せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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「は〜あ、久しぶりに呑んだ呑んだ。さて、綺礼、これを持っているがいい。ポッケにでも、ほら」
「ギルガメッシュ、これは……?」
「友となった(おれ)のことは“ギルっち”でいいと言うたろうに、頑固で初い奴だ。まあいい。それは『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。効力は昨晩伝えた通りだ。それを対象者にちくりとやれば、あらゆる魔術的契約を無効化できる。あらゆる契約(・・・・・・)をな。我の真意は───わざわざ口にせんでもわかるであろう」
「ギルガメッシュ」
「好きなだけ迷うがいい。そして選ぶがいい。だが、貴様は我を選ぶ。絶対にな。我が友よ」
「いや、ポケットが思いっきり破れたんだが……」
「……ごめん」


3−1 綺麗な綺礼の綺麗な選択?

〜伏線抜粋〜

 

2ー11 石田さんごめんなさい

 

 機材の関係で昆虫型ロボットは2つしか用意できていない。一匹は明日の正午に使うとして、余ったもう一匹は何か有効に使用したい。

 

「よし、遠坂の動きを探らせよう。奴のアーチャーは脅威になる。さあ、行け」

 

 蟲の背にあるオンオフスイッチをONに入れて命令すると、羽根を羽ばたかせて瞬く間に窓の外に飛びさってゆく。スイッチが必要なのかについては雁夜はもう考えないことにしている。

 

 

〜伏線抜粋終わり〜

 

 

 その日、冬木市に住まう人々が背筋を這う予感を感じて不思議そうに首を傾げた。誰も彼も、()()が佳境に差し掛かっていることを肌で感じていた。

 

 

‡言峰綺礼サイド‡

 

 

 深夜というより早朝。もうじき闇夜が朝日に追い払われるという時刻、遠坂邸の当主の部屋は通夜のような重苦しい沈黙に支配されていた。古式ゆかしい魔術道具が操り人形の如く空中で忙しなく踊り、羊皮紙に流麗なドイツ語を綴る。一句文が綴られるごとに、それを食い入る視線で見つめていた遠坂時臣の双肩は小刻みに震え、表情からは優雅の被膜が1枚また1枚と剥がれ落ちていく。

 

 

─── 教会にてセイバー陣営がバーサーカー陣営に同盟を申し込んだ。それを受けて間桐雁夜がセイバー陣営を自らの屋敷に(いざな)った。───

 

─── セイバー陣営は会合の後、何事もなく間桐邸を後にした。会話の内容から同盟は断られた模様。 ───

 

 

「なんと……」

 

 言峰璃正神父より伝えられたその報告は、開戦当初は己の勝利を揺るぎなく確信していた時臣に多大なる衝撃を与えるものであった。それは電気に打たれたような、純然たる肉体的衝撃だった。優秀な魔術師であればあるほど、その報告から受けるショックの度合は比例増加するのだから。

 魔術師は、場合によっては自らの生命よりも本拠地の保全を優先する。何故なら、自分自身の人生など遥か足元にも及ばない時間と労力を注ぎ込まれた、先祖から子孫へと発展させながら受け継ぐべき門外不出の魔術的探求の過程と成果が詰め込まれているからだ。そこに敵勢力───魔術師専門の暗殺者と最優のサーヴァント───を招き入れるなど、正気の沙汰ではない。暗殺者は、ターゲットを殺すためなら他の乗客もろとも旅客機まるごと撃ち落とすほどに容赦のない男だ。間桐邸にミサイルを撃ち込んできてもなんら不思議はないほどに未知数だ。しかも、御三家の一つである間桐家は特に閉鎖的・保守的傾向が顕著であり、年に一度客人を招くことすら稀だった。少なくとも今までの当主であった間桐臓硯であれば、己の積み上げてきた研究結果を危険に晒すなど絶対に看過し得ない。それ故に、間桐雁夜の行動は常軌を逸しているようにしか見えなかった。

