東方心届録   作:息吹

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 まだ半年経ってないから実質セウト。

 お話書いてる時が一番別のお話のネタが思い浮かぶことってありますよね(盛大な目逸らし)。
 ……だって、ヒロアカ書いてて楽しいんだもん。

 ということでお待たせしました。VS神無編です。
 大変長らく開けてしまい申し訳ありません。エタるつもりはないですがどうしても遅筆……言い訳は一杯あります。

 それでは、どうぞ。


第16話

 時が経ち、一週間。

 萃香との戦闘の際にも使われた闘技場にて、幽綺と神無は向かい合っていた。

 幽綺が幾許か緊張の面持ちをしているのに対し、神無はまるで子供のように期待に満ちた表情で眼を輝かせていた。

 審判役はいない。いたとして、もしもの場合に神無を止めることが出来ない以上、居たとしても意味がない。一応紫がその判断はするが、わざわざ近くにいる必要はない。

 

「うふふー、楽しみですねー?」

 

 今にも小躍りしそうな様子の神無。油断でも慢心でもなく、真に心から楽しみにしているのだろう。

 

「開幕の合図をする方はいません。幽綺さんが術式なり、体術なり、一つ技を使用させた時点で私も動き始めます。なので、お好きな時に、お好きなように動いてどうぞ?」

「……分かりました」

 

 目を閉じ、深呼吸。

 初手で使う術式を脳内で確認。相手の動きを約十通り程想定。それぞれの対応策も準備済み。

 だが、相手は規格外を呼ばれる鬼子母神。まず間違いなくこちらの想定をなにかしらの形で超えてくるだろう。それは単純な速度か、力か、はたまた方法か。

 

「――式神『白虎』」

 

 萃香の時と同じ手。用途は目眩ましと、別の術式の下地。

 対する神無は、その笑みをさらに濃くして、足を一歩下げた。上半身も落としたその姿は、まさしく走り出す一歩手前。

 瞬間、神無の足元の地面が爆ぜた。

 

「そりゃ」

「っ!?」

 

 想定していた動きの一つではあった。だが、いざ直接相対すると、その段違いの速度に驚かざるを得ない。

 神無がやったことは単純。

 ただの力押しである。

 迫りくる虎の形の式神に対し、真正面から突撃して札ごと爆散させながら正面突破しただけ。そのまま幽綺の目前へと迫り、拳を振るう。そこに一切の淀みは無く、式神による邪魔立てなどまるで意味がないと言うようだった。

 幽綺の方も判断は早かった。

 次の術式が間に合わないことは明白。故に取れる手段は一つ。能力で止めるしかない。

 止めたと思った時には既に、幽綺の姿は壁に衝突していた。

 

「が、あ……っ!?」

「? なーんか妙な感触でしたねえ」

 

 不思議がるように振るった右手を動かす神無だが、驚きようで言えば幽綺の方、強いては彼の能力を知る者達の方が大きかった。

 彼の能力は決して弱くない。神無と同じように、彼自身の地力が優れているためやや目立たないが、能力そのものは強力だ。

 萃香の拳に留まらず、幽香の力だって『届かせなくする』その能力が弱い筈がない。

 だと言うのに、それを発動させた筈の幽綺をただの拳で吹き飛ばす神無。そんなことを成し遂げたのは、後にも先にも彼女だけであろう。

 

(『あらゆる障害を無視する程度の能力』……! 強力だとは思っていましたが、私の能力すらも無視するとは)

「んんん、成程成程。幽綺さんの能力ですね? 確かにそう考えれば、今ので貴方がまだ五体満足なのにも頷けます」

(……能力を使っていなければ、私は四肢が千切れ飛んでいたかもしれないのですか)

 

 神無は幽綺の能力のことを知らない。というよりも、神無自身が知りたがらなかった。彼女としては、少しでも自分に不利な状況になるようにしたかったのだろう。

 だからと言って、目の前で使用された能力を推測しない訳ではない。

 

「防御系の能力……だとすると私はそれを無視しますから、もうちょっと捻った能力ですかね。もしくは、能力そのものに優位性を持つ性質があるか……」

「……はっ!」

「あまーい!」

 

 能力を使い神無の背後に回り込むが、それと同時に回し蹴りが飛んできた。

 咄嗟に能力を使うが、やはり先と同様に吹き飛ばされる。蹴りの軌道の先にあった頭に強く何か打ち付けられたかと錯覚する程の衝撃。

 縦方向に一回転するもののなんとか着地だけは決め、しかし勢いは殺しきれずに転がり、さらに何回転かしてようやく止まった。

 

「おぉー! 私の攻撃を二回も耐えた方は貴方が初めてですよー!?」

「そ、それは……光栄です、ね……」

「これは昂りますねぇ。腕が鳴りますねぇ!」

 

 まだ、遊び半分だとでも言うのか。

 ぶんぶんと肩を回して笑うその姿は、どこか狂気的。生粋の戦闘狂としての血が騒いでいるらしかった。

 

「そうそう。私も技名とか考えてみたんですよー」

「?」

「よく人間さん達が高らかに叫んでいるので、私も真似してみたらかっこいいかなーと思いまして」

 

 何を言っているんだ?

