薪となった不死   作:洗剤@ハーメルン

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常雪の森

 

 口から出る息は濃い白となり、徐々に薄くなって宙に消える。

 吹雪のような雪が視界を閉ざしてしまうような、深い深い冬の森。

 幸いにも足首を越えるほど積もってはいないため、自分の体力ならば問題なく辿り着けるだろうとアストラは考えた。

 森に貼られていた結界を越えた。否、中に入った途端に降り始めたそれは、侵入者に対する最終警告であろうか。

 だが、今のアストラの目的はその奥にあるものだ。脅されただけで踵を返すような歩みではない。

 ザラつく魔力が、術者の憤りが、広大な森の中へと満ち始める。それは、兜を叩くような吹雪に掻き消される事のない、数多の獣吐息となってアストラの周囲を渦巻いた。

 

 噛みつくような荒々しい息。威嚇するような息。静かに潜むような息。 

 

 灰色。黒。白。様々な体毛を持つ狼達が、陽炎の先の景色がはっきりと見え移るように周囲の木陰からその姿を覗かせる。

 そして一息もつかぬ僅かな間に、斑模様の群れは中心に向かって渦を巻き。剣がその渦を絡め取り、音もなく掃き散らす。取り逃がした数頭が体勢を立て直す時間をも与えず。無拍子の踏み込みと共に再度剣は振るわれた。

 

 たいそうな現れ方のわりに手応えは無く。アストラは剣を小さく振るって血を払い、これまた大げさに鮮血で汚れる白雪を尻目に首を傾げてしまった。

 先程から襲い来る防衛魔術と言うべきものに限りはない。吹雪の中に紛れ込んだ魔力の氷柱が鎧を叩き。木々が地響きと共に動き始め、鞭のような枝で此方を引き裂かんと試みた。それでも、あくまで足を進めれば限りがないほど出てくるというだけであった。

 先程撫で斬りにした獣達も、氷柱や動く木々などの迎撃も、魔術という大きな力の一つと思えぬほど弱い。それこそロードランで襲いかかってきた犬が二頭もいれば、怪我こそ負えども血肉の塊へと変えるには過分であろう。

 

 肩透かしもいいところだ。アストラは、そんな一方的な失望をせずにはいられない。

 

 ランサー。セイバー。彼らのような実力者がいるということもなく、結界や魔術的な罠はアストラの持つ武具が宿す――この世界では神秘や概念というらしい――もので蜘蛛の巣を枝で払うように切り裂くことができる。それほどの一品であるのは元の世界でもほとんど変わらない価値であったが、ロードランはそれに囲まれても死に続けるような環境だった。

 だが、この世界は違う。サーヴァントという、ロードランに挑む不死人が最上位に近い実力を持つ。聖杯戦争においては切嗣などの説明で知ってはいても、身をもって実感することが殆どなかった事実だ。

 

 新たに現れた獣たちが、意識の水面下で自問自答を繰り返すアストラが乱雑に振った剣で千切れ、折れて宙を舞う。落下死が目的の罠も、その上蓋が魔術的に消える速度を越えて飛び退ける。自重を万倍にして押し潰す単純にして強力な魔法陣などは、"なんとなく危険そうだ"といったセイバーも持っていたらしい超常的な勘で避ける。

 アストラの歩みを止めるものはなく。まるで導かれるように。アストラは切嗣が伝えた罠の配置を道標として、魔術の家計が数百年以上も守り続けてきた彼らの工房へとたどり着くのに。そう時間がかかることはなかった。

 曇天の下で吹き荒れる吹雪。物理的に閉ざされていた視界が、横に広がっていた木々の切れ目から一歩足を踏み出した途端に澄み広がった。

 雲一つない凍える灰雲の中に円を描く青天。天を突くような頂を持つ山々。その眼下にて立つは、大理石を積み上げたようなミルク色の城。

 アストラの間には、城壁の役割も持つ森を抜けた以上視線を遮るものなどなく、その全体を目にしたのは初めてだった。

 郊外とはいえ冬木市という人世の近い"別荘"を二つ三つ集めたような巨大な本館と、大きさだけでいえば城がもう一つあるような別館。やや位置がズレていたようだが、右方の森から本館の大扉へと真っ直ぐに平に慣らされた道が続いている。

