欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

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第十四話 アリア

馬車に乗るのも、ジャガールでレィジたちに声をかけてからがもちろん初めてのことだったが、まさかそれからすぐに、こうして馬に乗ることになるとは思っていなかった。馬車の時も直接肌を通して感じた、車輪が地面を滑る度に荷車に伝わる振動の一つ一つは、馬上ではより強烈に違った形でミルキィに届いていた。ミルキィがその腰に手を回して落ちないように必死にしがみついている、馬の手綱を握るモーブルが、小さく息を吐いて手をしならせる毎に彼の愛馬はくるるっ、と鼻を唸らせ、大樹を背に、その蹄で地面をかいた。

ミルキィとモーブルが、こうして馬に乗ってジュストの中心から離れているのは、数時間程遡る昼下がりに事の端を発している。

––––––というのも、ミルキィたちがモーブルと合流したのが、ちょうどその時間帯だったのだ。早朝にアリア商会を発った彼女たちは、アリア商会側から見てちょうど反対側に位置するモーブルが取っている宿に到着した。ビブリオとモーブルは一言、二言交わし、それからミルキィはモーブルに連れられた。残されたレィジたちは、ビブリオと共に宿でモーブルの帰りを待つらしかった。ミルキィは、モーブルに「久々に会っていきなりですまないが、少し付き合ってくれ」と、愛馬の元へ案内されたのだ。

 

「それにっ、しても………っ。モーブル、さんっ。何で………馬なんです………かっ」

 

ミルキィが馬に揺られながら途切れ途切れ抗議の意を込めて言葉を発する頃には、大樹よりも穴の壁面の方が近くなっていた。上下に動く視界を少し凝らせば、ミルキィたちがジュストに来る時に降りてきた壁を削って作った螺旋状の道への入り口が見えた。もっとも、今向かっているのはジュストに来た時とは反対側の道への入り口になる。

 

「また徒歩で移動したら、宿に戻る頃には日が明けちまうからな。それと、あまり話さない方がいい。舌を噛む事になる」

 

慣れているのか、すらすらと言ってみせると、モーブルはちら、とミルキィの方を見てから「あと少しで着く。もう少し我慢してくれ」とミルキィに告げ、きっ、と視線を前に送り直す。

 

「………っ!」

 

モーブルの言葉に、ミルキィは声にならない声を漏らし、慌てて開きかけた口を閉じる。ぴったりモーブルに密着しているために、向けても届かないと知りながら、降りたら小言の一つも言ってやろう、とミルキィは頬を膨らませてモーブルをジトッ、と睨んだ。

 

「………」

––––––流石に突然過ぎたか。いや………いきなりといえば、俺の方も。

 

ミルキィの息遣いで、何となく彼女の心境を察したモーブルは内心で襟足を掻く。それから、自分をここまで駆り立てた()()の存在に、想いを馳せた。

 

––––––やがて。ミルキィが、モーブルに怒ることも忘れ、じんわりと痛み始めた下半身に耐えているうちに、二人はモーブルが目指していた場所に着いたのだった。

 

 

 

そこに立っているだけで、だんだんと薄赤く染まりつつある空を隠す大樹の影がミルキィに迫り、穴の中にいる事を忘れ、あるいはここが森の中の世界である事すら忘れ––––––それだけミルキィを圧倒せしめたのが、螺旋状に削られた緩やかな坂道の中腹に作られた物見の為の踊り場のような空間だった。ちょうど、螺旋階段の途中に踊り場が出来ているような構図になっている。例えるなら、ジュストは、螺旋の規模が規格外で、螺旋は中央に大樹を構えている状態だ。これから時間が過ぎ、空に黒さが戻れば、街に灯りが灯り、この景色はさらに変容する。絵画で描かれるような美しささえ生まれるだろう。

この中腹の踊り場には、しばしば人が訪れ、あるいは馬を休め、あるいはジュストに別れを告げ、そしてあるいは––––––。

 

