Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
足を踏み入れたそこは、鼻が曲がる程の死臭で満たされていた。
既に乾いているはずの血潮からは今もまだ鉄の匂いがこびり付いているかのようだ。
薄暗い家屋は明かりもなく、奥の方は闇に隠されていてそこに何があるのかはわからないが、この匂いと夥しい量の血痕がそこにあるものを容易に想像させた。
本能が警鐘を発している。
この先にあるものを見るなと、心が訴えている。
その訴えを無視して、カドックは手の平に乗せた札に魔力を流し込んだ。
すると、爆ぜるように燃え上った札は、次の瞬間にはマッチの先端ほどの大きさの明かりへと変化した。
見通せるのは良くて数センチ先だけだが、そこにあるものを確認するだけならばそれで十分だ。
不用意に大きな明かりを取り出して、後ろにいる立香達にまでこれを見せる訳にはいかない。
(…………っ)
明かりが浮かび上がらせたものを確認し、奥歯を噛み締める。
そこにあったのは人間だったものの肉塊だ。
原型を留めないほどバラバラに引き裂かれた肉の破片があちこちに散らばっていて、床も壁も天井も犠牲者の血で真っ赤に染め上げられている。
一緒に転がっているのはこの家の持ち主の営みの名残であろう。
食べかけの肉に引っくり返った器、踏み砕かれたと思われる瓶。
状態から見て殺されたのは二十四時間以内とみて間違いないだろう。
つまり、この家の主はラフムに殺された可能性が非常に高い。
「酷い……」
暗闇の向こうを透視したアナスタシアが手で口を覆い、懸命に堪える様が痛ましい。
そっと肩に触れると、冷たい彼女の手が重ねられてきた。
強く握りしめられ、急速に熱が奪われていくが、カドックは彼女のされるがままに任せて無言のまま外に出る事を促した。
「カドック……」
「……見るなら、覚悟していけ。できれば、見て欲しくはないけど」
「ありがとう」
少しの間、瞼を閉じて気持ちを落ち着け、立香は入れ替わるように血塗れの家屋へと足を踏み入れる。
程なくして暗闇の向こうからかすかな嗚咽が聞こえ、憔悴しきった表情の立香が飛び出してくる。
必死で嘔吐を堪えているのが、端から見ていてもわかる。あれが今の彼の精一杯だ。
取り乱さなかっただけでも大したものだろう。
「向こうも見てきたわ。獣の殺し方じゃないわね、これ」
ケツァル・コアトルと共に周囲を偵察していたジャガーマンが近づいてくる。
いつもは終始、ふざけた言動を繰り返す彼女も、今はスーツ姿で口調も真面目だ。
今のメソポタミアの惨状を見て、ふざけている場合ではないと思ってのことだろう。
「ジャガーマン、それって……」
「藤丸くん、酷かもしれないけど正直に言うわ。ラフムは楽しんで人を殺している。飢餓からでも怒りからでもなく、縄張り意識からでもない。ただ殺してみたかったから、彼らは殺されたのよ。人間社会でいうところの快楽殺人ね」
幾つか家屋を覗いてきたが、その全てが同じ惨状であった。
ウル市の住民達は、様々なやり方で惨たらしく殺されている。
生きたまま胴を千切られていった者、手足も首も賽の目のように細かく切り刻まれた者、体の一部を切断して屋根や木に引っかけられたまま失血死した者や、皮膚だけを綺麗にこそぎ落されて死んでいた者もいた。
そして、その全ての遺体に欠落は見られない。魔獣ならば空腹を満たすために食われていたかもしれないが、ラフムは捕食のために人を襲わないのだ。
そして、怒りや憎悪を持っているとしたら、殺し方に遊びが多すぎる。
縄張り意識を持っているなら、街の外へと逃げた者まで殺す必要はない。
つまり、奴らはただ人間を殺すことだけに執着している。
