Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第五話 交錯する世界と事情

第五話 交錯する世界と事情

 

何故殺したかって? 太陽がまぶしかったからさ

 

アルベール・カミュ 『異邦人』より抜粋

 

 

初めてシンと出会った時、故郷を捨て、何も持っていないシンという男は嬉々とした感情に満ち溢れていました。初めてサガと出会った時、故郷を見限り、シンに性別を見破られたサガは俺を女として扱うなと怒りを発露させましていました。彼らと初めて出会った時、彼らはその感情以外にたいした物は何一つ持っていないにも関わらず、彼らはこのエトリアに生きる他の人々よりも生き生きとした様子でした。そうです。初めから仲間がいる、あるいは資産や元手、当てを持ってやってきたものと違い、家族や周囲の人間を捨てるような形でやってきた彼らは、しかし多くのものを抱えてやってきた他の人たちよりも、ずっとよほど生きた人間だと感じました。得るためには捨てなければならない。より多くを望むなら、より多くを捨てる覚悟をしなければならない。意識的にか、無意識的にか、彼らは私と異なり、それを知って実践している人間でした。

 

彼らはこの満たされたものばかりが住まうエトリアにとって異邦人である。そう感じた私は、こう提案しました。「ギルド名は『異邦人』というのでいかがでしょう」。案は一も二もなく賛成されました。今考えれば、彼らが気に入ってくれたのも、私のそんな直感も、あるいはギルガメッシュが言っていたように、無意識のうちに個人や集団に対してその性質に近しい名前をつけるという性質の発露だったのかもしれません。その後名が売れていくにつれ、ギルド『異邦人』に入団したいといってやってくる人は増えましたが、結局、私たちのギルドに定着したのは、あるいは、なにも持たないものばかりでした。

 

シンは得たものを平然と捨てられる、まさにエトリアにとっての『異邦人』であり続けました。彼は自らの力以上の存在のみを求め、それ以外の、名声も、金銭も、常識も、嫉妬も、羞恥も、思いつく限り全てのものを捨てることの出来る、まさに超越的な存在であり続けました。それは、シンがエミヤという得がたい存在を得るまで、常に捨てることを当たり前とし、そして望んだものを得て、『異邦人』でなくなった瞬間死んでしまったのです。

 

サガという女性は、常にシンやダリのような男としての力強さを求めていました。彼女はいつだって、望んだものが手に入らなかったのです。望まないものばかりが手に入る女性だったのです。彼女が持っている感情の機敏に聡いとか、情感豊かで人の事に気を遣えるといった長所は彼女にとって、価値のあるものではなく、そういった意味で、彼女は常に欲しいものを何も得られない、エトリアの『異邦人』でした。

 

ダリは自分という存在に失望しており、理屈のみで物事を考えるようになった人間でした。理屈のみで物事を考えるようになるという性質は、この、日々、悲しみや苦しみの感情が消えていく世界の中で、献身的で真面目な人格者ほど罹患してしまう病の如きものです。そうして他者への情深い感情がすぐ薄れることに、意識的に気付いてしまう彼らは、余りにまじめに自己をかえりみてしまうから、そうして他者への感情を失った事の責任のありかを自分自身に求め、やがて自身を卑下するようになってしまうのです。

 

それ故に自らは他人の気持ちがわからない人間だと思い込み、他人への関心をすぐに失ってしまう冷酷な人間だといっぺん思い込んでしまった心は、まるで自分は初めからそのような人間であったのだ勘違いするようになってしまったのです。ダリは他者からの信頼とか、誠実な人格とか、色々と価値あるものを持っているのに、それに価値があるものだと気付かなくなってしまったのです。ダリは長い滅私奉公の末、まさに“私”を失ってしまったのです。そうして失い続けていると勘違いしているダリは、その実、エトリアの中で多くの物を得続けているのにもかかわらず、まさに『異邦人』のメンバーに相応しい人間であり続けました。

 

響のご両親はハイラガードという居場所を失った人でしたが、響という人物が自分たちにとって大切な存在だと気付いたと語ったのち、すぐに死んでしまいました。その娘である響は、そうしてご両親を失って友人も知り合いも失ったばかりの人間でした。そして多くを失った彼女は、無意識のうちにでしょうが自身を捨てる決意をして、しかし、シンという男への好意を抱いてしまった彼女は、直後、シンを失い、私と同じ傷を得る事になりました。

