仕事の関係もあって棋士というのはあちらこちらに出向くことが多くある。その大概が対局だったりするのだが、それ以外にも地方巡業もあったする。
そんなわけで周りから恐れられている戦部 晴明であろうともその手の仕事はしなければならない。棋士だって職業だ、職務は大切なのである。
だから晴明は本日、大阪の関西将棋会館に向かっていた。とある対局の解説を頼まれたからだ。
そんなわけで…………。
「せんぱい、大阪に着いたらどれから行きますか? やっぱり定番のお好み焼き? それとも串カツ? たまにの贅沢でテッチリ? 変化球できんつばやチーズケーキなんてのもありますよ。私としてはどれも魅力的なんですけど、出来ればたこ焼きですね。熱々の奴が良いです。せんぱい猫舌だから私がフーフーして食べさせてあげます」
「お前は何でここにいるんだよ。この仕事は俺だけでお前は呼ばれてないだろうに」
目の前ではしゃぐ後輩の美女を前に晴明は溜息を吐いていた。
今回の仕事は彼個人のものであり彼女………『鹿路庭 珠代』が同行する理由なぞ一切ない。だというのに目の前の後輩はついてくるのが当然だと言わんばかりに晴明の隣に座って大阪観光の予定を練っていた。
「お前、大学はどうしたんだ」
「今日はお休みですし明日は取ってる講義がないので問題ありません」
若干呆れた様子に晴明の問いかけに珠代はドヤ顔をしながら身体を前に反らす。すると彼女の大きな胸がゆさりと揺れた。いつも以上に気合いの入った露出が大きい服なだけに胸の谷間が強調されており、性欲の鈍い晴明であっても目をやってしまい気まずそうに顔を反らす。
「あれ? せんぱい、顔が赤くなってません?」
「………気のせいだろ」
軽く咳き込んで場に漂う妙な雰囲気を消し飛ばすことにした晴明。だが珠代には既にバレており、彼女は内心ガッツポーズをしていた。そして同時に優越感に浸る。周りの棋士達は皆怖がって近づかない中、自分だけが晴明のこういう可愛い表情を知っているのだと。恋する乙女は貪欲らしい。
そして晴明は彼女が晴明に同行してきた理由を聞くのを諦めた。というよりも聞くだけ無駄だと悟ったので辞めた。
「取り敢えず仕事が終わるまで待ってろ。そうしたら何でも付き合ってやるから」
「わかりました! せんぱい、絶対に約束ですからね! さぁ、どこに行こうかなぁ」
そんな訳で晴明は珠代と共に関西将棋会館に向かうことになった。
関西将棋会館についた二人。そこで晴明は関係者に挨拶をするのだが、どういうわけか珠代も一緒になって挨拶していく。その様子は秘書か奥さんか………そんな珠代の様子を見て関係者界隈に要らぬ誤解を招くのだが、それが本人が狙ってのことなのかは本人にしか知らない。
そんな珠代を見つつも晴明は仕事ということで多少のやる気を見せながら段取りなどを相談していく。そしてある程度話が纏まったところで小休止のために自販機に飲み物を買いに来た。ちなみに珠代は晴明の仕事を間近で見たいと控え室にてモニターを見るとのこと。この女、まったくぶれない。
何にしようかと手が悩んでいる最中、横から少しばかり騒々しい声が聞こえてくる。
「ししょー、ししょー!」
「あ、あい、落ち着きなさいって」
声の方を向くとそこには歳若い男と小学生くらいの女の子がいた。どうやら女の子がはしゃいでいるようで男がそれを諫めているらしい。
そんな男であるが、その顔に晴明は見覚えがあった。
「あれ、もしかして竜王?」
晴明は目の前にいる史上最年少竜王である『九頭竜 八一』に向かってそう声をかけてしまった。その声に気付き八一ははっとして晴明を方を向く。そして晴明の姿を見た瞬間に萎縮し畏れと敬意を抱きながら言葉を口にした。
「戦部帝位………何故貴方がここに………」
