3月、見滝原中学の卒業式の日。
式が終わって、まどかが隣にいる。手には卒業証書。
そうだ、これは私達の卒業式だ。
この時を迎えられる日を、まどかが中学生を卒業する日を、ずっと、本当にずっと望んでいた。
ずっと見たいと思っていた。未来を奪われた彼女が、次の未来へ進むステップを踏む瞬間を。
ああ、幸せはここにあったんだ。


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卒業式が戦いの終わりではない事を私は悟った

「まどか」

 

 横を歩くまどかは、涙を流して嗚咽を漏らしていた。

 その背中を撫でながらも、私の心は乱れない。

 

「う、ほむらちゃ、っく」

「ほら、前を見て、他の人にぶつかるわ」

 

 まどかと並んで歩いていると、自然と彼女の泣き声が耳に響く。

 

「んうっ……ふぇ……」

 

 平時にそんな声を聞いていたら、きっと身が潰される様な悪寒が走っただろう。でも、心は全く乱れない。

 むしろ全てが満たされていて、暖かな気持ちが溢れるようだった。まどかの泣く声だって、悲しそうではあったけど、そこに幸せな色が含まれているのは明白だった。

 

「っ、ひっく……っ」

「まどか、ハンカチをどうぞ」

「あっ、ありがと……」

 

 受け取ったハンカチを遠慮がちに目元に当てて、まどかは少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 背中を軽くさすって見ると、彼女は小さな嗚咽を漏らして息を吐く。

 

「…………今日で最後なんだね」

「ええ」

 

 開花したての桜が目に留まった。

 いつもの通学路は仄かに美しく染まりはじめていて、青空の下で私達を迎え入れていた。

 肌寒い季節が抜けたばかりで、春と言うには早い気がしていたけれど、もうすっかりそれらしい景色に変わっている。

 今年の冬は長かった。むしろ、永遠に続くのではないかと思うくらいに長く感じた。

 もちろん、本当に異常な気象だったのではない。私自身が、冬を長く感じていたのだ。

 

「落ち着いた?」

「うん、もう大丈夫だよ」

「そう……良かった」

「ありがとう。このハンカチ、洗って返すね」

「気にする必要はないわ」

「そう? でも」まどかが躊躇してハンカチを握った。

「汚れた訳でもないし、そのくらい大丈夫よ。それに、また必要になるかもしれないから、しばらく持っていていいわよ」

「いいの? じゃあ、ちょっとだけ借りるね」

「ええ。私は使わないから、遠慮せずに使ってね」

 

 私のお気に入りのハンカチを、まどかは大事そうに持っていてくれた。

 まどかの顔を正面から見つめる。泣きすぎて目が赤くなっていたけど、それでも溢れる幸せが、瞳からも伝わってきた。

 

「ほむらちゃん?」

「……なんでもないわ」

 

 取り繕いながらも、強い高揚感は止まらなかった。

 この日を迎えるその瞬間を、ずっと待っていた気がした。

 むしろこの日この場で、まどかにこの言葉を伝える為だけに私は存在し続けてきた。そんな気がするのだ。

 

「まどか」

「どうしたの、ほむらちゃん」

 

 急に足を止めた私を、まどかがじっと見つめた。

 今日という日を迎えられた事が、どこまでも愛おしい。

 彼女が手に持っている筒と、その中身に思いを馳せるだけで安堵が心から沸き上がる。

 胸の奥から無尽蔵に広がる感情が、私の口を勝手に開かせた。

 

「卒業……おめでとう」

「んっ、ほむらちゃんこそおめでとう」

 

 再び流れた涙を拭い、まどかは卒業証書を握った。

 いつも通りの制服姿も、これが最後と思うと、どこか目映く見える。

 まどかは今も少し泣いている。周りを歩く同級生も、半分くらいは泣いていた。

 私は泣いていない。

 

「……ほむらちゃん?」

「えっ、ええ……ふふ、まどか、おめでとう」

「うん? うん、ありがとう」

 

