欠け落ちた翼、咲き誇る戦花   作:氷蜩

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第六話 奇妙な旅路の行く末に

一週間が経ち、三人がジャガールを出る日を迎えた。つい一日前に〈枯雪〉は止み、どことなく閑散とした雰囲気はいつの間にか無くなっていた。とはいえ、ヒルミィが表現したみたいな()()()は未だぬぐえず、積もった〈枯雪〉を撤去するのにもしばらく時間がかかりそうだ。

 

「悪いな、今回は三人ぶんまけてもらっちまった」

(うなじ)をぽりぽり掻きながら申し訳なさそうに言うモーブルに、宿主の初老の男は穏やかに笑った。

「はっはっは………別に良いんですよ。老いぼれにとっては、若い人が三人もこの家にいるのは賑やかで楽しいのです。それより、気をつけてくださいね。噂になっていますよ、今のジュストのこと」

「噂?」

これは珍しくモーブルも知らなかったらしく、熱心に耳を傾けていた。

何も不思議なことではない。地理的に、ジャガールはジュストに近く、ジュストの情報がこうして伝わることはよくあるのだ。実際、情報通ならかなり細かい情報を入手する(やから)もいないわけではない。

この老人はその例からは漏れているとはいえ、不穏な動き程度は察知できるのだろう。

 

「モーブル君は知っているかい?〈果ての塔〉の事だよ」

カウンターになっている受付でひっそりと話す二人から少し離れた椅子に隣り合って座っているレィジとヒルミィには、モーブルたちの会話は聞こえないようだった。

〈果ての塔〉。デルエルを襲った男たちが求めていた情報と一致する。

「––––––ああ、知っている。まさか、森信仰の奴らの動きが?」

「そうなんですよ。彼らは近々、大規模な遠征を行う予定だそうで。どこに何をしに行くのかは分かりませんが、彼らが何をしたとしてもあるのは………」

老人の言葉を、まるで後ろの二人に聞かせまいとしているかのように被せ気味にモーブルは続けた。

「どちらにしろ、奴らが見るのはまさに()()だ。心配はいらないと思うが………忠告に感謝する。一応、警戒するように伝えておくよ」

じゃあ、ありがとうなとカウンターに代金である銀貨五枚をコトン、と置きながら、モーブルは老人に背を向けて、二人の元へ歩き出す。

あっ、と低い声で手を伸ばしかけた老人が、「またのご利用をお待ちしておりますよ、モーブル君」と微笑したのをモーブルは肩越しに見届け、宿を後にする。

 

「ほら、行くぞ二人とも。外の馬車の荷台に乗れ。ジュストまで一気に行くから、荷物も少なくなっている。ここまでみたいな不快感は多少は軽減されるはずだ」

右手でレィジの、左手でヒルミィの肩を叩きながらニヒルに笑うモーブルに頷いた二人は、一言、二言交わしながら立ち上がる。話の続きをしているらしかった。あの夜の話の続きなのか分からなかったが、レィジに比べてヒルミィは少し浮かない顔つきだった。それを旅への不安とととったかモーブルはそのことには言及してこない。

 

「なあ、モーブル」

宿を出て、その横に備え付けてある馬舎まで歩きながら、何でもないように口を開いた。

「なんだ?忘れ物か?」

「違う………ジュストまではどのくらいなんだ」

そう言うと、モーブルは考えるように、「うーんそうだなぁ」唸りながら手を顎に当て、数秒で勘定したのだろう。

「ざっくり、一週間と三日だな。ずっと平地を行くから退屈だがな」

そうか、と相槌を打つレィジは、話題を早く収めようとしているモーブルの様子を見て、考えていた。

 

––––––モーブルには〈果ての塔〉についての情報を聞いていないし、答えてくれなかった。

 

馬舎へ向かう男の、グラーヴェでは見ない類いの背中をじっ、と見つめながら、レィジはこのモーブル・バックという男の事を少し疑うようになった。

怪しさ、というよりは、何となく感じる不可解さと言った方が正しい。彼に戦闘の腕は一見してなさそうだが、それ以外の知恵は時に戦う腕よりも有用なのだ。

(念のため、もう油断しきった態度はモーブルの前で見せないようにするか)

