パチっと駒が移動する音が各所から聞こえてくる。そこにあるのは静かな闘争。将棋盤を挟んでお互いにぶつかり合うのは意思と意地。負けるものかと闘志を込め、相手の戦略を見抜き打ち勝つために策を仕掛ける。将棋に必要なのは頭脳である。思考に思考を重ね相手を上回ることこそが勝利だ。故に皆盤上を必死な眼で見て、そして自身の知識を振り絞り頭脳を限界まで回す。
だからこそ、この会場にあるのは静かな闘争である。雄叫びが上がるわけでもない、やられたことに悲鳴が上がるわけでもない。だが、この会場の雰囲気はそれ以上の戦いの空気を醸し出していた。
その中でも一際香ばしい空気を醸し出すのは、方やあの史上最年少竜王の二番弟子である夜叉神 天衣。黒を基調とした服は上品なものであり、その見た目からしてお嬢様といった感じだ。その表情は不敵な笑みを浮かべており不安など感じさせない。自分が強いと分っているからこその自信が現れていた。そしてもう片方は女流棋士として最近女王『空 銀子』に次ぐ人気がある鹿路庭 珠代。この場に相応しい落ち着いた色のスーツに身を包むがその豊満な胸が主張されている所為でどこか妖しい雰囲気がある。その表情はいつものホンワカとした母性溢れる笑みからこの場で戦う棋士としての顔へと変わっている。対戦相手と同じように、此方も不敵な笑みを浮かべて向かい合っていた。
そして互いに差し合う様はまさに闘争。本人達の姿は物静かなものだが、その盤上はまさに知謀が錯綜する魔境と化していた。
だがこれはまだ序盤に過ぎない。お互いにまだ仕掛けてはいないのだ。手始めに探りを入れつつ自分の陣形を整える。
「ふふふふふ」
「あは」
不敵な笑い声が互いから漏れ出し、ソレを聞いた近くにいた者達は背筋がゾクリと来て指す手を止めてしまった。それぐらいこの場は殺気だっていた。
そんな会場がおっかないことになっていることを気にせず晴明は関係者控え室にてお茶片手にぼんやりとモニターを眺めていた。
一応とは言え応援するといった手前、ちゃんと見てやろうという気持ちはあるらしい。それに人の対局というのはそれはそれで勉強になる。まぁ、大体典型的な型から入る事が多いのでそれには飽きているのだが、中には予想外な手を指す者もいるのでそういうものに注目する。それを参考にすることもあるのだ。
そんなわけでモニターを注目する晴明。そんな彼がふと扉の方に目を向けると妙にソワソワした様子の九頭竜 八一を見つけた。
「あ、竜王じゃないか。どうしたんだ、そんなにソワソワして」
「い、戦部二冠!? いや、その…………」
晴明の姿を認識した途端に緊張したのか萎縮し始める八一。そんな八一に晴明は割とフランクな感じに手招きをして備え付きのお茶を八一に淹れると静かに差し出した。
八一は呼ばれたこともあって晴明の向かい側に座るとお礼を言いながらお茶を受け取った。
「それで、そんなに落ち着かない理由は?」
対局じゃ無い限りは脱力系な男である晴明は今現在無気力な感じであり、とても二冠になった貫禄を感じさせない。その為なのか八一は若干緊張が解けて晴明に自身の不安を吐き出した。
「いえ、実は弟子の対戦相手がちょっと問題のある相手で………。しかもその強さが姉弟子よりも上かもしれないだけに心配なんですよ」
弟子のことを心配するのは師匠として当たり前らしく、八一は自分の事以上に不安そうにしていた。晴明としては師匠がアレなだけにそうなんだと感じるくらいでしかないことであった。彼の師は晴明のことを心配すると言うことは無い。既にお互い廃人レベルなだけにその実力に不安なぞ無いのだ。故に八一の話はある意味新鮮に聞こえた。
「どんな相手なんだ? 竜王がそこまで不安になる相手って言うからには結構ヤるんだろ?」
「実は………『女流帝位』祭神 雷(さいのかみ いか)が相手なんですよ。しかもアイツは性格がアレだから、それであいにどんな影響が出るのかと思うと、もう………」
