Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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世界樹の迷宮 ~黄昏の時代は来たりて~
第一話 月影の守り手と異邦の英雄


世界樹の迷宮 月と巨人の原典

 

~黄昏の時代は来たりて~

 

第一話 月影の守り手と異邦の英雄

 

「はっ……、はっ……、はっ……」

 

規則正しく呼気と吸気を繰り返すたび、周囲に広がる闇夜の冷たさが胸を刺す。空には煌々と輝く満月が浮かんでいる。常ならば白色にて夜の天地を照らしあげるその光は、しかしなぜか今この時においては、周囲を薄ら暗く、足元も見えないくらいにしかその力を発揮してくれていない。

 

「はっ……、はっ……、はっ……」

 

全力で走り始めてからもう半刻はたっていた。下っ腹が痛くなる時間帯はもうとっくに過ぎ去っていて、今では限界を超えて酷使された両足が「もういい、今すぐ頑張ることをやめて休んでしまえ」と訴えているかのごとく、針金で締め付けられたかのように痛んでいる。そうして痛む足元を見やると、暗がりの視界の中にチラチラ緑の光が映り込む。おそらく脳が酸素不足ゆえに痛みを訴えているせいだろう、と女は思った。

 

「っ……! っぁ……、はっ! んぅ、ぐ、ぅ……。はっ……、はっ……、はっ……」

『……ハッ、……ハッ!』

 

痛みにより意識が周囲に拡散される。そしてその意識が嫌悪の吐息を拾い上げた瞬間、足が縺れ、転びかけた。それでもなんとか体勢を保つことができたのは、彼女の運動能力や反射が優れているからではなく、ひとえに彼女の痛みが、恐怖心が、生存本能が、この場において転ぶという選択肢を許さなかった結果である。

 

「はっ……、はっ……、はっ……」

『ハッ…、ハッ…、ハッ…! 』

 

女は雪駄を脱ぎ捨て、白い足袋が土や泥で汚れる事を気にする様子もなく、ただ必死に走っている。入り組んだ帝都の街をどれだけ逃げたかはもうわからない。銀杏返しを保つための真葛の粘液は滝のように流れ出る汗の前に流れ落ちて、髪はとっくに体裁を保っていない。店の主人から送られた華やかな簪をどこぞへ落としてしまったなんて些細な事、彼女にとってもうどうでも良い事だった。

 

「はっ……、はっ……、はっ……。っ、はぁー……」

『ハッ…、ハッ…、ハッ…! 』

 

街並みが少し閑散としているところを見るに、帝都の外側に向けて走っていたのだろうと女は思った。少なくとも、根城である深川町の遊郭などとうの昔に抜け出ているはずだ。一度入ったからには身請けか死体になる以外の方法で抜け出せぬ場所であるし、どうにか外に出たいものだとは思った事も少なからずあるが、だからといってこのような形で廓を抜けるという事態を女は望んでいなかった。

 

「っ……! はっ…、はっ…、はっ…」

 

肺はもうとっくにまともに動いておらず、体は限界を十重二十重に超えているのだと全身が強く訴えていた。その訴えかけに負けて、少しばかり大きく息を吸った瞬間、じゃらじゃらと鎖が擦れる耳障りな音に混じって、短い間隔の生々しい呼吸が聞こえた。途端、女は弾けるようにして再び走り出す。

 

「はっ…、はっ…、はっ…」

『ハッ…、ハッ…、ハッ…! 』

 

体に羽織っている着物が着崩れ、裾から大きく太腿が肌蹴るのも御構い無しの全力疾走だ。女がこれほど必死になって走ったのは、中国地方の果てより東京市千寿区深川町にやってくる以前、まだ呑気に野山を駆けずり回っていたころ以来だ。

 

疲れている。胸が苦しい。頭が熱い。喉が痛い。もうやめよう。よく頑張った。休みたい。休みたい。休みたい。休もう。休むべきだ。―――身体が痛みを伴って切に訴える求めを素直に聞いてやれない理由が、今まさに背後に迫っている。

 

これが例えば、女の所属する廓を訪ねる男たちが口にするような、「君を極楽浄土に連れて行ってあげる」という比喩文句が示す境地であるなら兎も角、もし後ろの獣に追いつかれたなら、それは自分の事情など御構い無しに、一切の躊躇なく、自分のことを極楽と呼ばれる死人の居場所―――、いやそれどころか、地獄へと連れていってしまうだろう事を、女は確信していた。

 

「はっ…、はっ…、はっ…」

『ハッ…、ハッ…、ハッ…! 』

 

だから足を止めることができない。死ぬ事と比べれば、この程度の苦痛は生きるための必要経費で、羞恥など取るに足らない端事だ。一発逆転を目指して帝都にやってきた両親は事業に失敗し、私を売ったが、それが彼らの苦渋の末の選択であった事は、その家に生まれ育った私が一番知っている。故郷にて食うに困り先立ってしまった兄弟姉妹や友人のごとく、痩せ細って膨満な腹になった末、炉に放り込まれなかっただけでも有難いことなのだ。

 

両親は私を、どのような苦境に落とすことになろうと、生きてほしいと願ったからこそ、私を廓に売り飛ばしたのだ。だから死ねない。死ぬわけにはいかない。私はどのような無様を晒そうと、この七難八苦の苦境を乗り越えて、またあの人たちと―――

 

「……っあ! ――――――、あ……」

 

女の必死を引き出した思い出は、しかしそれが彼女の命取りとなった。麗しいはずの記憶は、しかしこの生と死の二項原理のみ支配する場においては邪念のうちの一欠片に過ぎず、彼女は石に足を取られ、転げてしまう。

 

長く走り回る間に彼女は帝都の舗装された区画外に抜けてしまったのだ。舗装道は未だに砂利と雑草が好き勝手に伸びる野地へと変化し、そこかしこに石や木の葉が転がっている。彼女の足を絡め取ったのも、そういった地面に転がる要素の一つであった。

 

『ハッ…、ハッ…、ハッ…、ハッハッハッハッハッハッ! 』

 

女が地面に転がったのを確認すると、獣はすぐに彼女へと追いつき、その周囲を駆け回る。獣の吐息は女と異なり、まるで疲れた様子を見せていなかった。四足歩行をするその獣にとって人間の女を追う行為は狩りではなく、単なる遊戯でしかなかったのだ。

 

「あ……、あ……」

 

全霊を用いて駆け抜けていた女は、勢いよく地面と接触した際、大いに顔を打ち付けて、脳震盪を起こしていた。眼球は焦点が定まっていないことから、意識が朦朧としていることもうかがえる。それでも手足が微か動き、悶える全身が細身を前に動かしたのは、女の生きることに対しての執念がなせた奇跡なのだろう。

 

『ハッハッハッハッハッハッ! 』

 

だがそんな足掻きも長く続かないことは、誰の目にも明らかだった。じゃらじゃらと首輪から伸びた鎖を垂らしながら女の周りを回る存在は、獲物がもはや自らの狩猟本能を刺激しない存在になった事を確認すると、四つ足を正して、大きな口を細めて、天へと向けた。

 

『ォオーーーーーン! 』

 

それは獣が遊びの狩りの真似事を終え、獲物を食せる状態に仕留めたという合図だった。首元に鉄の鎖ついた首輪をはめられた、二股に別れた尾を持つ全身が赤い四足中の獣―――ガルムと呼ばれる北欧神話から飛び出してきた悪魔は、戦果を誇るかのように、高らかと吠え散らかす。ヘルという地獄から死人の出入りを制限する門番は、今まさに、死の淵にある女を地獄に引きずり込もうとしていた。

 

『ォオーーーーーン! 』

「―――う、ぅ……」

 

続く雄叫びも周囲の空間全てに響き渡るかのような、声量だった。その馬鹿でかい声に女は微かに意識を取り戻し、瞼を開く。耳をつんざく獣の遠吠えは人の心に不安の漣を引きおこす。女は本能的に獣から少しでも遠ざかろうとするが、犬はそれを目ざとく耳ざとく感じ取ったらしく、女に近づくと、単着物が微かに被っただけの背中を四肢の一本で抑えつける。

 

「―――あ」

 

それは女にとって、決定的だった。背中から感じる獣の力はあまりに強く、そして容赦がない。爪が軽く突き立てられ、じくりとした痛みが背中に走った。自分はもう助からないのだと確信する。

 

―――ああ、もう助からないのだ。

 

全身から力が抜けていく。それを感じ取ったらしく、獣はさらに高らかに遠吠えを発した。

 

『オンナ……、ナカナカ、タノシマセテモラッタゾ……』

 

畜生の口から言葉が発せられるはずなどないのに、幻聴まで聞こえた。そう認識した女は、ついに己の脳が現実逃避し始めたかと感じた。現実と幻界の境界線が薄れて行く。私の頭はもう、畜生の声を人のものに変換してしまうくらい、壊れているのだと女は認識した。

 

『ダガコレデオワリダ……』

 

―――ああ、そうだろうとも

 

女が薄れゆく意識の中で覚悟を決めた途端、女は背中から重みが消えたのを感じた。

 

『グギャ!』

「―――どうやら間に合ったようだな」

 

男の声が聞こえる。声は新造の自分が世話をする花魁たちに群がる男どもが口にするような、ちゃらちゃらとした軽薄さに満ちたものではなく、遣手の女の連れ添いや店主といった大人たちが発するようなしっかりとした意志を持つ男特有の低いもので、力強く、そして抑えきれない憤怒に満ちていた。

 

「―――そのようだ」

 

続けざまに聞こえる涼やかな声。先に聞こえた声が大鼓の重低音であるとするなら、こちらは五人囃子の彼が持つ小鼓のそれだ。まだどこか幼さ残る軽やかな声は、先の男が作り上げた雰囲気を霧散させて情報処理が追いつかず混乱する女の脳を微かばかり回復させていた。

 

『グ、キ、キサマラ―――!』

 

獣が口から発した怨嗟の声により、女の虚ろな視線がガルムへと注がれる。今しがた自分を追い詰めたはずの存在の土手っ腹からは、奴の全身の赤とはまた別の鮮烈な赤色が、液体となり、雫となり、地面へと垂れ落ちていた。

 

『ダレダ、オマエタチ! ナンデオレヲコウゲキスル! 』

 

ガルムの言葉はそれこそ女の方が獣に尋ねたいと思うものだった。

 

「それはこちらの―――」

「―――葛葉」

 

低い声をした男が獣の問いを一蹴し、問答を返そうとした瞬間、細い方の声の男がそれを遮って律儀に答えた。

 

「十四代目、葛葉ライドウ―――、ヤタガラスの命により帝都の守護を任されている……、故に、帝都の平和を乱す貴様を討つ」

 

