東方心届録   作:息吹

11 / 16
 一段落。

 っていうかこの前書き書いてるの三回目なんですが。エラーで投稿できなくて消えちゃったんで書き直しているんですが。何故だ。(後でクリック場所間違えてたことが発覚)
 とりあえず一段落です。
 正直、深夜どころか徹夜テンションで書き上げたものばかりですので、当初の予定よりだいぶ離れたものになっているような気がしなくもない。
 後で読み返して、「あ、あの情報書くの忘れた」とか「伏線忘れてた」、もしくは「回収してねえ!」ってなるんですよね知ってますとも。

 それでは、どうぞ。


第11話

 少年が幽香に真に心を許したその日の夜。

 幽香の姿は、少年の家の屋根の、さらにその上に在った。

 虫や獣の鳴き声に、木の葉が風に揺れたり擦れたりする音が夜の静寂に響き、頭上には、雲一つない、遮るものの無い満天の星が輝いていた。

 いずれ季節が過ぎ、動植物の音は絶え、こうして外に居ては凍える程の気温になってしまうだろう。しかしそれは、死と終焉ではなく、次の生と誕生の季節への準備期間である。

 その先には花が咲き誇る。さらに先には緑が生い茂る。もっと先には紅や黄といった色に染まり、また、散らす。

 人間達はこうしたことに何かと酒を飲む理由を欲するようだけれど……まあ確かに、今なら、風情というものが少しぐらいなら理解できるのかもしれない。

 幽香はこちらを見下ろす月を見詰め、そう思った。

 何故幽香がこんな時間に、こんな場所にいるのか。

 その為には、この日の朝から今の時間まで何があったのか、少々時間を遡ってみた方が良い……のかもしれない。

 

 

 

     ◇◆◇◆

 

 

 

「う、うぅ……すみません。一度ならず二度までも、お見苦しい姿を……」

「別にいいわよ。それを責めたりなんてしないから」

 

 恥ずかしそうに身を縮こませる少年に、幽香は苦笑気味にそう言った。

 少年が涙を流した理由に理解と納得はあるし、そもそも見た目だけなら齢二桁に満たないようなこの子が、泣き疲れるでもなんでもなく、泣いていたことを縋っていた相手に謝るという行為自体が異常である。

 気にしないとは言ったものの、流石に少年の素性ぐらいは少しぐらい知りたくなってしまう。

 

「紫さんも、今回は僕の為にわざわざ――」

「そう固くならなくても、畏まらなくてもいいわよ。あれは貴方の為と言うより、私達の自己満足に近いから」

 

 にこりと紫は笑って返す。

 夢を介して過去を覗くという行為は、元はと言えば少年が取り乱すほどの辛い過去を、幽香と紫は知りたいという思いで少年に頼んだものである。少年はそもそも拒否したっていい立場であるのだから、本来礼を言うとしたら二人の方なのだ。

 少年の涙のせいで機会は逃してしまったが、彼女達としては、特に幽香にとっては少年に頼られるようになったという結果も含めて十分な成果であったと言えるだろう。

 だが、謎はまだ残る。

 当然だ。あの夢の内容は事実しか映しておらず、それぞれの関係性や少年自身への影響などは未だに不明なまま。

 何かを隠していると思しき紫に訊けば分かるのかもしれないが、彼女が素直に話してくれるとは思えない。

 

「それで、これからのことだけど」

「これから、ですか?」

 

 ええ、と紫は少年に頷く。

 

「急な話だけど……貴方、幽香と一緒にここを離れる気はない?」

「……?」

「ちょっと、どういうつもりよ」

 

 少年は言っている意味が分からない、というように首を傾げ、幽香は紫を軽く睨む。

 紫の今の台詞は、彼女の言う通り本当に急な話であった。

 そもそも、彼女は今しがた、幽香と、と言ったが、そんな話は当の本人すら聞いていない。少年どころか、幽香ですら混乱するというものだ。

 誤解してほしくはないのだが、別に幽香自身はここから離れること自体には別に異論はない。やろうと思えば、場所さえ残っていればいつでも戻って来れるのだし、幽香が執着しているのは少年であって、場所ではない。

