東方心届録   作:息吹

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 前回の続き、夢の話Ⅱです。

 今回で主人公の夢の話は終了します。
 とりあえず伝えるべき内容は書かれているかと。

 それでは、どうぞ。


第9話

 次に目を開けると、そこはまたしても森の中であった。

 しかし、つい先程の凄惨な光景はそこになく、静かな、そして清涼な空気が漂っていた。

 葉の付き方や量から季節が秋の下旬から冬の初旬あたりだろうと予想はつく。だが、流石にここが前の夢と同じ森なのかどうかまでは判別がつかない。

 主だった樹木の種類は同じだが、それだけならば全国そこら中にある。流石に気候帯が変わる程離れた場所だとは思わないが、同じ気候帯でも北端と南端では全然様相は変わってくる。

 まあ恐らく同じだろうと根拠はないがそう思うことにして、一つ大きく息を吐き、心を落ち着かせる。

 あの少女の悲鳴はあまりに聞くに堪えなかった。

 咄嗟に紫の名を呼んでしまったが、逃げるように別の夢に移動することが果たして正解だったのだろうか。

 いや、どのみち自分達はあの夢の中で何にも干渉出来なかったのだから、たとえ残ったとして、出来ることは何もなかった。それは分かっている。

 だが、あの子が、少年に似た空気と容姿を持つあの少女が泣き叫ぶのを見て、何もせずに立ち去ってしまうのはどうにも後味が悪い。

 違う。

 後味が悪いなどではなく、もっと単純に、嫌だった。

 自分にしてやれることは何もないと頭では分かっていても、心の方がそれを拒絶する。何かしてやれないかと、せめて少年の時のように抱き締めてやれないかと。

 

「……ごめんなさい、幽香。あの時、あの場所で、私にはこれしか取れる手段がなかった」

「分かってる。そんなの分かってるわ……。どんなに辛いものだって、ちゃんと私は受け止めるって決めたもの。……それに、私には手段そのものが無かった。それに比べたら、アンタの行動は迅速で正しかった。むしろ逃げてしまった私の方が……」

「いいえ。貴方はきちんと全てを見届けてみせた。どのみちあの夢はあそこで終わっていたのだから、私の行動は迅速でも正しかったのでもなく、言った通り、それしか取れる手段が無かっただけなのよ」

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 後悔する暇などないのは分かっているが、仕方がなかったで割り切れる問題などでも決してなかった。

 幽香の少し冷静になった頭が、こうして未だに夢が続いている以上、少年の傷の原因はまだまだ大きく、深いものであるということを理解し始める。

 意外、とは思わない。確かに先の夢、即ち過去の出来事も、少年の人格形成の原因だと思いはしたが、まだまだ残っていると言われたら言われたらで納得してしまう自分もいた。

 それに、

 

「結局、あの少女は一体何だったのかしらね」

「――さあ。もしかすると、こうやって過去を遡る内に何かしらその謎を解く手掛かりがあるかもしれませんわね」

 

 じっ、と紫に視線を移した後、そう、とだけ返す。

 何かしら隠し事があるのは気付いていたが、明かさないなら明かさないで今はいい。彼女がそう判断したのならそうするだけの理由があるのだろう。

 幽香にとって紫は胡散臭く信頼するには色々と欠けている妖怪だが、その実力と慧眼は確かだ。その点においてはある意味信用している。

 周囲へと意識を向ける。

 ここがまだ夢の中だというのなら、少年ないし先程の少女の姿がある筈だと判断したからだ。紫もまた、人の姿を探し始める。

 そんな二人の耳に、一つの音が届く。

 

『――っけるな!!』

 

 怒号。

 まだまだ幼さの残る、少し舌足らずな声。

 二人が顔を見合わせたのは一瞬。直後には彼女達は飛び出していた。

 音の発信源に進む間にも、段々と鮮明になりながら声は届いてくる。

 

『これ以上関わらないで! もう分かったよね!? 皆いなくなった! 俺といる所為で、皆いなくなっちゃったんだよ!?』

『違う、違うんだ少年。別に、お前さんの責任なんかじゃ――』

『でも現に、皆退治されてるじゃないか!』

 

