ナイトローグの再評価を目指す話   作:erif tellab

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エピローグ

 八月も下旬を迎えた頃。手術が成功に終わった数馬は、割り当てられた病院の個室で夏休みの課題に追われていた。長ったらしい記述が求められる数学の問題に、物凄い形相でシャーペンを走らせる。ずっとベッドの上に座っていても疲れるので、時々立ったりと姿勢をよく変える。

 答えの丸写しはしない。問題と解答を交互に見ていくよりも、何かと自力で解いていった方が早いからだ。途中でそれを察し、解答はカバンの中に仕舞った。ただでさえ机のスペースが限られているので、余計に圧迫はさせたくない。それと、例え入院していようが課題免除といった慈悲もない。現実は非情である。

 ハザードレベルが高いおかげで、普通なら死んでいてもおかしくない一撃を耐え切るのみならず、治癒力も人並外れていた。既に胸の傷は癒えているが、担当医が定めた完治日数にはまだ足りていない。頑なにドクターストップが掛かっているため、まだ退院はできていなかった。

 

 致命傷で意識を失ってから、初めて目覚めた時の事。その時は両親や妹だけでなく、親戚たちにも話が行き届いていたので、数日間は実に大変な騒ぎに包まれた。最初は家族に物凄く心配されたが、落ち着いた頃に変身していた件やエジプトへ飛ばした件などを激しく追及され、説教を食らった。何度謝った事か。

 部屋を出れば、廊下側には複数の黒服が警備についていた。どうして厳重に守られているのかは語るまでもない。自分だけでなく、父・母・妹の三人も“メガウルオウダー”なるもので

 変身していたのだから忙しい。まだ一夏と交友関係がある程度の時は、こんな露骨さはなかったような気がする。精々、自分が住んでいる地域での不審者情報ゼロが数年間維持されていたぐらいだ。

 ちなみに、ピンク色のダークネクロムに変身した妹がその写メを自分に送りつけてきた。その後、今度は両親も揃ってダークネクロムに変身して自撮りしたものが送られた。変身状態を見てみたいとは口ずさんだが、よもや家族全員がやってくれるとは思わず、かなり驚いた。

 

 テレビでは二週間以上も前に太平洋の中心で生まれた、謎の列島について飽きずに報道されている。一夏や弾などの話によると、弦人とナギが吹き飛ばしたエニグマの残骸で出来上がったものとの事。そんな二人は今、京水も混ざって被災地のボランティアに参加している。ナイトローグがいるとニュースになっていた。

 最上魁星の死亡も確認され、自分と同じく意識不明の重体だった千冬も復帰。それを聞いて安心したのは当然だが、やはり世界最強と言っても人の子だったかと妙に安堵した部分もある。それは畏怖と畏敬の念から来るものだった。

 

 記述問題を最後の文章まで一気に書ききる。すると、不意に五反田兄妹が部屋に訪れてきた。数馬は課題のノートを閉じ、彼らを迎える。

 

「お邪魔します、数馬さん」

 

「見舞いに来たぞ、数馬」

 

「よっす、お二人さん」

 

 容体が回復してからは、面会謝絶といった制限はなくなっている。いつもは家族が毎日見舞いに来てくれるのもあって、知人や友人がこうしてやってくるのは相対的に珍しさを覚えてしまう。もちろん、無理に来いとは言わない。

 

「蘭は何気に来るの初めてだっけ? ごめんな、入院したのが一夏じゃなくて。来てくれてサンキュー」

 

「縁起悪い事言わないで下さいよ、怪我しないに越した事ないんですから! 後、まだ大したお礼もしてないですし」

 

「いいよ、お礼は。夏休みの課題は全部一人でやるし」

 

 礼とは、エニグマから弾の家族を脱出させた件についてだ。特に恩着せがましくするつもりはないので断るが、なかなか彼女は引こうとはしない。そこに、弾が一言割って入ってきた。

 

「数馬。食べ物の制限とかなければ購買で何か買おうか? 俺が行くから」

 

