マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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42 くもりガラスと向こう側

「突然押しかけてしまって、ごめんなさい。迷惑じゃなかったかしら?」

 

 背の低いガラステーブルの前に、向かい合って座った瞳子とマリア。

 ピンク色のパジャマ姿で、少し疲れたような顔をしているマリアを見つめた瞳子は、落ち着いた調子でそう言った。

 内心はとても穏やかとは言えなかったけれど。

 

「迷惑だなんて。私のほうこそ、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 

 マリアは落ち着かなそうな調子で、瞳子から目を反らす。

 

「三日も休めば、心配もするわ」

「ですよね」

「でも顔色も悪くないし、病気もだいぶ良くなったみたいで安心したわ」

「はい」

 

 返ってくるのは、気まずそうな歯切れの悪い返事ばかり。

 空気が重い。

 会話が弾みそうにない。

 

 瞳子は、どうしたものかと思案する。

 そして――

 

「マリア」

「あの、瞳子さま」

 

 同時に、二人の言葉が重なる。

 お互いの名前を呼ぶ声がぶつかりあって、二人は気まずそうに目を合わせる。

 

「あなたから、どうぞ」

 

 瞳子が先を譲る。

 

「いえ、瞳子さまが先に」

 

 マリアも、先を譲ろうとする。

 すると、不意にマリアの部屋の扉が開く。

 

「お茶と、お茶請けをもってきたんだけれど、お邪魔だったかしら?」

 

 マリアの母親は、静まり返って部屋の中を見て首を傾げる。

 

「お母さん、ノックくらいしてよ」

「ごめんなさいね」

「手伝います」

 

 素早く立ち上がった瞳子は、マリアの母親から紅茶のトレーを受け取る。

 

「松平さんは礼儀正しいだけじゃなくて、気まで利いて、マリアにも見習ってほしいわ」

「お母さん、瞳子さまの前で余計なことは言わないで。恥ずかしいでしょ」

「なにを恥ずかしがることがあるのよ? 事実なんだから。この子、家だといっつもゴロゴロして」

「お母さんっ」

 

 マリアが悲鳴のような声を上げる。

 

「ああ、そうだ。お茶請けのゼリーは、松平さんがあなたのお見舞いにもってきてくれたものだから、しっかりとお礼を言うのよ」

 

 母親は楽しそうにそう言って、マリアの部屋を後にした。

 

 ガラステーブルの上には、暖かい紅茶と桃のゼリーがそれぞれ二つずつ。

 桃のゼリーはマリアの家を訪れる前に、駅前のデパートで瞳子が購入したもの。松平家でも良く食べるお気に入りの洋菓子店のもので、その中で瞳子が一番好きなものをお見舞いの品として購入した。

 

「瞳子さま、うるさい母親ですいません。それに、お見舞いに来て頂いただけでなくゼリーまで、本当にご心配をかけてごめんなさい」

 

 マリアは恥ずかしそうに頬を赤らめて言う。

 それでも、先程よりも緊張がほぐれた感じで、自然体の彼女の姿が垣間見れた。

 瞳子は、心の中でマリアの母親に感謝をした。

 

「気にしないでいいのよ。それに、素敵なお母様だわ。さぁ、紅茶が冷める前に頂きましょう」

「はい。私、桃が大好きなんです。このゼリーとってもおいしそう」

「なら、よかったわ」

 

 瞳子は小さな子供のようにゼリーを頬張るマリアを見つめながら、ティーカップを持ち上げて紅茶を一口すする。

 

「この紅茶――ローズヒップティー?」

 

 瞳子は、慣れ親しんだ紅茶の味に驚く。

 マリアは、またしても恥ずかしそうに頬を赤らめて瞳子を見る。

 

「はい。瞳子さまのお気に入りのお茶をお家でも飲みたくて――お母さんに頼んで茶葉を買ってもらったんです」

「そう」

 

 瞳子は弾む気持ちを抑え込んでもう一口紅茶をすすり、桃のゼリーを頬張る。いつもよりお茶もゼリーも甘く感じられた。それも飛びきりに。

 

「あの、瞳子さま」

「マリア」

 

 再び二人の声がぶつりかり、重なり合う。

 瞳子とマリアは、またしてもお互いの顔を気まずそうに見つめて苦笑いを浮かべる。

 だけど、今度の苦笑いは悪い気はしなかった。

 

「私たち、気が合うわね?」

 

 瞳子は、やれやれと首を振りながら言う。

 

「はい」

 

 マリアも、嬉しそうに頬を赤らめる。

 

 少し間を置いた後で、瞳子はおもむろに口を開いた。

 自分が先に話をすると。

 

「マリア、ごめんなさい」

 

 瞳子は、単刀直入に謝罪をした。

 

「えっ?」

 

 マリアは驚きで瞳を見開く。

 

「あなたを困らせてしまって。突然姉妹(スール)の申し出なんて、あなたも戸惑うわよね。あなたは最初から誰とも姉妹(スール)になるつもりなんてないのに。それを知っていて姉妹(スール)の申し出をするなんて、私の独りよがり――私は考えなしだった」

 

 瞳子は淡々と、ただ静かに言葉を重ねていく。

 せいいっぱいの誠意と思いを込めて。

 マリアに届くように願いながら。

 

