陽が沈んでから二時間ほどがたった時、冬木大橋と呼ばれる大きな赤い鉄橋の上に二人の男がいた。
「ライダぁー、もういい加減帰ろうよ!」
「何を言うか坊主。マスターであるお主が、そんなへっぴり腰でどうする?」
床に這いつくばって明らかにおびえた様子で言う少年に、鎧を着た赤毛の男がワインの酒瓶を片手に幼子に言い聞かせるように言う。
「だってライダー!」
嘆く少年が恐る恐るといった様子で下を見、もう帰りたいなどと言った。
前述した通り、彼らは橋の上にいる。もっとも、上と言っても鉄筋で作られたアーチの上であり、一歩間違えば川に落ちるか、橋に敷かれた道路に叩き付けられた上に走る車にひかれてしまうだろう。
それを誘うように、先ほどから強い風が音を立てながら彼らに吹き付けている。体格のいい赤毛の男ならまだしも、矮躯で華奢な少年は落ちまいと必死だ。
「まったく、もう暫し待て。今夜には必ず戦闘があるはずだ。そして、集まった奴らをまとめて狩るのだと言っただろう」
そう言うとライダーは持っていた酒瓶を横に置く。
「……と、いうのが本来の方針だったんだが。いかんせん、敵に気づかれたようだ」
「え?」
マスターらしき少年に男はそう言うと、抜刀術のように素早く剣を抜いて虚空を切り裂く。すると雷鳴が周囲に轟き、その光の雨が男と少年をカーテンのように包んだ。
そこに矢のような飛来物が連続で着弾したが、降り注ぐ落雷と相殺されて消し炭となった。
テナントが数件入った五階建てのビルの屋上。そこで暗月の弓を構えたままアストラは舌打ちをし、惜しむ事なく『月光矢』を使うべきだったと本心から思った。
隠れる事無く巨大な牛戦車に乗って空を駆けていた二人を見つけ、先制攻撃を仕掛けてそのまま畳み掛ける算段だったのだ。しかし、赤毛の男の素早い反応によって矢は防がれ、目論見通りとはいかなかった。
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アストラが弓から『紋章の盾』と『アストラの直剣』に持ち替えた瞬間、雄叫びを上げる主を乗せた巨大な牛に引かせた戦車が雷のカーテンを物ともせずに飛び出して来た。その鼻先はアストラへと真っ直ぐ向けられており、そのまま轢き転がすつもりのようだ。
距離は数百メートル。おそらくライダーである相手からしたら、目と鼻の先もいいところだ。
何も考えていないような突撃に驚いたアストラだが、数秒もかからぬ内に到達すると判断して鷹の指輪から雷方石の指輪に取り換えると、もう片側には霧の指輪を装備。そして、わき目も振らずにライダーから背を向けて屋上から飛び降りた。
あのような突撃を正面から防ぐのには即座に放てる攻撃は火力が足りないと考え、市街地に誘い込み、小回りと活かしてその足元から矢を浴びせる事にしたのだ。矢を防ぐ手段を持つ戦車兵と正面からやるなど愚の骨頂だ。
飛び乗れば狩れるだろうとも考えた彼だが、雷に撃ち落されずに飛び乗るのは至難の業だと断念した。雷対策をすれば可能かもしれないが、死んだらどうなるかが不明な以上賭けに出たくはないのである。
「隠れるか弓使い!」
難なく着地したアストラの頭上で円を描くように走りながらライダーが怒鳴る。しかし、その声色はどこか愉しそうで、それをアストラは不思議に思った。
そう思いつつも『暗月の弓』を手に持ったアストラは『月光矢』をつがえ、牛に狙いを定め、建物の谷間からそれを放った。
『暗月の弓』によって放たれた『月光矢』は弓の力もあって神の矢となり、光として放たれた。
グウィンドリンは三本の矢を連続して放っていたが、それは彼が暗月の神だからこそできたことだが、ただの一本でも『月光矢』を使えば神の一撃となる。
「矢か!?」
下から飛来した光にライダーが気づいた時には、それは一頭の牛の腹に深々と突き刺さった。しかし、
「詰めが甘いわ!!」
ライダーが手綱で打つと車輪はより強く雷を帯びはじめ、一瞬崩れ落ちそうになった牛は持ち直す。