「あっ、待ってお兄ちゃん。それなら私が代わりに行く」

 

「食べ物は全然オッケー。じゃあー、チーズタルトで。お金出すからちょいと……」

 

「いえいえ! 怪我人にそこまでしませんから! ここは私にちょっとだけでも奢らせてくだ……さい!」

 

 財布を出そうとしていた数馬を、慌てて制する蘭。気持ちだけでは感謝し足りないと言わんばかりだが、奢るの部分で若干の間が空く。どこか迷っていそうな顔をしていた。

 しばらく眺めていると、蘭の瞳が揺らぎ出す。やがて彼女はそれとなく視線を兄の方へとやる。静かに一度目を瞑った弾は、妹の懇願を叶えるようにして二千円をそっと彼女に渡した。

 

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 そう言って、蘭は自身のスッカラカンな財布に千円札二枚を入れて購買に出掛ける。一部始終を見ていた数馬は、物珍しげな表情で弾に話し掛けた。

 

「野口二枚上げるとか優しい兄貴だな」

 

「この間の買い物で金欠になっていたはずだからな。それで傷の具合は?」

 

「もうすぐ退院。昨日は一夏で、今日は兄妹か。ニアミスだなぁ〜」

 

 見舞いするタイミングの悪さに内心笑えてくる。蘭が一夏に惚れ込んでいるのは、随分前からわかりきっていた。この調子では進展の芽がない事も。とは言え、それは突き詰めれば他人事でしかないので、昼ドラを見るような気分で面白可笑しく傍観者を貫くつもりだった。事件沙汰にもならなければ介入もしない。

 一夏が来た事を聞いて、弾も苦笑する。その表情からして、妹の恋路を応援してやるという感じが全くしない。むしろ、どうせ玉砕するだろうと冷たくも優しく悟った顔だ。見守る方向性が明後日になっている。

 それから二人は沈黙する。その時間は数秒にも満たないが、たちまち真剣な顔つきに変わった弾を見て、数馬は粗方察して耳を傾けた。

 

「……しばらく経つが、やっぱり最上の言いなりになっていた間の蘭の記憶がない。戻る様子もだ」

 

「……そっか。じゃあ、いーじゃん。引き摺らなくて済むし、未来の笑顔も守れたって事で」

 

「それでも誰かを殺めた事実は変わりやしない。だが、取らせようがないのに責任を突き付けるのは酷だ。だから……」

 

「だから?」

 

「その罪は代わりに俺が背負って行くしかないんだ。弱いというだけで、大切なものがどんどん手の中から溢れる」

 

 淡々と呟かれていくが、その意志の硬さは本物だと感じられた。己の手の平を見つめた弾は、そのまま視線を下に落としていく。

 彼の言う“弱い”という罪は、数馬にとってもぐうの音が出ない正論だった。聞けば、最上との決戦の最中、洗脳状態の蘭が変身したインフェルシス率いる部隊によって、一体の自我あるスマッシュが目の前で殺害されたとの事。怪人とは言え、スマッシュの元は人間。そのスマッシュの最期は、少年の姿に戻りながらの消滅である。とてつもなく痛ましい出来事だ。

 本来なら、あの時自分が彼女を助けなければならなかったのだ。弱かったから何もかも取り返しがつかなくなり、罪を犯させてしまった。少なくとも抗う力が無ければ、理不尽には屈服する他に道がなくなってしまう。

 すなわち、過ちが起きる前に蘭を救えなかった自分たちは、目の前の悪事をやすやすと見過ごしてしまった共犯者のようなものだ。誰かが厳正に法の下で裁いてくれる事もなく、ぶっと心の中に残り続ける。罪を背負って生きていくの弾だけではない。自分もだ。

 

「それ、俺も一緒に背負っていい? あの時止められなかったし」

 

「……一夏や弦人も同じ事言っていたな。ああ、もちろんいいさ。好きにしろ」

 

 気が付けば数馬の口が動いていた。弾は素っ気なくも快諾し、近くにあった丸椅子に腰をぽとんと落とす。溜め息はつくが、俯いていた顔は自然と上になっていた。

 

