「はぁ…」
ここに、溜息を吐きつつ、廊下を歩く女性がいた。
彼女は金色の髪をサラリと流しながら、メガネを掛け、黒い教員服を身にまとっていた。その黒服から無理やり入れられ、服の下から暴力的に主張している双丘は、多くの男の目を引きつけるだろう。
彼女の名はティアーユ・ルナティークである。
ある日突然リトのクラスの副担任に就任した女性教師。
その正体は、10代にして宇宙生物工学の分野で並ぶ者のないと称された天才科学者。
自身の細胞をベースにヤミを生み出した人物である。
しかしヤミを「人」として育てようとしていたため、ヤミを生体兵器として育てようとする組織と対立、抹殺されそうになったため姿を消し、星々を転々として組織から逃れていた。
その後、組織が壊滅したことを知るが、数年後、ヤミが金色の闇として裏社会で恐れられる存在となってしまったことを知り、組織から脱出する際、ヤミを連れて行くことができなかったことを後悔してきた。
その後、学生時代に友人であった御門先生に発見され、彼女の推薦により、彩南高校の教師として赴任することになる。
また巨乳であることが更に強調され、男子生徒からは「金髪巨乳眼鏡ドジっ子教師」という肩書きをつけられた。
ヤミと御門からは「ティア」という愛称で呼ばれる。
また現時点でリトのラッキースケベの被害に遭った初の成人女性である。
現在、彼女は悩んでいた。
どうしよう…
己の遺伝子により生み出されたヤミについてだ。
ティアーユは、この学校に来て、ヤミを見守るために教師として来たのはいいが、未だに彼女とどう接したらいいのか分からないのだ。
何度話しかけようとトライするが、何回も失敗し、そうでなくとも、無視されることが多かった。
うぅ……やっぱり嫌われてるのかなぁ…?
自分の娘に疎遠な態度を取られるのは、結構心に来る。
しかし、それでもティアーユはヤミを愛し続けるだろう。
だって、たった一人の、自分の子なのだから。
「ひあっ!」
と、そんな考え事をしていると、当然ドジっ子属性を持っている彼女は、案の定何も無いところで足が絡まり、手に持っていた書類をばら撒きながら、ドテンと転ぶ。
「うう……いたた…」
そして、トドメとばかりにメガネまで吹き飛び、一気に視界まで奪われる始末。
ティアーユは、思いっきり打ち付けた膝を少し涙目で擦りながら、メガネを探そうとするが、
「大丈夫か?」
「え…?」
そこで聞き覚えのない声がティアーユの前方から聞こえた。
ぼんやりとしか見えないが、その人物はティアーユのメガネをこちらに拾って、持ってきてくれたようだ。
ティアーユは、すみませんっ、と言いながらメガネを受け取り掛けると、己の視線の先には、光によって美しく輝く白髪を持った、黒いタートルネックを着た女性が膝立ちでこちらを見ていた。
どうやら、メガネと一緒に書類も拾ってくれたらしく、その手には先程ばらまかれた紙があった。
「あ、ありがとうございます…! すみません、お恥ずかしい所を…っ」
「いや、大丈夫だ。 それよりも怪我などはないか?」
「だ、大丈夫です! いつもの事ですから!」
その書類を恥ずかしそうに受け取り、己の痴態を見せた事に謝罪する。女性は凛とした表情でこちらの安否を尋ね、ティアーユはこれ以上迷惑をかけまいと、慣れていますから!と強がった。
「そ、そうか…気をつけたまえ、キミの美しい顔に傷でも出来たら大変だ」
「えぇっ!?」
女性は、若干その姿勢に戸惑いながらも、何故かティアーユを口説きに来た。
ティアーユはいきなりの己の容姿を褒める言葉に、顔を赤くして素っ頓狂な声を上げた。
「――?」
「あ、い、いえ…、ありがとうございます」
「良ければ手伝うが?」
「そ、そんな!大丈夫です! 1人で行けますから!」
コクリと首を傾げ、女性の頭に浮かぶ疑問符に、ティアーユは「あ、素で言ってくれたんだ…」と理解し、相手が別に口説いている訳では無いと悟ると、誤魔化すようにお礼を言った。
女性は全く気にしないように、ティアーユの荷物を運ぼうとするが、それは困る。
もうこれ以上、他人に迷惑をかける訳には行かないのだ。
「そうか。 では私はここまでにしよう。 気をつけて」
「はい!頑張ります!」
そんな意思が伝わったのか、女性は優しい微笑みをうかべ、ティアーユに軽い声援を送る。
ティアーユは、そんな女性の紳士的な対応に、お礼を言い、頭を下げ、踵を返して、急いで職員室へと向かった。
彼女はこれでも教師。
しなければならないことは沢山あるのだ。
その途中で「あ、」と思う。
急いで振り返るが、その場には先ほどの女性は煙のように姿を消していた。
名前、聞きそびれちゃった…
ティアーユはガックリと項垂れ、今度会ったらキチンとお礼をしようと思うのだった。
◆
この学校は呪われているのか?