断じられた言葉が本来の声量よりも強く大きく聞こえたのは、ライドウという男の裡に秘められた意志の強さ故だろう。

 

「―――、そしてその手伝いのエミヤ……、衛宮士郎だ」

 

衛宮士郎は、ライドウという男の律儀さに付き合ったのだろう、一拍おいてから、やはりこちらも律儀に身分と名前を明かす。

 

「困っている人を見ると助けずにいられない性分でな。―――故に、彼に与して貴様を討つ」

 

二人の言葉はあまりに力強く、そして救いに満ちていた。その言葉をこそ、女は真に欲していた。自らを拾い上げるという宣言を耳にしたのを最後に女は意識を失う。必死の逃走により白粉と化粧がすっかり剥げて落ちて恐怖にまみれていていた女の顔には、いまやすっかり安堵の表情が浮かんでいた。

 

 

『ラ、ライドウダト!』

 

その名を聞いた途端、ガルムと呼ばれる獣は迷わず離脱した。街の光が輝く所とは真逆の方向へと逃走する。燃え上がるような赤い体と血の深赤は、歪んだ闇夜の中によく目立つ。即座に追撃のために投影してあった弓と矢を叩き込もうかと考えたが、思うところあって手を止めるとライドウへと問いかける。

 

「どうする?」

「―――異界にて戦闘ではなく離脱を選択したということは、先に仲間がいるはずだ」

 

夜気を裂いて現れたのはまず白刃。続けて黒塗りに銀の装飾が施された学生帽。その鐔下に覗く白皙の顔には筋のはっきりと通った鼻と双眸が陶器人形の様に左右均等に配置されており、揉上げは彼の律儀と誠実な性格を表すかのようにピンと整えられている。

 

顔面の白さとは真逆に、首から下は、詰襟学生服、マント、革靴に至るまで黒塗りで、闇夜に溶け込む洋装をしている。手にした白刃、と胸元の特殊な形状をした弾丸ホルスターに細長い銀管、腰にある銃を収めたホルスターがなければ、ただの美少年にしか見えないだろう。

 

もっとも武装していなかったとしても、大正という時代背景から考えれば、夜、人通りのない場所を歩く学生など、治安維持法によりしょっぴかれて仕方ない存在であるわけだが。

 

『なるほど、そこを一網打尽とするわけか。だが焦るなよ、ライドウ。それにエミヤとやらも』

 

そんな夜遊びを咎めるかのごとく、白顔の美少年の言葉に忠告を与えたのは、彼の足元にいる黒猫だ。ライドウのお目付役を自称する彼は、緑色の独特の色合いをした瞳を爛と光らせて暗闇の中から姿を現した。聞くところによればあの瞳の色はマグネタイトという魔力に似た生命エネルギーの発露であるらしい。

 

「了解だ。―――この女性はどうする? 」

 

ゴウトの忠告をありがたく受け取ると、私はライドウに問いかけた。問いに、ライドウは胸元のホルスターから銀管を取り出すと、振った。銀管の端が動き、銀管の一部が伸びたかと思うと、その隙間から翡翠色が覗き、闇に円弧を描く。すると、銀管の中から影が飛び出してきた。

 

『オオオオオオ! 』

 

影は三つの口を大きく開くと、先程この場所にて活動していたガルムへこの場所が自らの領域となった事を知らしめるかのよう、高らかに咆哮した。三つの口から同時に発せられた咆哮は、音波同士が重なり合って、重厚ながらも周囲に大きく轟き響く。そうして周囲へと威嚇を撒き散らしていた灰色の体を持つ獣の三つの顔は、やがて口を閉じてゆくにつれ一つへと統合されてゆき、そして通常の狼のような姿へと変貌した。

 

『―――ケルベロスか』

 

体長は二メートルほどもあるだろうか。尻尾まで含めるなら、三メートルは下回るまい。その姿だけ見れば、顔面を優雅に覆う鬣が凛々しく雄々しい通常の大型犬にみえなくもないが、満足げに三日月の形に釣り上げた音の収束した口元からは炎が漏れるさまをみれば、一瞬でそんな考えは吹き飛ぶだろう。大型犬―――かつてギリシャ神話の大英雄、ヘラクレスと死闘を繰り広げたケルベロスという獣は、まさに地獄の門番と呼ぶに相応しい風格を備えて帝都の異界に降り立っていた。

 

各地に残る神話伝承の中にしか存在し得ないはずの存在、すなわち悪魔―――この世界においては、鬼も天狗も蜘蛛も、あるいは、神や天使も、もちろん悪魔も、ひっくるめてこう呼ぶ―――を使役する存在こそ、悪魔召喚師。通称、デビルサマナーである。

 

古き日本の姿が残った大正二十一年。私からすれば異常な歴史を辿っている世界において、彼らの存在はそう呼ばれ、古くから時代の影にて様々な暗躍をしてきたという。そして目の前の少年は、そんな悪魔どもに対抗するため、日本が古来より影に抱えてきた超国家機関『ヤタガラス』という機構に所属している、『葛葉ライドウ』の名を継ぐ十四代目の悪魔召喚師、というわけだ。

 

また、彼はまだ若い身ながらも、日本の中心であり、命脈でもある帝都という場所の守護を一身に受け持ち、これまでこの国が転覆しそうな事件をいくつも解決してきた凄腕でもあるという、なんともすさまじい経歴の持ち主だが、同時に素晴らしく重い使命を背負っている少年だ。やはり私のエゴに過ぎないのだろうと知っていながらも、個人的な思い入れから、そんな彼のことを不憫に思ってしまうのはやめられない。

 

『サマナー、ナンノヨウダ? 』

「近くにヤタガラスの使者が潜んでいる。この女性を彼女の下まで運んで欲しい」

『ワカッタ』

 

そんな私の憐憫や思惑などとはまるで無関係に、ライドウが地面に臥した女性を指差すと、ケルベロスは背骨から伸びた黒く堅牢そうな骨のような長い尻尾を器用に動かして、自らの背中に女を導いた。女は微かに呻き声をあげるも、意識を取り戻す気配はない。米俵でも載せるかのようにしてケルベロスの背に乗せられた彼女の指から、ポタリと一滴の血が落ちた。ケルベロスは瞼と瞳を顰める。

 

『サマナー。コノオンナヌルヌルスル』

「どうやら随分とまた派手に転げたようだの」

「―――」

 

ライドウは無言で女性の怪我を確認すると、二本目の管を取り出し、再びそれを振るった。

 

「スカアハ」

『おや、およびかい、ライドウちゃん』

 

すると管より少しばかり嗄れた女性の声が聞こえ、女性のシルエットが宙に浮かんだ。鐔が四方に長く別れた独特の形状をした鐔長の釣鐘型クロッシュ帽子を被り、同色の赤いマントを羽織った正座の姿勢を崩さない凛とした横顔の彼女は、それだけ見れば和洋折衷整った姿を保つモダンガール/モガに見えなくもないが、頬に刻まれた薔薇の刺青と、黒塗りの女性用下着だけの上半身、どぎつい角度と狭い面積をしたハイレグを履いている姿が彼女―――スカアハを淑女というイメージからひどく遠ざけていた。

 

―――よく見てやると、あわらになっている細身の肉体は、一見女性らしい柔らかさに満ちているものの、その全てが鍛え抜かれた筋肉で構成されており、無駄のない造形を保っているのがわかる。なるほど、ケルト神話、アルスター伝承において影の国の女王と称され、あのクー・フーリンの師であったというだけの事はあると勝手に納得する。その細身ながらもしなやかな体から繰り出される体術は相当の練度と威力を誇るだろう。

 

『あら、色黒のお兄さん。そんな熱い視線向けんといてーや。おばちゃん、恥ずかしいわー』

「ああ……、すまない」

『あら、きちんと謝れるなんて素直なええ子やねー。ええんよー、気にせんといて』

 

スカアハは気さくに黒の多重な紐型アームカバーに包まれた腕を伸ばすと、私の頭を撫でた。幼子をあやすかの様な優しさを含んだその手つきを無碍に振り払うのも躊躇われたのでそのまま身を任せている事とした。するとやがてスカアハはそうして自らの所業でくしゃくしゃになった私の髪を軽く整え、手を離してライドウの方を再び向く。

 

『ほんでライドウちゃん。今日は何の御用だい? 』

「彼女の治療を」

 

ライドウがケルベロスの背に横たわっている女性を指差すと、それを見たスカアハは優しさ携えていた双眸を曇らせて顰めっ面を浮かべると、頷いた。

 

『―――ああ、こりゃ酷い。……ディアラハン』

 

ディアラハン。スカアハが一言唱えた瞬間、緑色の光が彼女の手より現れて、ケルベロスの背に横たわる彼女の体を包み込み、緑色の光―――癒しの力を含んだマグネタイトの光は女性の傷を残らず塞いで行く。

 

『はい、おしまい、と』

「助かった」

『ほなまたなー』

 

ライドウが彼女の飛び出した管を振るうと、スカアハは手を振りながら緑色の光となって再び管の中へと戻ってゆく。やがてマグネタイトに分解された彼女が完全に管の中へと姿を消すと、ライドウは管より伸びた部分を収納し、胸元のホルスターへと再収納した。

 

「行こう」

 

そして己の身嗜みを整えたライドウは、私とゴウト、ケルベロスに呼びかける。

 

「ああ」

 

応答を返すと、ライドウは闇夜に赤と黒の外套を翻させて、素早く闇夜の中へと消える。私が彼に続くと、ケルベロスとゴウトも、彼とは別の方向向けて、あるいは彼らの後を追って、異界の中を駆け出した。

 

 

「ああ、もう、鬱陶しいわね!」

 

イン……、ではなく、凛が叫ぶ。彼女の指先から飛び出した黒い光―――「ガンド」という呪いの魔術らしい―――は、宙を直進する赤い盾に当たると、そのままあえなく霧散する。月明かりや瓦斯灯の光とは異なる、緑の光が其処彼処に散乱する不思議な空間の中、空中で赤い盾を構えて凛への突撃を敢行しているのは、同じく赤い兜と鎧を纏った、鳥の羽を背中に生やしたエミヤやダリくらいの背丈がある人型の魔物―――ではなく、悪魔だ。

 

たしかライドウは天使パワーとか言っていた。そうして凛の一撃を防いだパワーはすぐさま凛の眼前に迫ると、赤槍を振りかぶり、お返しとばかりに凛へと槍を振り下ろした。

 

「まっず……! 」

 

凛は慌てて身を引くも、パワーの速度は彼女のそれを上回っており、槍先は寸分たがわず彼女の心臓へと向かっていた。

 

『何……!?』

「凛、あまり前に出るな。庇いきれん」

 