「ところでさ、そのクールな感じから前のに戻らない? なんか一夏みたいにモテそうで腹立つし、知らん内に楽器上手くなってるし。何? 俺への当てつけ?」

 

「無理だ、もう自然体のレベルで戻らない。それと楽器は反復練習だ。サボるヤツが悪い」

 

「ちぇー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅の部屋に籠もっていた一夏は、おもむろに立ち上がって背中や腕をぐいっと伸ばす。ようやく夏休みの課題が終わったところだった。その量や難しさは、流石IS学園と言わんばかりのもの。マメに毎日、予習・復習を習慣づけて正解であった。

 自室にある扇風機のスイッチを弱から強にし、至近距離からその涼しさを堪能する。勉強中だと、不用意に風を強くすればノートや参考書などのページが勝手に捲れてしまい、オチオチ集中できやしなくなる。

 この真夏の中、気温二十八度設定のエアコンで冷やされた室内のように、弱でもそれなりに涼しくは感じる。しかし、思いきり堪能したいのであるのなら話は別だ。遂にこの瞬間が来たと、一夏の頬が緩む。

 

「夏休みもそろそろ終わりか……」

 

 ちらりとカレンダーを覗き、この長期休暇に幕が閉じ掛かっている事に切なく感じる。久しぶりに我が家に戻り、たくさん遊び、たくさん勉強した。中旬の始め頃から続いた激戦も、たった数日間しかなかったのだから驚きだ。短い間に衝撃的な事件が連続起こり、心が休まる瞬間と言えばほんの少ししかない。あの数日間が、とても遅く時が流れたように思えた。

 

 ピンポーン。

 

 すると、玄関のチャイムが鳴らされる。早足で一夏がそちらに向かうと、ドアを開いた先にはラウラがいた。

 

「ラウラ?」

 

「私が来たぞ、嫁よ。ふむ、これが通い婚というやつだな」

 

「(また何か言ってる……)まぁ、せっかくだし上がれよ。お茶も用意するから」

 

「感謝する。あと、これはドイツからの土産だ。受け取ってくれ」

 

「おぉ……わざわざありがとうな」

 

「それほどでもない」

 

 そうした短いやり取りの後、彼女を家へと上げる一夏。予定にはない訪問だったが、一日中一人でいるよりは遥かに賑やかになるから良い。リビングのエアコンは起動させずに放置のままだったので、そそくさとリモコンを操作して冷房を吹かす。ちなみにラウラの持ってきた土産はバウムクーヘンだった。

 急いで冷房を効かすなら、最初から強くするのが一番。短い時間で一気に冷やし、それから弱くした方が結果的に効率良く、電気代も抑えられる。ダメ押しに扇風機も使い、室内の空気の流れを循環させるのもよろしい。蒸し蒸しとしたリビングも、気が付けば快適に過ごせるまでの温度に下がっていった。

 ソファにちょこんと座り込むラウラの一方で、一夏は冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップに麦茶を注ぐ最中にも会話は弾んだ。

 

「最初はチョコレートにしようと思っていたのだがな、この暑さだろう? 溶かしてしまうのも何だから、奮発してバウムクーヘンにしてみたのだ」

 

「そうか。確かドイツのチョコレートって美味いんだっけな?」

 

「味ならクリスマスの高級菓子とされるバウムクーヘンも負けていない。唯一の心残りは、全くの時期外れになってしまった事だが……」

 

「いいさ、気持ちだけでもありがたいんだし。でも凄いの買ってきたんだな」

 

 そう言って一夏は感嘆の息を洩らす。口では妥協してしまったと零すラウラだが、彼が素直に謝意を示すと満更でもない顔をしていた。

 麦茶の入ったコップが二つ運ばれる。まず初めにラウラへと渡し、一夏は自分の麦茶を一口飲んでから話を続けた。

 

「ところで、日本にはいつ戻ってきたんだ?」

 

「つい昨日だ。教官が凶刃に倒れたと聞いてようやく来れたのだが、全く以って無事だった」

 

