マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
放課後。
マリアは、蘭さんに呼び出された場所に向っていた。
教室を出る前、菜々さんが心配そうな顔で「一緒に行こうか?」と言ってくれたけれど、マリアは首を横に振った。
「大丈夫。あと、お願いなんだけれど、このこと、山百合会の人たちに――ううん、瞳子さまに話さないでほしいの。余計な心配をかけたくないから」
マリアが懇願するようにそう言うと、菜々さんはしぶしぶと頷いてくれた。
マリアは、約束の場所で先に待っていた蘭さんと向き合う。
「こんなところに呼び出してごめんなさい」
蘭さんはそう口にすると、マリアを真っ直ぐに見据える。
短い髪の毛を綺麗に切りそろえた、意志の強そうな瞳の女の子。スレンダーな体にすらりと伸びた手足。透き通るような白い肌は、彼女の潔癖さと真っ直ぐさを象徴しているみたいに見えた。
出席番号がマリアの一つ前で、一番初めに声をかけてくれた同級生。
マリアがリリアン女学園で最初に言葉を交わした女の子。
最初の友達。
同じ上級生に――
そんな蘭さんと、マリアは今――まるで対峙するかのように向き合っている。
場所は中庭。
空は相変わらず曇り模様で、少しだけ肌寒い風は向かい合う二人の頬を撫でる。空気は若干の湿気を含んでいて、どことなく雨が降りそうな気配がした。
それでも、喋った声が壁や天井にぶつかって響かないこの場所は、二人で会話をするにはうってつけの場所だった。ここで交わした会話は、風はくるんでどこか遠くに運び去ってくれるだろう。
「山百合会のお手伝いはどう?」
蘭さんに尋ねられて、マリアは少しだけ拍子抜けしてしまう。
まさか世間話をするために呼び出したなんてことはないだろうけれど、それでも蘭さんが穏やかに話を進めようとしているのだと感じてホッとした。
「あんまり役に立ててないと思うけど、力になれたらいいなあって思ってる」
「そう。瞳子さまに誘われたっていうのは本当なの?」
「本当」
「マリアさんは、瞳子さんの妹になるの?」
「それは――」
マリアはそう尋ねられて言葉に詰まってしまう。
その質問をされることは分っていたけれど、いざ目の前で質問をされると、やはりなんて言葉にするのが正解なのか分らない。
「ううん。私は瞳子さまの妹にはならない。それに、瞳子さまが――私なんかを妹にするはずはんてないよ」
そういった時、菜々さんの顔が思い浮かんだ。
そして、菜々さんが言ってくれた言葉を思い出してちくりと胸が痛む。
『私だって、マリアさんなんか、なんて思ってないよ。それだけは忘れないでね?』
「ねぇ、マリアさん――あなたは、私のお姉さまがあなたを妹にって思ったことも、私『なんか』って言葉で片付けてしまうの? 私のお姉さまだけじゃない。マリアさんに
蘭さんは静かにそう言ってマリアを見つめる。
穏やかな口調だったけれど、その声音には厳しさと深い悲しみの色が濃く浮かび上がっていた。
当たり前だ。
自分のお姉さまの気持ちが、そしてマリアに
私『なんか』。
その言葉がどれほど相手を傷つけるかを、この期に及んでマリアはまだ理解できていなかったのだ。
大切な友達がそう言ってくれたにもかかわらず。
「マリアさんだって分っているんでしょう? 瞳子さまが、わざわざ興味も好意もない一年生を薔薇の館に招待すると思う? わざわざ一年生の教室までやってきて、世話を焼いたりするなんて思う? 私なんか――そんな程度の下級生を気にすると思う?」
マリアはそう言われて尚更押し黙ってしまう。
分っていた。
蘭の言っていることは全部分っていた。
瞳子さまの気持ちも、瞳子さまがマリアも対して抱いてる気持ちも――瞳子さまがいずれを自分を妹にと望んでいることも、全部分っていた。
分っていて、その気持ちに甘えて、その関係の心地良さに溺れてしまっていた。
いずれ終わりが来ると分っていながら。
「私なんか、誰の妹にも相応しくないからって――そんな理由でマリアさんは
「違う。違うの――」
