欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

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第一話 王の王たる所以

腰に提げた獲物を手で撫でると、それと同時に過去の記憶が蘇ってくる。ダーミルに師事してから間も無い、齢七つの時の話だ。レィジは今ほど口数が少なかった訳ではなく、むしろ積極的ですらあった。

レィジには拾われる前の記憶がない。生まれてから、ダーミルと武を極めるための修行を繰り返すことが、彼にとっての日常になっていた。そこに疑問はなかった。

その代わりに、そこには憧憬があった。世界を知るという憧れが。一生を狭いこのシャトルで過ごしたくはない。世界は広いはずだと、レィジは幼心に決意していた。

 

つまり、グラーヴェを出ると。

「お前、グラーヴェを出たらどこに行くつもりだ?」

「それは………世界をみにいくんだ」

 

ただ、四歳でグラーヴェにやってきて、三年が経ったとはいえ、知識量はたった三年ぶんであり。それゆえに、()()()()()()()という目標はあるが、そのための手段を心得ていなかったのだ。

「ふん………だったら、レンジャーズになるといい」

「レンジャーズ?」

 

ダーミルは、ィージルからレィジに師事してやってくれと頼まれてから、いつかこうなるだろうと直感に似た予感を感じていた。或いは確信ともいえた––––––レィジの、渇望する青き瞳を覗いた時からそれはあった。

「オアシスシャトルには、ベースキャンプという拠点があるんだ。レンジャーズ、魔物の討伐や遺鉄鋼(いてっこう)の回収、用心棒から何まで、危険な仕事をこなす連中のための紹介所だな。それがベースキャンプで、その連中が、レンジャーズだ」

「………!」

その時のレィジの表情は今でもすぐに思い出せる。

親から出された問題の答えを見つけ出したかのような輝きがあった。

「レンジャーズには森の羅針盤という導陣道具(ルーンツール)が必要不可欠になる。この世界で唯一、方位を示すことのできる道具だからな、深い森の中では重宝する」

「そ、それなら知ってる。うちにも一つあるぞ、森のらしんばん」

「………このシャトルでは、森の羅針盤を受け取るには一つ、乗り越えねばならない壁があるんだ。何だと思う?」

 

その時のダーミルは不自然だったと、レィジは後になって思ったが、その時は興味が先行して気づきもしなかった。

 

「な、なんだろう。………しれんとか」

「試練か。ふむ、それもまた言い得て妙だ。このシャトルではそれを儀礼と呼んでいる。レンジャーズになるために求められる全ての要素を試すには十分な機会だからな………幻獣を一体倒し、その首をここまで持ってくるんだ」

「げ、げんじゅう?それって、広場にあるおっきな頭のこと?」

「そうだ、それは過去にこのシャトルでレンジャーズになった八人が殺してきた幻獣の首だ。幻獣の中でも非常に珍しく生態が明かされている個体を殺す。事実上その後にレンジャーズになることができるんだ」

「………!!!」

 

驚愕は歓喜に変わり、歓喜は畏れに変わり、畏れは熱に変わって、少年を燃やした。その意思が、今のレィジを作り上げていた。

ダーミルは目が色づいた少年の前に立ってふと、電流が走ったような感覚を覚えた。

それは、彼がいつしか忘れてしまったものかもしれなかった。

 

 

 

 

 

所々の木に印が付けてあった。学識のない者には分からないだろう、複雑な文字列が並んでいた。ヒルミィがそれを読みながらどんどん奥へ進んでいくのを、レィジは後ろで魔物に警戒しながらついて行く。

魔物とは、動植物の上位の生命である。ゆえに、魔物にとって人間は捕食あるいは害の対象でしかない。森では、入った者全てを絡めとらんと、魔物たちが狙う。

 

「お兄ぃ。昨日もそうだったけどやけに静かだよね」

「………壊厳(かいげん)の影響だろう。奴の気配に怯えているんだ。今の所、俺の〈網の目〉にも引っかかる敵影はない」

 

レィジとヒルミィが歩いているこの場所は、グラーヴェから一日弱歩いてきた森の中である。グラーヴェを一歩外に出た瞬間から、周りの世界は森だけになった。否、元の世界に戻ったのだ。平地の上に平然と文字通り林立する、樹齢数百年の木々の間を縫って、幻獣を目指す。

二人が目標としている幻獣は、壊厳の半虎(かいげんのはんこ)と呼ばれる、身体の半分を瘴気で覆い隠した虎の姿を取る個体。この幻獣は、幻獣の中でも魔物に近い位置にいる。同時多発的に複数個体の目撃がある事例が確認されているため、壊厳の半虎を魔物とする説もあるが、その超自然性から幻獣の位置付けは変わる様子はない。

()の虎は、入り組んだ森の中で中型から大型の生命を主食とし、細い木の多い地域に生息することが分かっている。

 

「………ヒルミィ、注意しろ。ハウンズの気配がある」

「りょーかいだよ」

 

そして、半虎が周囲にいる場合、半虎が纏う瘴気の散りが空気中で観察され、周辺の生命は半虎を警戒し身を隠すのだ。

しかし、ハウンズは違う。

ハウンズは群れで行動する獰猛な肉食動物だ。狩りの際には基本的に一体で行動し、仲間内のみが理解できる特殊な波長で会話し、対象を追い詰めるという方法を取る。こうしてレィジがハウンズの気配を〈網の目〉という導陣(ルーン)で捉えたということは、ハウンズは壊厳の半虎を畏れながらも狩りをしていることになる。ハウンズは基本的に獰猛。自ら以外のすべての生命は捕食対象になり得てしまうのだ。時にその獰猛さは酷く愚かである。

