欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

14 / 16
第十二話 代償の向こう側から

口の中で響き、鼻の奥から聞こえてくるゆっくり音程を辿った旋律は、レィジがどこかで聞いたことがあるようなメロディを象って、二人しかいないこの部屋を流れる。夜が近づいてきていた。窓から差し込むのは薄赤く染まった柔らかな光で、隣り合って座る二人の息遣いと時折聞こえてくる鳥のさえずりが、小さな歌だけの場所を飾っていた。そこには言葉はなかった。あったのは、懐かしいような旋律だけだった。

ふと、身体の中のどこかが震えた。その震えは音を伴って、感情を忘れていたレィジの心に、いつか聞いたような歌を、呼び起こしていた。

 

 

『縁と結んで湧き出た泉、あなたが言うの瞬く日の輪。柔い影と明日に託すの、あなたと二人幻鏡と鳴る。誉れを擱かで、暁の(そら)に頰を染めたい。あなたが優は、咲く咎の此方』

 

 

その声は幼かったけれど、どこかミルキィに似ている。そう感じた。

 

「………」

顔色を悪くしたレィジに飲み物を持ってきたあと、そのままベッドの上で隣に腰かけたミルキィは、それからしばらく、控えめに鼻歌を歌いながら、ぼんやり外を眺めている。そんなゆっくりと流れる時間に身を置いているうちに、意識して動揺を隠さなくても大丈夫になるくらいには落ち着くことができた。それは、昼の喧騒がだんだんと遠のいていく時間だった事もあるのだろう。

 

「それ、好きな歌なのか?」

鼻歌が途切れた一瞬を逃さずに、目線は窓の外へ向いたまま、一言。ミルキィはその後の数節を歌ってから、なんだか久しぶりに声を出した。

「はい。歌詞は、出てこないんですけどね。旋律だけ、なんだかとってもよく覚えているんです。懐かしいなっ、て」

「………そうか」

ミルキィが懐かしいと感じ、歌詞は思い出せない記憶の中にあるその歌は、恐らく森の外の歌なのだろう。けれど、ミルキィにはもうその記憶を怖がる必要ない。レィジが、いるから。

「歌」

旋律の間にそれだけ呟くと、ミルキィもまた、視線を投げる窓の外からずらさずに続けた。

「やめたほうがいいですか?」

「いや………歌っていてくれ。なんだか、落ち着く」

「分かりました、じゃあ………」

 

ここではない場所で聞いたミルキィに似た声が、旋律に乗せて歌っている。楽しそうに、嬉しそうに。そのうちにその声に涙が混ざり始めた。次第に弱々しくなっていく声が途切れそうになる前に、一瞬だけ懐かしそうに響いてから、声は途切れる。歌声が聞こえなくなっても、レィジの隣ではハミングが聞こえる。懐かしい歌の旋律を奏でるミルキィの鼻歌が。

 

「………」

「………」

 

そんな時間を、外からやってくる声の気配が元に戻して、レィジとミルキィは二人して顔を見合わせた。

「レィジさん、ヒルミィたち帰ってきたみたいですね」

「あぁ」

声が聞こえてからしばらくの間はミルキィもさっきまでの時間を名残惜しそうにレィジの隣に寄り添っていたが、だんだんとミルキィの顔が赤くなり始め––––––。

「……っ!」

かばっ!と勢いよく立ち上がると、わたわたとレィジの前を動き回り、慌てた様子で机につけてあった椅子に座る。急にどうしたのだろう、とレィジが疑問に思っているうちに、扉がガチャリ、と音を立てて開いていった。

 

「………ただいま、ミルキィ、お兄ぃ!」

「遅くなっちゃってごめんね、二人とも。私もつい見入っちゃって………って、二人して何してるの?」

ヒルミィの方ははしゃぎながらミルキィの元に駆け寄り、ミルキィの対面につけてあった椅子に座ったが、アンナは扉を開けて目に入ってきたのが意識を手放したみたいにぼうっとベッドに座るレィジとほんのり頰を赤らめてよそよそしく椅子に腰掛けるミルキィ、という構図だったため、はてなと首を傾げている。

「さては、二人とも………?」

アンナが顎に手を当ててむむ、と唸ると、ミルキィがわちゃわちゃと手を動かしながら「違います違います!?」とアンナに突っかかる。アンナはニヤニヤしながらミルキィの頭を撫で、全て分かってますと言いたげな表情でうんうん、と頷いてみせた。