 頭の中で、この台詞の意味を理解してはいけないと警鐘が鳴っている。その言葉自体に力はない。言霊のような、もしくは呪力が込められている訳でもない。

 ただそこにあるのは。

 

「神出鬼没、って言葉あるじゃないですかー。あれの鬼って、本当は幽霊とかの類の意味なので厳密には違うんですけど、字面だけ見ると私達鬼を馬鹿にしてるようにも見えますよねー? 鬼が没し神が(いず)る、なんて」

「……」

「っていうのはまあ別にどうでもよくて。単純に命名の元にしてみましたっていう話なだけなんですけど――」

 

 ――隠者『神没鬼出』

 

 直後、三度目の衝撃を背中に感じた。

 それを認識する頃には既に視界は反転していて、ようやく吹き飛ばされたと理解したかと思えば視界は空色を映すばかり。

 警戒して常時能力を使用していたのが幸いした。でなければ今頃、自分の背骨は粉砕されていたかもしれない。

 腹部に衝撃。地面に激突する前に空中で静止したが、その減速の隙に真横に吹き飛ぶ。

 ようやく神無の姿をしっかりと視界に捉えることができたのはお手玉のように吹き飛ばされること六度目の時であった。それも、身体を捻るなどして見た訳でも、偶然視界に映り込んだ訳でもなく、単純に神無が攻撃の手を一旦止めたからなのだが。

 

「あは、いくら幽綺さんと言えど、これを攻略するのは厳しそうですか?」

「……能力による座標転移。私の視界から常に外れ続けていたのは、私の身体や顔の向きから視界を推測していたから。それは余裕を見せている、ということでしょうか。やろうと思えば正面から攻撃し続けることも貴方ならできるでしょう」

「その程度なら簡単に読めますよねー」

「殴打にしろ蹴撃にしろ、移動と同時に攻撃はできません。見ていないので『引く』という動作が存在しているのかは判断できませんが、少なくとも『打つ』という動作分の余裕はあります」

「――驚いた。あの六度の攻撃の間でそこに気付けるとはな」

 

 一瞬、神無の目から悦楽の色が消える。

 だが言い終えると同時に、先程までと同じ、この場にそぐわない屈託のない笑みへと戻ってしまう。

 しかし、その一瞬の間に感じた威圧感は、鬼子母神の呼び名に相応しい重圧があった。

 

「ですが、それに気付いた所でどうすると言うんですかー? 貴方の能力はこの世で数少ない私の能力をある程度相殺できる稀有な能力ですが、貴方自身が私に届いていない」

「…………」

 

 幽綺はただ、札で杖を創り出しそれを構えるだけであった。

 

「……まー、貴方がそれでいいならいいですけ、どっ!」

 

 少しの落胆を滲ませながら、再び神無は『跳んだ』。

 狙うのは先と同じ背後。今度は根競べだ。幽綺が少しでも気を緩めれば、その瞬間に決着を付けてやろう。

 幽綺の言っていたことは正しい。能力で距離という障害を無視して任意の場所に移動することができるが、やはり打つと言う動作分、ほんの一瞬にも満たない間は存在する。引くと言う動作に関しては、するもしないも自由と言ったところか。

 能力のせいか想定よりも少々後ろになってしまったが、拳の衝撃は届く。

 穿つ。

 

「――あら?」

 

 肘に強く刺突の感覚。

 狙いがずれ、幽綺の姿はそこから動くことはなかった。

 何があった?