 だけど、と幽香の脳裏にいつか話をした、神秘がそのまま具現したかのような美しい銀の毛並みを持つ狼が浮かんだ。

 あれ以来一度も姿を見てないが、変わらず食糧が運ばれているのを見るにいなくなった訳ではない筈だ。

 あの狼は少年のことを大層気にかけていたし、せめて話は通すべきかもしれない……と、なんとなくそう思ったのである。

 

「きちんと理由はあるのよ?」

「ふうん?」

「主な理由としては、この子には外の世界をもっと知ってもらいたい、というものね」

 

 今度は無言で続きを促す。

 

「この子はあまりに長い間をここで過ごし過ぎた。私は、もっと世界の広さを、他人の優しさを、大切なものの尊さを、この子に知ってほしい。勿論、相応に、世界の不条理を、他人の醜さを、何かを失う痛みも伴うでしょう。ですが、そういう然々を含めて経験を積んで欲しいと思うのです」

「……まあ、それには少し同感するわ」

 

 紫の言葉通り、少年の世界は狭い。

 夢で覗いた内容を含めても、少年を形作った世界はこの森と、近辺に存在する村で終わる。

 普通の子供であるならば、それで十分だろう。たとえ知識としてさらに外を知っていたとしても、そこに体験、経験はない。

 だが、少年は普通ではない。

 見た目にそぐわない思考に言動、一身に受けるには辛すぎる背景。

 さらに、彼の世界は偏っている。

 誰かから受けた恐怖や嫌悪、忌避で作られていて、そこに少年自身の優しさによってそれを誰の所為にするでもなく全部自分で抱え込んでしまっている。

 少年は幽香や紫に出会うまで、他人から負の感情以外の感情を直接受けることもなかったのだ。

 あの狼は……何故か少年と直接会おうとしないみたいだし、取り敢えず除外。

 とまあ、少年に色んな経験をさせたいという紫の意見には賛成だ。

 

「それで、他には?」

 

 紫は、これが主な理由、と言っていた。ならば他にも少年を連れ出したい理由がある訳で。

 訊くと紫は、じっと幽香を見詰めてきた。

 何だろうか。

 

「幽香……貴方、この子と逢うようになってから花を見に行けてないでしょう?」

「……確かに、そうだけど」

 

 幽香の数少ない趣味が、季節や土地に合った花や植物を全国各地に見て回る、というものだ。

 同じ春でも、北と南では咲く花は違うし、逆に同じ雪国や南国であったとしても季節によって咲く花は違う。もっと言えば、海を渡りどこか遠い国へと行ったのならば日本では見られない特別な草花がある。

 流石に国を超えるのは難しい、というか紫の力を借りなければいけないだろうが、たとえこの国の中だけでも、幽香は今まで各地を転々としてその風景を楽しんできた。

 幽香が大妖怪として全国に名を馳せているのは、その結果付いてきただけなのである。

 だが、少年の元に訪れるようになって、その趣味は封じていた。

 毎日毎日ここに来るのだ。そんなに遠く離れてしまっては、また訪ねるのにも一苦労だ。紫の能力があれば即解決なのだが、残念ながら幽香は、紫がスキマを通して近くに現れることは察知できても、こちらから接触を図る手段は持ち合わせていないのである。

 そしてその趣味の話は、少年には言ったことはない。

 もし言えば、心優しい少年は、自分が独りになることを厭わず、そして一緒に行くなんて考えもせずに幽香を見送ったに違いない。もし幽香がそれを断って訪れ続けたとしても、なにかしら罪悪感じみた感情を少年が持つであろうことは想像に難くない。

 

「趣味、ですか? それはどんな?」

「彼女ね、色んな所に旅して、可憐に咲く野花や色づく木々を眺めるのが趣味なの」

「おい」

 

 そんなことを考えていたら、紫があっさりと暴露しやがった。

 人の遠慮をなんだと思っているのだろうか。

 

「え……そんな。僕にわざわざ逢いに来てくれなくても、幽香さんの趣味を優先してくださってよろしかったですのに」

「いいの。私がそうしたいと思って来ていたんだから。アンタが気にするようなことじゃないわ」

「ですが」

 