「………お兄ぃ、何してたの?」

ヒルミィはその二人の様子を眺めながら、はっとしてベッドのレィジに詰め寄った。その声音の冷たさは、さながら氷の導陣(ルーン)を使っているみたいだったが。

「………おぉ、ヒルミィか」

「いや、だから何してたのって」

「何………?まぁ、座ってたな」

「座ってたって、ずっと?」

「あぁ。座ってた」

 

ヒルミィは、レィジのそのとぼけた調子に深く溜息をつき、こめかみを抑えて首を横に振りながらその隣に座った。何気なく視線をミルキィとアンナの二人に送ると、アンナのからかいは終わったらしく、ミルキィは肩で息をしながら座っていた。

「ま、座ってたなら座ってたでいいんだけど。––––––ね、それよりミルキィ聞いて!さっきあたしとアンナさんで、旅芸人さんの芸を見てきたの!それがすっごく、綺麗でね………」

「えっ?あぁ、旅芸人………綺麗って」

「それがね!」

足をパタパタと前後に振りながら捲くしてたてるその様子が、今朝の少女に似ていて、レィジはふっ、と軽く息を吐くようにして笑った。

「どんな芸だったんだ?」

ミルキィに先回りしてレィジがそう言うと、少し意外そうにレィジを横目で見る。それからうん、と頷くと、ヒルミィはアンナに目配せして話し出した。

 

「あたしとアンナさんが見たのは花舞、っていう踊りなんだけどね。アンナさんくらいの女の人が花びらがひらひらって風に舞ってるみたいに優雅に踊るんだけど、それがほんっ、とに綺麗だったの!」

「たまにやってくるんだけどね、()()()みたいな人たちは。でも今回来た一団はジュストには初めて来たみたいで。私ももう長いことここにいるけど聞いたことのない旅団だったわね」

その舞を思い出しているのか、アンナは心なしかとろんとした目になっている。

ミルキィはそんなアンナが珍しかったのか、レィジに視線を送ると、レィジも苦笑していた。なるほど普段はテキパキとした行動でビブリオを引っ張っているアンナもそんな表情をするのかと二人して新鮮に感じていた。

 

「あの芸人たち、何て言ったかしらね……ヒルミィちゃんは覚えてる?確か……」

「〈流音団(るおんだん)〉ですよ!あたし、好きになっちゃいました………!」

「そうそう、〈流音団〉!ミルキィちゃんとレィジくんも時間ができたら見てみるといいよ。当分の間はここに滞在しているらしいから」

余程芸が気に入ったのか、アンナとヒルミィは二人してレィジたちに〈流音団〉の芸について熱く語っていた。しばらくはこの話が続きそうだ、と一息になくなっていった旋律と二人の静寂を思い出しながら、静かではないのも悪くない、とレィジの調子も戻り始めた。

 

とはいえ、レィジの身に起こったことは、ミルキィにもヒルミィにも話していない。自分の育った場所すら記憶から消えた今、表面には見えない部分が以前と同じようになることはないだろう。

怖がる必要はない、と。これは誰に向けた言葉だったか。

ヒルミィにもレィジが思い出せなくなったことと同じことを問えばいい。それが出来なければモーブルと会って、レィジたちとどこで出会った聞き出せばいい。けれど、きっとそのどれもレィジにはできそうにない。

恐れているのだろうか、自分が消えていくことを。ミルキィには違った言葉をかけておいて、自分は恐怖しているのだろうか。

だが、これだけは分かっている。

––––––その気持ちに、憧れを邪魔させてはいけないのだ、と。

 

「あの、アンナさん。他に芸はやってなかったんですか?」

ひとしきり話を聞いていたミルキィがす、と手を控えめに挙げてアンナを見やる。アンナはそうね、と思案する仕草を見せて、

「今日は花舞だけだったわね。けれど〈流音団〉には他にも色んな芸をする人がいるらしいわ。剣術や手品、歌を歌う人もいるって聞いたわね」

団、と言われるくらいだから規模もそれなりに大きいものだと考えていたレィジは、ヒルミィにそのことを聞いてみた。すると返ってきたのは予想とは異なるものだった。

「ううん、違うみたい。団ってつけたのは昔のことで、その頃は人数は多かったらしいんだけど………今では十人と少し。それが〈流音団〉なんだっ、て」

身体を前に傾け、隣に座っているレィジを覗き込むようにして答えたヒルミィは、その勢いのまま立ち上がると、少しだけ歩いてから「あ」と呟いて立ち止まる。

くるっ、とターンしてレィジの方へ向き直ると、何でもないように言葉を発した。

「そういえばお兄ぃはどこまで行ってたの?あたしもアンナさんも随分待ってたけど帰って来なかったから」

まさか聞かれるとは思っていなかったその問いに、今出せる最適解を見つけるよりもはやく、なんとなく言い訳が口をついててできた。

「いや、思っていたよりも遠くまで行ったんだ。帰ろうと思ったときには人だかりが出来始めて中々身動きが取れなかった。今思えばそれが〈流音団〉を見に来た人だったんだろう」