しかしパワーが繰り出した雷光の一撃は、赤銅色の剣によって断ち切られていた。シンだ。人間のブシドーからアンドロへと生まれ変わった彼は、ブシドーとしてのスキルを一切使えなくなっていたにもかかわらず、刀を好んで使い戦闘を行う。まぁ、元々この世界ではどのみちスキルが使えないのでその選択は間違っていない。

 

……のだが、加えてシンは、本来のアンドロという職業が使えるスキル―――身体機能である体の仕掛けを、使わずに戦おうとするのだ。オランピアというアンドロの女性に、「全身に仕込まれた機械を使って戦えば、以前よりも有利に戦闘を進めることが出来る」と断言されたにもかかわらず、それでもシンは機械の体の機能を封印して戦っていた。まぁ、なんともシンらしい拘りだと思う。

 

「ありがと。感謝するわ」

「構わん―――が……、逃げられたか」

 

シンはパワーから目を離さない。槍の柄を断たれたパワーは街中より離脱して高い場所まで上昇すると、羽を大きく広げて棒となった槍を横に構えた。するとパワーの背後から光の球が現れる。

 

「あれは―――! 」

「アローレインとかいうやつか! 」

 

私の疑問にシンが答える。先程数度私たちを散らすために使われたそのスキルは、光の矢雨霰となり襲いかかってくるというものだ。光の球の一発一発に秘められている威力を侮れないことは、先程奇襲を受けた際に犠牲となった誰かの住居跡が証明してくれている。光の矢は、分厚くとも木の板であったり、鉄の板であっても薄ければ貫くのだ。ならば光の矢の先が当たる対象が人体であるなら、その結果は見るまでもないだろう。

 

「この距離じゃ、ガンドだと有効打にならない……! 」

「じゅ、銃を使います! ―――、た、弾は……!」

 

凛が悔しげに漏らす間にも光の球は大きくなっている。私は慌ててライドウに貰った銃を取り出して弾を装填しようとするも、慣れない稲妻回転銃/ライトニングコルトという道具の弾倉を前に苦戦する。

 

「響、何やってるの!? 」

 

もたもたとしている私を見て、凜が叫ぶ。

 

「ご、ごめんなさい! じゅ、呪殺弾の装填を……」

「いや、それには及ばない」

「え……?」

 

そうして私がなんとか六連の回転弾倉に弾丸を込め終えると、その頃にはシンはクリーム色の下の体、その膝から下の黒い機械部分を露わにしてしゃがみこんでいた。一体何を―――

 

「今の私なら一足飛びで射程の範囲だ」

 

すると宣言したシンの足裏と足首部分から複数の炎が噴出した。炎と煙の勢いや凄まじく、シンの体内より生み出された二つの成分は温風を伴って地面を叩くと、シンの体はあっというまに自らが生み出した砂埃の上へ向かって直進する。

 

『何!?』

 

ロケットジャンプ……、だったか。本来なら回避の為に積み込まれたアンドロの身体機能を、シンは攻撃のために使用したのだ。瞬時にパワーへと肉薄したシンは、奴が光の球を放つよりも先に刀を逆袈裟に振り抜いた。

 

『ば……、か、な』

 

シンの一閃は硬質そうな赤の籠手も、鎧も、蛸の文様が刻まれた盾をも切り裂いた。ついでとばかりに刀を振り抜くと、それでも止まらぬ勢いを利用して敵の背後より首を叩っ斬る。

 

「生身でないというのも、案外便利なものだな。以前ならこの距離は確実に射程外だった」

 

そうして体を鎧ごと斜めに切り裂かれ、頭部を切り飛ばされたパワーは、全身が緑色のマグネタイトの光となり拡散して消えてゆく。一方、パワーを切り裂いたシンは、呑気にそんなことを口にすると、放物線を描いて少し遠くの場所へと落下する。やがて地面へと落下した彼は、細かい砂の飛沫を思い切り散らしながら地面へと接触し、接地と同時にしゃがみこんで着地の衝撃を逃す動作をした。衝撃は大地を砕き、ドズンッ! と大きな音が響いて、周囲にある木造の建造物がグラグラと揺れた。大丈夫なのだろうか……?

 

「―――が、着地の際の衝撃を逃がすため、いちいち脚が硬直する。その上この動作が自動的なものとなると……、いかんな。これはいただけん」

 

などと思っていると彼は刀を手にしたまま唸りだす。どうやらシンにとって、着地の際の衝撃云々などよりも、機械に生まれ変わった体では刀を振りにくいという事態の方が重いらしい。

 

そんなシンの様を見ていると、なんだか私は胸が暖かくなった。ああ、彼が戻ってきたのだ、と確信する。刀を見てぶつくさと自分の挙動に文句をいう様は、まさにいつか在りし日にシンが見せた日常の一コマのそれだった。

 

シンがそこにいる。姿こそだいぶ変わってしまったけれど、あの戦い以外に興味をむけず、日常においてはすこし惚けたところのある、シンがそこにいるのだ。その事実はなんとも私の胸の中を駆け回って、温かい気持ちを発生させている。

 

戦闘狂とも称されるシンという彼が戻ってきたと実感するのが、彼と話をしたり、対面した後ではなく、彼が刃を抜いて自らの戦闘を振り返った直後であるあたり、なんとも彼らしいと思う。でもそれがシンなのだ。無鉄砲で、向こう見ずで、戦闘狂で、素直な、私の好きなシンなのだ。

 

そんな思いを自覚すると、靄がかかった様だった頭の中が晴れて行く。頭の中で本当の私を縛り付けていた何かの束縛からようやく抜け出せた気分だ。意識は目の前のシンにだけ集中している。気がつけばあの人のことを考えている。あの人のことを思えている。

 

考えようと意識しなくとも、覚えていたいと自分に強いなくても、好きな人のことを、好きな人の記憶を、自然に覚えて記憶し、感情と結びつける事ができる。それはとても幸せなことだと思った。これが本当に、好きだという事なのだろうか。

 

嬉しくて、嬉しくて、私はただシンを眺めていた。それだけ幸せな気持ちは次から次へと溢れてくる。いつまでもこうやって彼のことをそばで眺めていたい―――

 

「あーあ、乙女の顔してくれちゃって」

「り、凛さん!?」

「凛でいいってば。ま、気持ち、わからなくはないわ。―――二度と会えないと思っていた人との再会って、特別だもの。それが想い人だっていうんならまた格別よね……」

「凛……?」

 

私をからかった凛は、嬉しい様な、寂しい様な、諦観したかの様な、そんな複雑な感情入り混じったような表情を浮かべると、エミヤたちが消えた方角へと視線を浮かべた。その瞳の中に映る感情にピタリと当てはまる言葉を私は思いつかなかった。

 

「ま、いいわ。贅沢言っても仕方ないもの。とりあえず、今は勝利を祝って、あそこでブツクサ言ってるあなたの想い人を迎えに行きましょ」

「あ、……はい!」

 

凛の作り笑いに合わせて、私はにっこりと笑顔を作り、互いに作り笑いを交錯させると、今しがた私たちの窮地を救ったシンの目を覚ましてやるべく、彼の元へと近寄った。

 

 

背後より聞こえた地を揺らす音は遠くにいるライドウらの耳朶をも打つ。

 

「―――今の音は」

 

ライドウが呟くと、エミヤはマグネタイトを目元へと集中させて帝都方面を眺めた。器用なことに別の場所へと視線をやりながら疾走するエミヤは、ライドウとほとんど変わらぬ速度を保ったままである。

 

「どうやらシンがパワーを討伐したようだ……。魔除けの紋様を施した甲斐があったな、ライドウ。空中で彼に分断されたパワーが消失してゆく姿が見える」

 

パワー。能天使。神という存在によって始めに作られた天使とされた彼らは、のちの神学において九階級中の六位と認定されたが故に多少侮られる事も多いが、パワーと共に最も最前線で悪魔たちと戦う天使であり、その強さは本物だ。

 

しかしそんな普通の人間ならば恐れて当然であるべき存在は今、シンの刃閃の前に掻き消されていた。マグネタイトの緑の光が周囲を薄らぼんやりと包むという視線が通りにくい視界の中、キロメートルは離れた場所の出来事を見届けたエミヤは、「流石にやる」、と感心した声を上げると、再び踵を返し、ライドウに追いつき並走した。疾走の最中それだけの事をやってのける男をみて、やはり只者ではないということをゴウトは確信する。

 

『絡繰仕掛けの彼が悪魔を倒したのか。ならば話が早い。後は―――』

「首魁を捕まえれば事ははっきりする」

 

ライドウの言葉に彼の肩に乗るゴウトが頷く。

 

『しかしあやつめ、何処まで行くつもりだ? 』

 

ガルム既に隅田川沿いに両国まで北上すると、東方面へと大回りに迂回して南進。そのまま突き進んで、再び深川町付近を通り過ぎて、さらに南下し、そして西に直進していた。

 

『てっきり郊外に逃げるつもりかと思うて泳がせていたが……。ガルムめ、このままだと帝都の内側へと戻っていってしまうぞ』

 

ゴウトのぼやきにライドウは目線を鋭くした。郊外にいるだろう下手人の元にたどり着くかもしれないと思って泳がせていたが、奴が再び帝都へと来襲するというのであれば、話は別。いかに現実と違う層である異界の中での出来事とはいえ、中での出来事は、放置しておけば現実には影響を与える。ライドウはガルムの召喚主を突き止めることを諦めて、仕留めることを決心したのだ。

 

「いや、―――だがその心配はなさそうだ。見ろ」

 

だがそんなライドウの剣呑な雰囲気を察して、エミヤはそれを制止するかのように言葉を飛ばす。

 

『ふむ、奴の姿が見えなくなったな」

「―――あれは」

 

つぶやきにつられてエミヤが視線を向けている方向へ視線を向けると、ライドウは見覚えのあるものを目にして、声を漏らした。その場所はライドウにとって少しばかり思い入れのある場所だったからだ。

 

帝都の東に存在する深川町の南、隅田川沿いの一区画には大きく開かれた土地がある。開発の進んでいない鉄屑や廃品で溢れるその土地は、かつてライドウが超力兵団事件の折にその力を借りたロケット打ち上げに情熱を燃やしていた九十九博士という人物が住処にしていた場所であった。

 

「たしか、万能科学研究所……」

『我を宇宙へと飛ばしたあの男か……』

「……なに?」

 

ゴウトの言葉を聞いてエミヤは眉をひそめた。形のいい目鼻の距離が縮まり、白眉と共に困惑を表現している。

 

『聞きたければ後で聞かせてやる。それよりも今は―――』

「了解だ」

 