「あの、モーブルさん………私にお話があるんですよね」

踊り場に設けられた木製の柵に手綱を括り付け、モーブルは愛馬の顎を撫でていて、ミルキィを馬から降ろしてからは口を開かなかった。あえて開いていないと言うより、何か言いにくい話をしようとしているような、そんな雰囲気さえ感じられた。

ミルキィはそんなモーブルの様子に、小言を言うのも忘れ、恐る恐ると言った風にモーブルに確認を取る。

 

「………あぁ。その為に、ここに来たんだ。……………………」

「その為に………?」

 

モーブルはここに来た、と言ってから何か言っていたようだが、ミルキィの耳には届かない程細い声だった。まるで、自分自身に対して呟いているみたいに。

 

「ミルキィ、ジュストに来る前に、〈擬森獣〉に会ったな」

 

ミルキィの問いには答えず、モーブルから発せられたのは、見当違いな言葉だった。ミルキィに背を向けたまま、愛馬から手を離したモーブルは、柵の向こう側に広がるジュストの街を眼下に添えて、話を続ける。

 

「俺の言った事、覚えてるか?」

「………ぇ」

 

そこでモーブルは振り返り、ミルキィは久しく、彼の表情を目にし、はっとした。彼女の脳裏では、会った時と同じ冷静さを湛え、それでいながら強かな色の瞳をしているモーブルの顔が浮かんでいた。

けれど、ミルキィが見たモーブルは、いつになく弱々しく、ミルキィにも、力なく微笑んでいるだけだった。

 

「自分の事とはいえ、本当の意味で、全てを理解している奴は少ない。解ってないフリをして、周りばかり気にしていた奴がいた、自分の周りの人間の事は誰よりも、そいつら自身よりも解っているのに、自分の願い一つ分からない奴もいた。………解っているつもりで、何も解っていない奴もいた」

「………」

 

モーブルが〈擬森獣〉を持ち出した時、ミルキィにはモーブルの言わんとしていることが掴めていなかった。沈鬱な面持ちと共に、何かを吐き出すみたいに一言一言をゆっくりとミルキィに伝えるモーブルの言葉を聞いている内に、思い出す。己の中に巣食う、遠い存在を初めて意識した時のことを。

 

『お前の知らないお前を見つけられたってことじゃないのか』

 

モーブルは、そう言っていたはずだ。レィジもヒルミィもなす術なくその前に倒れた〈擬森獣〉が、突然跡形も無く消滅した。その原因を、その場に居合わせたミルキィに求めるのは、いささか早急ではあるかもしれない。けれど、今のミルキィは知っている。それが、自分の持つ力に起因しているということを。

 

「ミルキィ、お前は………解らない事は、まだ怖いか?」

 

そして、これもまた、モーブルに言われたことだった。

 

『だったら、恐れることはない。自分を知るのは勇気がいることだが、その先にお前の求めた生きる理由ってヤツがあるんだ』

 

しかし、どうだろう。ミルキィは、意識しない内に、大切なものを見つけていた。モーブルと別れたこのたった数日の間に、一つの答えを、手に入れていたではないか。

だから、それに対する応えはもう決まっている。

 

「いえ。もう、怖くありません。私が、どんな存在でも、思い出したことが、どんなに残酷でも、隣に居てくれる人ができたから。一緒に、話を聞いてくれる人ができたから。信じてるんです、私。その二人なら、どんな私でも………それが残酷な答えでも、きっと止めてくれる、って」

「そう、そうか………」

 

それを聞いたモーブルは、ほんの少し、間を空けてから、安心したような表情になって、ミルキィに半歩だけ、近づいた。次の言葉を、届ける為に。

 

「やはり、似てるな、お前は。いや、こんな事が言いたかったんじゃない。ミルキィ、大事な、大事な話になる。しっかり、聞いてくれ」

「………っ」

 

ミルキィは、モーブルのその声音で、胸の奥が疼くのを感じた。まるで、()()()()()()()()()––––––その()()()は、ミルキィの知らない()()()なのに、その情景は、ミルキィの耳に聴こえてきた、そんな気がした。

 

「今、お前のその答えが聞けて良かった。本当に………。これで、やっと果たせる。最後の約束を」

 

