Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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今回はエミヤが出ません。


第二話 黄金時代の終わり

第二話 黄金時代の終わり

 

 

サガの憂鬱

 

 

シンやエミヤたちがいなくなってから三日後のことだ。

 

「ハイラガードに行って剣を取ってこいだぁ? 」

「そうだ。我としても貴様らに命ずるのは不服ではあるが、事は急を要する。貴様らがこの街一番の人材であるとクーマが言う故に、貴様らに王命を下す事としたのだ。有り難く思え」

 

避難所の狭い空間の中、宙に浮いている目の前の金髪赤目の妙な格好をした男は、さも尊大な態度でそんな命令を俺に下した。踏ん反り返って腕を組み、顎を上げ,斜めから上からの視線と言葉の投げかけは、どう考えても見下しの意味を持っている。その態度が気に入らなかったので、俺は精一杯の抵抗として同じような口調と覗き込むよう、言葉を返す。

 

「ギルガメッシュとか言ったな。王命だかなんだか知らないが、なんで俺がお前の命令を聞かなくちゃならないんだよ! 」

 

するとギルガメッシュは少しばかり目元口元を歪め不機嫌を露わにしたが、私を改めてジロリと見下すと、すぐさま鼻で笑って、失笑を漏らした。

 

「―――は、なるほど。これは我が迂闊であったわ。我とした事が、現状の把握すら正しく出来ておらぬ餓鬼に重要な使いを頼もうとしていたとはな」

「な―――」

「よい。たしかに見ればまだ物の分別もつかない子供。一目で貴様という存在がどう言う者であるかを解せなかった我が不明であった。許せよ」

「て、てめぇ……! 」

 

ギルガメッシュはうんざりとした様子でそう言い切った。奴の言葉と態度は、たしかに己の判断を責めるようなもので、俺を責める様子はなかった。しかし、だからこそ俺は堪忍袋に溜めておける限界の怒りが湧き上がった。

 

―――人の気にしているところを一々逆撫でやがって……!

 

「―――まて、サガ! 何をするつもりだ! 」

「ダリ! 決まってるだろ! 目の前の奴をぶっ飛ばすんだよ! 」

「我が頭を下げてやったのに癇癪か。つくづく幼子というものは読めん反応をするものよ」

「―――こ、この……! 」

 

分水嶺をとっくに超えていた怒りがさらに爆発した。街での戦闘スキル使用が御法度だなんて法律は知った事じゃなかった。俺はフォーススキルを使うためにダリの拘束を振り切ろうとして―――

 

「落ち着けサガ! 」

 

しかしそれは叶わなかった。自分よりも一回りもふた回りも大きく、そしてギルドの守りを一身に引き受けるダリの筋力は、小さな体であり、女でもある俺が振りはらう事が出来るようなものではなく、俺はダリの両腕によって完全に体制を固定されてしまう。

 

「離せよ、ダリ! 俺はこいつに―――」

「落ち着けと言った! 」

「……! 」

 

ダリの一括に俺の体が竦みあがる。ダリにしては珍しい全身を震わせてまでの雄叫びは、接触している俺の体の隅々までぐわんぐわんと響いて、俺から抵抗の意志を奪ったのだ。

 

「―――ここは街中だ。いかなる理由があろうと戦闘用スキルは御法度。それはお前もよく知っているだろう? 」

「で、でも……」

「駄目だ」

「……わかったよ」

 

ダリの断言には、有無を言わさない迫力があった。それは奴が戦闘時や重要な判断をする際において見せる、重厚なものだった。巌の様な迫力が俺の分水嶺へと投げ込まれ、怒りは抑圧され、縮み上がってゆく。

 

―――クソッ、情けねぇ……!

 

「―――ギルガメッシュ、だったな」

「は、呼び捨てとはいい度胸だな、雑種」

「気に障ったのならば謝ろう。だが、一つ聞かせてほしい。なぜ、ハイラガードに剣を取ってこいと私たちに命ずる?」

「―――貴様も分別の付かぬ餓鬼か? 」

「そうだ。だから教えてほしい。その命令にどんな理由があるのかを。理由さえはっきりとしていれば、私は君の命令に従い、ハイラガードまでお使いに行こう」

「―――ほぅ」

「ダ、ダリ!? 」

 

ダリは私を抑えつけたまま宣言した。ギルガメッシュがうってかわって感心の声をあげる。

 

「私は理で動く人間だ。そして先ほどまでのエミヤと君が問答し、エミヤが君の意志を尊重する態度を見せるところから、ギルガメッシュという人物は態度こそ横柄だが語る言葉に嘘はなく、意味のない事を言わない男だと認識した」

「……あの男の存在が天秤の重しとなり我の言葉を信ずる理由へと転じたというのは気に食わんが―――、我の言葉に従う意志を積極的に見せたという、その一点だけは評価してやろう、雑種」

「―――では」

「だが語れぬ」

「……」

「おい! 」

 

ダリがそこまで譲歩の姿勢を見せたというにもかかわらず、ギルガメッシュという男はそんなダリの気配りをばっさりと切って捨てた。人の思い遣りを簡単に切って捨てるその態度が気に食わなくて、俺は思わず掴みかかろうとするが、その挙動はやはりダリの力強い両腕に制止されてしまった。

 

「ダリ! 」

「―――理由を聞かせてもらっていいだろうか?」

「語れぬ、とそう言ったはずだ」

「―――」

 

ギルガメッシュはどこまでも横柄だ。ダリを見下し視線には、「お前は小さな存在は、自分という絶対者に対して従っていればいいのだ」と、そんな意志に満ちていた。本当に、どこまでも気に食わない男だ。あまりにダリをバカにしている。

 

「――わかった。引き受けよう」

「ダリ!? 」

「ほぅ……」

 

だがしかし、ダリはそんな奴の言葉を聞いて、あっさりと依頼を受けてしまう。それが信じられなくてダリの方を見ると、ダリは何故か納得した様子で、俺はダリがそんな表情を見せる理由が理解できなかった。

 

「なんで……!?」

「―――ギルガメッシュは理由を言ったからだ。『言えない』。それが答えなのだろう? 」

「察しがいいな。物分かりのいい雑種は嫌いではない。仲良しこよしな回答を望むだけのそこな餓鬼よりも余程分別がついておる。ダリとやら、褒めてつかわそう」

「それはどうも。―――では、具体的に話を聞かせていただきたい」

 

ダリとギルガメッシュはハイラガードまでの移動手段や、どこの洞穴の奥に秘された誰も知らない剣のありかについて話をしている。俺はそいつが俺の事を見下す様な態度だった時点で、そいつの話なんか聞いてやらないと思ってしまうが、ダリは自分のことを見下す相手の言動を受け入れて、対話の姿勢を見せる。

 

ダリは独特な感性をしていて、失言も多いが、相手が重要な事を言っていると判断すれば、素直にそれを聞き出すために自分を下げる発言をすることも厭わない。自分の感情などよりも、周りの事情を優先して、時には頭を下げる。きっとそれが正しい大人の態度という奴なのだろう。奴は理路整然としていて、日常会話などではなく、目的がはっきりとしていて双方が目的に対して望むものが合致している様な場合、つまりは行動に感情という要素を必要しない場合はとても頼りになる男なのだ。

 

一方で、俺は場の空気やその場のノリを重要視して、雰囲気が悪くならない事を最重要視する。勿論、俺なりに精一杯なつもりだし、周りと仲良くやれている自信もあるが、だからこそ、こう言った、相手がその雰囲気を無視して命令してくる様な場合は上手く回らなくなる。感情が理屈を上回るのだ。俺は昔からこうだった。多分、人よりも色々と劣っていたのが原因なんじゃないかなと思う。

 

つまり、ダリはとても不器用ながらも物事に真正面から取り組もうとする大人で、俺はとても器用に物事を受け流すお子様なのだ。悔しいがギルガメッシュの言うことは間違っていない。ダリとギルガメッシュのやりとりにそんな目を背けていた事実を再確認させられた俺は、自身のちっぽけさを自覚させられて、ひどく居心地の悪い気分になった。

 

ダリは必要があれば、平気で頭を下げるし、理不尽に思える依頼でもそれが周囲の人間が望むこと、周囲にとって必要なことである本人が判断すれば、自分の感情は抑え込んで、依頼をこなす為に全力を尽くすのだ。奴はそうしてコツコツと積み上げることを得意とする。

 

だからダリは多くの人から信頼されている。俺たちのギルドはシンという男が色んな意味で目立つためダリという鈍感男は気づけていないようだが、あいつは実のところ、俺らのギルド「異邦人」の中ではエトリア内外の人間から最も信頼を得ている男だ。

 

戦闘関連のこと以外に興味がないと依頼を跳ね除けがちなシンと異なり、ダリは実力者である自分達でないといけない理由さえあるなら、依頼を受けるだけの度量がある。シン含んで俺らの他人からの評価は好き嫌いがはっきりと別れているが、あいつの場合は大抵のやつから好意的に見られている。特に酒場の女将や、元同僚の衛兵たち、執政院のお偉方、街の外のから俺らを頼ろうとやってくる商人なんかからは、頼りにされている。あいつは話を聞いた上で、是非を判断し、断る場合も理由と代案を出してくれるからだ。

 

でも多分あいつは自分が好かれている事に気が付かない。シンにとって戦闘以外が端事であるように、ダリにとって真正面から物事に取り組む事は些事に過ぎないのだ。それどころか、あいつは何というか、自分の論理的である部分を嫌っている節がある。あいつは多分、理解できない事が嫌いで、整頓しないまま必要不必要を切り捨てるのが苦手で、そして、一度やり方を定めたらずっと同じやり方を貫くような頑固さがある。

 

だから、刻一刻と変化する他人の感情というものを理解しにくい性質で、他人と下らない話をするのが苦手で、そんな自分を嫌っているのだ。でもそんな不器用で真っ直ぐな奴だからこそお、ダリという男は色んな奴から好かれている。あいつは平常時に一緒にいると結構癖があって疲れる男だが、非常時にはだからこそ頼りに出来る大きな男なのだ。

 

自分のような、適当で、がさつで、いい加減な所もある小さな女とは違い、多くの人から自然と頼られるデカイ男。だから俺はこいつのことが苦手なんだ。嫌いではない。決して嫌いじゃないが、好きになれきれない。

 

「では準備が出来次第、我の元を訪れるがいい。ハイラガードの転移所までは送ってやろう」

「承知した。全力をつくそう」

 

そんなことを考えている間にダリはギルガメッシュとの会話を終えていた。宙で腕を組み、ダリを見下ろすギルガメッシュの姿勢に変化はなかったけれど、ギルガメッシュが身を翻して去って行く際に後ろ向きに腕を一振りする動作には、ダリの行動に期待するような意思が込められていることに、俺は気がついた。

 

「どうした、サガ」

「何でもねぇよ!」

 

子供扱いされた俺とは違い、ダリは今のやりとりであのギルガメッシュとかいう傍若無人な男から一定の評価を得ることに成功したらしい。しかも本人はその事に気がついていない。その事実は、俺の劣等感を刺激して、俺に何とも惨めな思いを抱かせた。

 

 

「というわけで、クーマ。ハイラガードへの紹介状を書いて欲しい」

「ああ、その話ならギルガメッシュから聞いています。これをお持ちになられてください」

 

クーマはダリへと一枚の蝋印のされた封を差し出す。紐でぐるぐる巻きにされたそれは、冒険者が別の街に行く際などにおいて、元々活動拠点としていた登録していた街より貰える身分証明書兼推薦状だ。エトリアという街においては、クーマという男が冒険者担当ゆえだろう、例外的にどのような人間も分け隔てなく受け入れられる傾向にあるが、ほかの街や国の中には、出入りに制限をかけていたり、閉鎖的だったりする場所もある。

 

そこに聞いてくるのがこの書類だ。公的に発行されたこの書類は、どこの場所においても大きな力を発揮する。書類に記載されている内容には発行した場所でそいつらがどのくらい活躍したのかを示してあるので、当人たちが派手に活躍していたのなら、それは多くの街で役に立つ、万能の鼻薬みたいなものになる。翳せばたちまち相手は胸襟を開いて俺たちを迎え入れてくれる、というわけだ。まぁ、場合によっては、いきなり名が売れて面倒なことになったり、監視がついたりという面倒も起こるが、とにかく入国をするという点にだけ目を向けるなら、これ以上ない印籠だ。

 

「書類にはエトリアの近況を簡単に添え書きしておきました。これで大抵の些事を押しのけて、ギンヌンガガプの洞穴の探索が出来るはずです。あ、ついでにこれも持っていくことを許可します。エトリア用のアリアドネの糸です。本来なら他国に持っていくのなんてとんでもない規約違反ですが、四の五の言っていられる状況じゃありませんしね」

「用意がいいな、おい」

「詳しくは聞いていませんが、あのギルガメッシュが緊急の案件だと断言していましたから、急いで用意させました」

「―――あいつの言葉ってそんなに信頼できんのかよ」

 

ギルガメッシュという男が、エトリアの執務官にも信頼されているというのが少しばかり気に食わなくて、不承気味に尋ねると、クーマは真剣に頷いた。

 

「ええ。あれは傲慢ですが慧眼で嘘をつきませんからね。そんなギルガメッシュが緊急というからには、今回の件はたしかに火急の案件なのでしょう」

「感謝する」

 

ダリはクーマの差し出した封筒と糸を受け取ると、一礼する。

 

「つかぬ事をお聞きしますが、あなた方三人で向かうおつもりですか? 」

「ああ。シンと響がいなくなったからな」

「……、よろしければ、残った衛兵の中から数人、あなた方に協力を―――」

「いや、心遣いはありがたいが、それには及ばない。ただでさえ人数が減って大変な所に、アーモロードとモリビトの里に向けて護衛付きで援助物資を送ったから人ではかつかつなのだろう? 」

「いやぁ、お見通しでしたか」

「これでも元衛兵だからな。事情は古い知り合いから 聞き出せる」

「普通なら問題の発言なんですが―――、ま、聞かなかったことにしましょう。あなたならその辺りの情報使って変なこと企みもしないでしょうし」

「……ああ、これは迂闊だったな」

 

ダリは俺たちと話すよりもずっと饒舌にクーマと話している。本当に問題と目的がハッキリしている場合のダリは頼りになる。

 

「では、お気をつけて」

「そちらも幸運を―――ああ、そうだ」

 

 

「ギルガメッシュ用意ができたぞ」

「遅いぞ雑種」

 

ベルダの広場、人のいなくなったエトリアの街を睥睨していたギルガメッシュにダリが声をかける。すると、ギルガメッシュは横柄な態度で振り向きざまにそういった。

 

「すまない。クーマが色々と気を使ってくれたのでね。万全の準備を整えていた」

 

言うとダリは半身を翻し、自身の後ろにいる私とピエールを紹介するかのよう腕を広げた。

 

 

そう。俺たちは、クーマの気遣いにより、執政院が保有している、伝説のシリカという女道具屋の店主が加工した装備を身につける事を許されたのだ。ギルガメッシュの依頼を受けた事に対する報酬がわりで、ついでにハイラガード用の厚着も手当してくれるというのだから、なんとも気前がいい。

 

俺は賢者の杖、エンジェルローブ、アタノールオリジンという、アルケミスト最高峰の防具を身にまとっている。賢者の杖は旧迷宮17Fの奥に潜むマンティコアという強敵を盲目状態で倒す事で手に入る魔獣の瞳を先端にはめ込んだ短魔杖だ。視界を奪われた魔獣はそれでも周囲の敵を倒そうと魔力を昂らせる。その時、高まった魔力が瞳という場所に集中して、虹色に輝くのだ。その瞬間にくり抜いた目玉を加工したそれは、身につけているだけで保有者のスキル負担を軽くすると同時に、威力をあげる効力を持っている。まさに最高の杖だ。

 

エンジェルローブは旧迷宮20Fの番人を麻痺させて倒した場合手に入るという黄金の風切り羽から仕立てられたもの。これは、驚くほどの軽さと耐久性、伸縮性を持っていて、体に張り付く癖に、体の動きの邪魔をしない。それどころか、動きのサポートをしてくれる様な所まである。唯一の欠点は、無駄に育った胸を抑え込んでいると真価を発揮しないためサラシが使えない事だが、緊急事態なので我慢する事にした。

 

アタノールオリジンは、なんと俺たちの目的であった、三竜のうちの一匹、氷竜の目玉を加工して作られたアルケミスト専用の籠手だ。極寒の地に住んでいると噂の氷竜の体は、常に一定の冷たさを保ち、そして熱を遮断する性質を保有している。これを籠手の回路に使用する事で、電気信号や魔力が回路を通過する際の抵抗はほぼ無くなるつまり、この籠手を装備すれば、術式の発動から発射までの反応の誤差が殆どゼロになるのだ。つまり、スキルの威力が飛躍的に向上するのだ。

 

今の俺なら、どんな術式だって、今までの五割増し程度には威力を発揮出来る筈だ。装備の強さがそのまま冒険者の強さに繋がるとは言わないが、それでもやはり装備の強さは強さの証明にはなる。俺は現金で非常時ながらも、この様な物を見に纏うことができて、ワクワクしていた。

 

これに対して、ピエールは賢者の杖、フェアリーチェイン、世界樹の王冠という出で立ちだ。

 

賢者の杖は俺と同じもの。フェアリーチェインは、旧迷宮7Fの奥地に住む、人型の部分を持つ魔物アルルーナを眠らせた状態で倒した時に手に入る華王のビロードを加工した物だ。華王のビロードは柔らかく上品で深い光沢を持ち、その上重さを感じさせないほど軽いのには、鎖かたびらの様に堅牢でもあるという、なんとも矛盾した代物だ。美しさと機能美を兼ねているであるにもかかわらず、俺のこの服よりも堅いのだから、本当にどうなっているのだろうとも思う。

 

