ウィスク=バニールは『歌う林檎亭』の店主だ。酒場であり宿屋であるこの店では店主である自分はカウンターで立つのが仕事である。
「うぃー……暇だなぁ」
ウィスクはそう言ってカウンターの上に散らばる埃を指でなぞった。その指に息を吹きかけると埃がフワッとまう。
「汚ねぇな……まぁ客が少ないからまぁいいかぁ」
不意に表から鈴の音がカランコロンと鳴った。扉をくぐる客がいたということだ。
「いらっしゃい。何の用ですかい?旦那ぁ?」
最後が疑問形になってしまったのは仕方ないだろう。相手は全身鎧を着込んでおり外見からは性別が判断できなかった。
「一泊を希望したい。部屋は空いてるか?」
店主は鎧の人物の声を聞いて男だなと確信し、先程の言い方で間違いが無かったことにホッとした。
「えぇ。空いてますぜ。旦那ぁ(さてとお仕事開始っと……)」
ウィスクは利き腕の袖を勢いよく捲ると宿屋の台帳を取り出した。
◇◇◇◇
◇◇◇◇
「
「ほう……成程な。だから『歌う林檎亭』か……面白いな」
モモンは現在店主と話していた。
「ここは酒場でもあるんですぜ。もしよかったら酒でも如何ですか?」
「酒はいい。まだ昼間だしな……それよりも何か飲み物を頂こう。お勧めはあるか?」
「そうですね。でしたら……リンゴジュースなんて如何ですか?ついさっき珍しいものを頂いたんですよ」
「ほう!『歌う林檎亭』でリンゴジュースか。面白いな。それを貰おう」
グラスにそれを注ぐと、モモンの前に置く。音が鳴らない様にグラスの下に小指を挟んで机の上に置いた。
「ありがとう」
モモンはそう言ってグラスを仰ぐ。
「?勢いの割にはあまり飲まないんですね?……ヘルムは脱がないんですかい?」
「あ……あぁ。少し考えたいことがあってな」
モモンはグラスを傾けて氷の入ったグラスを鳴らす。
「……色々あるんですね。冒険者の旦那ぁ、もし用があったら呼んで下せぇ」
「あぁ。察してくれて感謝する」
ウィスクが店の奥へと入っていった。
(……できるだけ人目につかない場所を探していてこの店に入ったが正解だったようだ。店主には悪いことをしたかもな。だがおかげで今ならゆっくり物事を考えられそうだ)
モモンはグラスを揺らす。カランと鳴るそれが妙に心地よく癖になりそうだ。
グラスをカウンターに置く。
(まずパラダイン殿たちとの話を整理しよう。『大遺跡』の調査はワーカーが、私はその護衛、一応『自由にしていい』と言われた。しかしだ……本当に『自由にしていい』かどうかが分からないな……。あのタイミングで『国に縛られている』と発言してきたくらいだ。ただの善意だと思いたいがそれは流石に考えが甘いだろう)
グラスを傾ける。窓から差し込む光によって飲み物が反射する。
(私の目的がナーベの捜索だということには気が付いているだろう。その上であの発言だとすれば……本当に自由にしていいのかもしれない。しかしだ!……それは帝国に貸しを作ることにはならないか?)
モモンは内心舌打したい気分に駆られる。
(国に縛られている……確かにそうかもな。フールーダ殿たちの言う通り、ヤルダバオトを撃退したことで王国民に私の名は知られてしまった!短剣だって王から受け取ってしまった!こんな現状でもし本当に自由にしたらどうなるか………考えられる最悪のパターンは帝国に貸しを作る形になり、帝国に拠点を置くように言われてしまうことだ。もし今回の依頼でナーベを発見し連れ帰れたと仮定した場合、帝国に恩を作ることになってしまう。最優先事項はナーベの捜索、及び連れ帰ることだ。それ以外は……。しかしその選択はエ・ランテルの者たちの信頼を裏切ることにならないか?)