 詳細は分からずとも城に施されている大魔術に類される数々の術式は青白くシルエットを浮かび上がらせ、壮観という感想を抱かざるを得ない。

 これが遊覧旅行であったらどれだけよかったか。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを連れ出すという頼みを受けた以上、最優先するはそれである。同時に、万が一"殺されて"捕まるということはまっぴら御免なのだ。

 この世界の魔術師というのは、元の世界の彼らよりも神秘の探求には貪欲であり手段を選ぶことはない。神秘と呼ばれるものが、遥かに衰弱しているからだろう。

 ならば――――。

 

 手の中の『太陽のタリスマン』を基点として四メートル弱の雷という『雷の槍』の奇跡を顕現させると、それに負けじと魔術の青白い光が輝きと呼べるほどにその明るさを増した。

 

 遠距離から落雷の再現としてこの世界の魔術に対しては十二分な神秘である奇跡。それを投射し続け、城の外壁を守る防御を丸裸にしてから乗り込むのが最善だろう。

 くれぐれも城内にいるであろうイリヤスフィールに当てぬように本館の周囲へと狙いを定め。アストラは第一射を投げ放った。

 

 

 

 

 地響きがするほどの落雷が居城を揺らす。

 それはユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン――――アインツベルン現当主――――が尋常ならぬ侵入者を察知して移動した本館上部の玉座の間も例外ではない。代々積み重ねてきた魔術的防護が卵の殻を割るかのように破壊される度、見上げるほどの高さがある玉座の天蓋からはパラパラと埃が落下し続けていた。

 

「狙いはイリヤスフィールか」

 

 玉座に座す老翁は、純白の法衣に付く埃を服飾箒で払う銀髪赤目のメイドを一瞥することもなく呟いた。

 周囲を監視させている、監視カメラのような魔術。

 本来なら森も含めて館の全域をカバーしていたその視界も、雷鳴が響く度に狭くなっていく一方だ。

 本館に施されていた監視魔術はその術式を電化製品のショートのように焼き焦がされ、今老翁が"見ている"のは副館に施された遠巻きに正面を映す術式からのものだ。

 だが、その数々の映像を一瞥しても、ユーブスタクハイトは動じない。それどころか「予定通り」とでも言うかのように、眉を上げてその一つを見る。

 

「アレを出せ」

 

 その指示を受けたメイドは了解の一礼をすると、早足で正面の大扉より姿を消した。

 城主の老翁は映しだされるアストラにその視線を注ぎ。ただ一人となった玉座の間にて、何かを思うかのように天を仰ぎ見てから呟いた。

 

「第三魔法は、近い」

 

 

 

 

 続いていた雷鳴が止んだ直後、雪原には交通事故のような金属の轟音が響き渡り。続いて、獣のような雄叫びが霊峰の下に(こだま)した。

 

「■■■■■■■■!!!」

 

 声を発しているのは獣ではない。

 二メートルを優に越える背丈。成人男性の胴体のような太さを誇る四肢と、それに見合った石柱のように分厚い胴。獣の皮のような腰巻き。

 人型のそれは自らの背丈を越える、板のように柄と刃が一体化した石斧を振り下ろす。獣のような喚声とは似つかわぬ全身を使った一撃に、アストラは必死を覚悟した。

 突然だったのだ。肌を刺すような殺気を感じたと思えば城の外壁が弾け飛び、この巨人が舞い上がった粉塵を切り裂いて現れたのは。

 咄嗟に照準を変えて放った『雷の槍』を正気と思えぬ身ながら空中で回避する卓越した技量。一撃ごとに明確な死を脳裏に過ぎらせる、その豪腕。

 回避の隙を縫って奇跡の触媒である『タリスマン』を腰に差し、『アストラの直剣』と『紋章の盾』という最も使い慣れた装備に身を包んだが、それでもこの男と剣で渡り合うには役不足だと感じざるを得なかった。

 

「■■■■■■■■■■!!」

 

 一転しての防戦一方。まともに受けてしまえば、盾は砕けなくとも先にアストラが轢き潰されてしまう。そんな剣戟の嵐を、盾や直剣を駆使して捌き続けるのも一苦労どころではない。

 その様子を嘲笑うかのような咆哮も、耳に入らぬ致死の気配。

「何故ここに」かはしらないが、この相手はセイバーの同胞だったという黒鎧と同じに違いない。知性を奪われ、高められた闘争心に従って「考えずともそうする」という行動で戦うことしかできないバーサーカーだ。ならば付け入る隙はある。