それを快楽と言わず、何だと言うのだろうか。
「どう……して? どうしてそんな事が?」
その推測に納得ができないのはマシュだ。
ずっとカルデアの中で、外界と隔絶して育てられた彼女は、人間の負の側面についてとても疎い。
世の中には、理由のない悪意としか言いようのないものがいくらでも転がっていることを彼女は知らないのだ。
「ウルの人達は無抵抗である事を選んだ人達です。殺される理由がありません!」
『そうだ。ラフムには消化器官がない。生存のために他の生き物を襲う必要がなく、全てが自身で完結している。なのに他の動物を襲うという事は――』
奴らに固有の言語体系や社会的な価値観があるのかはわからないが、少なくとも人間と同等に近いレベルの知性は有しているということなのだろう。
でなければ、理由もなく他人を傷つけるような真似はしない。
時に人間は苛立ちから子犬に石を投げつけることもあるが、それと同じことを、それ以上に凶悪な形でラフムは行っている。
しかも、その手腕は加速度的に研ぎ澄まされていってるとみていいだろう。
ただ殺すだけだったウルクとは違い、どの程度まで解体すれば生命活動が止まるのか、どれくらいまでなら傷つけることができるのかということを奴らは学習している。
このまま時が過ぎれば、間違いなくラフムは人間種の天敵として生態系の頂点に立つこととなるだろう。
「……っ!? みなさん、警戒を!」
何かの気配を感じ取った四郎が黒鍵を投擲する。すると、暗闇の向こうから黒紫の悍ましい異形が飛び出してきた。
『ラフムだ!? 周囲に仲間は……いない、そいつ一体だけだ!』
「群れからはぐれたか? みんな、散開して囲め!」
号令と共にケツァル・コアトルとジャガーマンが走る。
ラフムは超感覚で個体間の情報を共有している節がある。
仲間を呼ばれたり、こちらがエリドゥを目指していることが知られる前に仕留めなければならない。
「ん? なんニャ、こいつ?」
「抵抗する気が、ありまセーン!」
ケツァル・コアトルの渾身のキックと、ジャガーマンのこん棒による殴打を受けてラフムは吹っ飛ばされるが、どういう訳か逃げ出すことも襲いかかってくる様子も見られない。
それどころか、まるで踊るように一心不乱に爪のような四本の腕を頭上へと掲げ、ひょこひょこと気の抜けた足取りでぐるぐると回り出したのだ。
頭部にある口からは相変わらず耳障りな笑い声を奏でているが、ひょっとして仲間を呼ぼうとしているのだろうか?
「いえ、やはりおかしい。敵意が感じられません」
魔術で強化された四郎の刀で両の足を切り裂かれたラフムは、悶えるように胴を震わせながら地面を転がってこちらから距離を取った。
立ち上がろうとしているようだが、繋がったままの足は筋一本で繋がっているという状態のため、いくら力を込めても起き上がることができない。
不格好に頭を地面にぶつけ、頭頂部を砂に擦りつける様は滑稽ですらあった。
(何故だ、逃げるどころか身を守ろうともしていない。あの腕は威嚇のつもりなのか? 旗みたいに振って、いったい…………)
――――そうだね。最初はもうお手上げって思ったけど、白旗振らずに頑張った甲斐があったよ――――
――――はい、本当に。白旗、ですか? 私も振らなくてよかったです――――
何故、そんなやり取りを思い出したのかはわからなかった。
この状況で、一刻を争う事態に、どうして平穏だった頃のやり取りを思い出したのだろうか。
あの時の何気ない会話が、シドゥリにどれほどの影響を与えていたのかを、自分には知る術がない。
けれど、もし、この想像が当たっているのだとしたら、自分達は今、とんでもないことをしでかそうとしているのかもしれない。