ライドウたちはガルムが跳躍をやめた時点で足音を完全に殺して気配を消していた。二人が異界と化した街の整備の手が入った道を静かに疾走すると、まずガラクタ広場の中央に鎮座する、五メートルほどの高さのポールの先端に括り付けられた看板が目に入る。鉄のポールの先についた看板には「打ち上げてやったぜ」と右から左に文字が刻まれ、風を受けてくるくると回転していた。

 

その目下。ライドウたちは広場の中央に立ち並ぶガラクタの中央に黒い影を見つけた。そいつは黒いカソックを纏っていた。奴の目の前では逃亡したガルムがこれから罪を告白する仔羊のように頭を垂らしていた。

 

『サマナー、スマナイ。シッパイシタ』

「使えない奴め……、と言いたいところだが、神に使える力であるパワーがやられたのだ。お前如きが失敗したところで仕方のない事なのだろう」

 

静まり返った異界という空間の中、一匹と一人の声は追跡者である二人と一匹の耳元にまでよく聞こえてきた。ガルムの報告を聞いたそいつは、叱咤するでなく、激昂するでもなく、失望の色濃い声色で吐き捨てた。

 

「―――」

 

その声を聞いたエミヤは今、隠密を保たねばならないという事態であることを忘れたかのように気配を露わにした。エミヤのそれが、ヤタガラスの使者との交渉において冷静、かつ冷徹に、涼しげな顔で自らの居場所や拠点をもぎ取った人物がすると思えないような迂闊な行動だったが故に、ライドウとゴウトは驚いた表情で彼の方を向く。

 

「―――ほう」

 

カソックを身に纏う耶蘇教の信徒にしては珍しく、黒髪の頭と肌の色をした、しかし東洋人離れしたがっしりとした長身と骨格を持つ黒ずくめの男は、先程までの不機嫌を忘れたかのように、感慨に満ちた声をあげた。

 

「懐かしい気配だ。いつぞや礼拝堂で初めて出会ったと同じ、未熟で、迷いに満ちた仔羊の気配……。あの夜もこの様な月の下であったな……」

「―――っ!」

 

言葉を聞いて、エミヤは高台の物陰から飛び出した。エミヤの挙動にライドウはやはり驚くが、すぐさまエミヤを追いかけ、彼の後に続いて広場上にある木製の橋の欄干にまでたどり着く。

 

橋の下を眺めると、異界の主人だろう男の顔が露わとなる。やはり東洋人系の顔立ちをしたその男の顔の彫はしかし深く、まるでこの世の苦悩を一身に背負っていたことがあるかのようだった。奴はその彫り深い顔に満足げな表情を浮かべると、旧来の友を迎えるかのように両手を広げて、エミヤに対して歓迎の意を示した。

 

「異なる時代、異なる場所にて、異邦人と成り果てた同郷者との再会だ。諸手を上げての歓迎とはいかないが、せめてもの祝福にこの言葉を貴様に送ろう。―――久しいな、衛宮士郎」

「貴様―――、貴様がなぜここにいる、言峰綺礼―――!」

 

静かに吐き捨てたエミヤはこれ以上までないくらいに威圧を周囲に撒き散らし、空気を揺るがした。途端、空間は異常な雰囲気に支配される。エミヤの発するそれは、ライドウの肌をひりつかせ、産毛を逆立たせ、喉元の奥まで乾き上がったような錯覚を覚えさせた。

 

また、人ではないゴウトやガルムも、彼の発する圧に、自然と毛並みを逆立たせて警戒の体勢をとっていた。その場にいる全ての生物が、エミヤの向ける静かな憤怒と憎悪に意識を奪われ、しかしその二つの激情を向けられる言峰綺礼という男だけが、エミヤのそれを受け止めて平然と、いやむしろ、愛おしげに彼のその二つの感情を受け止めている。

 

「なぜ、と問われると返答に窮してしまうな。ふむ、だが、そうだな……。ロマンティックな言い方をするのなら、私と貴様の間にある断ち難き縁ゆえに、と言ったところだろうか」

 

言峰綺礼の愛の告白じみたセリフは、エミヤの神経を逆撫でするに十分すぎるほどの成分を含んでいたらしく、エミヤは発している圧をさらに強めると、欄干に足を引っ掛けて、今にも飛び出さんばかりの姿勢へと移行する。

 

「夢に現れた時から思っていたが、黄泉路より這い出てきた際、元よりイかれていた頭の髄まで腐り果ててしまったようだな。だが、何、それならそれで構わん。元より貴様と話が通じるとは思っていない。今すぐ貴様の居場所として相応しい煉獄に送り返してやる……!」

『ま、待て、エミヤ、奴から目的を―――』

 

言うや否や、エミヤはゴウトの静止の言葉など完全に無視して、赤い外套を翻し、双剣を投影して言峰へと直進した。エミヤの暴走があまりに性急かつ突然すぎたため、流石のライドウでさえも彼の愚行を止めることはできず、魔弾と化したエミヤは言峰めがけて干将・莫耶を叩き込む―――

 

「相変わらず人の話を聞かんな、お前は」

 

だがその寸前。

 

「何!?」

 

エミヤの両手に握られた黒白の双剣が言峰の体を切り裂く前に、前方に生じた力場が二つの刀の進行を阻止していた。仮にもエミヤは元英霊。サーヴァントと呼ばれる、本気になれば魔術師千人に匹敵しうると呼ばれる戦闘力を持ったエミヤの一撃を、言ってしまえば単なる魔術師の一人に過ぎない人間の言峰如きが防げるわけはない。

 

だがその当然の法則を言峰という男は嘲笑うかのごとく覆して、一切手出しをする様子を見せないまま、まるで呼吸でもするかのごとく自らの眼前に不可視の盾を生み出してその一撃を防いだのだ。刃と言峰の前の空間に緑色の光が散る。

 

「貴様―――、何を―――」

「夢、と言ったか。―――ああ、あの名に縛られた世界での出来事か。……勘違いしてもらっては困るな。あれは私であって、私ではない」

「……何? 」

「キレイという名があそこまで私の人格に影響を与えるとは思わなんだ。父や貴様のイメージによる補正もあるのだろうが……、私とて父の望んだような人格者ではないにしろ、あそこまで悪辣かつ下品な笑い方はしない……。私としては詳しく話してやっても良いのだが、―――おそらく神はそれをお望みになられないだろう。それに今宵はもう時間がない」

『―――ガ……!』

 

言峰は眼前で障壁を抜けずに困惑しているエミヤを見て微笑むと、ガルムの頭部を掴み、大量のマグネタイトを注ぎ込んだ。ガルムの赤い頭部は膨れ上がると、やがてモコモコと不自然なくらいに膨れ上がり、巨大な形へと変貌してゆく。

 

「だが、折角の再会だ。置き土産に聖なるものをくれてやろう」

「ま、まて」

「犬に食わすなとは主のお言葉であるが、それが元より穢れしものより生まれ出でたものなら、神もお叱りになるまい。ではさらばだ、衛宮士郎」

 

やがて異界の中、言峰綺礼は闇の中へと消えてゆく。後にはエミヤ、ライドウ、ゴウトと、異音を発しながら異形へと変貌しつつあるガルムだけが取り残されていた。

 

 

「エミヤさん! 」

「―――ちぃ! 」

 

ライドウが名を呼ぶ声で、私は意識を取り戻す。私の側には異常膨張をし続けているガルムの姿がある。私は迷わずその異形へと干将・莫耶を振り下ろした。

 

「何!?」

 

そうして二つの刃は目論見通り奴の体を切り裂いた。黒白は赤を断ち、緑の色をしたマグネタイトの光が周囲へと散らばる。だが、そうして断裂させたガルムの体は、その中身が空っぽだった。

 

―――否、空っぽになったのだ。そうして断ち切ったはずの異形となったガルムの脳天からは、一つの影が飛び出していた。

 

『オ、オォォォォォォ! 』

 

宙に浮かび上がったのは殉教者が纏うようなローブを纏った悪魔だった。自分と同じくらいの背格好をした悪魔は、まるで磔になった聖人に倣うかのごとく六つの炎が灯った車輪を背に抱えながら呻き声を発している。

 

「これは……!」

『ソロネか! あやつめ、ガルムにマグネタイトを注ぎ込み、上級天使召喚のための礎としたのか! 』

 

ソロネ。確か、物質の体をもつ天使の中では最上級とされる、第三階位の存在だったか。

 

『ライドウ! 試作の氷結弾を使え! 』

「―――!」

 

ゴウトの叫びに応じて、すかさずライドウは回転式拳銃の弾倉を入れ替えると、即座に撃鉄を起こして照準をソロネの胴体に向け、スタンディングポジションで引き金を引く。

 

雷管を撃鉄が叩き、火薬が炸裂した。火薬の爆発した弾が水色の光を帯びているのは、事前説明にあった氷結弾とかいうのを使っているためだろう。ライドウは発射する弾丸に特殊な術式を刻み、対応した属性悪魔の協力を得る事で、五属性の弾丸の発射が可能であるとか言っていた。

 

そうして宵闇を氷結の属性帯びた水色の光が貫く。弾丸が銃口より発射された衝撃で銃口は上を向きかけたが、ライドウは発生した発射リコイルを無理やり全身の力で抑え込むと、硝煙が銃口より発するよりも早く、五連続で水色のマズルフラッシュを周囲に散らした。

 

通常のリボルバーなら一回ごとにコッキングしなければ弾丸の発射は不可能だが、彼のそれはコルトライトニング。一度撃鉄を引けば、あとは引き金を引くだけで、最大で弾倉の数だけ弾丸を連射することが可能だ。ライドウの銃から飛び出した水色の光を放つ六つの氷の属性帯びた弾丸は、あっという間に宙に浮かぶソロネへと迫る。

 

「―――何?」

『バカな! あやつ、氷結弾を防ぎおった! 』

 

しかし、そうして放たれた六つの殺意がソロネの胴体を貫くことはなかった。水色の光はソロネの前方に生じた見えない壁に弾かれる。緑色の光が微かに散り、弾丸は方向を転換すると、異界の虚空へと消えてゆく。

 

『オ、オ、オ、オォォォォォォ!』

 

ソロネはライドウの攻撃に反応して、車輪の前に火炎の塊を生み出し、ライドウめがけて撃ち出した。ライドウはその炎の塊を見るや、素早く横っ跳びに回避した。彼のマントが翻ると同時に、炎は闘牛のように彼が一瞬前までいた場所に着弾して火柱をあげる。

 

火柱は異界の天を衝く勢いで、轟々と燃え盛っている。凄まじい火力だ。まさに人間一人くらい容易く燃やし尽くす浄化の炎。なるほど、車輪に燃え盛る炎は伊達でないということか。

 

『オォォォォォォ!』

 

ソロネはライドウの方へばかり意識をやっていて隙だらけだ。いや、元よりまともない意識があるようには見受けられない。奴の直下であるこの場所ならずとも、どんなところからのどんな攻撃だって、容易く奴に当てることができるだろう。しかし―――

