マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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44 赤い糸と虹

「伝えたいことも伝えたから――私はこれで失礼するわね」

 

 瞳子さまは、清々しい顔を浮かべて立ち上がった。

 

 マリアはまさかの告白に頭が真っ白になってしまい、なんと言葉を返せばいいのか分からなかった。

 それどころか、まるで言葉の発し方すら忘れてしまったように、声にならない声が喉元で泡のようにはじける。

 

 本物の人魚姫になってしまったように。

 

「マリア、月曜日はしっかり登校していらっしゃい。あなたの気持ちを無視して姉妹(スール)の申し出をしたり、無理やりロザリオを受け取らせようなんてしないから。それに――三守蘭さんもあなたのことを心配していたわよ」

 

 瞳子さまが部屋を立ち去ろうとする。

 マリアは慌てて立ち上がり、せめてお見送りだけでもと思うが、瞳子さまは微笑を浮かべてゆっくりと口を開く。

 

「そのままでいいわ。色々と混乱させてしまったでしょうし、一度頭を整理しなさい」

 

 そこで瞳子さまは、良いことを思いついたというように表情を明るくする。

 

「そうだ。百数えてみなさい。きっと心が落ち着くわ」

 

 そう言い残して、瞳子さまは颯爽とマリアの部屋を後にした。

 

 マリアは、それまで瞳子さまがいた空間を――ぼんやりと見つめた。

 今までテーブルを挟んだ向かい側に、瞳子さまは確かにいて、自分に声をかけてくださった。

 

 そして、告白をしてくれた。

 

「マリアのことが好きだから。だから私は、あなたに姉妹(スール)の申し出をした――これが、私の本当の気持ちよ」

 

 それは、まるで夢か幻のようだった。

 マリア自身がつくりだした都合の良い夢物語のよう。

 でも、これは紛れもなく現実で、瞳子さまは紛れもなくマリアの目の前にいて――そして、マリアのことを「好き」と言ってくれた。

 

 そのたった二文字の言葉を伝えるためだけに、わざわざ会いに来てくださった。

 

 瞳子さまの目を見れば分る。

 その言葉に、嘘や偽りがないことが。

 

 あれは、瞳子さまの心からの言葉。

 同情や憐れみからでなく、心からマリアを妹に望んでくれた。

 

 そう思うと、弾む気持ちを抑えられない。

 溢れ出るものを抑えきれない。

 

 マリアの心が叫びたがっているように、胸の奥が大きく鼓動している。

 

「いち、に、さん――」

 

 マリアはそんな心を落ち着けようと、瞳子さまに言われた通りに数を数える。

 そして、心の中で考えを続ける。

 

 これからのこと。

 これまでのこと。

 いろいろなこと。

 

 瞳子さまの気持ちに応えたい。

 瞳子さまの気持ちに応えるのが怖い。

 

 二人の関係性が変ってしまうのが怖い。

 

 でも、瞳子さまの告白を聞いてしまった後で、このまま何事もなかったように今までの関係を維持するなんてことはできない。

 二人は、もう今までの関係ではいられない。

 

 それ以上に、マリア自身が今のままではいけないと強く思っていた。

 変わらなくちゃいけないのだと。

 

「じゅういち、じゅうに」

 

 マリアはゆっくりと立ち上がり、瞳子さまを部屋を招き入れる前に伏せた写真立てを手に取る。いつも花の隣に置いてある大切な人の写真を。

 そして、それを強く抱きしめる。

 

「さんじゅうはち、三十九」

 

『ロザリオを渡したところで、血も繋がっていない二人が本当の姉妹になんかなれるわけがない』

 

 以前、マリアはそんなことを思った。

 姉妹とは、そんな簡単なものじゃないんだと。

 

 でも、リリアン女学園の姉妹(スール)は全然簡単なものじゃなかった。

 

「四十五」

 

 マリアは祐巳さまの言葉を思い出す。

 

姉妹(スール)って、憧れだけでなれるものじゃないでしょ?』

 

 その通りだった。

 