 二度めの祝いの言葉に、まどかが戸惑っている。その姿がどこかおかしくて、自然と口元が緩んでしまった。

 こうして見ると、生まれてはじめて、まどかが幸せな涙を流す所を見たかもしれない。

 彼女は朗らかな笑顔と暖かな表情の似合う人だから、泣く時は決まって悲しい時、辛い時になる。

 だから、その顔を見る度に、苦しみと痛みと、心が底まで落ちていったしまう程の悲しみが私の中に生まれたものだ。

 でも、今日は違う。卒業式をして、確かに見滝原中学の生徒ではなくなるけれど、それはまどかにとって、きっと幸福な事だ。

 

「来月はもう高校生かぁ」

 

 鼻を詰まらせた声になりつつも、まどかは未来への希望に満ちた雰囲気で語った。

 

「見滝原中学に来るのが本当に今日で最後だなんて、なんだか変な気分になるよ」

「私も、そう思うわ。この学校に通うのが人生の殆どだった気がするの。むしろ、ここに来てからはじまったのかもしれない」

「さ、流石に大げさじゃないかな?」

「そうかもしれないわね。でも、私にとっては本当に、この三年間は」ひと呼吸おいて、微笑んだ。「そう、一生分に濃密な三年間だった」

 

 まどかが不思議そうにしている。

 彼女には伝わらない話だろう。それでいい。この瞬間までにどんな事があったのかなんて知る必要のない事だし、どれほどの出来事があったにせよ、彼女には関係のない事だから。

 

「三年間、三年間だよね。小学生の半分しかなかったのに、とっても色々な事があって。長かったような、でも、あっと言う間だった様な」

「沢山、思い出があるわよね」

「うん。何十年も中学生だった気がするくらい」

「……そう」

 

 僅かに眉をしかめてしまった。

 実際、私の中ではまどかは中学生のまま長い時を過ごした。その期間は三年であり、永遠の様に長くもある。

 私しか知らない筈の事だけど、まどかはどこかで気づいていた。

 

「これが最後って思うと、やっぱり……ごめんね、また、ちょっと」

「大丈夫よ。それに、これが最後ではないから。きっと、みんなにまた会えるわ」

「う、うん。でも、なんだか、とまらなくて」

 

 また少し、まどかは泣き声を漏らす。

 自然と、心が安らぐ。まどかの背中をさすって彼女の息づかいと体温を感じると、心にはりつめていた物が少し抜けてた気がした。

 

「あ、ありがとう。えへへ……」

 

 ハンカチで目元の涙を消し去って、まどかの顔には喜色が浮かぶ。

 そして、彼女は私の肩にそっと寄り添ってきた。

 

「まどか?」

「ほむらちゃんと出会ってからもさ、いろんな事があったよね」

「……ええ。本当に」

「そうそう、あの子とは連絡を取り合ってる?」

 

 何の話かはすぐに分かった。有無を言わさず私『達』の手を握ってくれたまどか。目の前のまどかに救われた私と……もう一人。

 魔法少女にならなくたって、まどかはまどか通りに優しく、強く、勇気のある子なのだと思い知らせてくれた事件だ。同時に、私に魔法少女の知り合いが一人出来た出来事でもあった。

 

「ああ、あの子ね?」

「うん。あれから、仲良くなれたの?」

 

 「もちろん」と即答したかったけれど、少し考え込んでしまう。

 私達の間にあるのが友情の類なのか、すぐに判断できなかったからだ。

 会う度に決まってこちらを見ては目を輝かせ、自分の事は酷く卑下する割に私の事は褒めちぎる。私が少し黙っているだけで、不安そうに口を閉ざす。

 自信なさげに下を向く様がかつての自分を見ている様で、友達になれた、とまどかに答えるのは少し難しい。

 私は、俯きながら歩む子の手を取って顔を上げさせる事はない。まどかの様にはなれないのだから。

 だからって、そう答えればまどかを落胆させてしまう。どう答えるべきなのか。

 

「……時々、一緒に出かけるくらいには」

「そっか、良かったぁ」

 

 迷いに迷って出した私の答えに、まどかは安堵した様子を見せた。

 確かに一緒に出かけたけれど、まどかと遊びに行く為の下見が目的だった、とは言えなかった。

 