 

二人は、ハウンズを油断させるためにあえて気づかないフリを続け、向こうから近づいてくるのを待った。

ハウンズの気配と手を繋いでしばらく歩き、そろそろかと気を引き締め直したころ………、

「––––––ヒルミィ!」

レィジは空気を裂くような鋭い声でヒルミィの名を。

「うんっ!」

ヒルミィはそれに応えるべく腰の杖を取り出し、僅か一、二秒で宙に複雑な模様を描いた––––––ように見えた。確かに、宙をキャンパスにして、ヒルミィは何か模様を描いたようだったが、不可視の模様はレィジにすら見えなかった。

–––––だが。

 

「風の導陣、風障壁!」

 

その声とともに、ヒルミィの左前方から飛びかかるようにしてやってきていたハウンズの周囲に剛風が舞った。ゴオオオオ––––––ッ!!と空気を震わせ、土を巻き上げ枝葉を刈り取る勢いで吹き荒れる風を前にしてはどんな音も伝わらない。が、この風自体には殺傷力は一切ない。ハウンズであれば、致命傷はおろか、傷すらつかないだろう。ゆえに ハウンズは風の向こうで仲間へメッセージを送る。

 

「………残念だったな。獣一匹に遅れを取るほど落ちちゃあいないんだ。お前はここで終わりだ」

「グルァッ!?」

––––––確かに俺は波長を流したぞ!?どうしてだ!?

 

それに対する答えは、「風障壁によって空気の振動が遮断され、波長が風障壁の外に出なくなった」から。

そして、僅かその隙に、ハウンズの身体には、銀に鈍く光る縄が絡みつき、四肢が動かないように縛られていた。その縄が出ているのは、レィジが両手に一つずつ持つ、金属の直方体。

「アアアアッ!!」

直後、その縄が勢い激しくハウンズを締め付けていった。

これが、〈フック〉という狩猟武器。

超高硬度の遺鉄鋼で編まれた縄を射出、吸引できる。ハウンズの肉体を絡め取ったのはレィジの両手から射出された遺鉄鋼の縄であり、締め付けたのはレィジが縄を吸引したからだ。

 

「––––––ッ!!」

 

ハウンズは目を剥いてジタバタと抵抗するが、縄と縄の間から毛皮のついた肉がはみ出し、赤々とした血液が破裂した毛細血管からビュルビュルと滲み出ていく。

そして、白目を眼孔から飛び出させ、舌は痙攣し、声にもならない声を上げながら、ハウンズはいとも容易く失神する。飛び散ったハウンズの血液や表皮が木々に当たって跳ね返り、紅に森を彩る。

 

「………ふん」

「お兄ぃ。ほら、ハウンズ一体を倒したってことは、半虎が近くにいるかもしれないから。立ち止まってないで、行こう?」

「あぁ。––––––分かってる」

 

レィジは、見るも無残な姿に成り果てたハウンズを横目に、先行するヒルミィを追いかける。

ただ縄で絞っただけでは、ここまで惨いことにはならない。フックは、付加効果を持つ導陣で強化されている。そのため、縄の硬度やフックの吸引の強さは、桁外れのものになっていた。

 

導陣とは、人が生み出したとされている超自然的な現象を引き起こす術のことだ。〈網の目〉は気配を探り、風障壁は音を遮断する。

「〈網の目〉。ハウンズの気配が全部無くなった。多分、壊厳だ。注意しろ」

「うん………」

ヒルミィは後ろで歩く兄が気掛かりだった。普段に比べどことなく声音が落ちていたからだ。

袖についた返り血。離れていたからそれだけだった真紅の体液。

生臭かった。鼻の奥がきりきりと痛む。

レィジの戦い方では、この結末しか望めない。それが分かっていて道を極めた少年は、そのあまりに生々しい有様に瞠目(どうもく)していた。

 

「………大丈夫だ。俺は大丈夫」

「うん。信じてるよ、お兄ぃ」

 

振り返ったヒルミィが見たのは、あの日から変わらない憧憬を抱いた瞳。

キッ、と、しかと前だけを見るレィジからは、震えがなくなっていた。憧れの道に、たとえ何があろうとも、もう少年は止まらない。

––––––もう、止まれない。

「………ヒルミィ。覚悟はできてるな。来たぞ––––––奴だ」

「っ…………行くよ、お兄ぃ」

緩急の弱い()の字の形で続く道の上に、ゴツゴツした岩が所々に落ちる森の奥。

森を怯えさせている気配の正体。

一歩近づくたびに、空気が重くなる。それの纏う瘴気が濃くなる度に、文字通り空気が変わっていく。

ただ、他の生命と違うのは。

彼の幻獣は、頂点に立っているということで。

レィジもヒルミィも、それの前では捕食––––––否、駆除の対象でしかなく。

待っているのは、死或いは地獄。

いや、或いはそれよりも………。

嘲笑を浮かべたそれは、たった一言。

「––––––!!!」

 

形容し難い声で、嗤った。

 

 

 

 

 

静謐(せいひつ)さの独壇場に割って入ってきたのは、たった一つの深淵。その深淵を纏った虎は、自らの半身を(もてあそ)び、森の中を王者の風格で渡り歩く。まさしく王、正しく頂点に立つ生命だった。

「––––––!!!」

 

()()()()

 

ヒルミィはそう思ってしまった。

嘲笑とともに徐々に距離を詰めていく半虎を前にして、膠着は一瞬にしてヒルミィの身体を支配した。

格が違う。同じ生命としての格が明らかに異なるその存在が壁となって立ちはだかり、それを殺そうと試みていた自分の愚かさに目を見開いた。

(––––––無理だ。そんなこと。できるわけがな………)

「ヒルミィッ!気を保て!お前ならあの猫一匹、恐るるに足りない!」

(––––––っ!!)

