欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

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第四話 枯雪の降る頃に

 

緑、赤、黄、白、黒。

色とりどりに塗られた地面を、モーブルの馬車はゆっくりと進んでいく。肌を撫でる風は涼しく、着ている服だけでは心細い。

風が吹くたびに舞い上がる、無数の色。それは、〈枯雪(かれゆき)〉と呼ばれるものだった。

 

「言った通りにして正解だっただろ?この時期、ここら辺で〈枯雪〉が降ったことが何回かあるんだ」

少し得意げに鼻を鳴らしたモーブルは、(いなな)いた馬の背中を労わるように何度か撫でたあと、柔らかく手綱をふるった。

「すごいです、モーブルさんっ!経験が物を言うってやつですね」

「俺はジュスト管轄地域で二十年商売してるからな。もう何度も通った道だ」

ここ数日の間に、ヒルミィのモーブルに対する印象は前進していくばかりだった。シャトルにはいない人種の彼に、純粋に興味が湧いているのだろう。

 

––––––レィジは荷台から手を伸ばし、降ってくる〈枯雪〉を数枚掬う。赤と青のその葉は、ひんやりと冷たかった。

「ふうっ………」

吐いた息に乗って空を舞う数枚の葉を見ていると、どこか神秘的にも思えてくる。

いったいどこにこのような葉をつける木があるというのか。今馬車が行く道は、螺旋を描きながら緩やかに上へと向かう山道だった。無論、山の表面や道、崖から余すことなく森を構成する木が生えている。そのどの木も上を向く矢印のようである。

〈枯雪〉の日特有の灰色の世界、不定期的に起こる現象。木々の葉がまるで雪のように降って来る日、それが〈枯雪〉の日である。

 

「あとどれくらいで着くんだ」

「この山道まで来たってことはもう数時間ってとこだな。雪のせいでゆっくりしか進めないから、腰を痛めんようにな?数日経ったとはいえまだまだ慣れてないだろ」

「………分かった。それと、その心配はいらない。この揺れも訓練の一つと思えば対処も効く」

「しぶといな、お前は」

 

愉快そうに笑うモーブルの言葉通り、雪の日には馬車はゆっくりしか進めない。雪、と言ってもそれを構成しているのは木の葉。〈枯雪〉という天候である以上、それを雪というのは当然だが、本来の意味での雪とは全くの別物である。

 

「なんだか、世界が違うみたい」

 

グラーヴェから離れた場所にやって来たこともあるが、〈枯雪〉の日には世界のあり方が一変するとよく言われている。初めて観測された日には世界の終わりだと騒がれたものだ。

ヒルミィは、荷台の外の景色が、まるで幻想の中に取り残されてしまっているかのように思えた。空から落ちてくる冷たい葉、その葉で埋め尽くされた色とりどりの地面、吹く風は寒々しく、気温も低く、世界の色もどことなく(おぼろ)げだった。

 

「世界が違うとはまた変わった事を言う。レンジャーズになるんだろ?だとしたら、世界はころころと姿を変えていくことになるな」

「………話で聞いていても、実際に見るのとじゃあ全く違う。やっぱりこの世界は面白い」

「言うな、レィジ。お前の見た世界はまだまだ砂つぶ程度だがな」

 

声をあげて笑った彼が、ピシンと、腕を(ひね)って縄を馬に当てる。

「ロロ………」

「ルル………」

応えるように、二頭の馬が柔らかく鳴いた。

 

〈枯雪〉の中で、全てがゆっくりになっているみたいだった。色彩豊かな葉で埋め尽くされているはずなのに、灰色のフィルターがかかったみたいな情景は、何とも言い難い(わび)しさがある。

 

モーブルは、この山道に入る前、つい昨日のことだが、その時にこう言っていた。「パントリーの皮を用意しておけ。あと、油を塗っておくといい」〈枯雪〉の日には、気温が著しく低下するのだ。吹く風も冷たさを増す。パントリーの皮をただ纏うだけで、熱が外に逃げていくのを大幅に抑えられるため、防寒具として〈枯雪〉の日には重宝されている。油を塗ることでさらに保温が期待できる、というのは長い間行商人をやっているモーブルの知恵だった。

 

『魂以外全てが糧』

 

そう呼ばれたのがパントリーだった。人は、この草食動物の肉から皮、骨、(およ)そ全ての部位を何かに利用している。そこから生まれた言葉だった。要は、森の神の信仰において魂がもっとも重要視されているのだ。例え全てを喰らっても、魂だけは神の元へ返さなければならない、と。

 