戦いを止めるべきか、懸念を無視するべきか、迷いが体を縛る。
視界の端ではマシュが盾を構えて疾駆していた。動けなくなった彼女にとどめをさすつもりなのだ。
その光景がスローモーションのように引き延ばされ、視えぬ眼に二人の姿が映し出される。
他のみんなは気づいていない。
マシュがやろうとしていることがなんなのか、誰一人として気づけていない。
気づいた刹那、判断は下された。
マシュが盾を振り下ろすよりも早く、自らのサーヴァントに指示を叫ぶ。
「止めろ、
「っ!」
一瞬の後、盾が空しく宙を切る。
転がってきた小石に足を取られたマシュが、ラフムに殴りかかる瞬間にバランスを崩してしまったのだ。
シュヴィブジック。因果律に干渉して些細な悪戯を起こす英霊アナスタシアのスキルによるものだ。
「カドック!?」
「カドックさん、どうして……!?」
立香とマシュが、こちらを責めるように振り返る。その隙に、傷ついたラフムはまだ無事な腕を使って地面を這い回り、密林へと逃れようとする。
そうはさせまいと四郎は黒鍵を構えたが、振りかぶった腕はイシュタル神によって捕まれてしまい、黒鍵を投げることができなかった。
ケツァル・コアトルとジャガーマンも、沈鬱な面持ちのままそれぞれの得物を収めている。二人には追撃の意志はない。どうやら、神霊達にはこちらの意図が伝わったようだ。
『カドックくん、どうしてあんなことを? 奴が仲間を呼んで密林で待ち伏せしていたらどうするんだ?』
「……いいえ、あのラフムはいいわ。彼女にそんなつもり、ないでしょう」
ロマニの問いに対して、イシュタル神が代わりに答えてくれた。
覗き見た横顔は、いつもの自信に満ちた陽光のような美貌とは程遠い、暗く沈んだものであった。
「イシュタル神、ティアマト神はゴルゴーンと違って、自分の力だけで魔獣を生み出せると言っていたな?」
「ええ、言ったわ」
「それは、魔獣を産み落とすのに、他の生き物を使わないって訳じゃないんだな?」
「…………」
沈黙は肯定と受け取った。
脳裏に浮かんだのは鮮血神殿で垣間見た魔獣の繭だ。
浚ってきた人間を養分として種を育み、魔獣として分化させる外法の術。
それと同じことをティアマト神――いや、ラフムも行えるのだ。
未だペルシア湾の泥の中の母に代わって、自らの戦力を拡充するために。
あの大軍の中の何割がそれに類する個体なのかはわからないが、先ほど遭遇したラフムもきっとそれだ。
彼女はもう、自分達のところには帰って来ないのだ。
「ちょ、ちょっと待って……ねえ、カドック。嘘だろ……嘘だと言ってよカドック」
「……よせ」
「だってさ、シドゥリさんなんだよ?」
「藤丸」
「……っ!!……!!」
泣き崩れるように、立香はカドックの胸倉を掴んで頭を垂れた。
目に涙を浮かべ、理不尽を呪いながら、嗚咽を交えながら言葉を漏らす。
こんなはずじゃなかったと、まるでかつての自分を見ているかのようだった。
「ここにいるのが藤丸立香やカドック・ゼムルプスでなければ――Aチームの誰かなら、ティアマト神は目覚めなかったかもしれないし、彼女が浚われることもなかったかもしれない。でも、そうはならなかった。ならなかったんだ」
自分達は出来る事を精一杯やった。その上で成し遂げられなかったのなら、もうそれを受け入れるしかない。
だから、彼女とはここでお別れで、お終いだ。
ラフムは強く、しぶとい。あのまま死ぬ事はないだろうが、あの傷で戦場に出てくるとも思えない。
仮に出てきたとしても、次はもう気づいてやることはできないだろう。きっと、この中の誰かがとどめを差す。
だから、この話はここでお終いだ。
「先輩……」
マスターが泣いている理由を察したマシュが、振るえる肩にそっと手を添える。