 彼が振り向く。

 

「――」

 

 振り向く前の正面に移動し、死角へ。まだ余裕は崩さない。

 

「そこです!」

「っ」

 

 脇腹に殴打の感覚。

 痛みはそこそこ。だが、気にする程でもない。鬼として破格の耐久性を誇るこの身体に傷を負わせることは叶わない。

 気にせず拳を振りぬき、

 

「……あは」

 

 突風に煽られ、神無の身体は壁面へと激突していた。

 完全に対応が遅れたため吹き飛ばされてしまったが、受けた感じ、次は耐えれる。激突の際の痛みも傷もない。敢えて言うならば殴打の感覚があった部分の服が裂けてしまっているが、これはいつでも直せる。

 成程、成程。

 

「……あはは」

 

 わざわざ視界から外れる動きをする、などと言う相手が自分の動きを読みやすくするための行為など挟まない。正面突破。

 だが。

 顎を横から打ちぬかれる感覚。次いで下から。拳を握った右の肩に突き、背中に強打、最後に先とは逆の横腹。

 計五度の衝撃により、神無はまたしても拳を振りぬく前に動きを阻害されてしまった。

 

「あははははは」

 

 動きが止まったところに鳩尾に衝撃。

 いくら耐えきれると言えども、ほんの一瞬だけ息が詰まる。しかし、笑い声は止まらない。

 

「あはははははははは!」

 

 喉を狙った一撃。殺意高めである。

 だが、流石にもう分かった。

 なんとなく喉を狙っていたのは感知できた。だから、触れられる感触と同時に腕を払った。

 視界の先、

 

「……早い」

「けほっ。いやー、驚きました。まさか私が攻撃できないなんてことになるとは。しかし種は割れました」

 

 幽綺が手にしていた杖が爆ぜた。

 より一層笑みを濃くしながら、神無はこの不可視の幽綺の攻撃の正体を語った。

 

「貴方の能力、概念にすら作用する距離に影響する能力ですね? 私と少々似通っているところがあります。私の拳が届かないのも、それが理由でしょう」

 

 幽綺は反応しない。警戒を解かず、再度杖を創り直すのみ。

 

「『鬼出神没』から着想を得たのか、元々技として持っていたのかは知りませんが、先の攻撃。貴方の杖による刺突や殴打という攻撃を私に届かせましたね? 加えて、術式もでしょうか。であれば、私は当たると同時にそれに拳を当てるだけです」

「……そういった才能も含めて、鬼子母神と言われる所以なのでしょうね」

 

 この方法自体は前より考案していたものだ。

 杖にしろ術式にしろ、幽綺の能力があれば振るわれた時点で標的に届かせることで当てることができる。普段は手札をあまり晒さないという意味を込めてこのような使い方はしないが、今回は別だ。これがなくても勝てるなどとは決して思っていなかったが、もっと使う場面は先だと、選ぶことになるだろうと思っていた。

 幽綺にとって攻撃を届かせるこの手段は奥の手に近しい。

 そして、能力の性質所以の突破口というのも存在するのであった。

 攻撃を『届かせる』とい言う以上、届かせたその瞬間だけならば相手もまたこちらに『届く』のである。

 勿論、そんな芸当を成し遂げることができる存在などそうそういない。幽綺自身その対策もしてある。

 だが、相手が悪かった。

 神無だけであろう。幽綺の攻撃が届くと同時に反撃をきちんと当てることができたのは。

 

「対応の仕方が分かればあとは簡単です。同じことをすればいい。ですが、これで終わりだなんて言いませんよね?」

「……」

「むう。もう少し会話を楽しんだっていいじゃないですかー」

 

 神無は不満気だが、幽綺に何かしら反応を示せるような余裕はない。

 彼女に攻撃を当てることは可能だが、有効打にならない。

 ……ただ一点、無効化している訳ではない、というのが突破口になるだろうか。

 自分の持つ手札の確認。神無に効きそうなものを模索。可能性があるものを試すにはどのような準備が必要で、どのような前提条件があるか。それをするだけの隙をどう生み出すか。

 細く、息を吐く。

 

「――はっ!」

「そんな一つ覚えで私に届くお思いですか!?」

 

 杖による物理攻撃では一度対処されている以上二度目はない。届かせるのなら術式の方。

 動きを一瞬でも阻害できれば上々。打ち払うにしろ、上から消し飛ばすにしろ、その動作分の隙が生じる。

 だがこれはそれ程の効果があるとは思ってはいない。そちらに反応させることが目的。

 その瞬間だけ、そちらに意識を向けらればいい。

 

「あは」

 

 ――そんな、『普通の相手』をしているのと同じ感覚で戦っていい相手ではないというのに。

 

「さあ、届きましたよ?」

 

 札を放った右腕に、何かが掴まれるような感触。

 いや。焦ることはない。こういうことも起こり得ると以前から想定していた。自分の能力は物理的な距離に縛られない。届かせた瞬間は相互に干渉し合えるなどという出鱈目を有言実行できるのは神無一人くらいのものだ。そちらの方が例外中の例外な筈で

 

「はーい、握手」

「うぐ……っ!?」

 