「心配しなくても、彼女はもう大丈夫よ。十分に落ち着いたわ」

「うん……ほんとはね、ほむらちゃんの事もちょっと心配してたんだよ?」

「私の事?」

「ほむらちゃん、前は一人になろうとしてたから」

「そんなこと……」

 

 無い、などと言ってもまどかは信じないだろう。彼女の瞳は優しく澄んでいた。

 

「……そんなことないわ」

 

 思わず目線を逸らすと、視界の端に美樹さやかが見えた。こちらに軽く手を振り、充血した目を晒している。

 どうやら泣いていたらしい。

 小さく、ほんの少しだけ手を振り返すと、あちらは意外そうに目を丸くして、面白がっていた。

 

「ふふっ」

 

 まどがか嬉しそうな声をあげた。

 私が他の誰かと仲良くなるのを、純粋に喜んでくれている。私が一人でいる度に気をかけてくれて、交友関係が広がる事を自分のことみたいに笑顔を見せていた。

 私はまどかさえ幸せに、そして無事でいてくれるなら、それでいいのに。

 

「まどか」

「ん?」

「……貴女と友達になれた事が、この学校生活で一番素敵で、幸せな出来事だったわ」

 

 まどかがこちらを見つめた。

 柔らかく目を合わせるだけで、飲まれそうになった。

 

「わたしも。沢山思い出はあるけど、一番大きかったのは、ほむらちゃんが転校してきた事かも」

「お、大げさではないかしら」

「そんなことないよ? ほむらちゃんもそう思ってくれてたんだよね?」

 

 特に照れるでもなく、まどかは当たり前に語った。嘘を言っていないのは明らかだった。

 その顔があまりにも自然で、返す言葉に詰まる。

 

「ほむらちゃん?」

「あっ、ええ、そう、そうね、ありがとう。あなたと出会えたのは人生で一番の幸運だったわ」

 

 優しい子だから、私を前にして気遣ってくれているのかもしれない。

 一瞬にも満たない間だけ、そう思った。だけど彼女の顔には僅かな迷いもなくて、心から気持ちを伝えてくれたのは明らかだ。

 今まで感じていた幸福感とはまた違う、あたたかな何かが心の中を流れた。

 まどかにそう言われて、嬉しくない訳がない。むしろ望んでいた気さえする。あまりにも都合が良すぎる考えで、胸に抱くには抵抗があったけれど。

 

「ほむらちゃん。春休みは何か予定ある?」

「え? ……特にないわね」

「そっか。今度さ、高校で使うカバンを買いに行きたいの。どういうのがいいか、ほむらちゃんに見て欲しくて」

「私は大丈夫だけれど。まどかの方が、きっとセンスがあると思う」

「そ、そうかな」

「そうよ、間違いないわ」

 

 まどかの全身を改めて見つめる。

 いつもの制服姿だけど、やっぱりかわいらしい。

 何度も何度も、同じ時間のまどかを見てきたから分かる。最初に出会った時よりほんの少しだけ、まどかの見た目は変化していた。

 あの頃より少しだけ背が高くなって、大人びて。でも、包み込む様な優しい雰囲気は初対面の時と全く変わっていない。

 そんなまどかが選ぶなら、どんなカバンでも似合って見えるだろう。

 

「……でも、やっぱり見て欲しいの。他の人の目って大事だと思うんだ」

「わかったわ。一緒に選びましょう」

 

 そこまで言われて、断る気は起きなかった。

 

「そうっ? じゃあ、ほむらちゃんのも一緒に選んで良い?」

「……貴女が選んでくれるのなら」

 

 まどかの顔色が目に見えて明るくなったけれど、きっと、私の方が喜んでいるだろう。

 彼女が隣に寄り添ってくれるだけで世界が愛おしく感じられる。ただ一緒にいて普通に会話をしているだけなのに、幸せが溢れて爆発しそうになるんだ。

 一歩引いた対応をしても、まどかは一歩踏み込んできてくれた。まどかにとっては多数の友達の一人に過ぎないだろうに、まどかは迷わず私に優しくしてくれて、私を頼ってくれて、私と仲良くしてくれるんだ。

 今だって、一緒に遊びに行こうと誘ってくれる。特別な友達と扱われている様で、うぬぼれてしまいそうだった。

 