ヒルミィの内心を見透かしていたレィジの喝に、正気を取り戻した彼女は、パントリーのじとっとした皮の表紙が手汗で濡れていることに気がつく。パントリーとは小型の動物で、その皮は本の装丁によく使われる。またその毛は生まれ変わってしばしば衣服となる。

ヒルミィが、皮の装丁が手汗で湿っているのに気がつかないのは、相当に精神的に押されている証左だった。

「行くぞヒルミィ。作戦通りだッ––––––!!」

「うっ、うん!」

どうして兄は動じていないのか、不思議に思ったことだろう。動じていないだけでなく、普段声を荒げない兄が自分のために叫んでいるのだ。実際、ヒルミィはハウンズ一体であれだけ狼狽していた兄が記憶の隅に引っかかり、豹変した兄の様子に驚いているようだった。

「頼んだぞヒルミィ」

それだけ告げると、レィジは()の字の坂の上の木の間へと消えていった。

その頃には、壊厳の半虎は、ヒルミィの目と鼻のすぐ先まで迫ってきていた。

半虎は体長五、六メートルほどだが、瘴気の影響でそれも定かではない。

「………始めるよ、虎ちゃん」

少しでも自分を保つために、(おど)けた調子でパントリーの表紙をめくり、真ん中あたりのページで手を止める。そのページの上には、ここまで来るのに何度も見かけてきたのと似た複雑な文字列が鎮座している。ヒルミィ自身が書いた導陣だ。

半虎の音も無く踏み出す一歩一歩が、自分の鼓動よりも大きく聞こえる。

 

「剛力の導陣、武神」

リ––––––!

 

本を片手に、胸ポケットに入れていた自らの血をインク代わりにする羽根ペンで、描きかけてあった図形に一筆を加え、一言そう呟いただけで、ヒルミィの身体を赤い光が包み込んだ。

この導陣は、ヒルミィの身体能力を飛躍的に上昇させる。その上限は、上位の魔物相手に張り合えるようになるほど。ただ代償は大きく、この導陣は血液循環の速度を‪一時‬的に上げ、身体能力と骨格をも強化している。それ故、効果は保って十五分。それ以上はヒルミィの心臓が保たない。

「っ––––––!」

身を屈めて、ゆっくりと近づいてくる虎相手にあえて自分から接近する。

一見自殺行為に思えるその戦法。

「しっ………!」

 

疾駆と共に本の図形をもう一度書き足し、「火の導陣、業火」

その一言で、ヒルミィの本から龍が如き焔が顎門(あぎと)を開きながら半虎に飛び出す。

半虎に比べれば体躯負けするが、ヒルミィより何倍も大きな焔の龍を並みの生命が喰らえばひとたまりもな––––––。

 

「––––––!!」

––––––否!

彼の生命は頂点にして王!龍如き些事ですら無い!

 

「………とでも、思ってるのかな?」

龍が霧散した後の半虎の前足で地面を穿つ攻撃をすんでのところで躱したヒルミィはそう呟く。そのヒルミィに間髪入れずに、半虎は前足で抉れた地面の土が飛び散るよりも早く反対の足を踏み出し、顔を突き出してヒルミィに噛み付く。

されど、余裕綽々でそれを紙のように躱したヒルミィは、上体を後ろに逸らした勢いのままにバク転する。

 

ルンッ!!

 

武神の強化は凄まじく、片手にパントリーの本を構えているのにも関わらず、バク転は鋭く空を割く。

「––––––!」

しかし、半虎にとってはそのコンマ秒すら隙になり得る。半身に纏った瘴気の形を変幻させ、第五の脚を形成し、殴るようにしてヒルミィへ振りかぶる。

「風の導陣、旋風!」

旋風により、ヒルミィの脚は風障壁が如き風を纏う。

つまり、この状態のヒルミィは、脚の風を操ることで自由に空を舞うことができる。

コンマ秒の世界で、ミリ単位に迫った瘴気の脚を右側に体重移動して避け、そのままほぼ一周回転し、半虎の正面を下から捉える位置まで飛行する。

「雷の導陣、獰電(どうでん)っ!!」

獰電は、上下左右、直角に曲がりながら、音を切り裂き半虎へ疾駆する雷。業火が()ならば、獰電は()だった。

業火よりもより鋭さと威力が強化された導陣だったが、

 

「––––––」

 

半虎は、首元に当たる僅か刹那前に残像すらも追い越し首を振ることで、獰電を相殺した。半虎のあまりに速すぎる首の動きで、空気が破れ、‪一時‬的にそこに蜃気楼が生まれ、さらに瘴気の影響で屈折した空間の狭間に獰電が当たったのだ。

 

「くっ、さすが幻獣だね、虎ちゃん!でも、まだまだ行くよ!雷の導陣、火の導陣、獰電と業火!それと、転移の導陣点果!!」

 