そしてなんと、天から降り注ぐ数多の落雷によって建物を破壊し始め、アストラの動きを止めたのだ、
それと同時にアストラに突撃を仕掛けていたライダーは怯んだところに急接近しており、近すぎて装備を変える暇は彼にはない。
想定外の効果の無さと攻撃手段に、あれは神の牛かとアストラは苦々しい表情をした。そして避けようのない来るべき衝撃に備え、踏まれる個所を減らすために手足を丸める。
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ライダーは雄叫びを上げながら突進で両側の建物を粉砕しつつ、その牛の足でアストラを激しく踏みつけ、巻き込みながら転がした。
アストラは左足を完全に踏みつぶされたのを感じ、更にそれ以外の箇所も激しく殴打されたのを感じた。しかし、その熱を持った痛みを堪えながら、樽のように転がる自分を残った手足で無理矢理止める。
ライダーは突進を仕掛けたために前方の表通りに走り抜けており、すぐには帰って来れない。
すぐに身を翻して戻ってくるにしても、十数秒はかかるだろう。
その隙を見逃さぬアストラは急いで両手の武器を仕舞うと人間性を右手に起き上がり、対雷に向いている『太陽の騎士の鎧』を身にまとう。暗月の弓は神の魂が入っているという事もあり、多少傷んではいるが壊れてはいなかった。
もちろんアストラが起き上がったのに気づいたライダーは、獰猛な笑みを浮かべると大きく旋回して路地の入口に戦車を止めた。
「我が名は征服王イスカンダル!! 此度の聖杯戦争では、ライダーのクラスを得て現界した!!」
その豪快な名乗りにアストラは大声で名乗り返すと、人間性を握り潰して吸収。その身の傷を一瞬で回復させた。
アストラは空になった腕に『黒騎士の大剣』を持ち、盾を前に出して剣を後方に投げ出すように構えた。
『アルトリウスの大剣』と迷った彼だが、雷を操るという特徴と英霊ということから邪悪な存在でもないので効果は薄いと判断したのだ。そして、白ファントムを呼びたいアストラだったのだが、今いる場所にはサインが一つもなかった。
「お主、我が軍門に下る気はないか!? さすれば余は貴様を朋友として遇し、世界を征する快悦を共に、分かち合う所存でおる!」
何を思ったのか、その動作を見たライダーは大げさな身振りも交えながらとても楽しそうに言った。
もちろん、それが本気と分かったアストラは溜息を吐くと、征服に興味はない、とキッパリと言い放つ。しかし、お互いに手を出さないという条件だけならそれを受け、この戦争を生き抜くことが自分の目的だと付け加えた。
「何? お主は聖杯に興味が無いとでもいうのか?」
ライダーはとても不思議そうな声を出した。
そうだ、とアストラは答えると、そんな物に頼ること自体が間違っていると言った。
「ふむ……。しかし、お主も聖杯が欲しくて戦争に参加したのであろう? ならば何かあったのではないのか?」
それに参加したくて参加したわけでなく、生活の面倒を見てもらう代わりの協力だとアストラは言う。そして、ライダーを真っ直ぐ見据えながら、雑談などよりも面倒だから早く戦うように言った。
ライダーは絡み辛いとアストラが判断したのも急かした理由だが、彼は不死となって以降も不死院へ幽閉されるまでもロードランへ行ってからも、まともに会話をしようとする者とほとんど話したことがないのだ。
しかし、会話が苦手になったというわけではない。あまり話を聞かなくなったのだ。
「これは血気盛んな奴よのう。まあ、そう言うのなら仕方があるまい……。惜しいのう、実に惜しい!!」
そう言いつつもライダーはアストラに鋭い視線を向けると、手綱を思い切り古い、牛の尻を叩いた。その痛みに牛は大声で鳴き、その血走った目で敵を見据えながら走り出した。
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ライダーが大声でそう叫ぶと戦車はより強い雷撃を放ち、それと共に急加速した。
