マリア様がみてる Another ~シスター&シスター~ 作:夏緒七瀬
瞳子がその下級生と再会したのは、演劇部の稽古の帰りだった。
一応、薔薇の館に顔を出すとは言っておいたけれど、お姉さまである祐巳さまには「無理をしなくていいよ」と、言われていた。それでも顔を出すのが妹の務めだと、瞳子は真っ直ぐに薔薇の館に向かっていたのだけれど――
その途中で、今朝マリア像の前で呼び止めてしまった下級生と鉢合わせてしまったのだった。
ずいぶん、縁があるものなのね――瞳子は思わず苦笑いを浮かべてしまいそうになった。
しかし自分のお姉さまならいざ知らず、役者である彼女はそんなことはまるで顔に出さず、華麗に微笑んで見せた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
瞳子が声をかけると、下級生も同じようにかえして頭をぺこりと下げた。
「今、帰りかしら?」
気が付けば、瞳子はその下級生に声をかけていた。
その表情は少しだけ憂いを佩びている。そして何となく瞳子に声をかけられたことに気後れしているような、そんな雰囲気だった。
今朝のことで嫌われてしまったかしら――瞳子はそんなことを考えたが、それはあまり気にならなかった。
「はっ、はい。あの、図書館で調べものをしていたので」
「そう。そう言えば、あなた――お名前は?」
瞳子にそう尋ねられると、下級生は顔を少し青ざめさせて、しまったとばかりに目を丸くしていた。
「あ、あの、申し遅れてしまってごめんなさい――私、一年桃組、御園マリアです」
深々と頭を下げる御園マリアを見て、瞳子は今度こそ苦笑いを浮かべてしまった。
これでは、自分が下級生をいびっているようにしか見えない。周りには少なくない数のギャラリーも存在しているため、もう少し和やかな空気のほうがありがたい。
「マリア。御園マリア――とても素敵な名前ね。でも、そろそろ顔を上げてもらえるかしら?」
「はっ、はい。ごめんなさい――瞳子さま」
勢いよく顔を上げた御園マリアの顔は真っ赤だった。そして今にも泣き出しそうなぐらい弱々しい表情をしている。しきりに当たりを気にしていて、瞳子の目にはまるで何かに怯えているかのように見えた。
「もう少し、肩の力を抜いてくれる? これじゃあ、私があなたをいじめているみたいじゃない」
「ごめんなさい」
この子は、謝ってばかりだな――瞳子はそう思って微笑んだ。
そして、その震える方にそっと手を置いた。
「そう、もう少し気を楽になさい。何も、あなたを取って食べようってわけじゃないんだから」
「はい」
「それより、私の名前、知っていたのね?」
「はい。瞳子さまをご存じない方なんて――私、マリア祭で瞳子さまをお見かけした時から、素敵な方だなって思っていました」
マリアが頬を赤らめて言うと、瞳子は少しだけ誇らしげな気持ちになった。
「ありがとう」
瞳子はマリアの肩に手を乗せたまま、そう言った。
「見て? マリアさん、また上級生に色目をつかっているわよ」
「本当。しかも、松平瞳子さまよ」
「紅薔薇のつぼみに手を出すなんて、何て大胆」
不意に周囲の生徒の話し声が、瞳子の耳に届いた。聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声音だったけれど、それがあまり心地良いものではないことは、直ぐに理解できた。
どちらかと言えば不愉快な類。
そして、若干の悪意を孕んでいる。
瞳子が厳しい視線を話し声の方に向けると、その生徒たちは足早に去って行ってしまった。
何だったのかしらと瞳子がマリアに視線を向けると――彼女は今にも崩れ落ちてしまいそうなくらい顔を青ざめさせて、深刻そうに瞳を見開いていた。
「ちょっと、大丈夫?」
瞳子が思わず声をかけると、マリアは飛び跳ねるように体を震わせて、驚愕の眼差しで瞳子を見つめた。
まるで、そこにいてはいけないものを見るような目つきで。
「あっ、あの、瞳子さま。私、少し急いでいますので、これで失礼いたします。せっかく、私なんかにお声をかけていただいたのに、申し訳ありません。ごめんなさい」
そう言うと、マリアは瞳子に背を向けて走り去って行ったしまった。
まるで、その場から逃げるように。
「ちょっ、ちょっと――」
咄嗟に、これは彼女を追って事情を聞いた方がいいのではと瞳子は考えた。しかし、まるで状況が呑み込めていないこともあって、瞳子はマリアの背中を見送ってしまった。
それでも、瞳子は一つだけ確信していた。
少し急いでいる、そう言った彼女は嘘をついていた。
「御園マリア――明日、もう一度話を聞いたほうがよさそうね」
瞳子は自分に言い聞かせるようそう言って、薔薇の館へと向かって行った。