ダイジェスト気味なので書き足したり、サブタイに①から始まる番号が付いたりするかも
間の話ちょっとは書きたいなあ。二,三話ぐらい
目が眩む。手足が痺れる。何かが、切嗣との戦いで傷んだ体の中に流れ込む。
視界を埋めるのは、泥だ。黒々とした、聖杯の泥。
脳裏に響く怨嗟の声。全神経を掻き回される苦痛の記憶。死体の海にいるような異常なまでに濃い怨念。
だが、単一の意思から流れこむそれから、逃げるように駆け出した。足が動いているかは分からない。起き上がれたかも分からない。
それでもただひたすらに、動いているとも思えない足を動かす。怖かったのだ。殺意の念が歓声に聞こえたから。その存在に触れることで、何かを得られる気がしたから。
受け入れれば楽になれるのだろう。心地よく眠りに落ちるのだろう。
揺れに揺れる心がついに傾き、身を委ねようとしたその瞬間。何者かに腕を力強く掴まれ引き戻され、心地よい何かから弾き出された。
「……アストラか」
ぼんやりとした目で言峰は言う。まだ意識がハッキリしていないのも無理もないだろう、とアストラは思いながら周囲を見やる。
一面。遠くに見えるビル街には届いていないが、かなりの範囲が火の海と化している。市民会館自体は崩落したものの、火災の手が回らなかったのが幸運だ。さもなくば、言峰は気配を頼りに探しだす前に焼け死んでいただろう。
息も絶え絶えな言峰を見やると、アストラは髑髏の彫像が彫られた指輪を取り出した。こびり付いた呪いがマシになろうだろうと。
呪詛への耐性を上げると同時にそれを食べ、格段に軽減する『呪い咬みの指輪』。指に嵌めた言峰の肌に、血の気が戻ってきた。それを確認すると、アストラは一人口を開く。
降り注ぎ、互いに受けた黒い泥。簡単に言えば純粋な呪詛と瘴気であり、具体的に言えば飲み込む力が深淵にも近い致命的な呪い。それが聖杯の破壊と同時に現れた理由を知っているかと。
問われ、僅かに考えると言峰は言った。
「無関係ではあるまい。呪詛や怨霊は専門であるが、上で何が起こったか分からないことには推測しかできん。
勝者を決めかねんこのタイミング。やつも来ていたはずだ。アーチャーはどうした」
切嗣も。セイバーのことは分かっている。だからこその問い。
暗に「時臣師はどうした」と云っているようなその言葉に、アストラは正直に答えた。
アーチャーは半霊を呼び出して戦おうとも歯が立たない強さであった。そして、召喚した霊体が――アストラもそれを期待していなかったわけではないが――勝利するためにマスターである時臣を殺害したと。
「なんてことだ……」
眉を寄せ、ただ悔やむ。
だが、その中にアストラに向けられる怒りはない。あるのはひたすらの後悔。それはアストラを赦したから、というわけではない。師匠が、恩人が殺されたことに対しても、後悔という気持ちしか湧いていないのだ。
轟、と炎が勢いを増す。目を閉じたくなる熱気と酸素の薄さ。魂に手をのばす呪詛の気配。
この場所ももう持たないだろう。言峰もそれを察したようで顔を上げて燃ゆる街を見――その顔に悦楽の光が差した。
無意識の内に眼が見開かれ、両の口角が釣り上がる。
ああ、やはり。この地獄を、この男はそう感じるのか。
アストラがそう思ったのも束の間。言峰は硬く目と口を閉ざして表情を消した。
二秒か。三秒か。心を落ち着かせたのだろう。再び眼を開けば、まるで白昼夢であったように元の暗い顔がそこにあった。そして。
「教会だ。彼処にまで火は届いていまい。助かりそうな者は拾って行くとしよう」
口から出るは、刷り込まれた倫理観が発する言葉。人道的だが、どこか機械的なもの。
だが、それを言峰が良しとして行動する以上、それは確かに意思と呼べるはずだ。本心から望むことだけが正しいのであれば、世の中など碌なものにはなっていない。
結果として、アストラと言峰が無事な生存者を見つけ出すということは無かった。
降り注いだ泥による火災。呪詛を含んだ炎はあっという間に数キロ四方の建物を飲み込むと、就寝中であった人々へとその手を伸ばしたのだ。
煙にまで呪詛は残っていた炎の海で、生き延びた者達は僅かいた。しかし、そんな彼らも心が壊れてしまっている。二、三人の話だけが報告で上がったようだが、どれも人形のようになり一人では用も足せないという。
そして、言峰は生き残った彼らを引き取ることはなかった。否、引き取ることはできなかったのだ。大災害の処理が、つまり聖杯戦争の処理が終わった数日後。遠坂邸へと言峰は召喚された。
遠坂時臣が死んだ今、代理であるが当主となっているのはその妻である遠坂葵。その召喚とあれば、会話の内容は決まっている。今回の聖杯戦争のあらましと、その結末だ。
「遠坂時臣は我々が手にかけた」
そして、言峰は、隠すこと無くその場で伝えた。そこにどんな意思があったのかは、教会にて待機をしていたアストラには分からない。
アーチャーとの交戦。だが、そこに時臣の意思が介在したことは間違い無い。言峰によれば、使われなかった令呪は三画あったというのだ。勝手な行動であるというなら、セイバーかアストラが脱落し残った者が消耗した時の万全の勝利を得るために止めていただろう。
