途中で書き詰まってしまい、大変時間がかかってしまいました。
申し訳ありません。
それでは、どうぞ。
目を開けると、夢に入る前にはなかった光が目に入った。
少し眩しくて、数度目を瞬かせる。
どうやらそれは朝日が部屋に差し込んでいるからのようで、夢に入った時間から、既に数時間は経過したことを表していた。
若干俯きがちになっていた背を伸ばし、座ったままだったからか凝ってしまった筋肉を動かせる範囲で解しながら、幽香は周囲の状況を確認した。
時間は朝。日の光の角度や色を見るに間違いはないだろう。
少し距離を置いたところに、自分と同じように寝起きのような仕草をしている紫。果てしない違和感を感じるが、自分と一緒に夢に潜っていたのだから、寝起きだとしても不思議ではない。
そして、腕の中に感じる少々高めの体温。
自分にもたれかかるように脱力し、規則的な寝息を立てる少年の姿があった。
繋がれた手は微かに力が篭っており、その弱々しくもしっかりとした少年の力が、どうしようもなくくすぐったい思いを感じさせる。
それにしても、
「……首が痛くなりそうな恰好ね」
もたれかかるように体重をかけていたということに加え、幽香自身も若干俯きがちになっていたからか、少年は幽香の上を滑って体の半分以上が投げ出されており、しかし中途半端に上半身が起こされているからか体の殆どは横になっているというのに首から上は立っているという体勢であった。どうやら、少しずつ滑り落ちているようでもあった。
空いていた手を少年の脇に差し込み、引き上げる。
だが、やはり片手では安定せず、少年が軽く呻いた。
「ん……ぅ?」
「あら、起こしたかしら?」
「ああ、いえ、大丈夫です……」
のろのろと身を起こそうとする少年。
眠たげに半分閉じた目で、今の自分の体勢を理解し、幽香の姿を認識し、次いで覚醒したらしき紫の姿を認識し、ゆっくりと身体を起こそうとすれば首の痛みからか変な位置で停止し、そして再度動き出す。
んんーという言葉と共に身体を伸ばし、振り向き、幽香と向き合う。
「幽香、さん……」
「おはよう、何かしら?」
おはよーございますと、未だ眠気の抜けていない声色で挨拶を返し、しかしその状態から動かない少年。
一分、五分と経ち、そろそろその倍の時間が経とうかというところで少年が動いた。
ちなみにその間、紫は面白そうに二人を観察しているだけであった。
「……幽香さん」
「なに?」
「幽香、さん」
「ええ」
「幽香さん」
「聞こえているわよ」
何度も、何度も幽香の名を呼ぶ少年。その都度、しっかりと返事をする幽香。
少年は何度も何度も彼女の名を呼んだ。
幽香は何度も何度もその呼びかけに応えた。
そこにどんな意味があるかは分からない。いや、そもそも意味があるのかどうかすら怪しい。
だが、少なくとも二人の間には何かはあった。
「――幽香さん」
「どうしたの?」
「僕は」
いつの間にか、眠気は綺麗さっぱり抜けている眼差しで、少年は真っ直ぐに幽香の眼を見詰めていた。
「ここにいます」
「そうね」
「私も、ここにいます」
「知っているわ」
「俺も、ここにいます」
「分かっているわ」
「――僕は、貴方の傍にいます」
「――ええ、貴方は私の傍にいるわ」
おいで、と言うかのように幽香は少年に手を伸ばした。
普段の彼女からは滅多に見られない慈愛に満ちた笑みを湛え、飛びつくようにその腕に飛び込む少年を抱き締め返し、その銀にも近い純白の髪を持つ頭を撫でる。
少年の存在を自分に、自分の存在を少年に、何度も髪を梳き、刻み付ける。
少年の居場所はここだと。貴方はここにいていいのだと。
違う。
少年の居場所は、自分の腕の中であるべきなのだと。
もう独りになんかさせない。させるものか。彼は、彼女は、白髪を持つあの子供達は、もう十分過ぎる程に孤独に傷付けられてきた。これ以上、傷を増やす必要も、痛みを我慢する必要もない。
その傷も、痛みも、自分が癒してみせよう。
「うああぁぁ……えぅっ……幽香、さん……ゆうか……さん………っ」
何度もしゃくりを上げ、肩を震わせ、涙を流しながら、幽香の名を呼ぶ少年。
少年が何を思ってこのような言動に至ったのかは幽香には分からない。幽香や紫が少年の夢を辿って記憶と傷を遡った時に、少年もまた同じ夢を見ていたのかもしれないし、全く違う夢を見ていて何か少年の心に響くモノがあったのかもしれない。そもそも夢とは定義できない摩訶不思議な現象であった可能性もなくはない。
それでも変わらず言えることは、少年は今幽香を求めているということだ。
この腕の中の温もりを、ここにいてもいいのだという安心を、少年は欲している。
ならば幽香は、ただただそれに応じるまでだ。
(――ん?)