 

旅の出発を前にして、レィジには新たにいくつかの謎が降りかかった––––––が、問題はそれだけではない。もうしばらく旅路を共にしている、行商人のモーブルという男について。疑念がかかっていくばかりだった。さらに、世界の()()についての仮定もある。

 

謎と謎で交錯した状況の中で、レィジはそれでも、前に進まなければならない。

 

 

 

 

馬車に乗ると、モーブルの言葉通り、商品も未だにありはするが、ジャガールまでの時にくらべれば少なくなっていた。とはいえ、モーブルの目的地はジュストであるので、主だった商品たち、つまり大きめの麻袋は未だに荷台だ。

少しだけ広くなった荷台に、いつも通り荷物に紛れて乗り込んだ二人は、今までそうしていたように、荷台の端に寄りかかりながら、馬の背中を撫でているモーブルが馬車を出すのを待っていた。

「まだ無くならないね、〈枯雪〉」

「ああ………無くなるのは、いつも一月とか二ヶ月先だからな。ただ、肌寒さが和らいだのは嬉しい」

聖歌隊をいつまでも装っている必要性はないが、それも、ジャガールを出るまでは聖歌隊を装わねばならない。寒さが和らいだとはいえ、脱ぐわけにはいかないのだ。

「しかし、遅いな」

そう言うレィジたちは、荷台に乗ってからすでにしばらく待っていた。馬の調子を見るというのはこうも時間がかかるものなのだろうか。

そう思って意識すると、モーブルの馬が小さく唸っているのが聞こえる。「また馬車を引いてもらうぞ、よろしくな、ロロ、ルル」

聞いたこともないようなモーブルの柔らかい声は、馬に向けられたもの。

行商人というのは、ただ旅をしながら商売をするという人間ではないのだろう。生き物と、馬とともに生きる彼らは、きっと馬と深いところでつながっている。

 

「さ、行くぞ。お前らしっかりつかまっとけよ」

「はい!」

「………ああ」

 

ようやく出立の時間が来た、と身構える二人の臀部(でんぶ)から背中にかけて、脊髄を通して全身に馬車の車輪が地面を転がる振動が伝わった。ゴトゴトと全身を揺さぶる小刻みな振動は、始めこそ物珍しさに浮かれていられたが、今となってはその揺れも旅の疲労の一因だった。

宿の隣に併設されている馬舎から出ると、朝が早いからか、比較的人通りも少なく、すんなりと門まで辿り着けそうだ。今度向かう門は、ローレンスとホロニウムが守る方の門とは逆方向の門。つまり、男やデルエルが向かっただろう門。

話にだけ聞いている二人と、実際にあの光景に出くわし、あまつさえかき回したレィジにとっては、警戒のいっそう強まるばかりだった。

 

「う、う、う、う」

「あまり変なことをしていると舌を噛むぞ」

「お、兄、ぃ、ぃ、ぃ、ぜっ、た、い、か、ま、な、い、よ、よ、よ」

馬車の振動に任せて声を出すヒルミィの声は、普段の少女の声ではなく、しゃがれた老人のそれに聞こえていた。普通に話すのではなく、振動に任せて話すヒルミィには、常に舌を噛むリスクが伴う。話していて噛むのではなく、揺れで上に浮いた馬車が下に落ちるというこの瞬間に影響されて噛むのでは、受けるダメージも倍増というものだ。

 

「だっ、て、ひ、ま、な、ん、だ、も、ん」

「景色を楽しむとかな………」

「も、う、み、た!」

むぅ、と口を尖らせるヒルミィに内心で肩をすくめたレィジは、自分たちの荷物の入っている麻袋に肘を置き、頬杖をつきながらぼんやりとジャガールを眺めていた。

 

「………楽しむ景色ももうないか」

ただでさえ〈枯雪〉だったのに、それに加えてレィジはジャガールの中をデルエルの時とヒルミィとの夜とで二回歩いて回っている。たいていの景色は見尽くしてしまい、出発の時となった今では、剣を振った宿の裏や子供達のよく遊んでいた通りなど、懐かしく思う場所も少なくなかった。