 『あらゆる障害を無視する程度の能力』

 一度届かされた以上、彼女の前ではもう逃げられない。距離を取ることを許さない。彼女から逃げることを許さない。

 決して、逃がさない。

 掴んだ腕を振り上げ、地面に叩きつける。

 どちらかと言えば小柄な部類な神無と、線は細いがそれでも男性である幽綺。体格差、体重差を感じさせない軽々とした動きだったというのに、叩きつけた地面に罅が入った。

 戦闘狂であると同時に、戦闘に対する才能もずば抜けた神無。戦闘中の幽綺にこんな短時間で触れられる程に至ったのは、それだけ地力が優れていたという証左だろう。紫のような能力を持っていないというのに、だ。

 神無に直接能力を使った訳ではないのに、近くで能力によって術式が届かされたのを自前の超感覚で察知し、それと同時に幽綺へ文字通り〈手を伸ばした〉。

 そして掴まれた時点で幽綺に勝ちの目は限りなく薄くなった。一度手を離せばまた面倒になると分かっているのか、殴り飛ばすのではなく掴んだまま叩きつけるという手を取った時点で、そこから脱却しようとするのは、彼女の能力もあってまず不可能に近い。

 ならば、掴まれたまま戦うしかあるまい。

 

「ふっ!」

「んー? その程度では私に傷をつけることすらできませんよ?」

 

 下半身に力を込め、能力を使って神無ごと壁に激突する。彼女を間に挟み、壁に埋まるほどの力をもって、だ。

 同時に空間術で付近に術式を込めた札を展開する。だが、こちらは神無が少し脚を振っただけで辺りに散らばってしまった。引き戻そうと思えば引き戻せるが、そうしたところで神無の前では無意味だろうし。わざわざする理由もない。

 この札の意味は萃香戦の時の式神と同じ。そして神無は、先の戦いの詳細を知らない。

 

「そぉれ!」

「っ!」

 

 引き絞った拳から打ち放たれる衝撃に身を任せ、そのまま別の壁にまで移動する。能力を使って、神無ごと巻き込む。

 

「ふーむ。私という個体ではなく、拳は拳で別の判定なんですねー。こうして掴んでいるのに、今のは届かないなんて」

 

 今度は神無の頭上から式神を呼び出す。妖力による圧だけで霧散してしまった。

 上々。

 

「……何を企んでいるんですかねー?」

「…………」

「面白くない男性は嫌われますよ?」

「……私が慕っているのは一人だけ。そして私には、その人さえいればいい」

「一途ですねー」

 

 会話の隙に要所要所にて札を配置。神無の視線の動きを見るに気付かれてはいるみたいだが。

 だが彼女は動かない。受け止める気なのか、警戒して下手に触れないのか。鬼という豪胆さを鑑みるに、前者の方が可能性としては高そうだ。

 あとは霊力を流し込むだけ。それだけでこの術式は発動する。

 変に気付かれないように後から霊力を流し込む形の札を使ったが、はたして意味はあったのだろうか。紫のようなそちらの方面に強い相手だと、準備段階でどんな効果かを大まかに把握するくらいはやってのけるが……。

 深呼吸。思考を切り替える。

 来ると分かっていても、分かっているからこそ、それを許容しようとするのは難しい。未だに慣れたものではない。

 

「――!」

「あはっ! 私相手に近接戦闘、肉弾戦を挑むとは!」

 

 先と同じように拳の衝撃のみを届かせることで相手の狙いをずらす。しかし神無が相手では下手に能力を使うと〈合わせられる〉。彼女が拳を振るうという動作であるからこそ、手を伸ばす動作ではないからこそまだ対応されていないが、彼女の前ではそれもいつまで保つか。

 片腕を掴まれているため距離は取れない。さらに言えば、相手は自分を好きな時に体勢を崩させることができる。能力の使用には影響はないが、一瞬の反応の遅れが命取りなこの状況ではそれすらも厳しい。

 簡易術式で小さな円筒をいくつか創出し、肩や肘といった動作の要になる箇所に打ち込む。視界に収めていることを条件にした追尾術式も込めているので、外すことはない。

 ……決して、直撃するということでもない。

 一瞬の視線の動き。腕の動きの変化を見るに、円筒を破壊することで打ち消そうとしているようだ。

 その隙に鳩尾へと膝蹴りを打つ。意識がこちらを向き、術と自分との間でどちらに対応するかを逡巡したその瞬間に腕を掴み返し、捻り、足払いを掛けた上で神無を地面へと俯せに押し倒す。同時に展開させていた円筒が打ち込まれ、肉を叩く鈍い音がする。

 

「ありゃ?」

 

