オアシスシャトル〈ジュスト〉は、連合政府の首長のオアシスシャトルであり、連合政府参加シャトルの各首脳がしばしば訪れる。それだけではなく、レンジャーズの仕事や管理を行う場所である〈ベースキャンプ〉の規模も随一だった。
それゆえに、各地から様々な目的を持ったレンジャーズやレンジャーズ志望の人々がジュストを訪れる。
商人的に見ても、そういう理由から、種々の土地の特産品の集まる場所であるジュストは訪れるべきポイントなのだ。
モーブルが行商人としてジュストで商売をするようになったのはつい最近のことで、それまでは売り込みに行っても他に紛れてしまうだけだった。けれど、年の功がそのあまたの行商人を出しぬき、こうしてジュストで商売をやっていけるだけの土台を作り上げたのである。
「明らかに変わったな………」
ヒルミィとミルキィの中に割って入るのはよそうと、レィジは相変わらず御者台のすぐそばであぐらをかいていた。
そう呟いたのは、誰に向けたものでもなかったが、手綱を振るう破裂音とともに、モーブルの低い声が響く。
「ああ………この辺りからジュストまではもう半日とかからない。ジュストが〈空の大樹〉の街と言われている
「気になってはいたんだが、そもそも〈空の大樹〉とはいったい………」
未踏の場所の地理の話にはついていけなかったが、一つだけ食いつくことのできる話題があった。それが、ジュストのもう一つの名前。すなわち、〈空の大樹〉の街の由来だった。
それを聞いたモーブルはからかうように笑っていた。
「まあ、これもレンジャーズの
「………そういうものなのか?」
不服そうに口をすぼめるレィジに、ピシン!という手綱の音が聞こえた。
「そういうものだ」
ジャガールを出発してから一週間が経った。モーブルの道の選び方がいいのか運がいいのか、その両方かは分からないが、これといったトラブルもなく順調に進んでこれた。
もう一つ、順調とは言い難いが変わったこともある。
「レィジさん!見てください、木が少なくなって道が開けてきましたよっ!!」
「ああ、もうすぐでジュストに着くらしい………あまり身を乗り出すな、落ちたら危ないからな」
「ほら、ミルキィ、危ないよっ」
それは、レィジとミルキィの関係だった。あの夜の日以降、二人はしばしば話すようになり、レィジもそれを受け入れていた。出会いの強烈さゆえか否か、ミルキィは積極的にレィジと会話しようとしているのである。
反比例するように、あれからヒルミィとの会話はなかった。レィジは、ミルキィにとった態度に腹を曲げているのだから、こうして関係がよくなればそれもおさまると思っていた。だがヒルミィは、レィジがミルキィに謝りミルキィもそれを許したと聞いても、小型の肉食動物のまま。
(まさか………でも、あれは必要な話だったはずだ。ヒルミィも、この世界にもし続きがなかったら、受ける衝撃は予想していたのといないのでは大分小さくなるだろう)
レィジが考えていのは、憧れを否定したあの会話。
この世界に続きがなかったら?
その仮定の話。
あるいは、ヒルミィは、その話を聞いたからレィジとあまり話さなくなった––––––ヘソを曲げたというより、怒っているような、そんな印象になっていたのかもしれない。
それが原因なら、レィジに為すすべはなく。
ただ、ヒルミィとの亀裂に眉をハの字に曲げることしかできなかったのである。
「ねえミルキィ?ジュストってどんなところだと思う?」
ぼうっ、と空を––––––針葉樹林の鋭い葉で包まれた空を––––––見上げるヒルミィはなんとなく、という風に聞いたのだ。
ミルキィもミルキィで、頬杖をついて荷台の外を眺めていた。緩やかな斜面に傾く麻袋を背に、上の空の様子で答えるのだ。
「んー。私が知ってるのはジャガールだけだからなぁ。どんなところだろ。楽しいところだといいなぁ」
「きっと楽しいところだよっ」
欠伸でもしてしまいそうな間延びした会話を又聞きして、 平和なものだと頰を
「おあつらえ向きだな」
無意識のレィジの言葉に、モーブルは珍しくしばらく答えなかった。
「まるで森の意思がそうさせているみたいだな。そう見えるのも仕方がないが、これはあくまで純粋な自然物だ」
モーブルにしては歯切れの悪い応答に疑ぐりもかけたが、それ以上問答は続かなかった。
サワ–––––––。
荷台の横、御者台の向こう、四人の周囲から、木のさざめくのが聞こえた。葉と葉が
「風が強くなってきたのかな?」
ミルキィがはためく長髪を抑えながらヒルミィに視線を送ると、ヒルミィは先ほどまでの抜けた調子から一変して、パントリーの本に手をかけ、中腰になって目を光らせていた。
「………ミルキィ、麻袋の間に隠れて」
「えっ、でも………う、うん」
「––––––モーブル」
「ああ、分かっている。準備を頼むぞ」
それはレィジもモーブルも同じで、旅の
指で弾けば今にも切れそうなその糸を、得ずして
何かの割れる、ピキという音とともに、空気が裂けた。
ドドドド––––––ッ!!!
