藍緋反転ストラトスフィア   作:しばじゃが

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 自然界に起こる異変や災害。




天変地異(てんぺんちい)

 何かが崩れ落ちる音がする。

 それは熱を帯びた炭が、耐えられなくなって朽ちるような。そんな、乾いた音だった。

 

 目の前を覆う、橙色。揺れる光は、あの清涼感ある煙草を思い出す。口に咥えてはその先を手で覆い、風を遮りながら遮力を入れる着火機。その先で揺れるあれを思い出すんだ。

 すぅっと吸って、あの爽やかな味を楽しみたい。胸のうちに溜まった不満をするっと落としてくれるあの感覚。あれをまた味わいたいなんて。夢うつつながらもそう感じた。

 

『……あれ? 俺、どうして――――』

 

 視界が乱雑に乱れた。橙色が揺れる、明るい世界。血みどろの色が映る、暗い暗い世界。その二つが混ざり合ったように、曲線を描いて溶け合っていく。

 俺は、俺は一体何をしていたんだっけ。

 

 ゆっくり身を起こそうとすると、ぶよぶよとした何かに阻まれた。肉の塊のようなそれは、俺の足の動きを緩やかに呑み込んでいく。動こうにも、上手く動けない。

 おかしいな。なんだこれ。真っ暗だし、変な感触が俺を邪魔して動けない。一体何がどうなって――――。

 

『……つっ!』

 

 全身を走る鋭い痛み。血管が裂けるような鋭い痛みに、俺は我に返った。

 

『うあっ……そうだ、そうだった……』

 

 揺れる光は、炎だ。

 炎が、俺の前で揺らめいている。ローグという体を内包した機竜の目の前で、静かに揺らめいている。

 

 俺は竜機兵。この世界で最後の竜機兵。数多の古龍を寄せ集めて造った、最後の竜機兵だ。

 目的は?

 黒龍を殺すこと。そしてこの造竜技術をこの世から無くすこと。

 一体何があった?

 黒龍と対峙して、激しく揉み合って。そしたら地震が起きては火山が暴発し、黒龍はずっと吠え続けていて。

 

『……吠え続けていて……確か……』

 

 岩だ。巨大な岩。氷の塊のような。燃え盛る火山弾のような。ただあまりにも規模の違うそれが、西シュレイドの奥へと墜落したんだった。

 それから――それから、どうなった? ただ、あまりにも強烈な光に俺は平衡感覚を失って。そしたら、とても受け止め切れない衝撃が襲い掛かってきて。

 

『……あぁ、そうか』

 

 どうやらあれは、あの黒龍の吐息をも超える爆風となってこの大地を覆ったようだ。

 ――大地が、燃えていた。

 

『……ぐっ、いってぇ……!』

 

 俺の肉体だけじゃない。エスカドラ自身が、大きな怪我を負っている。見れば爪はいくつか砕け、翼の逆鱗はところどころ剥がれていた。黒龍に噛まれた部位は深い傷が刻まれており、どくどくと中から体液を押し出している。

 その体に何とか鞭を打って、上昇。今まで以上にぎこちない動きになってしまったが、ゆっくりと巨体は浮き上がった。何だか、挫いても無理して走っているような、そんな気分だ。

 

 ようやく空に昇ったことで、その惨状を目の当たりにした。

 焼野原。

 焦土。

 そんな言葉がよく似合う。

 シュレイドの大地は、もはや火の海だった。「ここは火山地帯です」なんて説明がされたら、そう信じ込んでしまいそうなほどの、ただひたすらの赤。東も西も巻き込んだその現状に、俺は思わず息を呑んだ。

 

『なんだ……これ……』

 

 大地が深く陥没している。

 地盤が、まるで重いものを受け止めたガラスのように、凸凹を描いて割れていた。

 それが放射状に広がって、この大陸を塗り替えるように炎を差す。その影響はクナーファのさらに奥まで届いており、大地のほとんどを更地に変えていた。

 山岳地帯に囲まれたクナーファ自体は、その自然の壁に遮られたおかげか倒壊で済んでいる。瓦礫の山となっているのに、それでもまだ被害はマシだ。あまりの被害の規模に、頭がおかしくなりそうだ。

 

 あれはなんだったんだ。噴石? 火山弾?