世界樹の王冠は―――、何というか、全ての謎を解き明かした人間にエトリアから授与される特殊な装備品らしい。初代院長のヴィズルの部屋に保管してあったというそれは、見た目自然の枝葉を切り取ってきてそのまま時間を止めたかの様な翠の美しさがある。また、エトリアの迷宮を完全攻略したハイランダー「シグムント」率いる伝説のギルド「スレイプニル」が受け取りを辞退したというそんな物を恐れず欲しいと言ってのけるんだから、あいつの根性も大分凄まじいものがある。

 

まぁ、楽器も様々な物が揃っていたが、己の喉と慣れた楽器こそ最高の装備と信じてやまないあいつは、キタラを手放そうとはしなかったあたり、色々とあいつらし言っちゃあいつらしいんだが。

 

最後にダリは月牙槍、聖騎士の鎧、聖騎士の盾に、ユグラドールとかいう不気味な人形を身につけている。槍は旧迷宮29Fという超深層に生息するヒュージアントとかいうやつの爪を加工して作り上げたものらしい。ただ、この槍は、旧迷宮の深層21F以降、つまりは遺都シンジュクより下の層の警備を担当する優秀な衛兵には無償で貸与されるもので、つまりかつてそこで衛兵として活動していたダリにとっては使い慣れているものだったとかで手にする姿は確かにとても馴染んでいた。

 

聖騎士の鎧はこれまた氷竜の凍てつく竜翼を加工して作られたものだ。冷気を帯びて大気を凍らせるとも言われるそれは、敵の攻撃が鎧に当たった瞬間、まさに凍りついたかの様に停止させてしまうという。正直眉唾だったが、投げた小石がピタリと張り付いて、衝撃を完全に失った後、自由落下したのを見るに間違い無いのだろう。

 

鎧と同じ聖騎士の名前を冠する盾は、旧迷宮の15Fに住むアイアンタートルの甲羅をぶっ壊して倒した時に手に入る傷ついた百年甲羅を加工したものだ。何でも死の間際、亀が攻撃を防ごうとする意思が乗り移るとか何とか。―――まぁ、正直この辺りまでは個人的にどうでもいい。

 

問題は、ダリが鎧の下に潜ませている―――ユグラドールだ。何でも世界を支える世界樹の根っこを加工して作られたとか言うそれは、まぁひどく不気味な姿をしている。木の根っこなんてほとんで茶色の繊維質物を使って、頭部、胴体、四肢を作られており、藁人形が呪いを引き受けるかのごとく、所有者の様々な負担を軽減してくれるから持つ。

 

パラディンが持つよりもカースメーカーが持った方がお似合いだ。何より、ダリの様な大男が胸に潜ませていると思うと、それだけで薄ら寒いモノを感じたりもするが―――、ダリにとっては実用性が一番の価値なものだから、あいつは迷わずそれを手にしたのだ。

 

少し前に随分と奴の事を褒めちぎったが、あいつはやはり、人とズレた感性で、他人の気持ちに鈍感だ。理屈一辺倒でなく、少し感性を磨いたほうがいいと思う。

 

 

そして装備を新調した俺たちを見て一瞬だけ目線を鋭くしたギルガメッシュは、しかし興味の失せた様子で視線をそらす。どうやらこの世界最高の装備も奴にとってはお眼鏡に叶うものではなかったらしい。

 

「―――言葉に嘘偽りはないようだな」

 

それでも一応、自らの依頼を達成するため用意したという努力は認めたらしく、ギルガメッシュはそんな事を言った。

 

「当然だ」

 

ダリが頷くと、ギルガメッシュは正面を向き直して、腕を振るう。すると俺たちの周囲の空間は白い光に包まれ、浮遊感が身を包み込む。迷宮探索の際に何度も味わった、転移直前の感覚。俺たちはこれから、このギルガメッシュという男の手によって、ハイラガードの転移所まで転送されるのだ。

 

「最終確認だ、ギルガメッシュ。ギンヌンガガプの崖面にある洞穴の一番深奥地より剣を持ち帰ればいいのだな?」

「その通りだ、雑種。それだけ覚えておれば十分よ。もはや時間はない。一刻も早くその場より剣を持ち帰り、我へと献上せよ」

「承知した」

 

そして俺たちの体は光へと包まれる。やがて転移の直前、白い光の向こう側にいたギルガメッシュは、空を眺めて一言漏らした。

 

「―――エインヘリヤルの門が開きおったか」

 

―――エインヘリヤル?

 

つられて空を見上げるも、朝焼けには薄っすらと月が浮かんでいるばかり。おれは奴の言葉の意味を理解できないまま転移の光の中へと吸い込まれてゆく。

 

 

 

「っ、と」

 

浮遊感の直後、慣れ親しんだ体が下に引っ張られる感覚で、俺は転移の終了を確信した。すぐさまやってくる衝撃に備えて両足の準備をする。そして接地の瞬間、膝を曲げて両手で地面を叩き、衝撃を逃がしてやれば、作業は滞りなく完了だ。

 

「―――ついたか」

「……のようですね」

 

ダリとピエールは暗闇の中を見渡すと、揃って顔をある方向へと向けて、そう述べた。二人が何を注視しているのかと視線を向けてやれば、鉄格子の先には驚愕の表情を浮かべたまま固まっている衛兵たちの姿がある。衛兵たちの鎧はエトリアの兵士たちが着用するものとは異なる意匠の鎧を着用している。エトリアの兵士たちより少しばかり厚着であるのは、このハイラガードという場所がエトリアよりも北の位置にあるからだろう。

 

「お、お前たち何者だ! 」

「今、ハイラガード公国は非常事態宣言が発令されている。全ての冒険者は迷宮への出入りを禁じられ、街の防衛への協力を命じられているはずだが……、お前ら、迷宮へ潜っていて宣言を聞いていなかった類の冒険者か? であるならば、登録してあるギルド名を述べよ」

 

二人は槍と盾を構えたまま警戒の姿勢を保ち、鉄格子から距離を取る。詳しい事情はわかなライが、少なくとも歓迎されていないことだけはたしかなようだった。

 

「非常事態宣言? 街の防衛? 剣呑じゃないな。どういうことだ? 」

「さぁ? しかし、ハイラガードほどの国がその様な規模の緊急宣言と総動員の発令をするわけですから、ギルガメッシュの言っていた緊急事態とやらは相当深刻なのかもしれませんねぇ」

「おい、貴様ら! 私の質問に答えろ! 」

 

炎だけが照らしあげる暗闇の向こう側、衛兵たちは緊張した面持ちを保ったまま、再度問いかけてくる。衛兵たちの様子は、まさに切羽詰まった、というのが正しい位の気概に満ちていた。

 

ダリはピエールと俺とに目線を送ってくる。その目線に含まれているものの意味に気がついた俺たちが、ゆっくりと首肯する。それを確認したダリは鷹揚に頷いて、胸より書類を取り出すと、彼らの方へと突き出した。

 

「―――エトリアからやってきた冒険者だ。悪いがこちらもエトリアにとって緊急の案件だ。公国の責任者の元へと案内してもらいたい」

 

ダリは鉄格子に近づくと、書類の表面蝋印が見える様にさらに前方へと突き出す。炎の灯りが辺りをうっすらと照らす中、疑念の目をこちらに向けながら差し出された書類の表面を確認した衛兵の一人は、目を見開くと、彼の後方にいた衛兵に対して頷き、こちらへと向き直ると、二人揃って盾の構えを解除し、槍の尻で地面を叩き、足を揃えるとともに最敬礼した。

 

「失礼しました! これより、貴君らをラガード公宮までご案内いたします! 」

 

 

転移所から外に出ると、エトリアよりも乾燥した空気が俺らを迎えてくれた。ハイラガード公国はハイラガード地方を統括する中央都市だ。エトリアよりも北に位置し、街は岩の上を削って作り上げられている。つまり高山の街だ。だから空気もサラッとしている。

 

エトリアを出発した時刻は七時だったから、時差を考えれば、こちらは夕方の六時くらいだろう。また、こちらは北にある分太陽が沈む時間もずれている。夏のこの季節だと、十時くらいが日没の時刻だったはず。だからまだ太陽はそこそこ高い位置にいて街を照らしている。しかし、にもかかわらず―――

 

「さっむ……」

 

エトリアと同じく、道は石畳で、建物は煉瓦と白い漆喰に、翡翠緑の屋根が立ち並ぶ街は、けれどエトリアよりも酷く冷え込む。夕方のハイラガードの街は、エトリアの夜以上に冷気が漂い、喉元や腰の服の隙間からは入り込んできては、体温を奪おうとするものだからたまらない。

 

寒気に背筋がゾクゾクして、思わず両手で体を抱え込む。人より平熱が高い俺でもこんな様なのだから、背の高いダリは辛いだろう。こんな事態になるのを見越して厚着をしてきて正解だったと心底思う。そう、辺りを見渡せば、衛兵や俺らのように厚着をした奴がたくさん―――

 

「―――なぁ、なんか、街の中が随分とギスギスしてねぇか?」

 

そして気がつく。ハイラガード公国は地方の一都市であるエトリアよりも、一回りも二回りも大きな、地方を統括する都市国家だ。故にエトリアなどよりもずっとにぎわいを見せる街―――、という噂を聞いていたのだが、どうも街の様子がおかしい。

 

中央市街地に近づくにつれて増えてゆく道具屋や料理店には、どれも閉店の看板が掲げられているし、いつもなら冒険者がちらほらいるだろう宿屋の前もしんと静まり返っている。それどころかよく見れば、街を歩く人の数も少ない。ゼロ、と言うわけではないし、ほとんど人気のなくなったエトリアに比べれば多いとも言えるが、街ゆく冒険者の数よりも衛兵の方を多く見かけると言うのは、あまりにも異常だろう。

 

「ああ。そこらの街角ごとに衛兵が見張りにたち、往来を完全装備の冒険者が警戒視線をばら撒きながら往復している。ただ事ではないのはたしかだろう」

「なるほど、それで」

 

尋ねるとダリは俺の疑問を言語化してくれた。状況をパッと表す語彙力が豊富なあたりさすがだと思う。あとはダリのこの観察力が人の気持ちに対しても活かされれば文句ないのだが―――、まぁ、この緊急事態にその様なことを言っている場合じゃない。

 

「―――全ては昨日やってきた翼人のせいなのです」

「……翼人? 」

 

すると俺たちの案内を勤める衛兵が前方を進み振り向かない状態のまま、俺の疑問に答えてくれた。そうして変わらぬ態度で話しかけてくる衛兵は、一見平静を保っていそうに見えたが、昨日の翼人襲来とやらが余程恐ろしい出来事であったらしく、その体が震えている事に俺は気がついたが、だからといってわざわざ指摘する気も起こらなかった。勇気を振りしぼって語ろうとしている人間に対してのひどい侮辱になると思ったからだ。

 

「はい。―――昨日の事です。朝、突如として公国南の空に現れた、赤い鎧を纏った翼人たちは問答無用で攻撃を仕掛けてきました。その数、なんと約千。翼人たちは見たことないスキルを使用して、世界樹迷宮近くを守護していた衛兵たちを攻撃。―――彼らはあっという間に壊滅し、世界樹の迷宮の前に設置されていた扉は破られてしまいました」

「―――千人の翼人が奇襲? そして衛兵が壊滅だと? 」

「はい」

 

あまりに聞きなれない、そして信じ難い言葉が並んでいたため、俺が思わず衛兵の述べた言葉を反復すると、衛兵は震えた声で返事をしてくれた。昨日のことを思い出す中で、恐怖が蘇り、抑えきれなくなったのだろう。先ほどよりも衛兵の震えは大きくなっている。おそらく彼自身にとっても信じ難い出来事だったのだ。

 

「翼人の数は役千人。つまり、冒険者小隊二百人分であり、一個大隊です。そんな数の奇襲という非常事態につき、公国中央市街には、直ちに緊急事態宣言が発令されました。以降、今、腕利きの冒険者たちや集って迷宮の入り口を見張り続けており、そして残りの彼らには街の警戒の協力をしてもらっています」

「厳重だな。公国を抑えている大公殿は、どのように考えているのだろうか? 」

「いえ、大公閣下のお考えはわかりません。ですが、少なくとも、間違いなくよくない事態が起こるだろうという事は、皆が確信しています」

「……? なんでだ? 」

 

尋ねると、衛兵は一層大きく身震いして、言う。

 

「―――迷宮に一度に入った人数があまりに多すぎるからです」

「―――ああ、迷宮の呪いか」

 

世界中にあちこち広がる迷宮は、その内部こそ千差万別の作りや構造をしているが、たった一つだけ共通している事項がある。迷宮はまるで攻略される事を嫌うかのごとく、一度に大勢の人が侵入したり、中で大勢が徒党を組んで活動するのを嫌うのだ。

 

例えばエトリアにおいて迷宮が発見されたばかりの頃は、調査のためにと多くの人が足を踏み入れたところ、迷宮の中で彼らの前に魔物が大量発生し、そのほとんどが帰らぬ人となったという。数度の挑戦ののち、法則性に気がついた執政院は、やり方を変え、少数を送り込んだのち、中で徒党を組ませて探索をさせたところ、やはり魔物が大勢現れて調査隊は壊滅したという。

 

また、調査を繰り返しているうちに、迷宮の外にまで魔物が出てくる事態になってしまったため、当時のエトリアは大混乱を起こしたという。

 

そのような失敗を繰り返したのち、やがて執政院は経験則から迷宮に足を踏み入れた際、最も生存確率が高くなる人数の最大値は五人から六人であり、六人を境にがくんと生存確率は下がり、そして、七人以上での侵入を試みた際には殆どの場合、誰一人として帰還者は出ないという法則を見つけ出した。

 

そこから迷宮探索のため、一度に潜り込めるのは、一時間につき五人までという方は制定され、そしてどこの迷宮でも通用すると広まった結果、それはやがて常識となったのだ。

 

「では、公宮は翼人の再度の奇襲に備えてというより―――」

「はい。世界樹の迷宮それ自体が何らかの拒絶反応を起こすだろ事を予測して、按察大臣は多くの冒険者に街中を見張ってもらうと同時に、住民に外出自粛の命令を発したのです―――、っと、そろそろですね」

 

衛兵は俯き加減だった面をあげた。中央のでかい広場を抜けた先、坂の上には立派な尖塔が立ち並び、列を作っている。その中でも一番偉そうな背の高い建物を控える場所の下に、俺らは案内されていた。その重要度は―――

 

「流石」

「警備が物々しいですね。今までとは段違いだ」

 

周囲を見渡せばよくわかる。建物の前の小さな広場には三分の一程度を埋める程度の衛兵がいる。上の見張り台などに待機しているのを加えれば、ざっと五百は下らないだろう。隊伍を組んである程度の間隔を空けているのは、もしこの場において戦闘となった場合、動きにくいのを回避するためと、同士討ちを避けるために違いない。

 

「ラガード公宮です。按察はあちらの建物にて指揮をとっておられます」

 

これがラガード公宮。ハイラガード公国の心臓部で、中心の政務を行う場所。俺たちは自分と同じ格好をした大勢の仲間を見たためか落ち着きを取り戻した衛兵によって、公宮中へと案内された。

 

 

「ほう、なるほどそれでギンヌンガの洞穴へ行きたいとな」

「はい」

 

ハイラガード衛兵の案内によってラガード公宮へと通された俺らは、即座に按察大臣の元へと通された。周囲では職員がドタバタと忙しそうにしている。その中に衛兵や冒険者の姿が見あたらないのは、そいつらが残らず迷宮の入り口と街の見張りとに動員されている証拠だろう。

 

「―――やれやれ、このような事態であるが故、エトリアの有力な冒険者であるというそなたらにも協力をお願いしたかったが、そちらもそちらで大変な事が起こっているようじゃな」

 

禿頭にヒゲをたくさん蓄えた爺さんは、そういってつるんと光る頭を撫でながら言った。この男こそがハイラガード公国の按察大臣。大公と呼ばれるトップの人間に変わって執務の大部分を行う、実質上、公国の執務を全て司る責任者だ。

 

「ええ。ですから、不躾なお願いではありましょうが、是非とも私共の要望を聞き届けて頂きたく」

 

ダリは恭しく頭を下げる。こう言った公的な場においては、元衛兵であり、堅物でもあるダリ以上に適任な人間はいない。だから俺らとピエールは黙ってその話を聞くに徹していた。

 

「構わん。非常事態においては、助け合いこそが事態の収拾には肝要じゃからな―――そうだ、ついでにハイラガード帰還用のアリアドネの糸をいくつか持っていくがよい」

「―――お心遣いはありがたいのですが、私たちはすでにエトリアの糸を持っており、帰りはそれを用いて直接エトリアへ戻ろうと考えております。すなわち、ここで私に糸を渡すと、私が糸をエトリアへと持ち帰るという事態が発生してしまいますので……」

「構わん。むしろそれが狙いよ」

 

按察大臣は笑うと、いかにも老獪な笑みを浮かべてぎらりと目を光らせた。ダリは首を傾げたが、すぐに真剣な表情を取り戻して背筋を正した。ダリの拝聴の姿勢を見た大臣は頷き、口を開く。

 

「翼人―――本来ならこう呼ぶのは別の種族対象なんじゃが、兵士の呼び名が定着してしまってのう。とにかく翼人の発生時期から察するに、儂はエトリアで起こったという異変とハイラガードでの異変は関連した事態だと睨んでおる。ならばエトリアと連携を結んで動いた方が事態の収拾をより迅速に図れるじゃろう。エトリアとハイラガードは本来なら、馬を使い潰す覚悟で二週間以上かかる距離じゃ。じゃが、ワシらにはその距離をゼロにする道具を保有しておる」

 

ダリは大臣の問いかける様なセリフを聞いて考え込むそぶりを見せると、しばらくして面をあげた。

 

「―――アリアドネの糸を利用して、樹海磁軸の代わりにし、双国に連絡の通路を作り上げたいと仰るので? 」

「その通り」

 

よくぞ我が意を読み取った、といわんばかりに大臣は笑う。

 