「私があなたを妹にと望んだのは、私の心からの気持ちだったけれど――結果、あなたを追い詰めてしまった。リリアンに戻りづらく、通いづらくしてしまった。本当にごめんなさい」

「そんな、瞳子さまが謝ることなんて――」

 

 マリアが叫ぶように言う。

 今にも泣きそうな顔を浮かべて、怯えた子供のように首を横に振る。

 

「私が、私が、ぜんぶいけないんです。私がはっきりとしないから、それでたくさんの人に迷惑をかけて。それで瞳子さまにまで――」

 

 マリアは、その先を言い淀んで口を噤む。

 やはり、マリアはどうしてもその先の言葉を言おうとはしない。

 

 マリアは視線を外し、瞳子ではなく部屋に飾られた綺麗な白い百合の花のほうを見つめている。百合の花の飾られた花瓶の隣には、写真立てがどうしてか伏せられて置かれていた。

 

 瞳子は、まるでくもりガラスの向こう側にマリアを見つめているような気分だった。

 マリアの本当の気持ちが見えない。

 

 間違いなく、瞳子とマリアは互いを思いやっているはずなのに、そのたった一枚のくもりガラスが、二人がわかり合うことを――手を取り合うことを邪魔している。

 

 本当のマリアが笑っているのか、泣いているのか、わからない。しかめっ面でもいいから見せてほしいのに、それを見ることは叶わない。

 なんでもいいからマリアの言葉を聞かせてほしいのに、その声を聴くことができない。瞳子のことを呼んでいるのか、泣いているのかも、わからない。

 それがマリアの本心ならば、憎まれ口だって聞かせてほしいのに。

 

 マリアのほうからそのガラスを拭いてくれないと、二人は本当の意味でお互いの心を通わせることはできない。

 瞳子だけでは、その窓ガラスは開かないのだ。

 

 瞳子は、少しだけめげそうな気持ちになりながらも、たくさんの人たちの顔を思い浮かべて自分を奮い立たせる。

 

 瞳子を心配してくれた菜々ちゃん、可南子さん、笙子さん、そしてもちろん、乃梨子。

 昨日、薔薇の館を訪れて本心を聞かせてくれた蘭さん。

 何も言わずとも見守ってくれている由乃さまや志摩子さま。

 大切なことに気づかせてくれた部長。

 

 なにより、一番心配をしてくれているお姉さま。

 祐巳さまは、瞳子が自分の力で妹をつくると信じている。

 

 だから、笑顔で送り出してくれた。

 諦める必要はないと、背中を押してくれた。

 

 今日は、マリアから何かの言葉を引き出すような必要はない。

 ただ、マリアに瞳子の気持ちを伝えるだけでいい。

 

 だから、今は二人の間の壁や距離があったとしても構わない。

 

「マリア、私には、あなたが何を抱えているのかはわからない。それを聞かせてというつもりもない。あなたにだって譲れないものがあるでしょうし、大事にしているものが――大切な思いがあると思うから」

 

 瞳子は、一つ一つの言葉をはっきりと口にして続ける。

 

「でも、あなたに姉妹(スール)の申し出をしたことを、私は後悔していない。同情や憐れみなんかで、その申し出をしたのでもない。ただ守ってあげたいからでもない。私は、心からあなたを妹にと望んだのよ。それだけは、あなたにわかっていて欲しいの」

 

 瞳子は、にっこりと笑ってそう言う。

 それが、自分の心からの気持ちだと示すように。

 

「どうして?」

 

 だけど、マリアは意味が分からないと首を横に振る。

 瞳子の言葉の意味が分からないと。その顔は怯えていて、困惑していて、痛みに耐えているようでもあった。必死に、わからないふりを続けているようにも。

 

「どうして、そんなに私に優しくするんですか? 自分を拒絶して、あんな失礼を働いた下級生に、どうして、そんなに――私、わからないんです。瞳子さまが、どうして私なんかを妹にと望むのか」

 

 マリアは今、自分の中にある何かと戦っている。

 瞳子には、それが直ぐに分った。

 

 分りたい気持ちと、分りたくない気持ち――委ねたくなる気持ちと、譲れない何かを天秤にかけて、苦しんでいるのだ。

 

「わからないの?」

 

 瞳子は、静かに尋ねる。

 本当に、分らないのかと。

 

 マリアは泣きそうな困った顔のまま、なんと答えればいいの分らないという顔で瞳子を見つめる。

 瞳子には、マリアの気持ちが痛いほどわかった。

 

 今のマリアは――かつての瞳子そのものだ。

 祐巳さまの姉妹(スール)の申し出を断り、それでも瞳子を気にかける祐巳さまに――「わからないの?」と尋ねられた瞳子と同じ。

 

 瞳子には、祐巳さまの気持ちがわかっていた。

 マリアだって、瞳子の気持ちも、瞳子がこの先に用意している言葉だってわかっているはずだ。

 

 それでも、信じられないのだ。

 瞳子が差し出した手を取れない、この胸に飛び込んできてくれない、その理由があるのだ。

 

 それを蔑にしてはいけない。

 それから目を背けてはいけない。

 

 だから――

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