 嘘言うな。これはそんな規模じゃない。こんな、大陸を更地に変えるような衝撃が、ただの火山の排泄物にあってたまるか。

 間違いない。あれは隕石だ。この空の向こうで漂っていたものが落ちてきたんだ。あの、決して交わらないはずの成層圏に穴を空けて、この大陸の西端に落ちてきたんだ。

 ――だけど。

 

『……なんで、こんなタイミングで……』

 

 俺がエスカドラを強奪して、あの黒龍と牙を競って。そんなタイミングで、前から不穏な動きを見せていた火山が爆発。それに加え、天体が墜落した?

 馬鹿な。そんなの、針に糸を通すような、ほとんどありえない確率だ。これらが一斉に起こるなんて、そんな――――。

 

『がっ……!?』

 

 唐突な衝撃が、俺の全身を襲う。

 天高く飛来した黒龍が、滑空の姿勢で俺に突進を繰り出していた。それを死角からもろに喰らった俺は、体勢を崩してしまう。

 天地がひっくり返って、耳が振動で裏返った。

 

 こいつか。こいつが、呼び寄せたのか。

 いや、それはないだろう。馬鹿馬鹿しすぎる。

 笑い話もいいところだ。たかが一匹の龍が、空から隕石を呼び寄せるなんて。これは偶然が重なっただけで、ただ上手い具合にこいつが叫んでいる時に落ちてきただけで。この状況は、偶然の重なりそのものなはずだ。

 ――火山の爆発も、偶然。偶然、だよな?

 

 そんな俺の問いに応えるように、黒龍は灼熱を吐き出した。火山弾にも負けない、燃焼現象の塊。それが質量となって、俺へと襲い掛かる。

 痛みと耳鳴りによって俺は体勢を直すことができず、ただひたすらにその灼熱を受け止めた。落下運動に横からの加速が重ねられ、俺はいよいよ彗星の如く地に墜ちる。

 クナーファのさらに奥、旧ゲイボルギア領だった寒冷地帯へと着弾。白い雪が逆鱗の隙間に入り込み、ひやりとした感覚が全身を駆け巡った。

 

『あぁくそッ、冷てぇなぁ!』

 

 冷たいのは冷たい。しかし、ブレスの高熱を即座に逃がすことができたのは運が良かった。九死に一生を得たなんて、よく言ったものだ。

 このあたりの詳しい地理は分からないが、おそらくここは大陸の東側。北に登ればすぐ雪山の麓に着き、南下すれば密林に至る。まさに、激戦区そのものだ。よくよく見れば、至る所に機竜の部品が、同胞たちの亡骸がある。

 

『……上っ!』

 

 俺の上空で、獲物を見下ろすかのように。黒龍はその隻眼で俺を睨んでいた。

 

『……あ? あいつ……なんだ、その色』

 

 「黒き龍」なんて言葉は、いまいち噛み合っていない。確かに、全身は総じて見れば黒ないし黒に近い色をしているだろう。しかしその腹や首、手の先などがうっすらと紅色に染まっていた。翼膜が、鮮やかな朱色を帯びていた。

 あれじゃ黒き龍じゃない。「紅き龍」だ。

 

 空中から、奴は灼熱のブレスを放つ。より赤々しく、黒々しいそれ。それが大地で爆ぜて、凄まじい規模の火柱を生んだ。さながら、地面が突然溶岩を噴き出したかのような。そんな、猛烈な勢いだった。

 

『うっ……あいつ、一体!?』

 

 周辺を爆風が満たして、積もった雪を溶かしていく。この白い世界だからこそ、奴の異様な姿は際立って見えた。

 龍鱗が、黒く焼けている。膨大な熱量を呑み込んだ証だった。あの隕石の熱エネルギーか、それとも火山の高熱か。原因は分からないが、奴の鱗は熱を得た結果変化したようだった。俺が放った雷よりももっと濃く、もっと純度の高い熱を。