 どうやら言い合いをしているらしい。

 少し違うか。言い合いというには、一方が激しく怒っているのに対し、もう一方がそれを宥めている構図であるため、喧嘩の時のような殺伐とした空気が薄い。

 現場を覗くと、予想通り白髪の少年と、数体の妖怪。声を荒げているのが少年で、それを宥めているのは妖怪の中の一体であった。

 白髪であるため、少年または先程の少女と関係がある存在であることはすぐに分かった。逆に、本人だと断定することは出来なかった。

 少年の髪は短い。顔立ちからしても、少女であるとは到底思えない。

 そして、現実の少年だと言うには、どうにも違和感があった。その口調もそうだが、一人称が違うというのが理由だろうか。

 妖怪の方も、それなりに力のある存在のようだ。姿は人間に近いが、何の妖怪かまでは判別できない。周りで顔を俯かせる他の妖怪も、言い合っている妖怪に比べれば劣るが十分な実力は持っているように見受けられる。勿論、普通に比べると、であり、幽香や紫と比べては断然弱い部類に入ってしまうが。

 

『もう、嫌なんだ……! また誰かがいなくなることが。昨日まで笑っていた友達が、次の日から急に会わなくなるなんて!』

『だからといって、お前さんが原因だとは誰も思っとらん』

『じゃあ何で、俺と関わってからいなくなっちゃうんだ!? 俺の所為だよ。俺といたからなんだよ!』

『違う、違うぞ。単にその時だっただけで、相手が自分より強かっただけのこと。少年に非など、』

『あるに決まってる!!』

 

 子供らしい、一方的な思い込みであった。

 台詞から推測するに、少年と交友のあった妖怪がある日人間に討伐されたのだろう。

 この場合、妖怪の言う通り少年に非は全くない。妖怪が討伐されるのなんて日常茶飯事で、退治できる力を持つ人間と遭遇するかなど、結局はその日の運だ。

 だが、少年にとっては違うらしい。

 自分が関わらなければ、自分さえいなければ、その妖怪が討伐されることなんてなかった。その日の運だと言っても、自分と出会った所為でその日になったと解釈してしまうだろう。何を言っても、どう言おうと、少年は自分を追い込むに違いない。

 では、果たして。

 少年の怒りは、誰に向けたものだろうか。

 

『頼む、頼むから……俺ともう、関わらないでくれ。もう誰もいなくなってほしくない。人間だとか、妖怪だとか関係ない。誰かいなくなるくらいなら、俺は独りでいいから……』

『独りなんかにさせん。人であれ妖怪であれ、孤独より辛いものなど無いのだぞ』

『最後に皆いなくなるくらいなら! せめて皆がいるっていう安心が欲しいよ!』

 

 泣きそうな顔で訴える少年と、悲しそうな表情をする妖怪。

 片や皆がいなくなってしまうから独りになりたくて、片やそんな寂しい思いをさせたくない。

 あまりにも優しく、そして痛ましいすれ違いに、幽香も紫もやるせない思いを抱く。

 目の前の少年の言葉は、現実の方の少年の言葉と似ていた。他人を気付けたくないから自分から孤独を選ぶ。そんな歪な優しさは、両者に共通してる。

 

「紫、これは」

「ええ。あの子の傷の一つ……なのでしょうね」

 

 傷が一つではないのは先程なんとなく理解した。現実の方の少年の性格は、先の夢や、今のこの状況など、複数の要因が重なりに重なった結果だということだろう。

 なんて酷い現実だろう。

 妖怪側がこれからも少年から離れなかったとして、少年は余計に苦しむだけだ。

 逆に少年が独りになったからといって、問題が解決することもなければ、望まぬ孤独に少年が辛い思いをするだけ。

 どちらも悪意は無く、純粋な優しさ故の行動だからこそ、救いがない。

 

『もう、お前らとは会わないようにする……お前らも、俺なんか忘れて、気侭に生きてくれ……お願いだから……』

『少年……』

『もう行こう、兄者。これ以上は不毛だ』

 

 段々と語気が弱弱しくなる少年に妖怪が声を掛けるのに被せるように、後ろに待機していた別の妖怪の一体が口を開いた。

 前に居た妖怪が振り向くと、声を掛けた妖怪はゆっくりと頭を振りながら、妖怪にだけ聞こえるよう小さな声でこう続けた。

 