入れ替わるように、カドックは一歩引いて立香が泣き止むのを待った。
時間にして五分もかからない。
慚愧を振り払い、別れを悔やむにはあまりに短い一瞬。
それでも立香は顔を上げた。
そこにはもう、泣き喚いていた少年の顔はない。
強い決意の眼差しを持った、マスターとしての藤丸立香がそこにいた。
自分が知らなかっただけで、きっと彼はいつもこうして歩き続けてきたのだろう。
至らぬが故に生じた犠牲に涙し、されど悲しみにいつまでも浸ることなく前を向く。
怯えも恐れも悲哀も飲み込んで、震える足で精一杯地面を踏み締めて、ずっと平気な顔で旅を続けてきたのだ。
その胸の内では、痛ましいまでの慟哭が渦巻いているというのに。
「エリドゥへ急ごう。まだ浚われた人が生き残っているなら、一人でも多く救いたい」
48番目のマスターは、決して歩みを止めることはしない。
自分の未来だけは、決して諦めたりはしない。
なら、親友として自分がするべきことは一つだ。
「ああ、やろう」
互いの拳をぶつけ合う。
ここからはノンストップだ。
ギルガメッシュ王が指定した刻限まで、後半日ほどしか残されていない。
それまでにエリドゥへと辿り着き、浚われた人々を救い出す。
例え、僅かしか生き残りがいなかったとしても、既に全滅してしまっていたとしても、その魂を救い出すのだ。
それが、今の自分達にできる最善であった。
□
強行軍で密林を駆け抜け、エリドゥ市へと到着したのは丁度、朝日が山岳から顔を出した頃合いだった。
運よくラフムとの遭遇もなく、カドック達は目立った消耗もなく到着できたのだが、再び訪れたエリドゥ市は騒然とした雰囲気に包まれていた。
狂騒に喧騒、怒号と悲鳴、耳障りな哄笑。街の中央から聞こえてくるのは大勢の人間達の叫び声であり、そこにはあの醜悪なラフム達の笑い声も含まれていた。
『生体反応、多いぞ! 五百、いや六百人分はいる! 連れ去られた人達だ!』
「集められているのは広場のようね。ラフムの反応は?」
『もちろんある! 魔力反応は二百超、全体に比べれば少ないが我々にとっては絶望的な戦力差だ!」
六騎のサーヴァントが総出で挑んでも、一度に相手取れるのは五、六体が良いところだろう。
数で圧倒されればこちらに勝ち目はない。マスターを守りながら離脱することは可能だろうが、浚われた人達を救出することは絶望的だ。
故に作戦は、初撃こそ肝要。焦る気持ちを押さえ、まずは襲撃の位置取りを把握する必要がある。
「待って下さい、あれは……」
「なっ……」
悟られぬよう気配を殺し、広場へと近づいた彼らが見たものは、想像を遥かに上回る凄惨な光景であった。
「――はっ、はぁ……は、ぁ……! やった、やったぞ……すまない、すまない……やった、オレはやった……!」
男が手にしていたのは拳ほどの大きさの石だった。
恐らくはその辺に転がっていたものを拾ったのだろう。既に動かなくなったもう一人の男の脳天に何度も振り下ろした事で、石を持つ手は真っ赤な血で染まっていた。
馬乗りになったままの男は石を掴んでいる指を解くこともできず、うわ言のように謝罪を繰り返しながら体を震わせていた。
「――――、――――。――、――、――!」
次の瞬間、耳障りな笑い声と共にラフムの群れが男に群がる。
友人をその手にかけたのであろう男は、成す術もなく心臓を抉り出され、先だった友を追いかけるように友の遺体へと覆い被さったまま動かなくなった。
「そんな、殺しても殺されるのかよ……いったい、何がしたいんだ、こいつらは……っ、ま、待て!!」
「うおおっ、死んでくれぇぇっ!」
「――!――、――!!」
「そ、そん……な……オレ、殺したのに……みんな、ころ……」
広場の至るところで惨劇が繰り広げられていた。