「いっそ自由になれたらどれだけ楽か……」
冒険者でなくワーカーになるか?、いや駄目だ。それはエ・ランテルや王国にいる冒険者の皆を裏切ることになる。
「はぁ……どうしろって言うんだ」
何か良い手はないのか。王国にも帝国にも縛られずに自由に動けるいい方法は無いのか。そう思いモモンがグラスに手を伸ばした時であった。背後から大きな怒鳴り声が聞こえたのだ。
「だから知らないって!言ってるでしょ!」
「いえいえそんなこと言わずに、どうかお願いしますよ」
「喧嘩か?」
モモンが後ろを振り向くとそこには店のど真ん中でにらみ合う一組の男女。一人は若く細身の女性であり装備からして冒険者の様な雰囲気を感じ取れる。もう片方は男であり腕や胸に筋肉が詰まっているのは一目瞭然であり威圧感を与える姿をしており、こちらは冒険者らしい恰好をしていなかった。戦士は二人の服装などの違いから全くの他人同士だと判断する。
「フルト様と同じワーカーチームの貴方様にお願いするしかないんですよ」
「だから!」
(ワーカーか……冒険者と違って何かと大変そうだな)
ワーカー
公式な機関である組合を仲介して依頼を受ける冒険者とは異なり、非公式に直接依頼を受ける者たちを"
(……助けた方がいいだろうか?いやまだ様子を見た方がいいか…)
「私たちはあの娘の仲間であって世話人や家族じゃない!居場所なんか知る訳ないでしょ!」
「私も仕事ですので『知らない』と言われたから、はいそうですかと引き上がる訳にはいかないんですよ。なんせ仕事なもんで」
「アンタ馬鹿ぁ?だからさっきから言ってるようにね…!」
女は我慢の限界とばかりに右手を振り上げる。それは平手打ちの構えであった。
(不味いな……そろそろ限界かもしれないな)
これ以上は危険だとモモンは判断して止めようと……。
「おい!アンタいい加減にしろよ!」
そう大声を張り上げる男がいた。その男はドアを開けた所に立っていた。その装備は冒険者らしき恰好をしており、その姿から女の仲間らしそうであった。
「アンタの顔なんてこっちは見たくないんだよ!」
男は急ぎ二人の間に入り、両手を使って二人を引き離した。
「大丈夫か?イミーナ」
「遅いわよ。ヘッケラン」
そのやり取りをして女の強張った表情が柔らかくなる。その様子から男への信頼が伺えた。どうやら仲間なのは間違いなさそうだ。
(あの感じだとどうやら助けは必要なさそうだな……だが念の為に様子見程度はしておくか)
モモンは一先ずそうすることにした。彼らの様子から自分に出来ることは無いだろうと判断したからだ。
「それでまたアンタか……何度も言っているが」
「ターマイト様、申し訳ありませんがいい加減にフルト様をお出しになってください」
「アルシェの……約束の返済期限はまだ先だろ?もう少しだけ待てよ」
「これ以上は待てません」
「今まで待っていてくれただろ?半月は待ってくれたじゃねぇか」
「しかし!とっくに返済期限は過ぎました。新たな約束の期限は貴方様に説得されて一度は設けさせて頂けましたが!」
「なら……」
「ならばこそ!せめて具体的な返済計画だけでもお話し下さい!お願いしますよ」
「……」
「…正直に申しますとこれ以上は"上"のものが限界で、最悪の場合……その身柄を拘束させて頂く可能性すらあります」
「……帝国では人身売買は違法だろ?」
「人間は……ですね。例えばそこの……」
男はそう言ってイミーナと呼ばれる女に目線を向けた。
そしてその視線の意味を悟ったヘッケランと呼ばれた男は男の胸倉を掴み上げた。
「てめー!!」
「……失礼。しかし最悪の場合はそういうこともあり得るとお話したまでです」
「ヘッケラン!落ち着いて。私は大丈夫だから」
「イミーナ……」
イミーナに宥められたヘッケランは掴んでいた胸倉を外した。男が床に落ちて膝を打つ。
「アンタも言葉には気をつけなさいよ。うちのリーダーは頭に血が上りやすいの知っているでしょう?」
「……分かりました。今日はもう冷静に話し合えそうにありませんね。また明日来ます」
男はそう言って去っていった。
それを見たヘッケランとイミーナはホッと息を吐くとお互いに顔を見る。
「あーあ…もう来ない方が助かるんだけどな……」
「現実に戻りましょうよ。ヘッケラン」
「はぁ……仕方ないな。イミーナ、悪いけど『もう終わったぞ』と二人を呼んできてくれ」
「分かったわ。その前に一つだけ言わせてもらっていい?」
「何だ?」
「ヘッケラン、さっきの演技じゃなくて本気だったでしょ」
「………まぁ、ついカッとなったんだよ」
「ありがとうね」
イミーナはそう言うと階段を上がっていった。
(成程な……。理由はよく分からなかったが仲間を庇ったのか……。庇ってもらえるくらいの関係でありながら借金か……。フルト……いやアルシェか。何やらややこしそうな内容だな……。ワーカーとはみんなこうなのか?)