ぞわり、と心が波立った。
直後、ある感情の奔流が幽香を襲った。
(っ!?)
その感情の名は、喜び。
確かに今自分は言葉にできない程の歓喜に満ちているのは認めよう。こうして少年が自分の腕に来ることを拒まなくなったのだ。嬉しくない筈がない。
だが、これは異常だ。
今感じている喜びは、自分が抱く歓喜とは何かが違うような気がする。
そして、気付いた。
(これは……この子から?)
なんとなくだが、力の流れを感じる。腕の中の少年から、自分へと流れる力が。
妖力ではない。法力とも違う。霊力ですらない。
この力は一体何だ?
……いや、どうでもいい。
彼が何であれ、自分は傍に居ると誓ったのだ。どんな力を持っていようが振るおうが、それで何か変わるわけでもない。変化することはないのだから、気にする必要もない。
そう結論付け、いまだ感じている二つの喜びに浸っていると、存在を半ば忘れていた紫が口を開いた。
「良かったわね、幽香。この子はもう、貴方の傍が自身の居場所だと認めたわ」
「わざわざ言わなくてもいいわよ、そのくらい」
「つれないわねえ。本当は嬉しいくせに」
「勿論。狂いそうなほどに嬉しいわ」
「あら」
幽香の発言に、紫は目を丸くした。
紫にとっては揶揄い半分で言った台詞であったし、幽香もまたそれを分かって適当な返答をするだけだろうと思っていたのだが、返ってきたのは予想に反して紫の言葉を紫以上に肯定する内容だった。
幽香の表情は変わらない。現在進行形で涙を流す少年の頭を撫でたまま、薄い笑みを浮かべている。
親子……というよりは、姉弟に近いその姿に、紫もまた嬉しそうに目を細めるのだった。
(良かった……本当に、良かったわね)
その思いがどちらに向けられたものなのか……語る必要はあるまい。
こじんまりとした部屋に、少年の泣き声が響いた。
◇◆◇◆
一つ、話をしましょうか。
とある人形の昔話を。とある異形のお伽噺を。
そんな胡乱げな眼をしなくたっていいじゃない。ただ懐かしくなって、なんとなく思い出しただけよ。別に意味も目的もありゃしないわ。
とある山奥に、小さな村がありました。
村人達は皆懸命に働き、裕福ではなくともそれなりに落ち着いた日々を過ごしていたわ。立地の関係上他との交流も少なく、さらに日常に必要な殆どの物品をその村で賄えていたのもあって、その暮らしが大きく変化することもなかったの。
でも、そんな村人達にだって恐れるものがあった。
田畑を荒らす害獣や天災? まあそれもそうなんだけど。人間達の恐怖の対象と言えば、私達みたいな妖怪、人外の類でしょう。
その村人達も、普通の人間と変わらず妖怪を恐れていたのよ。
でもある日、ある子供が生まれたわ。
成長し、赤子から童と呼ぶようになるくらいになると、その子はとても強い正義感を持つようになったの。
それと同時に、彼は行動力があり、才能と肉体に恵まれていた。
妖怪に恐れる村人達を憂い、襲われる理不尽に怒り、まだまだ非力で無力な自分を嘆いた彼は、強さを求めるようになったわ。
ただただ自分を鍛え上げ、追い込んでいった。
彼が大人と周りに認められる頃には、村一番の強さを持った男として、頼れる存在になっていったのよ。
時に山に入った者の護衛を、時に偶然入り込んでしまった獣の退治を。
――そして時に、村人を脅かす妖怪の討伐を。
その村に陰陽師だとか、そういう専門知識を持った存在はいなかった。他との交流もなかったからわざわざ助けを呼ぶにも労力と時間がかかり過ぎる。だから、必然、彼にそういった荒事が回ってくるようになったのね。
彼も、元々その為に強くなったのだから、それを拒むことはなかったし、実力もきちんとあったからそこらの野良妖怪程度に敗けることもなかった。
最初の頃はその力強さを見込まれて力仕事を任されることも多かったけれど、次第にそれも少なくなっていってしまったわ。
恐ろしいわよね。ただの腕っぷしの強さだけで妖怪と渡り合うなんて。
