ってアンタは怖気づいたってことかい」

「はい……それで、頭の中がぐちゃぐちゃになって……」

 

 ミファーの背中を撫でるウルボザは、僅かに彼女の体が震えていることに気が付いた。

 耳をすませば、彼女が涙声になっていることも分かる。

 

「私……リンクのことが好きだけれど……姫様もリンクが好きだから……」

「ミファー……」

「お似合いだって思えるんです……リンクと姫様。私はゾーラ族……リンクはハイリア人……昔のゾーラの姫様はハイリア人に恋をしたって聞いたけれど、叶った恋かどうかまでは知らないし……それに」

「それに……なんだい?」

「想いを伝えて……彼が距離をとってしまうことになったら……もっと辛いって……」

 

 悲痛なミファーの心の声に、ウルボザは眉尻を下げた。

 確かに彼女の言い分も分からない訳ではない。

 しかし、ウルボザはそれを理解した上で、声を上げた。

 

「それは違うさ、ミファー。今アンタが言ったことは、リンクに想いを伝えない口実にしか過ぎない。ゾーラとゲルドを比べるのもアレだと思うが、想いを伝えるのに種族の違いなんて関係ないんだよ」

「でも……」

「『でも』じゃないだろう? 大事なのは伝えること。結果は後にならなきゃ分からないんだよ、何事も。言うだろ? 『やらない後悔より、やった後悔』ってさ。それに、アンタの真っすぐな想い……それを無下にするような扱いをしたなら、リンクもそれだけの男だったってことさ。本当にアンタを想う気持ちがあれば、例え……恋が成就しないことになったとしてもだよ。アンタを……ミファーを大切な仲間だと思って接してくれるハズさ」

「ウルボザさん……」

 

 母のような温かさで抱いてくれるウルボザに、ミファーはその震えた体を寄せる。

 

「……やるかはどうかはアンタ次第さ」

 

 そんなミファーへ、囁くようなウルボザの声が伝わった。

 

 『えっ』と声を上げるミファー。一方でウルボザは、そのまま悠然とした佇まいを崩さぬまま立ち上がり、しゃなりしゃなりと部屋から歩み去っていく。

 

「私……次第……」

 

 徐に宝箱の蓋を開け、中の鎧を指でなぞった。

 何分も、何時間も、何日もかけて丹念に気持ちを込めて繕った鎧は、海のように深い青と白波のような白銀の輝きを放っている。

 何度、この鎧を彼が身に纏う姿を想像したことか。

 それだけで心が躍り、大変な作業も苦ではなかった。

 時には、弟のシドに遊びをせがまれても、どうしても一度にやり遂げたい工程に差し掛かっていた時は、涙を飲んでシドに今度にしてくれるようお願いしたものだ。

 

 瞼を閉じれば、この鎧にまつわる思い出が鮮明に蘇る。

 

「……よしっ」

 

 鎧に込められた想い、無駄にするわけにはいかない。

 

 

 

 ミファーは鎧の前で指を組み、明日の自分へ祈りを捧げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅ……場所を指定しておいて、遅れるなんて……ちょっとだけ礼儀がなってないんじゃないかな?」

「まあ、そう言わないでおやりよ、リーバル。あの子にはやっておかなくちゃならない大切な用があるんだろうから」

「僕を待たせてまでやらなきゃいけないことねぇ……」

 

 腕を組み、苛立たし気に指のような羽の部分をトントンと動かし続けるリーバル。彼は現在、昨日ゾーラの里へと送り届けるとリンクに頼まれたミファーを待っていたのだが、一向にミファーがやってくる気配がなかった。

 朝食にて場所を伝えられた彼であったのだが、こうも長々待たせられるとは思っていなかったのだろう。流石に痺れが切れそうになっていた。

 

 しかし、それを窘めるウルボザ。

 横では、見送りに来たダルケルとゼルダの他に、本来ミファーの護衛にきた兵士がしきりにリーバルに対し感謝と謝罪の言葉を言い放っている。

 待つにせよ言葉をかけられるにせよ、そろそろ辟易してきた。

 

 早くミファーが来ないものかと辺りを見渡すリーバル。

 すると、視力のいい彼は、遠くに並んで歩んで向かってくるミファーとリンクの姿を見つけた。

 

「やっと来た……!」

「おう? おぉ、ホントだな! ん、相棒も居るじゃあねえか?」

「リンクもですか? あっ、ホント……」

 

