羊たちの悲劇
銀河の片隅のその更に片隅に位置している小さな星。
その名も『ポップスター』
豊かな自然と豊富な資源に恵まれたその星には一つだけ、これまた小さな村が存在していた。
村の名は『プププビレッジ』
住民の大半が主にキャピィ族とワドルディ族で構成された多民族村落であり、時に「呆れ返るほど平和な村」とさえ称される程にのどかな場所だった。
ここはそんなプププビレッジの一端に位置する、なだらかな丘の上に作られた広大な牧草地。
村の纏め役であるレン村長が所有する、主に羊の畜産を営むための放牧地だ。
そしてこの物語の始まりであり、全てのことの発端は、そんな僻地で起きたとある怪事件だった。
放牧地の片隅には小さく簡素な作りの小屋が建っていた。
小屋には一人の青年が住んでおり、彼はレン村長が経営する羊牧場の管理を任された羊飼いだった。
彼の朝は早い。ともすれば彼は村唯一の郵便配達員であるモソ爺さんや、毎日早朝から棚卸しを欠かさないタゴよりも早い時刻から活動しているかもしれない。
村人達に語って聞かせたことは無いが、村外れにある小屋に居を構える彼の胸中にはそんな自負が少なからず存在していた。
その日は淡い光を放つ三日月がよく映える静かな夜だった。
ふと、男は目を覚ました。
何やら小屋の外が騒がしく、その喧騒に叩き起こされたのだろう。
(……なんだ?)
違和感は直ぐに訪れた。
壁を丸く堀抜いた穴に木枠を嵌め込んだだけという、簡素な作りの窓から覗く夜空は深い藍色で満たされており、その夜空の真ん中には三日月が高く浮かんでいるのだ。
明らかに夜明けどころかまだ深夜の真っ只中であった。
てっきり早朝に羊達が騒いでいるのかと思えば、現在の時刻が恐らく夜更け頃であった事実に男は疑問符を浮かべる。
少なくとも男が羊飼いを務めている間に、このような夜間に羊が煩く騒ぎたてるのは記憶になかった。
(…少し様子を見に行くか)
彼は細かく動く度に木材特有の軋みをあげる寝台から降り、そのままややガタつく床板を大股に踏みしめて作業台の前に立った。
作業台とその周りの壁には、男が羊飼いを営む上で乗用している道具類が沢山置かれていた。どの道具もきちんと整備されているのが見てとれる事から彼の性格が伺える。
ところで、羊飼いが羊の飼育をしていく上で扱う道具の種類は決して少なくはないのを知っているだろうか?
歩行の助けとなる杖を始めとして、躾の際に振るう鞭、石や硬い果物を入れた武器にもなる小袋、羊への指示を行き届かせるための笛等々。
重装備とは言えないだろうが、多少の手間暇や携行力を必要とされはするだろう。
とはいえ先日、紙舟を川に浮かばせる仕事に勤しんでいたブンやホッヘといった村の子供達に「
確かに羊飼いという職は端から見れば日がな一日中ボーっとしているように見えるかもしれない。
だがいざ真面目にやるにはそれなりの道具と能力が必要な職種でもあると、彼は己の職に少なからずの矜持を抱いていた。
もっとも、この村の住人の特徴である短絡的で騙され易い思考と、異常なまでに平和惚けした頭をもれなく持ってしまっている彼にとって、その矜持とやらは水に浮かぶ紙舟よりも心許ないモノなのだろうが。
(…取り敢えず杖と笛だけは持っていこうか)
外の様子を視認してから細かいことは考えるとして、とりあえず適当な道具だけ持って小屋の外に出よう。
少しの間どの道具を持っていくかで悩んでいた男が、そう結論づけて作業台の上に並べられた道具へ手を伸ばした──その時だった。
『メ、メェェエェェーーーーー!』
小屋を隔てて立つ男の耳朶を強かに打ち付ける羊達の大きな悲鳴。
男は咄嗟に伸ばしかけていた手を引っ込めると、直ぐに駆け出し、あわだたしい足取りで入口の扉を開け放った。
羊達の身に一体何が起きているのだろうか?
混乱した頭で寝間着姿のまま小屋の外に足を踏み入れた男は、次の瞬間には自身に降り注いできた白い塊に驚き思わず尻餅をついてしまう。
白い塊はカラカラと軽い音をたてて次々と地面に散らばっていき、すぐに腰ほどの高さまで積み上がり小山を形成していった。
目まぐるしく変化する現状に目を白黒させる男だったが、次の瞬間“あること”に気がついて凍りついてしまう。
己の周りに散乱している白い塊はここで飼育していた羊達の白骨であり、そして───この惨状を築き上げた下手人が、今己の目の前にいるという事実に。
それも1mや2mといったちゃちな大きさではなく。
触腕一本一本が羊飼いの全長を優に越える巨駆を誇っており、そして如何にも怒り心頭とばかりにその鋭い相貌と漏斗官を以って此方を倪下していた。
「オアアァァァァァ!!?!」
彼は咄嗟に両手を頬に当て、喉からはち切れんばかりに叫び声を溢れさせていた。
見る人が見れば“ムンクの叫びみたいだ”と揶揄られただろう姿勢を取る彼だったが、腰が砕けてしまったのかその場から離れる事はかなわなかった。
巨大なタコは暫く何をする訳でもなく彼を睨んでいたが、やがてふいと興味を無くしたかの様に顔を背けたかと思えば、ふわりと浮かび上がりそのまま夜空に飛びさって行った。
徐々に、しかし圧倒的な速度をもって闇に姿を溶かしていくタコの行方を呆然と追いかける彼の目は、恐怖からか朧気ない視界を通して“ある建物”を捉えていた。
ここらの村では明らかに浮いている建築物であり、村からやや外れた絶壁の上に居を構えるその建物の名前は──“デデデ城” と呼ばれていた。