ゼルギアスのことも、記憶のことも、まだ誰にも話せない。その代わりに、憧れを手放すことだけは絶対にしないと固く誓う。

兄の雰囲気に妹は短く、「そ。じゃあ入れ違いだったんだ」とだけ言い、ミルキィたちのところまで歩いて行ってしまった。何かに気づくでもなく、淡々とした会話はしかし、かえってすっきりする。特に、それが今だから。思えばヒルミィとまともな会話を交わすのは昨晩、ミルキィから彼女の出自を聞いた時以来で、それすらも時間が空いたこともあり、ずいぶん久しぶりなような気がした。

 

だから何となく、レィジはベッドから降りる。

「ヒルミィ、何か飲むか?アンナも、言ってくれ」

 

すると三人ともポカン………と口を開けて固まっていた。アンナの方はミルキィとヒルミィに合わせてふざけているだけのような気もしたが、二人は困惑半分冗談半分のような態度だった。

「お兄ぃ、どうしたの?熱でもあるの?あ、そういえばさっきまでぼうっとしてたのって体調が悪かったから?ミルキィ、お兄ぃの様子はどうだった?」

「いや、特に体調は悪くなさそうだったよ。ん、でもさっき座ってたのは顔色が急に悪くなったからで………大丈夫ですか、レィジさん?」

 

二人の様子が冗談を交えて心配へ変わっていき、アンナは「レィジくん、どうする?」とニヤニヤとレィジを見つめる。

やりきれない思いと共に、抗議とばかりにむっ、として、

「俺だって飲み物を出すくらいするさ。というか、ヒルミィもミルキィも、揃いも揃ってまるで俺が普段は態度が悪いみたいに………」

すると、二人は顔を見合わせて言うのだった。

「まぁ、初対面のアンナさんやビブリオさん、モーブルさんを呼び捨てで呼んだりしてるし」

「いつもは手伝ったりしませんしね」

「ぐ………しかしだな……」

レィジ自身気づいたのか、思いのほかの正論にぐうの音も出ずに言葉に詰まる。そんなやり取りでも、今はなんだか心地よかった。

 

襟足をガリガリと掻きながら、「………とりあえず何か持ってくるから待っていてくれ」と残してその場を後にした。

後ろでアンナが二人に何か言っているのが耳に入ったが、聞こえないフリをして部屋を出る。

 

レィジたちの寝泊まりする部屋の隣には共通の厨房があり、それを挟んだ向かい側がビブリオの部屋で、厨房のある部屋の階段を上がればアンナがいる部屋へと着く。厨房には導陣を施し、食材が痛まないようにした魔道具が置かれている。ジュストに来てからよく見かけるようになったものだ。

「………そんなに悪いか?」

内心少し気にしながら、レィジは自分の分を除いた人数分の食器を手に、魔道具がある部屋の隅へと向かう。一人で唸りながら、中に入っているものを物色していると背後から物音が聞こえた。

 

––––––ガチャり。

「ふぁぁ………って、レィジ、帰ってきてたのか。何を………っと、その様子だと全員戻ってるみたいだ」

隣の部屋からビブリオが入ってきたようだ。レィジの手に握られていた三人分の食器を一瞥し状況を理解したのだろう。

魔道具の前に座り込んでいるレィジが驚いて振り向くと、ビブリオらしい試すような笑みが浮かべられていた。これが昨日のことならそのまま流していたが、今はビブリオに聞いてみたいことがあった。レィジは手に持っていた食器を近くの机に置き、改まってビブリオに向き直る。

 

「その、ビブリオ。聞きたいことがあるんだが……」

「おっと、何だそんなに改まって。色恋の相談なら相談相手を俺にして正解だな。何たって俺はジュストいちの色男だか」

「俺はその………言うほど態度が悪いか?」

「いや、最後まで聞けよ………」

半ばレィジに遮られたのにげんなりとしたビブリオだったが、レィジの表情がどこか真剣味を帯びていたこともあり、正直に答えることにしたようだ。腕を組んでそうだな、と呟くと、右手の人差し指をピッ、と立てて「いいか、レィジ」と続ける。

 