「魂、か。世界がこんなにも広いなら、その魂を見つけられる日が来るんだろうか」

「お兄ぃ、魂は信じないんじゃなかったの?前も言ってたじゃん!俺は………」

ヒルミィお得意の妙にうまい兄の真似が披露される前に、レィジは口を開いていた。

「いや、こうしてパントリーの皮に油を塗っただけでこうも暖かいんだと思うと、魂以外は………ってやつを思い出したんだ」

「ふぅん。私はそういうの結構信じてるよ?例えば、死者の魂の話とか!」

真似ができずどことなく不満げなヒルミィは、死者の魂の話で急に元気を取り戻したみたいだった。

しかしレィジは、死者の魂の話が出た途端、うっ、と言葉に詰まる。

「あれ?あれっ?おかしいな?お兄ぃ苦手なの?魂を信じてないのに?」

からかう口調でニヤニヤと兄を見つめる妹の視線から逃れるように、荷台から手を伸ばして〈枯雪〉の葉を掬い、手のひらで(もてあそ)ぶ。

「そこまできたら、もはや魔物だ」

「あ!お兄ぃ言い切った!そして認めた!」

レィジは魂を信じているわけではないのに、死者の魂には怯えるようなところがあるのだ。

なんだ、可愛いところもあるじゃないか。

そう笑ったモーブルにとうとう何も言い返せなくなったレィジは、暖かいを通り越して熱くなってきた顔を冷やしたくて、荷台から少し顔を出して外を眺めた。

 

 

ヒュオオオオ––––––。

 

 

山肌に積もった葉の色とりどりなその上に、何本もの木々が乱立する崖のような斜面。荷台から見上げているために崖のようにも見えるが、実際はそれほどの斜面ではない。少し目を凝らしてみると、この地域に生息する動物なのか、親子で、体毛に覆われた小さな動物が斜面をちょこちょこと走り回っている可愛らしい姿が見える。

仰け反るように伸びていく山肌の向こうには、レィジたちが今向かっているシャトルだけではないシャトルが………その先の先には、オアシスシャトル、ジュストがある。〈空の大樹〉と言われる木でできた街、ジュストが。この森の世界は大きく四つに分かれており、それぞれの区画の中心的なオアシスシャトルが代表して一つの地域を管轄する。その制度が、〈連合政府〉制。

したがって、レィジたちがやってきた方向を、グラーヴェを越えて、ジュストから離れる方向にさらに進めば、オアシスシャトル、プレスト管轄下の地域がある。比較的起伏の少ないプレスト管轄下では、導陣道具(ルーンツール)によって繁栄し、他のどの管轄下にも見られないような空想的な街並みが広がっているという。

 

––––––まだまだ見足りない!

 

レィジは、恥から荷台の外に目を向けたはずなのに、いつからか、ヒルミィに呼ばれたのにも気づかないほどに、ずっと、見上げたり、見下ろしたりを繰り返していた。

憧れは、もうすぐそばにいるのだ。

 

ドッドッドッ………!!

 

鼓動が激しく胸を打ち付ける。今すぐ叫びながら全力で走りたい気分だった。その衝動を抑えるのと外に目を向けるので、レィジはしばらくの間、〈枯雪〉を肩や首もとに積もらせながら、身を乗り出していたのだった。

 

 

 

 

 

それから‪二時‬間と少しも経てば、馬車は中腹を過ぎ、斜面の幅も狭くなってくる。そこまでやってくると、レィジが身を乗り出しても見えるのは視界いっぱいの山肌だけで、(そび)え立つ山の偉大さというより、ただそれだけが眼に映る。

だが、そうした変化が眼に見えて現れてくると、いよいよだという気がしてくる。

レィジたちがグラーヴェを出てから、一週間弱が過ぎた。その間他のシャトルには寄らなかったが、補給と商売のために、一度シャトルに寄る用事があった。そういうわけで目的地であるジュストの途中にあり、モーブルがグラーヴェと同じように商売を続けているシャトル、〈ジャガール〉へ向かっているのだ。

 

「しかし………妙だな」

 

‪一時‬間近く口を開かなかったモーブルが唐突にそう言った。

何かあったのかと身構える二人に、モーブルは「いや」と続けた。

 

「この勢いで〈枯雪〉が降っているなら、馬車の通った跡はしばらくすれば薄れてくるのは分かるだろ?けどな、それがあるんだよ………(ひづめ)の跡が」

 

見ろ、と指をさされたところを注視すると、確かにうっすらではあるが、馬の蹄の跡のような窪みが葉にできていた。

 

「ここまで来る間に気がつかなかったってことは、俺よりも先にこの辺りに来ていて、出発したのがついさっきってことだろう。車輪の跡が無いから馬一頭でここまで来たんだろうが」

 

それが妙なんだ、と続けて、念のため警戒してくれと二人に頼む。

 