「すなわち、糸は餞別などではなく、速やかな移動と連絡の為のものじゃ。儂はエトリア―ハイラガード間にて事態収拾のための協力関係を結びたい。―――糸には誠意を見せるという意味もある。そうしてこちらから積極的に胸襟を開ければ、あるいは向こうのクーマという執政官もこちらに戦力を寄越すことを検討してくれるかもしれんという欲もある」

 

どうやら大臣は現在の状況が相当切迫した事態と睨んでいるようだった。そうでなければ、その気になれば兵士を大量に送り込める糸という品を、他国からやってきたばかりの人間に、アリアドネの糸という代物を渡そうとは思わないだろう。

 

「―――お言葉ですが、大臣閣下。個人的な意見となりますが、平時のクーマならば助けを求めれば迷わず衛兵や冒険者を派遣したでしょう。ですが、エトリアは現在、ほとんど人が出払っております。いかにクーマとあれど、無い物を生み出す事は出来ない……。一人二人ならともかく、多くの衛兵の融通を効かせるのは難しいかと。厚かましいようですが、防衛のための戦力をご所望でしたら、大公の名の下に公国周辺の街に要請をした方が―――」

「公国。ふふ、公国、か」

 

ダリの言葉を遮って、自嘲の色が混ざった言葉を大臣が呟く。俺は言葉に含まれている多分の絶望の気配に思わずたじろいでダリの前にいる大臣の様子をまじまじと眺めた。目には諦観と失望とが混ざった色が浮かんでいる。その瞳の負の感情の深さに気圧されたのだろう、ダリは言いかけた言葉を飲み込だようだった。

 

「―――どうやらエトリアは王制を自称するこちらよりもよほど統制のとれた国であるようだ。クーマとかいう指導者を心の底から信頼したものが集っておる」

「……閣下?」

「救援の要請。それならもうとっくに使者を派遣しておるよ。ハイラガード地方の広大な土地には、規模としては小集団民族が各地に大勢住んでおる。早ければ近くからは返事が返ってきていてもおかしくない。糸があるのだからね。しかし増援を伴った返事はカレドニア公国などの一部の大国からしか返ってこない。しかもそんな大国であっても、よこしてくれたのは僅かだった。―――、つまりはそういう事だよ」

 

ダリは渋い顔をする。俺も遅ればせながら、大臣の言葉から奴の言わんとしている事が理解する事ができて、同じ面になった。ピエールだけが涼しい顔をしている。

 

「―――救援はほとんど期待できないと? 」

「優れた支配者が長年をかけて一つの価値観を浸透させ続けたエトリアとは異なり、ハイラガード公国というものは、世界樹という資産を持つ大公閣下のおられるここを中心に、近辺に住まう小さな民族が身を守るために集まってできた部族国家だ。国と呼べる規模の所は数えるくらい。つまりはほとんどが戦力を持たっておらん。謎のスキルを使う千人の翼人を相手にしたら、数秒と持つまい」

「でしたらなおさら戦力を集中してことに当たせるべきでしょう。中央の危機なのですから―――」

「誰しも生まれ故郷は恋しい。彼らはもし万が一、ここがやられた場合、自前で其奴らと戦わねばならぬと考える。だからまずは自領地の戦力を整え、そして守護することを優先する。これは理屈でなく本能だ。目の前に迫った現実を恐れる本能が、人を正常な判断から遠ざける。そしてそれは本能であるが故に、理屈で抑えてやることは難しい。あるいは伝説に残るエトリア初代院長のように、優秀な指導者が長年意志を纏め上げてきたというのなら別かもしれないが―――」

 

大臣は寂しげに首を振った。俺は何も言えなかった。抑えがたい本能というものは確かに存在する。それは自分が認めたくないものと出会った時に自然と湧いて出て、自分の体を乗っ取り、制御不能にしてしまうのだ。

 

「ハイラガードという厳しい自然環境と人の寿命の前には、そう言った理想が風と土に染み込む前に、寒さと死の中に消えていってしまう。環境がよければあるいはエトリアの様になれたかも、などと思ってしまうのは、ふふ、そんな風に国や人を導くことが出来なかった老人の負け惜しみに過ぎないか」

 

そういった負の感情自体は、溜まりにくいものではあるが、負の感情を感じる器官のようなものはそういった出来事と遭遇するにつれ、どんどん感度を増していく。しかし厳しい環境下において体が順応するのとは異なり、心は直ぐには強靭にならないものだ。

 

「―――、ハイラガード公国は広大だが、その土地に住まう多くの味方は、すぐ近くで起きた脅威を恐れ、我が身を守るのに必死で積極的に動こうとしない。じゃが、遠くのエトリアは一都市で戦力を削られたにも関わらず、こうして最高戦力を派遣してまで世界の危機に対して積極的に動こうとしておる―――、どちらに信の重きをおいた協力体制を築いて方が良いかは、素人目にも一目瞭然じゃろうて」

 

そして感度を増した器官が周囲の環境から感じ取ったモノと、己を冷静に保つ心との釣り合いが崩れた時、やがてそれは暴走して、破滅に繋がる選択肢を選ばせたりするのだ。そう、それは俺がかつて自分の村を飛び出した時のように―――

 

「―――エトリアの冒険者よ」

 

やがて過去の苦い記憶に浸っていた俺を、大臣の重みを帯びた言葉が現実へと引き戻した。

 

「大公様の代理として、按察大臣たるソルが君たちに改めて依頼をお願いしたい。エトリアに戻った際、エトリアのクーマという男に、互いに危急存亡の事件が解決するまでの間、エトリアーハイラガード間において協力関係を結びたいと伝えて欲しい」

 

ダリは俺とピエールに視線を送ってくる。了解を求める合図に、俺とピエールだけは揃って首肯すると、ダリは頷いて、大臣の方へと向き直り、そして告げた。

 

「承知しました。その依頼、引き受けましょう」

「―――ありがとう。エトリアへの正式な協力要請の書簡は、すぐさま用意しよう。大公と相談の上内容を吟味し書き上げる故、しばしの間ここでお待ちくださ―――、ああ、そういえばギンヌンガの洞穴に行きたいのでしたな。そうであれば、まずは近くの道具屋で器材を揃えてくるとよい。あそこは他の場所と岩質が異なっており、崩れやすい故、専用の登攀と下降の装備がないと危険だ。道具購入の許可はすぐさま用意させまする。代金は報酬の一部としてこちらが受け持ちましょう」

 

 

「ちょっといいかしら? 」

「あ? 」

 

大臣からツケでの道具購入を勧められ、俺たち中央市街から離れて道具屋へと向かっている最中、道の真ん中で背後より話しかけてくる女がいた。公宮の方面からやってきた女は、上の三角帽子から下のエプロンに至るまで金糸が縫い込まれた、上等な絹を使って大きく胸元が開いたドレスを着込んでいる。

 

顔はハイラガードの人間にしては浅黒く、かといってエミヤほどではない健康的な小麦色をしていた。薄化粧に幼さを残した雰囲気纏う細身の美人で、その肌の色は薄い布のドレスと相まって、サッパリとした空気を演出するとともに、妖艶さを醸し出す要素となっていた。

 

さて、このような男受けする、かつ、呪い使いの様な格好をする奴といえば、カースメーカーかドクトルマグス、また、豪奢な仕立ての服装からもしやプリンセスだろうと思う奴もいるかもしれないが、俺は一目でそいつがドクトルマグスであると見抜いていた。

 

それは奴がドクトルマグスの持つ、特有の、杖と剣を合体させた槍のような武器を手にしていたからだ。杖の様な剣は、かつて俺らの師であり、元ギルドメンバーでもあるドクトルマグス、すなわち、亡くなった響の父親が使用していたものであり、見慣れた武器だから見間違いようがなかったのだ。

 

ついでにいえば、俺はさらに、目の前の女が良いところのお嬢さんで、かつ、実力者であるとも見抜いていた。それは金糸による縫製という豪華な格好以上に、女がダリに声をかけるその仕草があまりにもお上品過ぎるというのに加えて、このクソ寒いのにも関わらず薄着でしかし背筋がピンと通っている理由を、ハイラガード迷宮産の高価な装備品によるものなのだろうと考えれば、周りにこいつの様な薄着をした奴といない事実と合わせて、辻褄があうからだ。ダリほどではないが俺だってこの程度の推論は出来るのだ。

 

「―――何の用だ?」

「ちょっと相談があるのだけれど、お時間よろしいかしら?」

 

その女はそういって真正面からダリを見つめた。セミロングに纏められた黒髪が風に揺らぎ、瞳が露わになる。まっすぐな瞳からは確固たる意志のようなものが感じられた。この手合いは自らの目的を達成するまで食らいついたら離れない。厄介な奴に絡まれたな、と俺は辟易とした気分になった。

 

「―――手短にお願いする」

「……いいのか、ダリ」

「断ったところで纏わりつかれるだけだ。この手合いは少なくとも話を聞いてやらなければ私たちから離れまい」

 

どうやらダリも俺と同じ感想を抱いた様だった。ダリは人の感情の動きはともかく、人物評価の眼は優れている。数値で表すことの出来る評価はこいつにとって得意な分野なのだ。

 

「あら、ご挨拶ね」

「違ったのならば失礼。急ぎの用がある故、これで失礼する」

 

ダリはそう言ってさっさと話を切り上げようとする。こう言った時、鈍感なダリの特性はとことん役にたつ。俺もその後ろについてさっさと通り過ぎようとしたところ―――

 

「あ、まった、まった」

 

女は慌ててその場を立ち去ろうとするダリを引き止めると、胸を張って、大きく息を吐いた。

 

「もう……、せっかちね。不本意だけどその評価でいいから、ちょっと時間を頂戴」

「なんだ」

「―――ちょっと耳にしたんだけど、貴方達、ギンヌンガの穴に行くっていうのは本当なのかしら?」

 

女の言葉を聞いて、俺は思わず籠手を構えた。ダリも視線を鋭くさせると身を引き、背後に装備した盾へと手が伸びる。ピエールはいつものようにキタラを取り出して喉をさすった。

 

「―――そうだが……、それがどうした? 」

 

ダリは声を低くして尋ねる。ダリが同じ人間に対してここまで警戒心を露わにするところを見たのは初めてだが、俺もダリと同じ気分だった。ピエールもおそらく同じだったに違いない。―――この女は怪しすぎる。

 

公宮から出たタイミングで、疑問形にて話しかけてくるのだから、おそらく目の前のは公国の関係者じゃ無いのだろう。公宮の関係者なら断定系で話してくるはずだ。つまりこの女は個人の都合で俺らに話しかけてきたということになる。

 

そこに加えて、先ほど衛兵は公国の実力者は全員世界樹の迷宮の入り口に集結させたと言っていた。非常事態で緊急招集がかかっている事態なのだから、その持ち場から遠く離れることは許されまい。少なくともこれほどの気配を放つ実力者なのだから、いかに個人の事情があろうと、その場を離れることはそうそう許可されまい。

 

つまり、目の前のこの女は、公宮の指示を無視して、公宮の目を欺いた状態であるにもかかわらず、何処かから俺らが公宮で喋った内容を仕入れて、そしてそれに関する何かを聞き出すかしようとすると女なのだ。怪しくないと思わないはずがない。

 

「なんだかあまり歓迎されていない様子ね」

 

女は俺たちの態度が警戒の姿勢に移行したのを見ると、おどける様に言ってのけた。仮にもエミヤが来るまでの間、エトリアで一番のギルドだった俺たちの威圧を受けて平然としているあたり、只者ではないのだろうと推測する。

 

「状況が状況なだけに、な」

「まぁ、わからなくもないわ。私だって、同じ状況なら同じ態度を取るでしょうね」

 

疑いに満ちた目線を向けられる女は、それでもあくまで平然とした態度を保っている。その様がいかにも強者の余裕に見えて、俺は少しばかりこの女のことが気に食わないと思った。しかし同時に、自分よりも一回りも大きなダリという男を前にして平然としているこの女を羨ましいとも思った。羨望と嫉妬は表裏一体。俺の胸の中のムカムカとした感情は、つまりはそういう自分の劣等感が元なのだろう。

 

「―――時間がないと言ったわね。だからこちらも単刀直入にいうわ。……私たちを貴方達に同行させてほしいの? 」

「私……たち?」

「……、なぜだ? 」

「もともと、ギンヌンガガプ目的で私たちはやってきたんだけどね。まさかハイラガードがこんな状況になるなんて思わなかったから、普通の冒険者としての登録を済ませたのだけど、さあ行こうって時にあの悪魔の群れが攻め込んできてね。お陰で出られなくなっちゃったのよ」

 

やんなるわ、と肩を竦めて女はおどける。態度を見る限り嘘を言っている様にもは思えないが、だからといってすぐさま信じる理由も見当たらない。

 

「なぜギンヌンガガプを目指す? 目的は? 」

「それは言えないわ」

 

女ははっきりとした口調で断言した。怪しい。怪しすぎる。ダリが俺を見た。俺は首を横に振る。続けてダリはピエールを見た。奴はいつものように目を瞑って肩を竦めた。一旦は判断をダリに預けるというピエールの所作だ。

 

俺はおそらくダリは断るだろうと思った。だって目の前の奴らは理由を語っていない。同じ理由を語らないにしても、ギルガメッシュの時はエミヤという担保があった。けれど、今回の場合、なんの駆け引きもなく、真正面から不躾な願いを押し付けてくる輩だ。雰囲気から察するに、悪気はないのかもしれないが、目的を隠す辺り信用できない。

 

ダリはゆっくりと女の方を向き直ると、一回だけゆっくりと瞼を閉じて、そして開けると、警戒を解いて静かに口を開いた。

 

「―――いいだろう。ただし、私たちは三人。つまりギンヌンガガプへ連れていけるのは、一ギルド単位のあと二人まで。それ以上の人数は許容できない。また、帰りはハイラガード公国に戻らない故、君たちはその場に置いていく事となる。それでもよければ付いて来るといい」

 

だが俺のそんな予想と反して、ダリがあっさりと許可をした。俺は驚いてもダリの方を向く。

 

「お、おい、ダリ―――」

 

この怪しさ満点の女に対してその提案は流石に無警戒すぎやしないかと文句の一つでも言おうと思ったが、ピエールが俺の肩を抑え、自らの口に指を当てた。文句はやめとけ、という仕草だ。

 

「私の票は彼に預けたので、二対一。―――、一旦はダリの判断を信じましょう」

「―――わかったよ」

「あら、案外、すんなりと許可してくれるわね」

 

俺が一旦渋々ダリの判断を受け入れた一方、女はダリの判断が意外だったらしく、目をパチクリとさせて呟いた。無理もない。俺だってそんな気持ちなのだ。なら、疑念の視線を向けられた本人としては、もっと意外なのだろう。

 

「先も言ったが、こちらも急ぎの用がある。君のような実力者といざこざを起こして時間を無駄にしたくはない。かといって、断ってハイラガードで騒ぎが起こるのを分かっていながら見過ごしてあのソルとかいう大臣の胃痛促進を促すのも気がひける」

「あら、ご挨拶。私がギンヌンガに行くために強硬手段をとるとでも?」

「取るだろう。エトリアは平和な街だったが、時たま仲間を失って暴走し、街に迷惑をかける奴がいなかったわけでもない。そう言った人間はさまざまな法律を破ってでも仲間の仇をとりに行こうとする。―――私は元衛兵でな。君からはそんな無茶をやる奴らと同じ気配がする」

「―――へぇ」

 

ダリの言葉に一拍置いて女が目線を細めると、声を顰めさせて呟いた。途端、女の気配が異様に濃くなる。番人などの強敵を相手にする直前の緊張感が背筋を走った。口の中がひりつき、なんとも言えない酸い味を感じる。目の前の彼女は、武器も構えていないのに、迷宮の中の奴らと同じ気配を発していた。

 

しかし女は俺らがそれに反応して武器を構えるよりも早く、その圧倒的な気配を発散させると、飾り気のない薄い唇を釣り上げてニコリと微笑んだ。その笑顔は瞬間前に重厚な気配を発散した人間が見せるものとは思えないほど、快活なものだった。

 

「なかなか鋭いじゃない。まぁ、当たらずとも遠からずってところね。……でも安心して。もう、そんな事しないわ。これは本当。―――私の名前はアーテリンデ。ギルド名はエスバット。―――二人まで、だったっけ。じゃあ、私の他に後一人仲間を連れて公国の入り口のあたりに潜んでいるから、準備ができたら声をかけて頂戴。よろしくね」

 

女は言うと、踵を返して公宮方面へと戻ってゆく。俺は警戒心から、アーテリンデとか言うからそいつの姿が完全に見えなくなるまで視線を外すことが出来ずにいた。ダリも俺と同じような感覚を抱いていたらしく、同様の目線を送っている。

 

「―――おい、なんで同行を許可した」

 

やがてアーテリンデの姿が見えなくなるのと同時に、俺は口を開く。アーテリンデとかいう女の威圧に抑圧されていた気持ちが文句として噴出したのだ。思った事を即口にするのは良くないのだが、今回の場合は別だ。なぜなら。

 

「さっきも言った通りだ。争ってここで時間を食らうのも、ハイラガードに損害が出るのを見過ごすのも出来なかったからだ」

「んなやつとその仲間を同行させんのかよ! 俺らで対処できなかったらどうすんだよ! 」

 

仲間の命がかかっているのだ。そう怒鳴ってやると、ダリはきょとんとした表情で屈むと、背の低い俺の目を覗き込んで、そして背筋を正して空を見上げると、再び俺を見下ろして、呟いた。

 

「そうか、その危険性があったか」

 

どうやらダリの判断は、その事を完全に失念してのものだったらしい。戦力差を見誤るというダリらしくない楽観さを含む判断に、俺の口からは自然と文句を言いたい気分になる。

 

「らしくもねぇな。どうしたんだよ」

「どうやら、私は無意識のうちに自分たちの実力を相当高く評価し、信頼していたらしい」

「な―――」

 