獰電の竜と業火の龍が繊維同士()りあわされるようにして混ざり合い、紅と黄金の螺旋の咆哮となって、森の天蓋へと駆け抜ける。

その先に待ち構えるは、当然半虎ではない、が––––––。

何もないはずの空間に、鏡のように現れた黒い円。そこに獰電と業火の螺旋状の咆哮が届いたと同時に、それは円に吸い込まれ、別の場所に出現した黒い円から咆哮が射出された。

 

咆哮の進路は永遠に直線の軌道。だが点果は、対象を座標空間の点から点へと転移させる導陣。よって咆哮は、転移する限り縦横無尽に駆け回り………、

「––––––!」

その言葉通り、咆哮は半虎すら翻弄する速さと鋭さで、転移を繰り返した。

 

まず、ヒルミィを襲った第五の脚に直撃させ瘴気の脚を掻き消す。その先の黒い円によって、右脚に直撃した咆哮は、半虎の音速による屈折を追い越し黒い円へ、左脚にもダメージを与え、さらに下顎へと走り続ける。

咆哮のあまりの速さに、地面は焼け、木々は震え、空気が戦慄く。

「氷の導陣、死縛(しばき)!」

ヒルミィは、半虎を見上げる位置だったのを旋風で体勢を立て直し、半虎を正面に捉えながら、そこに直径二メートル大の氷の塊を形成する。

そして、下顎を狙った咆哮は––––––だが。

「––––––!」

逆方向に弾丸を撃ったみたいに、後方へと飛び出した半虎の方が素早かった。

極限下の速さ比べは、ついには音を争う次元へと突入し、その勝利者は半虎に………。

「雷の導陣、炎の導陣、氷の導陣!獰電する業火貫く死縛の氷壁っ」

 

––––––下顎への転移はフェイク!

 

右脚、左脚で凌駕した時点で、ヒルミィは半虎が次の咆哮の速さを上回る事を予期していた。

それこその死縛である。これはただの氷壁を出現させる導陣–––––ではなく、他の導陣の接触により起動する導陣なのだ。その全貌とは………。

「––––––」

半虎は、氷壁を前にして、初めて一滴の汗を垂らした。

相手はただの人間ではない。

剛力の導陣、武神をこうも完全に制御しきっている時点で、人間のレベルを超越しているのだから。こうして幻獣と渡り合うヒルミィの姿は、最早人というより––––––。

半虎が反応するよりも早く、化学反応を起こした氷壁が()く。

 

ドドドド………!!!

 

「いっけぇ!」

 

死縛は、咆哮との反応で、一本一本が直径十センチの氷の鞭へと姿を変え、合計で数百の鞭が、咆哮を絡ませて半虎へと襲いかかる。死縛は、反応した導陣の効果を受け継ぐのだ。この鞭は今、極限の速度で舞う蛇の大群と化している。

死を縛る壁が、一瞬で半虎に迫る。

 

「––––––!!!!!」

 

だが、この獣はただの虎ではない!

この獣は、頂点にして王である!

 

瘴気を纏う下半身を下側から曲げ、その勢いのまま縦に後ろ回転をする。こうして半虎は瘴気を纏った回転する円となった。

その円は縦回転から横回転に変わり、襲い来る蛇の群れを斬り裂いていく。氷を斬って、飛び散るは火花。その世界において、半虎は万物を斬り裂く刀。

「死縛を防ぐなんてっ!」

ここまでで、半虎に与えたダメージは僅か。

対して、ヒルミィは幾つかの導陣を消費し、巡り巡る血液の影響で、喉の奥から滲むような鉄の味がし出した。

十五分というのは、ヒルミィが導き出した生物上の限界。文字通り十五分武神で戦えば、現れる後遺症は予測できない。

「それでも、お兄ぃが来るまでは耐えないと………!!」

死縛を全て防いだ半虎は、回転を徐々に止めていき、少しだけ後方に下がりながら着地する。

彼の刀が斬り裂いた後に残ったのは、地面に飛び火し、熱を帯び火の粉上げる氷の残骸だけだった。

ヒルミィと半虎の間に氷の残骸が。

相対するは、武神を降ろした少女と頂点に君臨する半虎。

戦況は、苛烈さを極めるばかりだった。

 

 

 

 

壊厳の半虎が、何故そう呼ばれているのか。レィジはその理由をダーミルから聞いた時、少なくない疑問を覚えた。

「奴は自分以外の生命であれば見境なく襲う。食料にならない生命だろうが、目の前を通るだけで害の対象と化す。その凶暴性から、()()()()()()()()()()()()––––––壊厳の半虎と呼ばれるようになったんだ」

されど、それは生命の摂理。

弱い者は喰らわれ、強い者が生き残る。

そこに斯様な意味が含まれていようか?

レィジはそう思わずにはいられなかった。

「これで、終わり………」

そう呟いたレィジは、ヒルミィが読んでいた文字に似た複雑な文字、ファレス文字と呼ばれる導陣のために作られた文字と図形が描かれた手の甲を撫でる。

そもそも導陣は、()()()()()()()()()()()()だった。その長く複雑なファレス文字––––––森の世界における(いにしえ)の文字––––––で書かれた導陣が座標空間上に図式化されたことは、導陣界に革新的な発達をもたらし、今日に至る。

図形は、導陣発動のための起句だった。レィジのように体の一部に描く場合や、ヒルミィのように本に描いておく場合、杖で描く場合など様々だが、一貫しているのは、一度使った図形は消費されるとうこと。