 そして何より、奴の様子は怒り心頭。ミューの前ですら、あのような顔は見せなかった。俺を睨む目は何とも憎々し気で、怒りに満ちている。

 

『……キレて、紅くなってやがる……?』

 

 龍の中には、形態変化をするものがいる。これも、その一種なのだろうか。

 あぁもう、何が何だか分からない。全身が痛いし耳鳴りも酷いし、何だか目が霞んできてるようだ。あいつのことだって、どうでもいい。とにかく、とにかく――――。

 

『……殺してやる』

 

 痛む体に鞭を打って、本来ないはずの器官に力を込める。

 翼膜が力強く開き、その衝撃で滴る体液が飛び散った。白い大地を、どす黒い赤が染める。

 

 それをも吹き払いながら、上昇。逆鱗から電流を撒き散らし、俺はあの黒龍――いや、紅龍に向けて突進した。

 奴はそれを瞬時に躱す。しかし、腕を伸ばした電撃は躱し切れずに、青い電流をその身に移した。

 悲鳴、されど墜ちはしない。

 

『墜ちろっ……!』

 

 翼を無理矢理旋回させて、奴の真上を陣取って。全身に回っていた電流を、前脚の爪へと掻き集める。それをそのまま、奴に向けて振り下ろした。

 

 一撃目。甲高い悲鳴が上がる。

 

 二撃目。奴の翼膜の一部が破れ、体勢が崩れかけた。

 

 三撃目。頭部へと吸い込まれたそれは、奴の角の根元を穿った。

 罅の入ったその角は。不自然なほど伸びたその角は。甲高い音を立てて、この赤黒い空に舞う。細かな欠片が、空に呑まれていく――。

 

『……なっ……!?』

 

 体勢を崩して、落下する。そうかと思いきや、奴はその長い尾を俺の胴へと巻き付けた。それによって翼が阻まれ、俺も奴に巻き込まれるまま重力に掴まれる。

 

『くそ……離せ! 離せクソ!』

 

 奴の首元に牙を這わせ、何とかその拘束を振りほどこうとした。けれど、その尾の力はあまりにも強くて、どれだけ顎に力を入れても奴は離そうとしない。

 奴に触れている箇所が、焼ける。凄まじい温度だ。機竜の鱗が焼けるほどの熱さが、その身を通して俺に伝わってくる。

 

『あっつ……いい加減にしやがれ……ッ!』

 

 いよいよ牙は奴の鱗を貫いて、そのまま肉へと到達する。さらに熱い血が飛び出して、エスカドラの皮膚も悲鳴を上げた。

 とはいえ、奴といえども首元に噛み付かれるのは、それ相応の痛みが伴うようだ。苦し紛れな様子で、口元を燻らせる。怒りのあまり無我夢中で、その橙色を弾けさせた。

 

『ちょっ……おまっ!?』

 

 危ういところで、俺の体には触れなかった。その橙色の塊は重力に引っ張られるように、ゲイボルギアの大地へと吸い込まれていく。

 直後、炸裂。あの量産型の竜機兵をドロドロに溶かした、太陽の如き吐息。あらゆる物質を問答無用で融合させてしまうんじゃないかって、そう思うほどの強烈な光が、この燃える大地を駆け抜けていく。

 吐息は巨大な火球へと変わり、それが草木を呑み込んでいく。逃げそびれた竜も獣も、何もかもを巻き込んで一瞬のうちに灰へと変えた。そしてそのまま、笠の大きなキノコ雲へと変貌する。

 

『おい……おいおいおいおい……!』

 

 一つ街を滅ぼせる威力だ。事実、あれでシュレイド城は完全に廃墟となった。

 そんな、そんな超威力の塊だというのに。奴は間髪入れず、再び口元を光らせた。

 

 二発、三発と乱射。そのどれもが大地へと吸い込まれ、その地盤を溶かしていく。

 一つは俺の前脚に擦れ、着弾点が逸れた。大陸南東部の海洋――東竜洋に落ちたそれは、強烈な爆風とともに海面を隆起させる。打ち揚げられた水は空と海で反芻されて、その運動エネルギーを凄まじい速度で膨らませた。