◇◇◇◇
◇◇◇◇
少ししてイミーナに引き連れられる形で二人の人物が階段から降りてきた。
神官風の恰好をしている男、それと身体に見合わない大きな杖を持っている幼さ残る女。
「……すまない」
開口一番、少女がそう言った。この言葉を発したことから彼女が借金をしているフルト……恐らく彼女がアルシェなのだろう。
「お前が気にすることじゃないさ。気にするな。アルシェ」
「そうよ。貴方が気にすることじゃないわ」
「……しかし」
「はいはい!辛気臭い話はここまでにしましょう。それでヘッケラン、例の依頼どうだった?」
「あぁ。『大遺跡』の件だが……約束通り前金は既に振り込まれていたさ。いつでも現金化できるようになっていた」
「依頼主はどうでした?」
「そうだな。ロバーが最初に聞いた話とは大きくは異ならなかったな。相変わらず胡散臭い貴族だよ」
「…恐らく真の依頼人は帝国の上層部だと思う」
「まぁ…その可能性を考慮したとして……受ける方向性でいいな?」
「うん。『大遺跡』の調査だなんて面白そうじゃない!」
「そうですね。もし悪霊がいたら神の奇跡で対処しましょう」
「……私は……」
「大丈夫だぜ。アルシェ。俺たちならな」
「そうよ。私たちなら。それに悪い依頼ではないわ。ドカンともうかるわけだし……ねぇ?」
「イミーナさんの言う通りですよアルシェ」
「……みんな」
(借金の件はよく分からないが……彼らは『大遺跡の調査』を受けるつもりなのか?……)
そこでモモンは思案する。
(!っ……何故こんな簡単なことに気が付かなかった)
"それ"を思いついたモモンはカウンターからテーブルの方へと歩き出した。
「失礼、『大遺跡』の調査と聞いたのですが、間違いないですか?」
モモンの声に四人が反応する。それを見て真っ先に声を出したのは先程ヘッケランと名乗っていた男であった。
「……なんだい?アンタ。こっちの会話に割ってきて……」
モモンの方へ視線を向けたヘッケランは驚きの表情を浮かべた。しかし視線は顔ではなく胸元であり、恐らく首からぶら下げたプレートを見たゆえの反応だろう。しかしすぐに胡散臭そうなものを見るような顔つきになる。どうやら偽物のアダマンタイトだと判断されてしまったようだ。
「これは失礼。私は【漆黒】のモモンと言う」
「はっ!?」
表情を急激に一変させ、愛想笑いを浮かべる男にモモンは少しばかり嫌悪感を催す。
(だがこの態度もチームを守る為のものなのだろうな。やはりこの男がリーダーか……)
首を振ると先程感じた嫌悪感はどこかへいった。リーダーならば仕方の無いことだろう……先程の一連の出来事を見ていると何となくそうなのではとは思っていた。
「……あー、【漆黒】のモモンさん?ヤルダバオトを撃退したという……あのアダマンタイト級の?」
「えぇ」
「はぁぁぁっ!?」
ヘッケランが驚きのあまり声を上げる。モモンは兜の中で眉をひそめると少し注意することにした。
「ここは酒場だが同時に宿屋です。他にも客はいますし?大声を上げると他に客に迷惑がかかるのではないですか?」
「いやしかし……あぁ……そうですね」
ヘッケランは声のトーンを少し下げて会話を続ける。一度ゴホンと咳すると先程までの慌てぶりは嘘のように消え去り右手を差し出してきた。
「初めまして。ワーカーチーム【フォーサイト】のリーダーであるヘッケラン=ターマイトです。会えて光栄です。モモン様」
「こちらこそ。気軽にモモンと呼んでくれ。ヘッケランさん」
モモンもガントレットを外して応対する。その際に他の三人に視線を向けるが明らかに警戒されている様子だ。
(
「……ではモモンさんとお呼びさせて頂いてよろしいでしょうか?俺のことはヘッケランと呼び捨てで構いません。もっとくだけた口調でいいですよ」
「…分かりました。ヘッケラン」
「何故俺たち【フォーサイト】に声を?」
「実は…先程借金の件を聞いていたんですよ」
「それは……」
「あー、いや本当に申し訳ない。正直言って聞かれて良い話じゃなかったでしょう」
ヘッケランとモモンがアルシェの方へと目を向けるが『気にしないで』と言わんばかりに首を横に振った。
「……それと声をかけたのは何か関係が?」
「えぇ。もう一度聞きますが『大遺跡』の調査を受ける。これは事実ですか?」
「えぇ。その通りです」
「分かりました……」
モモンは一度肺から大きく息を吸った。これから話す内容の為に自身を少し落ち着かせたかったのだ。
(パラダイン殿との話し合いで『大遺跡』の調査の際に自由に動けることは分かった。しかし護衛という名目である以上、護衛対象であるワーカーからはあまり離れる訳にはいかないだろう。ならば自由に動けるには何が必要か……)
「実は【漆黒】のモモンとして貴方たちに依頼をしたいのです」
