マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~   作:夏緒七瀬

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48 お姉ちゃんとお姉さま

 放課後。

 

 瞳子は、薔薇の館でマリアが来るのを待っていた。

 落ち着かないけれど落ち着いている。

 不安だけれど安心している。

 

 そんな、不思議な気分だった。

 

 すると、静かにビスケット扉が開く。

 ようやく叩き続けて扉が開くように――瞳子はその扉の向こうから現れる生徒を穏やかに見つめた。

 

 待ちわび、待ち焦がれた相手が、そこには立っていて――瞳子と同じように、穏やかな表情で瞳子を見て微笑んだ。

そして、深々と頭を下げる。

 

 青みがかった綺麗な黒髪。

 病的なまでに白い肌。

 どこか憂いをおびた儚げな表情。

 

 はじめて出会った朝に、どうしてかほうっておけないと思った生徒が――今、瞳子の目の前にいる。

 あの時は、まだ名前も知らなかった生徒が。

 

 長い時間をかけて、二人はここまでやってきた。

 そして今、お互いに最後の一歩を踏み出そうとしている。

 

「マリア、ごきげんよう」

「瞳子さま、ごきげんよう」

 

 二人は「ごきげんよう」と互いに挨拶をした後、少しだけ頬を赤らめた。

 どことなく気恥ずかしい。

 

 瞳子は気持ちを落ち着けながら、口を開く。

 

「さぁ、座って。今紅茶を入れるわ」

「それなら、私が入れます」

「マリアは、お客様なんだから――」

 

 瞳子はそう言った後、違うと首を横に振る。

 

「もう、お客様ではないわね。それなら、一緒に入れましょう」

「はいっ」

 

 マリアは、満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 二人での共同作業が終わると、テーブルにはローズヒップティーとビスケットが置かれ、そして二人は向かい合って座った。

 二人の間には不思議な空気が流れている。

 ふわふわしているのにどこか張りつめていて、緊張しているのになぜか落ち着いた、そんな不思議な雰囲気。

 それは、とても心地の良い雰囲気だった。

 

 紅茶に口をつけた瞳子は、マリアに尋ねる。

 

「それで、私に会わせたいという人は――どこにいるのかしら?」

 

 瞳子は、マリアがこの薔薇の館に誰か別の生徒を連れてくるものだと思っていた。

 

 ロザリオの授与を見届ける相手か、蘭さんか、マリアが姉妹(スール)の申し出を断ってしまった上級生か――そう言った生徒を連れてくるものだと思っていた。

 

 しかし、ここには誰もない。

 マリアが誰かを呼ぶ気配もない。

 

「はい」

 

 瞳子に尋ねられたマリアは、制服のポケットから生徒手帳を取りだし、その中から一枚の写真を抜きだす。

 

「瞳子さまに会ってもらいたい相手は――この写真の中に」

 

 マリアは一枚の写真をとても大切そうに手に取り、それを瞳子に渡した。

 

「写真?」

 

 瞳子はマリアから写真を受け取り、その写真の中の女性に視線を向けた。

 

 そこには、マリアとよく似た女の子が映っていた。

 マリアの昔の写真と言われても納得してしまいそうだったけれど、それがマリアではないことは考えるまでもなく分った。

 

 肩先までのボブカット。

 芯の強そうな快活な表情。

 でも、どことなく憂いおびた儚げな雰囲気が――マリアによく似ていた。

 

 瞳子はふと、マリアの部屋で見た写真立てを思い出した。

 百合の花の飾られた花瓶の隣に、伏せられて置かれた写真立てを。

 

「私の姉です」

「マリアの、お姉さま?」

「はい。私の大好きなお姉ちゃんです」

 

 マリアが、にっこりと笑って言う。

『お姉ちゃん』という言葉を発した時のマリアの表情は、とても誇らしげだった。

 

「マリア、お姉さまがいたのね。とても良く似ているわ」

「ありがとうございます。私、幼いころから姉に似ていると言われるのがすごく嬉しかったんです。小さい頃からお姉ちゃんっ子で、いつだって姉の背中を追っていました。姉のようになりたいと思っていたんです」

「そう、それは素敵なお姉さまね」

 

 瞳子は、マリアの姉の写真を見つめる。

 

 実の姉がいるから、マリアは姉妹の申し出を受けずにきたのだろうか? 