 

エミヤはギルド『異邦人』のメンバーでありませんが、彼もおそらく私たちと同じような運命を背負っているのでしょう。“欲したものが絶対に手に入らない”。彼の願いは正義の味方になる事だと聞きましたが、おそらく彼はそれを手に入れるために、全てを捨ててきて、しかし手に入らなかったのだろうことが、今までの彼の無茶を重ねる姿勢と、それでも無茶を押し通す実力を持っているという事実から理解する事が出来ます。シンの蘇生というイベントがなければ、あるいは彼も、ギルド『異邦人』のメンバーとして活動していたという未来もあったのかもしれません。

 

―――私?

 

私はこのエトリアにやってきて、シンという“男”と出会ったその時から、決して私の望むものは手に入らない事を理解し続けています。明かせば彼は理解し、受け入れてくれたかもしれません。理解して、受け入れずとも、そばにいる事を許容してくれたかもしれません。けれど私はそれを心底望みつつも、そうする事で、もし万が一、シンという男がこの『異邦人』というギルドを見限って、解散するような事態になった場合、私は私の全てを許せなくなるだろう事を知っていました。汝自身を知れ。私は、私自身の事をよく知っていたのです。だから、私の小さな望みは叶い続けるだろうけれど、私の大望は絶対に叶わない事を知っていました。そういった意味で、私はエトリアにとって『異邦人』でありながら、『異邦人』から最も遠い、中途半端な立ち位置にいたのです。私はある意味で、最もこのギルドに『相応しくない』人間でした。

 

―――我々はギルド『異邦人』

 

エトリアから歓迎されていない、この名前が支配する世界において決して歓迎されることのない、『得るために捨てる』事を強要される人間の集まり。自らの望んだものが決して得られない事を運命付けられた、世界の捨て子。

 

 

「―――彼女は?」

「糸を使って無理やり拘束。その後、施薬院に放り込んできました―――あのままだと街に被害が出ていたかもしれませんからね」

「そうですか……、ご苦労様です」

「いえいえ」

 

目の前では衛兵の纏う様なフルプレートアーマーで頭部以外の全身を武装したクーマが重苦しいため息を吐きました。相当疲れているのでしょう、返ってくる言葉には、覇気と言うものがありません。

 

「シリカさんもありがとうございます。あの場にいてくださって本当に助かりました。申し訳ありませんね。顕現して早々にお手数おかけすることとなって」

「あはは、まぁ、僕は別にたいした事はしてないよ。道具を使っただけだからね」

 

そう言ってクーマに謙虚な言葉を、しかし快活に言ってのけるのは、シリカという女性です。何を隠そう、彼女はあの三竜から剥ぎ取った体の一部が店頭に飾ってあり、伝説の迷宮攻略者「シグムント」率いる「スレイプニル」が頼りにしたという事でこのエトリアにおいて最も有名な道具屋「シリカ商店」の、数十世代前の女店主当人なのです。

 

見るからに育った女性らしい体躯を持つ彼女は、大きな胸に一枚布を巻きつけ、腰には度のきついハイレグの布を巻きつけただけと言うブシドーやダークハンターの女性ですら真っ青の格好で、褐色の肌の多くの部分を晒しています。多分なんらかの部族的意味があるのだろう事は、褐色の肌に施されたボディペイントや腕輪、爪と勾玉の首飾りから分かるのですが、それ以上の事は分かりません。

 

エトリアの出身のようには見えません。見た感じ、海洋王国のアーモロードあたりの出身なのでしょうか? あるいは、ここより南の地区の出身なのかもしれませんね。

 

「いえいえ、工房の本職の方が使うのと、私が使うのでは効果の出方に天と地の差がありますからね。助かりました。さすがは伝説のシリカ商店の女店主だ」

「あはは、いや、照れちゃうな。とは言っても僕は今職業プリンセスだから、本当にねぇ……。その後面倒見てるのはフォーリャとグロリアとキタザキ先生だし……、うーん、でもまさか、こんな時代まで私名前がそのまま商店の名前として使われてるとは思ってなかったなぁ」

 

彼女は呆れたよな、嬉しい様な、なんとも表現しがたい表情を浮かべています。

 