ラフム達に囲まれた住民達が、僅かばかりの武器を手に戦うことを強要されている。
中には家族や隣人同士であった者も含まれているようだ。
与えられた武器もほとんどが木の棒や石といった原始的なもので、殺し合うには殺傷性が乏しいものばかり。
運が悪ければ致命傷とならず、悪戯に傷ついていく者もたくさんいた。
そうして、最後の一人になるまで殺し合うことを強要された後、ラフム達は嬉々として生き残った一人の命を刈り取るのだ。
歯向かった者も、言う事を聞かず何もしなかった者も、例外なくラフム達はその手にかけている。
決して生き延びることができない地獄の闘技場。それが今、目の前で繰り広げられていた。
『何てことだ、人間同士で殺し合わせているのか』
「……
「アナスタシア?」
「あいつらは、あの野蛮な兵士と同じよ。アレクセイを嘲笑った、あのユダヤ人……あいつらと同じ……」
「落ち着くんだ、アナスタシア」
虐殺される人々を見て、過去のトラウマのスイッチが入ってしまったようだ。
雪のように儚げな美貌は今は見る影もなく、沸々と湧き上がる怒りで身に纏う冷気も少しずつ強くなっていっている。
憚ることなく魔力を放出する様は、自らの存在を奴らにアピールしているようなものだ。
既に何体のラフムがこちらに気づき、戦闘態勢を取っている。
「カドック、こうなってはやるしかありません。あなたは彼女についていてあげてください」
「すまない、シロウ……イシュタル神、援護頼めるか!」
「言われるまでもないわ! ケツァル・コアトル、広場の外は私が消し飛ばす! 温存していた神性、最大出力であの怪物達を吹っ飛ばすから!」
「ええ、私も沸点飛び越えたわ! ジャガー! 天草! みんなをお願いね!」
「合点招致ニャ!」
散開と共に、氷の矢と魔力の雨が広場に降り注ぐ。
ラフムの力は強大だが、攻撃手段は四肢を用いた怪力のみで遠距離攻撃の手段を持たない。
出鼻を挫かれたラフムはその場でたたらを踏み、その隙に突貫したケツァル・コアトルは一体のラフムの足を掴んでハンマー投げか何かのようにスイングして群れの一角を蹴散らした。
浚ってきた人々の殺し合いに注視していた個体も、その騒ぎに気づいて次々と威嚇の声を上げるが、動きの遅い者は容赦なくイシュタル神の砲撃によって塵へと還元されていく。
爆発の余波で広場の一画や建物の一部が倒壊するが、今はそれに構っている暇はない。
どのみち、ラフムの襲撃を受けたエリドゥ市はもう都市として機能していないのだ。派手に壊してしまっても構わないだろう。
「みなさん、今の内に密林に逃げてください! この怪物はわたし達が引きつけます!」
「早く、こっちに!」
ケツァル・コアトルとイシュタルが暴れ回る隙を突いて、ジャガーマンと四郎が浚われた人々を囲うラフムを殺して回り、マシュと立香の先導で密林へと向かう。
それを俯瞰し援護するのはカドックとアナスタシアだ。多少、段取りが狂ったとはいえ、十分に及第点を上げられるコンビネーションのはずだ。
浚われた人々の生き残りは既に一割ほどしか残されていないが、せめてこの数十人だけは何としてでも助け出したい。
その思いを胸に、マシュとアナスタシアは立ち塞がるラフムを殴り飛ばし、氷の矢で串刺しにする。
「ありがとう、これで……ぎゃあっ!!」
マシュの後ろに続いた男が、突如として悲鳴を上げて倒れ込んだ。
飛びかかってきたのはラフムだ。頭を半分ほど潰され、肩や胴に穴を空けられているにも関わらず、ラフムは脅威となるサーヴァントには目もくれず、逃げようとした人々を屠らんと牙を向けたのだ。
「な、んで――今、あなた達を殺したのは、わたし達じゃないですか!」