手の甲の図形に、指を噛んで、血で一角加える。

「具象の導陣、傀儡」

その瞬間、レィジの背後の鬱蒼とした木々を縫うようにして絡まりついた遺鉄鋼の縄が淡く青色に光った。

手の甲にあった図形は、光と同時に消えていた。導陣発動で、図形が消費されたと考えればいい。

傀儡は、非生物に意思を与える導陣だ。傀儡によって、遺鉄鋼の縄はレィジの指示で動くようになる。

これは、二人の、幻獣を屠るための策だった。

「………」

緊張を孕んだ強張る表情で木に手を添え、()()()を伺うレィジは、ヒルミィと半虎が戦う窪地からそう離れていない場所にいた。

両者の戦う激しさは、レィジが生きているのとは別の次元であるかのような熾烈さだった。既に三分ほど経過した今、地を穿つ穴や土の壁を抉る炎、雷が走り焼ける木々、その炎をものともせずに刺さる氷の塊––––––戦火が森を傷つけているのがはっきりと分かる。

「妙だな」

しかし、それにしては、戦闘音があまりに聞こえない。それほどの戦いが繰り広げられているのだとしたら、大地の震える重低音がレィジを包んでいるはずだが…………。

幻にかかったみたいだった。

レィジは、冷静な思考能力をこの時失っていた。音速が飛び交う戦場の横でこれほど静かに行動できるものだろうか。

「ヒルミィ………!」

そこまで行き着いてから、絶対零度で覆った平らな木を背骨の代わりに脊髄ごと突き刺しているかのような質量を持った悪寒が襲った。

 

今行かなければ、ヒルミィは––––––ッ!?

 

その時、だった。

走り出すレィジの脚を。

現実味のない温度で掴んだ手のひらは、()()()()

 

「何だ––––––ッ!?」

 

手応えのない手。

しかし、レィジはそれを振りほどくことが叶わなかった。それどころか、全身を巡る血液が脚の掴まれている部分で停滞し、膝下から力が入らなくなる。自分の脚なのに自分のではないような感覚は、まるで宙に浮いているみたいだ。不快な冷たさがレィジの脚を覆う。

「………き、貴様」

レィジが見た光景はおよそ平常心を保てるようなそれではなかった。

 

一言で表すなら、()()

 

(うじ)のようにグジュリグジュリと音を立てながら(うね)る黒い塊は、二つの球で地面に立ち、そこからレィジ二人分の横幅と高さだけ伸びていた。上に行くにつれて細まっていき、その先は三つに裂けていて、脚が四つあるようだった。球の少し上から、レィジが()と感じた部分が伸びているあたり、さながら、繋ぎ合わせた人間二人が倒立しているみたいだ。

それだけではなく、黒い塊は時々胞子の様に一部を地面に落とし、それらはまさしく蛆の動きで地面を這う。僅か数秒の間に十数匹の蛆が地面に落ち、耳の中にまとわりついて脳に直接響いてくる粘着音と共にレィジへ寄ってくる。

「くっ………下半身に力が入らな………」

膝から崩れ落ちたレィジは、腰を捻り黒い塊を振り返る。それでバランスを崩し、丁度、黒い塊の横側に倒れこんだ。

そこは、蛆が這う地面。

 

「………!!?」

 

上から、首筋に冷たい感触があった。

だんだん動いてきて、それが顎のあたりまで来た頃、左耳を地面に付けて倒れたレィジの顔の数センチ先には、数十匹の蛆が蠢いていた。

顎の蛆が口に入って来ようとするのを口を閉じ、首を動かして避けようとすれば、数センチ先の蛆に首があたり、顔の穴という穴を犯されるだろう。

体中を、言い知れない痒さが襲った。心臓や肺、五臓がたまらなく痒かった。痒くて痒くて、えづき出したレィジの口から唾液と絡まって漏れ出た胃液が飛び散って、蛆にかかると、蛆は苦しそうにもがく。その蛆が隣の蛆にぶつかり、小さい体をくねらせながらまた隣の蛆に………。

たまらなく、痒い。

たまらなく………頭が痛い。

『思い出して来たか種子?この俺たちを』

「………」

蛆が顔に迫る。

黒い塊がレィジに問いかけていた。違う声の人間が二人同時に話している様な(こも)った聞き取りにくい低音。

『貴様が作ったんだろう?俺たちには分かってる。今はこんな醜い姿でないと接触できないが………ああ!その日が待ち遠しい!俺たちの都を顕現させ貴様を屠るその日が!』

 

「………ほざけ紛い物が!」

 

空気を割って轟く声––––––。

レィジの声でそう叫んだのは、これもまた()()––––––。

それは、ヒルミィが深夜城(みやしろ)で聞いたあの声に似ている。

蛆が、レィジの目元まで這ってきた。

もう唇に触れている。グジュリグジュリと音を立てて、尊厳を壊すこの蛆らが。

『ほう………!お出ましか!ならば俺たちが分かるな?』

黒い塊は小刻みに震え出し、それと同時に蛆が吸い込まれていく。磁石同士くっつくように、黒い塊に吸い込まれていく。

レィジの脚を掴んでいた手は離れ、倒立の体勢のまま体を畝って悶える。

 

まるで、その黒い塊が何なのか分かっているみたいだった。

「失せろ。今の力では種子を飲むことはできん」

『はは、それこそ妄言だな種子よ。俺たちは貴様を飲むつもりなどないわ!ンンン!いい、(たぎ)るぞ!もっと俺たちを滾らせろ!やっとここまてきたのだからな!俺たちが、貴様を凌駕し復讐をする時が!』