こともなさげに言ってのけたその言葉の内容に、荒んでいた心が少し癒される。しかしダリのその無条件の信頼を嬉しく思った直後、そう思えなかった自分が小さな奴であると言われているような気もしてきて、俺はなんとも憂鬱な気分になった。

 

ダリが言葉の裏に別の意味を隠すなんて器用な事が出来る人間じゃない事は俺がよく知っている。だからこの陰鬱な気分は俺の勝手な思い込みが生み出したものなのだ。あのグラズヘイムでの一件以来、ますますこの被害妄想が強くなっている。

 

「―――くぬっ! 」

 

ダリにとって理不尽なのは重々承知だが、俺をそんな気分にさせる言葉を発した男をそのまま放っておくというのも、気にくわない。俺は胸に湧き出たそれを発生させた奴に少しでもこの気分を分けてやろうと、ダリの後ろ足をガツンと蹴り飛ばす。

 

「っ……、何をする……!」

 

少しばかり奴の体がぐらつく。少しばかり溜飲が下がった気がした。

 

「さっさと道具を取り揃えて公宮に戻る! それでいいんだろ! おい、行くぞ、ピエール!」

 

文句を聞き流すと、先ほどから会話に加わっていなかったもうちのギルドのもう一人に声をかける。

 

「エスバット……、アーテリンデ……?」

 

すると呼びかけたピエールは、今しがた女が述べた言葉に首を傾げていた。

 

 

ダリの夢

 

 

道具屋で準備を終えたのち、アーテリンデともう一人、ライシュッツというご老人との合流を果たして、ハイラガード公国入り口の巨大な橋をわたりおうえた頃、あたりはすっかり真っ暗な闇に包まれていた。

 

そのままギンヌンガガプの方を目指す私たちは、最短距離を突っ切るべく、崖を降り、森に突入。そして彼此二時間くらいが経過していた。先頭を行くのは私。次のサガが続き、アーテリンデ、ピエール、ライシュッツ、という並びだ。

 

本来ならサガとアーテリンデの位置は逆である方が望ましいのだろうが、信用できないから合流した二人を分断したいとの提案でこの並びとなった。意見としては正しいのかもしれないが―――

 

「大丈夫か? 」

 

気になる相手がすぐ後ろにいるというのは、少しばかり落ち着かない気分になる。

 

「……なんだよ」

「ああ、いや、身体の調子はどうかと思ってな……」

 

振り返って尋ねるとサガは、彼女はひどく不機嫌な様子で、「大丈夫だよ!」と声を返してくる。私の目の前、暗闇の中に揺れるランタンの炎は、金属鎧に覆われた私の腹までを明るく照らしている。私の腹元というと、背の低いサガにとっては大体頭から胸元くらいまでだ。

 

つまり、炎のぼやけた輪郭の端はちょうど彼女の上半身だけを私に意識させるかの様に、照らしあげている。そしてそんな明るい領域の端で、隠す事をやめたサガの大きな胸が服の中で揺れた。つい最近まで彼として気兼ねなく接してきた、彼女のそれが上下に揺れるのをつい目線で追ってしまうが、次の瞬間なんとも言い難い罪悪感が心を苛むので、慌てて首を元の方向へと戻して、姿勢を正す。

 

「―――くぬっ!」

「……っ!」

 

サガが不機嫌な様子で私の後ろ足を蹴り上げてくる。ガツンと金属同士がぶつかる音がなった。蹴られた理由は検討ついている。私が彼女のことを女性扱いし、女の部分にいちいち意識を向けるのが、サガにとって気に食わないのだ。

 

とはいえ、多少激昂している様子は見受けられるが、二撃三撃目は甲高い音が鳴らないよう、関節のブーツ部分の隙間に捻じ込んでくる蹴りに変更したあたり、彼女もこれが敵を避けての隠密行動であるのを忘れてはいないらしい。だからといって問題ない訳ではないし、やめて欲しい気持ちはあるが、身から出たサビなので、なんとも文句を言いづらい。

 

その後も鈍い打撲の音が数回、ハイラガード地方、ギンヌンガガプ近くの森に反響した。音が響くたび、後ろからピエールの意地悪い声が聞こえてくる。やがてサガは先頭を歩く私の前に回り込むと、ランタンをひょいと奪い取って先頭に立った。先頭で見張りと敵の奇襲などに備えるのはパラディンである私の役目―――なのだが、サガの小さな背中が「これ以上俺を不快にさせるな!」と主張していたので、言葉を噤んで大人しく彼女の後に続いた。

 

サガは肩をいきらせて先頭を行く。そうして女性が小さな肩を上下に動かしているのを見ると、とても悪い事をした気分になる。ああ、シンとピエールはなぜこの様な重要ごとを隠していたのだろうか。というよりも、何故自分に知らせてくれなかったのだろうか。

 

「彼、彼女に何かしたの? 」

 

凛然とした声が後ろから聞こえる。聞き覚えのない声は純粋に疑問の色を含んでいた。

 

「さて、ダリは元々他人の気持ちの機敏に敏感ですからね……」

 

ピエールが揶揄う口調でアーテリンデへと語りかける。知っているし、自覚もあるが、他人からそれを指摘されると酷く情けない気分になる。

 

「すなわちあの男は女心だろうと男心だろうと、他人の心をあまり理解しません。ま、今まで色々なことから目をそらしてきたツケを支払っているだけですよ」

 

ピエールは相変わらず容赦がなかった。詩人である奴は、だからこそ言葉を大切にして、言葉を飾らない傾向にある。すなわち、相手が誰であろうと、自分の素直な考えを述べる。揶揄う口調である事を除けば、そういったわかりやすい点が奴の美徳であるのは確かだが、だからといって本人がすぐそばにいるのにそれを述べるのはどうかと思う。傷口を抉られれば痛いと思うのはパラディンであろうと変わらないのだから。

 

「ヌシはもしやあの男のことが嫌いなのか?」

 

やがて私を痛めつける言葉を吐いていたピエールに、ライシュッツが嗄れた声で質問を飛ばす。意識が一気にそちらへと引き摺られた。ああ、なるほど。たしかに彼らとハイラガード入り口で彼ら合流して以降というもの、ずっとこのザマだったのだから、勘違いされても仕方ないか。

 

「先程から話を聞いていると、ヌシは随分とあのパラディンのことを責める様な口調だが」

「いえいえ、そんな。仲が悪かったらこんなはっきりと断言していませんよ」

 

その通りだ。ピエールは基本的に批判的で、他人の痛いところを突っついては反応を見て楽しむ性格だが、分別をわきまえている男だ。基本的に奴は正しいことしか言わない。相手を観察した結果、ひどく毒舌に聞こえる言葉を吐くことも事実だが、その行為に悪意があるわけではない。奴は親しい相手に対しては言葉を修飾しないだけなのだ。

 

そしてピエールは決して、親しくない相手に対してはその様なことを言わない。真実であるとは言え、一歩違えば相手を否定するようにも聞こえる言葉を、ピエールは親しくない人間や、初対面の人間に言うことはしない。

 

ピエールは忠告を聞き入れる耳を持たない輩に使うと、面倒ごとしか引き寄せない事を奴は心得ているのだ。それこそが、奴が私に対して悪意を持っているわけでなく、そして馬鹿にしている訳でもないという証明に他ならないだろう。

 

「そう……、あなた、随分といい性格しているのね」

「よく言われます」

 

アーテリンデがピエールに文句を言うと、奴は飄々と言って返す。そしてそれきり会話は打ち切られてしまった。気まずさ漂う夜の森の中を、しかし離れて歩くわけにもいかず、固まって進む。エトリアよりもさらに北の地域にあるハイラガードは、いつもよりも余計に冷え込んでいるようだった。

 

 

ハイラガード地方はエトリアより北という地域柄、夏であろうとひどく冷え込む。その為ハイラガードに住む人間はがっちりと首元まで布で覆い、肌の露出を避ける人間が多い。御多分に漏れず、エトリアからやってきた私たちも同様の耐寒装備だ。

 

例えば先程までエスバットというギルドの二人と話していたピエールは、重ね着したうえでマフラーやタートルネックの服で首元をガチガチに固めた上、いつも手放さない楽器を、いつも以上厳重に取り扱っている。

 

砂塵やある程度の暖気の環境下でなら木製楽器のキタラをある程度雑に扱うのも許容範囲―――もちろん限度はあるらしい―――であるが、低温が続く環境や、急激な温度変化というものは楽器に対して過敏に、そしてさまざまな悪影響を与えるとかで、ピエールは歩く最中、一定時間ごとにキタラとかいう楽器の竪琴部分も下部の共鳴箱部分にも特性のニスを塗っては、布の中にしまい直して、を繰り返している。バードという職業も大変だなと人ごとの様に思う。この極寒の寒さの中、金属製の装備を全身に身につけた私とどっちがマシだろうかと、そんなくだらない考えが浮かんだ。

 

「―――それにしても、夜の森は冷え込むわね」

「お嬢様。上着を羽織られてはいかがでしょうか?」

 

さて、耐寒装備といえば、この二人。このたび同行することとなったギルド、エスバットの二人の内、ライシュッツという老人は耐寒の格好をしているのだが、アーテリンデという若い彼女はこの環境にそぐわない格好をしていた。長い髭を蓄えたライシュッツという老人は、耳元覆い隠すウシャンカ帽を被り、足元まで覆い隠す様な首元にファーのついたダブルのコートを羽織り、籠手付きの防寒用手袋まではめ込んでいる。全てが無骨なデザインではあるが、このハイラガードという極寒の環境で戦うにふさわしい姿だといえるだろう。

 

だが、そのライシュッツに対して、彼がお嬢様と呼ぶアーテリンデは、つば広の魔女帽に金細工の施された大きく胸元開いた豪奢な一枚ドレスを身にまとい、カーディガンの様なものを軽く引っ掛けているだけの軽装だ。正直正気の沙汰と思えない。

 

「いいわ。動きにくくなるもの」

「左様でございますか」

 

それなのに彼女は平然と、動きにくくなるから厚着はしないと公言して憚らないし、有言実行する。この様な寒さだとある程度体温が保てる装備でないと体が動かなくなりそうなものだが、それなのに彼女はシンレベルの一流の身のこなしを見せるのだ。巫術を使って自分の体温をある程度操れる事は知っているがとはいえ、流石に見ている方が寒くなる。

 

「流石にエスバット。鍛え方が違いますねぇ。伝説レベルですよ」

 

ピエールが茶々を飛ばした。どうやら彼女らは彼のお眼鏡にかなった様だった。私は少し肩の力を抜く。理由はわからないが、この男が信を預けると決めたなら、私も信頼して良いだろうと思ったからだ。

 

「それ、皮肉? だとしたら笑えないわ」

「いえいえ、本心ですよ」

「そぅ……。まあいいわ……―――、ねぇ、サガ。そろそろ先頭を交代しましょう! 」

 

ピエールのわかりにくい信頼のこめられた言葉を訝しんでいたアーテリンデは、声を小さく森に響かない程度に張り上げてサガを呼ぶ。少し先を行っていたサガが振り向き、首元のマフラーの余りが勢いよく回ってサガ自身の体を叩いた。

 

サガは新調した装備の上に一枚余計に布を羽織り、首にマフラーを巻き、そして金属の籠手の大部分に布を貼り付けている。金属の温度が零度を下回っていると、金属と肌が接触した際、表面の水分が凍りついてくっついてしまう。それを防ぐために、彼女は金属に切り抜いた布をペタペタと貼り付けているのだ。また、金属の接合部分にはグリースを塗って対応している。変形機構を持つ物であるが故一枚布を当てるだけですぐさま完成というわけにいかず、彼女は布の切り抜きにひどく苦戦して、ガシガシと頭を掻いていたのを覚えている。

 

同じ冷たい金属から身を守るにしても、私の場合サガと違って、大きな一枚金属をそのまま全身に纏っている様な状態なので、体と金属との間にいつもより多めに布を入れて、表面に一枚布を当てるか、グリースを表面に塗布するだけで済み、装備の手入れを早めに終えることができたのだ。

 

などと考えていると、ハイラガードの道具屋で耐寒の準備に苦戦するサガを手伝おうとしたらジロリと睨まれて萎縮し、結局手伝えなかった事を思い出した。サガは、私がグラズヘイムでサガのことを女として意識した日から、私に対して冷たい。やはり原因は私がサガを女扱いしているところにあるのだと思う。彼女はそれが原因で侮られるのが嫌で、男の振りをしていたというような事をグラズヘイムで述べていた。

 

いや振りというよりも、確かにサガの思考や感性は男に近いのだ。以前、まだ私がギルド異邦人に合流して間もない頃、敵の攻撃で胸が完全にはだけたのに平然としていたのを覚えている。もちろんその頃は男だと思っていたし、サガの胸が膨らみの無い平坦なものだったからなんとも思わなかったわけであるが、あれから約一年、たったそれだけの間に丘どころか山のように育ちあがったあの膨らんだ物を見せられては、彼女を男として認識するのは難しいだろう。

 

「……?」

 

などと淫らな事を思い出ていると、サガが私の目の前で立ち止まっている事に気がついた。松明が照らしあげるボサボサ頭の下に覗く顔には、相変わらず不機嫌そうな顔がある。その中心で輝く瞳は、こちらの思惑を見透かす様な色をしていた。よくよく見れば中性的な彼女は、少年というよりも女性よりの柔らかさがある。乱雑に切ってある髪を軽くでも整えてやればさぞかし快活な可愛げある姿になるだろう―――、とそこまで考えて、自分を取り戻す。胸が高鳴ったのは気のせいだと思いたい。

 

「何だ、……っ」

 

そうして努めて顔面の平静を保って聞くと、彼女は無言でガツンと私の脛を蹴りとばしてそのまま後列のへ行ってアーテリンデに松明を渡す。痛くはないが、その蹴りにはあからさまな抗議の念が込められている気がした。

 

すなわち、「俺を女扱いするな」、だ。おそらく先程の邪な考えに対するものを読み取ったのだろう。私と異なり、彼女は人の感情の機敏に鋭いのだ。彼女がどうやってそれを感じ取ったのかは知らないが、どうやら私ごときの考え、彼女は簡単に見た通す事が出来るのだ。

 

「ねぇ、あの二人大丈夫なの?」

 

遠くから時たま雷のなる音が聞こえる。だがそれよりも小さいはずのアーテリンデの声が、やけに大きく私の耳に残響した。

 

 

ハイラガード公国の南方には大きな地面の割れ目が存在する。一度落ちたら二度と日の目を見ることが出来ないほどの高さをほこる、その地面の大穴とすら呼べるその場所は、いつからかギンヌンガガプと呼ばれている。

 

大穴の底がどこまで続いているのか知る者はいない。穴の中には常にうっすらと霧がかかっており、裂け目の中では風が轟々と吹き荒れて、穴の底へと視線が通るのを遮っているからだ。ハイラガード公国の酒場で聞いた話によると、「この巨大な裂け目から世界の全ては生まれた」とか、「穴を崖に沿ってひたすら辿っていけば此処とは真逆の環境の南国にいける」とかいう説もあるらしいが、それが真実であるかを知る者は、やはりいない。穴の底に向かった者の中で、戻ってきた者はいないからだ。

 

あるいは「それこそが向こう側が天国に繋がっている証拠だ」、とか、「向こう側の居心地が良すぎるから誰一人として戻ってこないんだ」とかいう輩もいたが、私はエトリアの迷宮五階層「シンジュク」という場所や、この世界を生み出したという「ギルガメッシュ」の話から、この世界樹の上の世界が如何様にして作られたかを大体把握しているので、彼らの話がそれこそ眉唾で、大穴の下にはつい最近魔のモノが死ぬまで危険な状態だった昔の遺跡が転がっているだけだという事をよく知っている。

 

おそらく誰一人として戻らない、知る者がいないと言うのは、下に行った辿り着いた途端、赤死病にかかってしまい死んでしまったとか、降りることできずに力尽きたとかそのあたりだろう。伝説とは誇張されて伝わるものなのだ。

 

「着いたわ、あそこよ」

 

私がそろそろ辿り着くだろう目的地の情報を記憶から引きずり出していると、サガに変わって先頭に立ったアーテリンデが特殊な形状―――蛇二匹が捩くれ上がった様な木製杖の先端に、金属の短剣と長い剣が固定されている―――をした杖剣で前方を指し示す。杖剣は、ドクトルマグスと呼ばれるハイラガード独特の職業の人間が持つ、特殊な装備だ。彼らはその杖と剣の両方を使って敵味方の肉体に対してさまざまな影響を与えるスキルを使いこなす。以前私たちの仲間だった、響の父親もそうして私たちの力となってくれたものだ。

 

「あそこが、ギンヌンガガプ」

 

ふとしたことで昔のことを思い出していると、アーテリンデは再び言葉を発する。彼女の手にする杖剣の切っ先は、前方の暗闇の中、森が突然途切れ、地面まで失せている場所。すなわちギンヌンガと呼ばれている大地の切れ目である崖を指し示していた。

 

彼女の案内に従って森を抜ける。頭上を覆っていた森林の枝葉が失せて、月の灯りが私たちを歓迎してくれた。すると同時に、耳の中に暴れる駱駝が駆け回っているような、重いものが凄まじい速度で地面を擦る音が絶え間なく耳に飛び込んでくる。意識すると、足元では地響きが酷いことにも気がつけた。

 

―――魔物の群れ、いや巨大な魔物……? いや、違う。これは……

 

「……水の音?」

「ええ。崖に向かっていくつか川が伸びているからね」

 

アーテリンデは杖で右手の方向を指した。視線を向ければ、そこには確か森の中から伸びていた川が崖に向かってゆき、やがて勢いよく身を投じる姿が目に入った。勢いよく崖下に身を投げた川の水は、地面から離れた途端、縦横無尽に飛び散って薄い霧を作っている。また、飛び出してゆく川の下の部分は、水面側の水の重みに負けてそのまま滝を作っていた。