何が起こったか分からないミルキィをよそに、馬車の周りの木々は一斉に様相を一変させる。
(串刺しっ!?)
ミルキィが慌てて首を麻袋の間から伸ばすと、三人はどうしてか落ち着いていた。手に持った本をあるページで止めて、反対の手に持ったペンをくるくると回しながら、ヒルミィは小さく呟く。
「風の
––––––刹那。
馬車の周りで風の壁が立ち上がる。ヒルミィの声に応えて馬車を守らんと
「すごい………」
場違いにもただ感心することしかできないでいたミルキィを置いていき、木々の猛攻はほとんど止んでいた。
その時点で、馬車は無傷。
荷台の上に立ち、御者台越しに彼方を見つめるヒルミィと、荷台から降りてロロとルル、二頭の馬の前でフックを構えるレィジの凜とした立ち姿は、あまりにも現実とは乖離して見えた。
毅然とした少年と少女を挑発するように、
「なっ………地面が盛り上がってる!?ヒルミィ、どういうことなの!?さっきも、木が––––––」
思わず立ち上がったミルキィが喰いつくように問いただすのを、ヒルミィが手で制す。
「落ち着いて、ミルキィ。驚くのは分かるけど、冷静にならないと」
「あっ、うん。そうだよね」
一緒に深呼吸!
ヒルミィが肩で大きく息を吸うのに合わせて、ミルキィも肩を上下させた。何回か繰り返しているうちに、動転した心は融解していく。
「森を偽り神を喰む」
それはいつかどこかで聞いた物語の一節。神に歯向い最期まで闘った者の愚談とされている。
「森を孕み世界に
最期の瞬間に暁に濡れる遠い空を見ながら頬を伝う雫の理由を考えながら思い出したのは、なぜこうしているのか。その理由だった。
「それって………」
「ミルキィも知ってる?御伽噺の中の言葉だよ。–––––でもね。御伽噺って、夢みたいな話だけど、嘘なんかじゃないんだ」
「嘘なんかじゃ、ない?」
そう––––––これから起こるだろうことに反してやけに沈みきった馬車の上。
そう––––––これから受肉する命の灯火が魂を
「それは森を偽る獣の話。それは神を恨んだ獣の話。………〈擬森獣〉、それは森を
かつて、人は言った。
あの獣は、どうしてすぐに眠ってしまうのだろう?
かつて、人は言った。
あの獣が眠ったあとの地面では森が華やいでいくよ。
かつて、人は––––––彼らが犯した過ちに叫んだ。
ああ、どうしてあの時止められなかったのだろうか。
ゴオオオオオオ––––––ッ!!!
「ひっ」
盛り上がっていた土の中から、彼方を揺らす怒号が響く。馬車すらもゴトゴトと揺らしたその声で、大地が裂け、隆起していた地面の下から何かが這い上がってくるのが見えた。
はじめに現れたのは、地面を掻き掴む大木のように太い手二つ。その手が地面を押すように力を込めているのが遠巻きからでもよく分かる。まるで中にいる何かが起き上がろうとしているみたいだった。
ピシッ。
たったそれだけの音が、目覚めの
「ヴォォォォォォォォォォッッッ!!!!!」
中から現れた
「〈統森営〉も手を焼く幻獣だ!大地の下で眠ることで森を養分として、長い年月をかけて森を取り込む厄介なやつだ!………レィジ、ヒルミィ、頼んだぞ!!」
声を荒げるモーブルが、御者台で中腰になって、馬の先に立つレィジと、真後ろで導陣の本を構えるヒルミィを激励すると、タイミングを見計らったように〈擬森獣〉は動きだした。
ゴゴゴ…………!!