 ほら、やはり想像していた通りの展開だ。

 幽香は内心で溜息を溢す。

 少年がこれを明かせば今のように口にすることは容易に想像できていた。自分ですら分かっていたのだから、頭の回る紫がそれに気付いていないとは思えないのだが。

 

「ええ。ですから、これからは貴方も一緒に行かれてはいかがです?」

「え?」

「……ああ、そういう」

 

 紫が少年の台詞を遮ってまで口にした内容に、少年は困惑、幽香は納得を返した。

 少年が一緒に行こうとしないのは、もう既に以前のことだ。自分と一緒に居れば傷付けてしまう。誰も傷付けたくない。だから孤独であろうとする。そうした少年の思考は、もう幽香には適用されない。

 だって、少年は言ったのだ。自分の居場所は幽香の傍であると。

 ならば、今更撤回なんてさせない。もし自分が遠くへ行くのならば少年も連れて行くし、少年が別のどこかを望んだならば当然のように自分も付いていく。

 それを一切苦とは思わない。

 

「もし貴方がこの地に未練ややり残しが無いと言うのなら、私は色んな場所へ旅することを強くお勧めしますわ。勿論、幽香も連れてね。機会があれば、海の向こうへ行ってみるのもいいでしょう。その時はお供しますわ。どうしょう……悪くない提案だと思うのですけれど」

「ええと……」

 

 少年は突然このような話になってどうにも思考が追い付いていないらしい。

 まあ無理もあるまい。少年の閉じた世界では、急に外へ、と言われてもあまり実感が沸かないのだろう。

 しどろもどろに答えを探す様子の少年が、幽香をちらりと見やった。

 

「ゆ、幽香さんは……どうなんですか?」

「どう、って?」

「その、僕が付いていくとか、そういう話について……」

「大歓迎よ?」

 

 少年は大きく目を瞬かせた。あら可愛い。

 だが、その反応は少し頂けない。

 

「なに、私に付いていくのは嫌だと言うの? 自分で自分の場所は私の傍だ、って言ってたくせに」

「いえ! そ、そういう訳ではなくてですね。ただ、その、僕が一緒だと――」

「そんなの気にしないし、興味もない。ソイツが言っているのは、そして私も気にしてるのは、貴方がどうしたいのか。それだけよ」

 

 僕が……と、少年は一人考え込む。

 少年の言葉の続きを推測するならば、『僕が一緒だと幽香さんが傷付いてしまう』とかそんな感じの台詞だろう。

 何を今更、と思う。

 今までこうしてずっと逢ってきたというのに、今更何を気にする必要があるというのであろう。確かに、真に一緒だった、とい訳ではないが、毎日ここに来てはいたし、何なら何度も寝泊りもしたのだ。本当に、今更である。

 

「えと、それでしたら……」

 

 視線が彷徨い、身体を揺らし、続きを言いにくい様子の少年。

 暫く二人は少年の言葉を待ったが、それも致し方ないという思いもあった。

 少年は今まで、所謂、我儘を言ったことがなかったのだ。より正確に言うならば我儘を言うという行為自体少年の中にはなかった。

 他人に迷惑を掛けることを極端に避け、痛ましいほどに自分を殺してていた少年には、我儘という、つまるところは自分の要望を押し付けようとする行為は、するしないではなく、有り得なかった。最早それが『普通』になってしまい、疑問を覚え無くなる程度には。

 それが変わったのは、幽香と出会ってから。

 はっきりと少年が要望を口にしたのは……夢を覗く直前のアレが初めてだろうか。

 と、益体もないことを考えていると、遂に意を決したらしい少年が口を開いた。

 

「その、迷惑でなければ、僕も連れて行ってください……っ!」!