 

「そして、ギルガメッシュが言っていたっていう、ギンヌンガの洞穴ってのは―――」

 

アーテリンデはスタスタと崖に向かってゆく。すぐにライシュッツが彼女の後を追った。アーテリンデは崖のそのギリギリの端まで寄って、ランタンを崖の上に突き出すと、帽子を抑えながら軽く頭を出して崖下を見渡して、しばしのち、崖から少し離れた位置に経つと、振り返り、杖剣で自らが立っている場所から左斜め下側に剣の切っ先を向ける。

 

「多分、そこ」

 

私はアーテリンデの示した場所を確認しようと、崖まで近よると、アーテリンデよりランタンを受け取って、それをかざした。だがこの世の全てを飲み込むかのような地面にぽっかりと空いているギンヌンガガプは、月光とそれにすら遠く及ばない明かり程度ではこの先の世界を見せてやるものかと言わんばかりの態度で、私の視線を闇と霧で遮っていた。

 

「何も見えねぇぞ」

 

同じく覗き込んでいたサガが文句を言う。

 

「そりゃそうよ。そんな程度の光で崖の下の方まで覗き込めるわけないでしょ」

 

アーテリンデは森と崖の間の空間、平坦な地面の部分に背負っていた荷物を下ろすと、ライシュッツも同様に背負った荷物を地面へ置き、即座に中身を広げ出した。するとライシュッツは見事な手並みで荷を広げ、布を広げ、振動や風で布が吹き飛ばないようナイフで固定し、中央にランタンを置くと、微かに揺れる地面の上にはあれよあれよという間に簡易的な休憩のスペースと相成った。

 

「下に行くなら、朝、太陽の光が昇ってからじゃないと自殺行為よ」

「どうぞ、お嬢様」

 

そう述べたアーテリンデは布の上に座り、ライシュッツの差し出したカップとソーサーを受け取ると、ソーサーに口を当てて紅茶を飲んでいる。月明かりの下、ライシュッツをお付き人に従える彼女の姿は、なんとも優雅に見えた。

 

「日の出まであと数時間。―――悪魔とやらもこの辺りにまではいないみたいだし、精々その間だけでも。それまではせいぜい、のんびりと過ごしましょう? 」

 

彼女の手元で揺らす湯気を放つ飲み物は、極寒の環境に耐え続けていた私たちにとってなんとも魅力的な物だった。故に、私たちは彼女の提案に一も二もなく賛成した。

 

 

闇の中、布の中央に輝くランタンの明かりが辺りをほのかに照らしている。ただ、それだけでは森の暗闇からの奇襲などの警戒やそのまま戦闘に突入した時の事を考えた場合、光源として頼るには不十分だろうということで、相談の上、森側の近くには数本、松明を作って地面に突き刺す事とした。

 

大した手間でもないので私が引き受けると、サガが手伝いを申し出てくれた。私はサガと共にその辺の枝を拾ってきて布を巻きつけると、油脂を染み込ませて日常用の火のスキルを使う。炎があっという間に油に引火し、即席の松明が三本出来上がった。

 

私は松明をライシュッツの敷いた布を中心としたところから、―45度、0度、45度の角度で、布と森の中間より森側の場所に突き刺した。炎は燃え上がり、三つの炎の輪郭の縁が重なり合って、それぞれの光が弱くなる部分を補い合っている。

 

「おい、ダリ! 俺の姿が見えるか!」

 

森の端の近くでは、サガがちょこちょこと身を屈めて動いている。暗闇を照らす炎によって、私が森との境界あたりで動く彼女の姿をしっかりと認識することができていた。

 

―――問題なし

 

「ああ、大丈夫だ! 戻ってこい! 」

「あいよ! 」

 

確認作業も終わった。これで敵がどこから飛び出しても対処できるだろう。とりあえず一段落と言って差し支えはない。私はサガと合流すると、アーテリンデとライシュッツ、ピエールが待機している休憩場所の方へと向かう。

 

布の方へでは、ライシュッツは崖の方を見張って会話に参加していないが、ピエールとアーテリンデが未だ何やら小声で話し込んでいるのがランタンのあかりに照らし出されている。二人とも随分と真剣な様子だが、一体彼らは何について話をしているのだろうか?

 

 

「ねぇ、あのダリっていうのは、昔からああだったの? 」

「おや? アーテリンデさん。あれのことが気になりますか?」

「ええ。だって、なんというか、たしかに実力あるのは身のこなしからわかるけど、ああも仲が悪いのにエトリアでトップのグループだったっていうのがちょっと不思議でね」

「―――ああ、なるほど。流石は迷宮にたった三人で挑もうと考えるだけのことはあります」

「……なによ。バカにしてるの?」

「いえ、けっしてそんなことは。―――ダリとサガも以前はああではなかったのですが……」

「……そうなの?」

「はい。ダリがおかしくなったのは、サガが女性だということを知ってしまったからです」

「―――そりゃ、驚くかもしれないけど、でもそれだけのことで?」

「ええ。サガは自分のことを女扱い、というよりも小さい人間、無力な人間として扱われることを嫌っています。細かくは省きますが、彼女は鬱屈とした過去から、小さい事、女であることは無力である事と繋がっていると認識していますから」

「―――なにそれ、馬鹿らしい」

「ええ。馬鹿みたいな考えですよ。しかし彼女はそう考えています。そしてだからこそ、今のダリはサガを怒らせてしまうのです。あれは目の前の現実をそのまま受け入れ、真正面から付き合おうとする、真面目すぎる人間ですからね。シンのように戦闘以外に興味がないと言って切り捨てることも、私のようにどっちつかずの態度でいることもできないのです。馬鹿正直と言っていい」

「―――ああ。だから」

「はい。ダリはもうサガのことを女として認識してしまいました。だからもう彼はサガのことを女としてしか認識できない。ダリにとって、サガはサガであるけれど、同時に女以外の何者でもないのです。まぁ、もう少し穏当にサガが女だとわかっていたなら、もっとマシだったのかもしれませんが、ダリがサガは女だと知った時、色々と強烈な出来事と一緒に起こりましたから、サガが女であるという事を強烈に認識してしまったのでしょうねぇ……」

「難儀ねぇ」

「ええ。ま、あの二人のいざこざは、ダリだけの責任とも言えませんけどね」

「そうなの?」

「サガの方はサガの方で、色々と溜め込んでいますから……。自分が苦しんでいるのに、その元凶のダリが平然としているのが気にくわないんでしょう。先程からのあれは、照れ隠しと羨望と好意に入り混じった、彼女なりのダリへの甘え方なんですよ」

「―――複雑なお年頃ねぇ」

「ここでシンがいればまた違ったのでしょうが―――」

「シン、というと、あなたのお仲間だったかしら。それはまたどうして?」

「私が考えるに、迷宮という存在に適性のある人間は2種類あると思っています」

「唐突に何よ」

「迷宮で難事と向き合った時、とことん攻める人間か、とことん拒絶する人間です。前者は攻撃タイプに多い人間です。自分の命を狙う敵がいて、同じように危険な罠があろうと、自らの力や知恵、直感でそれらを上回る力を発揮して、先に進もうとする人間です。私の近くだと、シンや、貴方やライシュッツというご老体もこの区切りに分類できるでしょう」

「……迷宮なんて未知の存在なんだから、怖くても勇気をもって足を前に踏み出さないと始まらないでしょう? 」

「はい。その通りです。それができる冒険者は大成する。難事を前にした時、それを無理と思うか、無茶と思うかの境界線で、とことん攻める人間は、無理側にあっさり一歩を踏み出して上回ってやろうと挑戦するのです。それが痛みを伴う選択肢であっても、たとえ掛け金が自らの命であっても、成功する可能性があれば、躊躇せずに突っ込み最高の結果を掴み取るための勝負を仕掛ける。だから、他の人よりも先んじることが出来る。ですがその勇気は迷宮という未知なる場所において、常に蛮勇となり得る。だからその分、彼らはいつだって死にやすいし、仲間を失いやすい」

「……その蛮勇でかつて仲間と別れる事になった私にとっては、耳の痛い言葉ね」

「ああ、すみません。別に責める意図はなかったのですが……」

「いいわ。今はこうして再会出来たわけだし。……それで、後者は?」

「はい。そして後者の極致がダリや、エミヤです。彼らは無理と無茶の選択肢が目の前に迫った時、はなから無理は選択肢に入らないのです。無理の先に最高の結果が待ち受けていようと、それが自分や誰かの身を傷つけるやり方であるなら、彼らはそれを拒絶します。彼らは自らに迫る脅威の中で、最大の脅威を拒絶する事で、その場において最善の結果を掴み取る人間なのです」

「つまり?」

「言うなれば、自らの理想で現実を凌駕しようとするのが攻めの極致の人間で、目の前の現実とすり合わせて自らの理想を可能な限り実現しようとするのが拒絶の極致の人間なのです。わかりにくければ、理想主義の極致と、現実主義の極致と言い変えてもいい」

「ああ、それなら理解しやすいわ。なんでわざわざ攻めとか拒絶とかにしたわけ?」

「いえ、理想主義とか現実主義というと、シンが現実を見ない人間であったり、ダリに理想がない人間のように思われるかもしれませんから」

「……それで? 」

「シンは現実を見て、その上で理想だけを目指します。その姿勢は、強烈で、周囲の全てを巻き込みます。ダリも例外ではありません。ダリはシンの理想に引きずられる形で自らの現実を拡張され、そして視野を無理やり広げられてきたのです。シンが無理を提案すると、ダリはなんとかシンの事を守ろうと、自分も可能な範囲で無茶を許容する。二人はある意味で比翼連理、つまりシンとダリは、異邦人というギルドの光と闇、本能と理性のような関係だったのです」

「ああ、なんとなく言わんとしてる事がわかったわ。あのサガって子も本能型で、本能型のシンとか言う男と相性がいいから、いればそっちにひっつくって事?」

「大まかには。しかし、シンは今、別件のため、ここにはいません。となると、あの二人は、否が応でも向き合わないといけなくなる」

「あなたはなにかしようとは思わないの?」

「私はバード、すなわち吟遊詩人ですから。物語を見て、登場人物のあれこれを語るのが役目です。客観的立場にあって然るべき人間が積極的に登場人物に関わるのは筋違い。そうは思いませんか?」

 

 

「随分と仲良くなったようだな」

「ええ。それはもう」

「おかえりなさい。お疲れ様」

「お疲れ様です」

 

轟々とうるさい川の音に遮られて内容こそ把握できなかったが、長々と話していたようなので茶化した言葉をかけると、それぞれから肯定の言葉と慰労の言葉がそれぞれから返ってくる。それらを受け取ると、私は一息つくべく、布の上に腰を落とした。ここにくるまでに精神的な疲労は、私の尻を勢いよく地面へと向かわせる。すると、崖の方面からガラガラガラッ、と雷の落ちるような音がした。それは崖下へと断続的に続いて、そして小さくなって消えてゆく。

 

「ああ、気にしないで頂戴。あれなら無害だから。ねぇ」

「はい、お嬢様」

「そうですねぇ……」

 

だが、アーテリンデ、ライシュッツ、そしてピエールまでもが腰を落としたまま動こうとしていない。私とサガは顔を見合わせると、尋ねる。

 

「なぜそう言い切れる?」

「朝になったらわかるわよ」

 

どうやらアーテリンデやライシュッツ、ピエールはこの現象の正体を知っているようだが、彼女たちは話そうとしなかった。強く尋ねれば多分教えて貰えたのだろうが、歴戦の強者である彼女たちがその音を聞いても平然としているあたり、害のないことなのだろうなと判断して私は聞くのをやめた。サガも同じ意見なのだろう、強く聞き出そうとする様子はなかった。

 

「どうぞ」

「あ、ああ。ありがとう」

「樹海茶葉を清廉な雪解け水でジャンピングさせました。お熱いのでお気をつけください。シュガービートはこちらの瓶からお好きなだけどうぞ」

「感謝する」

 

その後、ライシュッツは私に紅茶を振舞ってくれた。ピエールはすでにカップから紅茶を口にしていた。サガは籠手を外そうとしているため、私の後回しにされたようだった。そうして彼らが平気で飲むのを見ていたからだろう、私は無意識のうちに即座に湯気を立てるそのカップに口をつける。途端。

 

「ぁっつ! 」

 

唇に鋭い痛みが走った。カップから紅茶が溢れ、湯が金属の鎧にかかり、シュンと音を鳴らした。分厚い手袋を装着したままだったから気がつかなかったが、金属のカップは周囲の寒さに負けないようにとても温められていたらしい。彼らが平然と口をつけて飲んでいた事と私の目を曇らせたようだった。取っ手の部分が熱の伝導し難い木製であることに気がつかないとは情けない。ライシュッツの心遣いを無駄にしてしまったな、と即座にそんなことを思った。

 

「あー」

「おい、なにやってんだよ」

 

アーテリンデとサガの呆れ声が聞こえるが、それどころではない。唇が、じくじくと痛んでいる。上下の唇を食み合わせると、軽い水ぶくれの様なものが出来ていることを実感した。また、沸騰していた湯は口の中や外に飛沫し、口腔内や頬にまで軽く被害を出していた。私はその事実に少しばかり辟易する。

 

「熱い金属に直接触れるからそうなるのよ。こうやって……」

 

いうと、アーテリンデは熱湯入った金属製のカップから木製のソーサーに紅茶を移し替え、そこから湯気立つ液体を喉へと流し込んでいる。紅茶をソーサーに移してから飲む。それは相当古い歴史をもつ名家のお嬢さんくらいしかやらない飲み方だ。そういえば、シンジュクに残っていた過去の料理の資料で、紅茶のカップとソーサーが使用され始めた頃は、そんな飲み方が流行っていた、という文献を見た覚えがある。何もこんな手遅れの段階で思い出さなくてもよかろうに、と私は自らの頭の愚劣さに文句を言う。

 

「―――しないと、火傷するわよ」

 

ああ、身をもって知ったとも。だが私は、火傷を負ったのが自分の不注意によるものだったため、文句を言うことすら出来なかった。また、それどころではなかったと言うのもある。熱の不意打ちを受けた口は痛みを脳へと訴えていたのだ。パラディンというギルドの盾となる事を役目とする職業である私は、他人よりも痛みに耐性のある自負はあるが、だからこそ、痛みを受けると、黙りこくって痛みに耐えながら、自分や周囲の様子を観察する癖がある。そんないつもの習性に従って、私はじっくりと自分の痛む箇所を確かめる。

 

―――唇に数カ所……、と、口腔の上の方の皮が剥けたか……、外皮の方は……

 

痛いからといってそれをごちゃごちゃと周りに感情を訴えかける様では、元衛兵としても、パラディンとしても失格だ。そんな矜持があったからだろう、私は無言でまだ表面激しく揺れ動いている紅茶の入ったカップをソーサーに静かに戻すと、地面に置いて、そのまま唇を片手で覆い隠し、怪我の状態把握に力を注いだ。自分の痛みと真正面から向き合い、怪我の状態を把握するのは得意な作業のだ。決して威張れる特技ではないのだが。

 

「おい、見せてみろ」

 

そして傷の具合を確かめていると、私が何をやっているのか察したのだろう、籠手を外し終えたサガは、唇覆う私の腕をのけると外側に払い、籠手を外した手をぐいと私の顎に当てて、下に引っ張った。彼女の挙動で私は口を開かされる。するとサガはその小さな頭をこちらの鼻元のすぐ近くまで持ってきて、そのまま目を上下左右にゆっくりと動かした。こそばゆく、恥ずかしい。

 

それでも暗闇のなか、ランタンの明かりを背にした程度では怪我の具合がよくわからなかったのか、サガは指を私の唇に当てると、すーっと、撫ぜる様にして動かした。

 

「―――っ! 」

「あ、わり。痛かったか」

 

軽い火傷を負った部分にピリッとした痛みが走って、体が震えた。痛みに強く、耐えられとはいったものの、それは擦過傷や切創、打撲傷の様な外皮の怪我の痛みに慣れているから痩せ我慢が効くという意味であって、唇の様な敏感な部分の怪我に強いという意味ではない。表面に水ぶくれが出来た程度であっても話は別なのだ。私は思わずサガの手を振り払うと、痛みの走った部分含めた口全体を手で覆う。

 

「大丈夫だ。この程度なら自力でなんとかする」

 

表面のかすり傷を治す程度なら日常スキルで事足りる。私は早速、湯のかかった籠手を外して治療に取り掛かろうと思った。だが、唇の痛みが邪魔をしてうまく接合部を外すことができない。

 

「いや、俺がやった方が早い」

 

が、それよりも先にサガの素手が再び私の唇に当てられ、簡易的な治癒のスキルが発動する。彼女の指先から発したほのかな白い光が私の唇や頬を照らし、そして傷を癒していく。肉が盛り上がり、傷口が塞がってゆく感覚がなんともむず痒い。

 

「ほらな」

 

そういってサガは私の両頬に手を添えると、いつものような快活な笑顔を見せた。その笑顔は先ごろまで彼女が浮かべていた不機嫌とは程遠い、透明で、相手の怪我が治った事を喜ぶ感情が溢れている、とても気持ちのいいものだった。久方ぶりに見たサガの笑顔は、非常に魅力的だった。そしてそれ以上に、作業の邪魔だと邪魔な髪を後ろにまとめる様。作業によって蒸気をあげる肌。冷たい頬をしっとりとした汗に濡れた暖かな手が頬を撫でる感触。その全てがなんとも気持ちよくて、思わず見惚れてしまう。

 

呆然とその感触を享受していると、やがてサガは笑顔を最近良く見せる、元のしかめっ面に戻し始めた。私の視線や態度に含まれている成分はサガにとって非常に不快なものであったらしく、彼女は再び不機嫌な顔をすると、私から離れて私の頭を小突いた。

 

「だからそういうのをやめろっていってんだ!」

 