「きゃっ」
その一挙手一投足すら地震。彼の獣は自然を喰らう。
「ミルキィ!座って、出来るだけ身を隠しておいて!」
「う、うんっ。ヒルミィ、気をつけてね」
本とペンで埋まった手を握れなくて、潤んだ瞳で見つめると、彼女は場違いに思えるほどにはにかんで見せた。
「任せて!あんな亀一匹に遅れをとりはしないよ」
「ヒルミィ………うん!」
頷きあう二人を背に、〈擬森獣〉は土塊に塗れた顎門を大きく開き、周りの大気を吸収していた。その吸い込む力で、彼の獣の近くの木は激しくたなびいている。
「ヒルミィ!風障壁だ!俺は奴を直接叩く!馬車は任せるッ」
言うと、レィジはフックを木に向けて放ち、〈擬森獣〉の横側に回り込んで行った。
そのレィジの姿が見えなくなるかならないかというくらいで、何重奏に紡がれた幻獣の
「––––––ッ!!!」
彼の獣は、扇のように大気に広がるはずの咆哮を、筒に入れたみたいに直線の軌道を無理やり描かせ、一点に集中させていた。もはやそれは咆哮ではなく、龍が如く。
「風障壁っ!!!」
土を抉り、木の根を搔き消しながら韋駄天が如く疾駆する咆哮を迎え撃つは風の防壁。
––––––が!
「うっ、風障壁が………!」
ヒルミィの風障壁に直撃する咆哮が、じりじりと壁を凹ませて行くのが荷台越しに見て取れた。
(ヒルミィの風障壁は風の壁みたいだけど、あの咆哮は空気を吸って放ってるから………相殺しちゃう!でも、幻獣の方が強いから………)
ミルキィが思う通り、このままでは押し負ける。
咆哮に揺れる馬車の上で、パントリーのページが風障壁の中にすら伝わる風でパラパラとめくれていくのを、ページに目もくれずにペンを持った方の手で止め、目にも留まらぬ速さで図形を描いていく。
「転移の導陣、点果!」
同時、黒い円が咆哮と風障壁の間に現れる。その円に当たる咆哮は、徐々に姿を消し、数秒後には全て無くなっていた。
「ほ、咆哮が!!」
驚くのも無理はなく、ミルキィには風障壁が押し負けることなく咆哮がひとりでにどこかへ行ってしまったように見えるのだ。
しかし、点果は転移の導陣。
ババババババ………!
幻獣の周囲を取り囲むようにして無数に展開される黒い円から、コンマ一秒すら空けずに咆哮が飛び出していく。
「えっ、咆哮が………」
自らが放った咆哮に、三百六十度
「点果はね、あの黒い円で何かを転移させることができる導陣なの。咆哮ごと、幻獣の周りに転移させたってワケ」
「………」
簡単に言うが、幻獣クラスの咆哮とあれば、そこらの魔物が放つ攻撃とは比べるべくもない。
それを、一つも逃すことなく点果させてしまったヒルミィの導陣に関する実力は、もはや、枠にはめていいものではないのかもしれない。
ミルキィには、咆哮を延々と照射され続け、幻獣は自分の首を自分で締めたように見えたが–––––。
「––––––!!!」
ふん!ノミ風情が知恵を絞ったようだが、その程度でこの俺をどうにかしようなど………
(そんなっ、無傷だなんて!ヒルミィが全部咆哮を返したのに!?)