八一が不安なのは一番弟子である雛鶴 あいの対戦相手が自分と因縁のある祭神 雷だからであった。その強さ、才能はそれこそ今現在女流棋士の中でもトップクラスである空 銀子すら上回る。それだけだったらよかったのだが自身の才能を自覚しているだけに傲りが過ぎ、自分より弱い相手には罵詈雑言を平然と向けて蔑む。自身が強者であるだけにそれは殆どの棋士が対象であり、並のプロ棋士では歯が立たないと言われている。問題児だが強い、そして性質が悪い。それが祭神 雷という棋士だ。それが良いというファンも多いそうだが。
そんな相手と対局してどんな影響が愛弟子に出るのかと不安そうな八一。彼からしたらそれだけやばいらしい。
だが晴明はそうは思わなかったらしい。寧ろソレを聞いて若干呆れたようだ。
「いや、大丈夫だろ。あんなの相手に不安になるのはどうかと思うぞ」
「え、あんなのって」
晴明の反応に八一は逆に驚く。彼は祭神 雷の強さを知っているだけにそのように評価する晴明が信じられないようだ。そんな八一に晴明は軽く笑う。
「あれはただのドSないじめっ子だろ。自分が強いと思い込んで調子に乗る小娘だ。あんな雑魚相手ならそのお弟子さん……そう、雛鶴 あいちゃんだったか。なら大丈夫だろうさ。見た感じだが、あの子は結構ヤる。あんな雑魚相手に苦戦するとは思えんよ」
「いや、仮にも女流帝位を雑魚って………」
その言葉はどうかと思うという八一に晴明は少しばかり思い返しながらやはり呆れた顔をした。
「いや、雑魚だろ。以前絡まれたことがあってその時少しばかり殺り合ってみたんだが、イマイチノリが悪くてなぁ。ちょっとばかしオイタが過ぎると思ったんで反省しろという意味も込めて『根切り』にしようとしたら急に泣き出して将棋盤ひっくり返して逃げていったんだよ。そんな奴が雑魚でなければなんだというんだ?」
「いや、それは………(将棋界の死神に代名詞まで言われればそれは確かに逃げ出すかも知れないけど)」
晴明からしたら祭神 雷はただの調子扱いた餓鬼に過ぎず、強いとは思わないらしい。だがそれは晴明だからとしか言い様ない。普通はそんなことないはずなのだが、仮にも此方はA級棋士にしてタイトルホルダー、そしてあの『神』と対等に指し合える異常者である。そこまで極まった化け物ならばそう言えるのも仕方ないかも知れない。
それを知らない八一にとって、そういう晴明はそれだけ強い棋士だということだろう。その揺らがぬ自信にが羨ましく彼には思った。
「寧ろ俺としてはあんな雑魚相手よりも君のもう一人の弟子の方が心配した方が良いと思うぞ」
「アイが………ですか?」
祭神 雷にばかり意識が向いてしまっていたこともあって八一は二番弟子である夜叉神 天衣のことが二の次になってしまったことに反省するのだが、そこで気になることを聞いた。
「アイの対戦相手というと………鹿路庭 珠代女流二段ですよね」
八一が知ってる珠代という女性は所謂年上のホンワカお姉さんといった所だろう。特にその美貌と巨乳に年頃の少年としては憧れを抱いても仕方ない。棋士としての強さについて身近に女王の空 銀子がいるため実感し辛いのだろう。だからこそ、疑問に感じる。
「彼女はそんなに強いのですか?」
純粋な疑問に対し、晴明は苦笑しながら答えた。
「いや、弱い。アイツとの戦争は悪くはないが俺を満足させるにはまだまだ緩い」
「え、だったら」
「確かに弱い。でもそれは俺等のレベルで言えばだよ。普通で言えば十分に強い。それにだ………アイツはある意味性質が悪い。良い意味でだけどな」
「性質が悪い?」
その意味が分らず八一は首を傾げる。そんな八一に晴明は笑いながらこう言った。
「アイツ曰く『大好きな人の考えてることを察せるのは女の子として当然のことです!』だってさ」
その意味を理解するのは八一が二人の対局を見てからだった。
「そんなことじゃ九頭竜先生のハートは射止めませんよ。恋する乙女は相手の考えてることを察せて一歩前進です。そして私はせんぱいのことが当たり前で分ります」
そして彼女は盤上にてそう駒で語っていた。