叫びながらマシュは組み付いたラフムを引き剥がすが、既に男は息絶えていた。
他の者達も次々と殺されていっている。ラフムは四肢をもがれようと、胴を吹き飛ばされようと、その命が尽きる瞬間まで虐殺を止めようとしない。
自らの生存よりも、人間を殺すことを優先しているのだ。
「狂っている、こいつら! 許さ……な……」
呼吸すら止まる程の怒りに駆られ、アナスタシアの背後から巨大化したヴィイが顕現する。
宝具の解放だ。浚われた人々が次々と殺されていく光景を目にした無力感と絶望が、彼女の憎しみを呼び起こし、暴走状態に陥ったのだ。
このまま宝具を発動すれば、存在維持のための魔力すら使い果たして消滅してしまうかもしれない。
「止めろっ! くそっ……令呪を以て……!」
躊躇している暇はなかった。
すぐに令呪で止めなければ、彼女は自滅してしまう。
立香達も宝具の発動に巻き込んでしまう恐れがある。
迷っている暇はない。
だが、カドックが戒めを口にするよりも早く、頭上から無数の槍が飛来した。
それは豪雨のように広場へと降り注ぎ、ラフムの群れを吹き飛ばす。
突き刺さった槍は即座に砂へと変質し、巻き戻るように一体のサーヴァントのもとへと戻っていった。
「キングゥ!?」
槍を放ってラフムを殺したのは、同じティアマト神の子どもであるはずのキングゥだった。
その顔には怒りと苛立ちの色が浮かんでいる。人間達を相手取っている際、時々浮かべていた侮蔑の表情だ。
「何をしている! 旧人類を集めて、何をしているんだ、お前達は!」
キングゥの怒りはラフム達に向けられていた。
浚った人間達を殺し合わせると言う惨状を、キングゥは知らなかったのだ。
「アナスタシア!」
「……え、ええ……大丈夫……ごめんなさい……」
キングゥの登場で一時的にラフムの動きが止まり、アナスタシアも冷静さを取り戻したようだ。
背後で実体化したヴィイも溶けるように消えていき、暴走していたアナスタシアの魔力も小康状態にまで落ち着ていく。
その傍らでは、マシュが生き残っている人達を密林へと誘導していた。
全ての個体が動きを止めたこの隙を逃がす訳にはいかないと、立香が指示を下したのだ。
「答えろ、なぜこんな意味のない事をする! それでも原初の母、ティアマト神の子か!」
まるでこちらのことなど眼中にないかのように、キングゥはラフムを叱責する。
キングゥにとって、ラフムの行いはそれほどに度し難いものだったのだ。
ウルクを襲うまではいい。
敵である人間を殺すのも構わない。
だが、殺す意味のない者を浚ってくる道理がない。
何れは死ぬ運命にあろうと、彼らは力を持たず脅威とはなり得ない者達だ。わざわざ浚ってきた上で殺し合いをさせるなど、愚かしいまでに時間の無駄だとキングゥは激昂しているのだ。
(新人類としての矜持か。あいつにとって、それだけ人間は醜悪で愚かに見えていたんだろうな)
だが、皮肉にも新たに産み落とされた兄弟達は旧人類たる人間以上に下卑た感性を有していた。
人間を殺すことを楽しみ、壊すことを楽しみ、奪うことを楽しむ。
かつて人間が他の動物や魔獣に対して行ったことを、奴らはそっくりそのまま繰り返しているのだ。
「新しいヒトは無駄なことをしない。認めたくはないが、母さんは眠りから覚めたばかりで手を誤った。お前達はゴルゴーンの魔獣にも劣る……欠陥品だ」
「――――」
叱責されたのが堪えたのか、あれほど騒がしかったラフム達が大人しくなった。
静寂は逆に不気味だ。絶えず歯を打ち鳴らして笑い合い、命を奪うことに歓喜していた怪物が、何もすることなくジッとしている。
考えが読み取れない分、次に何を仕出かすのかわからない恐ろしさがあった。