「――ええ、勿論。私からもお願いするわ」

「――ふふふ、そう答えてくださると思っていましたわ」

 

 幽香と紫、二人して微笑んでそう返答すると、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 へにゃりと安心しきった表情を浮かべる少年を見て、随分と感情表現が豊かになったものだと感じる。決してそれは悪いことなどではなく、良い変化だと言ってもいい筈だ。なんとも喜ばしいことではないか。

 きっとこれから楽しくなる。

 自分自身が意識しない程に自然に、幽香の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 またしても紫が唐突にその話題を口にしたのは、三人でこの地で最後の夕食の時間であった。

 

「そう言えば幽香、そろそろこの子に名前を付けてあげたら?」

「名前? あー、そうね。名前ね……」

「そうそう。それにいつまでも、人間ー、だとか、この子ー、だとかいう呼び方はしないほうがいいでしょ」

 

 ふむ、とちらりと少年の方に視線を移す。

 行儀よく米を口に運ぶ少年は、自分の話題だという認識が無いのか、きょとんとした顔で幽香の顔を見返してきた。

 今までは名前が無くても会話は成立していたし、幽香も少年も名前を付ける必要性を感じていなかった。

 だが、そうか。折角今までの生活を捨て、新しい人生への出発点へと立ったのだ。心機一転、という意味でも名前を付けるのはいいかもしれない。

 それに、幽香自身も名前について考えが無いこともない。

 そのうち機会を見つけて少年と二人きりの時に切り出そうと思っていたのだが……紫に聞かれながらというのも嫌だし。

 だが、折角話題に上っているのにこの話をしないというのも、違和感がある。しなかった理由を後で問い詰められても面倒なので、今言うしかないのだろう。

 

「あー、と……人間?」

「ん。もぐもぐ……んく。はい。何ですか?」

 

 急いで口の中に入っていた分のご飯を嚥下し、箸を置いて返事をする少年。

 

「貴方、『風見』の(かばね)を持つ気はない?」

「?」

「あら」

 

 少年はあまり意味が理解できていない様子で首を傾げ、紫はわざとらしいまでに驚いた顔で口元を手で覆い隠した。

 若干顔が赤くなっていることを自覚しつつ、幽香は少年の返答を待つ。

 

「姓って……何か特別な意味があるんですか?」

「えっ? あ、いや、特にそういう意味がある訳ではないけれど……」

「ふふ、幽香はね、貴方と家族になりたいって言ってるのよ」

「はっ倒すわよスキマ」

「おお怖い怖い。私はそれほど遠回しでもないのに全く伝わってない貴方の裏の心情を代弁してあげ――ごめんなさい許して貴方の妖力弾は洒落にならない待って待って待って」

 

 傍に何個か妖力弾を生成すると紫はそそくさと元の位置に戻っていった。

 不機嫌さを装って息を一つ漏らし、視線を少年に戻す。

 少年は今の紫の台詞の意味を理解しようとしているのか、小さく呟きながら思案している様子だった。

 

「家族……家族……? 僕が、幽香さんと……?」

 

 あの、と少年は思考を一段落つけたのか、明確に二人に呼び掛けた。

 しかしそれは幽香への返答ではなく、少年自身の疑問の答えを欲しての台詞だった。

 

「家族って、何ですか?」

 

 即答は、出来なかった。

 

「僕には家族というものがいません。最初から僕は独りでしたから。だから、家族になるという意味が、そもそも家族というものが何なのか分かりません。幽香さん、紫さん。――家族って、何ですか?」

 

 幽香と紫は顔を見合わせた。

 家族とは何か。

 それは、親も子もいないという意味では少年と同じ立場である幽香と紫では、あまりに難しい問いであった。

 一般的な答えは簡単だ。

 夫婦と、もしいるのならその血縁関係者の集団、ないし共同生活を送っている者達の集団、といった答えを返せばいい。

 だが、それは欲している答えではない。

 家族とは何か。

 例えば、適当な村の男に訊いたら妻と子供ですと答えるのだろう。例えば、言語を解する程度に育った子供に訊けばお父さんとお母さんと答えるのだろう。

 だが、三人にはそう言える存在はいない。

 少年に限っては、そもそも何かしらの関係性を持っていると言える存在は幽香と紫しかいないまである。

 二人は少年の問いに対する答えを持っていない。

 だから、きっと、これは。

 家族のことではなく、自分と少年のことだ。

 

「――愛し合っている人達のことよ」

 

 視線が幽香に集まる。

 

