マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
月曜日。
マリアは、朝早く家を出た。
それは山百合会のお手伝いをしていた時と同じ時間。
今日は一時間も前についてしまわないように、しっかりと時間を確認して、つぼみたちが集まる十五分前に薔薇の館に着くようにした。
マリアは、鏡の前で念入りに自分の姿を確認した。
何度もなんども。
頭の中で、今日言葉にすべき自分の気持ちを何度も繰り返した。
何度もなんども。
そして、生徒手帳に入れた一枚の写真をお守り代わりにして、リリアン女学園に向った。
銀杏並木の先にある二股に別れた道の前、マリア様の前で足を止めて――マリアは両手を合わせる。
そして、長い間お祈りをした後、空を見上げる。
空は晴れ渡っていて、一点の曇りもなかった。
今のマリアの心のように。
もちろん、怖れや不安はある。
受け入れてもらえなかったらという気持ちだってある。
それでも、マリアの心は晴れ渡っていた。
自分のやるべきこと、すべきこと、しなくちゃいけないこと、したいこと――全部が一致した今の気分が、とても清々しかった。
「ここから全てがはじまったんだなあ」
マリアは、このマリア像の前で瞳子さまに呼び止められ、そこでタイを直されたことを思い出した。
それが、全てのはじまりだった。
その時、瞳子さまはマリアの名前も知らなかった。
二人は正真正銘の初対面だったけれど、マリアだけがその人の名前を知っていた。
松平瞳子さま。
マリアの憧れの人。
あの瞬間から、マリアの日常が変わり始めた。
瞳子さまがマリアを見つけてくれたあの時から。
マリアはあの日のことを懐かしみながら、薔薇の館へと向かった。
二人を出会わせてくれたマリア様にお礼を言って。
☆
瞳子は、いつもよりも早く薔薇の館に来ていた。
なんとなく、マリアが来るような予感がしていたから。
三十分も前に薔薇の館に着いてしまった。
もちろん、誰もいない。
今日の朝、マリアが薔薇の館に来なくても構わない。
どうしてか、瞳子にはそんな心の余裕があった。
「おはようございます」
十五分前になって菜々ちゃんが薔薇の館にやってくると、朝の仕事が全て終わっていることに、菜々ちゃんは目を丸くして驚いた。瞳子は苦笑いを浮かべるしかなく、その意味を察した菜々ちゃんは何も尋ねずに微笑を浮かべた。
「おはよう。ぎりぎりセーフ」
その後に、乃梨子が続いた。
そして、今日に限ってお姉さま方も早く集まり、十分前には全ての薔薇さまとつぼみが集まってしまった。全員が苦笑いを浮かべるだけで、早く集まった理由を口にしようとはしない。
瞳子は一人バツの悪い気分になりながらも、こんな気分も悪くないと思った。
集まった全員がどこかそわそわとして、ふわふわとしている。
ただ一人、瞳子のお姉さまである祐巳さまだけが落ち着き払っていて、とても自然体で瞳子を見つめていた。
「今日はみんな早いわね」
由乃さまが場の空気を変えようと言う。
「お姉さまも、いつもこれくらい早く来て頂けると助かるんですけどね」
菜々ちゃんが直ぐに応じる。
「あんたはまた、お姉さまに向ってそんな口を」
「申し訳ございません。口の悪い妹で」
「むきー、ぜんぜん悪いと思っていないでしょうが」
黄薔薇姉妹が、いつもの姉妹喧嘩を演じてくれる。
「二人とも落ち着いて、せっかく早くに集まったのだから、この時間を有意義に過ごしましょう」
志摩子さまが穏やかな口調でいさめる。
「お姉さま、姉妹喧嘩は犬も食べません。ほおっておきましょう」
乃梨子が志摩子さまをたしなめて、二人は頷き合う。
いつもの白薔薇姉妹の世界だ。