 それは一言で言えば“余裕”の為せる業に他なるまい。“常に優雅たれ”を念頭に置く時臣とて、本拠地の遠坂邸に敵を易易と招待するリスクは犯せない。もしものことがあれば、自分の身のみならず、跡取りの娘に残さなければならない遺産全てが水泡に帰す危険がある。

 

「ただ同盟を断るためだけに本拠地に招くだと?間桐雁夜には恐れるものなどないというのか。失うことが恐ろしいものなど何もないと?それとも、暗殺者とセイバーなど難なく跳ね除けられると?」

 

 その声は切迫し、悲壮に近い響きすらあった。指先で鼻梁を揉む様子からは寝不足が垣間見える。

 だが、彼より衝撃を受けた者はその隣にいた。

 

(怪物め!!)

 

 形式上は時臣の弟子となっている、元マスターにして元代行者でもある言峰綺礼であった。ふらりとした目眩に彼は思わず手近な机に手を置いて己を支える醜態を晒してしまう始末。目眩を覚えるなど元代行者にあるまじきことだ。しかし、セイバー陣営とバーサーカー陣営の同盟云々という情報は彼の心胆を極度に寒からしめるには十分すぎるものだった。戦争開始当初は終生のライバルになると思っていた衛宮切嗣ですら、間桐雁夜の助力を求めた。ライバルですら間桐雁夜を高く評価し、頼ったのだ。そして、間桐雁夜は暗殺者を賓客として堂々と迎え入れてみせるという器の大きさを知らしめた。堅実な時臣にはハイリスク過ぎてベットする気のカケラも起きない選択に違いない。

 

「間桐雁夜にとっては、先祖代々受け継いだあの邸宅などどうなっても痛くも痒くもないということなのだろうな。先祖代々積み重ねた研鑽の結晶など、自分がいれば幾らでも取り返せると。ははは。いや、つくづく常識外れな男だ。私には到底真似は出来ん」

 

 机に肘を突いて額を押さえる時臣の呟きには苦笑いが混じっていた。彼は精神的にも劣勢に追いやられていた(肉体的にも追いやられていた。クーラーの反逆のせいでちょっと風邪気味なのだ)。

 綺礼にしてみても、ショックの大きさは変わらなかった。たとえ、実際にセイバー陣営とバーサーカー陣営の同盟が成立していようがいまいが、その事実だけでも綺礼はシャチの尾に強打されたひ弱なラッコのように焦燥の頂点に突き上げられた。

 

“間桐雁夜との力の差が、またもや開いてしまった”

 

 ポーカーフェイスをかろうじて保ちながらも、綺礼は膝から下がなくなったかのような冷たい感覚に襲われていた。今の自分と間桐雁夜との差は開くばかりだ。かたやサーヴァントを失った元マスターで、化け物専門の殺し屋崩れ。かたやすべての陣営を手のひらの上で操る策謀家であり、サーヴァントと拳を交えて圧倒するほどの戦士であり、勝利への階段を一歩一歩着実に昇っていく鬼才の魔術師。

 

「間桐雁夜が出奔したのは10年以上前だ。私もそう記憶している。“無責任な凡愚だ”という印象しかなかった。だが、それはブラフだった。間桐家は───間桐雁夜は、この時から、いや、その前からすでに動き出していた。魔術師になることを嫌がって家を飛び出したというのは我々の目を自身から逸らすための演技だった。そして奴は戻ってきた。粒々辛苦、10年以上の期間を費やして全ての準備を完璧に整えてな。急造の魔術師という羊の皮を被って、内心では狼のようにほくそ笑みながら。私は気が付くべきだった。奴は我々よりもずっと前から、この聖杯戦争を牛耳るために虎視眈々と計画していたのだ」

 

 時臣の独白じみた推理に、綺礼は黙して同意の態度を維持する。そうして時臣に見えない背後で、口惜しそうに目尻を上げてギリと歯噛みした。綺礼もとっくにその推理と寸分違わぬ結論を見出していたからだ。