「まぁな。すぐにナノマシンで傷跡残さず完治だ。俺も意識不明の重体って聞いた時は、本当に生きた心地がしなかったよ」

 

「わかるぞ、その気持ち。教官には返しても返しきれない恩が私にはある。報せを耳にして、居ても立ってもいられなかった」

 

「ラウラ……」

 

 若干、ラウラの表情が曇る。自分の手が届かない遠いところで大切な人が倒れる時の辛さは、よく理解できた。自分はIS学園のすぐ近くにいたが、当時の彼女はドイツ本国に戻っていた。自分よりも悔しさがあるのは悠に察せられる。

 

 エニグマから帰ってきた後、千冬は全身包帯まみれからになりながらも何食わない表情で起き上がっていた。説教もあったが、それ以上に心配もされた。それから程なく傷を完治させて、いつものように仕事へ戻っていった。姉の事をよく知っている人が見ても、その驚きの回復力に空いた口が塞がらなくなるだろう。

 一番の重傷者だった千冬が復活した時、誰もがそれを喜んだ。比較的軽傷ながらもまだ癒えきっていない箒とシャルロットが、多少無理してでも祝ったぐらいなのだ。どちらかと言うと教師より軍人が似合っている人だが、学び舎でも人望が表れている。

 そして、洗脳された蘭にやられた事を気にも留めず、恨むのはお門違いだとハッキリ割り切った。箒たちも同じような意見で、むしろインフェルシスを食い止められなかった事について物凄く後悔していた。

 当たり前だ。他人に優しくできる人なら誰だって、目の前の人間が人殺しになるのを快く思わない。自分の親友の妹ほどの関係なら尚更だ。例え殺されるのが化け物であろうとも、元の人間に戻せるなら命を奪う事もない。訪れた最悪の結果は、あまりにも残酷すぎた。

 

 あの時、一夏は犠牲のない戦いなど存在しないと酷く突き付けられた。クラス対抗での無人機乱入や福音事件もそうだが、今まで誰も命を落とさなかったのは運が良かっただけに過ぎない。ネビュラガス事件での戦闘参加をあっさり決められたのは、心のどこかで万能感を抱いていたから。裏打ちされた自信が気付けば、油断や慢心・過信に変わっていったからだ。

 だから一向につい昨日の事のように思い出せる。スマッシュやバイカイザーとの戦いが。真の意味で戦う事を理解していなかったツケだ。本当に覚悟を決められていれば、この手で彼らを爆発四散させたのをこうして後に引き摺る事もなかった。

 そんな一夏はつい、ラウラに問いを投げかける。

 

「なぁ、ラウラ。もしも自分の大切な人を傷付けた相手がさ、記憶に残らないような洗脳を施されていたらどうする? あるいは元々人間で、もう殺す事でしか元に戻せなかったり、救えなかったりしたら?」

 

「何だ、急に」

 

「お願いだ。答えてくれ」

 

「……そうだな。以前の私なら怒りと憎しみしか持ち合わせなかっただろう。だが、相手の事情を理解する大切さを知った今では、その本人よりもそんな悪辣な行為を働かせた元凶に矛先を向けるに違いない。後者に至っては、私は軍人だ。その覚悟はできている」

 

「俺が千冬姉を傷付けたりしてもか?」

 

「……? 嫁はそのような事をする人間ではないだろう?」

 

 まるでわかりきっている風な顔をして、小首を傾げるラウラ。そのスラスラと出せる模範のような一連の回答には、すっかり脱帽してしまう。やはりそういうものなのかと、心の重荷が少し軽くなったような気がしてきた。

 

「ただ、もしも任務で誰かを手に掛ける事になるなら、それを抱えて生きながら最後に死なねばならない。殺さずに済むに越した事はないが、やるからには背負って生きていくだけだ」

 

「……まぁ、そうなるよな。――ありがとう、何だか気持ちが整理できた」

 

「そうか? よくわからんが、嫁の力になれたなら嬉しいぞ」

 

