欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

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第三話 灯火は熱く燃えているか

その日の深夜、ィージルは二人に話があると言って、ランプを片手にある場所へと向かっていた。

 

「なぁ、ィージル。これからどこに行くんだ?」

レィジがあくびと一緒に間延びした声で言うと、ィージルは相変わらずの低い調子で淡々と答える。

「レィジもヒルミィもよく知っている場所だ」

そう言われれば、とヒルミィは答えを求めているわけでもなく一人呟く。

「それってもしかして、方向的に………」

 

それから一言、二言と交わしながら三人がやってきたのは、星泣きの丘。

星の見えない、詩人の涙を冠する丘。

「そこに座れ。冷えるからな、しっかり布を掛けておけ」

言って、ィージルはいつもそうしているように丘の上にどっかとあぐらをかく。そこが定位置なのかどうか、ィージルが座っている場所だけは他と比べて土の色が少し濃くなっている。

腰を下ろしたィージルの隣で、掛け布を持って来いと言っていたのはこういうことかと納得した二人は、大きめの布に二人でくるまって座った。確かに、夜の土はひんやりと冷たい。

 

「俺は昔、ヒルミアに助けられたんだ」

 

唐突に口を開いたィージルは、懐かしむようにゆっくりと語り出す。

「皮肉な話だが、それが無ければお前らの親になってなかったな」

ィージルの右隣に座る二人を慈しむような眼で見つめながら言うのは、普段の彼からは想像が出来なかった。明らかにいつもと違う様子にようやく確信がもてた二人は、ィージルに調子を合わせるようにどこか顔に力が入る。

 

「それっ、て………お母さんがお父さんを?」

「ああ、そうだ。話してなかったか?ヒルミアもレンジャーズだったって」

意外そうに聞き返したのは、ィージルはいつか話したと思っていたのだろう。

「いや、知っている。ただ、ダーミルから聞いたが」

そうだったか?ととぼけながら、「まぁいい」仕切り直すように一拍置いてから語りは続く。

 

「俺もまだ若い時だ。レンジャーズで受けた仕事でヘマをしてな。あのままだったら俺は死んでいた」

 

初めて聞くィージルの自白に、二人は言葉もなくただ聞いているしかできなかった。あるいは、星泣きの丘という場所がそうさせているのかもしれない。

 

「俺が諦めた時に現れて助けてくれたのが、ヒルミアだったんだ。レンジャーズとしての名実ともに、ヒルミアは天上の人だったから、俺もヒルミアのことは知っていた」

レンジャーズでのヒルミアは、その界隈で知らないものはいないほど有名だった。浴びた返り血、流した血で染まった紅い身体。その姿はあまりに知られている。

 

「ヒルミアは戦いに生きる人だったからな………俺はヒルミアを助けたかったんだ」

助けられたからでは無い。助けたかったから、ィージルはヒルミアに将来を誓ったのだ。

「助けるって………お母さんの方が強い人だったんでしょ?」

ヒルミアがいたのは––––––ィージルが助けだしたかったのは、彼が陥ったような危険からでは無い。

「ああ、確かにヒルミアは強い。だが、強いからこそ(もろ)い部分もある。––––––俺を助けてくれた時、ヒルミアは死んでいるみたいだった」

死んでいるみたいだと表現したのは、言い得て妙だとレィジは思った。心が死んでいれば、それは生きていると言えるのだろうか。人としての無くしてはならない根幹が無ければ、それは人として生きていないのと同じ。

 

「俺はヒルミアに助けられた。だが、俺の同胞たちは………。昨日肩を抱き合った奴が、明日になったらいないなんてことはよくある事だ」

 

人に許された森への干渉。それがすなわちレンジャーズである。本来は許されていないことを、()()()という人間の利器によって()じ伏せる。だがそれは、森の制裁の副産物。

 

「レンジャーズなどなるものではない。レンジャーズになったとして、それが人の正しい生き方かと言われれば逆だ。だからこそ、このシャトルでは幻獣という壁がある。人が越え難い壁がな」

レンジャーズを、自らを批判したィージルは二人を見つめる。その瞳に、彼自身は今どう映っているのだろう。

一つ、息を吐いた。その息は白くなって宙を舞い、やがて空と一つになる。まるで人が森に逆らえぬと自然が暗示しているみたいだと、ィージルは昔考えたことがある。それを鼻で笑ってまで求めていたものが、レンジャーズのその先にあったのだ。