 間桐雁夜は順調に聖杯を手にせんと進み続けている。強壮なセイバー陣営が同盟を持ち掛けたのがその証左だ。もしも間桐雁夜(ダークホース)がいなければ、彼らが同盟を組む相手はアーチャー陣営(われわれ)になっていただろうという確信があった。それは時臣も同じ考えに違いない。全世界に偉名轟くアーサー王を擁する勢力から同盟を請われたのは自分だったに違いないと。だが現実はそうはならなかった。英霊最強級のサーヴァントと世界最高峰の暗殺者のコンビから握手を望まれ、しかし、間桐雁夜はそれを丁重に断るほどの余裕すら魅せつけた。時臣ならきっと休戦のため一時的にでも手を組むことを選んだろうに、間桐雁夜はしなかった。“余裕”、その一言に尽きる。

 

(このままでは……このままでは駄目だ)

 

 それに引き換え、自分はどうだ。“優雅”とはかけ離れて緊迫した様子の時臣を苦々しく見下ろす。形だけの師匠の後ろに立ち尽くすばかりで、高くなっていく壁を前にしてただ手をこまねいているばかりだ。だというのに、この師匠と組んでいなければ敵の正体も情報も手に入らない。自力では間桐雁夜に追いつくためのキッカケすら掴めない。それが激しく悔しかった。

 目指さんとする相手のもはや影すら踏めないほどに引き離されていく。石を飲み込んでいるかのように焦りが腹底に募っていく。

 

(想定するとして───我が師、遠坂時臣は間桐雁夜に勝てるか?)

 

 内心に自問し、すかさず「無理だ」と自答する。残酷だが、彼では到底、敵対し得ない。魔術と最先端工学技術を融合させた昆虫型生物ロボット───そんな常人離れした発想、その発想を容易く実現する才覚など、遠坂時臣という人間の器をひっくり返して何度振ろうとも出てくることはない。

 

(格が違う。相手が悪過ぎる)

 

 遠坂時臣を一言で表せば、それ即ち“努力の人”である。彼が天から与えられた才能はひたすら“努力”にある。彼の器を幾ら浚おうと、“努力”しか出てこない。他人の何十倍、何百倍も努力をして今の地位を築いた。彼は決してその積み重ねをひけらかしたりはしない。だが、突飛な才能や思いつきを安易な跳躍板にしたりせず、地に足をつけて一歩ずつ確実に丁寧に進歩を刻んできたことは彼の自信に満ちた優雅な佇まいが言葉より雄弁に証明している。だからこそ時計塔でも一目を置かれる立場に上り詰めたのだ。

 つまり───言ってしまえば、時臣という人物は魔術師という人種において限りなく“常識人”なのだ。地に足のついた常識の範疇であれば、常人に出力可能な最大限の力を発揮できる。魔術師として正道中の正道。魔術師の典型。それ故に、魔術師の思考以外に思慮が届かない。何を考えているのか。何が出来るのか。それが想像がつく程度のことであれば、遠坂時臣は彼が人知れず血反吐を吐きながら積み重ねてきた努力に基づいて容易に敵を圧倒できる。だが、その埒外にある相手にはまったくもって太刀打ち出来ない。彼が道から外れた者に手厳しいのは、裏を返せば彼の天敵がそれ(・・)だからだ。次に何をするのかわからない。何を考えているのかわからない。そもそも、いったい何がどこまで出来るのかもわからない。常識の通じない相手にはただただ翻弄され、後手に回り、守勢に立ち回る他ない。

 

「間桐雁夜、貴様は次はどう来るのだ……?」

 

 現に今も、強大化していく間桐雁夜のプレッシャーに気圧されるなか、間桐雁夜にどう対処すべきかを必死に案じている。その背中が心なしか小さくなったように見えるのは錯覚か。疲れた頭脳に過大な思考を強いているせいか、こめかみがピクピクと微震している。額の前で組まれた拳が震えているのは、緊張故か、綺礼の失敗によって寒気に凍る廊下で一晩を過ごしたせいか。ホントにごめんね。