「互いに互いを愛し合い、求め合い、助け合う。近くにいても、離れていても、それぞれがその誰かを思いやることができる。言うならば、そうね。気持ちで繋がった存在のことかしらね。血だとか名前だとかは、それを物的に表すものでしかないわ」

 

 少年のことを愛しているかと訊かれれば、迷わず是を答える。

 少年のことを求めているかと訊かれれば、首を大きく縦に振ろう。

 少年のことを助けたいのかと訊かれれば、逆に訊いてきた奴を、失礼だと殴り飛ばしてやろうか。

 自分は少年と気持ちで、絆で繋がっていたい。

 だからこそ、風見という姓を少年には名乗って欲しかったし、それを誇って欲しかった。

 そうだ。もう遠回りする必要もないだろう。最初から真っ直ぐこう言えばよかったのだ。どうせ紫に言われてしまっているのだ。

 

「少年」

「は、はい」

「私の所に来なさい。私と同じ『風見』を名乗りなさい。私は貴方を愛しているわ。だから、そう――家族になりましょう?」

 

 手を伸ばす。

 この手を取って欲しい。自分の思いに応えて欲しい。

 その思いを乗せて。

 心拍数が上がる。顔が熱い。紫の面白がるような笑みがうざい。

 だが、視線は真っ直ぐ少年に。

 

「……」

 

 少年は無言で差し出された手を見詰めていた。

 こうして直接言葉にしたのだから、幽香がその言葉に乗せた意味や、要求は理解できている、と思う。

 なのにこうして反応が無いのは、もしや拒否の意味なのだろうか……?

 その考えに行き着いた途端、急に不安になってきた。何に不安になっているのか自分で分からないが、この感情は不安と言うのが正しい筈だ。

 ああどうしよう。もし拒絶されたら。もしこの手を跳ね除けられたら。自分はこれからどうすべきだろうどう過ごせばいいのだろう。少なくとも今まで通りとはいくまい。ああ早く答えをくださいもう承諾でも拒絶でもどっちでもいいから何か動いて――

 

「……僕には、愛するということが分かりません」

 

 ようやく、少年が口を開く。

 

「同じ姓を名乗ることの重要性を、意味を、多分僕は、幽香さんや紫さんのようには捉えきれていないと思います。僕の言葉には、思いには、きっと重みがない」

「っ」

 

 やはり、少年は。

 

「ですが」

「……?」

「それでも僕の抱くこの感情が幽香さんのいう愛だと言うのなら、僕はこうするべきなんです」

 

 恐る恐ると言った様子で、でも真っ直ぐ幽香の手へと少年は自身の手を重ねる。

 そして幽香と紫が見つめる視線の先、少年は一番の笑顔でこう言った。

 

「――はい。僕はこれから、『風見』の姓を名乗りましょう。そして……僕はもう、幽香さんの家族です」

 

 

 

 

     ◇◆◇◆

 

 

 

 あの後、無性に恥ずかしくなって、照れ隠しに止まっていた食事を再開させたのだが、紫のにやにやとした笑みが腹立ったのでこっそり蔦を足に絡ませてやった。立ち上がろうとしてつんのめる姿はそれなりに滑稽だった。

 少年が風見を名乗るからと言って、それだけでは名前足り得ない。ということで、食事しながら、そして終わった後も暫く少年の名付け会議が開催されていた。

 そして激しい議論の末遂に決まったのが、『幽綺』という名前だった。

 『幽』という漢字はそのまま幽香の『幽』から取っているのだが、『綺』に関しては、様々な候補が挙げられる中、少年……幽綺がこれがいいと指定したものだ。さらに言えば、『ユウキ』という呼びも幽綺によって決められた。彼が直接その名前を挙げたのではなく、候補の中でそれを指定したのだが。何でも、しっくりくる、らしい。

 紫は何か言いたげだったが……結局は何も口にしなかった。

 ともかく。

 これで少年は、名も無き孤独の存在から、風見幽香の家族である風見幽綺という一存在となったのだ。

 紫の計略によって関係性は姉弟ということになってしまったが……そもそも幽綺は兄弟姉妹に関していまいち理解していないようだった。まあ対外的なものだし、気にするほどでもない。