「じゃあ、どうしてマリアさんは私のお姉さまの
「それは――」
マリアは言葉に詰まってしまう。
蘭さんはそんなマリアの言葉を待たずに続ける。
「ねぇ、マリアさん――瞳子さまに
マリアは、その問いに何て答えればいいのか分らなかった。
瞳子さまが、私なんかを妹にするはずない――いつものようにそう言葉を返そうかと一瞬迷って、その言い訳をマリアはなんとかのみ込んだ。
この期に及んでそんなことを口にしたのなら、マリアは二度と蘭さんに顔向できなかっただろう。
彼女は自分のことを心底軽蔑して、二度と口を聞いてくれることもないだろう、マリアはそう思った。
それに、その言葉が嘘であることも、マリアには分かっていた。
瞳子さまは、マリアを妹したいと思っている。
そんなことは分っていた。
それが、いったいどのような感情からくるものなのかは分らなかったけれど――同情や気遣いからなのか、それとも本心から自分を妹に望んでいるのか、それは分らなかったけれど、瞳子さまはマリアのことを気にかけて、そして妹として意識している。
そんなことは分っていた。
それでも、マリアは自分が誰かの妹になるなんて考えられなかった。
たとえ、自分が誰かの――ううん、違う。
松平瞳子さまの妹になりたいと本心では望んでいたとしても。
『ロザリオを渡したところで、血も繋がっていない二人が本当の姉妹になんかなれるわけがない』
マリア像の前でそんなことを思ってしまった自分に、誰かの妹になる資格なんてない。
「マリアさん、あなたはこれから先もずっと、誰にも心を開かないで、自分を偽って生きていくの? 瞳子さまが好きなんでしょう? なのに、どうして
その言葉が、マリアを徹底的に打ちのめした。
そうだ。
自分は誰にも心を開いていない。
頑なに本心を隠して、自分自身を偽ってきた。
これから先も、きっとそうしていくだろう。
そんな自分が、誰かの妹に――ましてや瞳子さまの妹になれるわけなんてない。
マリアは、心の中でそう結論づけてしまった。
「蘭さん、ごめんなさい」
そして、マリアは俯いて小さな声で謝罪をした。
それは蘭さんいだけでなく、全てのことに対して謝っているような、そんな謝罪だった。
「それは、なにに対して謝っているの? まだ、マリアさんことを何も聞いていないのに」
「ごめんなさい。私、誰とも
「だから、その理由を――」
そこまで言って、蘭さんは言葉をのみ込んだ。
そして、目を細めてマリアを睨みつける。
そこには怒りや失望の色に混じって、諦めの色が濃く浮かんでいた。もうこれ以上、何を話しても無駄だと結論を出してしまったかのような、そんな諦めの色が。
「わかった、もういい。マリアさんは、これから先もそうやって、都合の良い偽りの仮面をかぶりながら生きていけばいいのよ。誰にでも妹みたいな顔をして懐いて、そして瞳子さまのことも騙し続ければいい。でも、そんなことをしていたら――いつかきっと、本当のひとりぼっちになってしまうわよ」
そこまで言い放つと、蘭さんはもう話は思わったと歩きだす。蘭さんの上履きが、マリアの脇を通り過ぎる。そして校舎に入って行ってしまった。
ひとりぼっちになったマリアは、そのまま中庭にうずくまってしまった。
そして、目を瞑って思う。
蘭さんが怒るのも当たり前だと。
結局マリアは、なに一つ自分のことを話せなかったのだから。
瞳子さまについてしまった嘘を告白する時も、マリアは主語を曖昧にしたまま形だけの謝罪をしてしまった。そうやってマリアはこれから先も自分を偽って、嘘をつき続けて、何もかもを曖昧にしたまま生きていくのだろう。
『そんなことをしていたら――いつかきっと、本当のひとりぼっちになってしまうわよ』
蘭さんの言葉が胸に突き刺さる。
その言葉は全てが正論で、的を得ていた。
瞑った目を開くのが怖かった。
中庭に一人取り残された自分を見つけるのが怖かった。
マリアはうずくまったまま、すがるように両手を組み合わせた。
何を祈ればいいかもわからないまま――
ただマリア様に祈るように。