 鬼故の出鱈目さは、こうした『弱者の技』を蔑ろにする。

 だからこそ、こうして体術が決まる訳だ。

 勿論、普通の人間、どころか存在ならば、神無に腕を掴まれた時点で敗北ないし死は決定している上に、そもそも初撃を耐えられる存在を見つけることすら難しい。

 そしてその出鱈目さは、こうして発揮される。

 

「んー……よいしょー!」

 

 腕を捻り、神無自身の身体で押さえつけていたもう一方の腕が僅かにだが動き、地面を叩いた。

 それだけで自分達を中心に地面が陥没し、壁や観客用の座席を崩壊させる。

 能力で眼前に迫る瓦礫を防いだところで、横からの衝撃。関節の可動域を無視して身体を回転させた神無からの裏拳だった。

 吹き飛ぶ。

 だが、着地による減速はできた。

 

「それっ」

 

 軽い掛け声と共に迫る神無。拳は握られている。

 放たれるまでの僅かな間に周囲を確認。取るべき一手を選択。流すか、受け止めるか。

 選ぶのは――

 

「――――――ごぶっ」

 

 抑えきれず、口から血を吐き出す。

 半身の感覚がない。霊力、妖力ともに不安定になっている。半妖故に絶命には至らないが、再生、回復には時間が掛かる。

 

「……あは」

 

 神無の拳によって左肩から脇腹までが消し飛んだ。心臓にまで至らなかったのは、ひとえに能力による微調整の賜物。ただ受け止めていただけでは、恐らくもう、ここに幽綺の姿は無かった。

 膝から崩れる。平衡感覚が崩れる。膝立ちですら怪しい。

 

「いやあ、凄いですね。まさかここまで粘られるとは」

 

 神無の声は未だに明るい。

 

「貴方は英雄の素質を持っていますよ。ええ、本当に。私を相手にここまで立ち回れたのは、貴女が初めてです」

 

 彼女はまだ拳を握っている。今の幽綺では、彼女の軽い一撃を貰うだけでも簡単に動けなくなるだろう。

 視線の遥か先では、自分の姉や観戦に来ていた妖怪が全員一様に目を見開いて固まっている。

 膝に力を込める。

 次の一手を用意する。

 何故ならば、神無は。

 

「――本当、腕を持っていかれたのはいつ以来でしょうか」

 

 吐血。

 神無には既に、左肩から先、そしてそこから脇腹にかけての肉体は存在していなかった。

 そう、幽綺と全く同じ欠損を神無は負っていた。

 先の拳の直前。食らうことを選択したその瞬間に、幽綺は準備していた術式を発動していた。

 十分量ばら撒くことは終了していた。あとは霊力を流し込むだけ。それだけならば、神無の拳が届くよりも早く完了させることが自分なら可能だった。

 発動した術式の内容は、効果内にいる相手との傷の共有。

 主に装甲が固い相手を想定して作った術式だが、効果は絶大である分、条件は厳しい。

 一つは予め術式を発動させるための『場』を用意しておくこと。それがそのまま効果範囲内となる。それを幽綺は札をばら撒き、その札に術を込めておくことで発動させた。

 二つ目はその効果内には、自分と相手との二者しかいないこと。たとえ複数存在していても、標的を絞るという段階を挟めばこれは比較的容易に成し遂げられる。

 そして三つ目。術の内容が『傷の共有』である以上、自分自身が傷を負うこと。

 自傷他傷は問わないが、自ら痛みに飛び込まなければいけないという点では変わらない。そんな感覚、いつまで経っても慣れる気はしないし、慣れようとも思わない。痛みに何とも思わなくなった時、それはもう、何かが決定的に終わった時だ。

 

「傷が再生しない……傷の負い方を見るに、貴方の傷がそのまま私に反映されているのでしょうか。傷口は回復を始めていますが、一向に進まない」

「……何でものの数秒で分かるんですかね」

 

 流石の幽綺でもぼやかずにはいられない。

 この術式の存在を知っているのは、自分を除けば、姉の幽香と術式関連の師でもある紫の二人だけ。特訓以外で使用したのは今回が初めてであるし、そもそも冷静に分析できる程の余裕があることがおかしい。

 神無の、鬼としても別格の耐久力や回復力を鑑みてこの術式の使用に踏み切ったが、それでも尚、まだ彼女は動ける。

 

「ですが、それで貴方が瀕死になり、かつ私が未だに動けるようではもうお終いです」

 

 その通りだ。

 だから、こうして、最後になるであろう一手を残しているのだから。

 

「降参するならしてくださいねー? 私だって、死に体の相手に追い打ちを掛けたがるほど残酷ではありません」

「…………」

「……それが貴方の選択ならば応じますけどー」

 

 再度、解いていた拳を握る神無。

 

 