ミルキィには、彼が何を言っているのか、分からなかった。分からない、解らないはずなのに、どうしてだろう。モーブルの言葉が、傷みを噛み締めるようなその表情が、なによりも––––––嬉しかった。

 

「俺が、お前をここに連れてきたのは、ある人の話をする為だ」

そして、モーブルの声は震える。その音は、モーブルの眼前に立ち、彼の両の眼を覗くミルキィの所まで、しっかり届いて。

 

 

「俺の––––––愛した人の話だ」

 

「………っ!?」

 

愛した人、と。

モーブルのその言葉に、ミルキィが思い浮かべたのは夢で見たあの黒い空の下だった。自分でも気づかない内にその情景が頭を掠めるのなら、きっと深層心理、どこかでミルキィはあの場所を愛しく思っているのだろう。けれど、それを知る術は、記憶が無い以上、まだなくて。

ただ今は、モーブルの口から発せられた言葉の意外さに目を見開くだけだった。

 

「そんなに、驚く事はない。俺はお前の年齢のその倍は生きてる。––––––大切な人が出来るには十分な時間があった。ただ俺に無かったのは………」

 

モーブルは、その先を言おうとはせず、俯いたまま拳を強く握っていた。その痛烈な様子に、ミルキィは何もできず、小刻みに震える足の理由を探す間も無く、立っている事しかできなかった。その時間がほんの少し続いてから、モーブルが一度深呼吸をすると、彼の記憶を紐解く話が始まった。

 

「少し、思い出してくれるか?俺とお前が初めて会った………そうだな、お前が馬車に向かって走ってきた時の事だ」

すると、予想外にもミルキィの原点の場所から、それは始まった。一瞬意味を捉えられなかったが、忘れもしないレィジたちとの出会いの日、聞かれた理由は分からなくても、聞かれた事を答えるだけならすぐに出来る。

「は、はい。私が、馬車を見つけて。それでレィジさんが来て……ヒルミィも、モーブルさんも来てくれて」

言葉にするにつれ、鮮烈に蘇ってくる記憶の中で、凄まじい剣幕のレィジと、彼をなだめるヒルミィにばかり注意が向いて、モーブルの事は印象に強く残っていないと気づいた。

––––––あの時、モーブルはどんな表情をしていたのだろう。

 

「そうだ。あの時だ。生きる理由を探しに来たと言ったお前を、俺が初めて見た時だ。そして………()()()()()()()()()()()()()()()時でもあった」

「………?」

 

モーブルは、静かな吐息と共に段々と黒く染まっていくジュストの街を見下ろす愛馬をひと撫でしてから、ミルキィに視線を戻した。頷きと一緒に「少し歩こう」、と添えて。

 

「は、はい」

 

言うが早いか歩いて行ってしまうモーブルの背中に駆けて、モーブルが話しやすいように、その隣に並ぶ。青と白、並ぶ髪の色が、無機質なジュストの壁面を彩っていた。

 

「あの時思い出したのは、俺がこれからお前に話すその人の、最期での事だった」

「………」

坂の途中にできたその踊り場は長く、端から端まで行くのに数分はかかる。そこをゆっくり歩く歩幅は、モーブルの話を聞くのにはちょうど良かった。

「俺が忘れないと心に誓っていた言葉のはずなのに、忘れていた………どうして忘れたのかは分からない。だが、どうして思い出したのかは、分かるような気がするんだ」

モーブルは、ごくり、と喉を鳴らした。

 

「最期にあいつは、こう言った。私に似た人に会ったらこう言ってあげて、とな。俺が思い出したのは、その時のあいつの表情と、そこまで。何を言えばいいのか思い出せないままだったが、誰に言えばいいかだけははっきり分かった」

 

ここまで言われれば、ミルキィも薄々その()()がだれを指しているのか、何となく察しがついていた。二人が初めて出会った時、モーブルに思い出された言葉。

 

「それは、()()()()。お前だと思った。ただの勘じゃない。俺は自分の頭を疑ったが、どうやらそうじゃないらしい事が分かったんだ」

 