やがて彼は英雄と崇められ、戦士として讃えられた。
若干不愛想ではあったけれど、それを気にするような人間はいなかった。
さらに彼は無欲であった。村人達の安全だけを望み、贈られるお礼やお供え物は生活に最低限必要なものだけ受け取り、他は拒んでいたわ。
さて、そんな彼にも転機が訪れたの。
そんな妖怪退治と偶の力仕事をこなしていたある日、一人の女性を拾ったの。
その女性はとても美しかったわ。見るもの全てを惹き付けるような美貌と、少女のような純真さを兼ね備えた、不思議な魅力を持った女性だった。
拾ったって言い方はアレかしらね。普通に出会った、とかにしときましょうか。まあどのみち同棲することになるんだから拾った、でもあながち間違いでもないんだけれど。
ともかく。
そんな美しい女性であったけれど、村人達はその女性を歓迎しなかった。理由は簡単。そんな何処から来たのかも分からない、出自も不明の存在なんて、良くも悪くも閉鎖的だったその村の社会には馴染めなかったのよ。
でもね。彼だけは違った。
村人達に拒絶されていたその女性を、彼は引き取ることにしたの。どうやら彼女は記憶障害を起こしていたらしく、帰る場所も住む場所もないと分かったら、彼は一時的に、という条件で引き取ったのよ。
村人達の反応は様々ね。女に絆されたと非難するものもいれば、まあ彼ならばと納得するものもいた。中には、ようやく女が出来たかと囃し立てる人もいたわね。
彼の家は村の中心部からは少し離れた所にあって、仕事を頼む時以外は村人もあまり来ないから、丁度良かった、ていうのもあったかもしれないわ。
そして、彼と彼女の生活が始まったってわけ。
彼女はどこまでも人間だったわ。命が散ることを誰よりも悲しみ、新しい命が誕生すればまるで当人達のように喜んで、辛いことに涙して、嬉しければ笑う。どこまでも普通の人間だった。
彼もまた、そんな彼女を見て変わっていったわ。彼女が泣いていれば慰めて、笑っていれば共に笑う。自分でも気付かない内にその女性に惹かれる程には、一緒に時間を過ごしたの。
そうやって少しずつ変わっていく彼を、最初は女性を訝しんでいた者達でさえ、村人達は歓迎したわ。
さて、ここで少し時間が飛ぶわ。
彼と彼女はただただ平穏な毎日を過ごしていた。男の方はいつも通り妖怪退治もこなし、女性はそんな彼を家で待っては料理をしたり怪我の治療をしたり、村人からはまるで夫婦だと言われるような生活を続けていた。そのまま何年かの時間が経ったのよ。
そしてある日。一つの噂が村で流れ始めるの。
『あの女性は人の道を踏み外したものである。この村の英雄を誑かし、自らの安全を手に入れたのだ。早急に討伐せねばならない』ってね。
閉鎖的な村だったからね。噂が広まるのは早かったわ。一週間も経てば村人全員がその噂を知っているくらいには。勿論、当の二人にもね。
その噂を信じる者は最初は少なかった。でもね、この噂を流した人物が少々特殊でね。
都の方からやってきた、ていう陰陽師だったのよ。
さっきも言った通り、その村に陰陽師のような専門職といったものはない。でもそこは彼のお陰で必要がなかったのね。
でもある日やって来た陰陽師がそう言った。ここで専門的知識を持った人がいない、っていうのが裏目に出たの。
その陰陽師の言葉の真偽が判断出来なかったのよ。
今まで過ごしてきてあの女性に敵意や害意が無いをは思っていた。だけど専門の人が言うのならば違うのかもしれない、ってね。
勿論女性は反対したわ。私は確かに怪しい存在かもしれないけれど、決して悪意は持っていない、って。でもそれが女性本人の口から言ったところで、陰陽師は逆にこう言い返すわけ。
騙されてはいけない。自分が攻撃されないよう、嘘を吐いているのだーって。
じゃあ男の方はどんな行動を起こしたのか。
てっきり女性を弁護するものなのかと思ったら違う。彼は村人と陰陽師、そして女性に向かってこう言ったのよ。
