マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
「私なんて、本当ならに――瞳子さまに、
瞳子は、目の前の光景に戸惑っていた。
つい昨日まで、瞳子とマリアは何の問題なく関係を築いていると思っていた。その新しく生まれた絆のようなものをしっかりと結んで、その結び目を少しずつ強くしていけるんじゃないかと感じてさえいた。
お姉さまである祐巳さまと三人で並んで帰り、マリア像の前で三人揃って手を合わせた時には――これが私たちの未来の形なんじゃないかとさえ想像した。
それなのに、今自分の目の前で泣きそうな顔で首を横に振るマリアは――瞳子のことを拒絶していた。
話しを聞き出そうにも、マリアは一向に自分の話をしてくれそうもない。
それどころか、薔薇の館に来ることすら拒否している。
瞳子は、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
この中庭にマリアを呼び出したクラスメイトに何かを言われた、または吹き込まれたということは分かっているのだけれど――この取り乱しようはそれだけではない気がして、それが瞳子の不安を一層大きくした。
おそらく、マリア個人の理由が関係しているのではないかと。
瞳子は思わず空を仰ぐ。
分厚い雲に覆われた灰色の空が、まるで自分の心模様のように広がっている。
マリアの言う嘘がなんなのか、瞳子にはまるで分からない。
最初に出会った時――お姉さまがいると嘘をつかれた。
これまで何度も
それ自体、瞳子はまるで気にしていなかった。
しかし、今マリアが言っている嘘というのは何なのか、まるで分からない。
分からないことが、瞳子の不安をかきたてる。
このままではマリアがどこか遠くに行ってしまいそうな、そんな気がした。
今この場を逃したら、永遠にマリアを失ってしまような気が。
瞳子は考える。
どうすれば――マリアを繋ぎ止めておくことができるだろう?
これまでの短い関わりの中で、瞳子はマリアの心に触れていると思っていた。
少なくとも、私たちはお互いに好意や好感を持って、お互いに惹かれあって接してきた。そのことに嘘や偽りはないはずだし、自分の勘違いでもないはず、瞳子はそう考えた。
二人の距離は順調に近づいていた。
それなのに、マリアは今どこか遠くに行ってしまいそうだった。
手を伸ばしても届かない場所に。
そう思ったら――瞳子は一歩足を踏み出してマリアに手を伸ばしていた。
「マリア」
そして、マリアの名前を優しく呼ぶ。
自分の言葉が、目の前で怯えたように震える彼女に届いて欲しいと願いながら。
「――私の、妹になりなさい」
瞳子は、自分なりの答えを出してそうはっきりと口にした。
これが瞳子の結論だった。
それが、自分とマリアにとって一番の答えだとそう思った。
「え、瞳子さま?」
マリアは瞳子の言葉を聞いて信じられないと目を見開く。
その大きな黒い瞳から、溜まっていた涙が一粒零れ落ちる。その後、涙はとめどなく流れだした。もうこらえることができないと言うように。
瞳子の目にはその涙が嬉し涙なのか、そうじゃないのか分らなかった。信じられないという表情が、いったい何の感情を表しているのかもまるで分からない。人の顔色を窺ったり、演技を見破るのが得意なはずの瞳子も、この時ばかりは何一つ分らなかった。
それくらい、自分自身に余裕がなかったから。
「マリア、あなたの抱えているものを、私にも抱えさせてほしいの。二人で一緒に考えたり、悩んだり、それに喜んだりしたい。だから、私の妹になりなさい。私が――あなたを守ってあげるわ」
そこまで言い切ると、瞳子は首から下げたロザリオを外した。
それは、今年の二月に祐巳さまからかけてもらった大切なロザリオ。
祐巳さまのお姉さまである祥子さまと、マリア様がみている前で――二人が姉妹《スール》になった特別な証。
瞳子は、それを輪の形にしてマリアの首にかけようとした。
きっと、喜んでもらえると思った。
この形が一番良いんだって、そう思った。
けれど、今マリアが浮かべている表情の名前を瞳子は知っている。
悲しみ。
そして、失望だ。
マリアは大粒の涙を流しながら、どうしてと首を横に振る。
先程かすかに降り出した雨が、彼女の涙や心模様に合わせて激しくなった気がした。
瞳子の頬にも雨粒が伝う。
まるで涙を流しているみたいに。
「ごめんなさい、瞳子さま。私、瞳子さまと
マリアはそう言った後、自分自身の言葉に絶望したように俯いてしまった。
もう二度と顔を上げられないというように。
「マリア。どうして、私と
瞳子は隠しきれないショックを抱えたまま、そう尋ねた。
瞳子だって、覚悟を持ってこの
理由も聞かずに引き下がれるほど、マリアに抱いている感情は小さくない。
むしろその大きさに驚いているくらいだった。
自分は、いつからこんなにもマリアのことを思っていたんだろう?
そんなことすら考えた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃ分らないわ。はっきりと理由を言ってちょうだい」
「ごめんなさい」
マリアはまるで「ごめんなさい」以外の言葉を忘れてしまったように、ただそう呟く。
そのことが、瞳子を深く傷つけた。
自分たちの関係は――この程度のものだったのかと。これまでの関係が全て夢か幻のように思えて足下が崩れそうになった。
それでも、瞳子は諦めきれなかった。
今さら諦め、全てを忘れて手放ししまうなんてことは考えられなかった。
だって――自分はマリアを妹にと願ったのだから。
「ねぇ、マリア、返事は今じゃなくても構わないわ。あなたが落ち着いてからゆっくり考えてくれればいい。私の方も、いきなりで考えなしだったかもしれないわ。だから――」
「違うんですっ」
マリアは瞳子の声を遮るように声を上げる。
まるで悲鳴のような声を。
「どうして、
マリアは泣きながら言葉を捲し立てる。
まるで、自分が何を言っているのかも分っていないような顔で。
そして、自分自身を傷つけるように。
小さな子供が癇癪を起しているように。
「それに、私を守るために私と
「マリア、待って――」
瞳子は、この場を去ろうとするマリアを止めようと手を伸ばす。本当は駆け出して震えるマリアの体を抱きしめてあげたかった。
だけど、その思いと裏腹に瞳子の足は全く動かなかった。
それほど、深く傷ついていたから。
背を向けたマリアが走り去っていく。
遠くに行ってしまう。
自分の手の届かないどこかへ。
その姿が見えなくなるまで、瞳子は呆然と立ち尽くしまま見送った。
そして、ひとりぼっちになってしまった中庭で、もう一度空を仰ぐ。
二人が離れ離れになるのを待っていたかのように、雨が強く振り出した。
まるで、何かの幕を下ろすように。
受け取ってもらえなかったロザリオを戻した時――ひんやりとした。
その冷たさで、瞳子は自分が徹底的に拒絶されたことを実感した。
つまり、自分はふられてしまったのだ。