懐かしそうに、儚げに、それなのに言葉尻ははっきりして、けれど、モーブルは決して()()()()の名前を口にしようとはしなかった。まるで、自分にそれが許されていないと、思っているみたいに。

 

「ミルキィ。お前のその力。どうしてあの時、俺がお前を疑ったか分かるか?」

二転三転と、しかしそれでいて確かな足取りで一つの方向に向かっているようなモーブルの言葉に戸惑いながら、モーブルが指摘する()()()を思い出す。それはきっと、ジュストに来る前の、〈擬森獣〉との戦いの時だ。

「いえ………状況証拠、じゃないんですか?」

〈擬森獣〉が消えた原因をミルキィに求めるのは、状況証拠からだと。モーブルは言っていた、ミルキィはそう聞いた。

けれど、彼が()()()()()()()()()に至っていたとは、まさか考えもしなかった。

 

「いや、あの時はそう言ったが、本当は違うんだ。違うって事を、ジュストに来てからようやく思い出した、と言った方が正しいかもしれないが………」

 

モーブルの脳裏には、一人の少女。そのまま時間の止まった少女は、モーブルに、アンナに、ビブリオに、そして彼に、言葉を––––––否、()を、遺した。その()を聞いたビブリオはレィジに過去を語り、その()を聞いたモーブルは、今、ここでミルキィに過去を語る。

 

「俺は、あいつの声を聞いた。このジュストに来てからの事だ。それで、あいつの記憶をすべて思い出した。最期に何を言っていたか思い出したのはその時だ」

「声………」

「おかしくなったんじゃないか、そう思ったよ。いや、今日までは本当にそう思っていた。けどな、思っていても説明のつかない事はある。理屈とは違う所で、俺はあいつの声だって分かっていた。感情論でもない。………そして今日、それは確信に変わった」

言っている事は、滅茶苦茶に見えた。

すでに死んでいる人間の声が急に聞こえるようになって、それはモーブルが狂ったからではなく、感情論でもなく、理屈では説明できない現象だという。信じられるか?そう聞かれれば首を横に振るだろうか、ミルキィは。

 

––––––否、だった。

それは、ミルキィ自身が、自分の事を信じられないような存在と捉えているからだった。導陣(ルーン)とは別の力が自分にあると知ったミルキィは、モーブルの愛したその人の声を本物だと、そう思った。

「確信に、変わった………?」

だから、モーブルの言い回しで、彼でさえ一片の疑いを介することなく()()()()()()()()()()()()()という非現実的な現実という矛盾したような事を捉えることはできていなかったのだと気づいた。

「あぁ、そうだ。ビブリオと会った時、これからの予定ともう一つ、ある話をした。いや、ビブリオから聞いた。ビブリオは、俺にこう言ったんだ。あいつの声を思い出した、ってな。ビブリオは()()()()()と言っていたが、俺は()()()()と思った。きっと、あいつは二人に、そして恐らくアンナにも、声を届けてる。それが、アンナの遺志ではなく、俺たちが、ミルキィ––––––お前と接触したからだと、俺は結論づけた」

「わ、私が………ですか?」

 

あぁ、と軽く頷いたモーブルは、俺がそう結論づけたのは、あいつの最期の言葉が理由だ、と呟いた。それから、息を短く吐いて、モーブルはゆっくりと、その息に声を乗せ始める。

 

––––––夜の足音が近づくにつれて、ジュストを覆う大樹の向こう側に広がっている空はミルキィの夢で見た黒とは違う、もっと濃い色の黒に染まっていく。空が黒に染まるにつれて、街に灯が灯り始める。ぼっ、ぼっ、ぼっ、と徐々についていく光から離れて、二人の影が壁面に伸びた。足を踏み出す度に影は揺れ、そして大きい方の影は首を上に向けた。

 

「あいつが最期に言っていた事」

 

モーブルは自分の記憶の中にある彼女の事を思い出していた。彼女の身を満たしていた感情の尽くを捧げて守りたいと願ったモーブル達の未来で、彼女が伝えたかった事を伝える、この瞬間に。

 

––––––あぁ、遅くなっちまったな。でも、ようやく果たせる。最期の、約束だ。

 

「それは」

 