 皆が二人に視線を注ぐ。

 すると、その視線に気が付いたのか、二人は小走りで皆の下まで駆けてきた。

 

 リンクは一切表情を崩さず息を切らさぬが、ミファーに至っては顔が茹で蛸のように真っ赤で、異様に息を切らしている。

 何事かと訝しむゼルダたちであったが、一人察したウルボザが柔和な笑みをミファーへ投げかけた。

 

「渡したのかい?」

「はい……」

「そうか。そりゃあよかった」

 

 端的な会話であったが、ウルボザはミファーの言葉に満足気だ。

 彼女たちのやりとりが何を意味するか分からぬ面々は首を傾げるが、そろそろ痺れの切れそうなリーバルを見かね、早々にミファーに別れの言葉を告げ始める。

 

「達者でなっ! 里で元気にやれよ! 折角なら今度、ウチの里に来て温泉でも入ってってくれ!」

「はい、ダルケルさん……」

「ミファー。私たち……私はリンクと共に、後にルッタの調査にまたゾーラの里を尋ねるつもりです。その時、また……」

「はい、姫様……」

「……別れの言葉は済んだのかい?」

「あっ……ごめんなさい、リーバルさん。遅れて……」

「……はぁ。生きてるんだし、また別の機会に会えるって考える僕が冷たいと思われるじゃないか。まあ、名残惜しくなる前に発ちたいって言うなら、今すぐ飛ぶよ?」

 

―――別れが済んでいないなら、まだ待つ。

 

 素直でないリーバルの言葉をしっかりと理解するミファーは、振り返り、リンクへ向けてフッと微笑みかけた。

 

「また……今度」

 

 それだけ口にするミファーへ、リンクは首肯して応えた。

 

 相も変わらず不愛想だ。そう言わんばかりに首をやれやれと振るリーバルは、準備が済んだ様子のミファーの様子に、両腕を広げる。

 

「さあ、背中に乗ってくれ」

「はい……うわぁ、温かい……」

「あぁ、言い忘れてた。空は寒いよ。ゾーラが寒さに強いのかどうか知らないけど、そんな薄着で大丈夫かい?」

「え……? あ、えっと……」

 

 徐にリーバルの背中に乗ったミファーであったが、空が寒い旨の説明を聞き、目を丸く見開いた。元々、装飾品や装備を身につける習慣はあっても、衣服を身につけるという習慣がないゾーラ族故、上空の寒さについて失念してしまっていたのだろう。

 

 最悪、温かい羽毛を持つリーバルに抱き着けばなんとかなりそうであるが、一族の王女に寒い想いをさせてしまうのは忍びないだろう。

 

 皆がそう考えるや否や、いつの間にやら消えていたリンクが、温かそうな防寒着を携え走って来たではないか。

 濃い緑色の防寒着。少々ミファーには大きそうなサイズではあるが、大は小を兼ねる。寒さをしのぐには差し支えないサイズであると言えよう。

 

 そんな防寒着をミファーに差し出すリンク。

 

「これ……いいの?」

 

 彼女の問いに、リンクは無言で頷く。

 

「……ありがとう」

 

 意中の人の優しさに触れ、胸が温かくなるミファーは、この熱が逃げてしまわぬ内にと防寒着の袖に腕を通す。

 服の内側のファーが心地よい。

 そしてほんのりと香ってくる香りが、否応なしにミファーの鼓動を早くさせる。

 

(リンクの……?)

 

 ハッとし、今一度リンクの顔を見ようとしたが、気恥ずかしさでまともに面を上げることができない。

 

「リ、リーバルさん……お願いします……」

「畏まったよ。ふぅ……他人を乗せてのリーバルの猛りは初めてさ。でもまあ、大船に乗ったつもりで居てくれ」

 

 背を向けているため、ミファーの顔を見ることができないリーバルは、羞恥心に悶えている彼女の様子に一切気が付かぬまま、上昇気流を発生させる特技“リーバルの猛り”の準備に入っていた。

 ミファーの腕がリーバルの首に回される。

 がっちりと捕まったのを確かめたリーバルの周りには、瞬時に竜巻のような気流が発生し、空へ空へと舞い登っていく。

 

「はぁっ!!」

 

 気合いの一喝が響けば、リーバルとミファーの姿はあっという間に空へと舞い上がる。

 

 地上で見送ってくれた者達の姿はどんどん小さくなっていく。

 小さく、小さく。

 遠く、遠く。

 お互い相手が見ることができなくなるほどに離れてしまっても、ミファーはジッと彼らが居た場所へ瞳を向けていた。

 

(これで……よかったよね?)