 感謝を告げる一夏に、ラウラは照れ隠しをしながら満足げに頷く。かくはともあれ、戦う事が罪なら背負っていくしかない。蘭を止められなかった己の非力さという罪も引っくるめて。ラウラと話して、ようやくそれをハッキリさせる事ができた。

 

 ピンポーン。

 

 すると、再び玄関のチャイムが鳴らされる。一夏が向かってみれば、玄関先に待ち受けていたのはセシリアだった。

 

「セシリアじゃないか! 久しぶり。どうしてここに?」

 

「お久しぶりですわ、一夏さん。ちょうど近くを通りがかりましたので、つい。お土産も持ってきたので是非」

 

「ありがとう。取り敢えず中に上がってって」

 

「ではご厚意に甘えまして、失礼しますわ」

 

 すんなりとセシリアをリビングまで通していく一夏。彼女がラウラの姿を目にすると、気分らんらんと綻んでいた表情が一転した。

 

「む、セシリアか」

 

「ラ、ラウラさん!? どうしてここに……!?」

 

 何気なく反応するラウラと、驚くセシリア。確かに、民宿でもない普通の我が家にドイツ人が訪問しているなど、この日本では実に珍しい事である。イギリスの貴族令嬢が来るのもレアケースだが、そんなセシリアの反応を見て一夏はそう解釈した。ちなみに彼女が持ってきてくれた土産は老舗ブランドの高級クッキーだった。

 それからラウラが手短に説明するのも束の間、数分置きに来客が一人ずつ訪れてくるという偶然の出来事が引き起こされた。誰一人呼んでもいないのに勝手に集まってくる辺り、引き寄せ合う何かがこの家に仕組まれているのかと根拠もなく勘繰ってしまう。

 

「お邪魔しまーす」

 

「邪魔するぞ」

 

「何で全員揃ってんのよ!」

 

 シャルロット、箒、鈴の順番でやって来る。閑散としていた我が家があっという間に騒がしくなったが、一夏は全く悪い気がしなかった。女子校に一人で放り込まれるのはともかくとして、見知った仲間たちとこうしてふれあうのが一番楽しい。仲間のありがたみが自然と体感できる時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日のネビュラガス事件を受けて、日本で行われていたトランスチーム解析プロジェクトは凍結が決定した。研究成果が生み出す実利が非情に少なく、コストや人道を顧みても割りに合わなくなったからである。

 わかった事と言えば、男性でもIS適性(ネビュラガスによる遺伝子改造)を得るために最低限必要なハザードレベルはほぼ先天的に委ねられ、その数は世界中で1%にも満たない。後から上昇させるにしても肉体的に類まれなる鍛錬が要求され、現実的ではないとして頓挫。女性の場合はIS適性が上がるが、やはりスマッシュ化せずに適合できる者がほぼいない始末であった。

 とは言え、すぐさま研究チームが解散する事はなかった。曲がりなりにもISを強化させる力を秘めているので、再びスマッシュが現れた時のためのより優れた対応策を構築させる、という名目で研究は細々と続く事になる。これは日本だけでもなく、国連の呼びかけで各国から研究者を集めた専門委員会が設置された。曰く、二度とこのような悲惨な事件が起きないよう、世界平和維持に貢献するためとの事だ。

 

 研究チームのほとんどのメンバーは、それぞれの道へと戻っていく。唯一残ったのはレオナルドだけで、用意されていた研究室から引っ越す準備を着実に済ませていた。最初はダメ元で結成された予算も人手も少ないチームでも、ここまでの成果が残せたのは彼の存在が大きい。ティッシュペーパーから原子炉を作り出すというトンチンカンな科学者でなければ、もっと正当に評価されていたであろう。

 今日は私用のメディカルチェックを済ませていた。データ入力を完了し、ドックから出てくる者を待ち受ける。

 

「ニャー」

 

「こらこら、歩き回っちゃダメ」

 

 メディカルチェックを受けていたのは子猫のロットロだった。ただしサイズは手の平の上に収まる程度まで減少し、それでもその身体能力は成長した猫と変わらない。トテトテと床の上を歩くロットロを、後ろから癒子が抱き抱えた。