『その御仁がそう言うのなら彼女は確かに人外なのだろう』って。
でもね、その後にこう続けたの。
『だが、決して誑かされたのでもなければ、彼女を討たねばならない存在だとも決して思わない』ってね。
勿論陰陽師も反論したわ。その言葉こそ、妖怪に誑かされている証拠ではないか、って。
でも彼はただ、『仮にそうだとして、彼女が来る前に比べて何か変わったか』とだけ言い残して、女性を連れて家に帰ったわ。
村人も、結局は信頼の差か、殆どは陰陽師の話を聞き流すことになった。
そう。殆ど、がね。
陰陽師の言葉を信じるものだっていたのよ。それは男が英雄視されているのを良く思っていなかったり、女性への不信感を募らせている人だったり。まあ村人だって人間だもの。全員が全員良い感情を持っている訳無いわよね。
変化を明確に感じ取り始めたのは、さらに数か月が経った頃。陰陽師は空き家に相変わらず居座っていて、若干妖怪退治の依頼が減りつつあった男も、村から離れた生活とは言え、女性と一緒に平穏に暮らしていた。
ただある日、男はとある違和感を覚えたの。
村の人々から向けられる視線が変わっている。
もとより何となくとは言え変化は感じ取っていた。ただ、それがその日になってはっきりしてきた。
感じ取るのは恐怖。畏怖。不信。
だけど、それも仕方がないことだろうとも男は思っていたわ。妖怪退治を続けていれば、いずれそうなることは読めていた。
妖怪と言う人智を超えたものを生身で討伐しているんだもの。その力を恐れ、人と言う尺度で測れないものと遠ざけ、その力は果たして自分達に向けられないかと疑う。
今までは男の人格が認められてたからか、そういったことは見受けられなかったけど、最近になって目に付くようになった。それが今まで見えてなかったものが表面化しただけなのか、村人達の中で何か心情の変化があったからなのか、男には判断が付かななかったけれど、性格の所為かそれを気にすることもなかったわ。そうなるのも自然だろう、ってね。
だけど、その変化を不審に思う存在もあった。
男と一緒にいた女性ね。
男の方はこの変化を仕方のないことと静観していたけれど、女性にとってはそれは異常だった。
ついこの前までは普段通りであったというのに、ここ最近になって急に表面化するのはおかしい、って。普通に考えればその通りなんだけど、この時第三者の視点を持てたのは彼女だけだったのね。
だから調べたわ。男の方があまり良い目で見られていない以上、自分はもっと酷いだろうて思い、密かに、隠れて、目立たないように調べ上げた。
すると、一人の人間の存在が浮かび上がってきた。
変化が急に訪れたのなら、その変化はこの村にとっての異端分子が原因であるのは明確。
そう、あの都から来たという陰陽師ね。
どうやらこの陰陽師が裏で何か工作しているらしい。村人の中で男の認識を改悪させ、自分を敵対視させる。その先に目指すのは陰陽師自身の立場の安定か。
取り敢えず大まかにここまで調べ上げた女性は、すぐに男に報告したわ。
でも男は、
『気にしない。いずれはそうなっていた結末だ。それが早まっただけのこと』
って特に動こうとはしなかった。その頃には、村人から依頼が来ることも殆ど無くなり、自分の持つ畑や山菜で採れたもので食を繋ぐような状況になっていたのにね。実際のところは殆ど生活の内容自体は変わっていないのだけれど、取り巻く環境が激変していた、という訳。
そして、男の方が動く気が無いというのなら、自分が動かなければならないと思った女性は、どうにか陰陽師の粗を見つけられないかと一人で動くようになった。
でも、それも遅かった。
陰陽師は既に村の中で自身の立ち位置を盤石なものにしていて、つまりは外堀を完全に埋めた状態で、最終段階としてはっきりと男と女性を陥れにきていた。