 こんなの、どうなるかなんて考えるまでもない。海面があんなに激しく揺れたら、それはそのまま大陸に牙を剥くなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

『……ぐあっ……』

 

 直後、凄まじい痛みが走る。見れば、あの吐息が掠った機竜の前脚が酷く損傷していた。逆鱗は全て溶け、中の肉までこんがりだ。熱に強い炎龍のコーティングがされているというのに、それを易々と突き抜けるなんて。

 痛みに悶えるのも束の間、今度は落下の衝撃が俺に襲いくる。

 奴の上をとっていた俺は、直接大地に叩き付けられた訳ではない。しかし如何に黒龍がクッションになったとはいえ、痛いものは痛かった。

 

『てめぇ……』

 

 流石に、今のは奴も堪えたようだった。

 息を切らした様子でぎこちなく首を擡げ、俺を睨む。その口元は赤黒く焼け焦げていた。

 そりゃそうだ。大地に衝突した上に、あんな超威力の塊を何度も撃ったんだ。負担が大きいに決まってる。というか、そうでなくちゃ困る。

 

 火山の麓に墜落したらしい俺たちは、再び怒号を上げる火山を見た。奴のあの吐息を浴びたのか、一部が抉れてしまったその岩肌。そこが溢れ出るように隆起して、中から大量の溶岩を吐き出した。まるで、まるで瘡蓋(かさぶた)から血が溢れ出ているみたいだな、なんて。そう思うほど、どこか非現実な光景だった。

 

 空はその噴煙に覆われていく。

 黒い雲が太陽を隠し、先程まであった雷雲を呑み込んでいく。

 あまりの熱量に雪は消え失せて、ただ赤い雷だけが時折顔を出していた。

 

『……赤い』

 

 赤い。

 紅い。

 緋色。

 まるでバルクから噴き出るあの炎のようだ。あれくらい透き通っていて、随分と綺麗な色をした雷だった。

 

『――本当に、この世の終わりみたいだ』

 

 大地は揺れ、その中身を(こぼ)れさせる。空は墜ち、暗雲が立ち込める。各地でキノコ雲が沸き上がり、陸地を覆おうと海は高い壁を反り立たせた。

 天変地異だ。人も、竜人も、竜たちも。みんな平等に命を奪う、変革の流れ。ここまで来てしまったら、もうどうしようもないのかもしれない。

 

『……俺がしたかったのは、こんなのだったのかな』

 

 竜機兵という技術をなくすために。あの憎き黒龍を討つために。

 俺はただそれだけを考えて、ここまでの準備をしてきた。

 機竜を改造して。

 自身の体にすらメスを入れて。

 国も組織も恩人も、全てを裏切った。

 けれど、その実はただの殺戮者でしかなくて。到底許されない行為なんだと、今になってそれが現実味を帯びてくる。

 

『ミューに顔向け……できないや』

 

 幻滅されるだろう。

 反発されるだろう。

 もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。

 

 もういないはずなのに、それでもやっぱりこう思ってしまうんだ。

 『彼女がいてくれたら、俺はこんな風にはならなかったんじゃないか』って。

 歴史にもしもなんてないけれど、もしも。もしも彼女が生きていてくれたら――。

 

 

 

 唸り声が上がる。ボロボロの体を引きずって、唸り声を上げる黒龍がいる。全身を紅く染めて、流れ出た溶岩に身を浸しながらも俺を睨む奴がいる。

 

 こいつが、ミューを殺した。

 

 国が、ミューを殺した。

 

 世界が、ミューを殺した。

 

 ――――俺が、ミューを殺した。

 

 全てが悪い。

 ミューを喰らったこの龍も。

 竜機兵を生み出したこの国も。

 戦争を終えられなかったこの世界も。

 それら全てに加担した、俺自身も。

 

 終わらせよう。その全てを、もう終わらせよう。こんな悲しい連鎖は、なくしてしまうべきだ。

 そして、謝りたい。顔向けはできないけれど、俺はお前に謝りたい。お前に会って謝りたいよ。

 