 

私はライドウの逃げた方面へと駆けながら投影してあった干将・莫耶を奴めがけて投擲する。双剣は微かに弧を描きながらも奴への最短距離を進み、そして奴の前にある壁に阻まれて空中にて静止した。双剣は目に見えぬ薄緑の存在によって勢いを殺されたのだ。

 

「クソッ、予想通りか! 」

 

即座にそれらの投影品を破棄すると、奴の意識が完全にこちらを向く前に駆け出した。自らへの害意に気がついたソロネは、先程と同様に炎を生み出すと私の方へと射出する。激しく燃え上がる火柱は、ひらけた空間で燃焼しやすい木材で出来た橋の上においては、ただ一部を消失させつつ風を巻き起こしながら天に登るだけだったが、燃焼しにくい大地の上にガラクタが大勢散らばるこの場所において、着弾と同時に散弾銃と等しきものへと変貌していた。

 

着弾と同時に地面の上に燃え盛る火柱は周囲に暴風を生み出し、鉄釘や木片などのガラクタや砂塵が木っ端に宙を舞う。やがてそれらは火柱より生み出される風に乗り、周囲にある触れたものすべてを傷つける鎌鼬がごとく存在となる。

 

「っ……!」

 

跳躍し、宙に逃げていた私はその細かい攻撃を回避することかなわず、慌てて両腕を組むと、頭部を守る盾とするため背後へと回した。同時に手の表面を鑢で削られたような、首元と頭部の端々に細々とした、鋭い痛みが走る。聖骸布にて防御している部分は傷を負わないが、生身の部分はそうはいかない。やがて火柱の風に背を押されるような形で私が橋の上にたどり着いた時、両腕の守りを解くと、手の甲は細かい擦過傷といくつかの切創が火傷とともに残っていた。

 

風に含まれていた熱にて傷口を焼かれたため、血液が噴出することがなかったのは幸か不幸か。ともあれ、喜ばしくない事態であることは確かだろう。言峰を見た際に茹だった頭が、ソロネの生み出した熱気によりさらに暴走していたらしく、舌打ちの一つでもしたい気分だったが、自らの失態が招いた事態であるだけにそれをすることすら憚られた。

 

―――っと、いかん

 

相手は強敵。天使も英霊も同じく人の歴史に名を刻んだ存在かもしれないが、相手は元々最も有名な宗教の中において第三階位にある上級天使で、対してこの身は遡ってみれば元々矮小な人間。根本が違う存在なのだ。冷静さを欠いて勝てると思うな。勝機は戦況を冷静に見定めた先にしか存在しない。そのことを忘れてしまえば、死、あるのみだ。

 

『どうやら無事だったようだな』

 

砂塵と火柱後の竜巻により、ソロネの前には天然の煙幕が生まれている。その隙を見計らって自分を戒めるべく本能の抑制を行なっていると、ゴウトたちが建物の影から姿を表した。先の火柱の一撃を避けた後、彼らはその後の攻撃を嫌って影に隠れていたようだった

 

「ゴウトにライドウ……」

「エミヤさん。無茶は良くない」

「……忠告、心に戒めておこう」

 

しかめっ面を返すと、ライドウは口角を微かに上げて、三日月の笑みを浮かべた。幼さ残る白皙の顔に浮かび上がったその正面顔は、まるで神話の一ページであるかのように美しい。場所と向けられる対象が違えば異性を絆す、なによりも武器になっただろう。

 

「―――なにか?」

 

己の美貌を自覚しない無邪気態度も、さらにその美しさを引き立てる武器となる。「故に同性である私が不覚にも一瞬魂を持っていかれかけたのも仕方のないことなのだ」と、私は誰にいうでもなく心の中で言い訳した。

 

「いや―――、どうやってあれを倒すかと思ってな」

 

少しだけバツの悪い気分になった私は誤魔化す様に、というかまさに誤魔化すために、ソロネがいるだろう、竜巻のある方へと体を向けると、指先をそちらへと向けた。

 

「銃は効かない、投擲も効かない。とすれば、攻撃はきかないものとして見るべきだろう」

「あの障壁ですか……」

「ああ。いかなる仕組みかは知らないが、あの見えない防壁が我らの攻撃を阻んでいる」

 

示した指先に存在する竜巻が収まってゆく。同時に奴の姿が露わになるも、私と同様熱波と暴風を浴びた奴の体はしかし、無傷を保っていた。服に汚れもないあたり、おそらく防壁が熱と雑物を完全にシャットアウトしたのだろう。

 

『オ、オォォォォォォ!』

「奴め、こちらに気づいたか」

「どうしますか?」

 

ライドウの問いに私は黙り込む。いくつか思いつく手段はあるがそのどれもが大爆発や余波にてこの異界を破壊しかねない。異界であるとはいえ、帝都の破壊はそのまま現世にも影響を与えるという。ならば、帝都の守護を使命とする彼の前で、帝都の破壊を前提とする手段を提案するのは憚られる―――

 

とそこまで考えて、ふと思った。

 

―――我ながら甘くなったものだ

 

世界樹のあった大地や、この悪魔が跋扈する大地に降り立つ以前の私なら、人的被害が生じようが、街を削る様な手法だろうが、迷わず提案しただろう。

 

このソロネという天使―――いや、悪魔を放っておけば、いずれ帝都の街を破壊し尽くすのは必定。ならばこの辺り周辺の被害を最小の犠牲として最初から勘定しておくことで、帝都全体の守護という点からすれば最大限の結果を得られると言い張って、ライドウの反対があっても強行したはずだ。

 

それを行うどころか、提案することすら躊躇い、あまつさえは、自然と全てを救うには如何様にすれば良いだろうかなどと考える様になったのは、一体いつぶりのことだろうか。

 

「―――エミヤさん?」

 

ライドウの呼び声は再び私の意識を呼び覚ます。

 

「ふむ、そうだな」

 

干将莫邪は効かない。偽螺旋剣も、赤原猟犬もこの距離で使うには威力が高すぎる。かといって、距離を開けるために逃げようものなら街に被害が出る。というより、帝都の守護者を自任するライドウは絶対に引かないだろう。彼一人に任せるのも気が引ける。とはいっても、他の宝具も物理的な攻撃は当てにならない。私は通常の魔術において大したものを使えないし、かといって強化、解析でどうにかなる相手とも思えない。ならば……。

 

―――固有結界を使うか

 

自らの心象風景にて世界を書き換える、すなわちこことは別の異界を作り出すあれならば、確実に帝都に被害を出さずに済む。どうせ全てを守ると決めたのなら、この期に及んで戦力を隠して被害を拡大させるのも馬鹿らしい。異界の中に異界を精製するなど初めての経験であるが、まぁなんとかなるだろうと、多分に楽観含んだ算盤を弾き終える。覚悟を決めれば後は提案するのみ。そうして私は、手札の開示と結界の発動を提案しようとして―――

 

『よく聞け、二人とも。儂に考えがある』

 

それはゴウトの鳴き声に妨げられた。

 

 

広場の中央では噴煙の中心にて炎の車輪を背に抱える存在がいる。ソロネだ。神の車輪と呼ばれるその天使は、今、神より与えられた命令を果たすべく、眼前の不信心者どもを始末しようと空中に佇んでいた。

 

ソロネの脳内は無茶な召喚と高マグネタイトによって暴走している。まともな思考ができるだけの神経はとっくのとうに消滅していた。だが、この度、自身が何を目的とされ召喚されたのか、その役割だけはしっかりと頭に刻まれていた。

 

この度、言峰綺礼という存在に召喚されたソロネは、自らへの攻撃を完全にシャットする防壁を身に纏っている。自らを全ての攻撃から守るそれは、神の使徒たる聖職者を通じて自らへ与えられた、神の恩寵に等しく。すなわちソロネにとってこの戦いは、聖戦に等しいものであった。彼は自らの炎が目の前の愚者共々、この汚れた大地を浄化すると信じてきっていた。

 

「鶴翼、欠落ヲ不ラズ/しんぎ、むけつにしてばんじゃく」

『オ、オォォォォォォ!』

 

そのソロネに対して、エミヤは薄れゆく煙の中から、二つの剣を投げつけた。同時にソロネは神の敵を焼き払うべく、獄炎を放つ。当たった際、運が良ければ一瞬で消し炭になり即死できるだろう、運が悪ければ深度高の火傷によるショック死か呼吸困難による窒息死かに至るだろう獄炎に、エミヤはまっすぐ突撃する。

 

獄炎の横を通り抜けた双剣は、弧を描いてソロネに向かうが、ソロネの纏う不可視の壁の前に遮られ、力なく落下する。やはり双剣による攻撃は防がれた。それを見たエミヤはしかし、ニヤリとした凶暴な笑みを浮かべて、ソロネへ向かう速度を上げた。その行為は誰がどう見ても自滅に繋がる無謀な行いだ。そしてその愚かしい突撃の結果を避けるべく、あげた速度を最大限活用して、エミヤは身を捩って炎との接触を避けた。掠めた炎は地面を削り、やがて水面に接触する。

 

エミヤの背後では、ソロネから放たれた炎が隅田川の水面にぶつかり、大きな水蒸気爆発を起こしていた。大量の水と水蒸気が街へと飛ぶ。火柱の代わりに水柱が上がった。異界の中での出来事は、現世にも影響を与える。今頃はあちらでも大騒ぎだろう。だが、明日の朝にはヤタガラスの手の者によって情報規制が行われる。

 

被害がなければ、誰かの大掛かりないたずら騒ぎとして処理され、あの女性は疲れからの幻覚を見たということになり、犯人は見つからずじまいで終わるだろう。自分たちが発奮し、上手くやれば、民衆は何が起こったのか知る事なく、安寧な日々を享受出来るのだ。無論、その後この事態を起こした下手人を追い、捕まえる必要があるだろうが、それはライドウとエミヤといった国家機関の人間や奴に因縁ある人物の役目である。

 

そう。エミヤとライドウは、この誘拐と暗躍の事件を犯人のいない、そして被害者の存在しない、単なる悪戯や幻覚を見たという形で終わらせたいのだ。そうすれば帝都はいつも通りの日常へと戻って行く事ができる。多分に欺瞞を含んでいようと、人々が平和を享受できるなら、それでいいとライドウとエミヤは思っていた。

 

そんな決意を胸に秘めたエミヤはゴウト、ライドウとの打ち合わせ通りにソロネへと突っ込む。ソロネから再び炎球が放たれた。ソロネへ向かって突撃していたエミヤはそれを横っ跳びに回避した。先程とは異なり、炎球は即座に川と接触、水飛沫が舞い、天気雨となりエミヤに襲いかかった。だがそれをエミヤはまるきり無視して、広場の中央上空に陣取るソロネの足元までたどり着くと、隅田川を背にして奴と応対する。エミヤは自ら背水の陣を敷いたのだ。

 

「心技 泰山ニ至リ/ちからやまをぬき」

 

エミヤは再び双剣を投影し、ソロネへと投げつけた。退魔の効力を秘めた剣は、しかしやはり敵に届くことなく、ソロネの障壁にぶつかると、地面へと落下する。お返しとばかりに放たれる炎球をエミヤは避ける。再び爆発、轟音、そして雨。

 

―――そうだ、それでいい。私がこの位置にいれば、ソロネの炎は川を爆発させるだけにとどまる……!