サガは肩を怒らせて私から離れていく。ああ、また自分の不肖でサガを怒らせてしまった。私は非常にいたたまれない気持ちになった。

 

「ねぇ、ピエール。貴方、あの二人、本当に大丈夫だと思う?」

「さぁ? 」

 

アーテリンデがピエールへと問いかける。ピエールは肩を竦めて意地悪い顔を浮かべ、答えた。

 

―――それは私が一番知りたいことだ

 

私は治った唇を摩りながら思った。あたりは相変わらず、川が崖下に落ちてゆく音が断続的にうるさく、また、時折それを上回る勢いで雷のなったような音が鳴る。だがそれらの煩さは、このモヤモヤとした思いから意識を逸らすのにうってつけで、私は耳朶打つ雑音に感謝した。

 

 

轟々と音が響いている。時たまそれに混じる雷撃のような音が違いとなって、自分は目を覚ました。あたりは真っ暗だ。見渡しても何も見えない。ただただ暗く広い空間が広がっている。何が起こっているのかわからない。とにかく状況を把握しようとして暗闇の中でも確かに存在している自分の体を眺めていると驚いた。見覚えのある上半身がいつもと変わらずにある中で、下半身は足元から変色し始めていてる。それは壊死という現象だった。

 

轟々と言う音が自分の体を侵食し、雷のような音の撃が体を崩してゆく。自分は足元から腐り落ち始めていた。それが恐ろしくて必死で目をそらした。目を瞑っていればこの悪夢も終わってくれるかもしれないと信じて、必死で目をそらして、思考を別の場所に置こうとした。

 

けれど意識を別の場所に移そうとするほど、逆に意識はその事を強く意識してしまう。その矛盾に耐えきれず再び足元へと目線をやると、壊死の範囲は膝まで近づいていることに気がついた。変色の減少に痛みが伴うことはなかった。だが、それが怖い。痛みのない死がそこまで迫っている。このまま放っておけば全身にまで腐蝕が回るのもそう遠くはないだろう。そうして脳まで、心まで腐り落ちてしまえば、もう二度とこの闇の世界から戻ってこれないという、そんな確信が私にはあった。

 

だから走った。そこから目をそらして必死に走った。走っていればその間は壊死が止まった気がした。心臓から全身に血液が循環するのを感じる。壊死した場所にも血が通い、そして自分は生きていると実感する事ができた。気がつくと壊死した足は元どおりに戻っていた。

 

足を止めようかとも思ったが、あの生きたまま腐ってゆく恐怖を感じるのはごめんだと思った。だから、歩いた。目的地はないが、とにかくただ体を動かし続けた。すると暗闇に異変が起こった。ただ一つの色で塗りつぶされていた闇に差異が生まれ、やがて光が現れた。

 

光は初めて優しいものだった。その月のような光に従って突き進むと、それはやがて目も眩む太陽のような光となって、私の体を包み込んだ。光は今まで暗闇の中で揺蕩っていた私にとってあまりにも強い刺激であり、ちりちりと肌を焼いていくものだった。このまま光に向かって進めば私は炎に包まれて死ぬのかもしれない。いや、確実にこの体は炎上し、骨どころかちりひとつ残さず消失してしまうことだろう。妄想じみた考えだったが、そんな確信があった。

 

だが私は躊躇うことなく光の方へと足を踏み出した。心が死んでいく恐怖に比べたら、肉体の痛みなんて軽いものだった。全身が焼かれ、炭化した肉が粉になって落ちていく。やがて魂まで燃え尽きるかもしれない。だが、この耳を劈く音以外に何もなかった空間で起こった、初めての変化が嬉しくて、そんな眩い光の中を必死になって凝視した。すると、光の中に誰かが佇んでいることに気が付いた。

 

あれは誰だ。疑問は体を突き動かす。体から肉が剥げていく。あれは誰だ。血が蒸発し、思考が単一化していく。轟々という音はもう聞こえない。あれは誰だ。それは巨人だった。この闇全てを覆い尽くしてなお余りある赤き巨人。あれは誰だ。あれは―――

 

 

 

「―――っ!」

 

そこで目が覚めた。稜線より登ってきた朝日が全身を包み込み、金属の鎧からは夜の間に溜め込まれた冷気が消え去っていた。なるほど、これの温度差が悪夢の原因か、と私は悟る。全身がうっすらと汗に濡れていた。足元では地響きが絶え間なく続き、耳を劈く川の音色も間断がない。

 

「おや、起きましたか」

「……ピエール」

 

見知った顔を見て、ようやく現実へと戻ってきたのだと安堵する。額の汗を拭って気を落ち着けると、周りに誰もいないことに気がついた。

 

「―――他の連中は?」

 

ピエールは無言で崖の方を指差した。指先に視線を送ると、少し離れた場所では、サガが地面に寝そべり、恐る恐る頭を突き出してを崖下を覗き込んでいた。位置的に昨日アーテリンデの指摘した場所を見ているのだろう。

 

そして昨晩、ギンヌンガ洞穴の具体的な場所を教えてくれたアーテリンデとライシュッツは、サガから少し離れた所で崖の下を覗き込んでは首を傾げて、真剣な表情で話し合っていた。おそらく距離と川の音が邪魔をして内容はわからない。本来ならばそれにこそ気を配るべきだったのだろうが、私の意識はやがて彼らの向こう、陽の光に慣れた瞳が捉えた向こう岸の光景に固定されていて、それができなかった。

 

「なるほど、これは―――」

 

陽光がギンヌンガガプの崖を照らした時、目の前に現れた光景に言葉を失った。天国へと続いている道、という表現が比喩でなかったことを知る。まるで巨人の手によって無造作に引き裂かれたかのような乱雑さで、大地には大穴が開いている。

 

この場所からでもわかるほど深い縦穴は、覗き込んでもその底が見えることは無い。ギンヌンガガプは、分厚い霧によって完全に底の景色を閉ざしていた。穴と霧は南、地平線の彼方まで続いている。グラズヘイムや、ハイラガードにある世界樹を呑み込んだとしてもなお縦横共に余りあるだろう、巨大な大地の裂け目。なるほど、これは確かに様々な伝承が生まれても不思議で無い、途方も無い光景だ。

 

大穴の淵である崖の部分は、四角いブロックを積み上げたような形に削られている。天然自然であるのに地形が一見規則的に見える形に削られる現象は、節理、というらしい。似たような岩壁の上に住んでいるハイラガード公国の住人が言っていたので間違いはなかろう。もっとも、彼も知っているのは名前だけで、現象がどのような条件によって起こるのかは知らなかったが。

 

私は立ち上がると、フラフラと崖の方に近づく。

 

「いやー、絶景ですねぇ」

「ピエール」

「ほら、あれが姿なき雷の正体らしいですよ」

 

そして雄大な景色を眺めていると、ピエールの指先が崖に向かって流れる川を指し示した。勢いが良すぎて濁り、白よりは灰色に近い色合いの川からは、時折氷塊が流れ落ちていっては、底見えぬ崖下に消えてゆく途中で崖の側面にぶつかり、砕けて散ってゆく。それが連続して怒る事で、ゴロゴロと、雷の音に似たものを奏でているのだ。

 

また、落下する川のうち、崖から飛び出して細かい少量の水飛沫となった雫たちは空中で凍りつき、キラキラとひかりを反射しながら落ちていく。それは砕けて崖の側面を転がり、叩いて落下してゆく。

 

「ギンヌンガの大穴は下の方が猛烈に寒くてね。だから水が凍りついて、途中でああなっちゃうのよ」

 

いつのまにか近寄ってきていたアーテリンデが横合いから話しかけてくる。先ほどまで昨日と変わらぬ姿だった彼女は、今ではファーでモコモコとしたコートを羽織っていた。暖かそうだ。しかし、昨晩ライシュッツの提案を拒んだ彼女が、どうして今更コートを着用したのか。

 

「痩せ我慢が効くような場所じゃないのよ。崖を降りるのに集中できなきゃ、下まで真っ逆さまだもの」

 

彼女は私が視線に含んでいた意味にもきちんと気付いたらしく、そんな事を言った。

 

「―――君たちも来るのか? 」

「もう目的はほとんど達成したんだけどね。ここまで来たんなら、貴方達の目当てだっていう剣を、一目見て帰りたいじゃない? 」

「……なるほど―――、ん?」

 

なんとも冒険者らしい答えだ。そしてふと、私は彼女が私が何も言っていないのに私の疑問を解消してくれたという事象そのものに対して軽く疑問を抱いた。

 

「なぁ、ピエール」

「何ですか、ダリ」

「私はそんなにわかりやすいか?」

 

問いかけると、ピエールは一瞬、やつにしては珍しく間の抜けた顔を晒して、そして吹き出して、声なき声をあげながら腹を抱えて思い切り笑った。それは嘘偽りない、心底、腹の底か出てきたものだと私は感じた。

 

「何を今更。あなた、うちのギルドどころか、おそらく私が出会った全ての生物の中で、最も、一番わかりやすい性格をしてますよ」

 

そして喜色の涙を目に浮かべながらピエールが返してきた答えは、私にひどく憮然とした思いを抱かせた。

 

 

ギンヌンガガプ。深い底が霧で隠された巨大な大穴。その壁面、まるで人が切り出したかのように直方体の岩が立ち並ぶ崖をよく観察してやると、まさに人が刻みつけたかのような精緻な図形が並ぶ事に気が付ける。誰が書いたのだろうか。まさか噂の翼人とやらがここに刻みつけたのだろうか、とも推測したが、どうせ考えたところでわからないので、一旦置いておく。

 

そんな岩の画布に囲まれた空間の中、ぽっかりと開いたギンヌンガの洞穴こそが、今回我々が目的地であり、その最奥にあるという剣を持ち帰るのが、今回の私たちがギルガメッシュより課せられた役割だ。

 

絶壁とも言えるような崖の壁面を掘り抜いたその洞穴には、ご丁寧な事に階段と人一人程度なら支えてくれそうな取っ掛かりが横に十メートル程度、崖の壁面に沿って出っ張っている。私たちは洞穴から少し離れたその出っ張りの上に縄を垂らすと、ジグザグと邪魔をする直方体の出っ張りを足場として、洞穴前の出っ張った空間に身を落としていく事とした。

 

まず重量のある私が先陣を切り、道を確保する。崖上の地面に数点杭を打ち込んで縄の支えとすると、それを掴んで下半身を崖の下に投げ出す。滑らないよう専用の手袋はめた手でしっかり握りしめると、体を全て崖の向こうに放り出す。崖の壁面の岩質は硬いが、鎧の脚で蹴ってやれば穴が開く程度には脆い。下を見れば底の見えない目の大穴は深く、万が一でも落ちれば帰ってこられない予感がひしひしとする。

 

様々な余計が湧き出てくる前に意を決すると、少しずつ体を洞穴前の出っ張りの方へと近づけてゆく。どんな作業でも一番手間取るのは最初の取り掛かりだというのは変わらない。一番の山場を超えた私が作業を繰り返すと、六十メートル程度下の距離はすぐに詰める事ができて、私の体は崖の出っ張りへと到達する。その後には、アーテリンデが続づき、ピエール、ライシュッツと続いた。

 

やがてギルド内において最も小さな彼女の順番となった。他の仲間は崖の出っ張りの狭い路を通ってすでに洞穴の階段にまで避難している。水と風の音を搔い潜って聞こえてくる人の声の残滓が、彼らが談笑を繰り広げている事を教えてくれる。何の話題で盛り上がっているのだろうか、と、そんなことを思った時、突然吹いた強風が、目の前の縄を強く揺さぶった。縄を掴んだ手と崖の隙間に突っ込んだ手が振動で揺さぶられる。

 

「大丈夫か?」

 

見上げると、同時に、思わずそんな言葉が出た。職業病というか、もはやこれは私の癖のようなものだ。視線の先では体重の軽い彼女が風に揺さぶられて、左右にゆらゆらと揺れている。サガは何も言わず私の援護を受けると、スルスルと縄を辿って崖を降ってくる。

 

そうして無事に狭い隙間の大地に降り立った彼女は腹にくっつけていた縄を取り外すと、こちらを見上げてジロリとした視線を向けて来た。さて、また叱咤されるのだろうかと覚悟を決めるも、彼女は一向に動こうとしなかった。

 

「おい、いつまでぼけっとしてんだ。お前が進まないと俺もこの場所から動けないだろ」

「―――ああ、そうだったな。すまない」

 

踵を返して洞穴の方面へと向かおうとする。

 

「おい」

 

すると背後から声が聞こえた。

 

「ありがとう。助かった」

「どういたしまして」

 

返事をすると前へと進む。安堵の気持ちが湧いた。どうやらこの度の発言は彼女を怒らせなくて済んだらしい。

 

 

ギンヌンガB1F「果てしなき希望の果て」

 

 

洞穴内部はひどく静かだった。外の壁面や、明らかに人の手によって整えられた階段を見た時点で予測はついていたが、内部は天然の洞穴でなく人口の遺跡だった。木の根を切り開いて作られた階段、先にある四角い部屋には三方に窓があり、左右の端に鉄の扉がひっついている。排水を兼ねているのか、部屋の四隅は水路になっていた。そのせいか、部屋の中の湿度は思ったほど高くない。上に川があるので危惧していたが、ランタンもきちんと火が灯る。

 

「洞穴の中にしちゃ、随分と明るいが―――風も通っているようだな」

 

やがて私は唯一窓のない壁側にある隙間からは入り口に向かって風が吹いていることに気がつく。洞穴に潜る際、風が吹いているということは、少なくともその通路は何処か外へと繋がっている可能性が高い。一旦はその導きに従い、一旦は閉じられた鉄の扉を無視して屈んで奥へ進むと、すぐさま、明るい光が瞼を叩いた。

 

「―――おい、見ろ。遺跡だ」

 

先ほどまで火を灯したランタンがもう必要なくなった。割れ目から出てきたサガが手を広げて周囲のあちこちを指差す。木の根の絡まったような紋様の刻まれた柱が等間隔に並び、天井にも柱と似た図柄の模様がやはり等間隔で刻まれている。壁よりすぐ出て右手側には鉄の扉がはめ込まれており、左手側には木材と鎖で作られた釣り上げ橋が降りていて、その先にはやはり鉄の扉があった。

 

「うーん、まさかすぐさま太陽の光と再会できるとは思いませんでしたねぇ」

 

ピエールは壁の割れ目から出てくると、呑気に背伸びすると、切り出した石組みの地面をコツコツと踵で叩きながらまっすぐ進んだ。

 

「―――床に切れ目があります。しかも体重をかけると微かに浮き沈みする。どうやらこれはせり上がった仕掛け床のようですね」

「お、おい、ピエール」

 

奴は言うと、そのまま数度地面の上を飛び跳ねるように進んでゆく。慌てて追いかけると、ピエールの言っていた通り道はたしかに仕掛けの施された床のようで、私の鎧含めた重さでピエールの時より少し多めに下へと沈むが、問題なく進める程度だ。

 

仕掛け床の下は貯水池となっていた。上を見れば、苔むした遺跡の裸窓が並び、その上には地面も木々も見えないで、雲と太陽ばかりが揃っている。どうやらこの遺跡の一階部分は地面の上に突き出ているようだった。

 

ふと思うことがあって地図と指針を取り出して方向を見ると、この遺跡は自分が通ってきた場所のすぐ近くであったことに気が付ける。と言うよりも、太陽と影の位置から現在の大まかな場所を算出すると、ここはどう考えても、ハイラガードからここにくるまでの間に見える位置であり、私が気づかないはずがないような高度にある場所だった。

 

―――なぜ私は気がつかなかった?