恐らく言峰綺礼が離脱し、アーチャーの無聊の慰めとしての興味は時臣に向いたのであろう。
人払いを徹底と言峰璃正の死。第三者の居らぬ状況では、名門の魔術師といえどあの英霊の前には赤子に等しい。むしろ、完成された魔術師であるからこそ、突き崩すのはさぞ面白かったに違いない。
そして、言峰が直面した夫の死に対する妻の反応は、些か大したものであった。聖杯戦争は互いの願望を第一として戦うものであり、夫の時臣も当初は組んで戦い始めた者によるこのような最悪の自体は想定していたであろうと。
もちろん、本心からそう思っていないというのは、彼女の白魚のような手が硬く握りしめられていたことでハッキリと分かった。しかし彼女は遠坂家当主の妻である。このような場を設け召喚した以上、無様を晒すことなどあり得ない。
遠坂家当主代理としての言葉はこうであった。
「冬木の地から去りなさい」
聖杯戦争という状況。そして言峰璃正への家としての恩義。それを考慮し、二度と遠坂の地に立ち寄らぬことで不問にすると。
それを伝えた直後、退去のための数日の猶予と共に遠坂邸より叩き出されることとなり、聖杯については伝え損ねることとなった。きっと書面か何かで後で伝えるのだろう。
教会に戻った言峰は、その話を聞いたアストラが驚くほど冷静であった。それに努めている、というよりは予想していた範疇という様子だ。
「イタリアに用がある」
告げられた当日の出国であった。便の予約などは元より済ませてあったらしい。飛行機を降りイタリアへ。
空港から乗ったバスは都市部から遠ざかり、草木が青々とした田舎道を行き。辿り着いたのは小さな町。言峰の目的は、その町の外れに佇む小さな教会らしい。
地図を見ることもなく先を歩くので、アストラは来たことがあるのかと気になり尋ねた。
「ああ、ここまでは何度か来たことがある」
古びているが、手入れが行き届いた神の家。ここに、言峰のような云わば血生臭い世界の人間が用があるとはとても思えない。
「少し待っていろ」
答えて欲しいことを答えること無く、言峰はさっさと教会の中へ入って行った。周囲に時間を潰せる場所などないし、何より言葉が通じないだろう。
アストラは言峰が戻るまで、一人平和な農村の中。
その際浮かんだ考えは。太陽があり、争いもない世というのはこういうものかと。冬木の地では未来の人工物が多く哀愁の思いに耽ることもなどなかったが、ここはどこか懐かしくなる。一人の人間として俗世を生きた記憶など遠く彼方に久しいのだが、その時の思いが脳裏をよぎるが如き気持ちになる。
石積みの塀に寄りかかり、万物を照らす輝きを見上げた。温かな光が頬を刺す。不死狩りから逃げる人の世の記憶で、目にした覚えは殆ど無い。
明けぬ夜が何十日も続き、飢えと病による亡骸を人が喰らう世界だった。
――――太陽があれば"向こう"もこうなるのだろうか。
ふと浮かんだ考えが頭の中で反響する。それを形にしようとした時、言峰が白い影と共に教会から出てきた。
小さな子供。十歳にもなっていないだろう。色素が薄いらしい白い髪の間に覗く、琥珀の瞳がこちらを映す。
孤独な瞳だ。アストラは真っ先にそう思った。そして、またこの娘もどこか壊れていると。
だが、それに反してまるで言峰から逃げるように、アストラの後ろに隠れる子供。これはいったいどういうことなのか。
「娘だ」
そう口にする言峰。不思議そうに見上げる娘の反応からして、聖杯戦争が原因で少しの間預けていたというわけではないらしい。何年越しの、この娘が記憶もないころからの再会か。
にしてはよくもまあ、あっさりと連れてきたものだ。だが、ここでする話ではないのだろう。
それでも視線の意味は汲みとったのか、言峰は口を開いた。
「昔住んでいた家が近くにあってな。そこに移ろうかとは思う」
話によれば、この国の首都に近い町に家を持っているらしい。名義は言峰璃正のものであったが、今現在では言峰綺礼のものだ。
そして、仕事としては暫くやることがないらしい。冬木の監督役が職務であったのであるが、協会と教会両方にコネクションを持ち、冬木市の管理者である遠坂が言峰を拒否したのだ。
聖杯戦争に関する教会への報告書も誤魔化したりしたのであろうが、自身の関知すべきことではないだろう。恐らく、自分のことも隠すか誤魔化すか、方便を使うかはしてるはずだ。知らないほうがいい。
逃げようとする娘を窘めるためにか手をつなぐ言峰だが、思うところがあるのだろう。その動きは明らかにぎこちない。
だが、それでも言峰なりの歩み寄りであるようだ。
どう見ようが彼の瞳には困惑と葛藤が浮かんでいるが、なるべく父になろうとしているような気がする。これから先、予想外のことというのは、度合いは違えどあるものだろう。
なんせ、聖杯戦争が終われば戻れると思っていたのに、戻れなかった男アストラ。その事実。
それを元に言峰綺礼が出した仮説の一つが、「聖杯戦争は終わっておらず、近い未来にあるかもしれない」という信じ難いモノであるぐらいなのだから。