「確かにお前の態度は、まぁ…年頃ではないかもしれん。だが俺はそれで構わんと思うぞ。だってそうだろ?お前は口振りじゃなくて心の中で分かってる、違うか?」

ビブリオは諭すようにレィジに語り、レィジはそのビブリオの言葉に何かを感じたのか、小さく頷いていた。

「………自分のことは意外と分からないものだな」

「ま、それはしょうがないさ。少しずつ分かっていけばいいんだ。それに、最初から全部分かってたら、何だってつまんないだろ?空だって見上げられなくなっちまう」

天井を指差して、にっ、とレィジに笑いかけるのは、彼の師。

「その、………ありがとう」

口の中から漏れ出た空気と一緒に言ったみたいな細い声でそう発してから、レィジは誤魔化すように食器を手に持った。

「俺の分と、アンナの分は俺がやる。レィジは他の二人の分をやってやれ」

すると、魔道具を開きかけたところに横からぬっ、とビブリオが出てきて、左手に自分用の食器を持ってそう告げた。

レィジは一瞬迷ったようだが、大人しくビブリオにアンナの分にするつもりだった食器を渡し、二人して四人分の飲み物を注いだ。

 

「にしても、やけにしおらしいな、今日は。いつもみたいにどっかりと構えてればいいだろう?」

何でもないようにビブリオにそう言われ、レィジ自身も自分の態度を思い返す。

そういえば、今日はいつもよりも素直に礼を言っている気がする。少女やおじさんの笑顔が脳裏をよぎった。二人の笑顔で何だか、手の届かないレィジのどこかがじんわりと熱くなったように、食器を握る手に力が入る。

 

けれど、その理由はきっと、思い出したからだ。知らないことを知らないとはじめて分かったからだ。それは、ビブリオにも言えない。

 

「………なんとなく、だ」

「そうか」

 

ビブリオはそれ以上追求することもなく、四人の飲み物を注ぎ終わった二人で厨房を後にしようと扉へ歩き出した。レィジも二人分の飲み物をこぼさないようにしながらそれに続く。今はビブリオのその素っ気さで良かったと思った。

「そういえばレィジは何も飲まなくていいのか?」

「あぁ、ヒルミィたちが帰ってくるすぐ前までミルキィから貰ったのを飲んでいた」

「なるほど、それでか」

持っていてくれ、と頼まれたビブリオの食器を受け取り、片手の空いたビブリオはその手で扉を開けた。

 

木の軋む音を鳴らしながら軽々と開いた扉の向こうでは、レィジが出て行った時と同じように机にミルキィ、ヒルミィ、アンナが座って、談笑をしていた。それが何だか楽しげで、レィジは部屋の中に入るのに躊躇しかけたが、ビブリオがそのまま入ったのに続いてレィジもすんなり部屋をまたいだ。

「おー、ほら、持ってきてやったぞ」

ビブリオはまずアンナに飲み物を渡し、レィジから自分の分を受け取ると、そのまま壁に体重を預けた。レィジもミルキィたちに渡し、机ではなくベッドの方に腰掛ける。

「あら、あんたいたの?」

アンナはビブリオの方を向いて口をすぼめて淡々と。

「まぁな。今日はずっとここで仕事してた」

「そ……ありがとね」

「おう」

ビブリオたちのやりとりを横目に、ミルキィもレィジに貰った手のひらに収まる大きさの食器を包んで柔らかく微笑んで。

「ありがとうございます、レィジさんっ」

「………さっきも、やってくれたしな」

それに応えるレィジはそっぽを向いて襟足をかく。ミルキィから視線外れたが、ミルキィの対面に座っているヒルミィと目があった。

「あんがと、お兄ぃ」

ちょこん、と指を取っ手に添えて、上目遣いに。

「まぁ、ヒルミィにはいつもやってもらってばかりだからな……たまには」

 

三者三様に礼の言葉が出ると、しばらくは五人で静寂な空間を作っていた。そのうち、半分ほど飲み終えたミルキィが、あ、と呟くとミルキィに視線が集まり、ミルキィはだんだんと顔を赤く染めていきながら「えっと……」と頰をかく。

「そういえば、皆さんでこうやって落ち着く時間、なかったな、って………」

そう言うと、ミルキィ以外の四人がしんと黙ってしまい、ミルキィが慌てふためくのを見てから、アンナはまたいつもの調子でごめんごめんと謝りながらそうね、と壁際のビブリオをちらと見てから口を開いた。