 

気がつかない。気が付けない。見えるが、認識できない。二つの言葉が結びついた事象を私はどこかで聞いている。―――あれは確か、グラズヘイムだ。たしか、エミヤとギルガメッシュは、“認識阻害の魔術”だとか言っていた記憶がある。

 

そこでなるほど、と理解した。この遺跡にもまた、その認識阻害とやらの魔術がかけられているのだ。だからこそ気づくことができなかった。いや、気がついていたが、積極的に視界から外していたのだ。そして、だからこそギルガメッシュは詳しく語らなかった。おそらく、グラズヘイムの時と同じように、覚えたところで大したことない、忘れるような魔術もかけられているに違いない。

 

「ダリ、どうした、地図なんか出しちゃって」

「―――! ……サガか。いや、なんでもない」

「そっか。ピエールを追ってアーテリンデとライシュッツも先に行った。奥に階段があるってよ。ギルガメッシュは最奥地といってたし、まずはそこから探索しようぜ」

 

どうやらサガは道の真ん中で地図を持って突っ立っている私を心配して戻って来てくれていたらしい。

 

「わかった。ありがとう」

「ん」

 

サガは振り向くと、ちょこちょことミカの切れ目を避けながら飛び跳ねていく。どうやら彼女は謎の遺跡を前にして、機嫌をよくした様だった。流石は冒険者、流石は未知の遺跡、と言ったところか。私は遺跡に感謝の念を送りつつ、サガの後を少し大股で追いかけた。

 

 

ギンヌンガB2F「逆さまの怪異」

 

 

洞穴の中、階段を降りてゆくと、当然陽の光は失せてゆく。ここは世界樹の迷宮ではないのだ。あの地上と明暗が連動する不思議な仕組みがなくて当然。つまり―――

 

「サガ」

「あ、そっか、―――ほれ」

「ありがとう」

 

先ほど不必要の烙印を押されたランタンを受け取ると、再び火を灯す。炎は少しばかり不機嫌そうに揺らいで、あたりをぼんやりと照らしあげた。それを前に差し出して階段を一歩ずつおりてゆく。階段は予想よりもはるかに短く、一分としないうちに私たちは次の領域に辿り着くことが出来た。

 

「暗くてよく見えないが―――」

 

そして足を踏み入れた部屋はこの遺跡の地下一階と同じような構造だった。天井は高く、隅には排水溝があり、そして壁には鉄格子の窓のようなものがあり、そして。

 

「今度は二股か」

 

階段を背に、右手側には木と鎖で作られた橋の通路がある。また、正面にはいずこかへと続いている通路への連絡通路と思しきものもあった。

 

「さて、どうする?」

「右にしよう」

「まっすぐがいいんじゃないですか? 」

「―――右手側、降りた吊り上げ橋の方が仕掛けの解かれた感じがする」

「―――と言うことは、正面の通路を行けば、少なくともその仕掛けがあった場所までは続いていると言うことですよねぇ」

 

サガとピエール暗闇の中で目線をぶつけあわせて火花を飛ばしあっている。と言うよりもサガが一方的にピエール向けて鋭い眼光をぶつけている。さて、こう言う場合、シンがいればパッと一刀両断で決めてくれたのだが、今奴はいない。助けを求める意味でもアーテリンデの方を向くと、彼女は静かに微笑んだまま、首を横に振った。どうやら完全に舵取りを私たちに任せるつもりのようだった。見ればこの状況を楽しんでいる節もある。

 

さて、どうするか―――

 

右か、正面か。

 

「ん?」

 

そのどちらに進むべきかと二つを見比べ、しかし判断材料に乏しいため、困って視線を逸らすと、左側の壁の中央、ちょうど天秤―――樹木か?―――の様な意匠が刻まれた部分に亀裂がはいっていることに気がついた。

 

「ダリ? 」

 

地下一階の時も瓦礫の隙間こそが正しい選択肢であった。もしやと思って近づき調べると、予想通り、それは人一人くらいなら余裕で通れるだけの穴であることに気がつく。

 

「―――ここも風が通っているな」

「どれ……、おぉ、ほんとだ」

「右でも正面でもなく、左を選ぶとは、貴方もなかなか捻くれていますねぇ」

 

調べると、サガとピエールはいつのまにか後ろまでやって来ていて、そんな事を言い出した。

 

「あ、いや、私は―――」

「ま、俺とピエールで無駄に争うよりはましか」

「争っちゃいませんが、ダリの直感に従うのも面白い。滅多にありませんからねぇ」

 

言うと二人はわたしからランタンを奪い取って、さっさと穴の中へと消えていく。振り返ると、アーテリンデとライシュッツが気の毒そうな視線をこちらへと向けていた。

 

「貴方もなかなか苦労人ねぇ」

 

―――よく言われるよ

 

 

「で、なんだこりゃ」

「『謎の隠し通路を進んだ先にあったのは、天井から地面までぶら下がる四つの鎖。その下方、地面すれすれの位置には四つの鉄杭が浮く様にはめ込まれており、鉄杭は上から牙を伸ばして、空中に浮かぶ発光する紋章と謎の文字が刻まれた板を支えているのだ』、と言ったところですかね。お話にするなら、もう少し語り方があるでしょうが―――」

 

私からランタンの光を奪って先行した二人を追いかけて穴を抜けると、広い部屋の中央、仄かに赤く発光する物体の前で二人は首を傾げていた。体についた埃を軽く払い、さてなんだろうと彼らに近づく。

 

「どうした? 」

「あ、ダリ。これ、なんだろ思う?」

「さて」

 

見ると、四つの鎖の中心、鎖に囲まれた空間の中央に位置する鉄の板の前には紋章が浮かび、その前にはなんらかの文字が刻まれている様に見える。文字を見た瞬間脳裏に閃くものがあった。

 

―――これは

 

その一文字はわたしの脳を刺激して、意識を遠ざけた。

 

「ハイラガード地方の文字の“N”にしちゃ、左右反転してるし―――」

「古代文字の“η”に近いですが、左上の部分がちょっと削れていて、形が違いますね」

「―――オーディンがその威力を恐れ、隠した、二つのルーン文字のうちの一つ……」

 

その言葉は私の口をついて、勝手に出てきたものだった。

 

「え? 」

「あまりに強力すぎるため、彼はこの文字の位置を少しずつずらして、ヘイルダムのルーン、エイワズ/eihwazとソウェイル/soweluに分断した。エイワズはイチイの木、破壊と再生の証、永遠、断絶を意味しており、ソウェイルは太陽と完全性という意味を持っている」

 

知らない。そんな知識を私は持っていないはずだ。だが、言葉が口から出た途端、まるでそれらは元から私の中にあったものであるかの様に脳裏に刻まれ、そして、違和感なく収まるのだ。

 

「―――ダリ?」

「分けた二つにおいても強力なそれは、もちろん本来の意味と読み方を持って文字を読んでやれば、強大な力を発揮する。それは世界の全てを生んだ二つの要素のうちの一つ。そしてそれは同時に世界を滅ぼす力でもある。だがそれは当然だ。そもそもそれは、世界樹や太陽が産みだされるよりも前、世界が生まれるよりも先に、ギンヌンガの端にあった力なのだ」

 

その神話において、文字とは力そのものだった。だからこそ、人々は文字で歴史を残さず、言葉で語り継いだ。しかし皮肉な事に文字は秘匿される事でその神秘性を高め、より強い威力を秘めたものとなった。

 

目の前の文字はその中でも、さらに秘奥の存在だ。秘されたきた文字の中にさらに分断されて隠された存在。唯一無二の力を持つそれは、位置をずらした二つの文字と似通っており、だからこそ、それらの意味にて使用したと勘違いされやすい、秘密文字。フレイヤでなく、ヘイルダムでなく、テイワズでもない、四種類目に属する文字。

 

「―――大丈夫ですか? ダリ、貴方ちょっといつもと様子が……」

 

サガとピエールの言葉が遠い。彼らのいくつも重なった言葉よりも、たった一つで多数の意味を持つ“文字”が頭の中に浮かんでくる。これは―――

 

「文字の意味は火山、炎、全ての始まりと、そして終わり。文字の読みは―――」

「ちょっと、貴方達! 」

「お、おわっ!」

 

私の挙動と声を遮るほどの音声を発したのはアーテリンデだった。びっくりしたサガが私にもたれかかってくる。文字に集中していて力を抜いていた私は、押されて板の方へと倒れこむ。

 

「少しは落ち着きを―――」

「お嬢様、いけません! 」

 

穴の奥からライシュッツがアーテリンデに対して注意を発するのと、わたしが文字に触れるのは同時だった。やがてわたしが文字に触れた瞬間、文字はさらに強く赤く煌々と発光して近くの私たちを三人を包み込み、そして―――

 

 

「彼らは?」

「光の中に消えました。―――、置いていかれましたな」

 

アーテリンデはかぶりを振ると、杖剣の柄の部分で大きく床を叩いて、額に手を当て、床を叩くよりも大きく響くため息を吐いた。

 

「まさか、施設の仕掛けが動くなんてね」

「あの方達に言われて見張りについたのは正解でしたが、とんだ誤算でしたな」

 

ライシュッツの言葉にアーテリンデは、瞼を閉じると、しばし沈黙する。

 

「―――それで、どういたしますかな?」

 

やがて自らの主人が再び瞼を開いた時、ライシュッツは行儀よく尋ねた。

 

「一度、ハイラガードに戻りましょう。あの子や彼らと合流した方がいいわ」

「では」

 

アーテリンデは頷く。

 

「ええ。ギルド「ラタトクス」と合流しましょう。ここの最後の管理者であり、ファーフニールの騎士フレイとベルトラン。彼らのパートナーであるアリアンナとヴィオレッタに知らせないと」

「ハイラガード公国の世界樹の迷宮を最初に制したギルドのお手並み拝見、と言ったところですかな」

 

 

ギンヌンガB3F「偽りに見えざる殺意」

ギンヌンガB4F「悪しき力の血脈」

ギンヌンガB5F「人の手がまだ触れない座」

 

 

「―――っ、つぅー、ぃっててててて」

「て、転移……ですかね」

「その様だな……」

 

気がつくと私たちは見知らぬ部屋にいた。おそらく洞穴の奥、ギンヌンガ洞穴の結構な下層部に転移させられたのだろうことは体が軽くなった事から理解したが、その割には空気が澄んでいて先ほどの地上付近よりも清澄であるのが不思議だった。

 

「ぅうん、しっかし、眩しいな、これ。どうなってんだ?」

「肌を焼く様な光でないのは確かですが、しかし、眩しすぎる」

「―――?」

 

たしかに部屋の床は、先ほどの鉄板とは比べ物にならないほど真っ赤に、そして不規則に輝いている。あまりの眩しさに目を開けていることすら辛い。―――はずなのだが、不思議と私の視界は遮られることがなく、部屋の隅々までを見渡せることに気がついた。

 

逆三角形型、その一辺が少し縦に伸びた、角笛の形に近い形状の部屋は、奥に行くにつれてゆるなかな坂になっている。坂となっている部分は瓦礫が積もっていた。おそらく元は石畳だったのだ。地面には崩壊した、というか、岩が融解して蒸発した後が残っており、壁の一面は大小様々な傷が付いている。圧壊、斬跡、粉砕、蒸発となんでもありだ。部屋の隅の方では、歪んだ鉄の扉がもの悲しそうに佇んでいた。

 

「ったく、ようやく目が慣れてきた」

「それでもまだチカチカしますがねぇ」

「サガ。ピエール。無事な様だな」

 

目をこすりながらも立ち上がったのを見計らって声をかける。すると二人はコクリと静かに首肯して、そして慣れたと言っていた二つの目で、ゆっくりと周囲を見渡した。体が周囲に適応した事で、ようやくここがどこであるか考える余裕が生まれたのだろう。

 

「―――すげぇ戦闘の後。余程強力な魔物がド派手に暴れたんだなぁ」

「魔物の残した傷もさることながら、冒険者の戦闘の痕跡も凄まじいですねぇ。部屋をいくつかぶち壊しながらも対抗して、拮抗して、そして上回った―――」

 

ピエールが指差した方向には、巨大生物の骨が残っていた。黒々とした外骨格はそのままに、いくつかの細々とした骨が散らばり、双頭の化け物だったのだろうか、二つの頭骨が並んで倒れている。

 

「―――って、ん? あそこ、化け物の死体の中になんかねぇか?」

 

サガは、地面からの光を遮るためだろう、瞼の下、鼻上あたりで両手を遮蔽板がわりにして、目を凝らした。私もそちらを向くと、化け物の死体、二つの頭骨の中心に、煌々と赤く輝く何かが刺さっているのが見えた。

 

―――あれは

 

「―――どうやら、依頼を達成できそうですね。ギルガメッシュの言っていた剣とやらの特徴と一致します」

「まじか! よっしゃ!」

「あ、おい、待て」

 

ピエールが満足げに頷き、サガは駆け出した。どうも様子がおかしい。ここの洞窟に来てからというもの、どうも彼らの行動は冒険者として不用心だ。―――だと思うのだが、同時にこの空間に魔物などいるはずがないと確信している私もいる。

 

「んぬっ! ……、おい、これ抜けねぇぞ」

「どれ……、―――っ! ……、ああ、これはたしかに無理だ」

 

そして私が二人に遅れて部屋の中心に辿り着くと、二人は剣を引き抜こうと踏ん張り、そして諦めた直後だった。

 

「あ、ダリ。前言撤回、こりゃ無理だ。まるで地面とくっついてるみたいに、うごかねぇ」

「どうもスキルで地面と一体化、固定化している様なかんじがします。どうしますか、ダリ。地面ごとくり抜いてもって行きますか? 」

 

自分たちでは抜けないと悟った二人はそれぞれの意見を飛ばしてくる。剣は普通の両刃剣。この手の剣にしては珍しく、炎の波が如き刃紋が刻まれている。その柄はいかなる意図なのか、黒い布がぐるぐると巻きつけてある。余程柄の部分が滑るのか、あるいは刀身が重いから固定したかったのか。

 

とりあえず物は試しと私もその剣の柄を右手に握りしめると思い切り引っ張り―――

 

「―――抜けたが」

 

そしてかかる負荷を予測して力を込めた右腕は、スポンと抜けた剣の重みと腕の勢いに振り回されて、空中に円の軌跡を描いた後、私の背後の地面を突いた。同時に、空間を満たしていた赤い光は消え失せ、代わりに仄かな青い光が地面から発せられ、そして、空間を満たしていた清澄な空気が消え失せ、それとは逆に、握った柄からは暖かさが体の中へと浸透してくる。

 

「えぇ……、と」

「おい、まじか! やるな、ダリ! ―――うぉっ!」

 

ピエールは珍しく言葉を失い、サガが飛び跳ねて喜ぶ。同時に洞穴内に轟音が響き渡った。音はそれまで断続的に続いていた流れ落ちる川が地面を揺らす振動や音とはまた別の、異なったものだった。

 

「な、なんだぁ!?」

 

さらに、音とは別に六感がピリピリとしたものを感じ取っている。この気配、覚えがある。これは迷宮に潜った時独特の、悪意を発する誰かが周囲にいる気配。それも番人戦なども強敵を前にした時に飲み感じる、強烈なやつだ。

 

「……、わかりませんが気配もさることながら、振動は断続的で、破壊的で、そして近づいている。さっさと脱出した方が良さそうですね」

「同感だ。今、エトリアの方へ向かう糸の用意を―――、っ!」

 

途端、炸裂。思わず耳を覆う。私の背後、自分たちのやってきた方面から、重い土砂を吹き飛ばした時に聞こえる、独特の音程の重低音が鳴り響いた。砂煙が舞い、空気に運ばれて低地であるこちらへと漂ってくる。即座にその場の全員が戦闘態勢へと移行する。私も盾を手にして部屋の入り口を見つけた。百メートルは先にある入り口には、ピエールの言う通り、何者かの影があった。

 

「敵か!?」

「まずい、この距離だと、倒さないと糸が使えない……! 部屋の奥へ―――」

「いや、少し待て……、誰かいる―――、砂塵の中に人影が……」

 

そして砂塵の中に青い光に照らし出されたのそれは、熊のような大男の影だった。

 

「―――な」

「あれは―――」

 

やがて晴れてゆく砂煙の中、私は、そのでっぷりとした大柄な影に見覚えがあった。それにつれて明らかになる膨れ顔や樽体系、禿頭を見間違えるはずもない。サガとピエールもそれゆえの驚愕なのだ。彼は杖を片手についた状態で左右にフラフラと身を揺さぶりながら進んでくる。今にも転げてしまいそうな気配だ。なぜなら―――

 

「ヘイ!? 」

「おまえ、どうしてこんなところに!? 」

「―――」

 

ヘイは何も言わないまま坂をコツコツと杖で叩きながら、フラフラと近寄ってくる。その足取りは怪しく、彼は意識が朦朧としているのだろう事を告げている。巨体はいつ崩れ落ちてもおかしくない様だった。

 

「お、おいなんとか言えよ」

 

サガが慌てて近寄ろうとする。

 

「とりあえず彼を回収してエトリアに帰ろう。話はその後で―――」

「待ちなさい! 」

 

私が同じくヘイに近付こうとすると、ピエールが大声をだしてそれを引き止めた。私はエトリア行きの糸を取り出したままの姿勢で固まる。ピエールの片手はサガの肩を強く握りしめてヘイに彼女が近づこうとする彼女をその場に強く留めていた。

 

「お、おい、ピエール何を―――」

「考えてもご覧なさい。なぜYHVHに連れ去られたヘイがこんなところに―――」

 

サガの言葉を遮りピエールが何かを言いかけた途端、部屋の入り口から破壊の音が聞こえて来た。視線をヘイから奥の方へ向けると、そこには赤い鎧兜と槍盾を身につけたパラディンのような姿をした人間が群れを成していた。―――いや、よく見ると、その背には、翼が生えている。なるほど、あれがハイラガードの彼らが言っていた翼人か、と私は理解した。

 

そうしている間に、奴らは槍を前に構えた。すると前方の空間に何か光の球の様なものが大量に現れる。それは前方の暗闇を全て塗りつぶすかのような、白い光だった。翼人どもの目の前には、数千もの白い光の球が浮かんでいた。それは見たことのないスキルだったが、それが生み出された目的は、奴らの放つ剣呑な気配から、鈍感な私であってもわかるほどはっきりと読み取る事が出来た。

 

破壊。

 

そう、その球の群れは、私たちを破壊して、殺傷せしめる為に生み出されたのだ。

 

「―――いかん! 」

 

部屋の青い光を遥かに凌駕する白い光に照らされて、光の一部を覆い隠す影となっているヘイの姿はよく目立っていた。いつのまにかヘイは左腕をこちらへと伸ばしている。光はさらに、ヘイの閉じられた瞼の両側から血が流れ、盲目になっていることを露わにする。

 

彼は視力を失い、意識は朦朧としていても、知り合いの私たちの声を聞いて助けを求めてたに違いないのだ。ヘイは右腕に握った杖でフラフラの体を支えながら、そして前に伸ばした左腕をさらに前に動かした。行動は刺激となったのか、翼人達の前にある光の球が蠢く。直感的に発射の直前だと認識した。

 

「ヘイ! 」

 

叫ぶと同時に私は糸を投げ出し、盾を構え、飛び出していた。慌てていたためかもう片方の手に握っていたのは引き抜いたばかりの剣だった。どうやら盾を構えた際、自然と槍ではなく剣を握ってしまっていた様だった。右手に剣。左手に盾。慣れぬ装備だが仕方あるまい。

 

「ダリ! 」

 

背後からはピエールの声が聞こえた。彼の声には私に警戒と忠告をするような意志の成分が含まれていたが、私はそれを完全に無視した。

 

ギルド一同、長い事世話になってきたヘイがそこにいる。エトリアの住人がそこにる。ならばパラディンとして、元衛兵として、ヘイの友人として、彼を助けないわけにはいかない。それにシンの時のように自身の無力さを味わうのはごめんだった。初めこそ自らの弱さを覆い隠すための欺瞞であったとしても、長年連れ添えば誇りや矜持のごとくなるらしく、そんな自分の騙す為だった、しかし自分の拠り所となった思いは、私を突き動かしていた。

 

『アローレイン』

 

やがて翼人達の口から声が漏れた。途端、光は弾けて私たちの方へと迫り来る。私は生きていた中で一番の速度で私とヘイとの距離を零にすると、彼を自分の後ろへと追いやり、盾を前方に構え、そして力を込めてそのスキルの名を叫んだ。

 

「完全防御!」

 

光の粒子が前方の空間を覆い尽くす。直後、粒子に別種の殺意伴った光が着弾し、光は散乱する暴虐な嵐となって前方の空間を埋め尽くした。光の濁流はとめどなく押し寄せ、私の守りを突き破らんと、粒子の隙間に体を捩じ込もうとする。

 

―――だが緩い!