 

エミヤは事態が己の思い通りに進行していることを確信してほくそ笑んだ。エミヤの赤い外套が風にたなびいてそして水を受けて彼の体に張り付いた。また、頭上より水を浴びた事で、エミヤの白い頭髪は重力に負けて頭に張り付く。エミヤはそれを吹き飛ばすかのように大きく今までの進行方向とは反対方向に跳躍した。ソロネとの距離が近くなる。

 

ソロネは水を滴らせるエミヤに向けて再び炎の球を射出した。ソロネの炎球はエミヤと近づいた分先程よりも早くエミヤに迫るが、ソロネの炎球はエミヤと近づいた分、先程よりも多少威力の落ちた状態で打ち出される。距離が近くなり回避のための時間が少なくなったとはいえ、その分小さい火球になっているというのであれば、エミヤにとって十分回避可能なものに過ぎない。

 

「心技、黄河ヲ渡ル/つるぎみずをわかつ」

 

攻撃を再び回避しつつ、干将・莫耶を再度投影し、ソロネへと投擲する。双剣は弧を描いてブーメランのような軌跡を描くと、ソロネの背後を取り、背面より迫るも、その二撃はやはり障壁に防がれる。双剣は障壁と接触したのち、少しの時間をおいて落下する。やがて落下したそれはソロネの背後真下の地面に突き刺さった。再び火球が放たれる。

 

「唯名 別天ニ納メ/せいめいりきゅうにとどき」

 

それを避けると同時に再び双剣を投影、投擲。ソロネの左右より迫る二本はやはり防がれ落下する。そして背後より爆発。連射を重視したため火球の威力は弱まっている。軽い水飛沫が舞った。また、連続して起こる爆発によりあたりは生暖かい霧のようなものが生まれていた。

 

爆発の風に乗って霧は薄く広く、あるいは濃く狭い範囲を包み込み、エミヤとソロネの世界を侵食した。川から広場、橋にかけて視界が遮られる。だがソロネとエミヤにとってそのようなことはどうでもよかった。目の前にいる相手を倒す。それだけが彼らの望みなのだから。

 

「両雄、共ニ命ヲ別ツ/われらともにてんをいだかず!」

 

やがてエミヤは双剣を投影して両手に固く握りしめると、空中に浮かぶ絶対防御を持つ相手へと突撃した。正気を失っているソロネといえど、思わず一瞬身を引くほどの迫力があり、しかしソロネが驚いたのはエミヤの突撃に臆したからではなかった。

 

ソロネはエミヤと言う手強い男が再び無策に見える、突撃と言う愚かな選択をしたからこそ驚いたのだ。だがそれも致し方ない事だろう。絶対防御と強力な鉾を持つ知っている相手に真正面から突撃すると言う愚行を、二度も繰り返す輩に驚きを抱かないものがいるはずもない。

 

他ならぬエミヤだって、はたから見たのならばそう思うだろう。少なくとも常の彼ならば選択すまい。だが紅の外套を翻したエミヤは迷いなく、曇りない瞳で淀みなく死地へと向かってゆく。エミヤはまさに宙を突き進み一条の矢となっていた。

 

ソロネはエミヤの愚行に一瞬躊躇したが、すぐさま炎を前方に生み出した。マグネタイトという生体エネルギーを過剰摂取したことによりまともに働かぬ思考の愚鈍を、その分、生体エネルギーを過剰投与されたことにより活発化した本能が補い、ソロネの体を動かしたのだ。

 

ソロネの前方に炎が生み出されるそれは、もはや球の形をしていない純粋な炎だった。炎の色は赤、白を通り越して、真っ青だった。それは天空の色に似た、太陽すら覆い隠してしまいそうな煌々とした青。ソロネはまさに、神の戦車の車輪、神の運び手の名に恥じぬ威力の天の炎を生み出していた。

 

自らの身を魂ごと消滅させる威力を秘めた焼夷弾の如きそれを見ても、エミヤは揺るがない。エミヤはただ真っ直ぐ炎に向かって、その奥にいるソロネへ向かって突撃している。ソロネはそれを不思議に思わない。

 

―――そも、空中では身動きが取れないのだ。今更奴に逃げ場など―――

 

『ォ、ォオッ!?』

 

突如としてソロネの視界がぶれて、目線が天空へと向けられた。勝利を確信したソロネは、しかしだからこそ、その衝撃に驚いた。衝撃。そう、衝撃だ。完全な防御に守られたはずの自分の体に衝撃が走ったのだ。衝撃はソロネを目の前の炎やエミヤから、衝撃を感じた部分へと意識を逸らさせた。

 

『―――!?』

 

ソロネの細い目に十本の剣が映る。十本の剣はエミヤが無意味に投擲し続けていた、黒白一対の双剣の群であった。双剣はいつの間にやら霧を切り裂き、自らの背面の障壁の一部分に集中し、衝撃を与えていた。無論、衝撃と言っても障壁が打ち破られたわけでなく、その一撃は背中の車輪にすら届いていないが、それでも多量に飛来した双剣の一点集中攻撃は、障壁をソロネのすぐ近くまで押しやり、背を押すくらいの効果を発揮していた。

 

「勝ち目のない勝負を挑む趣味はなくてね! 悪いが策を張らせて貰った! 」

 

エミヤの咆哮にソロネの意識は再び彼の方を向く。意識を逸らしてしまったことで天獄炎は霧散し、エミヤが真正面まで迫っていた。エミヤの策にまんまと引っかかったソロネは驚くが、しかし慌てない。何故なら―――

 

「ちぃ……!」

 

この絶対障壁があるからだ。エミヤが突撃の勢い乗せて左右斜めより袈裟を描くように振り下ろした双剣は、ソロネの前にて停止する。エミヤは己の攻撃を遮る障壁を突破すべく、双剣の威力が最大となるよう、左右の手に握った剣の距離を縮めて交差させるように障壁へと押し付ける。

 

だがそれでも障壁は抜けない。ソロネはやせ細った顔にニヤリとした笑みを浮かべた。エミヤが何をしたかは知らないが、どうやら目の前の男の足掻きとやらはこれで終わりらしい。確かに自分の絶対障壁を貫く衝撃が齎された時は驚いたが、だからといってエミヤはそれ以上の手段を持ち合わせていないのだろう。だからこそ、一縷の希望を自らの突撃に見出したというわけだ。―――ソロネはそう理解する。

 

『今だ、ライドウ!』

「―――おぉっ!」

『!?』

 

しかしその理解が間違いであったことを、ソロネは次の瞬間、理解させられる。ゴウトが叫んだ途端、エミヤの背後の水蒸気の霧の中から黒を纏い、白刃煌めかせるライドウが現れたのだ。ライドウはエミヤの背を踏みつけるとさらに大きく跳躍し、ソロネとエミヤの上空に陣取る。ソロネはそれを呆然と眺めることしか出来なかった。

 

『貴様の障壁は高マグネタイトの集中によって、擬似的な物理現象攻撃を無効化するものであるようだな。それは確かに脅威だ。だがそれはすなわち魔に属するもの。故に銃弾のような純粋な物理的なものは完全に弾くが、退魔の効力を持ったものを前にした際においては完全に効力を発揮することなく、防ぐにとどまる』

 

ゴウトが自らの推理を述べる。魔に属するものならば、退魔刀にて引き裂ける。すなわち、ライドウの退魔の剣「赤口葛葉」であればソロネの守りを貫けるはずである。そう、無謀に見える突撃含め、全ては彼の立案した作戦だったのだ。エミヤの投影する双剣、干将・莫耶はオリジナルではなく投影品であるが故に退魔の効力は大いに薄らいでいる。だからこそソロネはそれを防ぐことができた。しかし、ライドウが腰に帯刀している退魔剣「赤口葛葉」は、葛葉の里に古くから伝わる玉鋼を鍛えて作った、由緒正しい歴史を保有した退魔の力宿る逸品だ。

 

「私でも貴様を殺せぬことはないが、私の保有する手段ではどれも異界や現界に大きな影響を及ぼしそうだったのでね……。最小の労力で最大限の効果を狙わせてもらった……!」

 

ライドウの踏み台にされて落下するエミヤが呟く。彼はライドウと言う刃を確実にソロネへと到達させるため、自ら囮役を買ってでたのだ。そしてライドウの踏みつけた勢いにより地面へと蹴り飛ばされた大役務めたエミヤは、地面に着地するやいなや、再び投影した双剣二回続けざまに投擲し、さらにもう一対双剣を投影すると背後に大きく振りかぶり、再び跳躍した。

 

「魔を祓え……、赤口葛葉! 」

 

ソロネの絶対防壁とライドウの刃が衝突する。ギシギシと鋸にて木材を切るような音がライドウとソロネの両者間で発生する。拮抗は一瞬だった。ソロネの障壁は、ライドウの退魔の剣の前にあえなく砕け散る。帝都の絶対的な守護者、葛葉ライドウの一撃はたとえ上級天使のソロネといえど、防げる類のものでなかった。

 

「はぁっ!」

 

裂帛の気合いとともにライドウの一撃がソロネの脳天へと打ち込まれる。やがて刀はライドウの落下の勢いのままにソロネの体を半分に引き裂いてゆく。入れ替わるようにして左右二つに別れたソロネの眼前にエミヤが姿を表した。

 

「鶴翼・三連!」

 

前後左右より先程エミヤが投擲した干将・莫耶が弧を描いてソロネの体左右の脳天、表裏の心臓部に突立つ。同時にエミヤが両手に持つ双剣の刃が巨大化。エミヤは空中、ソロネの目の前で振りかぶった一対の巨大剣を振り下ろす。ライドウの刃に寄って真っ二つに割かれていたソロネは、エミヤの双剣によってさらに輪切りにされた。

 

『コッ、カッ……』

 

急所を穿たれ、発声の為の器官である食道も肺も潰されたソロネの四つとなった輪切りの身が、薄らいで朧となってゆく。やがてソロネの体は緑色のマグネタイトの光へと還元されて霧の漂う空気中に散っていった。

 