 マリアが見てきたどの姉妹(スール)にも――姉妹(スール)になるまでの道のりがあり、愛情や信頼があり、そして苦悩があった。

 

 菜々さんと由乃さま。

 乃梨子さまと志摩子さま。

 瞳子さまと祐巳さま。

 そして、蘭さんにだって。

 

 みんな、目に見えないくらいに細い赤い糸を優しく手繰り寄せながら、その糸を大切に繋いでいた。

 マリアも、その赤い糸を手繰り寄せたいと心から思った。

 

 自分も、まだ新しい赤い糸を手繰り寄せられるんじゃないかと思った。

 最後に残った一本の赤い糸を。

 

 マリアは今日まで、自分と繋がっていた絆を一つずつ――自ら断ち切ってきた。それで構わないと思っていたけれど、あの暖かさを、優しさを――瞳子さまを知ってしまった後では、寂しくてさびしくたまらない。

 

「五十六」

 

『そんなことをしていたら、きっといつか本当のひとりぼっちになってしまうわよ』

 

 蘭さんの言葉が、胸の奥で強く響く。

 

 瞳子さまは言っていた。

 蘭さんも、マリアのことを心配していたと。

 

 蘭さんは、私を苦しめるために、私に嫌がらせをするために、自分を中庭に呼び出して話をしたんじゃない。蘭さんは私のことを思って、私のはっきりとしない態度にしびれを切らせて――その背中を押すために厳しい言葉をかけてくれたんだ。

 

 ずっとそうしてくれていた。

 私のことを嫌いになった後でも、見放さずに気にかけ続けくれたんだ。

 

 それなのに、私はその言葉から逃げてしまった。

 

 あの瞬間、マリアは本当にひとりぼっちになってしまったと思った。

 あの中庭で蘭さんに本当のことを話さず、瞳子さまを拒絶した時に――全ての絆を断ち切ってしまったと、そう思った。

 

 でも、瞳子さまはそんな私を追いかけてきてくれた。

 あきらめず、見捨てず――会いに来てくれた。

 

 それだけじゃなく、マリアが一番聞きたかった本当の言葉を口にしてくれた。

 

「六十四」

 

 私は、まだ、ひとりぼっちじゃない。

 

 マリアは、心の中で強く思った。

 最後に残った赤いを糸を、自分はまだ手繰り寄せ、絆を繋ぎとめることができるのかもしれない。

 

 それはつまり、マリアが一歩踏み出して――マリア自身が変わるということ。

 

「七十」

 

 数が大きくなるにつれて、マリアの心は落ち着いてきた。

 まるで曇り空が少しずつ晴れていくように。

 

 答えのようなものが見え始めてきた。

 勇気のようなものが湧いてくるのを感じた。

 

 

 自分をさらけ出して、全てを告白するための決意が――

 

「八十」

 

『マリア、リリアン女学園に通ってみたら。お姉ちゃん、リリアンに通うのが夢だったの』

 

 そこまで数えた時、マリアは胸の中で強く抱きしめていた写真立てと向き合った。そして、そこに映る最愛の人物と顔を合わせて、自分の顔を良く見せた。

 

 自分をリリアン女学園に導いてくれた大切な人に。

 今も忘れられない――

 

 永遠にマリアの胸の中にいる人に。

 

 

「お姉ちゃん、私――」

 

 

 マリアが決意を報告した時、窓ガラスから暖かい日差しが差し込んだ。

 いつの間にか雨はやみ、雲は晴れていた。

 空は青く凪いでいた。

 

 

 今は別々の場所にいる、二人の心のように。

 

 

 ☆

 

 

 バス停にたどり着いた瞳子は、不意に空を見上げた。

 

 雨はいつの間にかやんでいて、雲間から日差しが差し込んでいる。

 そして、青い空の向こうには色鮮やかな七色の虹がかかっていた。

 

 まるで、心に橋をかけるような美しい虹。

 瞳子は、満ち足りた気持ちでその虹を眺めた。

 

 そして心の中で呟いた――

 

 

「マリアも、この虹を見ているといいのだけれど」

 


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