 それに、試しにと紫に言われて呼ばれた『お姉ちゃん』という呼びが、なかなかどうして、くすぐったいものがあったし、悪くないとも思ってしまったので……取り敢えず、姉弟という関係はそのままにしておこう。

 ふう、と一つ息を吐く。

 今幽香は、昼間の時に脳裏に浮かんだ、あの白銀の狼を待っている。

 明日にはここを発つのだから、今晩中には会っておきたいのだが……残念ながら今日は食糧を補充しにくる日じゃない。

 だからこうして待っていても会える可能性は限りなく低いのだけれど、

 

(ずっと幽綺を、どころかさらに前から見てきただろうあの狼が、今日という日を逃すとは考えにくい)

 

 自分や紫が幽綺に何か変化を生じさせたという情報は、もう握っていたとしても不思議ではない。

 あの狼は正体が全くの不明なのだし、下手すれば自分達以上の実力を持ちかねないのだから、無理矢理でも納得はいく。

 それでも、だからと言って会えるということでもないのも確かだが。

 だから、今この状況は幸運だった、と言ってもいいのだろう。

 

〈こんばんは。月が綺麗ね〉

「ん、久し振り。そうね。今なら月見酒をする気分がより理解できる気がするわ」

 

 いつの間にか、幽香の隣にはいつかの狼が居座っていた。

 気配はなかった。声を掛けられるまで気付きもしなかった。だが、以前も気取られずに幽香の後ろを取ったのだし、この程度出来てもおかしくはない。

 

「今日は、別れを告げたくてね。待っていたのよ」

〈ええ。その件については存じています。貴方と、そちらの境界の妖怪に、最大限の感謝を〉

「……まさか、本当に気付かれるなんて」

「だから言ったでしょうに」

 

 幽香の隣、狼の反対側。空間に穴が開いたかと思うと、するりとそこから紫が姿を現した。

 ここに上る前。幽香の行動を不審に思った紫が尋ねたところ、合いたい奴がいるというので彼女は同行することにしたのだ。

 幽香は狼の実力なら紫のスキマを察知できるだろうと一応伝えたのだが、警戒の意味か、紫は姿を隠していたのだが……あっさりと見抜かれてしまっていた。

 

「まずはお詫びを。先程の失礼な真似、大変申し訳ありません。こちらの都合で姿をお見せしなかったこと、深くお詫び申し上げますわ」

〈や、やめてやめて。そういうのあまり好きじゃないの。私も気にしていないし、私のことを幽香さんから聞いていたのなら警戒するのも当然だわ〉

「あと単純に気持ち悪い」

「幽香、流石にそれは酷いわ……ですが、まあ、はい。貴方がそう言って下さるなら、崩させてもらおうかしら」

 

 よいしょ、と小さな掛け声と共に腰を下ろす紫。

 ……何でこの二人、というか一人と一匹はわざわざ隣かつ至近距離で腰を落ち着けるのか。近い。

 

〈それで、あの子のことだけど〉

「あの子、じゃないわ。今は風見幽綺って名前がある。そう呼んであげてちょうだい」

〈っ!……そう、風見幽綺、ね。ふふ、良い名前ね――本当に〉

 

 幽香には、今の狼の心情は読めない。覚り妖怪なら或いは、と思うが幽香は覚り妖怪じゃないし、覚り妖怪であってもこの狼の心の内を暴けるのかと訊かれればなんだか無理のような気もする。

 だが、少なくとも何かしら思う所はあるようで、頻りにその名前を呟く。

 少しして、狼が顔を上げる。

 

〈ああっ、ごめんなさい。一人で考えこんじゃって〉

「気にしないでくださいな。貴方にも思う所があるのは十分理解していますので」

〈ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ。それで、ええと……幽綺は、ここを離れてしまうのね?〉

「本当、どこまで知っているのかしら……ええ。ですから、最後に貴方に挨拶を、と」

 

 紫は立ち上がり、自身の南蛮風の服の裾を摘まんで一礼した。

 