「分かった」

「了解です!」

 

勢いよく返事したはいいが、警戒する相手は未知数だ。自然、身体は強張る。すぐに戦闘ができるように、レィジはフックに、ヒルミィは導陣を使うためにパントリーの本と杖に手を掛けて。

 

「単騎で、か。まさか奴じゃあないだろうな」

モーブルのその呟きは、二人に届くことはなかった………。

 

 

そのまま何も起こることはなく、一行はジャガールの門前に到着していた。ジャガールはシャトルとしてはグラーヴェと同じような造りになっており、違いといえば高高度にあるという点。

「………森の偉大さってやつか」

レィジたちが登っていたのは台形の山だと想像すればいいだろう。その台形の上の底辺が陸地として広がっており、それを進んでいけばジュストに辿り着く。

「すごいね………こんなに高くまで来たのに、周りの木はもっと高い」

ヒルミィの言う通りで、高高度であるにもかかわらずその天蓋は森に覆われていた。

 

–––––––森の偉大さ。

 

「武器は下ろしておけよ………パントリーのフードを被っておけ、それと無駄話はするな」

武器の類いは麻袋に入れて商品に紛れさせておけ、と言ったモーブルの指示通り、二人はジャガールの門前が見える前に装備品の類いを外していた。

 

「何か理由があるのか?」

「うん………モーブルさん、信用されてるんでしょう?」

 

麻袋にしまい終わった後に、純粋に疑問に思ったレィジは直接モーブルに聞いてみたのだ。

 

「商人を装ってシャトルに入るような盗賊連中がいないわけじゃないからな………」

つまり、と振り返りながら彼は続けた。

「お前たちが()()って場合だよ。人身の売買は特に〈統森営〉が目を光らせているからな………その商人を通したってだけで〈統森営〉直々のお出ましってわけだ」

人を売る。奴隷といった意味合いだけでなく、玩具にするために人間を欲する嗜好のある者がいないわけではない。そう言った犯罪の類を取り締まるのもまた、〈統森営〉の役割。

森と関係の深い行商人故に、ここで警戒されれば今後の商売に関わるのだ。

 

「だからって何でフードを」

「お前ら、〈森の聖歌隊〉って知ってるか?」

「はい………〈統森営〉の聖歌隊のことですよね?確か、〈果樹〉の人たちと一緒にベースキャンプにいるという」

森の信仰を統率する組織、それが〈統森営〉である。この組織は今では〈連合政府〉よりも権力を握っており、その力の影響は各シャトルに及ぶ。〈連合政府〉が一オアシスシャトルの統治という形を取るのに対し、〈統森営〉は管轄地域の隔てを関係なく、森の信仰を司るため、自然、その勢力は大きくなる。グラーヴェを統べるダーミルの元に〈統森営〉からの連絡が入ったのもそのためだった。

「ああ、そうだ。俺みたいな商人、特に行商人は森に左右されるからな。少しでも神のご加護をと願う敬虔(けいけん)な信者が多いんだよ。俺もそのうちの一人でな、そういう連中は、〈果樹〉から聖歌隊を同行させてもらうこともあるんだ」

聖歌隊とは、森の神の信仰を学ぶ者が集まった隊、特に二十歳以下の青年や少女たちの隊のことだ。聖歌隊の役割としては、各地に回って〈森捧歌〉を唄ったり、行商人に同行したり、〈統森営〉の〈枝〉や〈葉〉に同行することである。

〈果樹〉や〈枝〉というのは、〈統森営〉の末端組織である。今回のように、犯罪を取り締まるのは、〈果樹〉が担っている。

「聖歌隊の子供たちは普通、そうやってフードを目深に被って顔を見せないんだ。自分の顔を見せるのは我が主人(あるじ)たる神へだけだ、ってな」

 

なるほど、と納得した二人は、きつく被ったフードの奥からジャガールの門が見えてきたのに気づく。

山の上の広い台地に位置するこのシャトルの門は、グラーヴェのよりも少し小さく、意匠もあまり凝っていないシンプルなものだった。

 

「………要件を言え」

門前までやってくると、二人の青年が顔以外を鎧で包み、槍を持って待ち構えていた。ジャガールの衛兵のようだ。

「俺だ。久しぶりだなローレンス、ホロニウム」

手綱を振るってから馬を止め、御者台の上から気軽に挨拶するモーブルを見ると、ローレンスとホロニウムと呼ばれた衛兵二人は顔色を変えた。荷台でその様子を見ていたヒルミィは、口の中で感嘆の声を漏らす。反対にレィジはやれやれと肩をすくめたい気分だった。