 一歩を踏み出した。

 

 

「――はっ!」

「――やぁっ!」

 

 拳が届く直前に最後の一手となる札を取り出す。枚数は一枚。掴む。

 神無の表情にはもう余裕はない。そして恐らく、札を取り出した時点で能力を使うことは予想されている。となると彼女のことだ。能力をわざと食らい、術札が届いたその瞬間に合わせて拳を届かせることぐらいならもうやってのける。

 だが万全の状態であっても彼女の拳の衝撃は防げなかった。身体の四分の一近くが欠けた今の状況では、その衝撃ですらもう決着を付けるに足る。

 ならばせめて、一矢。

 もう幽綺に勝利の目はない。故に、半ば捨て身。

 だから幽綺は。

 

 

 

 

 

    ◇◆◇◆

 

 

 

 

 目を覚ませばそこは、見知らぬ天井だった。

 差し込む日差しと、外の喧騒から、今は昼なのだと把握する。

 どうやら自分は寝かされていたらしい。身体を起こす。

 固くなった身体を解そうと腕を伸ばしたところで、自分の両腕が揃っていることに少し違和感を覚えた。

 そしてようやく思い出した。

 確か。

 

「……結局、あの後どうなったのでしょうか」

 

 随分と嗄れた声が出た。そこで自分が酷く空腹であること、そして何か飲み物を身体が欲していることにまで気が回った。どうやら随分と自分は眠っていたらしい。頭の回転もなんだか遅い。

 半妖である自分には数日程度食事を抜いた所で影響は少ないが、やはり精神衛生上良くない。それに神無との戦闘で上半身の半分近くを吹き飛ばされ、その回復も完了していることを考えると、相応に消耗はしている筈だ。

 はてさてどうしたものかと、自分の置かれている状況を把握しようとしたところで、この部屋の襖が開いた。

 そこに立っていたのは、なんだか久し振りに会ったような気さえする自分の姉。

 なぜだか、ひどく安心した。

 

「……姉さん」

「……おはよう、幽綺。身体はもう大丈夫かしら?」

 

 自分が目を覚ましていることに驚いたのだろうか。一瞬目を見開いたが、すぐに優しげな微笑みに移り変わり、すぐ横に座った。

 身体は大丈夫か、と訊かれれば、まずこう答えるしかあるまい。

 

「……お腹が、空きました。ええ、はい。とても、空腹です」

「ふふっ、分かったわ。何か胃に入れる物を持ってこさせましょうか。あと飲み物もね。貴方、酷い声よ?」

「姉さんの作ったものが食べたいです」

「……仕方ない。お喋りはもう少し後かしらね」

 

 言って、立ち上がる。

 幽綺にしてみれば少し幼稚が過ぎただろうかと思わないでもなかったが、幽香にとってはそれは彼からの珍しい、そう、本当に珍しい我儘である。内心では場違いながらも嬉しくて仕方なかった。

 憔悴している彼に普通の食事は酷だろう。手料理がいいと言ってくれたのだから、果物類も違う。

 はたしてどうしようかと、自然に鼻歌が漏れているが、それに気付く者が居なかったのは彼女にとって幸いただろう。

 

 

 

 

「一週間……ですか」

 

 簡単な食事も終え、食器類も片し、一息ついた所でようやく自分の状況を確認する精神的な余裕ができた。

 取り敢えず自分がどれだけの時間眠っていたのかを訊いた所、返ってきたのはそんな答え。

 

「肉体の損傷よりも、体力的な意味での消耗が激しすぎたのよ。その左腕も見かけだけ。日常生活に支障は無いだろうけど、中身はまだ空っぽよ?」

「全く。どうして瀕死だったというのに、いくら術式を当てるためとはいえ、神無の攻撃の直撃を避けないのかしら」

 

 いつの間にか現れていた紫も加え、三人で談笑する。

 幽香は何やら不満そうであったが、食事中は二人きりで居られたからあろうか。何か文句を言う程のことはなかった。

 

「いえ、あれはあの瞬間に蹴りの衝撃を肘部分に届かせたので、直撃はしてませんよ」

「直撃じゃなくてもあの傷ならどっちにしろ同じでしょう」

「ごもっともで」

 

 説教じみた二人の言葉に、幽綺はただ頷くしかできなかった。

 しばらく談笑が続いていたが、不意に、どたどたと騒がしい足音が三人の耳に届く。否、足音と言うには感覚が短い。これではまるで、大きな一歩を轟音、より具体的には床を踏み抜く破砕音と共に近付いているような――

 