「戯言を………!」

力が入るようになったレィジが立ち、黒い塊と相対する。

その目には、その翡翠の相貌には、何も映ってはいなかった。

『んんンンン!!!』

黒い塊は、言葉ともない言葉を発しながら、レィジと目線を合わせたまま窪地の森の奥へと消えていく。

全ての光を取り込んでいくように、黒い塊が通った後には暗闇だけが広がっていた。

ただ、あの重なった低い声と、まとわりつく粘着音だけがいつまでも森を這う。

 

「っ………」

 

翡翠の煌めきが色々を取り戻し、明らかに雰囲気が一変し、()()()()()と見られるレィジは、唇を青紫に、顔面蒼白にしてそのまま気絶して倒れこむ。

 

ドサッ………。

 

それを幕切りに、静寂を犯された森は、その純潔を取り戻す––––––。

 

 

 

 

戦況は、苛烈さを極めていく。

「はあっ、はあっ、………!」

武神を使った影響で、幻獣と張り合っている今のヒルミィの体力の消耗はかなりのものだった。

元々の体力がそれほど多くない彼女が武神を使って戦闘しているのは、ほとんど意志の力だけによると言ってもいい。

獰電する業火貫く死縛の氷壁を発動させたことで、疲労が跳ね返ってきたのだ。ただ発動させるのではなく、それを保つためには、相応の集中力が求められる。

「––––––」

壊厳は、()()()はくれない。

もう容赦はしないと言わんばかりに、体を縮める予備動作を起こした。予備動作なしに挙動できる彼の獣がその動きを見せるということは、次に来るのは並大抵の攻撃ではないはず。

「転移の導陣、雷の導陣、深・点果と獰豪っ!!」

ヒルミィの任は、時間稼ぎだ。

レィジが半虎を嵌める罠を仕掛けている間の時間、それを稼ぐことだ。

(だったら………!)

深・点果は、点果と異なり、一定範囲に黒い円を複数展開させる。それ以外は点果と同じで、物質の点から点への移動が可能になる。つまり深・点果を発動しさえすれば、縦横無尽に駆け回る導陣の砲撃用の砲塔の完成というわけだ。

ヒルミィがその弾に選んだのは、攻撃系導陣の中で最も速度の速い獰豪。獰電の()が五匹に増え、その速さは指数的に大幅に増える。

これを深・点果で、半虎を取り囲んで移動させ続ければ、獰豪の檻が出来上がる。

「––––––!!」

 

ダダダダダッ!

 

五匹の竜が、半虎を取り囲うようにして出現した黒い円を自由自在に行き来する。黄金の雷は隙間なく深・点果の内側の空間を埋め尽くし、空気を焼き、地面を穿つ。

 

––––––が。

 

「––––––!!!!!」

 

半虎は、深・点果の内側の地面を掘って進み、獰豪の檻を突破した。

そして、間髪入れずにヒルミィへ肉薄する。コマ送りの映像で、二つのコマで表現されたその移動は、まさしく点果そのものだった。当然、半虎は導陣を使うことはできない。

 

––––––これが王!

 

「くっ………!転移の導陣、別天!」

半虎の神速の顎と右脚が捉えたのは、ヒルミィの残像だった。

ヒルミィが使った別天は、指定の座標空間へ転移することのできる導陣で、点果との違いは、黒い円という媒介が入らなくなったこと。つまりこれはまさに瞬間移動だった。

 

––––––これが導陣!

 

「導陣解除、そして火の導陣、乱花っ!!!」

一度発動した導陣は、自然解除を待たずに任意に解除できる。これで獰豪の檻は無くなった。

さらに発動したのは、乱花。無数に飛び出す火の矢は、着弾ごとに炎の花を咲かせる。ヒルミィは、捕縛が効かないならと手数で勝負に出––––––、

「––––––!!!」

「きゃ………ああっ!!!!」

羽根ペンが図形を描く前に、導陣が発動される前に、ヒルミィが回避動作をする前に、半虎は瘴気を使ってヒルミィを右の後脚で蹴り飛ばしていた。

半虎から別天で逃れ、乱花を発動しようとするまで数秒とかからなかったが、獣の王にとって、それだけあれば十分!

窪地の森の一方の坂から、百メートル以上離れたもう一方の坂まで蹴られた衝撃で飛ばされたヒルミィ。

ズガァ!!

人が土の壁に当たっただけのはずが、壁はヒルミィの形にめり込み、坂の上では地響きさえ起こった。

「かはっ………、けほっ、ああっ!」

武神によって骨格まで強度が増しているおかげで、骨数本ですんだが、並の人間であればどうなっていたか––––––。

息つく間もなく、王は猛攻を始める。これ以上ダメージを受ければ、武神ありといえど致命傷は免れない。

「導陣、別……天」

 

ドゴオオオオオオ––––––ッ!