『さぁ、来いよ赤いの。最後に、一緒に舞おうぜ』

 

 そう、俺が飛び立つと。奴もまた、俺に続くように飛び出して。

 激しく火を吹く火山の上で、俺と奴は再び相対する。

 

 暗雲を覆う赤い稲妻に反発するように、俺は吠えた。

 全身の隙間から青い電流と、赤黒い光が湧き上がる。周囲には霜を帯びた強風が生まれ、火山雷は金切り声を上げて紅龍へと襲い掛かった。

 一方の奴もまた、咆哮。

 薄ら紅だったその鱗は、もはや鮮やかな橙色へと変貌していた。溶岩をその身に押し留めたかのようなその色は、否応なしに周囲を焼き払っていく。

 大地が盛り上がっては火を吹いて、蛇のようにうねる炎の渦を撒き散らした。

 

 電光が走る。

 紅焔が揺れる。

 

 瞬間、俺の視界は岩に埋まった。突進してきた奴の勢いに押し負けて、そのまま火山の岩盤に叩き付けられたのだった。溶岩が、俺の鱗に襲い掛かる。

 

 反動。岩石を蹴った反動に、電撃を乗せる。滑空姿勢で突き立てた角を、唸る奴の胸へと叩き込んだ。鮮血が空に溶けて、奴は滑るように宙を裂く。

 それを狙っては、引き絞る喉元。すると飛び出る、小さな火球。

 奴のものほどではない。しかし威力がない訳でもない。炸裂と同時に火柱を立てるそれが、奴を奥へ奥へと撃ち抜いた。

 

『まだまだ……ッ!』

 

 それを追うように、俺も翼を大きく広げる。衝撃のあまりに点のように小さくなった黒龍との距離を縮めると、いつの間にか雪山へと辿り着いた。俺の周りの風は、猛吹雪へと成り変わる。

 急激な温度変化。強風が強烈な氷点下の嵐となり、黒龍へと牙を剥いた。奴の鱗は徐々に白く染まり、罅割れるような筋を描いていく。

 

『うっ……!?』

 

 それが、直後に暴発。まるで、雪に閉ざされたこの山が突然噴火したかのような、そんな光景だった。

 雪が融け、吹雪が止んで。陽炎に揺れるこの空間で、忌々しそうに奴は唸り声を上げる。至るところから血を流しながらも、それ以上の量の溶岩を垂れ流すその姿。怒りに我を忘れたかのようなその姿。

 旋回して、飛び上がる。俺も奴も、互いの後ろを取るように空を舞った。強烈な気流の乱れは生み出すのは、極太の竜巻だ。それが容赦なく大地を削り、逃げ遅れた生き物をズタズタに切り裂いていく。

 

 埒が明かない。そう判断した俺は、速度を上げた。一度引き離して、ブレスの弾幕を張ろう。そして隙を狙って、その首をえぐってやろう。

 凍て付く視界は一瞬で溶け、燃える密林が目に入る。勢い余って、南下し過ぎただろうか。その炎の奥には、高い壁を寄せる海が見えた。

 

『……あれは』

 

 大多数の竜が集まっている。火から逃れるように。隊列を組むかのように。

 竜操騎兵。竜操騎兵だ。背中に人を乗せた、竜の群れ。その奥には、白い壁が美しい大きな建物が見えた。荒れる海に触れる、荘厳な建物。

 そうか。クナーファが落ちた今、彼らの拠点はここだったのか。ゲイボルギアの拠点は、ここにあったんだ。

 

「おい、アレを見ろ!」

「竜機兵だ! シュレイドの飼い犬だ。相変わらず、歪な姿をしてやがる」

「奴ら……奴ら、なんてもんを造ったんだ……!」

「この密林に雪を降らすなんて。赤い雷だなんて。信じられない……」

 

 俺を見て、口々に言葉を漏らす彼ら。畏怖と侮蔑を込めた目で、奴らは俺を見る。

 ミューやラムダも、こんな気持ちだったんだろうか。敵として見られる視線というのは、こうも痛いものなのか。

 

「仕留めるぞ!」

「世界を守るぞみんな!」

 

