マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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39 部長と経験

 土曜日。

 瞳子はリリアン女学園じゃなく、別の場所に向っていた。

 

 バスに揺られながら、曇った窓ガラスの向こう側に視線を向ける。

 天気はあいにくの雨で、ここ最近の瞳子の心模様を映したまま。あるいは、これから会いに行く別の誰かの心模様を映しているのかもしれない。

 

 バスを降りて赤いバラ色の傘を差しながら、事前に調べてきた道をたどる。

 この大切な用事を終えた後、その足でリリアン女学園に戻り演劇部の練習に出るため、服装はリリアンの制服姿。自慢の縦ロールもいつもよりも入念に巻いて、気合十分、戦闘準備はバッチリという出で立ち。

 

 昨日の蘭さんとの会話を思い出して、胸に火が灯るのを感じる。

 今の瞳子の心は曇っていない。

 晴れ渡っているくらいだ、

 

 そして瞳子は、演劇部の稽古に遅れると断りを入れた時の、部長との会話をふと思い出した。

 

「少し遅刻するくらい、ぜんぜん構わないわよ。それに、一日くらいなら休んだって問題ないのよ? 瞳子ちゃんの役はもう完成しているようなものなんだし」

「いえ、午後からは練習に出られるので。それに、部の全員で合わせたほうが劇の完成度も上がります」

 

 部長の高城典(たかぎつかさ)さまは、瞳子の言葉を聞いて優しく微笑む。

 もしかしたら、ずいぶん丸くなって殊勝なことを言うようになって――と、思われているのかもしれないと、瞳子は少しだけ気恥ずかしくなった。

 

 一年生の頃の自分は、お世辞にも部に馴染めているとは言えなかった。

 劇の練習を飛び出して、そのまま稽古に戻らないことだってあった。

 

 演劇部に戻るのを躊躇っていた時、瞳子の背中を押してくれたのは祐巳さまだった。

 そしてもう一人――そんな瞳子を見捨てずに演劇部に留め、他の部員との仲を取り持ってくれたのは、今目の前のいる部長だった。

 

「なら、いいわ。実際、瞳子ちゃんが稽古に参加してくれた方が部の士気も上がるし、演技の質も上がる。でも、変な噂話が流れてるけど、大丈夫? 私が心配するようなことでもないと思うけれど」

 

 部長は、瞳子を見つめて続ける。

 

「今の瞳子ちゃんには――あなたを支えてくれるたくさんの仲間や友人たちがいる。だから、大丈夫だっていうのは分っているんだけれど、少し気になって」

「ご心配をおかけしてすいません」

「いいのよ。心配をしたり、気にかけたりすのが上級生の役目なんだから」

「はい」

 

 瞳子は、ここにも自分を気にかけてくれる大切な人がいることに気がついた。

 それは、瞳子の胸の奥を暖かくして奮い立たせてくれる。

 特別なロザリオの数珠はこの場所にも繋がっていて、瞳子という輪を強くしてくれている。

 

 かつて、部長は瞳子の姉になろうとしてくれた。

 

 それは瞳子が、祐巳さまを断ち切るために生徒会選挙に出て落選し後の話。

 演劇部を止めようとした瞳子を引き留めて、優しく抱きしめてくれた。

 

 その時、姉妹(スール)の申し出をしてくれた。

 この演劇部の部室で。

 

「もう、祐巳さんのことは忘れなさい。私が守ってあげるわ」

 

 あの時、部長の胸の中で瞳子はこう思った。

 

 このままうなずけば、楽になるのだろうか。何も考えずに、何も求めずに。穏やかな生活を送ることができるのだろうか。

 

 でも、瞳子はゆだねかけた部長の腕をとらなかった。

 とれなかかった。

 

 祐巳さまを断ち切るために、ただ守ってもらうためだけに、部長を選ぶなんてしてはいけないことだと思ったから。

 

 そのことを思い出した時、瞳子はふとあることに気がついた。

 自分が、マリアに姉妹(スール)の申し出をした時の言葉を思い出した。

 

「マリア、あなたの抱えているものを、私にも抱えさせてほしいの。二人で一緒に考えたり、悩んだり、それに喜んだりしたい。だから、私の妹になりなさい。私があなたを守ってあげるわ」

 

 そうだ。

 ただ守ってもらうために姉妹(スール)になるなんて――何かを断ち切るために姉妹になるなんて、してはいけないことだ。そのことを一番理解していたはずの、身にしみて知っていたはずの瞳子が、どうして気づいてあげることができなかったのだろう。

 

 瞳子は、かつて自分を妹にと思ってくれた部長を見つめた。

 

「部長、ありがとうございます」

 

 そして、にっこりと笑って感謝の言葉を告げる。

 

「ありがとうって、何が?」

「ご心配して頂いたこともそうですが――あの時、部長は言ってくれましたよね?」

「言ったって、何を?」

「結果はどうあれ、こういう経験って大切よ、って」

「そう言えば、そんなことを言ったわね」

 

 部長は、懐かしそうに言って微笑む。

 

 それは、瞳子が山百合会の選挙で落選した経験を指して言葉だったが、人生すべてに当てはまる素晴らしい警句だ。

 

「瞳子ちゃん、良い顔しているわよ」

 

 部長は瞳子のその表情を見て、もう心配する必要はないと理解したように頷く。

 だって、瞳子の表情はとても晴れ渡っていたのだから。

 

 清々しいくらいに。

 晴れ晴れと。

 

 

「部長のおかげで、少しだけ分った気がするんです。私がこれから何をするべきなのか」

 


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