「これは、モーブルさんでしたか。ご無礼を失礼しました。いつものご用件ですね」

左右からバツの字になるように重ねていた槍を下ろして、ローレンスと言われた方の、肩までの茶髪を結んだ青年が柔和に微笑んでジャガールに招き入れるようなジェスチャーをする。

それに黒い短髪の青年、ホロニウムも頷いて、「〈枯雪〉が降ったのは不運でしたね………」

「ああ。まっまく、ロロとルルも寒がってるからたまったもんじゃない」

苦笑するモーブルの背後に、子供二人が乗っていることに気がついた。

ローレンスはまだ気づいついないらしく、モーブルと一言、二言交わしている。その隣で、眉を(ひそ)めたホロニウムが槍に手をあてながら低い声で言った。

 

「ところで、モーブルさん。この二人は?」

 

––––––来たか、と身構えた二人に対して、モーブルは冷静に受け答えする。まるで、本当にそうであるかのように。

 

「こちらは聖歌隊のお方だ。俺みたいな敬虔な信者で、その上行商人ときたら、こうして聖歌隊にご同行してもらうことだって別に珍しくない。職業柄、祈る場所は自分で作らないといけないからな」

するとようやく二人に気がついたローレンスが、わざとらしくモーブルから一歩離れて言った。

「でも、モーブルさんが連れてくるなんて珍しいですよね」

親しみを持った好青年から、一瞬で衛兵の顔になった二人の腕前に、モーブルは場違いにも成長を感じていた。

「それに、祈る場所は自分で作らないと、と言いますけど、モーブルさんはジャガールに来るといつも祈っていないじゃないですか」

じり、と実際的には槍の射程内に捉えつつ、精神的に詰め寄る二人にどうしたものかと内心首をひねったモーブルだったが、先に反応したのはヒルミィだった。

 

「祈ればいいと言うわけではありません。神は我ら人間をいつも見守ってくださる存在。だからこそ、私達は祈る場所は自分で決めるのです。神に信仰を捧げるに相応しい場所を選ぶことが私達に積める始めの善行なのです」

 

両手を合わせて目を閉じながら––––––フード越しには目を閉じているか分からないが––––––実に聖歌隊らしく振る舞う彼女に衛兵の青年二人は若干気圧されたようだ。

言葉を作ることなら、誰でもできる。だが、ヒルミィには言葉を越えた雰囲気の次元での聖歌隊らしさがあった。聞く者が聞いても、その透き通る声はまさしく森に信仰を捧げた少女のもの。

 

––––––ほう………これはなかなかだな。

 

モーブルは御者台の上で、表情には出さずに驚嘆していた––––––あっけらかんと聖歌隊になっているヒルミィの変わり様に。

 

「ま、そういうわけだ。そっちのやつと一緒に聖歌隊として通してくれないか」

衛兵は顔を見合わせ数秒沈黙していたが、やがて頷いてモーブルをジャガールに通してくれた。

 

「いつも通りの商品と………この装備品は?」

来たか、と二度目の到来にモーブルは今度は二人よりも早く返す。これは行商人の知恵の出番である。

「お前らは知らないだろうが、今ジュストでは武器防具類が高く売れるって裏の筋からの情報でな………おっと、口外するなよ?それでまぁこっちも裏筋で手に入れた珍品たちだ。確認したければ見るか?」

そう言ってモーブルはレィジとヒルミィの装備品の入った麻袋を指差した––––––〈森の羅針盤〉は、モーブルが直接預かっている。ジュストでの武器防具類の情報はブラフだが、そういった情報は関係者以外には気づかれにくいもので、現に二人はそこを疑うことはなかった。

 

「こいつは………まあ、モーブルさんの手に入れた情報だから確か何でしょうけど、まあ………失敗しないようにしてくださいね」

ローレンスが確認し、ホロニウムが先ほどは疑ってすいませんとモーブル、レィジとヒルミィの三人に順に謝ってからジャガールの門を通した。

ローレンスの表情が渋くなったのは、フックを使うレンジャーズや衛兵がほとんどいないからだろう。ヒルミィの装備もこれといって貴重なわけでもない。ただ、珍品と言われれば信用するしかあるまい。

ホロニウムにヒルミィは丁寧に首を傾ける––––––その様は、やはりどこから見ても正真正銘の聖歌隊だった。

じゃあな、とモーブルが背中越しに手をひらひらさせて衛兵二人に別れの挨拶をした時である。

 