そう思っているのは自分達だけで、キングゥはラフムを脅威とは捉えていない。同じ母を持つ兄弟なのだから、当然と言えば当然であった。
「わかったのなら、下がっていろ。屑のようにいるとはいえ、同じ母から生まれた兄弟だ。むざむざ殺させる訳にはいかない」
「そうか……こいつらは量産機なのか」
「ああ、認めたくはないけどね。彼らはボクをベースに、より単純化して量産された兵隊だ。そして、ボクは唯一の子としてティアマト神に作られた指揮官だ。出来が違うのも当然だろう?」
「けど、それは君の思い違いだキングゥ。君はティアマト神の子どもじゃない」
立香の言葉に、キングゥは眉をしかめる。
いったい、何を言い出すんだと心底から見下してる顔だ。
だが、その瞳の奥には何故だか悲しみのようなものが見て取れた。
一人ぼっちの子どものような、寂しさを携えた仄かの輝きであった。
「君はエルキドゥを参考にして作られたと言っていたけれど、本当は違う。君の体は紛れもなくエルキドゥのものなんだ」
「恐らく、エルキドゥさんの遺体を利用して作られた、合成魔獣なのだと思います。ティアマト神を目覚めさせるために…………」
「――くだらない」
マシュに最後まで言わせず、キングゥは呆れるように切り捨てた。
それは問題ではない。例え真実がそうであったとしても、そこには何の問題もないとキングゥは首を振る。
「母さんから生まれたモノでないにしても、ボクは母さんに命を与えられた、母さんの息子だ。エルキドゥの事も、他の事も……この体が知っている事を、僕は何も知らない。ボクはただティアマト神のために動く人形で構わない。他の目的、意味不明な感傷など余分だ」
必要なものはそれだけでいい。ただシンプルな存在理由、母の為に尽くすという目的さえあればそれでいいと、キングゥは言うのだ。
説得などに耳を貸すような輩ではないとは思っていたが、ここまで強固な精神構造をしているとは思ってもみなかった。本質が兵器であるが故なのだろう。
そして、キングゥはこれ以上は語る事もないとばかりに戦闘態勢に入る。
両腕に魔力を集中させ、いつでも武器へと変じさせれるように油断なく身構えてこちらを睨んでいた。
ちらりと街の出口へと続く路地を見やると、逃げた捕虜達の姿は見られなかった。無事に密林まで逃げおおせたようだ。
ならば、後はこの場を切り抜けるのみ。数では圧倒的にこちらが不利だが、キングゥはどうやらラフムを戦力としては見ていない。付け入る隙はそこにあるだろう。
「カドック……」
「アナスタシアの冷気で視界を隠す。殿はお前達だ、任せるぞ」
キングゥに悟られぬよう、小声で立香と示し合わせる。
全てはタイミングが命だ。キングゥの一斉射を初手で防ぎ切らなければ離脱はままならない。
密林に逃げた捕虜達とも急いで合流しなければ、他のラフムや魔獣達に襲われる危険もある。
「来るぞ! なっ!?」
いつでも走り出せるように身構えていたカドックは、突然の事態に己の眼を疑った。
姿勢を低くし、今にも飛びかからんと両足に力をこめていたキングゥが突如として倒れ込んだのだ。
「お、お前……達……?」
途切れ途切れに言葉を漏らしながら、キングゥは振り返る。
キングゥの胸からは、艶のない黒い爪のような腕が突き出していた。
こちらに飛びかかろうと身構えた瞬間、不意を突いた一体のラフムが背後から襲いかかったのだ。
「シシ、シ――シャハハハハハハハハハハ!」
「何が……おかしい……」
「――――決マッテイル。オマエ ノ 姿ガ 楽シイ カラダ」
背筋に怖気が走った。
歯をかち合わせ、耳障りな声で笑っていたラフムが、金切り音にも似た声で人間の言葉を紡いだからだ。
異形の存在から発せられる馴染みのある言葉。それが堪らなく恐ろしい。身の毛もよだつとはこのことだ。