晴明の姿はある意味目立つので、棋士達の間では特に有名だ。神鍋 歩夢のように服装や言動が奇抜だからではなく、白髪の若い男の棋士というのがいないからだ。一番近いのが『十七世名人』月光 聖市だが、将棋の気性というものがまったく違う。棋士ならば誰もが知りそして恐怖する。それが戦部 晴明という棋士なのだ。
だからこそ同じタイトルホルダーであるはずの八一でさえ萎縮する。タイトルホルダーとはいえ八一はC級棋士、晴明はA級棋士である。格の差が違う。
そんな八一を不思議に思ったのか側にいた女の子が八一の手を引きながら問いかける。
「ししょー、この人は?」
その質問に八一は驚いてしまうが無理もないと思った。何せ彼女……『雛鶴 あい』は本日からこの将棋界に足を踏み出すのだから。
だから八一は弟子であるあいにわかりやすいように説明した。
「あい、この人は戦部 晴明帝位。俺と同じタイトルホルダーでA級棋士。そして…………『もっとも名人に近い』人だよ」
その言葉に彼女は晴明がどれだけ凄いのかということを理解することは出来なかった。まぁ何となく凄いんだろうなぁというくらいにしか分かっていない。だから彼女はこの場に於いてもっとも聞いてはならないことを八一に聞いてしまう。これから対局がある八一のコンディションを崩しかねないような質問を。
「でもししょーの方がつよいんですよね。だってししょーは竜王なんですから。最強のドラゴンキングですもんね」
絶賛負け続け中の八一にこの言葉は深く突き刺さった。弟子の期待の籠もった眼差しに八一はどう答えて良いのか悩んでしまう。
そんな八一を見てか、晴明はあいに向かって目線を合わせるようにしゃがみながら声をかけた。
「それは殺ってみないとわからないかな。相手が強いのかどうか、なんてのは殺り合った同士にしかわからないもんだよ」
その言葉の中に潜む殺気に八一は身震いしあいは気付かず晴明を指さしながらこう宣言した
「だったらししょーは負けません。だってあいのししょーなんですから」
そんなあいに晴明はそうかと苦笑しながら自販機に向かう。
「せっかくだ、竜王とその弟子に対局前(戦前)の景気づけとして飲み物でも奢ってあげよう。何がいい?」
「いや、そんな、帝位にそんなこと」
申し訳ないと断ろうとする八一に晴明は朗らかに笑う。
「これから対局だろう。だったらここは遠慮せずに堂々としていけ。でないと気迫で押し負けるぞ、竜王。神鍋六段は確かに強いからな」
そう言われオドオドした様子を見せつつも八一は晴明からお茶をもらいあいはリンゴジュースを笑顔でもらう。
そしてその場で二人と別れようとした晴明だが、八一にある言葉を贈ることにした。
「竜王、いいか。『戦を楽しめ、自分の戦場を楽しめ、相手との戦争を楽しめ、そして………相手との殺し合いを楽しめ』それがもっとも大切なことだ」
「え………殺し合いって、そんな物騒な………」
その言葉に八一はそんな大げさなっと言いたそうな顔をする。そんな八一に晴明はニヤリと笑って見せた。
「物の例えだよ、例え。だがまぁ…………俺は常々そう思ってるよ。戦争は、命のやり取りは楽しいもんだよ。何せ命掛けだからな。生きてるって実感が湧く。それほど嬉しいことは早々無いさ」
そう言うと晴明は八一達に背を向けてこの場から去って行った。
その対局はなんと戦後最長手数記録である402手を記録し、その結果対局は夜を跨いで早朝の5時まで続いた。
その結果………………。
「むにゃむにゃ、せんぱ~い…………えへへへ」
晴明の前には控え室のテーブルにもたれかかるようにして座っている珠代が実に幸せそうに眠っている姿だった。
そんな彼女に晴明は軽い溜息を吐きつつ着ていたスーツの上着を彼女にかけてあげた。
「こんな時間まで待ったのか………仕方ない、今日一日こいつに付き合ってやるか」
そして彼女の目が覚めるまでその寝顔を見続けていた。