 

この程度ではこの守りは貫けない。完全防御の範囲外を通過した光の球の行方を追えば、たしかに当たれば地面を砕く程の威力を秘めていた。だが、派手さの割に一発一発は思っていたほどの威力ではない。これならば三層の番犬が最後に見せた一撃の方がよほど重かった。この程度で完全防御は破れない。

 

「待ってろ、ヘイ! これを凌いだら一旦エトリアに―――」

 

考えている間に目の前の光の勢いは弱まっていく。当然だ。パラディンのフォーススキル完全防御はどのような攻撃であっても、一定時間ならば、完全な守りを約束するのだ。それをこの程度の―――

 

「ダリ」

 

突然聞こえたヘイの声に軽く驚く。

 

「俺らはお前のそいつを待っていた。『兄神殺した終焉導きし矢/ミスティルティン』」

 

はっきりとした言葉の後、直後、やってきた感触は軽いものだった。

 

「え?」

 

気がつくと目の前にあった光の粒子は、何処かより下向きに生えた枝へと道を譲っていた。フォーススキルが破られると言う初めての経験は、私の思考を混乱の渦中に叩き込んだ。

 

「か、完全防御が―――」

 

防御がなくなれば、当然攻撃が飛び込んでくるはずだ。しかしそうして枝に分断されたはずの場所から、光の散弾が入り込んでくることがなかった。二つに割れた粒子の向こうにあった光の奔流はいつの間にやら空気の中へと溶け込んでいたらしく、目の前には闇が広がっている。

 

「な、な……、に……が―――」

 

疑問が自然と頭を動かしていた。枝の先を追うと、それはまるで寄生しているかのように、見覚えのある金属の鎧から生えていた。聖騎士の鎧を突き抜けて左脇腹から生えた枝の節々には、緑の青々とした葉っぱが萌えている。体の前面に生温いドロドロとした触感。同時に熱い感触が広がった。自覚すると、じくりと胸が痛んだ。痛みは背中から中心、前方にかけてまでじくじくと広がっていく。

 

「ダリよう」

 

背中からヘイの声が聞こえた。その声はなんとも平坦で、感情を失っているような響きをしていた。同時に盾が左腕から抜け落ちた。だらんと垂れ下がった、右手に装着していた剣を杖代わりになんとか体を支える。

 

「シンがいうにはなぁ。この世界樹の世界は、名前が絶対の効力を発揮するんだと言ってたんだよ。ダリよう、いや、バルドル/baldrよう。この枝はなぁ。若ヤドリギを加工して作ったやつなんだ。シンがいうには、若ヤドリギは、異邦人というギルドの、光/balを周囲に纏った完全防御状態のダリ/d rのフォーススキルだけは絶対に貫くっていうんだよ。ダリのそばにいる女の名前は、サガ。サガは、バルドルの母のフレッグで、あるいはその妻のナンナだから、ダリは絶対にバルドルで、盲目となった上でバルドルからのアルジズ/algiz、つまり友情/Zを得たヘイはヘズとなり、ヘズの若ヤドリギ/ミスティルティンはバルドルの完全防御を絶対に貫くんだと。この世界に生きるものは、誰であれ、名や歴史の運命に逆らえない。なんでもそれが昔からの運命らしいんだよなぁ。この世界では昔それを“概念”と呼んで、俺のミスティルティンみたいな武装を“概念武装”って言ったらしいんだよ」

「―――」

 

ヘイは淡々と語っている。その内容は私にとってほとんど理解不能だったが、ただ一つ、この私の胸を貫通するミスティルティンとかいう枝を差し出して、私を背中から刺したのがヘイだという事実だけは、はっきりと理解することができた。

 

「俺だって知り合いで友達のお前を殺したくはなかったんだけどよぅ。シンが俺/ヘズがお前/バルドルを殺して燃やさないと、この世界の終わりが始まらないっていうんだから仕方ないよなぁ。俺ぁ、俺だけを必要だと言ってくれるシンの期待を裏切れねぇからよう」

 

ヘイは相変わらずよくわからないことを呟いている。胸を貫いている枝は私の命を吸い取って成長するかのごとく青々とした緑に萌えている。やがて緑と茶色の枝はじわりじわりと血に染まってゆく。ポタリ、と血が地面を打つ音が聞こえた時、生命が抜け出ていくのを実感した。

 

 

バルドルの死

 

 

 

「ダ、ダリィィィィィィ! 」

 

背後からサガの叫び声が聞こえる。掠れるほどの声量で響く甲高い声には、なるほど、煩いくらいに感情がこもっている。よくもまぁこの耳に響く高音が混じる声を私はずっと男のそれだと勘違いできたな、と場違いながらに思う。

 

「相変わらずうるせぇなぁ」

「―――っ」

 

サガの悲鳴を聞いてヘイが動いた。ヘイの声はひどく億劫そうで、同時にサガのことをひどく鬱陶しいと感じていることがわかる口調だった。ぐずりと胸の傷が揺れて痛む。

 

「パワー共。もう一度やれ」

 

同時にぼやけた視界の先、翼人達が再び光の球を作り出しているのが見えた。なるほど、ヘイのあれは助けを求めるものでなく、攻撃の指令だったのか。そんな勘違いをしていた自分の愚かさに自嘲する。つくづく私は人の気持ちというものを解することが出来ないらしい。

 

「ひ、光が」

 

サガの弱々しい声が背後から聞こえてくる。サガは窮地に陥ると、焦燥状態か弱気になる。なるほど、光弾の群れはたしかに完全防御をもつ私以外では防げないだろうものだった。逆に言えば、私の完全防御なら防げるのだ。そう。私の完全防御だけが、この場の彼らを救うことが出来るのだ。

 

「―――」

 

胸がざわつく。興奮は出血を促進させる材料となった。騎士の鎧に空いた穴から血が噴出した。ミスティルティンから垂れる血の量が増す。命の砂時計の落ちる勢いが増した。が知ったことではない。心臓を貫いてもはや助からない傷だ。いや、このミスティルティンで貫かれた時点で、私はもう助からない。多分、ヘイの言っていた概念がどうとか言う理屈によりものなのだろう、バルドルと呼ばれた私はそれを当然の事実であると認識していた。

 

―――だが知ったことではない!

 

理屈ではなく、本能が叫んでいる。仲間を生かすために命を使いきれと身体中が叫んでいた。我ながら、らしくもない本能全開の行為に、私は思わずシンのことを思い出した。目の前に迫っている死というものが、目の前の障害全てと真正面から相対する彼のことを思い出させてくれたのは、私にとって僥倖だった。滾る血潮は頭に巡り、死の間際、熱くなる頭はこのような私自身の死でさえも、もはや覆せぬ事実と冷酷に判断して、いつも通り冷静に働いてくれた。初めて自身の感性の鈍感さに感謝した。

 

―――最後の瞬間、私がやらねばならないことは三つある

 

ギルガメッシュからが要求していた剣をサガ達に渡すこと。後ろの光弾を防ぐこと。そして、ここでこのヘイという男を殺しておくことだ。私の頭は最後の力を振り絞って後先考えず文字通りの全開稼働をする。噴出する血の量が増した。

 

―――指示を出したヘイは隙だらけだ

 

杖代わりにしている剣を奴の胸に突きさせば刺せそうな位置にいる。今なら殺すこともできるかもしれない。だがそれまでだ。剣はヘイを殺すだけに留まり、彼らの手には届かない。

 

―――この状態から剣を届けるにはどうすればいい?

 

体は動かせてあと一回。動作の最中、一拍でも脱力すればその時点で私は崩れ落ちるだろう。

 

―――あるいは盾を拾って、彼らを守るか?

 

……ダメだ。拾う事は出来るが、それまでだ。かがんで、そしてもう一度立ち上がる力は残されていない。それでは私の勝利条件を満たせない。最低でも、彼らを守り、そして剣と共に撤退して貰わなければ、十分条件という事はできない。

 

「……ん? 」

 

ヘイがわたしの胸に突き刺した杖の振動から、ヘイは違和感を感じ取った様だった。

 

―――まだ早い

 

だがもう遅いのも事実だ。放たれようとしている光の球の群は、私たちを、ヘイを避けるようにして前方を埋め尽くしている。球の前方は膨らみ、楕円はもはや破裂寸前だ。もはや一刻の猶予もない。足りない。何が足りない。盾だ。盾がない。盾がないから攻撃防げない。剣を届ける手段も足りない。勢いつけて投げれば届く距離だが、そんな悠長なことをしている余裕もない。この男を殺す手段も足りない。

 

シンならどうするあの男ならこんな場合でも迷いなく動いているだろう。あいつならきっと、剣を持って敵に一閃を放ち、この場の全ての命を刈り取って事態を収拾する。だがそれは、あいつはブシドーで、それを極めているからできるのだ。

 

私はパラディンだ。盾でギルドの皆を守るのが仕事だ。誰かを殺すというのは、私の役目ではない。私に役目は盾になること。愚直に皆を守ることだけ。あの二人を守る盾となる事だけ―――

 

―――なら、どうすれば彼らの盾になれるか、それだけを考えろ

 

『アローレイン』

 

翼人のつぶやきと同時に、球は弾ける。光の球が放たれた。もう猶予はない。

 

「ヘェェェェェエェイィィィィィィィイィィ! 」

 

―――守る! 私に出来るのはそれだけだ!

 

覚悟を決めて、叫ぶ。雄叫びは大きな炎を生みだして残り僅かな命の蝋燭を燃やし切り、限界以上の力を引き出すためだ。いつもと異なる声量を強いられた喉は痛み、血反吐が飛んだ。

 

「ぬ、ぬぁぁぁぁ!?」

 

ヘイは戸惑った声を上げた。私は左足を軸にして思いきり右足で地面を斜め後方へ蹴り込み、私の胸に刺さっているものを掴むヘイの手振りきって左後方に向けて回転すると、その勢いを利用して手にしていた邪魔な剣を投擲し、同時に空になった右手でヘイの首根っこを掴み、そのままヘイの後頭部を光の濁流の前へと突き出して、軸足としていた左足を少々ずらして前に、右足を後ろにして大地を踏みしめた。それが正真正銘、最後の力だった。

 

「完全防御! 」

 

光の壁が盾の前に生じて、球は面白いように私の盾となったヘイからそれてゆく。命を燃やした最後の力は私のフォーススキルを、守るための力を連続発動させる事を可能としてくれた。いや、あるいは、この逸れる現象を見るに、フォーススキルとはまた別種の力が働いているのだろう。バルドルの概念、という奴なのかもしれない、などと私は場違いながらも考えた。

 

「だ、だぁぁぁぁぁあ、りぃぃぃぃぃぃぃ! おぉぉぉぉぉぉ、お、おま、おまえぇぇぇぇ! 」

 

ヘイが叫んでいる。そうだ。こいつはヘイだ。ヘズなどではない。右手で私の生み出した壁に押しやられ、そして光球の連弾の直撃を食らっているヘイは、無様にもその顔を憎悪に歪めながら、叫んでいる。私は珍しくそれをピエールがやるように嘲笑してやると、痛む喉を震わせて、思考に使用していた力を使って、背後向かって思いきり叫んだ。

 

「剣を持って逃げろ! 」

 

私の目の前に現れた壁は完全防御とはまた別種のものであり、光の球を留めるではなく、逸らすことで、後ろの彼らを守っている。しかし、この閉鎖空間の中、逸らす場所といえば、上下左右であり、そして狭い空間の中、地面にヒビを入れる程の暴虐の力が連続して天井と地面を殴り続けるということは、すなわち、この空間が崩壊する事を告げていた。

 

「―――行きますよ、サガ」

 

瓦解していく洞窟の中で、ピエールの冷静な判断に感謝した。これでいい。これで私は、最後の最後まで、きちんとパラディンとしての役目を果たすことができる。

 

「な、何を! ピエール、お前! 」

 

相変わらずサガは女々しい事を言う。言葉には困惑が大量に混ざっていると思った。けれどむしろ彼女の性別を考えれば、らしい、とか優しい、と表現するのが正しいのかもしれない。ああ、多分彼女は―――

 

―――ダリを置いて逃げられるか、とか思っているのだろうな

 

「ダリを置いて逃げられるかよ! 」

 

彼女の言葉は寸分違わず私の予想と一致した。

 

ああ、なんだ―――

 

―――私もようやく、最後に、他人の気持ちが理解できたじゃないか。

 

「天井がダリと私たちとの間で崩落しています。もう彼を助けることは出来ません」

 

相変わらずピエールは遠慮がない。だが、その冷静さにとても安心する自分がいた。彼がいれば、ギルドはまだ大丈夫だろう。シンは奴が抑えてくれる。あるいは抜けた穴はエミヤが補ってくれるかもしれない。

 

「ダリィィィィィィィィ、テメェぇぇぇぇぇ!」

 

―――ああ、ヘイ、煩いな

 

どうやらヘイはパワーとかいう奴らにアローレインの停止をどうにかして命じた様だった。目の前から光が薄れ、自分の体を押す勢い弱まったためだろうか、ヘイの叫び声は元気を取り戻している。その煩い叫び声が残りの音をかき消している間に、ふと気づくと、やがて背後から雑音が消えていた。おそらくピエールがサガを抱えて無理やり脱出させたのだろう。思った途端、頭からも完全に力が抜けていくのを感じた。

 

「――――――」

 

洞窟の崩れる音がやけに大きく聞こえる。心臓の鼓動はもう停止していた。頭部をめぐる血液から酸素が失われた時、目の前も闇に染まるのだろう。ぼやけた意識の中、ヘイの凄まじい形相だけが網膜にこびりついて、思わず笑いが漏れた。

 

「道連れが……、お前とは……思ってなかった。―――、ヘイ」

 

呟くと、瞼が落ちて一瞬、暗闇に染まった。このまま悪夢の続きを見るのかもと思ったが、目の前の光が飛び込んできたのか、頭の中は真っ白だった。炎が消える。いや、燃え尽きる。なんだかんだと悩みに満ちた生涯だったが、最後の最後で望み通り人の気持ちもわかることができた。私は全ての望みを果たして、戦い抜いて、死んだ。そう考えれば、悪くない人生だった。

 

「ダァァァア、リィィィィィイ」

 

左手から力が抜けた途端、ヘイの恨みがましい煩い声がこちらへと迫ってくる。

 

―――目的を達成できて、いい気分なんだ。最後の時くらい、静かにしろ。

 

力を失った私の体に、敵となったヘイの体か最後の光弾に押されて、迫る。ヘイとぶつかった際の衝撃は、本当に決定的だった。ぷつり、と命を支えていた糸が切れたのを感じた。腹に突き刺さっていたものがヘイの樽腹に突き刺さる。微かに呻き声が聞こえた。

 

―――いい気味だ

 

その杭が抜けない様にしっかりとヘイの体へと体重を預ける。体から全てが抜け落ちていく中、鎧だのによって重い体を他人に預けるだけのその作業は楽だった。

 

―――私を燃やして殺すのがお望みだ?

 

残念、それはさせてやらん。お前はここで私と一緒に洞穴に埋もれて死ぬがいい。

 

―――、そうか。

 

私は死ぬのか―――

 

やがて光が私を包み込み、目の前に炎が広がった。意識は余さず炎の中へと拡散し、どこかの世界へと散らばっていく。自分が消え失せていく感覚が、ほんの少しだけ、怖い。

 

――――――ああ

 

だから。

 

―――死にたくないなぁ

 

恐怖からだろう、そんな後悔が頭をよぎった。笑いが漏れた。せっかく人の気持ちを理解できるようになったというのに、結局、最後の最後まで私は―――

 

……けっ……きょ……、さいごの……さいご……、……じぶん……こと……ば……り、こうい……と……だれ……おもえ……ら……、もう……すこし、………………かっこ……………、よか…………、な……、……サ…………―――

 

 

やがてギンヌンガの崖の洞穴のあった場所は、川の流れがもたらす振動よりも、もっと巨大な地響きと共に崩落した。霧の中へと崩れて落ち崩落してゆく大地の中、水飛沫と砂塵と岩塊まじる煙の中からは多くの赤い金属質の光を蓄えた姿が多く飛び出してゆく。

 

やがてそうして煙の中から飛び出した存在が空へと消える中、それが携えた盾の光とは別種の金属光沢を携えた物がギンヌンガの地割れの中へと消えてゆく。新調したばかりだった傷一つない無骨なそれは、聖騎士の盾、すなわちダリの盾だった。

 

自らの主人を失った盾は、この世界から消え失せたダリの魂の後を追うかのように、ガランガラン岩にぶつかりながら、音を立てて地割れの中へと消えてゆく。やがて暫くの間続いていた地崩れは収まり、そしてギンヌンガガプは元の通りの静寂さを取り戻した。

 




ここまでお読みになってくださった方は、もうご想像がついているでしょう。この物語は、fateと世界樹の迷宮、デビルサマナー葛葉ライドウをクロスオーバーさせるのにあたりまして、それらゲームの原典となった聖書物語や北欧神話といった古典神話の要素などを多分に使用しております。

全部の作品を混ぜるにあたりまして、改変を加えている部分もありますが、ご容赦ください。元の神話などのイメージも崩さないようにはしていますが、どうも昔の神話は日本語じゃないだけあって、意図がつかみにくくて。申し訳ない。


それではここまでご一読くださり、ありがとうございました。
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