 瞳子はそんなことを思いながら、写真から顔をあげてマリアを見つめ直した。

 そして、直ぐに表情を変えた。

 

 マリアがとてもつらそうな顔を、今にも泣きそうな顔をしているからだ。

 そこで瞳子は、自分は大きな思い違いをしたことに気がついた。

 

「マリア、もしかして?」

 

 瞳子は、おそるおそる尋ねる。

 

「はい。瞳子さまの思っている通りです。姉は、もういないんです。一年前に――亡くなりました」

 

 涙を溜めて、それでも必死に泣かないようにと声を震わせるマリアを見て、瞳子は心の中で――

「ああ」と呟いた。

 

 マリアにとって、姉妹(スール)の申し出がどれほどつらいことだったか――姉をもつということが、誰かの妹になるということが、どれほどの意味をもつのか、瞳子はそこで思い知らされた。

 そして、ようやくマリアの本当のことを知ることができた。

 

 全てをさらけ出してくれたマリアを見つめて、瞳子はどうしようもなく彼女を抱きしめたくなった。強く、そして二度と離さないという思いを込めて。

 

 でも、マリアの言葉は続く。

 

「姉は昔から身体が弱かったので、覚悟はできていたんです。だから、今でも姉の死を引きずっているとかではないんです。もちろん、姉が亡くなってからしばらくは毎日泣いてました。でも、受験やリリアンでの新生活の忙しさもあって、ゆっくりとですが、それを受け入れていけました」

 

 マリアは、小さな声でゆっくりと話を進める。

 瞳子は胸が張り裂けそうな気持ちで、その言葉に耳を傾け続ける。

 

 マリアは、瞳子に全てを委ねて自分をさらけ出している。

 ぜんぶをさらけ出した上で、瞳子に受け止めてほしいと願っている。

 

 ならば、瞳子はその全てを受け止めるだけ。

 

 その決心は、とっくの昔についていた。

 そんなことは、もう何の問題にもならない。

 

 だけど、なんて重たいのだろう。

 

 そして、それを聞いてしまえば、マリアのこれまでの行動や態度の全てが腑に落ちた。

 頑なに姉妹(スール)の申し出を断り続けたことも、それでも誰かとの繋がりを求めてしまうことも。

 全てが、はっきりと理解できた。

 

 曇り空が晴れ渡ったみたいに。

 

「リリアン女学園に通いなさいって言ったのは、姉なんです。姉はリリアン女学園に通いたかったらしくて、それでパンフレットを見せてくれて、姉が望むならと、私は志望校を変えてリリアンに入学しました。でも、私、知らなかったんです。リリアンに姉妹(スール)という制度があるなんて。その制度をはじめて聞いた時、私はそれをうらやましいと思いながら――ロザリオを渡したところで、血も繋がっていない二人が本当の姉妹になんかなれるわけがない、そんなひどく失礼なことを思ってしまったんです。その時、私は誰かの妹になる資格はない――そう思ったんです」

 

 瞳子は、マリアとの中庭でのやり取りを思い出した。

 あの時、マリアは叫ぶように言った。

 

 

「どうして、姉妹(スール)になろうなんて――妹になりなさいなんて言うんですか? 私は、誰とも姉妹(スール)にはなれないんです。どうして、みんな分かってくれないんですか? ロザリオを渡したって、本当の姉妹になんてなれないんです。それなのに、それなのに――」

 

 

 あれは、マリアの心からの叫びだったのだろう。

 本心であり――そして本心ではない言葉。

 

「でも、そんな私に姉妹(スール)の申し出をして下さる上級生の方が現れて、私は、ただ戸惑って逃げてしまいました」

「蘭さんのお姉さまね?」

「はい」

 

 マリアは頷く。

 

「私なんかが誰かの妹になるなんて、それはいけないことだってずっと思っていました。だから、それからも姉妹(スール)の申し出を断り続けました。そのうち変な噂が立つようになってしまって、それで蘭さんとも疎遠になって」

 

 マリアは決して蘭さんを責めるようなことは言わず、それどころか蘭さんに申し訳ないという表情を浮かべた。

 