これが旅をして、そこで過ごすということの本当の意味なのだろう。

 

「………?お兄ぃ?なんか向こうでこっちに走ってくる人影が見えない?」

 

ふと、荷台から身を乗り出し背後を注視していたヒルミィが、後ろを見ながらそんなことを言った。

 

「人影………?」

 

気になってレィジも振り返ってみると、確かに、馬車に向かって走る人影が後ろに見られた。遠目から分かる特徴といえば、白のふりふりが付いた丈の短い上下一体の服を着て走る、レィジと同じくらいかそれ以上の少女であるらしいことだった。

 

「あれは………?」

 

見ているうちに、その表情が必死さを帯びているのが霞んで見えた。そういえば走り方もなりふり構わず、と言った感じである。

そして、そのまま門に差しかかろうといったところだった。

 

「商人さんっ!!待って!お願い、商人さん––––––っ!!」

 

空気を撫でるような鈴の()に近い少女の声は、この馬車を逃せばこの世の終わりとでもいうような声音で訴える。御者台にもそれは聞こえていたし、もとよりそう呼ばれては止まるほかないと考えていたモーブルだったが、レィジの一言に手綱を振るう手も少し鋭くなる。

 

「モーブル!ちょっと止まってくれ!誰かが俺たちに用があるみたいだ!」

 

急停止した馬車の上でバランスを崩しかけた二人は、待っていても少女は馬車まで来るだろう少女を迎えにいこうとした。ヒルミィも共に来るような雰囲気だったため、「ヒルミィはそこで待っていろ、俺が行ってくるから」ヒルミィの制止も聞かず、強引に馬車を降りて走る、少女のもとへはほんの数秒で到着できた。相対してみると、膝に手をついて肩で息をしているため、顔はよく分からないが––––––そのふんわり柔らかそうな真白色にはどこか見覚えがあった。

 

っ!

 

喉の奥から擦り出すみたいに呼吸をする少女を見ていると、それだけ一生懸命に走ってきたようだ。急に現れたレィジに、少女は声もなく驚き、レィジからたたた、と数歩離れてから、ゆっくりと顔をあげた。

 

 

 

「え………?」

 

 

 

だが、その顔は––––––その顔は、見たことがある。

その表情には、その服には、その姿には会ったことがない。

––––––けれど。

 

 

 

「なん、で………」

 

 

 

瞠目(どうもく)する少女を見つめながら、脚が震えていることに気がつき、慌ててその太ももを両手で掴む。自分で制御が効かないくらい、びくびくと震えていた。

 

その少女の顔を、レィジは知っている。

いつか見た、()()()()()()()()()()()。死人のように(うつ)ろに、ただそこにあるだけのような、あの顔。

いま着ている服は、まるで貴族の娘のように酒落(しゃれ)た白い服。血にも濡れていない綺麗なシルクの長髪は灰色の世界に艶かしく、レィジを引きつける。

 

彼は、この少女に、あの日、会っているはずだ。

爆発する様々な感情を今度は抑えることもできず、まず始めにレィジを襲ったのは純粋な疑問、そして恐怖だった。

 

「どうしてここにいる?どうしてそんな格好をしている?傷はどうした?服は?血は?…………答えろ、どうしてお前はここにいる!?」

「えっ、えっ………わたっ、私は、あなたと会うのは––––––()()()()()()()()()()

「なッ––––––!?嘘をつけ!初めてだなんて言わせない!あれは!あの血に濡れた姿は!紛れもなくあんただった!ああ、そうだ!その真っ白な髪も、その綺麗な顔も、身体つきも!血に濡れて汚れていたが間違いない!あんたは………あの時の女だろう!?」

「えっ、えっ、えっ!?」

 

レィジは自分の記憶と会話しているようだったが、そのあまりに気迫のこもった言動に––––––中身では少女のことをべた褒めしていることにレィジは気付いていない––––––少女は頰を染めながら全く何も分からないというように狼狽していた。

