マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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35 かつてのライバルと祐巳さまのように

 放課後。

 今日一日を上の空、心ここに在らずで過ごした瞳子は、ホームルームが終わったばかりの教室で一人席に座ったままでいた。

 

 いつもなら直ぐに薔薇の館に向うのだけれど、今日はなかなか立ち上がる気力が沸いてこない。このまま薔薇の館に向っても、正直まともに仕事ができそうもない。

 瞳子は、どうしたものかと頭を悩ませた。マリアが病欠をしているということが、瞳子の頭から離れなかった。

 

 瞳子は、今すぐにでもマリアに会いに行きたくて仕方なかった。

 それと同じくらい、マリアに会いに行くのが怖かった。

 

 私が会いに行って迷惑じゃないかしら?

 もう一度拒絶されてしまったら?

 

 そんなことばかり考えてしまう。

 自分が臆病になっていることに気づいてはいたけれど、それを克服する特効薬のようなものは存在しない。

 

「はぁ」

 

 今日何度目かの溜息をついたところで、瞳子は不意に名前を呼ばれる。

 

「瞳子さん?」

 

 声のほうに視線を向けると、クラスメイトの敦子(あつこ)さんが自分を呼んでいる。「どうしたのかしら?」と首を傾げる間もなく、「瞳子さん、お客様よ」と敦子さんが取り次いだ。

 

 教室の入り口に立っていたのは、とても大きな生徒。

 瞳子はその生徒と視線を合わせて、もう一度溜息をつく。そして、急いで帰り支度を済ませてお客様のもとに向かう。

 

 正直なところ、今彼女と話すのはあまり気乗りしない。

「やれやれ」という表情を隠さずに見上げるほど大きな生徒の前に立つと――細川可南子(ほそかわかなこ)さんはにっこりと微笑んで瞳子を見つめる。その嫌味なくらいの微笑みが、瞳子のうんざりした気分をさらにうんざりさせた。

 

「はぁ。可南子さん、いったいなんの用?」

「ごきげんよう。紅薔薇の(ロサ・キネンシス・)つぼみ(アン・ブウトン)。少しお時間いいかしら?」

「ええ、かまわないわよ。紅薔薇の(ロサ・キネンシス・)つぼみ(アン・ブウトン)は、リリアン女学園に通う全ての生徒に奉仕する存在なのだから。でも、つまらない用事なら遠慮して下さると助かるけど?」

 

 瞳子は嫌味っぽく言ってツンと顔を背けた。

 

 可南子さん相手なら、これくらい言っても構わない。なんと言ったって、自分と可南子さんは犬猿の仲のようなものなのだ。

 かつて、瞳子と同じく祐巳さまの妹候補として噂された細川可南子さん――そのことで、瞳子と可南子さんは一時期ぎくしゃくも、反目もしたけれど、最終的には和解のようなところに落ち着いている。

 

 まぁ、一緒に遊園地に行くくらいの仲にはなっているわね?

 瞳子は心の中でそんなことを呟く。

 

「意外に元気そうで安心したわ」

 

 瞳子のそんな胸の内を感じ取ったように、可南子さんはもう一度嫌味なほどの微笑を浮かべて、瞳子の嫌味を聞き流した。

 

「ずいぶん噂になっているから少し顔を見に来たんだけれど、余計なお世話だったみたいね?」

 

 瞳子は一瞬、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした後、かつてのライバルをじろりと見る。

 

「可南子さんが、私の心配? ずいぶん殊勝な心を持つようになったのね」

「あら、心配なんて言ってないわよ。瞳子さんの落ち込んだ顔を眺めに来ただけよ」

 

 瞳子の言葉に返す刀で可南子さんが応じる。

 

「言ってくれるじゃない?」

「お相子さまでしょう?」

「ふふふ」

「ふふふ」

 

 二人は見つめ合ったまま不敵な笑みを浮かべる。

 

「それで、このままほうっておくつもり?」

「ほうっておくって何が?」

「噂話。ずいぶん広まっているわよ」

 

 二人は廊下を歩きながら会話をする。

 

「噂話って、私が下級生に姉妹(スール)の申し出を断られたって話のことかしら?」

「ええ」

「それなら、事実だもの。言わせておくしかないわ」

「え?」

 

 可南子さんは足を止めて瞳子を見る。

 その顔には、驚きと――まるで自分が傷ついたかのような苦悶の色が浮かび上がっていた。

 乃梨子も同じような表情を浮かべていたことを、瞳子は思い出す。たくさんの人たちに心配をかけているんだな、と。

 