 

 里から持ってきた大事な贈り物は、もうミファーの腕にはない。

 確かに、意中の人へ鎧は贈った。

 

―――嘘は吐いていない。

 

(『あなたのために作ったの』……あの時のリンク、どう思ってくれたのかな?)

 

 ただただシンプルに贈った。

 想いは―――言葉にしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 厄災ガノン討伐を祝う式典が終わり、一か月経った。

 リンクからミファーへ連絡が届くことはない。それもそのはず、あの鎧にどのような想いが込められたものであるか、彼は知らないのだから。

 しかし、彼は真面目な人物だ。贈られた鎧を無下に扱うような真似をすることは、絶対にしないだろう。

 着ける機会がなくとも、部屋に飾るか、はたまた大事に宝箱に納めたままにするか―――そのどちらかだろう。

 

「ねえさま、げんきがないよ!」

「え……? ううん。そんなことないよ、シド」

 

 自室にて、一人で物思いに耽っていたミファーの下に、いつのまにやらシドがやって来ていた。

 コロコロと丸く可愛らしい外見であるが、父の巨体さを鑑みると、百年後にはそれは屈強な体つきになるのだろう。そう思うと、今の可愛らしい姿の内に、姉として存分に可愛がってあげたい気持ちに駆られる。

 

 姉の様子を心配してくれた弟の頬を撫でるミファー。

 嬉しそうにはにかむシドは、鋸状の歯を見せつけつつ、拳を握る。

 

「これからハイラルのひめさまがくるよ! げんきにしてないと、ひめさましんぱいしちゃう!」

「うん、そうだね。ありがと、シド」

 

 そう、今日は神獣ヴァ・ルッタの調査のため、ゼルダ率いる調査団がやって来る。

 一度、ドレファン王へ謁見するであろうから、必然的に王族であるミファーも彼女たちと顔を合わせることになるハズだ。

 厄災の脅威はされど、厄災にできるのは封印のみ。

 また、今後のハイラルにて厄災が復活しないとは限らない。ならば、一万年前の王家やシーカー族たちがしたように、自分たちも後世のために一つでも何かを遺していかなければならないだろう。そんな責任感の下、ゼルダは改めて神獣の調査に乗り出したのだ。

 

(姫様が来るってことは、リンクも……)

 

 意中だった人が来る。

 そう思うと、ミファーは僅かに顔を合わせ辛いと苦笑を浮かべた。

 だが、この気持ちは一方的なものだ。事情を知らないリンクに対し、避けようとする態度をすることは失礼というもの。

 それに、あのような形で鎧を渡したのは他でもないミファー自身だ。これこそ自業自得というもの。

 

 詩を嗜むリト族が名をつけるなら、『英傑の哀歌』といったところか。

 

 なんにせよ、自分の初恋は苦い形で終わったと、ミファーは自分に言い聞かせた。

 これからは我儘を言って心配させてしまった家族のために生きていこう―――そう誓ったのだ。

 

『ミファー様。そろそろ、ハイラルの姫君がやって来る時間ゾラ』

「……はい」

 

 ふと扉をノックする音が響いた。どうやら、教育係のムズリが迎えに来てくれたようだ。

 シドの手を引き、王の間へ向かうミファー。

 

 エラが塞がるような思いだ―――ミファーは、憂鬱をため息として吐き出す。

 だが、待ち受けていたのは彼女の思いもよらぬ展開だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(……なんで、リンクと……)

 

 風が心地よい。

 程よく湿気を含んだ風は、現在進行形で火照る体の熱を奪っていってくれる。だが、それ以上に隣の“彼”の香りを運ぶため、一行に気が落ち着かない。

 

 ミファーとリンクは、ヴァ・ルッタの背中に居た。

 厄災復活前に、何度かゾーラの里に来たリンクとはここで話をしたものだ。また遊びに来てくれるかと、子供のような願いを告げたのも、このルッタの背である。

 

『私はちょっと一人で調べたい気分ですので、リンクはミファーと話を……っ!』

 

 やけに上ずった声でリンクに言い聞かせていたゼルダの様子が、印象的だった。

 どこか様子のおかしいゼルダは、リンク以外の近衛騎士を連れて、神獣内部にて調査の真っただ中である。

 その間、ミファーの応対に任されたのがリンクなのだが、正直に言ってミファーにとってはどのような話をすればいいものかと悩みものだ。

 