 アストラは袈裟気味の横薙ぎ、その最も大きい振りが来るのを待ち続ける。自身の剣が届かなくとも、相手の剣を届かせぬそんな間合いを必死に保ちながらひたすらに。

 全身から上がる悲鳴を、息をも忘れてねじ伏せ続けた三十数秒。大振りの一撃を、姿勢の低い踏み込みで潜り抜けた。

 

 確実に心臓を――――。

 

 剣を突き出す直前だった。バーサーカーの自身を捉えた視線の中に、更なる闘争心を感じたのは。

 バーサーカーの右側。剣を振り抜き空いた空間へ飛び込んだ途端、足元を樹の幹のようなものが通りぬける。

 足払い。それをあの筋が伸びきった状態から、斧が地を抉る僅かな抵抗をも利用して反撃として行ってきた。どうしてバーサーカーとなるのは――ランスロットというのも生前そうだと聞いたが――こうも技量の高い者ばかりなのか。

 

 だが、間合いを取ることはできた。

 

 アストラは直剣を投げ捨てるように手から離すと、すかさずタリスマンを手に取り祈った。

 体勢を崩したバーサーカーが立ち直り、再び向かってくるのも三秒もかからず、ただの人間なら反応する間もないだろう。

 だが、それよりも早く一つの奇跡は発動する。波打つ水面のようなものが広がり、アストラの周囲の空間が変化する。

 立て直し、突風の如く駆けるバーサーカーの動きが鈍重な。歩くようなものへと変わった。

 

 『緩やかな平和の歩み』。

 

 ロードランにでも行かなければ授かることのできぬ、恐らく現世では滅んだであろう最果ての地に伝わっていた古き奇跡。

 その名前にそぐわぬ凶悪さは、自分以外を()()()()()()()()という点にある。

 

「■■■■■■■■!!!」

 

 咆哮に構う時間はない。理を書き換える奇跡であるせいか、そう長くは持たないのだ。

 このバーサーカーは確かに『雷の大槍』を空中だというのに斧で防がず"回避"した。

 高い技量の裏打ちなのだろうが、それは避けねば負傷は確実ということだ。

 

 上手くいけば確殺。そうでなくても、斧か手足の一本は奪い取れる。

 

 それに賭け、『太陽のタリスマン』をより強く握りこみ、上位の奇跡である『雷の大槍』の奇跡を唱え上げる。

 雲の中で雷が弾けるような音と共に、『雷の槍』とは比べ物にならぬ稲光が雪原を走った。

 

「■■■■!!」 

 

 威嚇のような唸り声。狙うは、その声を上げる頭の下。今度こそは心の臓、サーヴァントという霊体の核へと響くその位置を。

 数メートルも開かぬ距離からの『雷の大槍』の投射。冬木の森で行った、『雷の槍』を至近距離で使ったとはわけが違う。『雷の槍』が一本の稲妻であるならば、こちらはそれを何本も収束させることで此方でいう神秘の力を数倍以上にさせたもの。

 その解放と炸裂に巻き込まれるのも覚悟の上だ。この男を殺しきれば、奇跡による回復も容易であろう。

 僅かな逡巡もなく着弾した稲妻はその閃光を解き放ち。雪を輝くような銀色に。木立や城は、さらにその影を色濃く映し出した。

 アストラの視界も眩んだが。『雷の大槍』の余波がアストラの体を駆け巡り、明滅した意識ではそれを認識することすらままならなかった。

 先程までのが遠くで響く雷鳴であったのなら、今度は至近に落ちた落雷だ。

 目が、耳が。その機能不全から回復した時に映ったのは、胴体が抉れ。腕や頭をなくしながらも、直立する灰色の大男の下半身。

 

 太陽神の長兄が武器にしたという、『雷の大槍』の直撃を受けたのだ。

 

 当然の結果。だが、確かに命を拾ったその瞬間に、全身を軽く焼かれながらもアストラは歓喜を覚えた。

 近くに刺さった分厚い斧剣はその形を残しているが、それを変化自在に振り回す筋力はない。拾ったところで無駄だろう。

 チリチリと痛む全身の痛みを堪えながら、体を癒やす『大回復』の奇跡を唱えようとしたその瞬間。

 

「■■――――」

 

 息を吹き返した獣の呻き声が、アストラの爛れた鼓膜を突き刺した。




シュウカツチュライ

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