アストラはそれに驚愕したがそれを身体に出すことはなく、建物を削り飛ばしながら迫ってくる巨大な二頭の牛の矢が刺さっている一頭目がけ、雄叫びを上げながら両手で持った大剣を下段から斬り上げた。
その身には雷を受けつつも岩をも叩き斬るその一撃が減速することはなく、途中で剣が止まりそうになりながらもその剣を振り切った。
しかし、戦車はその程度で止まる勢いではなく、頭を割られた牛は崩れ落ちながらももう一匹に引き連られるように突進を続行。そして、速度は多少落ちたものの剣を振り切ったアストラを巻き込みながら路地の行き止まりまで突き進んだ。
「坊主、大丈夫か?」
舞い上がった埃と土埃で満たされた路地の中。ライダーは額から血を流しつつ、小脇に抱えたマスターにそう言った。
しかし、マスターはぐったりと頭を垂れており、それに返答するそぶりはない。
「なんだ、気絶しておるのか貴様は。……もうちょっとシャッキリせんかのう」
ライダーが台車から降りると、戦車は一瞬の内に霧散して虚空に消えた。
そうして開けた路地の奥は見る影もなく崩壊しており、その瓦礫から傷だらけのアストラの腕が見える。その瓦礫から漏れ出す血の流れからして、すでに息絶えているだろう。
「消滅しないか……サーヴァントでは無かったのだな。しかし、それであの強さ…………惜しいのう」
そう一言を残すように言ったライダー瞬間、瓦礫が大音を立てて吹き飛んだ。
その轟音に振り返ったライダーを睨みつけながら、アストラはフォースを放ったタリスマンを強く握りしめて起き上る。
手足は防御したために鎧は大きくへこんでいる、胴体は脇腹の大きくへこんだ一か所を除いて無傷。頭部は角が片方折れて口元が砕け、そこから見える口からは湧水のように血が流れ出ている。その血はどす黒く、内臓を損傷しているのだという事が一目で分かった。
しかし、アストラは痛がるそぶりもなく回復の奇跡を使用すると、足元の瓦礫から黒騎士の大剣を乱暴に引っ張り出した。
「なんと! その程度で済んだのか!?」
そう大声で言うライダーの言葉にも答えずにアストラは『呪術の火』を左手に出現させると、その手をかざすように真っ直ぐライダーに突き出す。
それを見たライダーはマスターを抱えたまま跳躍し、表通りへと飛び出した。
魔術だと判断し、一本道ではマスターを守り切れないと判断したのだ。
そして、彼が裏通りへの道を作る建物の陰に隠れた瞬間、充満したガスに火をつけたような勢いで裏口から炎が噴き出した。
「おおっと!」
ライダーは真横を通り過ぎる炎の熱をマントでマスターを庇う。その際に軽い火傷を皮膚に負ったが、サーヴァントである彼には大したものではないようだ。
人を容易く焼死体に変える呪術の炎だが、その余波のみでサーヴァントに致命傷を負わせるなど不可能だ。
そして、その炎を放ったアストラは途中で放出を中断すると、『黒騎士の大剣』を仕舞って『ロングソード』を手にする。
片手の塞がったライダー相手なら、叩き潰すよりも手数で押し切った方が最適だと判断したのだ。
前方へ炎がライダーの横を通り過ぎると同時に彼を斬りつけようと、アストラは走り出した。
しかし、ライダーはアストラが攻めてくる前に一頭の馬を召喚。そして、自分のマスターが軽いやけどを負うのも承知の上で、炎が裏路地から放出され切る前にその場から全速力で離れた。
マスターの気絶した状態でこれ以上戦闘するのは彼の命に関わると判断したのだ。そして、これを逆転できる手札も、監視されている今の戦いにおいて切るべき手札ではないとも。
表通りに飛び出したアストラはライダーの去った方角を見ると、初見ではこの程度かと思いつつ、なんとか死ぬことが無かったので思わず深く息を吸った。
そして、『ウーラシールの白枝』で修復の魔術を使用して武器、防具を修復すると、今日の戦闘について切嗣に報告をすべく路地の出口へと向かった。