 

「まるで何も考えておらずに思いつきで動いているように見えて、実は全てが裏で繋がり、計算され尽くしている。我々がそれに気付いたときには後の祭り。情けないことだ、綺礼。私は彼の手のひらの上から未だ抜け出せていない」

 

 堅忍不抜を体現する男が、間桐雁夜という巨魁のプレッシャーに囲繞されている。その背中に掛ける声もない綺礼の胸の内にはただ憐憫の情が湧くだけだった。同情心すら飛び越えて、もはや死にゆく者を看取る臨床的感情さえ浮かぶほどだった。

 

「そんな……」

 

 「そんなことはありません」と続けようとして、しかし、二の句を継げなかった。下手な慰めは逆効果であり、実際、事実はその通りだと綺礼も身に沁みて理解していた。キャスターとセイバーをぶつけた間に暗躍しようとした企みも、アサシンによって間桐雁夜を暗殺しようとした企みもものの見事に一蹴された。己が菩薩の手のひらの上で右往左往する小物にしか過ぎないという諦観と感傷に打ち据えられたのは時臣より綺礼の方が先だった。

 

「娘に偉そうなことを言っておきながらこの体たらくだ。笑ってくれ」

「……我が師よ……」

 

 自嘲する猫背に“泥舟”という二文字を重ね見て、綺礼の代行者としての側面が妖しく蠢いた。冷たい気配が首をもたげ、「切り捨てろ」と耳元で囁いてくる。「このままこの無様な男におんぶに抱っことなっていても永遠に間桐雁夜に追いつくことは出来ないぞ」と疑懼を突きつける。内なる邪悪な己に拐かされ、常に冷静沈着だったはずの綺礼は柄にもなく幼児のように焦燥して眉根を寄せた。

 

(力がいる。圧倒的な力が。最強のサーヴァント(ちから)が!)

 

 最強のサーヴァント。バーサーカーを擁する間桐雁夜に対抗するために必要不可欠な()()()()()()。それを手に入れるための方法も、手段も、手を伸ばせば()()()()()

 

 

 

───殺して奪え。こんな男など、造作もない。

 

 

 

 自分でも怖気が走るほどの冷酷な気配が身の内から生じるのを感じて、綺礼の理性は狼狽した。泡が水面にポコリと浮かぶようにしてその考えが頭を過ぎったときには、すでに肉体が行動を起こそうとしていたからだ。まるで、()()()()()()()()()()()()()と世界の運命力に強制されるように、己の無情な暴力性が理性の手綱を解いて暴走し始めたからだ。

 代行者として、教会が誅すべきと断じた化け物どもを容赦なく殺戮してきた。それが人の形をして人の言葉を喋り人の涙を流すバケモノ(にんげん)であっても、容赦しなかった。骨肉の髄にまで染み込んだ血の経験の息をほんの少し吹き返させるだけで、油断しきった背中を晒す魔術師を殺すことなど造作もない。内なる獣が耳元で妖しく囁き急き立てる。

 そうだ。そう、そこだ!机の隅。写真立てのすぐ横だ。ほら、見てみろ。コイツが大事そうに桐の箱に仕舞ってある、あの()()()()()。あれを気付かれないように掠めとって、背後からその脾臓をひと刺しすれば簡単に殺すことができる。そう、こうして手を伸ばして剣を取れば簡単に、

 

 

 

 

───でも、優しさを知った今の貴方は()()()()()()。でしょう?