「大抵、受け継いだ店って言うものは、自分の代になったら自分の名前を変えますからねぇ」

「だよねぇ……。あ、クーマ。サクヤさんから伝言。予定通り、オルレスがレンとツクスル、ガンリュウを率いて陣頭指揮をとって街を見回ってくれてる。自分はこのままアレイやローザと一緒に、エトリアに残った冒険者達の援護に回るって。オースティンは一旦戻ってダリとか言う人が、ヴァルハラを探してくるって」

 

しかしまぁ、凄まじいことになっていますね。サクヤという女性は迷宮攻略をした伝説のギルド「スレイプニル」の面倒を見たと言われている金鹿の酒場の女店主ですし、オルレスはエトリア初代院長のヴィズルの後釜として院長になった元執政院補佐官ですし、レンとツクスルはヴィズルやオルレスの懐刀と呼ばれたブシドーやカースメーカー。

 

アレイはギルド「スレイプニル」が懇意にしていた宿屋「長鳴鳥の宿屋」のホテルボーイで、オースティンやローザは、ギルドが拠点としていたギルドハウスの世話役の人です。どの名前も、エトリアでは知らない人がいないだろう有名人。まさに、お祭り騒ぎというやつです。

 

「はい。承知しました」

「じゃあ私も戻るね! 」

「はい。ありがとうございました」

 

クーマの礼を満面の笑顔で受け取ると、シリカは頭を下げ、勢いよく執務室の扉をあけて飛び出して行きました。なんとも行動力の塊の様な女性です。たしかにあれくらい積極的かつ有効的なら、「シリカ商店」という名前をなくすのを惜しんで、その後の店主達やエトリアの住民達が長く名を受け継がせてきたというのにも納得できます。

 

 

「邪魔をするぞ」

「―――これはこれは、ヴィズル殿」

 

開きっぱなしの扉から執政院の院長室へとやってきたのは、これまたエトリアでは伝説の人物、執政院初代院長のヴィズルです。大柄な体躯に軍人が着る様なダブルのコートを着込み、厳つい鉄の肩当てを纏う姿には、老獪な迫力があります。

 

「ああ、失礼しました」

 

そのまま部屋に入ってきたヴィズルが部屋の中央までやってきたあたりで、クーマは慌てて安楽椅子から腰を浮かして、ヴィズルを椅子へと導こうとします。しかし、ヴィズルは首をゆっくりと左右に振り、クーマの誘いを断りました。

 

「わざわざ腰を浮かさなくていい。今のエトリアの代表者クーマ、君なのだ」

「は、はぁ。ですが」

「そうよ。私達みたいな半死人にいちいち気を使う必要はないわ」

「―――フレドリカさん」

 

そうして困惑したクーマに諭す様な口調で指示を飛ばしたのは、部屋の入り口にいつの間にやら立っていた、金の髪が見目に麗しい少女です。シャツの上に青色のエプロンドレスを纏い、すっきりとした青白配色の彼女は、腰にかけた銃のホルスターからも分かる様にガンナーであり、今まで出てきた登場人物達の中においても飛び抜けて有名な、伝説の迷宮攻略ギルド「スレイプニル」の一人です。

 

「はい。あなたがいうのでしたら、そうしましょう」

 

彼女のことを目にした途端、クーマは今まで以上に目を輝かせて、浮かせかけた腰を下ろしました。クーマのあまりに素直な態度に、部屋の中、ヴィズルの近くまでやってきていたフレドリカは少しばかり腰の引けた様子で、訝しげな視線をクーマへと向けています。

 

「なんか、あんたからはハイラガードにいた天然のウェイトレスと同じ匂いがするわ」

「ハイラガードのウェイトレスというと、あちらで伝説のギルドのアリアンナさんですね! たしか、貴女の取材紙にその名も乗っていましたとも! 」

 

そうしてどう見てもうんざりとした意味合いを持つ視線を言葉とともに向けられたクーマは、しかし、目を輝かせて机の上に置かれていた本を開くと、パラパラとめくってあるページを開き、鼻息を荒げながら、フレドリカに近づき、そのページを広げて彼女の前に差し出しました。

 