「えっと……リンク?」

 

 無口のリンクと語る時は、まずこちら側から話題を提示しなければならない。

 長い付き合いのミファーをそれを理解してか否か、複雑な心境ながらも口火を切った。

 

「鎧……気に入ってくれた?」

 

 当たり障りない質問をしてみたつもりだが、リンクは非常に神妙な面持ちで俯き始めるではないか。

 刹那、ミファーの脳裏に悪い予感が過った。

 まさか、お世辞を言うことさえできないほど出来が悪かったのではないか? 具体的に言えば、どこかが損傷していたり、そもそもサイズが合っていなかったり……考えられる可能性は数えきれない。

 

 サァっと顔から血の気が引くミファーは、真摯なリンクの視線から逃げるよう、顔を彼から逸らしていく。

 

 だが、逃がさぬと言わんばかりに、咄嗟にリンクが動いた。

 

「……?」

 

 ふと視界に入ったのは四角い箱だ。

 リンクの手にすっぽりと収まってしまうほどの小さな箱を差し出され、ミファーは瞳をぱちくりさせる。

 

「まさか……私に?」

 

 リンクは頷いた。

 

 どうやら杞憂だったようだ。

 大方、贈ってくれた鎧のお返しに持ってきてくれたものだろうとあたりをつけたミファーは、ホッと安堵の息を漏らしつつ、差し出される箱を手に取る。

 

「開けてみてもいい?」

 

 訊けば即座に頷き返すリンク。

 彼には珍しくそわそわしている様子だが、贈り物のお返しにそわそわするなど子どものようだと、ミファーは少しだけ懐かしい気分になる。

 懐かしさと嬉しさに板挟みにされたミファーは、頬を緩ませつつ箱の蓋を開けた。

 刹那、箱の中から放たれた眩い光に、ミファーは思わず目を細めてしまう。何事かと思いつつ顔を傾ければ、燦々とした日光を照らし返す装飾品―――指輪らしき物が目に映った。

 

 目が眩むほどに太陽の光を照らし返す光沢。恐らくは、ゲルド族の腕利きが作ったのだろう。

 

「……綺麗」

 

 はぁ……、と漏れるような息遣いをしつつ、箱の中に収められていた指輪を手に取り、空に翳すミファー。

 指にはめる為の環の部分は金。そして、吸い込まれそうな青色を放つサファイアが三つほど、輪を描くようにつけられていた。

 まるで、ハイラル城で目にした三つ鱗紋―――『黄金の聖三角形(トライフォース)』のような形だ。

 どのような角度に傾けても、何面も磨かれたサファイアは光を反射する。

 指輪を作った職人もそうであるが、このように素敵な指輪をお礼に贈ってくれたリンクにも感嘆するミファーは、愛おしそうに指輪を様々な角度に傾けた。

 

 すると、ふと指輪の内側に『ミファー』と名前が刻印されているのが目に入る。

 

「うわぁ……ありがとう、リンク……! 私、凄い嬉しい……ずっと大事にするね!」

 

 嬉々として指輪を適当な指にはめたミファー。

 しかし、リンクは何か言いたげな顔で頭を掻き始める。

 その様子の意図を察せぬミファーは首を傾げるが、意を決した様子のリンクがミファーの指輪を一度外し取り―――左手の薬指に嵌めた。

 

「リン、ク……?」

 

 突然の出来事に、ミファーは言葉が上手く出てこない。

 種族によって文化に差異があるのは、既知の事実だろう。だが、例え他種族の文化であっても知っていることはある。

 今回、ミファーはリンクの行動が何を意味するかを理解していた。

 

 薬指は、神へ神聖な誓いをする指と言われている。

 指輪をつける時は、専ら婚約を交わす……もしくは結婚した者が結婚している事実を周囲へ知らせるためだ。

 

 つまりはそういうこと。

 

「知、ってたの……鎧……?」

 

 途切れ途切れになりながらも問う。

 するとリンクは、気恥ずかしいのか頬を紅潮させながら、経緯を語り始める。

 

 受け取った最初こそ、ゾーラの鎧は単なる贈り物だと考え、大事に部屋に飾っていた。

 だがしかし、偶然リンクの部屋に訪れたゼルダが、味気のない部屋で一際異彩を放つ鎧の存在を目の当たりにした時、語気を強めてリンクに詰め寄り―――

 