「それで瞳子さまや菜々さん、山百合会の方々にご心配をかけてしまうことに」

 

 その言葉を聞いた瞳子は、「そんなことはない」と首を横に振る。

 

「瞳子さま、はじめて瞳子さまとお会いした朝のことを覚えていますか?」

「ええ。もちろんよ」

 

 忘れるわけがない。

 かたときだって。

 

 あの瞬間から、二人の全てがはじまった。

 

「あの朝、瞳子さまに『お姉さまがいるのか』と尋ねられた時――私、どうしても姉がいないとは言えなかったんです。結果として嘘をつくような形になってしまっても、姉がいないなんて言えませんでした」

「そんなこと、気にすることじゃないわ」

「いえ、私が本当のことを言わないから、たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人を傷つけて、そのたびに私は逃げ出して――でも、どうしても本当のことは言えませんでした。なんて言葉にしたらいいのか、わからなかったんです」

 

 マリアは苦悩を告白する。

 

「お姉ちゃんは、いなくなってしまう自分の代わりを探すようにって、新しい姉を見つけるようにって、私にリリアンに通うように言ったのかなって――そう思ったら、そんなことは絶対にしたくないって。誰かを姉のかわりにするなんて、そんなことは、絶対にしてはいけないことだって」

 

 そこまで言うと、マリアはたまらずに涙をこぼしてしまった。

 これまで一人で抱えていたことを、胸の内に秘めていたことを、一つずつ言葉にしながら、大粒の涙をこぼしていく。

 

「マリア、つらいならもう――」

「いいえ。最後まで聞いてください。聞いて欲しいんです」

 

 マリアは、瞳子の言葉を遮って続ける。

 

「私は、誰かを自分の姉のかわりになんてしたくない。でも、瞳子さまが好きなんです。瞳子さまと一緒にいたい。でも、私は瞳子さまを自分の姉に重ねているだけなのかもしれない。そう思ったら、どうしたらいいのかわからなくなって――それで、また逃げ出してしまったんです」

 

 マリアは、はっきりと瞳子を「好き」だと言った。

 瞳子に、自分の気持ちをはっきりと告げた。

 

 それを聞いてしまったら、瞳子はもう我慢ができなくなって立ち上がり、マリアのもとに駆け出した。

 マリアも立ち上がって、駆け寄る瞳子に身を委ねようとする。

 

 瞳子はマリアをぎゅっと抱きしめて、自分の胸に迎え入れた。

 

「マリア、あなたがつらいなら、私たちは無理に姉妹(スール)になる必要はないのよ? 姉妹(スール)にならなくても、私たちの関係は変わらない」

 

 瞳子も頬を濡らしながら言う。

 

「いいえ。私、瞳子さまと姉妹(スール)になりたいんです。お姉さまと呼びたいんです。でも、私は瞳子さまに自分の姉を重ねてしまうかもしれない。姉の面影を探してしまうかもしれない。お姉ちゃんのことを、忘れるなんてできない。それでも、いいですか? こんな身勝手な私を――受け入れてくれますか?」

「あたりまえよ」

 

 瞳子は優しくマリアの髪の毛を撫でながら続ける。

 

「どんなマリアでも、私は受け入れるわ。もう、その覚悟はできている。だって、私はあなたのことが大好きなんだから」

「私も、瞳子さまが大好きです」

 

 マリアは瞳子をぎゅっと抱きしめて、その胸の中で小さく泣いた。

 まるで、赤ちゃんのように。

 今ようやく、この世界に生まれたみたいに。

 

 そう、マリアは今ようやく産声を上げたのだ。

 本当の自分をさらけ出すことで。

 

 瞳子は、そんなマリアが愛おしくて仕方がなかった。

 そして今、自分の胸の中にある確かな重さを強く感じた。

 

 それはとても暖かく、とても柔らかい。

 これが、瞳子が受け止めた妹の重さ。

 これから先、ずっと受け止め続けるマリアの重さ。

 

 でもその重さを、瞳子は重たいとは全く思わなかった。

 だけど、軽くもない。

 

 だって、それはもう瞳子の身体の一部なのだから。

 そして、心のいちぶ。

 

 

 おぎゃー。

 

 

 そんな産声が、聞こえたような気がした。

 

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