「日程は、いつがいいの? 教えてくれたらまどかに合わせるから」

「うーん……来週の月曜日とか、どう?」

 頭の中でカレンダーを思い浮かべると、その日には予定が書かれていた。

 即座に塗り潰して、後から「まどかと遊びに行く日」と書き換える。

「ええ、大丈夫よ」

「じゃ、決まりだねっ。それとね、近くに美味しいケーキのお店があるの。ついでに行ってもいいかな」

「貴女の行きたい所なら、どこへでも」

「うん、じゃあよろしくねっ!」

 

 まどかが手を差し伸べてくれた。

 つい、迷ってしまう。その柔らかな指先に触れるのが本当に私で良いのか。

 

「ほむらちゃん?」

「ううん、なんでもない」

 

 まどかが良いなら、良いのだろう。迷うのはやめて、まどかの手をとった。

 

「えへへ」

「……ふふ」

 

 嬉しそうに頷くまどかを見ていると、ここにいて良かったと、そう思う。

 こうして近くで見る彼女の幸せは、とても鮮やかだった。彼女の瞳はまばゆいくらい輝いていたし、私の手をしっかり握る指先は熱くて、足取りだってとっても軽い。

 並んで歩いていると、彼女はあまりにも自然で普通だ。世界を変えられる様な存在には見えない。

 でも、私の世界は大きく、あまりにも大きく変えてくれた。

 私に勇気を、意思を、想いを、約束を、そして何より愛をくれた。まどかと出会わなければ、私はきっと、何者でも無い無為なものとして、弱く愚かで無価値に消えていっただろう

 この子が傍に居てくれたから、私は私で居られたのだ。

 

「ありがとう、まどか」

「?」

「……私と一緒に居てくれて、ありがとう」

 

 その感謝の念は独り言に近かった。

 それでもまどかの耳には届く。彼女の怪訝そうな、よくわかっていない表情が、とても幸せな物に見えた。

 愛おしい表情を眺めながらも、まどかに歩幅を合わせてゆったりと歩を進める。

 

 いかにも機嫌の良さそうな、溢れんばかりの幸福が私にまで届く。

 彼女が今、心の内側で何を考えているのか。それは分からない。だけど、嫌だと思っているのでないならば、何でも良かった。

 何でも良いのだ。高校生活への期待でも、新しくできるであろう友達でも、はたまたここで別れるクラスメイトでも、美樹さやかでも、佐倉杏子でも、巴マミでも……私でも。

 すっかり涙も抜けてにこにこと、前を見ながらまっすぐ歩んで、まどかはひたすらに輝いていて。手を繋いでいるというのに、置いて行かれそうになった。

 まどかの幸福そうな空気にあてられて、足が止まっていたんだ。

 

「ん」

 

 振り向き、すぐに私の隣まで戻ってくる。

 まどかに向かって「なんでもない」と首を振って、私達はまた、見慣れた学校の帰り道を歩んだ。

 

「ほむらちゃん、頭に花びらが」

「え? ……どこに?」

「えっと、こっち。取るね」 

 

 私の頭に触れると、まどかの手のひらには桜の花びらがあった。

 

「黒髪だと、桜が目立つよね。取るのがちょっともったいなかったかも」

「まどか……」

 

 お礼を言うより前に、彼女の頭にも同じように桜色の彩りを見つけた。

 綺麗だと思う。まどかの髪色と桜の色が混ざり合って、私なんかよりずっと桜が似合う。

 

「貴女の頭にも乗っているわ」

 

 取った方がいいのだろうか、と手を伸ばすと、その時、花びらが不自然に動いた。

 いや、花びらではない。それは桜によく似た色の蝶で、私に触れられる前に逃げていった。

「あれ? 蝶だ」

「だったみたいね」

 

 なんという名前の蝶だろう。その形をしっかり確認するより早く、去って行ってしまった。 まどかの頭にはまだ、何枚かの花弁が乗っている。

 そっと取り除くと、まどかは私に触れられた事に気がつかないまま、蝶の消えた方向を見つめていた。

 

