マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
「マリア」
中庭にうずくまったままでいると、不意にマリアを呼ぶ声が聞こえた。
マリアは、そこでようやく我に返った。
いったい、自分はどれくらいこの場所にうずくまっていたのだろう?
ずいぶん長い間この場所にいたような気がしたけれど、おそらく数分も立っていないだろう。たった百数えるほどの時間だったかもしれない。
マリアは、まるでかくれんぼで誰かに見つけてもらうのを待っていたかのように、ただその場にうずくまっていた。誰も自分なんかを見つけに来ないと思っていたはずなに、誰かに見つけてほしいと願っているような――そんな矛盾した気持ちのまま、彼女は自分の名前を呼ぶ声の方に顔を向ける。
伏せていた顔を上げて向けると、そこには今一番い会いたい人が――
そして、今一番合いたくない人の顔があった。
名前を呼ばれた時から、その声の主が誰かなんて分っていた。
まるでマリア様が使わしてくださったように、その人はマリアの顔を覗き込んで困ったような、安心したような顔で微笑んでくれる。
その微笑みがマリアの胸を強く締めつけて、そして強く傷つけた。
この人はどうしてこんなに優しくて穏やかな顔を私なんかに向けてくれるんだろう?
どうして、瞳子さまは私なんかを気遣って、こうしてわざわざ迎えに来てくれるんだろう?
瞳子さまは肩で息をしていて、額には少しだけ汗をかいている。
おそらくずいぶん急いで、走ってここまで来てくださったのだろう。
マリアは直ぐにそのことに気がついた。
憧れの瞳子さまに――
「マリア、大丈夫? 具合でも悪いの?」
瞳子さまは心配そうな顔で尋ねる。
「いえ、大丈夫です」
マリアは、小さな声でそう告げてゆっくりと立ち上がった。
二人は向かい合って顔を見合わせる。
「あなたがなかなか薔薇の館に来ないから、心配になって探しに来たの。何かあった?」
瞳子さまは優しく尋ねる。
おそらく、瞳子さまは全てを知った上で、マリアに逃げ道を残してくれているのだろう。菜々ちゃんから話を聞かなければ、マリアが中庭にいるとは思わないはずだ。同級生と何かいさかいがあったことを知りながら、瞳子さまはマリアが言いたくないのなら、そのことには触れないと案に伝えてくれているのだ。
なんてお優しい方なんだろう。
それに、なんて辛抱強い方なんだろう。
マリアは心からそう思った。
いつまでも本当のことを何も話さないマリアに、瞳子さまは嫌な顔も苛立った顔も見せずに、辛抱強く接してくださっている。
蘭さんに言われた言葉がマリアの胸の奥で響く。
『わかった、もういい。マリアさんは、これから先もそうやって、都合良い偽りの仮面をかぶりながら生きていけばいいのよ。妹みたいな顔して懐いて、瞳子さまのことも騙し続ければいい。でも、そんなことをしていたら、きっといつか本当のひとりぼっちになってしまうわよ』
その言葉はマリアの胸の奥ではじけて、彼女の心を大きく揺さぶる。
マリアは咄嗟にこう思った。
もうこれ以上、瞳子さまに嘘をつき続けたくない。
何かを偽ったり、騙すようなことをしたくないと。
「こんなところで立ち話もなんだから、薔薇の館に行きましょう。そろそろ雨も降り出しそうだし、話しはお茶でも飲みながらゆっくりすればいいわ」
瞳子さまが優しく誘う。
マリアは、もうその甘い誘いに乗ってはいけないんだと勝手に思い込んでしまった。
「瞳子さま、ごめんなさい」
「ごめんなさいって、なんのこと?」
マリアの突然の謝罪に、瞳子さまが眉をひそめる。
「私、もう薔薇の館には行けません。私なんかが、薔薇の館に行っちゃいけないんです」
マリアは今にも泣きそうな声で振り絞る。
「薔薇の館に行けないって、どういうこと? 呼び出されたクラスメイトに何を言われたの」
瞳子さまは反射的にそう言った後、「しまった」というような顔をした。知らないふりをしていた芝居が台無しになってしまったと、そんなことを言いたげな表情を浮かべている。そして少し苛立ったように首を振った後、マリアを見つめて口を開く。
「マリア、あなたが薔薇の館に行くことを誰かにとがめられたのなら。それは全く気にする必要のない言葉よ。そんな言葉に耳を貸すなんて、馬鹿げているわ」
強い眼差しと強い言葉で、瞳子さまがマリアに告げる。
「違うんです。私は、薔薇の館に行っていいような生徒じゃないんです。みんなの憧れの場所に、私は相応しくないんです。それに、私、これ以上――瞳子さまに嘘をつき続けたくないんです。だから、もう薔薇の館には行けません」
「詳しく話してくれなければ、わからないわ。私は、マリアに何を嘘をつかれているというの? それに、自分なんかと卑下するのはやめなさい」
瞳子さまは、苛立ちを強めて言う。
そして、もどかしそうに瞳を細めた。
マリアは、そんな瞳子さまを見ているのがつらかった。
今すぐ、この場所から消えてしまいたかった。
「私なんか――私なんかで十分なんです」
マリアは頑なに言って首を横に振る。
「私なんて、本当ならに――瞳子さまに、
そこまで言うと、マリアは自分が涙を流していることに気がついた。
その涙と同時に、ぽつりと雨粒が一滴――マリアの頬に落ちた。
まるで、その涙を隠そうとしているみたいに。