『ゾーラの王女がこの鎧を贈ることは、その……ミファーはリンクに恋心を抱き、それも婿に迎え入れたいほどと言っているようなものなのですよ!?』

 

 その事実に困惑したリンクが、任務の関係上ゲルドの町にたどり着き、ウルボザに相談すれば、

 

『ゲルドのヴァーイは兎も角、あの子が一生懸命勇気を出して渡してくれたんだ。ここでなにも反応を返さないってなら、ヴォーイがすたるってもんだよ!』

 

 と、怒鳴りつけられた。

 さらに、別の機会にリーバルと会えば、

 

『はっはっは! 女性にプロポーズさせて、あまつさえそれがプロポーズだと把握していなかったなんて……愚の骨頂だよね』

 

 皮肉たっぷりに罵られた。

 ついには、妻子持ちのダルケルにさえ、

 

『見損なったぞ、相棒! 俺ァ、オメーがそんな義理を返さない男だとァ思わなかったぜ!!』

 

 これが決定打となった。

 仲間たちに散々言われたリンクは、ミファーの想いを知り、今日やって来たのだ。

 そして出した答えが、指輪を渡すというもの。

 それが何を意味するかは火を見るよりも明らか―――ゾーラ的に言えば、あぶくを見るよりも明らかと言ったところ。

 

 依然としてリンクの答えを信じられないミファーは、大きく目を見開かせ、リンクを見つめる。

 

 ジッと、ジッと―――見失わぬようにと。

 

「い、いいの……?」

 

 リンクは頷く。

 

「私はゾーラで……あなたはハイリア人で……」

 

 リンクは尚も頷く。

 

「生活とか……色々違うところもあると思うし……」

 

 頷く。

 

「それに……それに……私はリンクが好きだけど……」

 

 無意識の内に零れる雫が、ミファーの薬指の指輪を濡らす。

 

「本当にっ……私で……―――」

 

 絞り出すような声で想いを紡ごうとしたミファーであったが、リンクが震える彼女を優しく抱きしめる。

 

―――『ミファーがいい』。

 

 そう彼が囁いた瞬間、ミファーは涙滂沱として禁ぜず、リンクの柔らかな熱に抱きかかえられながら、胸に中に押し込んでいた想いを吐き出すように泣き始めた。

 みっともない姿だ。とても王女の姿とは思えぬと自嘲する考えが脳裏を過ったが、この愛おしさを前にすれば些細なものだ。

 

 彼は自身の弱さごと抱きしめてくれる。

 たったそれだけのことで、どれだけ救われたことだろうか。

 ミファーはリンクの胸を借り、強く、強く、強く抱きしめる。

 

 その間、リンクがふと語ってくれた。

 ゼルダが、厄災ガノン討伐の祝賀の式典が終わった後、自分の近衛騎士を辞めてもいいと言ったことを。

 

『リンク、あなたも好きに生きていいのです。これからの私がそうなっていくであろうと同じで、あなたもまた……』

 

 王家の姫として背負わされた義務から解き放たれた彼女の言葉は、非常に重かったと言う。

 だが、ハイラル王家に忠誠を誓っていたリンクとしては、わざわざ近衛騎士を辞める理由がなかった。

 しかし、その後、一人の少女の想いを知り、近衛騎士で在り続けていいものか揺れ動いたのだ。

 

 そして結果は―――今のこの光景が全てを語っている。

 

「リンク……」

 

 目の前に居る彼を抱きしめるミファーは、今一度彼の顔をジッと見つめる。

 気恥ずかしそうに一旦瞳を逸らすリンクであったが、すぐに真摯な視線を送ってくるミファーの瞳を見つめなおす。

 

 ミファーの瞳にはリンクが。

 リンクの瞳にはミファーが。

 

 互いの顔が瞳に映る中、二人はごく自然に顔を寄せる。

 

 

 

―――愛してる。

 

 

 

 風に溶け込む囁き。

 それがどちらが言ったことなど、唇に伝わる熱を逃がさぬよう重ねている二人には関係ないことだった。

 抱く想いは同じ。

 ただ、この一瞬の愛おしさを永遠の思い出をするべく、愛を育む。

 

 真下では、ヴァ・ルッタが鼻を天高く掲げ、瀑布のような水を拭き上げている。まるで二人を祝福するかのような勢いだ。

 霧散する水は、そのまま二人の下へ降り注ぐ。

 その際、宙に見事なまでに七色を描く虹は、二人をその輪の内に包み込んでいた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 これは あったかもしれない ひとつの恋の物語

 



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