手を宙でフラフラさせながら、あたふたするようにぴょこぴょこ小さく跳ねている少女に苛立ちは高まり、声を荒げて肩を掴もうとしたその時だった。

 

 

「お兄ぃ!!!………やめなよ、最近お兄ぃ何か変だよ?疲れてるんだよ、だからはい!さっさと荷台に戻って奥の方で静かに休んでて。むしろ寝てて。起きてこないで!」

 

 

珍しく怒っているように声をあげたヒルミィが、荷台から飛び降り、数メートル先のレィジたちのもとへ駆け寄る。走ってきた勢いもそのままに、ヒルミィはレィジの肩を掴んでまくしたてた。あまりの勢いに、レィジの気迫は(しぼ)んでしまい、よく分からないうちに、言われるがまま荷台に戻らされ、その奥に座らされてしまった。

その位置からではモーブルと近く、モーブルが呆れたような深いため息を吐いているのが分かる。

 

「ったくお前らしくもない。ヒルミィの言う通り、おとなしく寝てろ。情報が一気になだれ込んできたんだろうな」

「………モーブルまで」

少しは頭の冷えたレィジのその僅かな抗議もモーブルの有無を言わさない声に敗れてしまった。

モーブルは少女の姿が分からなかったので、馬に声をかけてから御者台から飛び降り、回り込んで少女の目の前までやってきた。

 

「よお嬢ちゃん。うちのが悪かったな。なあに、気にしないでくれ。ああいう年頃の、たまの発作だよ」

「は、はい」

完全にレィジやモーブルのペースな少女は、同じくらいの年代の少女に会えたのが嬉しいヒルミィに肩を抱かれながら、モーブルと相対していた。

そのモーブルは、ヒルミィの方には目もくれず、少女だけを見つめて言った。

「どうして俺の馬車を選んだ?嬢ちゃんは何を求めて俺のところへ?」

少女はモーブルのもとへ来た、というより、馬車があったから–––––二人がいたから––––––来たという感じだろう。

そう聞かれて、少女は顔を歪めて、答えに詰まってしまった。

二人は、穏やかに、ゆっくりと、少女が答えるのを待っている。

 

 

それを後ろから眺めているレィジは、ある考えにはまっていた。

あの時は怪我から復帰して、大して考えはしなかったが、少し頭をひねれば分かることだった。王との戦闘で、すぐには治らない大きな傷があったはずのレィジは、ヒルミィと共に見つかったという。その時、身体に目立った外傷はなかった。目覚めた時、身体にこれといった異常はなかった。初めはそれもヒルミィの導陣(ルーン)によってか、と考えたが、あれは、同じように重症だったヒルミィが簡単に治せるものではない。で、あれば、レィジやヒルミィの重症の傷を治したのは、あの少女だという可能性が考えられる。

だとしたら、何故。どうやって。

デルエルについて考えていた時、ふと思いついた血濡れの少女との関係性。

もしかすれば、憶測ではない何かが、ここに影響しているのかもしれない。

––––––レィジなりに反省しているため、少女は二人に任せたが、少女に対する疑惑や恐れの感情は、しばらく抜けてくれそうになかった。

今の少女は、あの時の彼女と明らかに様子が違う。演技だとしたら?あるいは、本当に覚えていないか記憶がないのかもしれない。

いずれにしても、少女と直接話すと、また慌ててしまいそうだ。レィジは、やはり少女のことは、二人に任せることにした。

 

 

––––––数秒して、少女はおずおずと口を開いた。

「私………生きる理由を探すために、ここまで来たんです。生まれた理由も、どうしてここにいるのかも、何も分からないから、いつか探しに出たいと思っていたんです。そんな時に、私と同じくらいの年頃の子たちが、行商人の人の馬車に乗っているのを見たんです」

だから、と少女は必死に続けた。掴んだ好機を離すまいと、必死に。

「私の生きる理由は、きっとこの人たちといれば見つかると、思ったんです」

 

これは予想外な答えだ、とモーブルは考えていた。おおかた、レィジやヒルミィと同じ理由か、金が欲しいとか、逃げ出したいとかそんなものだろうとたかを(くく)っていたのだ。