『形だけでも離れよう。オレ達は、少年に気付かれないように遠くから見守るとしよう』

『だが、それではこの子は……!』

『大丈夫。見捨てろなどと言っているんじゃないんだ。ただ、距離を改めようっていうだけだ』

 

 前の妖怪はそれでも尚渋るように唸っていたが、やがて一つ大きく息を吐くと、少年に向き直った。

 片膝を地面に付け、少年に目線を合わせる。

 その眼に少年の潤んだ瞳が映った瞬間、その身を抱き寄せた。

 

『――分かった。私達はこれからお前さんと会わないようにする。偶然に会っても、互いに知らぬ関係だ』

『っ。う、うん。そうして……』

『……では、さらばだ、少年。……元気でな』

 

 その場にいた他の妖怪を連れて、その妖怪はそこから姿を消した。見えなくなるその時まで、何度も何度も少年の方へ振り向くその姿には、こんな選択に納得してないという思いがありありと見て取れた。

 見えなくなって暫くして、妖怪達の進んでいった方から鈍い音がした。メキメキと何かが折れ、倒れる音が響く。あの中の妖怪の誰かが、怒りに任せて手頃な樹を殴り飛ばしたのかもしれない。

 対して、少年の方は。

 視線を移すと、彼は静かにその場で佇んでいた。

 何かを堪えるように、一切動くことなく。

 何かに耐えるように、服の裾を握りしめて。

 

『…………ひぐっ』

 

 が、少年はその情動に抗えるほど強くはなかった。

 

『う、ああぁぁぁ――』

 

 ぼろぼろと、大粒の涙が少年の瞳から零れ落ちる。

 決して大きくはないその叫びを聞いて、紫は目元を隠してしまう。幽香もまた、強く奥歯を噛み締めた。

 

『あ、あ、ぁぁぁぁ……嫌だ、嫌だよぅ……あぁぁ……っ』

「……」

 

 彼は確かに言った。

 『嫌だ』と。

 当たり前だ。誰であれ何であれ、孤独を許容できる存在などいない。先の妖怪も言っていた通り、孤独より辛いものなど存在しない。

 もしこれが現実の方の少年にも根付いているというのなら、あの子だって孤独は嫌な筈なのだ。

 幽香は、いつかの狼の言葉を思い出す。

 

〈あまりにもあの子は、傷に慣れ過ぎてしまった〉

〈痛い筈なのに。苦しい筈なのに。あの子はもうそれを感じることすら出来なくなってしまった〉

〈そんなのは……そんなのは、あまりにも辛すぎる!〉

 

 嫌なのに、誰かといたいのに、それを我慢し続けた結果、嫌だという思いも誰かといたいという願望すらも忘れてしまった。

 さらに少年は、会って間もない頃は自ら幽香を遠ざけようとしていた。

 それこそ、自分から孤独を望むように。

 

『何で……皆いなくなるんだよぉ……あの妖怪も、村のあの子も……何で、俺は、皆を――』

 

 成程、と。幽香は納得した。

 どうやら目の前の少年はかつて、妖怪だけでなく人間の子も失ったことがあるらしい。いや、今となっては少年自身の経験かどうかは不明だが、少なくともそういう記憶はあるようだ。

 妖怪は拒絶するなら人の住む場所に行けばいいというのに、何故こんな森の奥に留まって動こうとしない理由はこれらしかった。

 おそらくかつて人の子と関わりを持っていたことがあり、そしてその時もまた今回のように自分の責任だと思い込んで自ら人の世から離れたのだろう。

 確かに、一般的な人の子が少年のような白髪を持つ人間かどうかすら怪しい存在と関わっているとなれば、その人間の子も同じように拒絶されるか、元凶だけを遠ざけるかのどちらかの行動を他の人間達が取る可能性は高い。そして、その時は前者に近い状況となったのだろう。そう考えると、少年の思い込みも強ち間違いではないと言えないこともないが……そもそも白髪の理由を少年自身も知らないであろうことを考えれば、そんなことはないか。

