マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
「ふう」
ひとり薔薇の館を出たマリアは、放心した様子で空を見上げる。
今になって足が震えて、そして握りすぎて爪のあとがついてしまった手のひらは汗でぐしょぐしょになっている。心臓は爆発しそうなくらいに大きく鼓動していて――今でも、自分のやったことが信じられなかった。
瞳子さまに、自分から
妹にしてくださいと言ってしまった。
まさか、こんなことを言ってしまうなんて――私は、どうかしていたんじゃないかと、今さらながら思う。
自分のことを全て話し終え、さらけ出した後で、その後で改めて
全ては、マリア像の前モタモタしていたのがいけなかった。
「薔薇の館に十五分前につくつもりだったのにー」
マリアは教室までの道を辿りながら――今朝、薔薇の館に着くまでの道すがらを思い出して頭を抱えたくなった。
結局、マリアが薔薇の館に顔を出せたのは十分前。
全速力で駆けて、階段をドタドタと駆け上がって、ようやく十分前だった。
そして、何故か今日に限って山百合会のメンバーが全員揃っているというハプニング付き。
ビスケットのような扉を開けて部屋の中を見回した瞬間、一斉にマリアを見つめる瞳の多さに、焦っていたマリアの頭の中は完全に真っ白になった。
だからこそ、一番言うべき言葉と、一番言いたい言葉と、一番言わなくちゃいけない言葉が――
一番最初に出てしまった。
「瞳子さまにお話しがあってきました」の後、続いて出た言葉は――
「はい。瞳子さまに
だった。
マリアはそれを言ってしまった瞬間のことを思い出して、顔を真っ赤にする。
でも、結果としてはそれで良かった。
瞳子さまは、マリアの気持ちをしっかりと受け止めてくれた。
あの瞬間、二人の気持ちはしっかりと繋がった。
マリアは、赤い糸を手繰り寄せることができた。
あとは、マリアが全てを話すだけ。
マリアの全てを知ってもらって、それで瞳子さまの返事を聞くだけ。
でも、もう不安も恐れもなかった。
「それで、マリアの会わせたいっていう人には――いつ会えばいいのかしら?」
「放課後、少しだけお時間を頂ければ」
「それで大丈夫なの? いえ、いいわ。放課後ね」
瞳子さまは疑問を口にしつつも、今は何も聞かないと頷いてくれた。
「場所は、どこにしましょうか?」
「えっと、それは――」
そこまで頭のまわっていなかったマリアが「どうしよう?」と慌てると――「だったら」と、祐巳さまが提案をしてくれた。
「薔薇の館を使うといいわ」
「でも、お姉さま?」
私用で薔薇の館を使うことに抵抗があるのか、瞳子さまは困った表情を浮かべる。
「ああ、私と菜々は剣道部の集まりがあるから放課後は忙しいのよね」
「そうですね。けっこう長いミーティングあるとか」
と、黄薔薇姉妹。
「ああ、私も今日は忙しかったかも。ねえ、志摩子さん?」
「えっ、ええ? そうね」
と、白薔薇姉妹。
「私は、今日の放課後は薔薇の館に行かないよ。とっても大切な用事があるから」
と、祐巳さまは正直に言って全員が頷く。
瞳子さまはやれやれと首を横に振って、マリアを見つめる。
「マリア、と言うわけだから薔薇の館でいいかしら?」
「はい。放課後、薔薇の館で」
マリアはそう言いながら山百合会のメンバーに深々と頭を下げた。
気が付くと、マリアは教室にたどり着いていた。
マリアが桃組の教室に入ると、直ぐにざわざわとした空気が教室中に広がる。
しかし、今のマリアはそんな空気が気にならなかった。そんな空気や雑音に耳を傾けている余裕がなかったというのが一番の理由だけれど、それよりも、今一番しなければいけないことに意識を集中させていたから。
まずは、自分の席で荷物を降ろす。
すると、前の席のユリカちゃんが心配そうな顔でマリアを見つめた。
「マリアちゃん良かった。ずっと休んでたから心配で」
「ユリカちゃん、心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
大丈夫と言ったマリアの表情を見て、ユリカちゃんは何かを感じ取ったように安堵の溜息をつく。
教室のざわめきは次第に大きくなり、噂話の内容がマリアの耳に届くほどになった。
マリアはそれも気にすることなく、自分を真っ直ぐに見つめる一人の生徒のもとに足を運んだ。教室に入ってからずっと、マリアを強い眼差しで見つめる蘭さんのところに。
「蘭さん、ごきげんよう」
席に座る蘭さんの前に立ったマリアは、蘭さんを見つめて朝の挨拶をする。
蘭さんは、何も言わずにマリアを見つめたままで、無駄な会話ならしないというスタンスを崩したりはしなかった。
マリアは意を決して口を開く。
「これまでごめんなさい」の意味を込めて、今一番言わなければいけない本当のことを言葉にする。
「私、瞳子さまに
マリアがそれを口にした瞬間、蘭さんの表情が変わる。
まるで宣戦布告を受けたように。
二人はお互い強い眼差しで見つめ合って、それ以上は何も言わなかった。
そして、教室中のざわめきが最高潮に達する。
それが、今日一日リリアン女学園でもちきりなる――
『
☆
「ふう」
マリアが去って行った扉を見つめたままの瞳子は、まずは大きな息を一つ吐いた。そして振り返り、今にも瞳子のところに駆け出してきそうな一同を見回して言う。
「まだ、おめでとうは結構です」
澄まして言ってはみたものの、瞳子自身はやる気持ちを抑えられない。溢れ出る気持ちを、この喜びや嬉しさを隠しきれそうもなかった。
「うん。そうだね。まだだよね」
乃梨子が、小さな涙を拭いながら言う。
瞳子は、できることなら乃梨子と一緒に涙を流したいと思った。
「はい。まだですね」
菜々ちゃんはすでに泣いていて、今にも叫びたそうな顔で強く拳を握りしめている。
瞳子は、菜々ちゃんの存在の大きさを改めて強く感じた。
由乃さま、志摩子さま、そしてお姉さまの祐巳さまは、落ち着いてはいるものの、三人で視線を合わせて喜びを分かち合っていた。
「今まで、数々のご心配をおかけして申し訳ありませんでした。まだ私たち二人がどうなるかは分りませんが、それでも、お互いの気持ちは確かめられたと思います」
瞳子は、深々と頭を下げてお礼を言った。
みんながいなければ、ここまでたどり着けなかった。
瞳子一人では、この絆を繋ぎとめることはできなかった。
瞳子のロザリオは完成しなかった。
だから、瞳子はこれまでの出会いに、そして今日まで自分と繋がっていてくれた絆に心から感謝した。
もちろん、まだマリアとの関係がどうなるかは分らない。
マリアがいったい何を話すのか、自分に会わせたい人が誰なのかも、まだまだ分からない。
もしかしたら、二人は
それでも、構わないような気がした。
だって、瞳子が今口にした通り、二人の気持ちは確かめられた。
瞳子とマリアの気持ちは繋がっている。
それこそが一番大切なことで、それ以外のことが些細なことなのだから。
だからもう、後はどうなろうと構わないのだ。