「待ってください、モーブルさん」

ローレンスがそういえば、と慌ててモーブルを呼び止める。

「何だ?」

ローレンスの慌てた雰囲気がモーブルにも伝播して、彼も馬の手綱を振るう手が鋭くなる。

「どうしても通してくれと言われた挙句、正当な理由もあって断ることもできなかったのですが………俺たちは、〈森信仰〉の連中を入れてしまったかもしれません」

〈森信仰〉という単語を聞き、モーブルは苦い顔で言いながら、馬に手綱を当てて馬車を出す。それと同時に、

「心配するな。奴らは〈統森営〉にしか興味がないからな………俺みたいな一商人は奴らとは無縁だよ」

 

 

 

 

 

ジャガールには、一週間ほど滞在する予定だった。ジャガールの商人にモーブルが売りに行っても、交渉に時間が少しかかる。補給はすぐ終わったが、二人の初めての長旅の疲れを取るという目的もあった。

ジャガールにきてからこっち、〈枯雪〉は降り続けていた。珍しいことではなく、〈枯雪〉が降れば長くて一ヶ月は続くというのが通例だった。

 

「明日経つ。やり残したことがないようにしておけ……………ところで、疲れは取れたか?」

馬車を預けたジャガールの宿泊施設の、レィジとヒルミィの部屋に来たモーブルが壁によりかかりながら言う。

その宿泊施設は中々の値段がするものだったが、馴染みの行商人ということで安く泊まれたのだ。

 

うねるような大木があしらわれた窓枠の向こうで、色とりどりの葉に埋まった地面と灰色の世界の不釣り合いな幻想を見つめていると、本当に別の世界にいるみたいだった。

「はい!ありがとうございます!」

「本来礼を言うべきは俺の方なんだけどな」

首筋をぽりぽりと掻きながら苦笑いするモーブルは、元気そうなヒルミィの様子を見て満足したのか、その答えを聞いて部屋を出ていった。

「もう、お兄ぃ。いつまでも外見てないで、モーブルさんに挨拶したら?」

たしなめるようなヒルミィの物言いに、レィジは少しの間答えなかった。

窓の向こうの何かを注視しているみたいだったが、背中越しのヒルミィには何を見ているか分からない。

 

「………ちょっと外に行ってくる。ヒルミィはここで待っててくれ––––––すぐ戻る」

「えっ、ちょっ!お兄ぃっ!?どこ行くの!?」

 

ヒルミィの声を振り切って、レィジはつったかと外に出て行ってしまった。

ヒルミィが追いかける前に、レィジは扉を閉め、ヒルミィが外に出るころには、もうその姿は確認できなかった。

 

「もう、お兄ぃ………!?」

 

ヒルミィのどこへ向ければいいか分からない怒りは、ふわふわと宙を漂うだけ––––––。

 

 

衛兵を凌いだ後、宿泊先でフックの手入れをしていたレィジは、フック一つを手に、腰に短刀をさし、さらには手の甲には炎の導陣、業火を書いておいた。万全とは言い難いが、戦闘の準備をしてレィジが向かう先は、ジャガールの周りの森の奥。

 

レィジが見たのは、森の奥で馬一頭が木に繋がれているのと、その馬の少し先で動いていた複数の人影だった。

馬一頭を見て、モーブルの話を思い出したのだ。

 

『それが妙なんだ。警戒してくれ』

 

––––––レィジは、人影を見つけてからあることに気がついた。それは、明らかに、複数人が一人を連れて行っているように見えたことだ。それだけ確認して、嫌な予感がしたレィジはこうして宿泊先を飛び出し、一人ジャガールを走っているのである。

フックも短刀もフード付きのパントリーの防寒具の下にあるため、周りからは妙な聖歌隊にでも思われていることだろう。

 

「…………っ」

 

しばらく走って、馬が繋がれた木までやってきたレィジは、やはりと予感を確信に変えた。

そこには、誰かが誰かと争ったような跡が残っていたのだ。血が跳ね返った〈枯雪〉の葉、刃物で斬れた馬の胴体、ただ歩いたり走ったりしただけではできそうもない葉の窪み。

 

「––––––!」

馬は突然の来客に警戒を強め、半身を上げて重く鼻を鳴らしており、そのままにしておけば奥の人影たちに勘付かれかねない。

「落ち着いてくれ、俺はお前の敵じゃない。ちょっと待っててくれよな、少ししたら俺の妹が治療してやるから」

撫でるみたいな柔らかい声音で馬の身体をなぞりながら、レィジは簡単にいなしてしまった。彼のその声に馬も落ち着いたようだ。

 

「じゃあ行くか………」

 

馬をやり過ごしてレィジが向かうのは、人影のいる森の奥。ジャガールや周辺に生える木々は背の高い矢印の形を取っているが、なぜだかそこは()であった。

 

「なんだよ、これ。まるで森が生きてるみたいじゃないか」

 

その言葉通り、馬の繋がれていた木よりも奥の木々は、異様さを色濃くしていた。木の根は蛇のように(うね)り、木々は〈枯雪〉と関係なく葉をひらひらと落とす。のたうちまわるその様はまるで生きているかの如く。

レィジを取り囲む位置の木々が、言い換えれば人影が通っていった道の両脇の木々だけがそうなっており、両側の木の後ろにはいつも通りの様子だった。その不自然さに、いよいよキナ臭くなってきたとはやる気持ちを抑える。

と、足早に〈枯雪〉の上を歩くレィジの背後が急に騒がしくなった。なんだ、と振り返る前に、何が起こっているか分かることになる。

 

シュババババ!!