 そんな時、背後で近づいてくる気配があった。

 振り返らなくても、誰なのかは分かる。隅に流れる小川に反射して、姿が見えたのだ。

 よく知った、しかし親しくはない青髪の知人の姿を見て、邪魔にならない様にまどかと繋いでいた手を離す。

 途端に彼女はまどかへ近寄ると、その背中へ飛びついた。

 

「まーどかっ!」

「ひゃあっ……さやかちゃん? びっくりしたぁ」

 

 美樹さやかは、まどかの肩を掴んでぐるりと身体を回し、まどかの目前で立ち止まる。

 その指にはまったリングがほんのり青く発光して、片手に握った卒業証書を照らしていた。

「うんうん、いい反応してくれてあたしは嬉しいぞぉー」

「ええー……」

 

 まどかの涙の痕跡を発見すると、美樹さやかは「ははあ」と声をあげた。

 

「まどか、ずいぶん泣いたみたいだね」

「そう、かな。ほら、やっぱり卒業式ってつい泣いちゃうし……」

 

 「あなたこそ泣いていたでしょう」と口を滑らせそうになって、余計な一言を封じ込めた。まどかが楽しげに話しているのだ。邪魔をするべきではない。

 

「まどかもあたしもついに高校生だよ? 感想は?」

「か、感想? ……高校にはどんな子が居るかなぁ、とか?」

「それだけ? 気になってた男子と学校が別れて残念とか」

「えー? ないかな」

「そっか。まあ、まどかを男にやる気はないけどっ!」

 

 もう数歩下がって、まどかと美樹さやかの会話に割り込まない位置で足を止めた。

 彼女は軽やかにまどかの頭を撫で回し、くすぐったそうなまどかに元気よく笑いかけていた。

 

「はうっ」

「お? おおっ? 今日はこう、髪の感じが違う?」

「そ、そんな事無いよ?」

「分かるって、別のシャンプーを使ったんでしょ。いつもとは香りが少し違うし。卒業式で気合い入れてきたの?」

 

 まどかが明らかに狼狽えて、心なしか、こちらへ目を向けた。

 予想外の視線に思わず首を傾げてしまう。

 

「あのね、ほむらちゃんみたいなさらさらのロング、やってみたくて……じゃあ形からで、ほむらちゃんの使ってるのに変えたんだけど」

「つまり、高校生に向けて自分を変えたいって事?」

「そ、そういうのじゃないよ」

 

 まどかの方がずっとかわいい髪をしている。

 けど、私の髪を褒めてくれたり、撫でてくれたり、触り心地が良いと言ってくれたのは、間違いなくまどかだ。

 複雑な気分ではあったけど、まどかが私に憧れてくれたなんて、嬉しくない訳がなかった。 ただ、一つだけ気になる。私は、使っているシャンプーをまどかに教えた事が無い。

 

「あの子から聞いたの」

 

 私の疑問が顔にでも出ていたからか、尋ねる前にまどかが答えてくれた。

 言われてみると、『匿名希望』を通す彼女へ使っているシャンプーを教えた気がする。

 

「有りじゃない? ほむらよりは短いけど、もうちょっと伸ばしてストレートにすれば、結構綺麗になるだろうし……まどかの髪からほむらっぽい匂いがするのは不思議な感じだけどね」

「んと、そんなに目立つ匂いかな……?」

 美樹さやかがこちらを一瞥する。

「いや? まどかとは長い付き合いだからね、ちょっとした違いでも分かるの」

「良かった。でも、ほむらちゃんみたいな髪型って、わたしには似合わないのかな?」

「そうは思わないよ。でも、まどかにはまどかの良い所がある。ほら、誰かの真似なんかしなくたって、まどかはかわいいんだよ」

 悪戯っぽくウインクをして、美樹さやかは付け加えた。

「でも、それはそれとしてロングにするのは楽しみにしてるからね?」

「うん。頑張って綺麗な髪型にするね!」

 

 彼女と会話をするまどかはとても自然体で、どこか美樹さやかに甘えている様でもあった。 そんな、何の遠慮もないまどかの声を聞いていると、やっぱり、私はまどかのただの知り合い、多くの中の一人なのだと分かる。

 もちろん、私が一番ではない事くらいは常に理解している。自惚れない様に頭の片隅に留めている。まどかが私に気を遣ってくれているのも、分かっているのだ。

 