「これがはじめてかもかしれないわね………と言っても、ここに皆んなが来たのはまだ数日前の事だけれど」

「そうですね、って………あたしは半分以上寝込んでたんですけどね」

あはは、と苦笑するヒルミィは色々あったしね、とレィジを見やる。

レィジはその視線に何かを感じたのか、ヒルミィに似た苦笑いになって、

「あぁ、そうだな。色々、な」

レィジとヒルミィは二人でミルキィに視線を送り、そのミルキィは二人が言わんとしていることを理解したようだ。

「そうだね、ヒルミィ。色々っ!」

三人だけの記憶に話していたレィジたちから取り残されたアンナとビブリオは、「何かあったのか?」「さぁ?」と首を傾げていた。

 

そう、ジュストに来てから色々なことがあった。レィジが己の存在に感じた齟齬や乖離、ミルキィが思い出し恐れを抱いた自分の記憶。

けれど、それだけではない。

レィジはヒルミィとの何となく離れていた距離を取り戻したし、憧れをもう一度強く目に宿した。ミルキィはレィジとヒルミィと森の外へ行く決意をした。ヒルミィはそんな二人を支えると決めた。

 

 

––––––だから、もうきっと大丈夫だ。分からないことだらけで、恐れを抱いても、大丈夫。三人なら、進める。

 

 

三人で視線に乗せて、一つ前の晩の記憶を呼び起こし、誓いあった心を交わす。森の外へ。この憧れは、三人を繋いで離さない。失ったものが大きくても、自分がどれだけ裂かれていっても、三人の目指す想いは繋がったままだ。

 

「おーい、忘れてないか?」

「完全に三人の世界だったわね……まぁ、でも良かったわ」

何が、とはアンナは言わなかった。だが、きっとアンナも三人の間にあった空気の変化に気づいていたのだろう。口には、出さなかったけれど。

ビブリオだけはレィジたち三人と顔を合わせたのはほとんど一日ぶりで、その変化を察することはなかったようだ。その代わりに彼は三人を見渡すと、一度咳払いを混ぜて、ちょっといいか、と改まる。

 

「昨日、モーブルから連絡が入った。導陣を使っての連絡はアリア商会だとあいつと俺しかできないからな。俺とあいつで商人協会に出向いて次の商談をまとめてからこっちに戻る予定だ。それで、なんだが………モーブルがミルキィに話があるらしい。出来るだけ早くして欲しいそうだ」

ビブリオの言葉にミルキィははてな、と小首を傾げ、助けを求めるようにアンナを見るが、アンナもアンナでその訳は分からないようだった。

「それだけ………じゃないんでしょ?」

ビブリオが改めて言う、という事はモーブルの帰還の事実だけではないだろう、とアンナは先を促す。

あぁ、ビブリオは軽く頷いてから続けた。

 

「協会には数日後に行く。だったら、お前ら三人もついて行って、モーブルと話してからベースキャンプにも寄ったらどうだ、ってな。

無理して行く事はないが、早く行きたいだろ?」

「そういう事ね。どう?三人とも。ヒルミィちゃんももう大丈夫そうだし………レィジくんとミルキィちゃんも、それで平気そう?」

 

––––––レンジャーズ。森の外へ行くには、森の中を駆ける事の出来るレンジャーズになる必要があった。それは、レィジが、ヒルミィが、ずっと目指していたことだった。レィジはもう、その記憶を失いかけているが、森の外への憧れを失くしはしない。レンジャーズになるために、ジュストにあるベースキャンプと呼ばれるレンジャーズを組織する機関へ行き、森の羅針盤の裏にレンジャーズである証を刻めば、疾る力が手に入る。

全ては、そこから始まる。

 

「………俺は、もう準備はできている。事情があるなら、それに乗らない手はない」

だから、答えも決まっていた。レンジャーズへ。それは、自分を自分だと信じることでもあった。

「あの、私も………モーブルさんが話があるなら早めにお会いしたいですし、レィジさんが行くというなら行きます」

ミルキィも、答えは決まっている。外の世界の憧れにその眼を燃やした二人について行く。側にいる、と。

「もちろん、あたしも行きます。お兄ぃ一人だと心配だし、やっぱり皆んなを待たせた分早く動きたいですっ!」

そして、ヒルミィの答えも決まっている。迷う必要などない。ジュストに入る前の幻獣、〈擬神獣〉との戦いで受けた傷を治した今、もう足踏みは出来ないから。

 

三人の眼を見て、ビブリオは確信した。この三人なら、問題ないだろう––––––と。

それは、アンナも同じ。ビブリオと目を合わせ、薄く笑みを浮かべて頷いた。あとは任せると、そう言っているみたいだった。

 