 

「くっ………!?」

 

こちらに害を与える様子もなく、ただうねっていただけの木が、レィジを閉じ込めるように互い違いに倒れこんできたのだ。幹を半ばから折りながら道を塞ごうとしているそれらは、まるで意思があるようだった。

「…………っ!」

気持ち焦りながら走っていると、少し先に大きめのひらけた空間があるのが見えた。他に道も続いておらず、どうやら人影たちはそこにいるようである。

ただ、後ろからは木々が迫ってきている。このまま走り込んでいってもレィジが返り討ちにあうだけだった。観察しようにも観察できず、内心で舌打ちしながらフックに手をかけ、近くの木に飛び移った。

 

バリバリバリ………ズドン!!

 

土煙を上げながら最後の木が倒れた頃になって、ようやくあたりは落ち着きを取り戻す。

「上からじゃ面倒だが………ちょうどいい」

飛び移った木の太めの枝にフックをかけ、そこに飛び移ってひらけた空間をよく観察することにした。

 

よく見ていると、その奥、十数メートル先で木にもたれかかった一人の男とそれを取り囲む五人の男が確認できた。

「おい、なんださっきの音は」

「気づかれたんじゃないのか」

レィジには何を言っているかは聞こえなかったが、男たちの怪訝そうな表情に心臓をキュッと握られているような感覚になる。

それから一言、二言交わした男たちはうなずき合い、三人が後ろを向き、残りの二人が木の男と相対した。

––––––木の男は、もたれかかっていたわけではなかった。彼は鉄製の大きな()で木に両肩と両脚のふとももを打ち付けられていたのだ。打った杭の周りの服が食い込み、そこから滲み出るように流血がある。ポタ、ポタリと服を伝って直立の状態で打ち付けられた両手の先から鮮血を〈枯雪〉の上へ注いでいく。はじめは少なかったはずだが、今では軽く血だまりができるくらい出血していた。

見るも無残な姿に、普通なら正気を保っていられなくなろうと男を見たレィジは、瞬間、今までとは別種の驚愕に襲われる。

 

(なっ………んなんだあの男は!?襲われてるって言うよりまるで………()()()()()()()()みたいだ)

 

–––––彼は、頰を桃色に上気させ、力が抜け唇の両端から唾液を垂らしながら恍惚に浸っていたのだ。

 

「––––––ああ!もっと、いい!!いいじゃないですかあなた達!神に仇なす下衆とはとても思えない素晴らしい善行ですよええ!」

「………ッたく、きッたねェ顔しやがッて。てめェには用件は一つだからな、それが済んだらすぐにでも殺してやるさ」

「神に寵愛を受け神を誰よりも愛したこの私を、殺すと!?ああおいたわしや下衆の君!斯様な事ができますか!?ああ、神よなんと最上な気分でしょうか!?私をお救いくださるとは!」

「兄貴………早く殺っちまいませんかこんなやつ?こうして生かしておく価値もないでしょう?」

 

彼が大きな声で話すため、レィジには彼の声だけが聞こえていた。

どうやら、このままでは彼は二人、あるいはリーダー格の男一人に殺されてしまうらしい。

(いくら頭がイカれてたって、殺されるのは守るべき、か………)

 

本当はもう少し様子を伺っているべきなのだが、悠長に待っていたら用件が済まされ彼が殺されてしまうかもしれない。

そう考えたレィジは、木を伝って移動し、バレないように彼と彼につめよる二人の少し後ろの木へ移動した。

 

「俺たちが欲しいのは塔に関する情報だ。〈果ての塔〉………それもお前らの管轄なんじゃねェのか?」

「塔!下衆の君らも理解していたのですか!そうです!天高くおはします神に最も近づくことの叶う神聖な場所!〈統森営〉のみに管理の許された塔のなんたるかを知っていたのですね!」

塔、その言葉にさらに気持ち良さそうに顔を歪め、身を捻る彼は、唾液を撒き散らしながら失禁でもしてしまいそうだった。

「質問の答え以外で口を開くことを許可した覚えはねェぞ!答えろ!〈果ての塔〉について知ッている情報を、だ!」

 

激昂したリーダー格の男の声は、レィジにも届いてやってきた。そこではじめて、男が何を求めているかがはっきりした。

(〈果ての塔〉………?何だよ、それ)

まるで聞いたこともない単語に情報を集めたくなったレィジだったが、一向に答えない彼に耐えかねたリーダー格の男が剣を取り出した時点で、そうもいかなくなってしまった。

 

(くそっ、あいつのことだから情報を得るまでは殺しはしないはずだが、拷問くらいは平気でするだろうな………行くなら、今か!)