––––––だが、と続けたィージルは、森の天蓋を指差して穏やかに。

 

「夜空に瞬く星々を見れるのは、レンジャーズだけだ。それだけじゃない。炎の大地、深淵の洞窟、白い森、天を貫く死の荒野。森に抗った大馬鹿者(俺たち)だけが知っている世界だ」

 

ィージルは語った。二人に、この世界の事を。二人は初めて聞くその話に心躍らせ、同時に痛感した。

自分たちの生きていた世界は、まだ世界という本の一ページにすら届いていなかったのだ、と。白紙の本の一段落を全てだと錯覚していたのだ、と。

話を聞くほどに思い知らされせる空白のページの量。だがそれは、二人の憧れをさらに加速させた。森の外へ。憧れた夢の先へ、二人の心は飛んで行った。

 

「この世界に負けるな––––––憧れに生きて、夢を探し続けろ。俺から手向ける言葉は、これだけだ」

 

隣の二人の正面に移動して、有無を言わさずに厚く抱擁した。言葉を超えて、その熱で伝われと、そう言っているみたいに。

 

 

 

「余計な事は考えないで行ってこい」

 

 

 

一言一言を噛み締めるように言ったィージルの、重いのに軽やかで、世界と触れ合った日の熱が未だに冷めていない鼓動が二人を震わせる。

 

レィジは、ィージルは自分に言っているのだとすぐに分かった。その気遣いに照れ臭さを感じながらも、表には出していないつもりで––––––少し声は上ずっていた––––––返しておいた。

「分かってる………俺たちはィージルが見られなかったところまで行くからな」

そんな兄の様子に負けじと、気分の高揚しているヒルミィが高い声で叫ぶ。

「そうだよ!あたしたちは森の外の世界を見に行くんだよっ。だから、お父さんの言ってた憧れは、ずっとずっと先!それまでは何が何でもがんばる!」

 

––––––いつからこんなに頼もしい事を言うようになったんだったか。

知らぬ間に大きくなっていた二人の子どもに込み上げてくるものを感じながら、きっとこの二人は帰ってくることはないだろうとどこかで思っている自分がいた。

不意のことですぐには言葉を返せなかったィージルは誤魔化すように抱擁を強くする。

––––––思えば、こんな風にしたのは二人を拾ってから今までで初めてかもしれない。

寒空の下しばらくの間そうしてから、急に取り繕ったように言った。

「あまり遅くなって風邪でも引いたら大変だからな。お前たちは先に帰ってろ。………俺は寄るところがある」

 

どこに寄るのだろうか気にはなったが、ィージルはそれを聞く前に立ち去ってしまった。ランプも置いていってくれたため、ヒルミィと二人で夜のシャトルを帰路につく。

その道では会話はなかったが、二人は二人だけの憧れの世界にいた。

「いつか」と求め続けていたものが、ようやく現実味を持って目の前にやってきたのだ。浮き足立たずにはいられない。レィジも、まとわりつく少女や王に関する不可解を少しの間だけ忘れることができた。

 

外の世界へ!!

 

その言葉が、二人を動かす力になる。

 

『憧れに生きろ』

 

その熱が、二人の心を支える柱となる。

 

いつか、本当に森の外の世界に行ける日が来るのだとしたら。きっとそれは、ィージルがいて、ヒルミアがいて、ダーミルやノエ、アルフがいて、シャトルの皆がいた––––––グラーヴェがあったおかげだろう。

もう二度と歩かないかもしれない生まれ故郷の地を、二人は随分とゆっくり歩いていた。ランプが揺れるのも、ゆっくり、ゆっくりだ。

 

––––––憧れの世界へ。

何よりその渇望の、おかげだろう。

 

 

 

 

 

星泣きの丘を少し外れたところで、ィージルを待っている人物がいた。禿頭の男、つまりダーミルである。二人は、ィージルがこのシャトルに来てからの付き合いだったが、類は友を呼ぶと言う言葉がある。十年来の友人だった。

 

「言わなくてよかったのか」

 

責めるような言い方をするのはダーミルの方で、シャトルの松明の光が届かない暗闇から低く響く声は不気味さを孕んでいるみたいだった。

 