「今まで、彼らを見守ってくださり、ありがとうございました。これからは、私達が幽綺の世界を広がることをお約束致します」

「私からも。幽綺はもう、風見の姓を持つ私の家族よ。死が私達を別つまで、いえ、たとえ死が訪れようとも、もう二度と彼を孤独にしないと誓いましょう」

 

 幽香も紫に合わせて向き直り、目の前の狼へと告げる。

 狼は数秒、呻くような声を上げると、

 

『――私からも。あの人の忘れ形見を、そんなに大事に思ってくれてありがとう。そして、本来私が果たすべき責務をお二人に負わせてしまい、本当にごめんなさい』

 

 そこに居たのは、薄く夜空を透かして見せる、半透明の女性だった。

 白いレースの付いた真っ赤な外套に、長い白銀の髪を一房結った髪型。背は幽香達とそれほど変わらないだろうが、圧倒的な存在感を示すのは、背にある六枚の翼。

 生物的要素はそこにはなく、薄い黒に赤い文様を浮かべた、ともすれば禍々しいと形容すべき翼だった。

 だが、彼女の顔は慈母のような優しさに包まれており、こちらを見る眼は暖かい。

 成程。只者ではないと思ってはいたが、狼の正体は彼女だったか。

 幽香と紫が息を呑む先、その女性は気にせず言葉を続ける。

 

『でも、これだけは本当に伝えたかったの。出来れば直接が良かったんだけど……そっちの世界には今は行けそうにないから、こんな形になって、ごめんなさい。だけど、気持ちは変わらないから。――本当に、ありがとう。でも、そっかー。私はもう必要ないのね。うふふ、いつかまた逢える時を楽しみにしてるわ』

 

 何かを言う暇もなく、悲しそうな微笑みを浮かべた女性は霧のように消えてしまい、狼の姿も後には残らなかった。

 残ったのは二人、幽香と紫のみ。

 呆然とする中、先に沈黙を破ったのは紫であった。

 

「彼女、まさか神格を持っていたとはね……私としたことが、全く分からなかったわ……」

「無理もないわ。私も気付けなかった。それくらい、あの神は色んなものを隠すことに長けていたってことよ」

「ああ、でも、そうか。そういうことね……成程」

「何かしら?」

「いえ、お気になさらず。こちらの話よ」

 

 怪しい、とは思うがわざわざ武力行使しようとも思わない。やるだけ無駄な気がする。それに、いくら実力はほぼ互角と言えど、紫が逃げに徹しられたら追いかける術は幽香は持ち合わせていない。

 そう言えば、名前を聞くのを忘れていた。向こうも頭から抜けていたようだし、仕方ない。

 もし、遥か先、本当に再会できたら、その時は積もる話でもしようではないか。

 

「さ、もう思い残すことは無いわ。朝が来たら出発しましょうか」

「そうね。以前貴方が使っていた家はそのまま残してある筈だから、まずはスキマでそこに行って取り敢えずの拠点としましょう」

「拠点?」

「流石に旅続きは幽綺には辛いものがあるでしょうし、一つくらい帰ってくる家は必要だと思うわ。宿、ではなく、正真正銘新しい自分の家がね」

「む、一理あるわね」

 

 どうやら、まだまだ考えないといけないことは山積みのようだ。

 だけど。

 

「ふふ、嬉しそうですわね」

「ええ。楽しみで仕方ないわ」

 

 旅がこうも楽しみなのは、初めてだ。

 今までも、色んな風景を見に行くという期待や好奇心、興奮はあったが、これは違う。

 ああ、これからは自分の隣にあの子がいるというだけでこうも世界が変わってしまうのか。

 その感覚がどうにもくすぐったくて、嬉しくて、幽香はまた笑みを溢した。




 なんか最終回みたいなノリになってしまった……何故。

 気が向けば章題つけます。ですが自分にはネーミングセンスが皆無ですのでやっぱり付けないかもしれません。
 というか、夢というか過去(厳密には少々違うんですが)の話の神綺様に触れるのは一体いつになるんですかねえ。

 それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。

 これからは、特に中身も何もない、キャラも新しく登場するか怪しい、そんな無駄話が続きます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。