「瞳子、なんだか楽しそうね」
祐巳さまが、瞳子に話しかける。
瞳子は微笑を浮かべてお姉さまを見つめる。
「はい。なんだかとても」
瞳子が言うと、祐巳さまも微笑を浮かべる。
「ほんとだね」
紅薔薇姉妹は、それ以上何も言わなかった。
言葉は、必要ないと言うように。
すると、そんな全てが満ち足りた空間を震わせる足音が聞こえてきた。
急いで階段を上る音。
それは慌てているようにも、怒っているようにも、スキップをしているようにも聞こえた。
瞳子の耳には、どうしてかその足音がとても弾んでいるように聴こえた。
足音の主は、わかかっている。
なんとなくだけれど、わかってしまった。
だから、瞳子はその扉が開くのをじっと待った。
バタン。
ビスケット扉は、階段を上がったのと同じ勢いで荒々しく開かれた。
「瞳子さまっ」
そこに現れたのは、瞳子が思い描いていた通りの人物。
――御園マリア。
瞳子が、妹にと望んだ下級生。
「マリア――」
マリアは、荒々しい息遣いのまま瞳子を見つめる。
そして、その後で部屋全体を見回して、すでに山百合会のメンバー全員が集まっていたことに驚いたように瞳を見開いた。
しかし、マリアは意を決したようにズカズカと足を進める。
そして、瞳子の座っている椅子の前で足を止める。
マリアの瞳には、もう瞳子しか映っていないみたいだった。
「瞳子さま、お話があってきました」
マリアは上ずった大きな声を上げる。
その瞳は不安で揺れていて、その表情は今にも泣きだしそうだった。
瞳子は、そんなマリアが愛おしくて仕方がなかった。
「話っていうのは、なにかしら?」
瞳子は、はやる気持ちを抑えて静かに尋ねる。
他の薔薇さまやつぼみたちが息を飲み、二人に視線を注いで、その成り行きを見守った。
全員が、二人の関係がうまくいきますように願っていた。
「はっ、はい。瞳子さまに
大きく頭を下げるマリアの姿を見て、瞳子は一瞬驚きで頭が真っ白になった。
まさか、いきなり「妹にしてください」と言われるとは思っていなかったからだ。
まさか、マリアのほうから
これは、やられた。
こんなに見事に一本を取られてしまっては、瞳子もしっかりと受けて立つしかない。
瞳子は立ち上がり、まだ頭を下げ続けるマリアをしっかりと見つめた。
「マリア、顔を上げてくれる?」
瞳子は言うと、マリアはおそるおそる顔を上げる。その自信の無さそうな表情が、今すぐにでもこの場所から逃げ出したいと雄弁に語っていた。
瞳子は、もう少しこの可愛らしい顔を眺めていたいという誘惑に駆られながらも、返事を口にする。
「もちろんよ。私のほうからも、もう一度マリアに
瞳子は、自分の首にかかっているロザリオをちらりと見せて言う。
その言葉を受け取ったマリアは、顔を真っ赤にして満面の微笑を浮かべた。
それは、赤い薔薇が咲き誇ったようなとても素敵な微笑だった。
ようやく咲き誇った二輪の赤い薔薇に、その場にいる全員が瞳を潤ませた。
全員の視線が、マリアに注がれる。
「はい。お受けします」
「ありがとう」
二人は、見つめ合って頷いた。
これで全てが丸く収まる。
最高の形で終わりを迎える。
ようやく、自分とマリアは
瞳子は、そう思った。
しかし――
「あの、瞳子さま、
やれやれ。
そうだ。
自分とマリアの関係が、こんなに簡単に終わるわけがない。
これから、本当のマリアを探しに行かなければならないのだから。
瞳子は、なんだか妙に納得してしまった。
でも、大丈夫。
もう不安はない。
くもりガラスは晴れた。
二人の心は繋がった。
あの虹の架け橋のように。
最後の数珠の弾は、この手のひらの中にある。
瞳子の薔薇の花冠は、もう完成していたのだから。
「ええ。わかったわ」