 

言葉をかき消すように、助走をつけて跳んだ半虎は、半回転して尻尾をヒルミィのいた坂へ叩きつけた。

その破壊力は、坂を半ばから両断するほど。当たれば即死、否、その風圧ですら致命傷か。

別天したヒルミィは、旋風を発動させて、半虎から距離を取っていた。

「氷の導陣、具象の導陣、死縛と付加………」

その途中に、死縛を付加で強度を上昇させた氷の塊を出現させ、少しでも半虎の到着を遅らせるようとした。

それでどれほどの時間稼ぎになるのか、ヒルミィは一秒二秒が限度だろうと見切っていた。彼の王には、死縛の壁程度障害になるかどうか。

しかし、それだけあれば十分。

 

「治癒の導陣、慈療(いりょう)っ」

 

綺麗な翡翠の光がヒルミィを包む。

これは、身体の傷を癒す導陣で、その効果は、骨折程度ならすぐに治癒できる。

半虎に受けた傷も、武神で負ったダメージも回復したヒルミィは、旋風で体勢を整え––––––ようとした。

「––––––!」

「なっ!?」

()()()()()()から顎門を開いて落下する半虎があった。半虎は死縛を跳躍で回避し、そのままヒルミィへ飛びかかったのだ。

あの慢心すら支配した力の圧倒的自信なら、死縛を突き破ってくると踏んだヒルミィだったが、王が狙っているのは、(ヒルミィ)の駆除だったのだ。

 

「あああっっっ!!!!」

 

武神を以ってしても、死角からの攻撃に対処するのは困難。ヒルミィは、すんでのところで体をずらしたが、半虎の牙の前に、杖をかざしていた左手を差し出す他なかった。

 

「––––––!、!、!」

 

まるで、王に挑んだ者の。あまつさえ滅ぼそうとしたその愚者の命を嗤っているみたいだった。

王の牙は、ヒルミィの左手を肘上あたりから刺し断ち、鮮血と共に噛み砕く。

「ああ、あああいいいいいああっ!」

甲高い悲鳴はヒルミィから出たモノとは思えぬほど耳を(つんざ)く。

垂直に叩きつけられるように落下したヒルミィは、その衝撃と、左手を失くした衝撃で意識を手放してしまった。

最後に見たのは。

いつの間にか瘴気を失い、虎の下半身から丸太のような無骨な尻尾を提げた王の姿だった。

 

 

 

 

 

「………っぁは!」

目覚めたレィジは、身体中の血が騒いでいるのを感じた。

比喩表現ではなく、そのままの意味で、意思に反して四肢が激しく唸っている。

「何が、あの黒いのは………」

意識を失う前に遭った正体不明の黒い塊を思い出し、耳に蘇った音のせいでほとんど何も入っていない胃から込み上げて来るものがあった。

「ぇっ……くそ、調子が」

それだけでなく、手足に時折細かく電流が走ったみたいに、筋肉が震える反応があった。

無意識に装備品の状態を確認したレィジは、ちょうど近くにあった木を支えにして立ち上がってから、

「………ヒルミィ。ヒルミィッ!何分気を失ってた!?くそが、俺としたことが!すぐ行くぞ………!!!」

気を失ってしまったことで、ヒルミィを幻獣とどれだけ戦わせていたのか、取り乱したレィジは直ぐに森を掻き分け窪地へと踊り出る。

 

土の焼けた、焦げ臭い窪地。

 

「ヒルミィ、ヒルミィ………っ!?」

 

レィジが目にしたのは、地面に倒れこむ妹と––––––。

 

「な、なんだよ………なんだよそれッ!!」

 

妹に顔を近づけ、口の周りを赤く染め、顎を動かしている一匹の獣だった。

 

半虎の体躯で影になって見えないが、少なくとも、今彼女に意識は無く、相当な重症だろうことは簡単に予測がつく。

フックに手をかけ、傀儡とは違う導陣を発動させる。頭に血が上ったレィジは、起句の事を忘れ、一言も発さなかったが………導陣は発動し、その身は淡い青の光に包まれ、髪の毛がふわっ、と逆立つ。

迅の導陣、風脚。俊敏性を上昇させる導陣だった。

「なあ獣。美味いか?どうだ、俺の妹の味は………てめェがヒルミィを喰ったのなら、俺が塵程の価値もないてめェの肉を喰らってやるよ…………!!!!!」

右手、左手に一つずつ構えたフック。そのフックには、ハウンズの紅い返り血が付着していた。レィジも気付かない程度の、淡い返り血。

半虎はヒルミィから顔を離し、自分に向かってくるレィジを見た。

その口角が吊り上がるのと同時に、半虎の姿は無くなっ「––––––!!!」

 

––––––瞬発力!

 

王たる獣は、ヒルミィとの戦闘で瘴気を失った。そうして明らかになった全貌は、半身の虎から尻尾を生やした、不完全な獣の姿。王たる所以は瘴気にあったのか?

否である。彼の獣、それは王であるから王なのだ。そこでは瘴気も、牙も、脚すら問題にならない。王が王である事実は、王が王である限り不可逆にして絶対的真理。

「ッ!!」

不完全な獣は、たった二脚だがヒルミィとの戦闘で見せた瞬間移動に紛う俊敏性がありありと現れていた。

––––––風脚の効果は絶大だった。

 

ブンッ!!

 

不完全な半虎の前脚による攻撃を簡単に回避、足を踏み出す前に右手のフックから縄を発射、それと同時に左に重心を傾け駆け出したレィジは、そのまま半虎の尻尾までやってくる。

「––––––!」

空を切って、レィジが背中側に回ると、すぐさま、尻尾を振りかぶり、レィジへ叩きつける。

––––––しかし、そこにレィジはいない。

「何だ?こんなにとろかったのか、獣の王は」

尻尾の付け根から回り込んだレィジは、半虎の左半身の方からぐるりと一周し、フックの縄で半虎の左脚を巻き込みながら正面へと戻った。

––––––拘束。フックの本質はそこにある。

 

「––––––!!?」

 