––––––それが、まさかこんな形になるなんてな。

ヒルミィは、やりすぎに思えるくらい大げさに首を縦に振って相槌を打っていた。少女の言っていることもちゃんと耳に入っていなさそうにも見えた。

 

「生きる理由か。それは見つからないかもしれないぞ?例え、光を追っていてもな」

予想外だったからか、モーブルは感慨深い言葉を発してしまったことに、自分で驚いていた。

少なからず、やはり、モーブルはこの少女を羨んでいるのだろう。

「それでも、私は今ここで、あなたたちと一緒に行くべきだと思ったんです………!!」

生きる理由を、探すことができる。その事自体を、羨んでいるのだ。

考える間も無く、ただ生きるために商人の道を選んだモーブルには、レィジも、ヒルミィも、そしてこの少女も………少し、羨ましかった。無論(ねた)む気持ちはもう存在していない。それは、若い頃に捨てている。ただ、そういう子どもは背中を押してやりたくなるものだ、と内心で考えていたのだ。

 

「………どこにあるかも分からないものは、探すというよりも見つけるって方が正しいかもな」

そう告げて、モーブルは御者台に戻っていく。早く荷台に乗れよ、すぐに出るからな––––––そう言い残して。

 

少女もヒルミィも呆然としていたが、モーブルのその言いようは、明らかに、少女の同行を許すものだ。

一瞬反応に遅れたが、認めてもらったことが嬉しくて、どうしようもない喜びで満面の笑みになった少女はふわふわとした体でヒルミィの目をまじまじと見つめる。その口はぱくぱくと開きかけたり閉じたりを繰り返しているのを見ると、言葉も出ないという感じだろう。

 

「ね、なんて名前なの?」

ヒルミィはそんな少女の両手を握って、柔らかく微笑んだ。君の名前は、と。

「私は………私は、ミルキィ。それが名前です」

照れ臭そうに言う少女––––––ミルキィの手を握る力を強めて、安心させるようにじゃあ、とヒルミィは続ける。

「私たちを生きる理由にしたらいいよ!私たち、レンジャーズになって世界を冒険するの!だから………ミルキィさんも私たちについてきたら、生きる理由も見つかりやすいんじゃないかな」

ヒルミィの純粋無垢なその提言に、ミルキィは初めは驚いていたが、心遣いというか、思いやりというか、優しさというか––––––ともかくも、ヒルミィの言葉が嬉しかった。

だが、そのヒルミィの言葉から、レィジは一つ分かったことがあった。ヒルミィは、あの夜のレィジの話をほとんど信じたり、考えを飲み込んだりしていないのだろうか。

 

「はい!ありがとうございます………えっと、お名前は」

「あっ、そっか。私も名前言ってなかったね。私はヒルミィ!それで、さっきの変な人が私のお兄ぃのレィジ。よろしくね、ミルキィさん!」

 

えへへ、とミルキィよりも嬉しそうにはにかむヒルミィは、握ったままだったその手をぶんぶん振り回し、頰が緩むのを抑えられなかった。

 

「こちらこそ、よろしく………それと、()()はいらないですよ」

ふふ、と息を漏らし、首を傾けて、ミルキィもヒルミィの手を振り始めた。

 

なんだかそれが楽しくなって、二人で何度も何度も手を振っているうちに、笑い声を上げるのを我慢できなくなってきたようだ。

 

「はははっ!」

「ふふっ」

 

そうしてどれくらいたった頃だろうか、気がつけば、モーブルが御者台から首を出して二人を見つめながら催促をしている。

 

 

「呼ばれてる!いこ、ミルキィ!」

「………はい!」

 

 

 

––––––()()が、()()()()が運命だとしたら。

いたずらに彷徨(さまよ)うレィジの心は、どこで行く先を見失ったのだろうか。

 

 

 

 

 

ジャガールを発ってからまだ数分と経っていないが、レィジはそこが巨大な山のような台地の上であることを忘れていた。ジャガールに着いてから発つまでの間は、登山していたのがすぐ前の記憶であることもあり、山なのだ、とどこかで意識できていたが、ジャガールの向こう側はもう山の様呈を残してはいなかった。

 