 けれど、こうしてまどかが何の遠慮も無い友達同士ではしゃいでいる姿を見ていると、一ヶ月の繰り返しを超えて、まどかと同じ時間を生きていても、やっぱり私はまどかの一番の友達にはなれないのが痛いくらいに飲み込めた。

 それでも構わなかった。私にとってまどかは一番だけど、まどかの一番である必要は無い

 これからもっと、まどかには沢山の友達ができて、私なんかは次第に遠ざかっていくだろう。容易に想像できる未来で、きっとそうなる。

 

「あっ、みんな!」

 

 クラスメイトの姿を見かけて、まどかが駆けた。

 

「卒業おめでとう!」クラスメイトの涙を見て、まどかが安堵の声を漏らす。「うん、やっぱり泣くよね。わたし? わたしも結構泣いちゃったよ」

 

 私から離れて、クラスのみんなと語り合いはじめた。

 これから、まどかとは疎遠になってしまう子も居る。彼女達は一時の別れを惜しみながらも、未来への希望を語り合っていた。

 私は、通う高校もまどかに合わせた。だから、来月からもまどかと離れたりはしない。私がこの世から消えるまでは、もはや離れる事は無い。

 だけど、ああやってまどかと一緒に未来を語り、互いの繋がりが遠くなる事を悲しめるのは、とても素晴らしい関係に思えた。

 

「卒業おめでと」

「……」

「おーい……」

 

 私の目の前で、美樹さやかの手が揺れる。

 

「ちょっと、無視でもしてる?」

「してないわ。ただその、静かにしていただけよ」

「ふーん」

 

 クラスのみんなの中にまどかが居て、沢山笑い合って、ちょっと泣いている。

 それはまるで、どこか遠くの光景の様で、私が立ち入るのは余りにも場違いに思えた。

 

「……ほむら?」

 

 美樹さやかの声がどこか遠くに聞こえた。

 その声に戸惑いと驚きがこめられていると気づいたのは、自分の目元の熱を感じた後だ。

 思わずまぶたを撫でると、湿り気で指が濡れている。

 

「あ、れ?」

 

 熱い涙が、瞳からこぼれて、落ちて、ああ、視界が、瞬く間に涙で歪む。

 まどかが、クラスの人達と学校の思い出を語り合っている。ただそれだけの光景のなのに、視線を外せなかった。

 大切な人達に囲まれて、ただただ楽しそうに過去の思い出と未来の希望を語る。そんなまどかを見ていると、涙が止まらなくて、仕方がなくて。

 近寄ろうとは思えなかった。今はもう、あの優しい光景の一部になっても良い筈だけれど、その輪に入っていけるほど、私は強くない。

 自惚れてはいけない。

 繰り返す。自惚れては、いけない。

 

「ふふっ……ああ、良かった。本当に」まどかの表情を見ていると、声がひどく震える。「卒業、おめでとう」

 

 小声での祝福は、まどかの耳に届かない。

 本当に楽しそうだ。みんなで卒業証書を握って、頭に乗った花びらを、まどかに取って貰っている子もいる。思い切り泣いている子にはまどかが寄り添い、何度も頷きながら話を聞いて慰めていた。

 まどかもみんなも、幸せそうだ。多幸感に溢れ、愛おしさすら覚える。

 

「あ、ちょっと……ほむら?」

「じゃあね」

 

 まどかに意識を向けたまま、その場から物音を立てずに離れる。

 もしも私が必要になれば、まどかが呼んでくれるだろう。

 

「おい」

 

 立ち去ろうとしたのと同時に、腕が私の肩を乱暴に捕まえた。

 杏子だ。その無理矢理で、力強い手つきを間違える筈がない。

 

「待てって。どこ行くんだよ」

「何かしら」

「そりゃあ、あんた……ほむら?」

 

 顔を合わせた瞬間、彼女の声が途切れた。目と口を大きく開けて、開けたまま硬直していた。

 どうしたのだろう。よく分からないけれど、強く掴まれすぎて痛い。

 流れる涙を止められないまま、杏子の腕をそっと引き剥がした。

 彼女は思いのほか簡単に離れた。しばらくこちらをじっと見つめ、何故か首を数度大きく振った。

 