そこで、半虎は初めて動揺の表情を見せた。半虎をして追随を許さない圧倒的な速さで、レィジは半虎を遺鉄鋼で縛っていたのだ。

尻尾を絡め取られ、左脚まで縛られた半虎は、ジタバタともがくが、それは無為に帰す。既にレィジにもう一度フックの縄を射出され、身体を縄で固定されているからである。

ある地点で縄を射出し、対象を縛り、初めに射出した場所でもう一度縄を発射。こうすることで、フックと縄を切り離し、対象を縛る事が可能。簡単そうで、この一連の動作を、風脚の超速度の中繊細にこなすということは、かなりの所業だと分かろう。

それも、相手が彼の王なのだ。

「これで身動きは制限されたな獣の王。支配され、犯される恐怖を今から味わうことになる………これが敗北の味だ」

「––––––!!!」

ハウンズの時のように、縄がフックから出ている状態ではなく、完全に半虎を縛っている今、半虎を絞殺することができない––––––いや、否。

 

傀儡。それは非生物に意思を与える導陣である。

 

傀儡の導陣に使うファレス文字は、既に消費していた。反対の手に描かれている風脚のものも消費されている。レィジはヒルミィと異なり、導陣の耐性が弱く、この二つの発動が限界だったのだ。

しかし、今、半虎を縛る導陣はキリキリと半虎をキツく締めていおり、もがき苦しむ王が、右脚の爪を(めく)りあげるほどに地面を掻き、牙が折れ、舌が痙攣するほど地面を噛んでいる醜態を晒している。

 

では、この傀儡は、あの風脚は、どうやって使ったのだろうか––––––。

 

「………醜いな」

ブジュルッ!

「––––––」

ついに半虎は、彼の獣の王は、幻獣壊厳の半虎は、遺鉄鋼の縄で左半身を限界まで捻られた。噴き出した血が、組織が、筋肉が、ブチブチと音を立てて切れた神経の糸が、ねっとりした体液を絡ませて、窪地を濡らす。

ボトボトと落ちる、半虎を構成していたモノ。身体から切り離されたにも関わらず、そのカケラは蠢いていた。

「––––––!!」

「へぇ……まだ動くか」

獣の王は、首元からキリキリと縛られたにも関わらず、螺旋状に内側にめり込んで血や臓器を流し続ける右半身だけで、レィジを襲おうとビチビチと跳ねていた。その様は、湖から上げた魚みたいだった。絶対的王––––––その地位から、地獄へ引きずられた獣。王にしては非常にあっけない幕引き。

「終わりだ」

「–––!」

その声とともに、レィジは地を這う半身を踏みつけ、王を犯す。半身だけになった獣は、簡単に踏み潰すことができた。

ニュルッ。

踏み潰された獣は、たっぷりの血を潤滑油に、臓器や筋繊維、表皮、血管から何まで、組織と器官の類いと地面の摩擦が少なくなっていた。そんな状態になっても、彼の獣は動いていた。レィジへ向かって、王の矜持を見せていたのだ。

「………いい加減に」

しろ、と。

あまりにあっけない王の幕引き。

あまりに手応えのない幻獣の死。

あまりに報われない妹の––––––。

これでは、あまりに、弱すぎる。

 

そう言いかけたレィジは。

事の全てを理解する。

 

「………ああ、そういう事だったのか」

瘴気を纏った、半身の獣。尊厳を破壊する半虎は、壊厳の半虎と呼ばれていた。

幻獣とは、魔物の上位の存在である。つまりこの獣は、つまりヒルミィが戦い、レィジが屠ったこの獣は………。

 

「グルオオオオオオオオオオオ––––––ッ!!!!!」

 

窪地の森の、その先で。

高さ十数メートル、横に七、八メートルという巨大な体躯。黒に紫や金、銀の斑点が瞬く()を袈裟懸けに纏う––––––それこそが瘴気である。雄叫びとともに、ヒルミィとは反対側の、レィジたちがやってきた方向から優雅にさえ見える足取りで森を闊歩するその姿は、見る者に畏怖さえ感じさせ、憧憬すら思わせながら圧倒し服従させる。その足が一度地面と接するたびに、森が恐怖し歓喜し、空が唄い、生命が沸き慄く。全てを手に入れ、全てを犯し、全てを()む彼の獣こそが––––––。

 

「獣の………王、なのか」

「ゴオオオオオオッ!!」

––––––いかにも、()こそが王である!

 

そう答えるように、森中に轟く咆哮を上げた。

それだけで、レィジの肌はビリビリと震え、針にでも刺されたかのような錯覚を受ける。同時に、完全に理解した。目の前の獣こそが、幻獣であると。自分たちが倒すべき敵であると。

レィジは気が付いていた。自分が生き残るには、この獣を殺すしかないと。そしてその戦場には、ヒルミィがいる数十メートルは含めない。今、ここで、自分が行かなければならないと。

 

「面白い………王と言うくらいだからなぁ!そうでなくちゃ、この世界はつまらないよなぁ!!」

 

レィジは笑った。高らかと笑った。その運命を笑った。自分を殺そうと様々な策を弄す運命を笑った。眼前の勝利を確信した王の足取りを笑った。

 

「教えてやるよ…………お前に、敗北の味を!!!!」

「オオオオオオオオオオオ!!!」

––––––その意気や良し!来るがいい、服を着た豚ッ!!

 

 

王が王たる所以。

それはきっと、豪放さをひけらかし、奔放さに自信を持ち、自らを尊大ぶって、見る者に全ての感情を享受させるこの生き様を言うのだ。

 

 

 

 

 

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