台地を覆うのは天高く伸びる針葉樹。それが林立する地面を縫うようにして馬車が進むのは、荷台が馬たちに遅れて左右に揺れるようだった。

 

「ふぅ………」

 

ヒルミィに怒られた手前、レィジはおとなしくしている他できず、御者台と荷台が接続されている部分に背中を預けて狸寝入りを決め込んでいた。

そうしていると、自然音というか、環境音というか––––––が、かえって澄んで聞こえてくる。

車輪がまだ積もっている〈枯雪〉の上を走るさりさりという摩擦音や、風で葉が揺れるさわさわという音。

 

だが、レィジの耳に届いていたのはもっと違う類いの()だった。

 

「改めてよろしくね、ミルキィ!私、ヒルミィ・クロイツっていうの!私たちは、これから行くオアシスシャトルのジュストでレンジャーズになるの。そのためにモーブルさんに乗せてもらってるんだっ」

 

よろしくね!とはにかむ彼女のすぐ隣に座っているミルキィには、ヒルミィと出会って同行を許された時のような頰の柔らかさはなく、僅かに引きつっていた。

下から覗くようにミルキィの名前を呼ぶヒルミィに、ミルキィは何か言葉を発しようとしているみたいに唇を震わせる。

 

吐息とともに発せられた言葉が、馬車の揺れを追い越していく。

 

 

「私、ね。自分がミルキィって名前だってことしか………覚えてないの。自分が何者なのかも分からない。お母さんもお父さんも分からない。私は一人なんだ。––––––ただ、分かるのは、私の小さい時の記憶らしいんだけど………同じくらいの歳の男の子と一緒にお花畑を歩いている私の姿。だから、私が生きる理由を探しているのは、男の子を見つけることに繋がるんじゃないかって思ったからなんだ」

 

 

やけに静けさの増した馬車の上で。頭に響く微かな声が葉に跳ね返って高くなる。まるで白い空間に一人だけ取り残されたみたいな感じがした。車輪が転がる葉の裏側すら感じられるようだった。

少しの間時が止まっていた荷台の後ろで、(またた)く光を見た気がした。

 

 

「………ミルキィ!ミルキィは一人じゃないよ!だって、だって私がいるもん!私がミルキィの隣にいるから!だからミルキィは一人じゃない。誰も覚えてなくても、私が覚えてるからっ」

 

 

だからっ、喉奥から引っかかるように出された言葉に抱かれて、ミルキィは目が熱くなるのを感じた。

 

 

「だからミルキィが生きる理由を見つけた後も、男の子と会っても、ずっとずっと私がそばにいるっ」

 

 

(ほとばし)る感情のままに彼女に飛びついたミルキィは、泣き笑いみたいに呟いた。

 

ありがとう、ヒルミィ。

 

まさしくミルキィは、その時真に命を受けたのだろう。

 

 

––––––そうして迎えた夜。

いつにもまして暗く、肌寒く、心細いような闇夜で、赤と黄色に(ひらめ)く火の粉舞う焚き火を囲っているのは、ヒルミィと彼女とぴったりくっついて座るミルキィ、モーブルの三人だった。

 

焚き火には串に刺さった動物の肉と、石造りの鍋に入った香ばしい匂いのスープがあった。それが彼らの‪今晩の‬夕食なのだろう。

焚き火のすぐ横では、普段は御者台にぴったりとつながれている馬二頭が寝息を立てている。夜の間手綱は、御者台につながれてはいるものの地面に横になれるくらい緩くされているのだ。

そのほか、荷台に軽く布がかけられていたりはするが、基本的に焚き火の明かりが十分に届く範囲で荷物類は固まっている。モーブルのすぐ後ろで馬が横たわり、ぐるりと回って反対側に座るヒルミィとミルキィの後ろに荷台があるという構図だった。

 