––––––それはね、モーブル。

 

 

『私たちは、旋律で繋がれている』

 

 

「––––––っ!?」

 

その言葉の音がミルキィに届いたその刹那に、ミルキィは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。火花が散る。鼓動が駆け足になって、胸の内から心臓が弾け飛んでしまいそうになる。これはなんだ?分からない。でも、()()という言葉は、それだけミルキィにとって重要な言葉だった事だけは確かだ。この感覚は、失った記憶を取り戻す時のそれに近い。けれど、今度のそれは今まで感じたそのどれよりも鮮烈で、鋭くて、速くて、痛くて、そして何より–––––温かかった。

 

「あいつの言っていた事の意味はまだ分からない。でも、〈擬森獣〉が消えた時に見えた光の粒子は、あいつが俺たちを守ってくれた時に見た光の残滓に似ている。旋律で繋がっている。もし、あいつとお前が繋がっているのなら、〈擬森獣〉を消したのが、あいつの使っていた力と同じ力なんじゃないか、俺はそう思った」

 

モーブルは、いつしか辿り着いてしまっていた踊り場の端の柵に背中を預け、その後ろをてくてくと小さな歩幅で付いてきているミルキィを見やった。その眼に浮かぶ、キラリと光る涙を見て、ギリッ、と歯を鳴らす。いつも分かったようなフリをして、何も分かってなどいなかった自分に覚える苛立ちは、もう取り返せない過去に囚われている。

 

「そして、あいつとお前が旋律で繋がっている、というなら、ミルキィとの出会いが俺たちにあいつの声を届けたと考えるべきなんじゃないか、ってな」

「そう、ですか……………」

 

ミルキィは、モーブルの言葉を捉えていても、その意味を咀嚼するまでには至らなかった。それよりも、()()という言葉を介してミルキィにもたらされた()の数々に、意識は吸い込まれていった。

旋律で繋がっている。その意味を、ミルキィは身をもって悟る。

 

「………ありがとうございます、モーブルさん。()()()()()()()()()()()()()。手を握って、言ってくれた。任せろ、って。やっぱり、頑張ってくれた」

「………!?ミルキィ、お前、その記憶………」

 

ミルキィは、身体の中にすっ、と入り込んできた()に、彼女の最期を見た。私たちは旋律で繋がっている、そう言った彼女の言葉で、ミルキィは彼女の旋律を受け入れることができるようになった。響いた音の数々は絡まり合って、最期の記憶に辿り着く。だから頰を伝うこの雫は、きっとミルキィと彼女、二人のもの。

 

「………アリアさんの話だったんですね、モーブルさん」

「––––––あぁ、そうか。アリア………そういう事なのか」

 

()()()の名前を、ミルキィの口から聞いて、ミルキィの記憶の所以を悟った。一筋だけ伝った涙に、モーブルは目の端から抑えきれなくなった感情を溢れさせた。随分と長い時間がかかってしまったけれど、やっと約束を果たせた、その事実に。

 

私たちは、旋律で繋がっている。

 

その意味は、今、手の届く場所にある。

 

「ありがとう、ミルキィ。やはり、あの声はアリアの声、だったんだな。アリア、聞こえるか?やっぱり、お前の言う事はいつも正しかった」

 

空を見上げて、記憶の中の少女を見つめ、目の前のミルキィに向けて、モーブルは話していた。

アリアへ、その言葉は届かないかもしれない、けれど。

 

アリアと、モーブルと、ミルキィは、きっと旋律で、繋がっている。

 

 

 

 

 

 

欠ける事のなかった月夜の下で、誓い合った二人の約束。私は、モーブルにこれ以上傷ついて欲しくなかった。でも、あの人はいつもそう。自分を犠牲にして、私たちを助けてくれる。それが無いと、私たちは生きていく事は出来なかった。もうとっくの昔に、死んでいたかもしれない。だから、あれ以上何かを言うなんて、私にはできなかった。

でも、あの人は誓ってくれた。

とくん––––––って響きあう鼓動が、確かに重なったのを感じた。叶うなら、ずっとモーブルの手の中で彼の気持ちが流れる音を聴いていたかった。

 

私たちが、何をしたっていうんだろう?