校内を歩けば歩くほど、何故か困っている人と遭遇してしまう。
幸い、全てが【 何かを無くした】【転けて擦りむいた】と、軽いものなので、今のところは大丈夫なのだが…
何かしら犯罪が起きないか、それが心配だ。
そう危惧しながら、周囲を見渡す。
どこもかしこも少し汚れがある程度で、それを考慮してもキレイな校舎であり、外から見える生徒達は真面目に授業に耳を傾けている。
どこからどう見ても普通の学校。
特に何かおかしな点がある訳でもない。
私の考えすぎか…
少し、神経質になりすぎていたのかもしれない。
聞けば、この学校には多くの宇宙人、言い換えれば地球外生命体が通っていると聞く。
もしや、そいつらの誰か。
悪しき心を持つ者が魔術で言う呪いの類の事を行っているのではないかと思ったが、魔力は感じられないし、至って平和である。
まぁ、たとえ悪意ある者を見つけた所で、この場ではどうすることも出来ないのだが。
例えこの学内の敷居を跨ぐ許可をもらっていたとしても、大きな行動を起こすわけにはいかない。
それはこの学生に迷惑をかけることになるし、許可を出した校長に不審者を招き入れたと言う不名誉のウワサが広がる可能性がある。
と、ここまで考えた所で、エミヤは「ふっ…」笑った。
なにを真剣に悩んでいるのだ、私は。
大体、そんな大きな事態がそうそう起こるはずがない。
世界は違うが、ここは日本であり、治安もいい。
私が駆け回っていたような、あんな殺伐とした世界では無い。
そうだ、そうだとも。
少し不運を見すぎて、気を張りすぎていただけなのだ。
公共の場で不審者でも現れた訳でもないのだから、少し警戒を解いてーー
と、そこでエミヤは、曲がり角を曲がった先に、丸型のサングラスを掛け、ベンチに座り、読書に勤しむ男を見つけた。男は少し、いやかなり太っており、身長も低い。しかし、それはいい。容姿は人それぞれ。それ自体は普通だ。どこでも見かけるごく一般的な風景だ。
しかし、その男の手に持っているものが異様だった。
何やら、カバーも掛けず剥き出しにされたその表紙には、かなり際どい服を着た妖美な女が、これまた妖美なポージングをしており、それが主張するように表紙に大きく乗せられていた。
紛れもなく、エロ本である。
世の男達の秘宝。エロ本であった。
エミヤは頭を押さえる。
どうするべきだと。
学園のベンチで、さも当然のようにエロ本をよむ中年男性。
その頬は少し赤みを帯びており、時々「ほぉぉ…!」と奇怪な声を上げている。
変質者だった。
紛れもない、変質者だった。
アウトか?アウトなのか?
エミヤは、即刻学園の先生に報告するべきか否かで迷っていると、男はそんなエミヤに気付き、持っていた本を置いて、柔らかな笑みと足取りでこちらに歩み寄って来た。
エミヤはぐっ…と後ろに下がりたい思いを抑えた。ここでこの男が不審者ならば、学生の安全の為に、この男を取り押さえなければならない。
そんな思いを胸に、男に向き合う。
オトコはおおきく肥大した腹を揺らしながら、エミヤの数本物手前で止まり、柔らかそうな頬っぺを動かした。
「これはこれは、美人なお方が居ると思えば、貴女がエミヤさんですかな?」
「なに…?」
男の確信した様な言葉に、エミヤは疑問符を上げる。
なぜ私の名を知っている?
エミヤはどこかであったか?と思い、この世界に来てからの記憶のデータベースを検索するが、残念ながらこの男に見覚えは無かった。
それに、この男の初めて出会った様な口ぶりから、恐らくそうなのだろう。
では、この男はどうやって私を知った?
警戒心を上げ、しかし表情は鉄のように動かさず、男を見る。
「初めましてですな。私はこの学校の校長を努めさせていただいております。 あなたの事は写真で見せてもらいました」
「は…?」
校長?