「ほら、冷めないうちに食っておけよ。しっかり食わないといざって時に困るからな。一食を(ないがし)ろにするやつは、一食に泣く」

「モーブルさん、このスープとっても美味しいです!!やっぱりモーブルさんの作るご飯は格別ですよ!」

頰をとろとろにしながら幸せそうに目を(つむ)るヒルミィが食べているのはモーブルの作るスープ。立ち上る湯気から肉や香草の香りが漂い鼻をくすぐり、欲望のままにスプーンで(すく)えばとろっとしたスープに包まれた具材が焚き火の光を反射して白み、口の中がそわそわと唾液で満たされる。

「ありがとうございます、モーブルさん。ヒルミィと、その、レィジさん………は、戦えるけど、私は何もできない。なのに乗せてくれて」

「ふん、気にするな。ジュストまで短いからな。子供が一人増えたところで変わらない。最悪の場合を考えたとしても、働く人間が一人でも多いほうがいいだろ?」

串に刺さった半焼けの肉を、口の端に血を付けて(むさぼ)るモーブルがニヒルに笑う。

豪傑でさえあるモーブルにミルキィはありがたくも苦笑して、手元のスープを(すす)った。

「おいしいっ」

反射的に出た言葉が存外に大きくて、ミルキィはほんのり顔を赤らめる。

「………まだあるからな、食いたければ好きにしろ」

肉の無くなった串を焚き火の薪代わりに炎の中へ投げ、自分のぶんのスープをよそった。

旅の途中にしては豪華な料理は、少なく安価な食材でいかに腹を満たすかという命題と長い間戦ってきた行商人の知恵の結晶だった。実際今日の料理には最安値ほどの食材しか使われていない。

パチパチと薪の上で炎が舞う。

そのどこを探しても––––––レィジの姿はなかった。

 

 

 

 

焚き火から離れ、森に明かりが隠れた深い闇の中、ランタンを片手に木に寄りかかる人影こそが、レィジその人だった。

早足で飯を済ませたレィジは、見張り役に買って出て、モーブルからランタンを借りてここまできた次第である。

レィジが今あの場で三人と共に飯を食うのは、いささか不安だった。レィジがミルキィとの出会いでかました、例の詰問のことだ。単純にミルキィに悪い印象を与えただけでなく、ヒルミィの信頼を大きく欠くことになったこの行為に、つい数日前物寂しさに兄のもとを訪れたうさぎのようなヒルミィは姿を消し。今では、兄に食ってかかる小さな肉食動物のようだった。

 

「ふう………ったく」

 

はじめこそ短刀の鍛錬をし始めたレィジも、雑念の多さに集中できずにすぐに中断し、苛立ちのままに襟足を掻き毟《むし》る。その手の動きに合わせてランタンが揺れる。煩雑なオレンジがゴツゴツした木の幹を駆け巡った。

 

「ひっ」

「誰だ––––––ッ!」

 

そのランタンに反応したのか、レィジの背後で驚く高い声が聞こえる。

即座に反応し、短刀を引き抜いて構える。声の主と相対した彼が見たのは、闇の中で目立つ真白の長髪だった。

短刀を構えているレィジを見て––––––ミルキィは腕を抱きながら、手に持ったランタンをおずおずと前に掲げる。レィジに用事があって来たようだが、その距離感は会話をするようなそれではなかった。

 

「………何の用だ」

 

できるだけ動揺を見せないように感情を隠して言ったレィジの声はかえって棘ができてしまった。そのせいか、或いは‪今朝の‬出来事のせいか、ミルキィは一つ一つ言葉を選んでいるようだった。

 

「あの、レィジ、さん。その………‪今朝の‬ことなんですけど。ごめんなさいっ。私がもし、あなたとどこかでお会いして、迷惑をかけていたのなら謝ります。でも私には、過去の記憶がないので………思い出せないんです」

 

ひょこひょこ頭を下げる必死な彼女を見て、一瞬はまた激昂しそうになる。

演技なら早くやめればいい、そう言ってしまいそうに。

 

「………っ」

 

だが、こうして素直に、夜の森を一人で、ヒルミィにすら付き添って貰わずにやってきた彼女の勇気と、今朝ヒルミィに言われた言葉が重なって、レィジはすんでのところで止まることができた。

代わりに口から出てきたのは、あとから考えてみればおためごかしたような文句だった。

 