落下し、着地したエミヤは先に刀を鞘に収めていたライドウと目線があったのを確認する。ライドウはエミヤの接近に対して、瞼を閉じて学帽を整えると、薄い笑みを浮かべて自らの右手を上げた。その意を察したエミヤはライドウと同様の感情が込められた、しかし反対に意地の悪げな笑みを浮かべると共に右手を上げると、こちらへ近寄ってくる彼とのすれ違いざま、その右手を軽く振るった。

 

パァン、と柏手に似た音が辺りに響き渡り、戦闘の空気を拡散させる。それは二人の連携により帝都の危機が去ったことを克明に告げる合図となり、周囲の雰囲気を一転させた。

 

 

『見事な合体技なり。鶴翼十文字斬、とでも名付けようか』

 

橋の上から広場へと降り立ったゴウトは、ライドウとエミヤを見るなりそう告げた。

 

「鶴翼十文字斬―――」

 

ライドウは真剣な表情を浮かべて口に手を当てた。おそらくその技名を心に深く刻み込もうとしているのだ。

 

「―――流石にそれはやめて欲しいのだが……」

 

エミヤは渋い顔をしてゴウトのセリフに対して抗議の意を唱えた。若かりし衛宮士郎だった頃ならともかく、今のエミヤにとって、自らの動きに格好つけた名前をつけられるというのは罰ゲーム以外の何者でもなかった。もちろん宝具の真名のように叫ぶ必要があるならばやるだけであるが。

 

『な、何故だ! 我のモダーンなセンスが気に食わないとでもいうのか!? 』

 

ゴウトは尻尾を震わせながら、エミヤの拒絶に対して疑問を投げかけた。おそらくゴウトの感覚からすれば、その技名はハイセンスな名付けであったのだろうが、大正二十一年という時代よりも百年近く未来の人間であるエミヤにとって、ゴウトのモダンなセンスそのものが古すぎた。

 

それは単に、エミヤの生きた時代と大正という時代の感性が違う程度の事なのだが、おそらく長き時を生きてきたというゴウトにとって、だからこそそのあたりの機敏は掴みづらいのだろう、ゴウトはひどくショックを受けた様子で驚いてみせた。

 

「いや、その」

『そうか、自らの技名がライドウの技の文字数よりも少ないが故に気に食わんのだな? ええい、貴様を立てて貴様の技の名を先に持ってきてやったというのに、わがままな奴め! ……ではこうしよう。極・飛燕鶴翼連撃脳天撃……! どうだ!』

「―――極・飛燕鶴翼連撃脳天撃……!」

 

ライドウは再びゴウトの言葉に力強い反芻のお様子を見せる。ゴウトはエミヤの態度に拒絶の意思を見つけて、むきになっていた。それは二回も激と言う言葉が入っているのに気付かないところからもわかるだろう。また、ライドウはライドウで、生真面目で、天然で、冗談が通じないタイプだ。彼が今の連携の名前をそうと覚えてしまったら、間違いなく次からも同じ技名を叫ばれてしまうことだろう。

 

―――いかん、このままではそのクソダサい技名が正式なものとなってしまう……!

 

『まだ不満ときたか! ええい、強欲な奴め! ならばお主の名前を加えてやろう! すなわち、極・飛燕鶴翼連撃脳天衛宮……』

「ああ、待て! 待て待て待て! ―――、ゴウト、鶴翼十文字斬でいこう……」

 

エミヤは全てを諦めた表情で、ゴウトへと語りかけた。

 

『何!? 何故だ!? 気に食わんのではなかったのか!?』

 

ゴウトは不満げに興奮した様子でニャーニャーとなく。

 

「その、君のそれがモダン且つハイセンスすぎて気恥ずかしいとかんじたのだ……。だがよく考えてみれば、鶴翼十文字斬……。短く纏っていてわかりやすい。いい名前だ。流石は葛葉ライドウお目付役のゴウトドウジ。長生きした分の経験は、センスにまで活かされるのだな……」

 

エミヤはそれに対して、死んだ魚のような生気のない目をして、力なく心にもない言葉を並び立てた。凛やシン、響などが見ればそれは一瞬で心のこもっていない上っ面だけの言葉だと見抜いたのだろう。だが、戦闘の直後でゴウトは興奮状態である事や、背丈の高いエミヤと猫であるゴウトの間にある距離、そして薄らぼんやりと残る霧といった要素がエミヤに味方をして、ゴウトにその事を気付かせなかった。

 

『そ、そうか? ふむ……、まぁ、考えてみれば当然であろう! 我は長く歴代のライドウを見守ってきたのだ……! センスが先んじすぎていても仕方あるまい! 我としては後から思いついた極・飛燕鶴翼連撃脳天衛宮帝都守護撃でも構わないのだが、まぁ、お主がそこまでいうならば、鶴翼十文字斬にしてやろうではないか! 感謝して今後も精進するが良いぞ! 』

 

ゴウトの上機嫌な声を聞いて、エミヤは全身に脱力感が走った。まぁ、自分の名前が冠された、ダサいのを通り越して長く痛い名前になるくらいなら、多少センスが古臭くとも短い名前の方がいい。最小の犠牲で最大の効果や効率を。ああ、うん、そうだな。これもきっと、最小の犠牲なのだ。そう、ただそれだけのことなのだ……。

 

「ああ、そうだな……。君には存分に感謝を送ろう、ゴウトドウジ……」

『うむ、存分に感謝するがよい! 』

 

徒労感が全身を包み込む。気の無い感謝も、戦闘の疲労と捉えられたのか、ゴウトは気付く様子もなくなんとも上機嫌だ。

 

「鶴翼十文字斬……」

 

ライドウの生真面目な一言が技名を異界に響かせる。エミヤは次に同じような事態になった際、凛やシン、響の前でライドウやゴウトが技名を叫ぶ姿を思い浮かべた。

 

―――まぁ、間違いなく凛には大笑いされるだろうな……

 

エミヤは諦観に満ちた表情で高笑いして鳴き声をあげるゴウトと、生真面目に技名を反復するライドウを眺める。自らの身を苛む時間は間も無くヤタガラスの使者が彼らの前にやってくるまで続き、短い間ではあるが、エミヤはソロネと戦った時よりもよほど疲れる時間を送ることとなった。

 

 

鳴海探偵事務所。東京市矢来区築土町のとある一角にある建物の三階には、そんな看板が掲げられている。銀楼閣と称されるこの建物は築土町に建てられた中でも最大のモダンなビルヂングであり、その最上階である三階では鳴海昌平という男が探偵稼業を営んでいた。

 

そんな、築土町の中でも一等地にある建物の最上階である三階という場所にある部屋の一つにエミヤたちは集結していた。部屋はいかにもモダンな雰囲気で満ちている。部屋の入り口から入ると、中には小さな通路と欄干、階段、段差があり、侵入者が部屋をまっすぐ横断することを防いでいた。

 

そんな部屋の入り口から左の壁面に視線をやれば、ロココ調のラッパがレコードの音を奏でる蓄音機が置かれている。そこから二台の雑誌や本に満ちた棚を経由すると、やがて壁は直角に曲がり、窓にて一旦途切れる。

 

「『九十九博士の発明品暴発!?夜の隅田川と広場を襲った謎の連続爆発!?』、か」

 

入り口の対角に設置された窓は、部屋の隅まで光が届く様設計された二つの上げ下げ窓だ。その中央部分の壁面の前には、壁を中心として二つの並んだ窓に匹敵するほど大きな飴色をした所長机と、そんな巨大机に見合うだけの立派な安楽椅子がおかれている。また、所長の机の前方にはアール・デコ調の応接用西洋机が一卓と、椅子が四脚配され、入り口から見て右手の壁際にはソファが一台置かれていた。

 

「おっと、裏面に深川町近くのことものってらぁ。『口車に乗せられたか、新造が前後不覚!? 痴情の縺れか、羽目を外したか、はたまた廓抜けを企んだか!? 建物にまで被害……』。下衆だねぇ……、ま、若い身空で親に売られたんだ。適当にはやし立てとけば彼女を被害者として扱って、世間もとやかくは言わないだろうけど……」

 

部屋に置かれた椅子や机の配置は所長である鳴海の提案によるものである。こういった配置にしておけば、探偵業務を依頼しにきた依頼人は、窓という光源を背にした鳴海を相手に話をしなければならない。椅子や机の配置は、陸軍に密偵として所属していた鳴海が経験による対人間用の対話手段に基づいた、理屈のある配置であった。

 

「しかし、言峰綺礼、ねぇ……」

 

そんな築土町にある建物の三階、モダンな物品に溢れた部屋の窓際において、安楽椅子に座している所長の鳴海は手に持って読み上げていた新聞を机の上に放ると立ち上がり、すぐ隣の間仕切りに英国製の特注上着を引っ掛けると、フランス製カルティエの時計を弄りながら、気怠げに再び安楽椅子へと背をもたれさせ、エミヤの仇敵の名をつぶやいた。

 

鳴海がそのまま安楽椅子の背もたれを遊ばせると、高級品で見に包んだ鳴海の全身の光沢ある布地や腕時計が朝の日の光を反射して、部屋に乱雑な光をばらまく。その高級感あふれる光はいかにも鳴海昌平という男の金遣いの荒さを示しているかの様だった。

 

この鳴海という男は、元陸軍という厳粛な機関に所属していた人間でありながら、浪費癖がある。彼が愛用する三つ揃いは、英国製のキャメルの特注品で、靴はイタリアの最高級品ブランド。もちろんシャッツは立襟仕立てで、ネクタイはストライプ。帽子のダービーハットはスーツとお揃いのキャメル色の仕立て、当然フルオーダーだ。

 

そしてそれらは全て、ヤタガラスが鳴海探偵社に支払う金によってまかなわれたものだった。そう、この鳴海という男は、ヤタガラスと協力関係にあるのだ。そして未成年であるライドウは、彼の探偵社に見習いという身分で所属している。とは言ったものの、鳴海探偵事務所が扱う事件は、ほとんど全てが悪魔関連のそれであり、そして鳴海は霊能力を持たない一般人であるがゆえに、事件を解決に導くのは殆どがライドウである。

 

一応、一般の探偵業務として人探しなども請け負っており、その際には鳴海が出向くこともあるが、鳴海がこの一等地にある事務所でやっていけているのは、ライドウが悪魔関連の事件を解決している側面が大きい。そうしてライドウが得た収入を、しかし鳴海はライドウは金銭に無頓着な事を良いことに使うものだから、ゴウトは彼の事を守銭奴と言い切って呆れているところがある。

 