 飛竜が列を成して、飛び立ってくる。

 いくつもの火球が、俺に向けて撃ち放たれる。

 当たったところで大した威力でもない。俺は避けずに、ただひたすら彼らを見た。

 

 竜を制御して操る技術。竜の力を借りて戦う技術。

 きっと、彼らの技術もまともなものではないだろう。竜と絆を結ぶだとか、そんな輝かしいものじゃない。まるで枷のように全身を覆うその鎧が、そう主張しているように見えた。

 でも、きっと。きっと、造竜技術よりはマシだ。

 

『……戦う理由は、ないよな』

 

 見ていたくない。向き合いたくない。戦いたくない。

 思わず飛び上がる。奴らと距離を置くように、上へ上へと舞い上がる。

 しかしそれを好機と見たのか、奴らはさらに勢いを増した。飛竜の部隊が後続して、徒党を組んだ群れとなった。

 

『ちっ……しつこいなぁ!』

 

 撃ち落とすつもりなど、毛頭ない。ただ、されるがままになる訳にはいかないので、翼を広げて突風を放つ。何でもない、ただの足止めだ。

 翼がもつれ、体勢が崩れる。飛竜の群れは危うい羽捌きで、その突風から逃れようとした。それを一瞥しつつ、もう一度あの紅き龍を探す。あいつ、一体どこに――。

 

「ぎゃあっ!!」

 

 突然の、悲鳴。人間の野太い叫びと、飛竜の甲高い声。

 意識を外した、その瞬間だった。何事かと、そちらの方に振り返る。

 

 墜ちる竜。黒く焼き焦げた鎧。朽ちた人間。

 それが一つや二つじゃない。俺を追う部隊を、尽く炭に変えていった。

 

『……何、が』

 

 そう言いかけた、その瞬間。それ(・・)が、俺の目の前を走り抜ける。

 赤い稲妻。澄んだ緋色に染まった、雷光の柱。それが一瞬で、容赦なく肉を焼いた。

 

 見れば、空が瞬いている。あの赤い稲妻が、空と大地を繋いでいる。

 まるで鉤爪だ。鋭い爪を伸ばしたその光は、大地を穿ち地盤をえぐる。裏と表がひっくり返り、地表が瞬く間に荒地となった。

 空を覆う雲は、もはや大陸ごと覆っている。噴煙なのか、雷雲なのか。エスカドラが呼び寄せた雷雲なのか、はたまた別のものなのか、それすら分からない。

 

 ただ、俺に向けて瞬いた光。透き通るような色をしたそれが、全てを真っ白に染めた時に。

 その奥に、何か白い影が見えたような――――。

 

 

 

『ぐあっ……ッッ!?』

 

 凄まじい衝撃だった。

 目の奥で電球を灯されたかのような感覚だ。何も、何も見えない。

 耳は割れて、甲高い音が鳴り響く。イカれた機械のような音だ。

 全身が激しく焼き焦げて、何だか異物を入れられたかのように痛む。妙に覚えがあるような、そうでもないような。

 

『……っあ……これ……』

 

 何となくだが、龍の血を注射してるあの倦怠感――あれに似ているような気がした。

 何故だか分からない。だけど身体に纏わりついた嫌な感覚は、まさにあれだ。血管の中を蟲が這い回るような、掻いても掻いても収まらない痛み。翼に力が、入らない――――。

 

 鳥のように響く咆哮。迫る牙。

 意識を失いかけた俺を喰らう、あの紅い龍の顎。

 

『……ッ……こいつ……!』

 

 唐突に飛来してきた奴は、あの赤い光を掻い潜っては俺に牙を突き立てていた。

 まるで中に俺がいることが分かっているかのように、エスカドラの胸部を砕こうとしている。

 微睡(まどろ)みのような感覚だったが、あまりの痛みに意識が覚醒する。逆鱗も逆殻も、その下の装甲すらも軋み始めた。

 

『いってぇぇ……なッ! こんの!』

 