 

「どこも異常なしだ、谷本。ほれ」

 

「ありがとうございます。うおっ」

 

 癒子がお礼を言うと、レオナルドが銀色のフルボトルを投げ渡す。ボトルは綺麗の彼女の手の中に収まり、ロットロに近寄らせるとたちまちスライムに変化し、ボトル内部へと溶け込んだ。ボトルの中から、ロットロが顔だけをひょっこり出す。

 

「その擬似ボトルの解析も終わったぞ。普通のフルボトルと違ってネビュラガスが入ってないから、不用意にフタを開けてもスマッシュ化の心配はない。代わりに含まれているのは未知の元素とエネルギーの塊だ。その宇宙ネコやばすぎだろ」

 

「ニャアー」

 

「あの、本当にモルモット送りとかないんですよね? いつものように一緒に暮らせるんですよね?」

 

 物憂げな表情でそう尋ねる彼女。レオナルドは要らぬ心配をさせてしまったと思い、すぐさま言葉を返す。

 

「大丈夫だ、研究するにしてもクローンでやりくりするからな。でもこれから別の仕事で忙しくなるんだよなぁ……。あぁ、仕事辞めてぇ……」

 

「ど、どうしたんですか、急に?」

 

「この数ヶ月、俺の生き甲斐はあの美人な葛城博士だった。だが彼女はもうここにはいない。元の居場所に戻ってしまった。つまり仕事のモチベーションだだ下がりさ……ハァ」

 

 相手の不安を拭わせるのは良かったが、逆に考えたくない事が頭の中に浮かび上がってしまった。既にこの研究所を立ち去った葛城リョウの後ろ姿が脳裏に蘇り、レオナルドはイスの上で項垂れる。そのままデスクの上に突っ伏した。

 

 サイコロフルボトルの出目効果の恩恵もあり、リョウは後遺症もなく無事退院する事ができた。予想されていた襲撃もなく、気が付けば太平洋の中心で決戦が着いたなどと色々杞憂に終わった。後の報告で新型ビルドドライバーが活躍した事に胸が踊りもしたが、肝心のトドメがトランスチームシステムのナイトローグと聞いてガッカリした部分もある。

 最上との戦いから帰ってきた彼らの無事を真っ先に祝うべきでも、やはり己は天才と自負する科学者。とんでもない奇跡を起こそうが、最後の局面で弦人とナギの新型ビルドドライバーが故障してしまう不具合が発生した。全身全霊を込めて作ったロケットが発進失敗したのを目の当たりにした下町技術者のように、悔し涙を流さずにはいられない。

 また、レオナルドがもう一度ビルドドライバーを改良しようとすると、それよりもトランスチームガンを作ってくれという声がナギと京水から強く出た。その勢いに負けじとビルドドライバーの良さを説明するものの、向こうが折れる様子は微塵もない。結局、武器の一つや二つは必要という事で新しく二丁用意したが、最後まで弦人とナギにビルドドライバーを受け取られる事はなかった。その日は悲しみのあまりに枕をよく濡らしたと、鮮明に覚えている。

 

「弦人たちも結局トランスチームガンに戻ったし、マザー・メタトロンはメタトロン止まりになったし、どうすっかなー。世界征服でもしよっかなー……」

 

「冗談でもやめてください。こっちはもう誘拐されるのとかコリゴリなんですよ? ねぇー、ロットロー」

 

「ニャムニャムフシ」

 

「冗談だ。てか何だ、今の鳴き声。フシギダネか」

 

 普通の猫とは常軌を逸した声帯を持つロットロを、レオナルドはジト目で見つめる。ともあれ、ネガティブな気分には変わらない。

 

「ところで石倉さん。弦人くんが私とロットロの変身した姿をマッドローグって言っていたんですけど、どうしてそんな呼び方だったのかわかります?」

 