男が次に口を開いたら飛び出して行けるように、腰の短刀があることを確認するように撫でてから、右手に構えたフックの標準を合わせ始める。ジリ、とうなじに生汗が滲む。そのねっとりとした寒さと相反する感触がレィジの心臓をキリキリと握り締め………。

 

「口を開かないと、指を一つずつ失うことに––––––」

 

刹那!!

口を開いた男の僅か数センチ横に何か金属のワイヤーが突き刺さる!そのコンマ秒後には、男に反応すら許さず、縄がシュルシュルと音を立て、何者かに男は蹴り飛ばされていた!!

男は背中を蹴り飛ばされされたことでつんのめり、両手を地面につけて倒れざるを得なかったが、そこは腐ってもリーダー格の男、空中で重心をずらしてなんとか回避しようとするが––––––!?

 

「シッ!」

「くっ………ああ!?」

 

追い討ちをかけるように、背中を踏み倒された。文字通り、まるで小虫でも踏み潰すみたいに直角に!

それによって完全に地面に倒れ伏した男は、背面から飛び上がって反撃しようとしたが、首筋にあたる嫌な冷たい感触に何もできなくなってしまった。

 

「この男の杭を外して、今すぐこのシャトルから立ち去れ。そうしないならお前らの親玉は死ぬ。俺に攻撃をしかけるのならば相手をするが、こいつよりも強いやつが果たしてお前らの仲間にいるのだろうか。冷静な判断をすることが望ましいと思うんだが」

短刀を男の首に当て、背中に膝立ちになって腕を抑え、膝を立てていない方の脚を股にねじ込み完全に動きを封じてしまった。レィジは強気に出たが、敵に衝撃を与えて怯ませることも目的だったのだ。

 

あまりに一瞬のことに、その場の誰もが言葉を紡げないでいた。今、自分たちのリーダーが殺されようとしている。その命は、たった一人の聖歌隊に見える子供に握られている。

––––––理解しろ、と言う方が無理な状況だ。

リーダー格の男は内心で苦笑してから、声帯が震えるだけでひんやりとした点の感触が首筋にあたるのにひやりとしながらも口を開いた。

 

「お前は、この狂信者を解放してほしいのか?」

「ああ」

「ふん………おいお前ら!武器を捨てろ!今すぐここからずらかるぞ」

「………?」

 

あまりにも早い決断に、レィジ自身が動揺していたが、その動揺は他の四人にも同じだった。

リーダー格の男と共に彼を恐喝していたように見えた、もう一人男がくってかかる。

「兄貴!?まだ何も情報を得てないですよ!?」

「どちらにしろこいつは何も吐かないだろうよ。それよりも、命が惜しいとは思わないのか?死体が喋ッたのを見たことがあるのか?」

「………っ!わ、分かりました」

 

部下たちを丸め込んで、お前らは先に行ってろと命令した男に、不信感を覚えつつも、当初の目的は達成した以上、男を解放しなければならない。

だが、このまま短刀を外しても襲われないという保証は無い。

その旨を男に伝えたのだが、男は首をすくめるようにやれやれと嘆息して一つ。

「手を離していいぜ。俺はお前には何もしないし、できない」

「いや、ダメだ。信用できない。武器を外してもらおうか。そのあとで彼の杭を抜いてもらおう」

「あーッ、たく。分かった、分かったよ。………ほら、これでいいんだろ?ただ一つ忠告しておくぜ?あいつの杭だがな………。俺が外さなくても自ずと外れると思うぞ」

 

じゃあな、と武器を捨てたリーダー格の男が、深く息を吐きながらレィジから離れて行った。

あっけない幕引きに助けに入ったレィジが拍子抜けしていたが、彼の杭は刺さったままだ。男はああ言っていたが、それも真実である可能性は低––––––。

 

 

人間は、理解できないものに会った時、その現実を疑うのだろう。

 

 

 

「下衆よりも下衆とは!あなたは人であることの許されない大罪人だ!!!どうして………どうして、私の至福を………ッ!!!神の宿るこの森と一つになれたこの私の至上を、あなたは理解していない!!」

 

激昂しながら、彼は笑っていた。

両肩と両脚に大穴を開けたまま幽鬼のようにゆらりゆらりとレィジへ向かってくるその様は、死人みたいだ、とレィジは思う。どんな手を使ったのか、堅く打ち付けられていたはずの杭は、木の根元に四つ、転がっていた。

 

––––––ああ、この男はどういう人なのだろう。

 

構図的に、襲われていたところを助けてもらったはずの彼は、その恩人であるレィジに対して怒りを露わにしていた。親の仇でも見るような目で、レィジを睨む。

 

「あああああ!!木との一体化が!!!」

 

ずん、ずん!