彼女はそれを打開する術を持っていなかった。大っぴらに動けない彼女には、裏から崩すことしかできないというのに、既にそれが手遅れとなってはもう為す術は無かった。彼女はただ、段々と壊れていく男を取り巻く環境を、陰陽師の思うように動いていくこの状況を、指を咥えて眺めていくしかなかったの。それをどうにか打開しようにも、彼女にそれだけの影響力はなかった。
だから、終焉が訪れるのは早かった。
焦げたような臭いと、妙な明るさを感じた。
既に誰もが寝静まった夜中。人間の生活する時間はとうに終え、妖怪跋扈の時間帯。
目を開け、むくりと身を起こし周囲を見れば、すぐに臭いと明かりの元は判明した。
家が、燃えている。
一瞬、妖怪の仕業かと思ったが、そもそも妖怪ならばこのような遠回しな方法を取らず、単純に寝込みを襲えばいいだけの話だし、もしそんなことになろうものなら自分はその気配や殺気を感じ取ることが出来る。事実、以前はそういうこともあった。
だが、覚醒した今でも妖怪の気配を感じ取れないとするならば、この事態を招いたのは人間だということになる。
居候のあの女性のことも一瞬頭を過ったが……誰かを憎んだことのないようなあの性格では、このようなことが出来るとは思えなかった。
「……そうか」
一言、溢す。
「――そう、か」
覚悟を決めると同時、家の壁が吹き飛んだ。もう崩壊が始まっているこの家では、その際の轟音はあまり気にならなかった。
開いた穴に視線を移すと、聞き覚えのある女性の声がした。
「だ、大丈夫かしら!?」
「む……今日も外に居るのなら良かったと思ったんだが、戻って来たのか」
穴から身を出した女性は、部屋の中央で座り込むこちらの姿を確認すると同時、飛ぶように寄ってきた。
必死の形相の彼女は、こちらの腕を掴み、必死に開けた穴へと持っていこうとする。
だが、動く気はない。
それを察した女性が、驚愕の表情で詰め寄った。
「ど、どうしたの!? ここに居たら死んでしまうわ! 気付くのが遅れて、家はもう諦めるしかないけど、今なら貴方は助かる! 裏にあの胡散臭い陰陽師がいた。貴方はここで死を受け入れる必要なんてない!」
「いいんだよ」
優しく、自分の腕を掴む彼女の手を払う。
手が離れると、軽く彼女の身体を押してやる。
お前だけが、逃げなさい、と言うように。
「いつかはこうなっていただろうさ。確かにあの陰陽師に扇動されていたんだろうが、それを踏まえて彼らは俺を討つことを選んだんだ。ならば俺はそれを受け入れるよ」
「どうして!? 村人達は言わば一種の洗脳状態、思考誘導されているような状態というだけ! 貴方が選ばれなかったとか、陰陽師を選んだとか、そういう話じゃないのよ!?」
「そういう話さ。俺には討たれるような要素が揃っていたから、彼らを誘導することが出来た。要素が揃っていたのなら、いずれはこうなっている可能性は高かった。ほら、お前だけでも逃げな。お前なら逃げれるだろう?」
「だから……!」
「行け!」
「っ」
一言、強くそう命じると、彼女は息を呑み、一歩、また一歩と穴へと後退りしていく。
普段殆ど動かさない表情を必死に動かし、最期はせめて笑おうかと、彼女に笑みを見せる。
そういえば、こうやって笑うのもいつ以来だろうか……。
彼女はなぜかそれを見て辛そうな表情をしてしまった。自分としては、笑えとまでは言わないが、少なくともそんな顔で別れを告げたくないのだけど。
ああ、そういえば、最期だと言うのなら。
「なあ」
「な、何?」
「愛している」
言い終えると同時、彼女の姿が目の前からいなくなる。
姿が消えたと認識する頃には、嗅ぎ慣れた彼女の匂いが、見慣れた彼女の髪が、すぐそこにあった。
唇には柔らかな感触。
珍しく、イマイチ状況が分からないと困惑していると、彼女の身体は離れた。
「――私も愛しているわ、
「――ああ」
涙を浮かべながらも精一杯の笑顔を見せた彼女の顔に、自然とこちらも口角が上がる。