 全体重を乗せて、俺は奴の首へと牙を剥く。

 鱗の薄い、首裏の皮膚。されど分厚いその皮膚に、全力で顎を突き立てた。上手く力を込められないが、それでも俺は緩めない。

 悲鳴。されど奴は俺を離さずに、高度を上げる。俺も負けじと、翼を震わした。もつれるように、空を掻く。半ばこの龍に持ち上げられるような形で、俺も空を舞った。

 

 全身の感覚が、とても曖昧だ。眼前が揺れては焦点が合わなくなる。平衡感覚もよく分からず、天地が逆転しているようにさえ見えた。

 内部の肉ですら起きていた、体液の漏出。チューブの一部が裂けて、時折火花が顔を出す。あの雷のせいなのか。もしや、回路がショートしてしまったのか。

 いまいちエスカドラと同調できていないのは、もしやそのせいか?

 

『くそ……固ぇ……ッ!』

 

 歯が上滑りしていくようだ。分厚いステーキを噛んでいるかのように、顎がひりひりと痛み始める。

 もつれ合って空を舞って。

 

 海洋に浮かんだ小さな島々の上を過ぎる。津波と地震によって街は崩れ、海に呑まれ始めていた。円形の街並みは、潮へ沈む。

 ――少しずつ沈み始める、エスカドラの牙。

 

 砂漠の上を舞った。かつての故郷が見えた。もはや砂嵐と熱波にやられ原型も残っていないそれは、阿鼻叫喚の渦そのものだ。

 ――分厚い皮膚は、まるでゴムのよう。

 

 崩落したクナーファ上空。爆破の衝撃で全てが崩れた今、もはや焼き窯のような状態だ。第二世代の亡骸が、大地を塗り替えしているように見えた。

 ――あの熱い血液が、牙の先に届き始めたような。

 

 そうして辿り着いた、この活火山。轟々と唸り声を上げるその上空へ、俺とこいつは互いを噛みながら辿り着いたのだった。

 一体、どれだけの時間が経っているのか。随分と長いこともつれ合っていたような気がするし、一瞬だったような気もする。

 

 いよいよ、俺の装甲が割れそうだった。ミシミシと軋み、罅が走る。穴を空ける奴の牙から、まるで稲妻が走るかのように。枝分かれした罅は、俺を外へ晒そうとしていた。

 

『あああぁぁぁ……ッ!』

 

 だがそれは、奴も同様だ。力の入らない顎であれど、その牙の鋭さにものを言わせる。その結果、ドクドクと奴の皮膚から熱い血潮が漏れ始めたのだ。

 もう少し。もう少し。

 もう少しで、こいつを――――。

 

 

 

 何かが、砕ける音。

 

 

 

 装甲の一部が剥がれた。

 上顎の犬歯──特に鋭い奴の牙を中心にして、走行の右上部が音を立てて割れる。それが崩れ、外の逆鱗ごと空に落ちた。

 俺と奴との壁。決して交わらない、交わらせなかったはずの壁に、穴が開く。外と中が繋がって、俺は奴を、奴は俺を見た。

 身も凍えるような目が、俺を睨む。黒龍の魔眼が、俺をじっと捉えた。

 

「うッ……うわああぁぁぁッ!!」

 

 この感情は、なんだろう。

 

 生身で黒龍と対峙した時のことが、頭の中で溢れ返る。

 

 何もかも、もう分からない。

 

 たぶん、この感情の名前は。

 

 

 

 ばつん、なんて音が響いた。

 半狂乱になった俺の代わりに、エスカドラが顎を閉める。力が入らなかったはずのその顎が、奴の首筋ごと歯を重ね合わせた。

 

 血飛沫が舞う。

 

 奴の皮の下で蠢くそれが、一挙に大気を染める。

 

 敗れた皮袋のように。中の水を勢いよく溢す皮袋のように。

 

 この黒く紅い龍は、断末魔のような声を上げた。本当に、この世の狂気を全て詰めたかのような声だった。気が狂いそうになる。いや、もう狂ってしまっているのかもしれないけど。

 

「……うっ……」

 

 ずるりと、奴の力が抜けた。俺の胸に穴を開けた牙が、力なく抜ける。どころかその全身を持ち上げることもできなくなり、この火山の真上で身を投げた。

 あの巨体が空を滑り始め、火口へと墜ちていく。地獄の入り口のようなそこへ、吸い込まれるように墜ちていく。

 ようやく牙を離されて、随分と軽くなったエスカドラ。もはや感覚のない機竜の口からは、奴の血液らしきものが垂れ落ちていた。熱気に負けじと、大気を赤く染め上げる。

 

 ――勝った?