彼はレィジに足を強く踏み込んでどんどん迫ってきた。

並大抵の魔物よりも幾分も迫力とすごみのある彼の足取りにたじろぎながら、それでも助けた人に対して声をかけないわけにはいかないと口を開いた時だった。

「あの、大丈………」

 

「ええい、黙りなさい何の価値もない愚図が!」

 

そう言いながら、レィジの両肩にどすん!と手を置いた。置いたというよりも、鷲掴みにした、と言う方が正しいだろう。

「うっ………」

近くで見る彼の顔は、唾液でとても汚れているという点以外で言えばとても整った良い顔をしていた。

キリッ、と直角三角形に折れた眉、口と鼻のバランス、目つき、そのどれを取っても美男と言えた。

服装も、フード付きの白装束のコートのようなものと、聖歌隊ではないのだろうが、言動通り神に仕える者のそれだった。

ただ異様なのが、痛々しく穴の空いた四肢の姿、血の(したた)る太ももや肩口には、貫かれた筋線維がめり込み、服の一部もめり込んで、とても直視できるような状態ではないにも関わらず、穴など空いていないかのように振る舞っていることだ。

 

「ふうん?」

「なっ………!?」

 

彼はレィジと鼻がつくほどに接近したかと思えば、おもむろにレィジの顔をれろぉ………と舐め回し始めた。濃厚に、何度も何度も、鼻の横や目尻、耳の後ろから首筋まで余すところなく舐め回してから、嫌悪感を貼り付け口の中の唾液をぺっ、ぺっ、と吐き出す。

「あなたの頰や耳はとても………塩辛い。本当に神のご加護を受けていないのですか!?愚図の癖をしてこの塩辛さはあり得ない………あり得ない!!!」

 

ああ、あり得ない!と天を仰ぎながら嘆いてみせる彼は、突然を首をグリンッ!ととても人間とは思えないように捻じ曲げた。

「あり得ないあなたは私にはとても………とても手を付けられない!!!ああ、(うるわ)しの神よ、このような障害をもたらしたのは何故か!?––––––しかしあなたの事は覚えましたよ?()()()()()()()()………次に会う事があれば、この森に祝福された私の力で制裁を与えると心得ておけ!!!」

 

「なっ………!?」

 

彼は、首を元の位置に戻して、そのまま喉の奥がひくつくような笑い声を響かせながら歩き去って行った。

しかし、この空間から出るには意思のある木で塞がれたあの道を通らざるを得ず––––––。

 

ズモモ………!

 

「………」

 

彼が大仰に手を開いて天を仰ぐと、それに共鳴したみたいに、木々は元どおりの直立不動の姿勢へと戻っていった。あれほど気味悪く(うごめ)いていた何本もの木は、途端に普通の木に戻ってしまったみたいだ。

 

––––––彼と、彼を襲っていた男たちがいなくなると、途端に静寂が訪れる。

「………」

レィジは言葉を発することもできず、今しがた起きた理解に苦しむ出来事をゆっくりと咀嚼(そしゃく)しながら、そういえば、と顔じゅう舐め尽くされたのを思い出した。思い出すと、突然鼻が唾液に濡れた肌の嫌な臭いで満たされ、今更ながら不快感に溺れそうになる。

それをかろうじてつなぎとめていたのは、今起きた出来事について考察していたからだった。

 

恐らく、彼は木を操る事ができるのだろう。何の為か知らないが木に意思を持たせ男たちと彼のもとに誰かが来るのを妨害していたと考えられる。木を操る事ができれば、彼が杭から簡単に抜け出せたのにも説明がつく。

それほどまでの力を持っていながら、あえて捕まって暴行を受けていたと言うのだろうか。

ただ一つ全く分からない事が、なぜ彼はレィジの名前を知っていたのだろうか。状況的に、彼はレィジの顔を舐めた事で名前を知ったことになろうが………それと木を操る力との関係性が分からないのだ。

 

 

「………分からないものだな」

 

 

考察にも底が尽きてきたころ–––––––レィジは唾液の乾いた頰さすりながら、混乱する思考に眉を曲げたのだった。

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