「………朝のことは、本当にすまないと思っている。急に声を荒げて悪かった。怖い思いをさせただろう?本当に、悪かった………()()()()()()()()()()とお前が似てたんだ。それであんなことをしちまった俺の浅はかさを、許してはくれないか」

 

この通りだ、と頭を下げていたミルキィに今度はレィジが頭を下げる。

小さい勇気を必死に振り絞って謝りにきたヒルミィに、レィジは手を横に下ろして身体を折り曲げ、心から謝っていた。

 

「えっ、あっ、その。わ、私が覚えていないのがいけないので頭を下げるのは………」

「いや、いいんだ。頭を上げてくれ。謝るのは俺の方だ。勘違いで初対面の君を傷つけてしまったんだから」

 

一変して好少年に風変わりしたことに困惑を隠せない様子だったが、レィジの真剣そうな顔色を感じ取ったのだろう、目尻に入っていていた力が抜ける。ヒルミィが持つランタンが揺れ、木に光が当たると、自然と離れていた距離が少しだけ近づいたような気がした。

 

「………改めてよろしく頼むよ、ミルキィ。俺はレィジ・クロイツだ。ただのシャトル育ちの少年っ、てところだな」

––––––実際、レィジもヒルミィも、グラーヴェという環境で〈森の羅針盤〉を手に入れている時点で普通とはかけ離れた子どもなのだが、二人ともそこに気づいてなかった。

「わ、私はミルキィです!ふつつかものですがよろしくお願いします!!」

(つが)いになるわけじゃあるまいし………ああ、よろしくな」

 

途端に砕けた調子になったレィジに戸惑いながらも、演技には見えないその様子、ヒルミィの兄という事実、その二つが、ミルキィに、レィジの本来の姿を悟らせたのだろう。

ヒルミィに見せるものとはまた違った類いに見える柔らかい笑顔で、ランタンを持っていない方の手を差し出す。

 

「誤解が解けた印です!握手しましょう!」

まるで幼子のようにはしゃいでいるのを見ると、レィジとの諍《いさか》いが解けたのがよほど嬉しいみたいだった。

ヒルミィの兄なのだ、仲が悪いままでは悲しいのだろう。

 

「握手………?」

唐突な提案に首をひねるレィジの手を、待ちきれなくなったミルキィはがしっ!と掴むと、ヒルミィにされたみたいに、ぶんぶんと上下に振った。

 

「握手です!握手!」

「わかっ、分かったから普通に握手はできないのか!?」

「握手っ、握手!」

握手というだけで––––––ヒルミィがしていたみたいな握手を、今度は自分がレィジにしているという握手で––––––なんだか無性に嬉しかった。

 

レィジもレィジで、大げさに喜ぶミルキィに苦笑しながら、しばらくされるがままになっていた。

 

ランタンの光が揺れる。

その光の上に、交錯する二人の人影が踊っていた。

 

 

(本当にこれでよかったんだろうか)

 

 

レィジの目の前ではにかむミルキィをぼんやりと見つめながら、疑心暗鬼に探るのは、ジャガールを出てすぐに交わされた会話のことだった。

 

『………同じくらいの歳の男の子と一緒にお花畑を歩いている私の姿………』

 

ミルキィは確かにそう言っていた。

()()()を歩いていた、と確かにそう言ったのだ。

ミルキィの、記憶喪失であるミルキィの大切な記憶。

花畑を共に歩く少年と少女。

––––––血濡れの少女に会った時脳裏に閃いた、()()()()花園の記憶。

 

(偶然にしては情報が揃いすぎている。本当にミルキィは………血濡れの少女とは違うのか?)

 

レィジとしては、きっと同一人物なのだろうという気がしてならなかった。

 

是か、否か。

 

それを知るにはミルキィの記憶が戻るのを待つ他になさそうだった。どの道、ヒルミィとミルキィの仲が進展した今、今後ミルキィと旅路を共にするのだろう。

 

ならば、今のうちにミルキィとの間に荒波を立てるのは相応しくない。

––––––打算にまみれた()()()()謝罪。

 

レィジはなんとなく、この選択の先に自分が求めるものがあるのではないかと、確信していた。

 

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