無理のない、自然な笑顔を今度は浮かべることができていたはずだ。
最期になってしまうのだから、やはり別れはこの方がいい。
いつの間にか家の中から姿を消した彼女の名をもう一度呼び、死を迎えるとしよう。
「じゃあな――
直後。
轟音と同時に灼熱が身を襲った。
◇◆◇◆
「――そして、男に助けられて女性は村から離れて逃走。男は焼け死に、村人と陰陽師だけが残ったって訳」
「……それで?」
紫がそう締めたので、そもそもの疑問をぶつける。
何故自分にそのような話をしたのか、だ。
「いやまあ? あの子に風見の名を与えてそれなりに経ったし、なんとなく思い出したから話しただけよ?」
「その話をする必要性のことなんだけど」
まあ、何となく分かる。
間違いなくあの子の出自に関する話だ。
紫はあくまでも昔話と言う体だからか個人名や姿形の情報は一切出さなかったが、女性が何かしら人外の類というのは推測出来るし、男もまたそれを分かったうえで彼女を愛したのだということも。
そして、紫は意図的にその情報を隠していたし、その上、
「それで?」
「うん?」
「話はそれで終わりじゃないんでしょ? その後はどうなったのよ」
紫は数度目を瞬かせると、薄く笑って口を開いた。
「――男が死んだ後、とある噂が立つようになったわ」
「…………」
「白い髪を持つ幼い子供。その髪は男と一緒にいた女性の髪色に酷く似ていて、村人達は口々にこう呼んだわ。――『呪われた子』ってね」
沈黙。
正真正銘、今の話でこの昔話は終わったのだろう。
だが、その呼び名には聞き覚えがあった。
そう、それは――あの少年が、かつて呼ばれていたという名称にそっくりではないか。
いや、気にすることなどない。そう呼ばれていたのは昔のことで、今はもう、彼自身の名前を与え、孤独からも脱したのだ。今の昔話と後日談を聞いたところで、何かが変わるようなことでもない。
「最初から何かを隠しているとは思っていたけど……このことだったのね」
「あら、何のことかしら?」
クスクスと笑う紫の顔が非常に腹立たしかったので思い切り睨みつけてやる。
だがあまり効いた様子でもなかったので、視線を外し、溜息を一つ溢して、すかっり温くなってしまったお茶を口に含む。
日本のお茶とは全く違う風味に最初は慣れなかったものの、今ではすっかり慣れ親しんでしまった。あの子も、美味しい淹れ方を研究中らしい。
と、そこで話題のあの少年の嬉しそうな声が耳に届いた。
「紫さん! お姉ちゃん! 出来ました!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる白髪の少年。
その手には人の形を模した紙が握られており、額には軽く汗が浮かんでいた。
その紙は、簡易的な式神。
紫が与え、訓練させていたものである。
「見ててください!」
少年は手を開き、式神を掌に乗せる。
数秒少年が念じるように唸ると、その式神がゆっくりと宙へ浮かび、少年の周囲をぐるぐると旋回し始めた。
その様子に、紫と幽香は驚嘆する。
「流石ねえ。才能はあると思っていたけれど、まさか数刻でここまで出来るとは思っていなかったわ」
「式術以外にも才能を開花させてるし、教えておいて正解だったかもしれないわね」
幽香は、少年へと手を伸ばし、褒めるようにその頭を撫でた。
「凄いわね――
昔話の場面で、必要最低限の情報は出せた筈……。
昔話の前後で、現在の時間が一気に進んでいます。
次回は、その間の出来事を書いていくかと思います。
それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。
そもそも神綺様ならどうにかできたんじゃね? っていう疑問は遥か先で回収されると思います。何で出来なかったかを今の三人では知り得ることが出来ませんしね。
(11/19 紅茶の部分を訂正。時代的に考えてこの時に紅茶は流石に無理がありすぎる)