「――幽綺さぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 

 ぐしゃりという破壊音と共に襖が開いた。

 蹴破って来なかっただけまだ良しと言うべきなのか、部屋の開放感を生みながら酒気と共にやってきたのは鬼子母神・神無。

 聞いた所によると今は宴会(幽綺と神無の戦闘の後、この一週間ずっと続いているらしい)の最中、かつここは妖怪の山の頂上付近にある天魔の家であるらしい。しかし神無にとってはどうでもいいのか、壊した襖と道中の床には見向きもしなかった。

 

「おはようございます起きたんですねうふふ良かった良かった最後に逸らされたので直撃してはいないとは思っていたんですがやはり心配で心配で身体の方は大丈夫ですか私の方は大丈夫じゃありませんけど大丈夫です気合でも持ち堪えてますおやもう食事はお済みの様子ではどうでしょうここらで宴会に参加しませんか初めて私と実質的な相討ちに持ち込めた貴方ならばそれはもうあと一月はお祭り騒ぎになるで――」

「うるさいわ」

「あう」

 

 捲し立てる神無に幽綺が目を白黒させていると、横から伸びた手が神無の角を軽く叩いた。

 叩いた張本人である幽香は胡乱気な視線で神無を射抜きながら、口を開く。

 

「貴方、宴会は? 一緒になって騒いでなかった?」

「なんとなく幽綺さんが目を覚ました気がしたので抜けてきました」

 

 頭痛でもしているかのように頭を押さえて溜息を吐く幽香に、今度は幽綺が心配そうな目を向ける番であった。

 しかし、幽綺としても神無のこの様子には疑問を抱かずにはいられない。

 あの時確かに幽綺は、彼女を殺す気で術式を選び、そして当てた。そこまで確認したのは覚えている。正直神無相手ではどれほどの効果があるかは不安だったが、それでも弱らせることぐらいは、と思っていた。

 だが今のこの様子を見る限り、彼女は至って健常だ。

 故に、訊かねばなるまい。

 

「神無さん?」

「なんですかー?」

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 ぎょっと、幽香と紫が幽綺の言葉に驚く。

 彼にしてはあまりに直接的な言葉。内容も不穏。

 しかしその質問を投げかけられた神無は対照的にあっけらかんとしていて、

 

「だから言ったじゃないですかー」

「?」

「気合でなんとかしてます、って」

「……冗談を」

 

 笑えない。

 

「……えーっと、幽綺? それに神無も。どういうことか訊いても?」

 

 紫の疑問もいたく真っ当だ。端から聞いているだけでは何のことを言っているのか分からない。

 神無から話してはいないようだと、紫の言葉から察した幽綺は、先の戦闘、その最後を思い返す。

 あの一瞬。拳と術式が交差するその瞬間。何があったのか。

 

「……私が最後のあの瞬間、一枚の札を用意していたのは見えていましたよね?」

「ええ。捨て身の相討ち覚悟のあの術式ね。一瞬過ぎて何の術式かまでは分からなかったけど……」

「あの術式は〈心蝕符〉です」

「ぶっふう!?」

 

 丁度良くお茶を飲んでいたせいで紫は噴き出してしまった。

 幽香と神無に険しい顔をされながらも、それらを無視して幽綺に詰め寄る。

 

「え、あの術だったの!? いや、それなら何で神無がここに……え? あれ!?」

「落ち着いてください、紫さん」

 

 彼が放った術式〈心蝕符〉。

 効果は文字通り。『心』臓を『蝕』む『符』で心蝕符だ。

 発動条件は一つ。相手の血に術式を込めた札を接触させること。

 対象の血液に触れた時点で発動し、幽綺の制御から離れる。どこまでも追跡し、相手の心臓を締め上げることで生命活動を停止させる、捕縛術式の応用の際に生まれた偶然の一品。さらに言えば、既に効果はより残酷になっており、心臓を締め上げて殺すのではなく、心臓を締め上げた時点で対象を殺すという次元にまで達しているのだ。

 事の経緯は確か、捕縛術式に追尾性能を付与できないか試行錯誤してた段階で、より霊力の消費を抑えられるようにするにはどうすればいいかも一緒に色々と実験していた時に生み出されたのだったか。本来はただの捕縛用だったものが、何故か気が付けばこうも攻撃的になってしまった。紫の入れ知恵があったのは否定しない。

 現状、これを防ぐ手段は一つ。血を流さないことの一点のみだ。さらに手が加えられたこの術式は一種の呪いにも似た性質を持っており、発動すれば最後、対象が生きている限りはどこであろうと届く。幽綺が頻繁に使う『場』を設定する術式とは効果範囲という点において段違いだ。