「それはあいつらが確かめる事だからな。俺が言うのは無粋だ」

「真実を知った時どう感じると思う。最初から無い物に憧れなど抱けない。だったら………」

ダーミルの言を制し、ィージルが頭を掻きながら苦笑する。

「理屈っぽいのは相変わらずだな。………俺は、あいつらなら誰も見た事の無い場所に行けるんじゃないかって思うんだよ。お前も分かってるだろ?レィジは止まらない」

 

言葉に詰まったダーミルにやれやれと、「お前も随分丸くなったよ」

 

ィージルの軽口に、ダーミルはむっ、と心外そうに眉を(ひそ)めて早口にまくしたてる。

「お前が頼むからだろう、それならお前の方こそ変わったじゃないか?憧れがどう、ってな」

内心嘆息しながら首を振った。いいか、と物分かりの悪い友人に教えるみたいな口調で、

 

「俺は憧れを持っていたからあの場所まで行けたんだ。夢や憧れが無ければ、お前が祈る場所も無くなる」

「………俺が祈る場所は自分で決める」

 

だがダーミルは知っていた。決められていないから、今があるのだと。レンジャーズになりきれなかったから、生きているのだと。自分にはそこまでの力が無かったのだから。

 

「––––––ヒルミアはどうした」

 

この話は終わりだ、とばかりに朴訥(ぼくとつ)に投げかけた。ィージルは意外な質問に戸惑いはしたが、答えるべきことは分かっている。

「ああ、随分と柔らかくなった。あの頃の面影は普段は見えない………だが時々、上の空でどこかを見つめてる時がある。ヒルミアは、まだ信じてるんだろうな。()()()()()()()()()()と。レィジとヒルミィへ、あの頃のままでは辿り着けなかった場所に、自分の憧れを託してるんだろう。二人に背中を見せないのも、それが原因なはずだ」

「………そうか」

 

二人には、()()()()という女性が釘、或いは螺子(ねじ)となって存在している。ヒルミアがいなければ、二人の関係も無かった。だが、別のシャトル出身のレンジャーズであるィージルが村に来て、グラーヴェのレンジャーズであるヒルミアを「救ってくれ」とダーミルに頼まれてからこれまで、その話題をダーミルが持ちかけることは無かった。ィージル自身はダーミルなりのケジメだと考えていたが………。

シャトルの中は松明で明るいと言っても、二人のいる場所には届かない。それもそのはずで、二人は光が遮られている門の影にいる。

 

「〈統森営〉から連絡があった」

ヒルミアの話を意図的に中断したダーミルは、そう伝える。腕を組んで首を振ったダーミルの様子から、その話の内容が余程の面倒事なのだと分かる。

 

「この時期に、っていうと………例の件か」

ィージルはこめかみに手を当てて、言わずとも分かると問い返す。

 

「ああ、森信仰が過激化してきたらしい。まだレンジャーズ単位で留まってるが、〈統森営〉の塔に干渉してくるのも時間の問題だな。小規模なだけマシだが、奴らの拠点はジュストだからな、管轄下のここも警戒を強めた方がいい」

やはりか、と苛立ちを隠さずに思うところを口にする。

「全く、タイミングってのがあるだろうが………狂信者と問題にならなければいいんだが」

「奴らの興味は〈統森営〉への反抗にしかないからな………大丈夫だろう」

「––––––ならいいんだが」

 

キナ臭くなってきたと、一抹の不安と共に、二人の会話は途絶えた。

話すことはもうない、とダーミルは門から離れ、ィージルに別れを告げる。

 

「森信仰のことは内密にしておくぞ」

その一言とともに、ィージルの隣を通り過ぎる。

ィージルは、肩をすくめるだけに留め、ダーミルがいなくなった後もしばらくそこに立っていた。ダーミルとの話で、それから急に外が寒くなってきたような感があった。どうしようか考えるついでに、シャトルの明るさから完全に仕切られたこの暗闇に身を置いていたかった。

 

「………この世界が、本当にこれだけなのだとしたら。俺やヒルミア、他の夢を見た者が望んだ場所がないのなら。神とやらはどうしてこんな世界を作ったんだろうな」

空の見えない天蓋を見つめ、暗闇の中呟く彼は、誰に向けた言葉でもないのだろう。ただ、強いて言うなら、この世界の人間がこぞって信仰している、森の神というその存在へ。

 

「こんな世界………牢獄と同じじゃないか」

 

空へ掲げ、握りしめたその手のひらでは。

ィージルが求めていたものは、何も掴むことができなかった。

 

 

 

 

 