咆哮の威力は、硬い地面ですら抉られるほどである。抉られる………それも、人一人ならば丸々入ってしまいそうなほどに、だ。
それを受けて無傷。
その事実に
「舐めるなよ亀
炎の導陣、業火。
レィジが右手の甲に描いておいた導陣を発動すると、炎から生まれた天翔ける五頭の龍が幻獣の元へと放たれる。だが、レィジでも分かっているはずだ。その程度では効かない、と。
「………ッ!!」
間髪入れずに二つのフックを、五頭の龍の内の二頭に射出し、打ち抜きながら幻獣の肩を貫く。
さながら、炎の槍が幻獣の肩に刺さったようだった。
この硬い幻獣の肩に突き刺せたのは、かつての幻獣の王と相対した時にも互角に渡り合える剣を作り出した遺鉄鋼の為せる業。肉に突き刺さり、逆に
そのフックを、レィジは大地にも射出して固定する。たった数秒程度にしかならないだろうが、幻獣の束縛に成功したのだ。その幻獣に追撃をかけるように、甲羅にした大地に映えた木や、身体に巻き付いた木の根が、業火の龍によって加速度的に燃え上がっていく。
「今だヒルミィ!!」
レィジが荷台を振り返りながら叫ぶと、言われずとも分かっているという風に既にパントリーの上でペンを動かしていた。
「旋神の導陣、
––––––ああ、森の木の向こうにある太陽が落ちてきたらこんな風なんだろうな。
ミルキィは幻獣の真上に現れた
だが、その焔は蹂躙の花園。十数メートルの体躯を誇る幻獣をしてまるまると飲み込んでしまうほどの白い焔が幻獣に直撃する。さしもの幻獣も、これにはひとたまりもないはず………とミルキィがいつのまにか握りしめていた拳とともに荷台の端から視線を前に向ける。
白い焔は幻獣を飲み、幻獣は創世の花束に食われた––––––はずが。
「––––––!!」
「なっ!?」
「うそ………!」
「こいつぁ––––––相当だな」
右手を掲げた幻獣の、その右手に、白い焔は集約されていく。飲み込んだはずの幻獣に逆に飲み込まれているようだったが、あれは、右手が全身の身代わりとなって白い焔を受け止めているのだろう。
その証拠に、白い焔を受けた右手は、直径数メートルという大木ほどだったのが、跡形もなく焼け消えなくなっている。
幻獣は、右手で受けきった衝撃に耐え兼ねたのか、ゆっくりと右に倒れ込んでいく。
ズドォン!
再び地を鳴らした幻獣の背中で延焼していた木々の火が、幻獣の近くの針葉樹に燃え移ろうとしている時だった。
幻獣もこれは傷も深いだろうと、態勢を立て直すべく後退するレィジの背後で、
ミルキィとヒルミィからはそれを見て取ることもできず、倒れ込んだまま動かない幻獣に警戒しつつ、反応のないレィジを目で探していた。
(レィジさん、まさか幻獣の攻撃を受けて………!?)
身を乗り出して必死にレィジを探すミルキィの、その視線の先だった。
ズドォ!
「………!!」
何かに飛ばされたのか、身体がくの字に折れ曲がったレィジがコマ送りのコマをスキップしていくみたいに通り過ぎていく。
「レィジさんっ!?なっ、どういう………!?」
あまりの出来事に顔を真っ青にして、荷台から飛び降りてレィジの元へ駆けていくミルキィ。彼女には、状況を分析してレィジの身を案じ、助け出そうと考えるだけの冷静さがあっただろう。
––––––だが。
「お兄ぃ––––––っ!?」
ヒルミィは、パントリーの本とペンすら荷台に落とし、もはや手に何も持っていない状態で荷台を飛び降りる。
そうして、隣で走るミルキィが見えていないのか、一心不乱にミルキィを追い越し、レィジが飛ばされた方へと駆け抜ける。
「まっ、ヒルミィ!待って!ヒルミィは馬車を………!」
ちら、と馬車を振り返り、モーブルを見ると、首を振っているのが見えた。それが何を意味しているのか、何に対しての否定なのか、ミルキィが掴みあぐねていると。
背後で、木々がざわめくのが聞こえた。
「お兄ぃっ!お兄ぃ––––––っ!!」
レィジを呼び、ひた走るヒルミィの––––––左側。
地面に倒れ込んだはずの幻獣が、倒れながらも口を縦に開け、咆哮を放っているのを確認し。
瞬時に、その咆哮が、ヒルミィに直進しているのが、分かった。
「おに………あっ」
自分の横で何かが迫るのに遅まきながら気づいたヒルミィは、すぐ目と鼻の先で空気を震わせる幻獣の咆哮と目が合った。––––––ニィ、と口角を吊り上げているその目と。
「ヒルミィ––––––ッ!!!!」