エミヤは上から下へと校長と名乗る男を見る。
そう言えば、ここに来る前、朝方にモモに写真を撮られたことを思い出した。
なるほど…このために写真を撮ったのか。
確かに、顔を合わせる事もなく、ワッペンだけポンと渡された時は、この学校の防犯は大丈夫なのか?と思ったが、流石に校長には写真を渡したらしい。
1人納得するエミヤに校長は首を傾げ、「どうかしましたかな?」と言う。
エミヤは不審者と疑ってしまった事を悪く思いながら、なんでもないと伝えた。
そうですか。と特に気にした様子もなく、優しい笑みを浮かべる校長に、エミヤは完全に警戒を解いて、話をした。
「どうですかな? うちの学校は」
「ああ、いい場所だと思う。 校舎も綺麗で、全ての生徒が真面目に授業を受けている。所々に防犯カメラがあり、校門も閉ざされているから、防犯面もきちんとしている。それに、廊下も靴箱も、キズが少なく、凹みも無いことから大切に使っているな。」
「ほっほっほっほ そこまで見てくれているとは、私も嬉しいですぞ。いやいや、私もこの学校の校長でいれて大変鼻が高いですな」
校長は、本当に嬉しそうに笑う。
彼らは私の誇りだと。
エミヤはその輝かしい姿を見て、やはり先の自分の考えは間違っていたと思った。
見た目で人を区別してしまった。
それはなんと失礼なことなのか。
今まで、多くの戦場を、多くの人の汚れを見て、少し過敏になり過ぎた。
いや、それは言い訳だ。
どんな理由であれ、私は彼に不信を抱いたのだ。
人の良い悪いが見極められないとは、英雄が聞いて呆れる。
エミヤは、校長に先ほどの不信を謝ろうとした。
「ええ、ええ。実に素晴らしい。貴女のような人を招くことが出来て、とても嬉しいですぞ」
しかし、校長の言葉に、それは止められた。
「うふ…ふふふふ…」
「こ、校長…? どうかしたか…?」
校長の急な薄気味悪い笑いに、エミヤは己が何か気に触ることをしたのかと不安になる。
いや、もしくは何か体調に支障を来たしているのかもしれない。
そう考えると心配になり、校長の傍まで近付き、すぐに支えることの出来る距離まで行く。
「エミヤシロさん」
校長は己のネクタイに手をかけ
「ワシに…」
はぁー…とやけに熱い息を吐き出しながら
「そのおっぱいにえっちぃこといっぱいさせてぇぇぇぇえええ!!!!」
瞬きの内にパンツ一枚となり、こちらに飛びかかってきた。
「ーーー」
硬直
エミヤは、校長のそれに、本来なら背負い投げでも出来た所を、全く反応することが出来なかった。
確かに距離も近かった。
自分でも目視することのできない早脱ぎに驚いたのもある。
だが、一番の原因は、やはり完全に警戒を解いていた事だった。
「!?!?!?」
突如として襲いかかってきた校長は、エミヤの肩を掴み、強引に押し倒す。
硬いブロック面に後頭部を打ち付けるが、それは大したダメージでは無い。
そして倒れる勢いのまま、高速でエミヤの双丘の間に、顔を突っ込んだ。
「ひぃっ?!」
校長がエミヤの胸を弄ぶかのように、しかし獣のように擦り付け、その口から吐き出される熱くねっとりしたと息がタートルネックを通して肌へと浸透するように感じ、背筋にぞわりとした不快な感覚が駆け巡る。
想像してほしい。
もしも、あって間もない同性の中年男性が、自分の身体で発情し、必死に顔から出る液体と共に、胸に擦り付けてくる様を。
気持ち悪さの権化である。
その余りにも気持ち悪さに、エミヤの女体の本能が悲鳴を上げ、鳥肌をたてた。
油断していた。ここは日本だからと、そんな考えがまだあった。
エミヤは混乱しながらも、現状打開に思考を回す。
「むひょひょひょひょひょひょ!!」
校長[クズ]はまだまだ満足出来ないようで、相変わらず柔らかな膨らみに顔を埋まらせ、その吐息に混じった唾が、その興奮から発せられる汗が、エミヤの身体を穢していた。
ーー殺していいだろうか?
そんな考えが頭に過ぎる。
しかし、残り少ない理性がそれを抑え、己の心眼が最適解を弾き出した。
全身を魔力で強化し、校長[クズ]を引きはがし、直ぐに立ち上がる。
それでも負けじと、唾液を垂らしながらこちらへと向かってくる校長[クズ]の突撃を躱し、その際足をかけ転倒させる。
そして、エミヤは赤い布を投影した。
マグダラ聖骸布。
それは手足に巻きつけられただけでも全身を動かせなくなるような、男性を拘束する「概念」を持った聖遺物であり、それを踏まえた効果である。
エミヤは校長にそれをがんじ絡めに巻き付け、妙に素早い動きを止め、マグダラの聖骸布を掴み、校舎の三階へと投げ飛ばし、投影した剣を射出。
剣はマグダラの聖骸布を貫き外壁へと突き刺さり、芋虫となった校長[クズ]を吊るした。
「フゥー…フゥー…」
イラつきや不快感による呼吸の乱れを整え、最後に全ての空気を絞り出すように、一気に「はぁー…」と、溜まったストレスや精神的疲労も出すように吐き出した。
あ、危なかった…
まさか、いきなり変態に襲われるとは思いもしなかった。と言うか、この学園はあの様な男が校長でいいのか?そもそも、校長という言葉自体が怪しく思えてきた。
もし、アレが校長だったとして、流石に学生に手は出していないのか?
……今度聞いてみるか。
エミヤは乱れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げ、取り敢えず、アレを何とかしてもらう為、教員を探しに行くのだった。
好奇心は猫を殺す(こうきしんはねこをころす)
イギリスのことわざ(en:Curiosity killed the cat)の訳。英語に「Cat has nine lives.」(猫に九生あり・猫は9つの命を持っている/猫は容易には死なない)ということわざがあり、そんな猫ですら、持ち前の好奇心が原因で命を落とす事がある、という意味。転じて、『過剰な好奇心は身を滅ぼす』と他人を戒めるために使われることもある。