それから一週間、レィジとヒルミィはグラーヴェで過ごした。二人がオアシスシャトルに行くためには、不定期的にやってくる商隊に護衛として同行するという手段が一番手っ取り早い。森の世界に数カ所だけ存在するオアシスシャトルと呼ばれるシャトルは、様々なシャトルから人が多く集まる。商人にとって、オアシスシャトルは要所となるのもその理由からである。

実際、二人は、〈森の羅針盤〉を受け取った日から数えて一週間後に来る予定の商隊に同行するつもりだった。

つまり、二人がグラーヴェにいれるのも残りわずかなのだ。

二人は、親交のある知り合いに挨拶をしたり、アルフのもとであれやこれやと小言を受けたりと、いつもの場所を回って過ごしていた。

二人に別れの挨拶をする人も多く、彼ら彼女らは総じて明るく振舞ってくれていた。

 

「よう、パン屋の。約束通り買いに来たぞ」

「おっ、来たかレィジ!ヒルミィは一緒にいないのか?」

「ヒルミィは今家だ………一つもらおう」

「金はいいって!な、好きなだけ持ってけ!」

 

こうして祝福してくれることがほとんどで、何だか落ち着かないと思うばかりだった。

 

「………もうすぐ行くんだったな」

「ユンナか。ああ、三日後に発つ。決着とやらはいいのか?」

「ふん、そんなものにはもうこだわらない。せいぜい、すぐにおっ()んじまわないようにな」

 

ユンナはレィジをライバル視しているアルフの教え子で、時々レィジと剣を競っていた。レィジに最後に会った時もいつも通りふてぶてしく接した、かえってユンナのような態度の方がレィジはこそばゆくなくていいと思うほどだった。

––––––唯一、気がかりだったのは。

目覚めた日に看病してくれたきり会っていないノエのことだった。レィジから家に会いに行けば、ダーミルが今はいないと言い、浮橋の花園にも、星泣きの丘にもノエは姿を見せなかった。

そこまでノエと会えなければ、偶然ではなく、ノエの方がレィジと会うのを拒んでいるように感じる。

「………無くなってしまったな」

幻獣を倒しにシャトルを出て行く前、ノエに貰った花びらのお守りは、王との戦いで紛失してしまった。

もう一度作ってもらいたかった。謝って、別れを言って、気持ちをもう一度伝えたかった。

––––––どうしてノエは、俺に会いに来ないのだろうか。

ヒルミィにもノエは会わず、口には出さなかったが、レィジよりもむしろノエの方に気を遣っていた。

旅の用意は万全に整っている。

あとは、商隊が来るのを待つだけとなった、残り一日の日。最後の日になっても、ノエには会うことができなかった。

 

そして、二人はそのまま旅立ちの日を迎える。

 

「お前さんらが護衛か?護衛ってのは子供の遊びじゃないことは………分かってるみたいだな」

商隊、と言っても今回来たのは十人乗りの馬車を率いた一人の商人だった。彼はモーブル・バック。グラーヴェや周辺のシャトルにはよく脚を運ぶ、そこそこ名の通った商人だ。

彼が見たのは、レィジの腰に提がる〈森の羅針盤〉。モーブルは、グラーヴェとの付き合いも長く、それが渡されるまでの過程を知っていた。

「よろしく頼む、モーブル」

「お願いします、モーブルさんっ」

何だか落ち着かない様子の二人に苦笑しながら、四十過ぎの男は肩を揺らして笑った。

「そう緊張しなくていい。むしろ、お願いするのは俺の方だってことを忘れるな………もうそろそろ行く時間だが、いいのか?」

何が、とは聞くまでもない。

最後に会っておきたい人や言っておきたいことはないのか、とモーブルはそう言っている。

確かに、幻獣の時のような風習もなく、本来なら見送りにィージルやヒルミアがいてもいいくらいなのだが、星泣きの丘の方の門には、二頭の馬に引かれるモーブルの荷車とレィジ、ヒルミィだけしか見られなかった。

「………ああ、大丈夫だ。すぐに出してくれ」

「そうか?それならいいんだが」

見た目には平静に見えるレィジの言葉に、首を傾げながらも承知したモーブルは、後ろに乗れと言いながら、二頭の馬を操るための御者台に登った。

モーブルの馬車は、馬二頭、御者台、麻袋に入れた商品を乗せた、屋根はあるが窓のない、荷台というに相応しい荷台でできていた。護衛である二人は、開け放してある荷台の商品が盗まれたり、魔物に襲われるのから護るのが仕事だ。