とはいえ鳴海が単なる木偶の坊かと言うとそういう訳でもなく、まだ若いライドウの成長を導くといった役目もあるし、一応こうしてダービーハットをかぶるにも、着用する物全てが特注品という浪費にも、過去の出来事や、「機能美を追求した結果」という鳴海なりの理屈があるのだが、その言をゴウトは完全に真実であるとは思っておらず、確実に鳴海の趣味の成分が多分に入っていると思っている。運動機能を追求するだけならば、わざわざ全てを最高級品のフルオーダーで揃えるという着道楽でもなければしない様なことをしないだろうからだ。

 

「まったく、こんな別の世界にやってきてまで他人に迷惑をかけるんだから、ほんっと、呆れたやつだわ! 」

 

そうして高級品に包み込む鳴海が口にした名前を聞いて、いかにも憤慨した様子で吐き捨てたのは、凛だ。彼女は自らの赤い外套をソファの端の方に追いやると、遠慮なしに三人は余裕で座れるはずのソファを一人で占有し、両手を広げてソファの角を握ると、背を預けていた。

 

腰元まで伸びた黒髪が宙を待って彼女の赤い長袖服の横に川となって流れ、黒のフレアスカートとの境界線あたりで停止した。その絹を広げた様な黒髪の様子と、凛という女の持つ美貌が醸し出す色気に鳴海は思わず見惚れて、ほぅ、と溜息をついた。この鳴海という男は、浪費癖もさることながら、女好きで、長い髪をした美人が特に好みなのである。

 

それゆえだろう、常なら傲岸不遜な態度で依頼者やライドウに接する鳴海は、自らの部屋に置いてまるで主人の様に振る舞う凛に文句を言うことはなかった。凛のなんとも不遜な態度は、両手を体の前で遊ばせて、顔をにやけさせている鳴海よりよっぽど迫力があった。その場にいる一同は、まるで彼女こそがこの部屋の主人になったかの様な錯覚すら覚えた。しかしそんな横柄な様に誰も違和感を覚えないのだから、なるほど、凛という女性は大した女傑である。

 

「その……、言峰綺礼、は何が目的で、帝都で人攫いをしようとしたんでしょうか? 」

 

中央にある四脚の椅子のうち、一つに行儀よく座っている響が疑問を呈した。ちょこんと座る彼女は、ワインレッドのセーラー服とプリーツスカート、黒の革靴に身を包んでいる。それは帝都にある桜爛女学院の女生徒が見にする最新鋭の西洋装であり、この大正の時代、始めに彼女が着込んでいた異世界のソードマンの格好は目立ちすぎると言う理由で、金王屋といういわゆる何でも屋に頼んで仕入れて貰ったものだった。

 

流石に体のサイズを教えなかったのでフリーサイズを適当にたのんだのだが、痩身こそ美人の証と考えられている人も多いこの時代において、洋服というものは響たちの生きてきた世界よりも肩幅も体のラインも少し細めに仕立て上げられる傾向にある故に、帝都女学院の服装は、あの世界においても細身である響の体に驚くほどフィットしていた。

 

「さてな……、あれは神だの主だの言っていたが……」

 

凛の横の壁に背を預けるエミヤは腕を組んだまま答える。ソロネ戦において両腕に負った傷はもうすでになかった。ガルムの女の時と同じ様に、スカアハのディアラハンによって治療して貰ったのだ。

 

こちらは何時彼が身につける様な格好ではなく、黒シャッツに黒のパンツという非常にラフな格好をしていた。ちなみにこれらは彼の投影した品である。この場において最も薄着でラフな格好の彼だが、190センチ近くあるその身長と浅黒い肌、鍛え上げられた胸元肉体と整った顔立ちに下ろした白髪と変装のための伊達眼鏡が、ライドウの様な白皙とも、凛の様な女の色気ともまた別種の、男らしくも蠱惑的な色気を醸し出している。

 

『カソック姿の男がいう神というのであるからして、その神というのはエミヤ。お主らの追ってきた、耶蘇教の唯一神、YHVHと見て間違いあるまい』

 

中央の机に身を横たえるゴウトがエミヤの疑問に答えた。黒く絹の様な毛を繕うゴウトの言葉に、部屋の中において鳴海だけが唯一その言葉に反応しなかった。霊能というものを持たない彼は、ゴウトの言葉を聞くことが出来ないのだ。

 

「―――それの神がなぜ帝都で人攫いの指示を出す?」

「は、大方その信者集めとやらだろうよ! 全く、これだから元権力者ってやつはいけ好かないんだ! 何でもかんでも世界を自分の思い通りに動かせて当然と思っていやがる! 」

 

鳴海の対角線上、欄干に身を預けるライドウがゴウトの声に疑問を返す。そんなライドウの言葉に反応して、鳴海が鼻で異教の神を嘲笑った。今でこそ自堕落な気質の鳴海だが、かつては国や同胞のために親身を尽くそうとする青年であった。

 

だが、鳴海は陸軍の密偵という身分に身を置いている際、結局世界は権力者の思うがまま動き、自身はその駒程度にしかなれないのだということに気がついて、陸軍をやめたという経歴を持つ。だからこそ、彼はこうして権力者というものを嫌うのだ。

 

「まぁ、ナルミのそれは良いとして……、エミヤ。これからどうする?」

 

響の横に座るシンが一旦鳴海の愚痴を断ち切って、エミヤに問いかけた。シンは顔の一本線を隠すため白粉を塗りたくり、その細身かつ異形の機械体を隠すため、ライドウと同じ様な弓月の君学園の学生服と学生帽、黒外套に身を包んでいる。体をピタリと覆う様な芯の入った洋服というのは、アンドロの特徴でもある腹部が空っぽであるという状態を隠すためにはとても都合のいい隠れ蓑であった。

 

「―――、おそらくYHVHが潜んでいると推測される、赤い宇宙空間の様な回廊からアルカディアとやらへ続く道は閉ざされている。これはYHVH の仕業とみて相違なかろう。おそらく奴はダークサマナーの侵入と同時に警戒レベルを引き上げ、守勢に転じたのだ。そして奴の封印はギルガメッシュが破れぬ強固なもの……、手詰まりだな」

「―――しかしそのYHVH の僕である言峰綺礼とやらがこの帝都で暗躍しているのを、私たちは今回発見した。となれば、やはり帝都でYHVHの手がかりを探すしかない……」

「ま、そうなるだろうな」

「では、正式に協力関係を結ぶということでよろしいのですね? 」

 

エミヤの言葉を受けて入り口の近く、二つ並びの窓の前に待機していた細身の女が静かに告げる。黒の色基調とした着物をまとい、纏った着物よりもさらに黒い頭巾を被った女は、ヤタガラスの使者であり、ライドウやエミヤらを異界に送り、そして送還した女であった。一昔前ならともかく、今の世の中では喪服とした思われない黒を纏った女は、白い顔の中でよく目立つ藤色の紅をさした形の良い唇を動かして、エミヤや凛の方へと視線を向ける。

 

「ああ……、君たちに依存する形にはなるが、一時、ヤタガラスと協力関係を築くという提案、正式に受託しよう。迷惑をかけるがよろしく頼む」

「構いません、衛宮士郎。あなた方が戦力として申し分ないこと、一応は帝都に害を与えるつもりがない事は、昨夜の戦いから理解しました。また銀楼閣に滞在するというのであれば、無駄な監視の手間も省けます。少なくとも侵入した耶蘇教の神を倒し、天王教会の穴を塞ぐまでの間は、ヤタガラスがあなた方の生活を保証しましょう」

「けっ、監視! 監視ときましたか! お高くとまっているこって」

 

鳴海はヤタガラスの忌憚のない物言いにケチをつけた。だが、エミヤは、たしかに遠慮のない物言いだが、だからヤタガラスが帝都守護を至上の題とする、誠実な機関であると信じられる気がした。

 

元々、YHVHという存在を追う様にして帝都に現れた私たちだ。加えて、私や凛は、昨夜人攫いを目論んだ人物、すなわち言峰綺礼との知り合い。信頼、信用どころか、疑いの目を向けられて然るべき人間だ。それと協力関係を結ぼうというのだから、寧ろそれくらいの処置はあってしかるべきというものだろう。

 

いや寧ろ、ライドウやゴウトに連れられて銀楼閣へやってきた私たちの言を、自らの直感をもってして信じると決めた、鳴海の方がおかしいのだ。無論、エミヤからすれば、付き合うならば、厳然とした雰囲気のあるヤタガラスの使者よりも、朴訥で素朴な雰囲気纏う、どこか抜けたところのある鳴海のような態度の人物である方が好ましいことに違いはない。

 

だが、利害関係を結ぶというのであれば、ある程度こちらと一線を引いた付き合い方をしてくれるヤタガラスという組織のやり方のほうが、見知らぬものに対する付き合い方としては正しいことくらいわかる。だからエミヤは何も文句を言わなかった。

 

「ではこの時より、あなた方は正式に鳴海探偵社預かりの人間となります。支度金は後ほど改めて用意しましょう。―――十四代目葛葉ライドウ。これより貴方に指令を下します。貴方は彼らと協力し、帝都に潜む全ての帝都敵対者を壊滅させてください。これはクラリオンの残した異界の撲滅を上回る、最上位の指令です」

「―――」

 

ライドウが首肯したのを見届けると、ヤタガラスの使者は音もなく消え去る。そしてエミヤたちは、異なる時代、異なる世界の裏に潜む、自らの世界にて暗躍していた神とその配下たちを見つけ、自らの世界と帝都の平和を守るため、一時帝都に身を置くこととなる。

 

「では改めてよろしく頼む、ライドウ、ゴウト……、に、鳴海」

「―――こちらこそ、よろしく」

『ま、短い付き合いになるか、長い付き合いになるかは知らんが、コンゴトモヨロシク……』

「おい、エミヤ! 今、お前、間違いなく俺をついでに扱ったよな! 普通所長の俺に対して真っ先に挨拶するのが筋ってもんだろ! 」

 

西洋と東洋の文化が入り混じり、煌びやかに輝く町、帝都。そこは良くも悪くも、あらゆる異邦人を受け入れる、混沌の坩堝である。




ライドウ側は三人称視点。エミヤなどやシン達オリジナルキャラクターは一人称視点でやっています。本来ならどちらかに統一するのが正しいやり方なのでしょうが、原作ありのキャラクターの思想や言動が原作のイメージから乖離することを最小限に抑えるため、また、物語の都合上の処置なのでご容赦ください。

また、属性の弾丸は、ライドウ本編では、悪魔との合体技でしか登場しません。ただし、アトラスのゲームにおいては割といろんな形で属性弾が出るので、こういう形でならいいかなと思って書いてみました。重ねてご容赦ください。

ライドウ側のキャラクターのイメージが崩れていないといいのですが、いかがでしょうか。ここまで一読くださり、ありがとうございました。

追記
次は世界樹編を進めます。ご了承下さい。
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