気が付いた時には奪うか喪うかを選ぶだけの朽ちていく身体で空を見上げていた私たちに。街道から漏れ出てくる雑音にとっくに枯れた何かが震えて、それをどう受け止めればいいか分からなかった私たちに。旋律の綺麗な形も見えないくらいに視界が狭くなっていた私たちに––––––生きていてもいいと、教えてくれた場所を、ただ守りたかっただけなのに。ただ、そこに居たかたっただけなのに。始まりと同じ。それは簡単な事。奪われて、終わる。分かっていたはずだった。忘れてしまっていた。けれど、一度知ってしまったら、もう二度と虚無には戻りたくはなかった。

だから私は、たとえここで私の音が途切れてしまうと分かっていても、モーブル達を守りたかった。モーブルが、ずっと私達を守ってくれていたように。おんなじように、今度は私が守りたかった。でも––––––私の音を消して、それで掴めたのは、私の周りだけ。私には、それくらいの力しかなかったって事だ。

 

私の力は特別だった。ここを襲ったあの三人の子達とはまた別の種類の力だって、瞬間的に悟ったけれど、あの子達と同じ、私の力は特別、そこだけは同じだった。違ったのは、それが完結した旋律か、奏で続ける旋律か、という事で––––––。

私の旋律は、きっと、モーブル達が生きている限り、ずっと響いている。それが、私の特別。響く音が特別だったから、形にした音も私だけの音になっていた。

私の音が消える(きわ)に、私は聴こえた気がした。

 

 

どこかで、()()()()旋律を奏でる音が、一度だけリン、と鳴ったのを。

 

 

その音を聴きながら、私は私の身体で私のものではない感情を得ていた。今まさに消えようとしている私の存在に追随するように聞こえてきた音。去り際の静寂がそうさせたのか、その音の持つ意味は案外すんなりと私の中に入ってきて居場所を見つけたみたいだった。

 

「ねぇ、モーブル。聞いて………?」

 

だから、私は伝える。モーブルに。そして––––––()()()()()の、誰かに。

 

「もし、モーブルが………私、と………似た人を見つけたら、言ってあげて?」

 

途切れ欠けた意識の端で、モーブルが、アンナが、ビブリオが、––––––が、頰に、手に、身体に触れてくれた。私は欠けない。大丈夫。ここにはみんながいる。守りたかった人達が、私のこの鼓動の熱かった音を覚えていてくれる。

 

「私たちは、()()()()()()()()()………って」

 

モーブルが、みんなが、それぞれに言葉をかけてくれたのに気付いた。気付いたけれど、それを伝える術は、もう私にはなかった。

あぁ、終わるんだな、って思った。

確かに喪うはずなのに、これはきっと私の知っている喪失なんかじゃなくて、もっと別の何かだと思った。

こんなはずじゃなかったのに––––––その言葉は、もうずっと昔に掻き消していたから、浮かんだのはそんな嘆きじゃなかった。

 

––––––!

「………」

 

モーブルが何か言っていたけれど、聞こえなかった。聞こえなかったけれど、私は何か返事をした気がした。頰が熱いのは、みんなの手が温かいからだったんだろうか?

 

あ––––––。

 

一番最後に、私の意識は暗転した。光がなくなって、視界に黒が押し寄せるそのほんの少しだけ前に、私は()()が何か分かった。

 

そうだ。これは、唄だ。

 

 

 

 

 

 

––––––。

––––––あぁ。

––––––やっぱり、あなたはあなたのままだったんだね。

––––––聞こえたよ、ありがとう……………みんな。

 

 

 

 

 

「いつもと違う自分………」

 

初めて聴いた音の形。

その音に、私はいつもと違う景色を見た。

その景色で、あの人は、音を響かせていた少女を抱きしめて、誓ってくれた。その景色で、あの人は音を響かせていた少女の最期の言葉を聞き届けてくれた。

隣を歩く、青い髪のあの人を見て、私は音の少女が私に伝えてくれた事の真意を理解する。

––––––私の力は、旋律の形をしている。

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