マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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プロローグ リリアン女学園とマリア様のお庭

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。

 汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。

 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、ゆっくりと歩くのがここのでのたしなみ。

 

 私立リリアン女学園。

 

 ここは――

 

 ――乙女の園。

 

 ☆

 

『ロザリオを渡したところで、血も繋がっていない二人が本当の姉妹になんかなれるわけがない』

 

 とある月曜日。

 登校前に銀杏並木の先にあるマリア像の前。

 

 ロザリオの授与をしている生徒二人を眺めながら――――

 御園(みその)マリアは、そんなことを考えてしまった。

 その後で「いけない」と自分を戒めるように首を振り、手を強く握った。そんな考え方は、このリリアン女学園に通う生徒にはあるまじき考え方だ。

 

 マリアの通うリリアン女学園は、もともとは華族の令嬢のために創設されたという伝統あるカトリック系のお嬢さま学校。そのため少しばかり礼儀作法にうるさいところがあり、同級生は「さん」をつけて、上級生は「さま」つけて呼び合うのが、この学園での慣習となっている。

 そして、このリリアン女学園の慣習と言えば、この高等部にしか存在しない――「姉妹(スール)」と呼ばれている制度だろう。

 

 それこそが、今、マリアの目の前で行われていること。

 

 マリア像の前で上級生からロザリオを授与された下級生。数珠の先に十字架のついた美しいネックスレを首にかけられたその生徒は頬を赤らめ、その瞳にはうっすらと涙を浮かべている。

 それははたから見ても――マリアから見ても、とても美しい光景であり、そして胸を締め付ける光景だった。

 

「スール」とは、フランス語で「姉妹」のこと言う。

 そしてこのリリアン女学園の姉妹(スール)制度とは、姉が妹を導くがごとく、上級生が下級生を指導するという一風変わった伝統だった。

 もともと、広義の意味での先輩後輩関係を姉妹(スール)と呼んでいたが、いつの頃からか個人的に強く結びついた二人を指すようになったと言う。そして今では、ロザリオの授与をもって姉妹(スール)となる儀式が、このリリアン女学園の最大の伝統と慣習になっている。

 

 マリアの目の前で、たった今行われているように。

 

「そこの一年生――お待ちなさい」

 

 突然に声をかけられたのは――神聖な姉妹の儀式、ロザリオの授与がようやく終わり、マリアが歩き出した時だった。

 

 凛とした、よく通る声だった。

 

 とても綺麗な声だったのでマリアは一瞬、マリア像に呼び止められてしまったのではと錯覚したほど。

 先ほどの邪な考えを叱られてしまうのではないかと。

 

「はい?」

 

 マリアは咄嗟に振り返って瞳を丸くした。

 

 そこに立っていたのは、マリアもよく知る人物――それどころか、このリリアン女学園で彼女を知らない生徒は、一人もいないであろうと断言できるほどの人物だったから。

 

「あっ、あの、私に何かご用ですか?」

 

 マリアはおそるおそるその人物に尋ねた。

 整った目鼻立ちに、大きく円らな瞳。そして綺麗に巻かれた二つの縦ロール。身長が高いというわけでないのに、思わず見上げてしまいそうになるのは、上級生の威光だからだろうか? 

 

 いや、違う――マリアは直ぐにそう思った。

 それは、この人が特別だからだろう。

 

 松平(まつだいら)瞳子(とうこ)さま。

 

 演劇部所属で、一年生の頃から大役を任されいたというリリアン女学園きっての名女優。

 しかし、それだけじゃなく、彼女は――

 

 紅薔薇のつぼみ(ロサキンシス・アン・ブゥトゥン)

 

 そんな特別な存在が、いったい私に一体何の用だろうか? 

 マリアは首を傾げずに、頭の中で必死に悩んだ。

 

「私に何かご用ですか――ええ、あなたにご用よ」

 

 松平瞳子さまはそう言ってゆっくりとマリアに近づくと、優しく微笑んで見せた。その微笑みの意味が分らなかったマリアだったが、そんな疑問符は、直ぐにマリアの頭の中から吹き飛ぶこととなった。

 

「あなた、タイが曲がっているわよ」

 

 綺麗な細腕がマリアの胸元に延びると、その手はマリアのタイを直していた。

 一瞬、訳が分からずにパニックになりそうなマリアだったが、瞳子さまは微笑を浮かべたままマリアを見つめている。

 

「ロザリオの授与が終わるまで待っていてあげたのね?」

 

 そこでようやく瞳子さまが何を言いたいのか、マリアにも理解することができた。

 

「いえ、そんな、ほんの二、三分のことなので――」

 

 マリアは顔を赤くして首を横に振る。

 

「あの二人にとっては、とても大切な儀式だもの。あなたのおかげで、素敵な思い出になったと思うわ。優しいのね?」

 

 瞳子はとても優しげな瞳でマリア像の方を見つめた。それはどこか過去を懐かしむような、そんな眼差しだった。

 どちらかと言えば近寄りがたい上級生というイメージを瞳子に抱いていたマリアは、あまりにも柔らかな雰囲気の瞳子に驚いた。

 

 もっと厳しい方かと思っていたけれど――マリアは心の中でそう呟いた。

 

「あなた、お姉さまはいるのかしら?」

 

 瞳子に尋ねられ、マリアは一瞬目の前が真っ白になった。

 尋ねられたことの意味は分かっているのに、何と答えればいいのか分らなかった。

 その質問は、マリアの胸を強くしめつけた。

 

「聞こえなかったかしら?」

 

 少しだけ声のトーンを低くした瞳子が、目を細めて尋ね直した。

 やっぱり、この方は厳しい方だ――そう思い直したマリアは、慌てて口を開く。

 

「はっ、はい――います」

 

 マリアの答えを聞いた瞳子は、一瞬面を喰らったように目を丸くした後、清々しく笑った。

 

「だったら、余計なお節介だったわね? あなたのお姉さまに申し訳ないわ」

 

 おそらくタイのことを言っているのだろう、他人の妹の身だしなみを注意するのは、いくら上級生と言えど気が引ける。

 妹を導くのは、あくまでも姉の役目。

 

「あなたの素敵なお姉さまに恥をかかせないように、これからは身だしなみに気をつけなさい」

 

 そう言い残すと、瞳子さまは先に校舎に向かって行った。

 

 颯爽。

 そんな言葉がとてもよく似合った。

 

 完璧に直されたタイを見つめたマリアは、そのタイにそっと触れ――そこにまだかろうじて残っている松平瞳子さまの温もりを感じた。

 

 そして、マリアは悲しげな表情でマリア像を見つめた。

 どうしてあんな嘘をついてしまったのか?

 

 マリアは自分自身を呪いたい気持ちだった。

 嘘じゃないと言えば嘘じゃないのだが、それでもマリアが本当のことを話せば、瞳子さまはマリアが嘘をついたと思うだろう。

 

「マリア様の意地悪」

 

 きっと、ロザリオを渡したところ姉妹になんてなれない――

 そんなことを考えてしまった罰があたったのだろう。

 

 そう、これはマリアが甘んじて受け入れなければいけない罰。

 

 

 


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