 

 

 

 

 肩にそっと添えられた透明な女の手が、闇に堕ちかけた綺礼の心を優しく掬い上げた。意識の表層に滲み出ようとした冷酷な代行者の思考が、温かな女の手にやんわりと押し留められる。はっと振り向けた己の肩口に、白髪の女の細面が見えた気がした。綺礼は無意識に彼女の名を口のなかで転がす。その響きの感触は不思議と温かく、心に余裕を生んでくれた。わずかだが、大切な余裕だった。

 

(目的のために不必要な犠牲を払うなど、間桐雁夜ならあり得ない。あの男の強さとはその程度ではない。私の目標は、私が倒すべき男は、犠牲など払わなくとも目的を完遂できる)

 

 間桐雁夜に出来て、自分に出来ないことがあるものか。世界がそうは認めなくとも、少なくとも自分自身は認めてなどやるものか。

 

(それに、今の私には友がいる。友に恥ずかしくない人間でありたい)

 

 己すらもその存在を知らなかった高潔な精神を身内に呼び起こされ、綺礼は全身に熱い誇りが満ちるのを感じた。何故かはわからない。だが、たしかに()()()()()()()()という確信を抱いたのだ。

 己の幼稚な暴力性を理性の(かいな)で包み込むと、彼は自身の肩に手を置いた。そこにすでに誰かの手があるように自分の手を優しく重ね、ふっとおだやかに微笑んだ。男は幾つになっても未熟で短慮だ。そんな男の迷いを正すのは、いつだって女の一声と決まっているのだ。

 

「……綺礼。君の力が必要だ。今まで以上に」

「時臣師?」

 

 我に返った綺礼の前で、唐突に時臣が足に力を込めて立ち上がる。そのくたびれた背中はいつもより10歳は老けているように見えた。多大な心労によるものと、風邪気味によるものだろう。昨晩の自室のエアコンによる業苦にはかなり痛めつけられたらしい。ごめんね。

 

「たしかに間桐雁夜は強い。それでも、私は勝利したい」

 

 唐突に、まるで老いぼれのように大儀そうに立ち上がった時臣は、しかし二本の足でしっかりと地面を踏みしめ、背筋をピンと伸ばして綺礼と真っ向から向き合う。その顔を見て、綺礼の心臓の拍動が早まった。情けなく鼻水を垂らしながらも、どこにそんな力があるのか、その表情には頼もしい意志の力が漲っていた。不利に追い込まれ、それでも決して諦めることを頑として選ばない男の肩口から湧き上がる名状しがたい幻妙な力に、綺礼は眩さすら覚えた。

 

「負けられない理由があるのだ」

 

 時臣の目線が机の隅に流れ、写真立てを見つめる。綺礼は初めて、それが家族写真であることに気が付いた。御内儀のスカートを握る凛の容貌はまだ幼い。数年単位で過去の写真だろう。時臣自身は写っていない。奥方と、凛と……なんと()()()()()()まで写っているではないか。一流の魔術師であることを己の拠り所としているような時臣がまさかこんな所帯じみた写真を執務机に飾っているとは思ってもみなかった。さらに、養子に出したことに未練など抱えていないと思っていたもう一人の娘の姿までそこにあることに綺礼は心底驚いた。まるで、世間で言うところの“娘を愛する普通の父親”のようではないか。

 

(この男のことを見誤っていたのか?いや……そもそも自分は遠坂時臣という人物のことをどれだけ知っているというのか。どれだけ知ろうとしたというのか)

 

 過去の経歴といった表面上の情報ではなく、もっと内面の人となりを直視したことがあったのか。一歩引いて、心のどこかで“形だけの師弟に過ぎない”と冷笑的に眺めているだけで、ちゃんと向き合ってこなかったのではないか。

 突如押し寄せた内省に呑まれてただ(もだ)すばかりの綺礼に何を思ったか、時臣は机に置いていた桐の箱を厳かに手に取る。壊れ物に触れるような手付きで蓋を開けて美しい短剣を顕にすると、そのまま綺礼に差し出した。そこには遺言状まで添えてあった。その意味を遅巻きに理解し、輪をかけて愕然とする。

 

「綺礼、君の力が必要だ。君という弟子を得たことを誇りに思っている。献身的な君に比べて私は至らぬ師だろう。だが、全力を尽くす。結果がどうなろうとも。それは先祖に誓って……娘たちに誓って約束する。だから、これからもどうか私と共に戦ってくれ」