 全く同じ術式、しかし殺傷力を傷を負う程度に弱めたもので試したところ、紫のスキマ内でも発動していた。つまり、この術式に空間的な距離は意味を為さない。発動した時点で既に対象に届いている。実験の際に見せた紫の怖がる様は確かに面白いものではあったことも追記しておく。

 この術式の真骨頂は、効果の内容そのものではなく、消費量や発動条件に対する効果の大きさにある。

 それこそ、左上半身を欠損し、霊力が不安定になっていた状態であっても問題なく発動するくらいには。

 今回は神無という肉体の耐久性能も規格外の相手にまず傷をつける為に傷の共有という大分遠回りな方法を取ったが、彼の『届かせる程度の能力』も相まって、この術式は切り札の一つだ。

 だというのに。

 

「まあ、そこはほら、こう、気合で?」

「…………」

「そう何度も見比べられましても。取り敢えず口は閉じたままにすることをお勧めします」

 

 金魚のように口を開閉している紫に嘆息気味に返す。

 神無の出鱈目さならもしや、とは思っていた。しかしこうも元気にされていては、むしろ自分の術式の発動が失敗しただけなのではと思いたくなる。残念ながらしっかりと発動したのを確認したのでそれはないのだが。

 

「と言っても割といっぱいいっぱいなので、早く解除していただけると有難いんですけどぉー……」

「……そうですね」

 

 どこか諦観を込めて、幽綺はただそうとだけ呟いた。

 出した結論は一つ。

 彼女だから仕方ない――と。

 

「それでは、服を脱いでいただけますか?」

「は?」

「いやん」

 

 紫は訳知り顔で、幽香は怒りを込めて、神無はわざとらしく恥ずかしがるという、三者三様の反応が返ってきた。

 幽香の怒気混じりの声で自分の言葉が説明足らずだったことを察した幽綺は、彼女に納得してもらえるよう説明するしかなかった。

 

「この術式の解除法は二つ。対象の血液に触れさせた解除術式を込めた札を使ってを同じように打ち込むか、心臓の上から解除術式を使うかのどちらかなんです。決してそれ以外のことは……」

「……まあ貴方が私以外に()()()()感情を抱かないのは分かっているけど……」

「……姉さん、その……あまりその手の話は、外では……」

「?」

 

 神無と紫の『あらあらまあまあ』とでも言いだしそうな表情(かお)と、ほんのりと羞恥心で赤くなった幽綺の表情を見て幽香は自身の失言に気付いたようだった。

 姉弟揃って顔を紅くしつつ、姉の方は一つ咳払い。なかったことにしたいらしい。

 

「と、ともかく。つい声を出したけど、それしか方法がないならとやかく言うつもりはないわ。私達は外に出てるから、終わったら呼びなさい。ほら、行くわよ紫」

「ねえねえ幽香、その手の話ってなあに? 聞いてもいい? 聞いてもいいかしら? 答えなくても聞いちゃうけど!」

「ふんっ」

「いたたたたた耳が、耳が千切れる待って本当にいたたたたたた」

 

 騒がしくも席を外した二人を見送って、視線を神無に移す。

 

「ええと、では」

「ん。分かりましたー……優しくしてくださいね?」

「……そういった類への面白い返答は残念ながら持ち合わせておりません」

「むーもうちょっとお茶目にいきましょうよー」

 

 あまり羞恥心を感じさせない神無の姿に少し首を傾げたが、誰であろうと殴り飛ばそうとするお転婆娘な彼女では、服がはだけて素肌が見えている程度の認識なのだろうと納得した。

 ちなみに余談だが、鬼の一部の男衆がそれでも神無の直の胸部を見たいと躍起になって、服がはだけることを狙って勝負を挑んだらしいが、敢え無く失敗に終わったことを、そして彼女にもそれなりには肌を晒すことに羞恥心を覚える程度の感情があることを彼は知らない。

 酒が入ってて良かったと言う少女の内情を知らぬまま、幽綺は解除術式の用意を進めるのであった。




 何でこんなに強いんだこの鬼。

 戦闘描写って難しいですね。腕切れようが頭吹き飛ぼうが身体が上下で半分に分かれようが秒すらかからず再生・回復する奴との戦闘なんて考えるだけ無駄では? と思わなくもなかった。
 今回は神無の慢心や能力の相性があったからこそこういう結果になりましたが、最初から幽綺を殺す気で戦っていれば、さらに苦戦、もしくは一瞬で死んでます。多分。
 主人公の能力使用に合わせて『手を伸ばして』無理矢理つかみ取るって……自分で書いてて「何言ってんだコイツ?」ってなりました。

 それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。

 次は二人で一つなあの姉妹か、はたまたこんこん油揚げ……(疲れています)

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