「楽シイ。楽シイ。楽シイ。楽シイ。ニンゲンヲ 殺スノハ トテモ 楽シイ!」
狂ったように、惑ったように、不気味に踊りながら金切り音が言の葉を描く。
うだるような熱さが感じられず、腹の底から冷えていくかのような錯覚を覚えた。
あまりの嫌悪感に脳が情報の処理を拒否している。
あの気味の悪い歯茎が発する言葉を聞いていると、手足の震えが止まらない。
今までに感じたことのない冒涜的な恐怖であった。
「母ハ 我々ニ 命ジタ。新シイ ヒト トシテ学習シロ、ト。ヒト トシテノ 在リ方。ヒト トシテノ 定義。ヨリ 人間ラシイ モノ。ソレガ コノ 結論 ダ」
ある意味では当然の帰結だったのかもしれない。
ラフムはある意味では完璧な生き物だ。
生存のために他者から奪う必要がない。生きるために食糧を探す必要がなく、強靭な生命力故に温かい土地を求めて彷徨う必要もない。極寒の僻地や灼熱の砂漠でも容易に適応できるだろう。
雌雄を持たないが故に種族間で交わることもない。進化のために遺伝子を掛け合わせる必要がなく、従って種族としての劣化も起きない。彼らの生態が変わることはない。この星が続く限り、永遠に繁栄し続けることができるだろう。
だが、彼らには文化を生み出す土壌がない。
他者を寄せ付けない強さは向上心を生み出さない。
強靭な生命力は安寧を生み出すための創意工夫を呼び起こさない。
超社会的な生態系であるが故に、個という概念が生まれない。
あまりにも生物として完成されているが故に、同種族だけでは何も生み出されるものがないのだ。
そんな生き物が、突如として出現した時、生態系にどのような変化が生まれるだろうか。
彼らは考えたはずだ。自分達がピラミッドのどの部分を担う存在なのかを。
生きるための捕食を必要としないラフムは、他の生物を食糧とは見なさないだろう。
彼らにとっては動いている肉の塊でしかないのだ。そして、個と言う概念がなければ他者への共感も生まれず、命を奪うことにも躊躇することはない。
ラフムにとって他種族への攻撃は遊戯であり、自らの優位性を実感するための手段なのだ。
いわば彼らにとっての娯楽なのである。
「人間ノヨウニ活動スルノハ 素晴ラシイ! 楽シイ。楽シイ。楽シイ。楽シイ! ニンゲンヲ 殺スノハ トテモ 楽シイ!」
「お前達、は――――」
背後の兄弟達が一斉に動き出したことに対して、キングゥの顔に困惑の色が浮かぶ。
失敗作と見下したとはいえ、同じティアマト神の子として温情は与えていた。
無碍にするつもりはなかった。
守るつもりではいた。
その感情は彼らには伝わらなかった。
醜悪な新人類は兄弟たるキングゥに見切りをつけたのだ。
「オマエ ハ トテモ ツマラナイ オマエ ハ モウ 要ラナイ」
キングゥの胸を抉ったラフムがその腕を捻ると、爪の先に半透明の結晶体が引っ掛かっているのが見えた。
キングゥに埋め込まれていた聖杯だ。ラフムはキングゥから聖杯を奪うために不意打ちを仕掛けたのである。
そして、ラフムが腕を引き抜くと、キングゥはその場に力なく倒れ伏して動かなくなった。
聖杯を掲げて歯を鳴らすラフムを見て、表情がないはずなのにどす黒い邪悪な笑みを浮かべているかのような錯覚を覚えた。
「コレハ 我々ガ 回収スル。母を起こスのは 我々ノ仕事ダ。時代遅れの
嘲りと共にラフムは聖杯をその身に取り込んだ。すると、耳を覆いたくなるような肉の引き千切れる音と共に、ラフムの体が変質していく。
首回りが一回り大きく膨れ、弾け飛んだ瘤の中から一対の黒い翼が生えてきたのだ。
聖杯の力による強制的な進化。新たなる人類が獲得した、まだ見ぬ新天地への足掛かり。
大空を支配する魔翼。
ベル・ラフムの誕生であった。
ラフム語しんどい。