「アダマンタイト級の貴方がワーカーチームの俺らに依頼?」
ヘッケランは顔を歪めた。恐らくあまり良い想像ができなかったのだろう。
「えぇ。実は訳あって私は『大遺跡』で"あるもの"を調査したいんです。しかし私はワーカーの皆の護衛として派遣される予定で自由には動けません」
「?…それ俺たちに言って大丈夫なんですか?アダマンタイト級である貴方に依頼するくらいだから……」
ヘッケランが心配するようにモモンに声をかける。彼の憂慮は当然だ。アダマンタイト級に依頼できる者は限られる。それこそ国の上層部と呼べる地位を持つ者くらいであり、説明はしていないが状況的に色々と察してくれたのだろう。ならばモモンの返答は一つしかない。
「はい。皆さんに危険は及びません」
「…とりあえず分かりました。それで俺たちは何を?」
「【フォーサイト】の皆さんには一つだけ実行してほしいことがあります」
「何でしょうか?」
「【フォーサイト】の皆さんには調査の際、可能な限り最前線に立って頂きたいのです」
「可能な限り…それはまた……。未知の遺跡ですよ。あぁ……貴方が『大遺跡』を調査したい……ということですか。本当にそれだけですか?」
「はい。他にお願いしたいことはありません」
「…では二つつだけ聞かせて下さい。私たちの安全はどうするおつもりですか?」
「他のワーカー同様に皆さんを護衛します」
「……それはモモンさんが平等にワーカーを護衛をするという認識でよろしいでしょうか?」
「……少し異なるかもしれませんが、皆さんに関しては最前線に立って頂くつもりですので私は特に警戒するつもりです。それでもう一つは?」
「報酬はいかほどですか?」
「そうですね……フルトさんの借金は如何ほどですか?」
モモンが尋ねるとアルシェはヘッケランに視線を向けた。
「………アルシェ、今の金額は?」
「……金貨290枚…」
リーダーであるヘッケランの言葉でようやく口を開いてくれた。どうやらまだまだ警戒されているようだ。
「そうですか。29枚…いや…でしたら……キリよく白金貨30枚で如何ですか?」
そう言うとモモンは懐から革袋を出しテーブルの上に置いた。
「これは?」
「一応報酬が確実にあることをお伝えするためにお出ししました。白金貨30枚です。中身を確認して下さって構いません」
ヘッケランは革袋から白金貨を一枚取り出すと表裏を確認し重さを確認するように腕を上下する。すると満足したのか白金貨を革袋に戻した。
「本物ですね。分かりました……確かに白金貨30枚確認しました。しかし本当にいいんですか?」
「えぇ。私としましても調査の際に自由に動きたい理由があるのです。その為ならばこの程度安い出費です」
【フォーサイト】が驚く。白金貨30枚を安い出費だと言い張ったことなどがそうだ。それも無理は無かった。主に驚く理由は二つ。第一に最高位であるアダマンタイト級冒険者がドロップアウトしたワーカーに依頼をした点。通常ありえないことである。第二に白金貨30枚は金貨300枚と同等の価値を持っていた点だ。廃止されるまで白金貨1枚は金貨10枚と同等の価値を持っていた。
「いつまでに結論を?」
「可能ならば……今この場でお答え下さい。無理強いはしませんが……」
「……アルシェ」
「…ヘッケラン?」
「アルシェ。この依頼を受けるかどうかはお前が決めろ」
「……でも…」
「イミーナ、ロバーもそれでいいか?」
「えぇ。私はいいわ。リーダー」
「私もそれで構いません」
ヘッケランはアルシェに視線を向けた。アルシェは視線を床い落とすと答えを出したのだろう。視線をモモンへと向けた
「……モモンさん。その依頼、私たちに受けさせて下さい」
そう言うとアルシェは頭を下げた。続いてヘッケランたちも頭を下げる。
「受けてくれてありがとう。頭を上げてくれ」
(【フォーサイト】良いチームだな……。仲間の為に全員が頭を下げるか……それにリーダーのヘッケラン、彼は借金のことで後ろめたさを感じている彼女の為にわざと決めさせたな……良いリーダーだな)
モモンがそんなことを思っているとヘッケランがこちらに向かって口を開いた。
「ところでモモンさんは依頼までどう過ごすつもりですか?」
「うん?……あぁ折角帝都まで来たんだ。見て回ろうと思う」
「でしたら観光なんか如何ですか?それともマジックアイテムなんかどうですか?モモンさん」
「…どちらかというとマジックアイテムの方が興味はあるかな」
「それでしたら俺が案内しますよ、この周辺のことは詳しいと自負していますんで」
「はは、ありがとう。では頼めるかな」
「えぇ。お任せ下さい」
モモンと【フォーサイト】。彼らはこうして出会った。
それから数日後……。
モモンたちは『大遺跡』へ向かうことになる。