 

 即答できず、遺言状だけを呆然として手に取る。そこには、娘である凛を後継者に指名し、彼女が成人するまでの後見人兼指導者として綺礼を推薦することが記されていた。時臣は自分の死を覚悟した。その上で、自分が死んだら大事な息女をお前に託す、というのだ。兄弟子として身内同然となって助けてほしい、と。

 

「これは……」

 

 ズンと肩に重しが載せられた気がした。“責任”という名の重し。他者からこれほどまで信頼されることは、空虚だった人生で初めての経験だった。先ほどまで自分は時臣を手酷く裏切ろうとしていたというのに、彼は自分を強く信頼してくれていた。自分は何もわかっていなかった。そのことが急に恥ずかしく感じられ、綺礼は湧き上がってきた罪の意識で胸苦しくなった。

 

「時臣師、私は……私は、貴方が信頼するような人間では……」

「最近、顔付きが変わったね、綺礼。心構えが変わったのだろう?」

「なぜ、そのことを」

 

 鋭い指摘だった。内面の変化に気付かれていたことに驚きギョッと目を丸くする綺礼に、時臣は莞爾と微笑んだ。

 

「わかるさ。私は君の師匠なのだから」

 

 ああ、そうか。自分は、こんなにも温かく見守られていた───。

 慈父そのものの微笑みを前に、綺礼は代行者として冷酷な行動をしようとしていた先ほどまでの自分をこれ以上ないほど強く恥じた。掛け替えのない大切な人を自分の手で消す暴挙を晒そうとした己の暴力的側面を心から恥じた。同時に、自分がどんなに恵まれた環境にあるのかも理解した。自分の欲望の正体がわからないという苦悩苦悶に囚われるあまり、大事なものを見失っていた。家族、師匠、友人。自分はもう、本当に大切なものを手に入れていたのだ。

 

「至らぬこの身に重ね重ねのご厚情、感謝の言葉もありません。我が師よ」

「おお、では、」

「しかし、これは受け取れません」

「……綺礼?」

 

 アゾット剣と遺言状の入った桐箱をそっと時臣の手に押し返して、綺礼は申し訳無さそうに深々と頭を下げた。そうして、傍目からはまったく気付かれない、ごく自然かつ最小限の動作で、腰裏のベルトに忍ばせていた『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』に指先を伸ばす。

 子ども。娘。何故かはわからないが、その単語が奇妙に胸に引っ掛かった。刹那の戸惑いを経てガッと柄を掴むと、覚悟を決めた綺礼は歪な形の刀身を振りかざした。予想外の拒絶に当惑していた時臣は、勢いよく翻った綺礼の手に握られた凶器の輝きを見て言葉を失った。

 負けられない理由があるのは、負けたくない相手がいるのは、時臣だけではないのだ。

 

「私も───どうしても間桐雁夜に勝ちたい!そのためには力が、サーヴァントが必要なのです!お赦しを、我が師!」

「綺礼、何を───!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を、部屋の物陰から昆虫型ロボットがじっと視ていた。




 いったい何年越しで伏線を回収しているのか……。伏線を仕込んだときは、まさか回収してるときに子どもがいることになっているなんて考えていなかったんですが。変な感じです。  
 あ、LINEマンガで連載されてた『エロ漫画家、異世界へ行く』が面白かったです。読んでみてほしいです。トライアル連載だったので一度打ち切りになってます。皆が読んでくれると続くかもしれないので、よろしければ是非。タイトル通りとってもシリアスな作品です(真顔)
 あとは『ザ・ボクサー』もオススメです。韓国の漫画家さんの作品です。“拳を振るうこと”に対して鬼気迫るものがあります。思わず一気読みしてしまいました(ステルスマーケティング)。雁夜おじさんがボクシングで戦うシーンを入れたいと思っていたのでとても参考になりました。

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