「そんな顔をしてくれるのね? 本当のことを話した甲斐があったわ」

 

 瞳子は先ほどのお返しとばかりに、してやったりの表情を浮かべてみせる。

 

 別に、可南子さんを驚かせるために姉妹(スール)の申し出を断られた事実を話したわけじゃない。

 可南子さんになら話しても構わなかった。

 けれど、素直に白状するのも尺なので仕返しという体をとってみせただけ。

 

「あの噂、本当だったの? 私、てっきり――ごめんなさい」

「別にかまわないわよ。それはもう手ひどく断られたんだから。弁解の余地もないわ」

 

 瞳子が自虐的に言ってみせると、可南子さんは困ったように微笑んだ。

 

「それで、これから先どうするの?」

「どうするって?」

「瞳子さんのことだから、諦めてはいないんでしょう?」

「お姉さまと同じことを言うのね?」

「祐巳さまと?」

「ええ」

 

 瞳子も小さく微笑んだ。

 

「祐巳さまは、瞳子さんを諦めなかった。それに祐巳さまは――こんな私にも、最後まで向き合ってくださった。諦めず、見捨てたりせずに。何のメリットもない賭けまでして」

 

 可南子さんは、懐かしそうに言う。

 

 瞳子と可南子さんが一年生の時――薔薇の館に通い、祐巳さまの妹候補なんて呼ばれ方をされていた頃、可南子さんは祐巳さまとある賭けをした。

 体育祭でどちらのチームが勝つか、勝ったほうが相手の言うことを何度も聞く――という賭けを。

 可南子さんの言う通り、その賭けをすることに祐巳さまのメリットは一つもなかった。

 

「どうしてそんな賭けをするんです?」そう尋ねた瞳子に祐巳さまはこう仰った。

 

「私は可南子ちゃんと関わりたかっただけなの」

 

 祐巳さまはそう言って、最後まで可南子さんに向き合い続けた。

 瞳子はその時のことを思い出して「やれやれ」という気分になる。

 だって、そんな祐巳さまに自分が口にした言葉と言えば――

 

「おめでたい」

 

 可南子さんへの苛立ちや嫉妬のような感情があったとはいえ、憎まれ口もここまで来るとたいしたものだ。穴があったら入りたいとは、まさにこのことだろう。

 

 私たち二人は、その「おめでたさ」のおかげで今もこうして繋がっている。

 

「瞳子さんは、祐巳さまが私たちにしてくださったようにしてあげればいいんじゃないかしら?」

「祐巳さまが、私たちにしてくださったように?」

「ええ。最後まで向き合い続ける。真正面から向かっていく。私が憧れた祐巳さまのように――瞳子さんもそうすればいいのよ」

「私に出来るかしら?」

 

 瞳子は自信の無さから、そんなことを尋ねてしまう。

 普段なら絶対にそんな弱気な発言はしないけれど、この時ばかりは可南子さんの言葉に身を預けたくなってしまった。かつて、同じ人に憧れ続けた同志として。

 

 厳しい言葉をかけて欲しかったのかもしれない。

 叱責して、自分の背を叩いてくれるような、そんな言葉が聞きたかったのかもしれない。

 

「できると思うわ」

「え?」

「だって、瞳子さんは祐巳さまが妹にと望んだ人なのよ。それに瞳子さんだって、誰よりも祐巳さまを追い続けて――祐巳さまを見つめてきたじゃない。今は祐巳さまの隣で祐巳さまを支えてる。祐巳さまから受け継いだ紅薔薇の(ロサ・キネンシス・)つぼみ(アン・ブウトン)は、名前だけなのかしら?」

 

 だけど、帰ってきたのはとても優しい言葉。

 そして、力強い言葉。

 思わず涙を流してしまいたくなるような。

 

「違う?」

 

 可南子さんは瞳子を励ますように、そしてどこか挑発するようにそう言った。

 瞳子にとって、その挑発に乗るのは心地良かった。

 

「そうね。少しばかり情けないとこを見せてしまったわね」

「かまわないわよ。瞳子さんの落ち込んだ顔が見られて目的も果たせたし。それに、これは散々祐巳さまを困らせ続けた罰があったのよ。しっかり苦しんで――素敵な妹をつくってね?」

「言ってくれるじゃない」

 

 瞳子は、心の中で可南子さんに感謝をしながらそう言う。

 

「ふふふ」

「ふふふ」


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