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 勝った。

 勝ったのだ。

 あの黒龍は、ミューの仇は。この燃え滾る火口の中へと墜ちていった。首筋を食い千切られ、全身から力をなくして墜ちていった。あの出血量はきっと致死レベルだろう。

 俺はあいつに、勝ったんだ。

 

「……強かったよ、お前」

 

 そう、言葉を溢すけど。けれどなんだか、その声は妙に上擦っていて。

 

「……クソ……」

 

 勝ったのに。勝ったというのに。

 どうしてこんなに気分が悪いんだろう。

 宿敵をやっと殺すことができたのに、どうしてこんなにもやもやとするのだろう。

 

 勝った。

 

 だから何なんだ?

 俺がしたかったのは、こんなことだったんだろうか。

 

「……っ! 畜生……!」

 

 翼が、筋肉が断裂したかのように痛む。羽ばたけない。動かない。翼も、足も、尻尾も。体の全身が、動かない。

 故障だろうか。大破してしまったんだろうか。それとも、接続不良だろうか。神経が千切れてしまったのだろうか。

 分からない。もう何も、分からない。

 気付けば、あの痛みは俺の全身を殺そうとしていた。もう、指先すらろくに動かない。血が止まらない。戦闘の興奮が冷めた今、俺はもうこの拒絶反応から逃れられそうになかった。

 

 ――あぁ、そうか。

 結局さ、仇を殺したところで、何にもならないんだよな。

 本当に、無意味なことなんだよな。

 いやいや、俺は分かってたじゃないか。どうせ何にもならないって。

 分かってた。理解してるつもりだった。

 でも、もしかしたら何か変わるんじゃないかって。心のどこかで期待してる俺がいた。

 あぁ、でもやっぱり、現実はこうなんだ。

 俺もこうやって、あいつみたいに死ぬのかぁ――――。

 

 そしたら、ミューに会えるかな。

 

 

 

 

 全身に力が入らない。ただされるがままに、重力に引きずり降ろされる。あの地獄の入り口へと、引き寄せられる。

 まぁ、やるだけやったんだ。もういいじゃないか。

 このまま、このまま眠ってしまおう。もう、もう疲れた。無意味に生きるのは、もう疲れた。

 

 ぼやけた目を開けば、暗雲を泳ぐ流れ星が見えた。緋色の尾を残す、鮮やかな流れ星。いや、隕石だろうか。それとも彗星だろうか。はっきりとはもう見えないから、判断の仕様がない。

 

 でも、何だかあの時を思い出す。研究所で今日のことを決めた夜。あの一念発起した夜を。

 あの時も、流れ星にお願い事を、なんて考えてたっけ。

 はは、なんだか阿保らしい。俺は科学者なのに、そんな迷信にすがるなんて。

 

 でも、もし願うことでミューに会えるんだったら。俺はそれにすがりたいなって、今ならそう思うよ。

 だって、君の声が聞きたくて仕方がなかったんだから。ずっと、ずっと――――。

 

 

 

 徐々に、その光は輪郭を増していく。まるで近付いてくるかのように、その光の帯を太くさせた。

 

 何故か、その光には手があった。

 銀色の鱗に包まれた、されどボロボロの手が――機竜越しに、俺の手を掴んだ。

 

 






 ラスボス戦終了。


 文字数が伸びてしまいました。申し訳ない。ラスボス戦×天変地異レベルの戦いということで、気合を入れ過ぎてしまいました。大陸を駆け回るという訳の分からない規模の縄張り争い。あたまおかしい。一万字越え。あたまおかしい。あと厨二すぎる。あたまおかしい。
 最後のところは、あえて語りません。
 それでは、また来週。

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