 

出発するぞ、揺れるから捕まっとけ。

 

その言葉ともに、早朝の清々しいグラーヴェに、パチン!!という破裂音が鳴り響く。モーブルの手綱が馬に当たったのだ。

「ロロッ!!」

「ルルッ!!」

二頭の馬はそれぞれ違う鳴き声を、違う音程で上げながら、徐々に脚を動かして行く。それに伴って、繋がれた馬車はゴトゴトと重く揺れながら車輪を回し始めた。

「………行っちゃうね」

モーブルには聞こえないように呟いたヒルミィには、レィジは何も返せなかった。

行ってしまう。もう戻れない。

何も後悔は無いはずだったが、心は棘が刺さっているみたいにチクチクと傷む。

無理にでも会いに行っておくべきだっただろうか。

レィジがそう思った、その時だった。

 

ババババババババ!

 

 

グラーヴェ中の松明が、一斉に火を灯し始める––––––人が直接火種に火を灯さなければならないはずの、松明の火が。

 

 

あまりの出来事に、レィジもヒルミィもモーブルの商品に紛れて座っていたのに、中腰になって後ろを振り返る。朝のシャトルには、松明の光は眩しくなかったが、規則的に並んだ沢山の炎が、まるで、レィジとヒルミィを見送っているみたいにゆらゆらと揺蕩う様は、何とも言えない壮観さがあった。

「………どうして松明が?まだ朝だろう」

「分かんない………何でだろ」

十年シャトルに住んでいて、こんなことは初めてだった。

原因も、誰が火を灯したのかも分からず困惑する二人に、チラと後ろを振り返ったモーブルがおお、と素直に驚くのが背中越しに聞こえた。

「ははっ、おいお前ら。いいシャトルで育ったな」

まるで全てを知っているのかのような口調で、手綱を握るモーブルは笑っていた。

いや、事実知っているのだろう。

「何か知っているのか、モーブル?」

レィジが食いつくように問いただすと、モーブルはそれを聞いているのか聞いていないのか、したり顔で、「なるほど、道理でな」と繰り返していた。

「できたら教えてくれませんか?」

ヒルミィにしては珍しく、レィジに被せるように続ける。

モーブルは少しの間答えなかったが、あれはな、と羨ましがるような声で話し始める。

 

「〈贈り火〉だよ、あれは。シャトルから出て行く者を送るための、まぁ儀式みたいなもんだが………最上級のものさ。何せ、シャトルを挙げて送られるんだからな。まったく、お前らは愛されてるよ」

 

〈贈り火〉。その(あかり)は、二人のために燃える茜色のメッセージ。

 

『いってらっしゃい!レィジ、ヒルミィ!!』

 

まるでそう言っているみたいだ、と二人は感じた。

数百の火が、朝の森を染め上げようと豪々と燃える姿は––––––その言葉に表せない想いは、きっと生涯忘れない。

「………その最上級の言葉を貰った俺たちは、どうすればいい?」

「う、うん」

二人は喜びもそうだが、困惑の方が大きかった。

最高の贈る言葉。

どう受け取ればいいのだろう。

モーブルとは短い間しか話していないが、そのわずかな間で、彼がそれを聞くに足る人物だと思わせるだけの雰囲気があった。

面白い奴らだと、モーブルは快活に笑って答える。

 

「見送られる者は、素直に送られておけばいい。その〈贈り火〉に応えるみたいに、背中を見せて、意思を掲げるんだ。いってくる、ってな」

 

背中を見せて、意思を掲げる。

二人は膝立ちでシャトルを振り返っていたのを、顔を見合わせて頷く。

不安定な荷台の上で、並んで背中を見せる。旅立つ者の、覚悟が体現された、その背中を。

茜色に揺蕩(たゆた)う火が、その背中を後押ししてくれているみたいだった。

 

〈贈り火〉。

それは、レィジたちに最も響く言葉だった。

心が震える。

二人の心に、グラーヴェはきっと、ずっと残るだろう。

 

「………ノエ」

 

 

彼女が会いに来なかったのは。

きっと、贈る言葉が霞んでしまわないようにと思ったからではなく。

レィジに会えば、辛くなってしまうからだったのだろう。

レィジは、〈贈り火〉が運んできて、口の中で転がる愛しい人の名を、いつまでも噛み締めていた。

 

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