 人間の子が少年の前からいなくなり、人の世を離れ、その先でまた人外ですら失う。

 それが夢に潜る前に少年が口にした、自分が独りでいれば誰も傷付かない、という台詞に繋がっていくのだろうか。

 

「……紫、次に行きましょう」

「そうね。既に準備は出来ています。この夢ももうすぐ終わるようだし、次に繋ぎましょう」

 

 もう、この夢は十分だ。これ以上残っていたとして、ただ少年が悲しむ姿が夢の終わりまで続くだけだ。

 紫がスキマを開き、三度目の境界移動。

 最後にちらりと見た少年の顔は、やはりあの子に通ずるところがあって。

 ああ、どうして。

 ――どうして、この手で抱き締めてあげることもできないのだろう。

 

 

 

    ◇◆◇◆

 

 

 

 次の場所は森の中ではなかた。

 竪穴式の家屋が点在し、広々と田畑が広がる。道もある程度整備されている。

 明らかな、人の暮らす気配。

 今までの場所が場所だっただけに、少しだけ体に力が入る。ここが夢の中だと分かってはいるのだが。

 

「どうやら、夢としてはここが最後のようですわ。まだ続き自体はあるみたいだけど……繋がりは薄いし、この夢で切り上げていいかと」

「アンタがそう判断するなら従うわ。どうせ、私一人じゃ夢の移動なんて出来ないのだし」

 

 もう少し、周囲を観察する。

 人間の存在は疎らだ。住居の数や田畑の大きさからして、中規模程度の村ではあると思うが、その割にはあまり人を見かけない。

 日は高い。身分の高くない庶民ならば、今の時間帯農作業に従事するか昼食の準備にとりかかるか、殆どの大人はそのどちらかをしている筈だ。まだ幼い子供ならばそこらを走り回っていてもおかしくはない。

 なのに、やけに閑散としている。

 それに……どうも、結構な時間を遡っていないか?

 今まで森の中だったから分からなかったが、なんとなくそんな気がする。人間の文化などあまり興味を持ったことがないので不明とはいえ、流石に勘違いとは言えない程の違和感を覚える。

 何かないかと、二人はその場から動く。そんな彼女達の耳に、どこかから声が届いた。

 

『こ、こっちに来るな!』

 

 その声は明らかに異質であった。

 明確な何かを拒絶する声。発生源は……後ろか。

 三度目ともなれば、この声がした場所にあの白髪の少年もしくは少女がいるということは予測できる。問題は、今までと周囲の空気が違うということだ。

 一度目はそもそも周囲には誰もいなかった。二度目は口喧嘩のようなものをしていたとはいえ、根底にあるのは優しさであった。

 しかし、三度目、今は違う。

 先程の声に優しさは微塵も感じられない。あるのは恐怖か、怒りか、何にせよ良くない感情であるのは確か。

 足を止め、二人は振り向く。

 視線の先にはやはり、遠目で分かりにくいが、白髪を持つ誰かの存在は見て取れた。

 

「ッ!!」

 

 ――その身に、石が投じられる光景も。

 一瞬で幽香の妖力が爆発。数多の妖力弾が形成され、石を投じたと思われる人間の元へ殺到する。

 逃がしはしない。確実に殺す。たとえ威力過多であろうとも、その子にしでかした事を後悔させる間もなくこの世から消し去ってやる。

 だが。

 

「駄目よ、幽香」

 

 妖力弾が着弾する直前、見慣れたスキマが開かれる。幽香の放った妖力弾は全てそれに呑み込まれてしまった。妖力弾同士がぶつかり合いでもしたのか、直後に爆発音と軽めの振動が二人を襲った。

 キッと殺意の篭った目線で隣のスキマ妖怪を睨む。

 

「どういうことよ?」

「……一応、スキマからこっちに干渉することは無い筈なんだけど。軽くとはいえ、何で振動がこっちに届くのかしら」

「答えろ」

「ここはあの子の夢の世界です。暴れて、もし壊れでもしたら、どんな影響が出るか予想できません。干渉出来ないとはいえ、貴女程の力を持っていればそれも絶対とは言い切れませんし」

 