「わからん。前からアイツ、エスパーみたいに名前言い当てる事あったからな。前に無言でコレ出したら、『クラックフルボトルぅぅぅぅぅ!!』と一発で名前当てて壊された。ローラビットフルボトルもだ。考案途中だったスクラッシュドライバーのデザインも、何かアイツの作ったぬいぐるみのと被ってたし」

 

「へぇー。不思議な事ばかりだね、ロットロ」

 

「ニャン」

 

 互いに顔を見合わせる癒子とロットロ。可愛らしくキョトンと首を傾げる様に、レオナルドは何気なくナイトローグとブラッドスタークのコンビを思い出す。ホールドルナでも良いが、ペアを組むならこの二人が一番という印象がある。

 今、トランスチーム組はどうしているのだろうか。特にナイトローグの方が神出鬼没だ。被災地復興ボランティアだけでなく、裏で悪の秘密結社と戦っているような予感さえしてくる。海底に沈む莫大な財宝を見つければ、世界の恵まれない子どもたちのためにそれを全て基金に出すような人間だ。ナイトローグ狂いとしては、右に出る者はいない。動向を予測しても無駄だと悟り、「ふぅ」と溜め息をついた。

 

『ピコーン』

 

「お?」

 

 自分のスマホから着信音を耳にするレオナルド。SNSからの通知を開けば、そこには「火星ナウ」とISを纏って自撮りしている束の写真が送られていた。束の隣には、おおよそ人間とは思えない姿をした碧眼の美しい女性が立っている。

 

「何してんだ、こいつ」

 

 後で調べてみた結果、決して合成や捏造の類いではない本物の火星現地である事が判明した。自撮り写真は次々に送信され、遂には「兎は寂しいと死んじゃうんだよ?」と催促し、レオナルドが返事を寄越すまで着信は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての人を救う事はできない。それをよく理解していても、心ではついつい欲張ってしまう。ナイトローグとして、その事実を受け入れては駄目なのだと抗ってしまうのだ。

 もちろん、理想を諦めない事は良い。それでも俺一人だけでは救える人数もたかが知れているし、器用貧乏になるぐらいなら無戸籍児支援組織や慈善事業団体、万能薬開発など、何かに特化した方が根本的解決にも結び付きうる。個よりも集団の力が、時には大きく優る。

 だが、ナイトローグにしかできない事を考えた時、それは一体何なのだろうかと悩む事がある。超然的な力があれば、普段から大変な事が簡単に解決できる場合も当然ある。火の中、瓦礫の中にいる救助者の元へ消防士が向かうよりも、ナイトローグが一人突っ走る方が早いし安全だ。自動車も運べる。

 

 ただ、それはどこまで行っても普通の人ができる事の延長線上に過ぎない。もしかしたら、本当にナイトローグを必要としない時代が来るかもしれない。そんな未来はナイトローグとしても本望だ。自分にも、一般人として幸せに暮らせる選択肢が出来上がるのだから。

 しかし、現実はそうも行かない。誰かが助けを求めるなら手を伸ばすし、近い将来ブラッド族に平穏を壊されるなら尚更だ。例え救えなかった命があるとしても、決して折れたりはしない。

 

 なので今日も、薄暗いビルの密室に囚われていた不良少年を救出する。施錠されたドアを破れば、そこには不良少年を複数で囲んでいる強面の男たちがいた。

 

「何だぁ! テメェ!?」

 

 一人が銃を取り出す。瞬時に間を詰めた俺が銃口に指を突っ込んだだけで、発射されるはずの弾丸はライフリング内部で行場を無くして爆ぜた。

 暴発した銃を手元から落とした男は、唖然としながら俺の顔と指を綺麗に二度見する。現実から向き合わせたところで、俺はこの人たちに軽く麻痺効果付きのスチームキックを素早く当てた。ほんの掠り当たりでも、効果は抜群。俺を囲んできた全員が痺れ、無力化される。

 残す男は一人のみ。イスの上に縛り付けられている不良少年の背後に立ち、ナイフをチラつかせて人質にする。

 

「くそっ!! マジもんのナイトローグなんて聞いてねぇよぉ!?」

 