「……なんでもない。大体、そろそろ集合写真撮ろうって時にどこへ行くんだよ」

「集合写真?」

「はぁ? ……気づいてなかったのかよ」

 

 杏子が指さした先には、まどかと、クラスメイトがいる。

 

「ほむらちゃん? どうかした?」

 

 こちらに気づいて、まどかが駆け寄ってきた。

 何の躊躇もなく手を握られ、びくり、と震えてしまった。

 

 泣いている姿を見られるのは、恥ずかしくない。だからってまどかに心配をかけてしまうのは嫌だ。

 無理矢理にでも涙を止めようとしたけれど、嗚咽まで漏らしてしまって、とてもではないけど止まりそうにない。

 

「えっと、まどか……」

 

 ハンカチが私の目元を拭った。

 私のハンカチを使ってくれて、その手つきはどこまでも優しさに満ちている。

 

「ほむらちゃんが泣いてるところ、久しぶりに見たかも」

「そう、だね。うん、久しぶりかな」

「それに……」

 まどかの手が私の頬を包み込む。

「えっ……」

「初めて見ちゃったかも。ほむらちゃんが、思いっきり笑うところって」

「あ、ああ。そうだね、そう、わたし、笑ってるんだね」

 

 取り繕う事ができなくなって、思わず言葉遣いが昔に戻ってしまった。

 そこには構わず、まどかは大きく頷いた。とても穏やかで、深い慈しみを感じる。

 涙がひどくなったけど、爆発的な喜びの念は引く。心の奥はさっきまでよりも温かだった。

「うん」

 

 まどかが一つ頷いて、また私の涙を拭いてくれた。

 道の端ではクラスメイト全員が集まって、一人がカメラを起動している。

 

「ほむらちゃん、集合写真だよ」私の両手を握って、そっと引く。「ほら、行こう? 今ならきっと、いつもよりずっと、いい写真になると思うの」

「ええ、ええ……行くわ」

 

 言われるままに引っ張られながら、小川に歪んで映った己の顔を、一瞬だけ確認した。

 ああ、やっぱり。

 そう思いながら、まどかに寄り添った。

 

 杏子が、美樹さやかが、まどかが私の何を見たのかが分かった。

 私は、途方もないくらいに幸せな笑顔を浮かべていたのだ。

 

 自分でも見たことのない様な、まさに満面の笑顔だ。冷血な自分の顔というには、不相応なくらいに感情が溢れていた。

 喜びの爆発は収まっても、顔に出た気持ちまでは消えない。自覚してしまえば簡単な答えで、小さな笑い声まで出てしまった。

 

「あはっ」

 

 笑い声ですら、私の声とは思えない。

 まどかがこちらを見て、柔らかな微笑みを浮かべてくれる。

 

「ありがとう」

「うん?」

「いいえ。これからもよろしくね、まどか」

「うんっ」

 

 そのまま、私はまどかの手を優しく握り返して、泣いて笑いながら傍にいた。

 今日は卒業式だった。明日はどんな一日なのだろう。まどかが高校生になる瞬間が、入学式が心から楽しみで。

 その光景を想像しているだけで、この命と魂の全てを捧げて未来を繋げようと思えた。

 

 まどかの横顔はどこまでも明るく、果てのない幸福が溢れていた。




……おめでとう、鹿目さん。そして暁美さん。これからも変わらず、お元気で。




-


こちらの卒業シーズンに合わせて投稿するつもりでしたが、ダメでしたね。
昔と比べると速度的にかたつむりの歩みです。

途中で言及されたなにものかが、匿名希望の少女なのかどうかは私にも分かりません。真実は暁美さん達のみが知る。
もっともっと描くべき事も描くべきでないところもあるかとは思いますが、今の私にはこれが限界でした。特に鹿目さんを愛おしく表現する技量があまりにも不足している。
暁美さんがどんな笑顔をしていたのかも私には分かりません。ただ、想像するだけで、暁美さんと同じ様に笑いたくなるものです。暁美さんは本当に綺麗な人です。ああもう、私の人生にだって、暁美さんの為に、鹿目さんを助けられる道が欲しかったなぁ。

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