 紫の視線は冷たかった。

 だが決して、その視線は幽香に向いておらず、石の投石者の方を見ているあたり、紫もまた怒りを覚えているようであった。

 その様子を見て、幽香も冷静になる。

 ここで暴れたところで何も変わらない。分かり切ったことじゃないか。

 目を閉じ、一つ大きく深呼吸して心を落ち着かせた。

 そして再度、先の方向を見る。

 

『?――?、?』

『ひ……っ』

 

 白髪の子は、今までで一番性別が判別できない顔立ちだった。髪も中途半端で、はっきりと区別できない。

 幼いということではない。いや十分幼いが、今まで見てきた姿に比べれば大した差は無いように思える。

 そんな白髪の子は、怯えるように石を投げた人間から後退りで離れていた。向き合う形になったその人間は、目が合うと同時に家の中に引きこもった。

 白髪の子が周囲を見渡すと、皆一様に視線を外し、家の中へと逃げこむ。気が付けば、数少ない外に出て農作業していた人達も姿を消していた。

 そして、幽香と紫の目の前で、再度石が投げられた。

 思わず一歩踏み出すが、紫は腕を横に伸ばしてそれを制した。

 踏み出した一歩を戻し、力んでいた身体から力を抜く。

 

『っ?、?……?』

 

 投げられた石は、白髪の子に届かなかった。空中で、何かに弾かれるように見当違いの方向へ飛んで行ったのだ。

 しかしその子は投げられたということは分かったのか、投げられてきた方向を見て、顔を強張らせていた。

 その様子に、二人は疑問を覚えた。

 というのも、今まで見てきた白髪の子の様子と比べて、その反応が異質に見えたのだ。変に幼い、何も理解していない様子……そう、言い表すなら例えば、年相応、と言うべき反応。

 思いを馳せる二人の視線の先で、白髪の子は走り出した。

 石を投げた人間に報復するために走り出すのではなく。

 その逆。

 人間達から逃げるように――幽香と紫のいる方向へと、必死な形相で飛び出したのだ。

 

『っ……っ! っ!』

 

 速度はない。

 同年代の人間の子供と大差無い、ただただ普通の速度。

 しかし、幽香達にとって、それは少々おかしな事であったのだ。

 彼女達は一つ目の夢で、森の中を軽やかに走り抜ける少女の姿を目にしている。慣れてる慣れていないに関わらず、平坦な道と森の不安定な道も言えない道を走るのでは、ほぼ間違いなく前者を走る方が速い。

 だが、今走っている白髪の子の速度は、どう見ても先の少女より遅い。

 実年齢は不明だが、見た目で判断してそう離れていないとすれば、年齢差という線も消える。

 こちらへ向かってくる少年を半ば無意識で受け止めようとして、すり抜ける。

 

「……」

 

 幽香は、その身体を掴めなかった自らの手を見下ろし、拳を作った。

 すぐに後ろを振り向き白髪の子の姿を追うと、まだその後ろ姿が見える。

 追いかけ、追い付くことは容易い。だが、そんな気は全く起きなかった。

 すり抜ける直線、あの子が浮かべていた表情は、

 

「……あの子、怯えていたわ」

「そのようですわね」

「現実のあの子は、私を前にしても恐れることなんて無かったのに、あの子は怯えていたわ」

「……そう、ですわね」

「……どうして」

 

 どうして、人に怯えるのか。

 だというのに。

 

 ――どうして、人にも優しいのか。

 

 現実のあの子は、人を憎んでいる様子はなかった。誰も傷付けたくないという言葉には、人間も人外も含まれていた。

 それなりの時間を過ごしたからか、彼が人を憎んでいることはないと言える。

 だがそんな彼の様子は。

 たった今見た光景と相反している。

 つい今しがた走り抜けたあの子は、明らかに人に怯えていた。人から向けられる敵意を、恐れていた。

 現実でまだ寝ているであろう彼は、見た目の年齢と不相応にも、誰に対しても平等な優しさ故に孤独を受け入れていた。

 違う。何もかもが違う。

 では一体、この光景は、この過去は、少年にどんな影響を残したというのだ?