「た、助けてぇ!! もう詐欺の受け子なんてしないから助けてぇ!!」

 

「うるせぇ黙ってろクソガキ!!」

 

 男に怒鳴られ、不良少年が涙ぐむ。近くにあるテーブルの上にはバーナー、ノコギリ、ハサミなどといった、何に使おうと思って用意したのか不明瞭な物がズラリと並んでいる。十中八九、拷問殺人に使おうとしていたのだろうが。

 どんな状況でも、人質を使われた時の戦いは厳しいものである。人質戦法に屈せず、かつ人質を無事救出しなければならないのがナイトローグの辛いところだ。俺が静かに両手を挙げると、切羽詰まっていた男の顔が途端にニヤリと歪む。

 

「よ、よし! それでいい! じっとしてろよ! じゃないとこのガキの首を掻っ切る! えーと、そうだな。まずナイトローグから生身の姿に戻れ。それから、そこに転がってるナイフを拾って自殺しろ! いいな!? ちゃんとやれよ!?」

 

 すると、とんでもなく頭の悪い要求が男の口から飛び出た。完全に譲歩できない内容に、この男が内心パニックになっているのが丸わかりだ。人質を連れながら自分の身の安全を確保する方が、より現実的なのに。相手に武器を持たせるのはありえない。

 無論、要求は飲まない。そのまま背中を見せてやれば、男が僅かに笑いを零す。完全に油断したその時が命取りだ。

 

「あぶっ!?」

 

 コウモリ形態に変形したカメラガジェットが、横から男の顔面に体当たりを決める。男は大きく仰け反り、背中から大きく転がり込んだ。カメラガジェットの活躍ぶりに、ついついバットショットという名前を授けたくなる。

 ここまで来れば後は簡単。男たち全員を逃がさないようにロープで縛り付け、不良少年を解放してやる。不良少年はポロポロと涙を流しながら、縋り付くようにして俺に感謝を告げてきた。

 

「あ、あ、ありがとう……!! ありがとうナイトローグぅぅぅ!!」

 

「良かったな、助かって。じゃあ受け子をしていた君も警察に自首しようか」

 

「え」

 

 不良少年の動きが固まる。勘弁して欲しそうに恐る恐る顔を見上げてくるが、罪は生きて償ってこそだ。俺は彼の肩に優しく手を置いて、ゆっくりと語り掛ける。

 

「もう悪さはしないんだろ? 大丈夫。君は死刑直前にしか反省しないような、それでもあくまで命乞いにしか過ぎないクズじゃないと信じてるから。違わないよな?」

 

 俺の問いに、目尻に涙を溜めた不良少年は無言のまま首を縦に振る。そして、声を上擦らせながらもハッキリと宣言するのだった。

 

「じ、自首します……」

 

「よろしい」

 

 こうして、後から駆け付けてきた警察によって彼らの身柄は拘束されるのであった。

 

 人が悪になれる限り、戦いはなくならない。それでも守るに値する光は存在する。根絶できない犯罪や戦争、表沙汰にならない悪事が全ての人間を悪と決め付ける証明にもならない。○✕クイズの二択で決まるほど、人は簡単ではないのだ。

 守りたいものを忘れさえしなければ、どんなに人間の闇に触れすぎても最上のように失望する事はないだろう。一緒に支え合ってくれる仲間も出来たし、俺の知らないところにも仮面ライダーはいる。今後数年はかの赤い蜘蛛男のような個人的活動しか行えないだろうが、俺はもう一人きりではない。皆がいる。

 

「おかえりなさい、弦人ちゃん! ご飯にする? お風呂にする? それともワ・タ・シ? キャッ!」

 

「おかえり弦人くん。お寿司あるけど食べる? ウニもあるよ」

 

 ただいま。取り敢えず、完全に能動的にポロリを狙ってくる裸エプロンの京水は着替えて来ようか。その格好は油跳ねに弱すぎる。ついでに寿司は美味しく頂くとするよ、ナギ。

 

 

 


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