「………よし、決まりだな。そしたら急になるが、明日の朝には出発したい。モーブルはちょうど反対側の区域の宿に馬車ごと泊まってる。そこまで数時間って所だが、モーブルと話をまとめておきたいからな」

壁に背を預けたまま、「それでいいな?」と目配せしたビブリオは、三人がしっかりと首を縦に振ったのを確認すると、よし、と言って手を叩いた。

 

「そしたらレィジ!お前は今から鍛錬だ!準備して外へ出ろよ!」

「い、今からか!?」

「歌は歌うものだ!剣だって振らんと意味がない!出るぞっ」

半ば強引にレィジの鍛錬を始めようと、意気揚々と小屋を出て行った。

レィジもレィジで、抵抗する気はないが、突然雰囲気を変えたビブリオに戸惑いながら、慌てて立ち上がり、剣を携え後に続く。そんなレィジを、

「無理はしないでくださいね!」

「また筋肉切ったら承知しないからね」

「いってらっしゃい、レィジくん」

三人がそれぞれ送り出し、商会の中にはまた今朝と同じ顔前が揃う。

 

 

––––––バタン。

閉まる扉と送る言葉を背中に受けると、レィジは逸る心を抑えるように左手に提げた獲物を強く握った。

目指したものは、すぐそこに。

夢見た場所は、ずっと遠い。

熱く熱く、その温度を上げていく血液で身体を火照らせ、キツくキツく、締まる筋肉をほぐしながら。

レィジは、夜のジュストを見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も更けたジュストの街はまだ明るかったが、大樹から離れるにつれて(あかり)は少なくなっていき、壁際ともなると遠くで微かに揺らめく橙色の光が幻惑的だった。光の代わりに、ふた振りの剣がその腹と腹を幾たびも交錯し合い、銀色の刀身が夜の暗さの中時折映す二つぶんの表情が、ここにはあった。重なり合う互いの獲物、その度に甲高い金属音が鳴り、地を踏みしめた足が土を擦る音が後を追い、そこにあったのはその二つの音だけだった。否、漏れ出た吐息を噛み砕いた気迫も、剣戟に乗って聞こえてくる。一つは重く、一つは軽かった。けれど軽い方のしなる腕から振り下ろされた細身の剣が持つ重みは、重い方が振るそれよりもずっとずっと、重かった。

 

「ふぅ………飲み込みが早いな。直接手を合わせたのはあの日以来だが、俺の言った事を理解してる。だいぶ良くなったな、レィジ」

顔は涼しげに、ビブリオはつう、と頰を伝った一筋だけの汗をぬぐって、対面に立ったレィジを見やる。

ビブリオとは対照的に、レィジは服が肌に張り付くのではないか、と思うほどに汗をかいていたが、顔だけは強がって何でもないように納刀した。

「あぁ。もう、言葉だけじゃないからな」

「………?」

 

ビブリオに指摘された、レィジの剣の重み。レィジは自分の想いに気づき、その剣を握る理由を見つけた。そして、今のレィジにはビブリオと対峙した時に心が叫んだその想いだけではなく、ミルキィの出自を知り、自らを知ったことで、揺るがない確固たる意志がある。レィジはビブリオと剣を合わせる中で、ビブリオが言わんとしていた剣の重みが何か、悟ったようだ。

 

「まあ、確かに言葉だけじゃなかったようだ––––––よし、今日はここまでだな。少し休んでから戻るぞ」

ビブリオはそう言うと、どっかと胡座をかいて座り、自分の横をバンバンと叩き始めた。

座れ、ということだろう。

「………っと」

ふらつく脚を隠しながら、レィジもビブリオの横に座ると、熱くなった全身を、冷たい夜の風が包み込んだ。一息に汗が乾いていくようで、溜息が深く口をついて出るくらいには心地よかった。

「何だ、そんなに疲れたのか?」

「うぐっ、いや、別にそこまで………」

そんなレィジの様子を横から眺めていたビブリオは、きょとんと、首を傾げた。隠すこともないだろうに、と苦笑ひとつ、ビブリオは両腕を後ろに伸ばして地面に着けると、そのまま空を見上げて––––––ジュストの大樹の傘の端から少しだけ見える、夜の黒い天蓋を見上げて––––––懐かしむように、口を開いた。

 

「そういえば、前にもこんな夜があったなぁ………。俺と、アンナと、あいつで空を見上げて………いつかを語り合った。なぁ、レィジ。休憩がてら少し昔話でもしてやろう」

なに、そんなに長くならないさ、とビブリオはにっ、と口の端を引いてレィジに笑いかける。

レィジはそれにこっく、と頷き、ビブリオは満足げに頷いて返した。二人だけの夜、始まるのは彼の昔話。

 