 そう考える幽香の脳裏に、優しさという単語が浮かんだ。

 ……まさか。

 

「――拒絶されるから、自分から離れたというの……?」

 

 拒絶されるが故に離れざるを得なくなるのとは違う。その場合は、人の感情が、空気が、拒絶される者が離れていくことを強く後押ししているものだ。

 だが、あの子は違う。

 あの子は自分から、人間達から離れることを選んだのではなかろうか。

 まさしく、優しさ故に。

 前者だと必ず禍根が残るというのに、あの子の場合は怒りも恨みも存在していない。

 当然だ。

 人を恨んで離れるのではなく、人を想って離れることを選択しているのだから。

 あくまで予想の範囲に過ぎない。幽香は今の子の性格や人格を知らないし、現実の方の彼の思考から推測しているだけなので、それが今の子に当て嵌まるという可能性は低い。

 だが、もし。

 もしそれが事実であったなら。

 それはなんと――なんと、悲しいことであろうか。

 二つ目の夢で見た少年と妖怪の口論の時に感じたものにも似た、やるせないこの感情。

 本当に、救いがない。

 

「……幽香、もうすぐ夢が終わるわ。現実に戻るけど……何か、ありますか?」

「……いいえ。貴方が見るべきだと判断したものを見終えたというのなら、もう戻りましょう」

「あら、いつから気付いていたの?」

「夢の移動は全てアンタに任せていた。どの夢を、どの場所で、どの時点で見るか、アンタならどうとでも変えれるでしょ」

 

 紫は一度大きく息を吐き、それを返答とした。

 

「確かに、貴方に見せていない内容はいくつもあります」

「それで?」

「ですが、その中で今までの三つの夢を見せたという理由をお忘れなく。貴方だって、これらの夢だけであの子の負っている傷を十分理解した筈です」

「私は全てを受け止める覚悟を持ったのだけれど」

「……本当に、三つの夢以外を見る必要は無いの。それらは傷足り得なかったから」

 

 傷にはならなかったからといって、痛みが無い訳ではあるまいに。

 今度は幽香が息を吐く番であった。と言っても、それは溜息と言われるものであったが。

 だが確かに、もう今までの夢で少年が抱えているものは自分なりにとはいえ理解出来たと思う。

 紫を見据え、一つ頷く。

 紫はそれに自分も頷きを返すと、スキマから扇子を取り出し、横一文字に薙いだ。すぐそこに、スキマが開く。

 

「では、そろそろ帰りましょう」

「ええ、そうね」

 

 呼びかけは短く、返答も簡素。

 開かれたスキマにまず幽香が飛び込み、次いで紫が入る。紫が入ったすぐ後に、スキマは閉じられた。

 いくつもの目玉が浮かぶスキマの中で、幽香は現実の方の少年へと思いを馳せた。

 そうだな、現実に戻ったらまず、あの少年を気の済むまで抱き締めよう。彼は、愛されるべき存在なのだ。たった独りを望み、そして独りになってしまったあの子は、誰かに愛されるべきだ。

 それに、あの抱き心地をもう愛おしくなるほど、どうやら自分は少年に入れ込んでいるらしい。

 ふふ、と小さく笑いをこぼす。

 

 さて――彼は自分を愛してくれるだろうか。

 




 ふっ。二話に分ければいいものをまとめた結果やけに多くなってしまったぜい。

 ということで夢編完結しました。
 本来なら前半の最後で少し触れた、主人公(?)と人の子が別れる話も書きたかったのですが、カット。無理矢理詰め込みました。
 人間との関わりの話になると、後半の夢と内容が被りかねなかったんですよね。

 夢の内容を出た順にまとめると、
 ・人と妖怪が殺し合った惨状を見た。
 ・妖怪を、妖怪が傷付かないように(思い込み)、自分から遠ざけた&人の子との別れの経験もしくは記憶。
 ・人から拒絶されたが、恨みではなく優しさ故に拒絶を受け入れた
 です。
 これが現実の主人公の思考の元となります。
 最後に紫が言っていた、他にもある、というのは、単にたった三つじゃ少なくね?内容も薄いし……と作者が思ったので保険をかけたためです。物語にあまり関係ありません。

 それでは、次回も読んでいただけることを願いつつ、ここらで終わりとさせていただきます。

 既に幽香は落ちていた。
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