「前にも、言ったろ?俺()剣を握る、って」

「………あぁ、あの手合わせの時」

 

レィジの質問に、あの時のビブリオはこう答えた。

 

『あぁ––––––俺は、剣を握る』

 

––––––と。

 

「今のお前は何の為に剣を握るかを分かってる。だから俺は、俺()剣を握ると、答えよう。何が言いたいか分かるか?」

「昔話………ビブリオの、剣を握る理由?」

ビブリオはレィジの答えを聞くと、言葉は発することは無かったが、静かに一度顎を引いた。

「––––––昔、な。こんなやつがいたんだ。人のことばっかり考えて、誰かのために自分を犠牲にし続けたやつが。そんなやつを止めたのが、一人の………いや。そんなやつを止めたのが、アリアだったんだ」

何かを言いかけてから、ビブリオは口ごもり、それから間を開けて名前を、一人の名前を口にした。

アリア、と。そのアリアのことを、()()()()()とは言えなかったのだろう。

 

「気づいたか?アリアは、アリア商会の名前の由来だ。と言っても、商会が出来た時、既にアリアは………」

「………」

ビブリオは眉を顰め、唇を噛み、その事実を受け止めていた。必死に、今でも、足掻いて。

アリアは、商会が出来た時既に。

 

「アリアはな。守ってくれてた。いっつも、どうしようもない俺と、身寄りがなくて先生の所に集まってきてた俺たちと、自分を犠牲にしてそんな俺たちを守ってくれてた、やつを。最後の最後まで、アリアはアリアだったんだ。身体が止まる瞬間まで、泣かないでって。悲しまないでって、言ってな。アリアに、伝えたかったことだって沢山あったさ。それでも、アリアはアリアだった。俺たちに、言葉を遺して––––––殺されたんだ」

「………っ」

 

ビブリオは思い出していた。その幼い日々を。剣を握る決意をした、幼年期を。

 

「俺は、何もできなかった。抵抗だってできなかった。どうして………って考えた時、さ。俺には大切な人を守る力が無いんだ、ってすぐに思いついたよ。何も考えてないようなガキだったから、やつがどんな想いで動いてたかなんて、後になってから気づいたしな。でも、アリアが殺されてから、俺は変わろうと決めた。今度は、アンナも、誰も、失いたくない。だから、俺は剣を握る。もう失わない為に。傷つけさせない為に、な」

不恰好かもしれないけどな、とビブリオは自嘲してから、ふとレィジを見た。

「………レィジ、お前」

 

ビブリオが見たのは、ビブリオの話を聞きながら正面を見つめていたレィジが、泣いている姿だった。横顔だけだったけれど、その涙は本物に見えた。演技で流した、という意味での真偽ではない。話を聞いて流した涙ではなく、実際に心が叫んで、出た涙。

「………どうしてだろう。初めて聞いた話なのに、胸が熱い。ビブリオの話が、懐かしいような気がする。気のせいかもしれない、感傷的になっているだけかも。でも、なんとなく、これは本物のような、気がする」

「………レィジ」

 

ビブリオは驚きを隠せない、と言った風にレィジに向き直った。ビブリオの眼に映るのは、ただ虚空を見つめて独白するレィジの力の抜けたみたいな横顔だけ、それだけだった。

 

『––––––』

 

「………っ!?」

刹那、ビブリオの脳裏に電流が走った。頭の中の奥、深く深く、ビブリオでさえ触れられないような場所で何かが弾けたみたいだった。破裂したような感触があり、その次からその感触がグニグニと粘土が捏ねられるように内側から外側へ伸縮を繰り返し、やがてその感触は綺麗な音になった。どこかで聞いたことがある懐かしい音だった。

リ––––––。

その音は、少ししてビブリオの中を満たしていった。それでビブリオがいっぱいになった頃、妙な安堵感と共にある記憶か目を覚ました。

 

『いつか、私ともう一度会える時がきっと来るよ。ね、だからもう泣かないで。悲しまないで。私は、ずっとずっと、君と………みんなが、大好きだから』

 

「………あ」

ビブリオが思い出したのは、アリアの最後の言葉。漏れ出た小さな声のはずが、その場にいた全員にしっかりと届いていたアリアの言葉だった。

––––––みんなのうちの一人の自分が、剣を握る決意をしたのは、この言葉がずっと胸に残っていたからだ。

でも、どうして。忘れるはずもないことを、どうして、今、思い出したのだろう。

 

 

ビブリオは目を見開いて硬直していた。いつしか両手は膝について、脂汗を滲ませ、地面でも宙でもない場所を見つめる目で、ビブリオは動かないでいた。

 

「おい、ビブリオ!どうしたんだ、急に?大丈夫か?体調が悪くなったのか?」

レィジは急変したビブリオの様子に懐かしさを押しのけ、顔を覗き込んだ。

そのレィジが見たビブリオの表情は、見たことないくらい憔悴しており、只事ではないことをうかがわせた。

「肩を貸すから、今すぐアンナのところへ………」

「………いや、すまない。大丈夫だ。少し、思い出してた––––––アリアの、ことを」

「………っ。そ、そうか。俺はもう十分休ませてもらった。でもその表情は心配だ」

レィジが眉をハの字に曲げてビブリオを見やり、ビブリオがそれを精一杯の苦笑とともに手で制した。

ビブリオの様子が、言葉通りではないことは明らかだったが、ビブリオが大丈夫というなら、とレィジは伸ばしかけた手を戻す。

 

「本当に大丈夫なのか?」

それでも、大丈夫だと強引に押し通して商会まで足早に歩き始めた師が気にかかるレィジは、駆け足で追いかけながら背中越しに念を押した。

「あぁ、悪かった。弟子にここまで心配させるたぁ、師としては俺も素人だなぁ。すまん。急に思い出して、少し………心が乱れたんだ」

そのレィジに振り返り、襟足をガリガリとかきながらそれだけ答えると、ビブリオはそれきり何も言わず、ただレィジの前を歩き続けた。商会までの短い時間、その二人の距離感のままで、レィジはついぞそれ以上を言うことはできなかった。

 

ビブリオが扉を開けると、ヒルミィは既に寝ており、アンナとミルキィが二人を出迎えた。

 

「あっ、レィジさん。おかえりなさい。ビブリオさんも」

レィジの姿が見えると表情を明るくしたミルキィが、とててっ、とレィジの元まで歩いて行き、体を拭く布を手渡し、ビブリオが片手を上げて返事をしながらその横を通り過ぎる。

レィジはそんなビブリオの背中を視界の端で追いながら、ミルキィから布を受け取った。

「ありがとう、ミルキィ。その………ただいま」

外で冷えたはずの身体が、布を受け取る時にぴと、と一瞬触れた指と指の温度で熱くなる。その熱になんとなく懐かしさを覚えて、レィジは布で顔を拭くふりをして視界を遮る。

「はい、おかえりなさい。ヒルミィは疲れて寝てしまいました。よほど〈流音団〉の芸に見入っていたんでしょうね」

慈しむような笑みをしているのだろうと真っ白になった視界の向こうを想像してから、レィジは自分とミルキィ以外の声を聞いた。アンナが、ビブリオに何か話しているようだ。

アンナならばレィジが分からなかったビブリオの異変に気付けるのではないか、とレィジは布を少し下にずらして、指と布の間からミルキィの後ろにいる二人を盗み見た。

 

「レィジさん、何かいるものはありますか?」

 

「………ビブリオ、あんた、その顔どうしたの?」

 

「いや………大丈夫だ、ありがとうミルキィ」

 

「………、アリアの、事を。思い出した。いや………アリアの声が聞こえた、気がした」

 

「そうですか。もし何かあったら直ぐに言ってください!」

 

「………!聞こえたっ、てあんた、何を………いや、その表情は本当、らしいわね」

 

「あぁ、助かる。ありがとうなミルキィ」

 

「………なぁ、アンナ」

 

「あの………ところで、レィジさん」

 

「うん………ビブリオ」

 

「どうしたんだ、ミルキィ?」

 

 

レィジはミルキィがレィジの換えの服の場所を尋ねるのを聞き流すくらい、ミルキィの後ろの二人の会話に引かれていた。だからレィジの耳には、二人の会話がはっきりと聞こえてきて––––––。

 

 

「アリアは………あの時、死んだよな」

「………えぇ。あんたと、私とモーブルと、みんなが、一緒にいた」

「じゃあさ………みんな、って。誰だ?」

「それはもちろん………え?」

「思い、出せるか?」

「………っ!?」

「みんなは、いたのか?」

「………わか、らない」

 

 

その会話が、レィジの中で特別な意味を持っても。

その意味が、レィジに分かる頃には。

その会話が、成した意味は全て無に帰している。

 

 

 

それが、代償というものだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。