「ほら、ここに乗ってます! レジィナの店でジェラートを食べてる時に出会ったと!」

「いやぁ、クーマが英雄オタクとは知りませんでしたねぇ」

「そう、オタク。フレドリカ! 貴方は料理オタクでもあって、毎日店に通った挙句、アリアンナにジェラートの起源について力強く語ったんですよね!」

 

茶化す様にいってもクーマはまるきり無視して、むしろ私の語句を利用したクーマは、目を輝かせながら、本の記述について追加の情報を述べました。クーマは伝説の存在を目の前にして完全に暴走気味でした。

 

「うぅ……、調子に乗って記者の人にペラペラと喋らなきゃよかった……」

「あら、ハイランドに行く最中、一旦あたしらが図書館に寄ってる隙にそんな楽しそうな事してたの、貴女」

「ラクーナ」

 

クーマの勢いに気圧され、後悔の様子で落ち込んだフレドリカは、やってきた赤毛の女性に声を呼ばれて、フレドリカは振り向きます。ラクーナ。彼女もまた、ギルド「スレイプニル」のメンバーです。フレドリカよりも頭一つくらい大きな彼女は、ブレストアーマーとクロースアーマーの上に白い布を纏った、パラディンの女性です。

 

「しかし、毎日とは、暴食ねぇ、リッキィ」

「し、仕方ないじゃない! 雪に足を取られてハイランドに行けなかったんだから! 」

 

セミロングの髪を靡かせながら、部屋の中央、フレドリカの隣までやった彼女は、女性らしい、悪意のこもっていない意地の悪そうな顔からは、彼女の姉御肌な性格が伺えます。

 

「まぁ、あの女店主殿の料理は美味しいからな。気持ちはわかる」

「食い意地はってるからな、リッキィは。その割に胸も背も全然成長しないけど」

「そうよね、サイモン。―――アーサーは後で殺すわ」

 

遅れてサイモンとアーサー、これまた伝説のギルドのお二人がやってきました。青い服に白衣をまとった背の高いメディックのサイモンと、上半身に赤い服を着用した腕に独特の籠手を装着する背の低いアルケミストのアーサーは、見た目の対照性もさることながら、なんとも対象的な大人びた性格と子供っぽい性格をしていました。

 

「なんだよ、ほんとのことだろ! 」

「―――わかったわ、アーサー。今すぐ死にたいのね? 」

「お、やるってか、リッキィ! 」

 

少年の安い挑発に乗った少女は、一瞬でその場から消え去ります。その見た目とは反して凄まじい初速度にて入り口のアーサーに迫ったフレドリカは、しかし、その背後にいたラクーナの両腕によって捕縛され、空中に浮かされてしまいます。

 

「やめなさい、リッキィ。アーサー、あんたも年頃の女の子になんてこというの! 」

「年頃っていうんなら、もうちょっと出るとこ出っ張ってるもんだけどなー」

「―――フシャー!」

 

そうしてアーサーに身体的特徴を馬鹿にされたフレドリカは、顔に凶暴な暴れ野牛の様な顔を浮かべると、猫の様な叫び声をあげて、ラクーナの腕の中で暴れまわります。体格差や職業による筋力補正差もあってでしょう、ラクーナはまだフレドリカの事を捕縛できていますがあの暴れ様では、いつフレドリカが戒めから抜け出すかわかったものではありません。

 

「ちょ、ちょっとアーサー! 余計なこと言わない! 」

「ラクーナまで! 」

「ああ、違うのよ、リッキィ! 今のは決してそういう意味じゃ……! 」

「―――殺す。全員殺す! 」

「あ、ちょ、リッキィ! 」

 

暴走したフレドリカは物騒なセリフとともに、するりとラクーナの戒めから逃れると、迷わずアーサーの方へと突撃していきます。それはブシドーの頂点、シンですら凌駕しそうなほどの凄まじい初速度でした。

 

「アーサー! 」

「う、うぇ! 」

「殺す! 」

「物騒だな、リッキィ」

 

そう言ってアーサーの前まで瞬時に移動して、移動の最中に振り上げていた拳を受け止めたのは、緑の鎧の上に独特のタータンをまとった、朴訥な雰囲気の青年でした。一見すると、独特な前髪をあげてコーンロウ風の髪型をしている以外にこれといって特徴のない彼は、しかし何を隠そう―――

 

「シギー! 」

「助かったぜ、シギー! 」

 

この場に集結したギルド「スレイプニル」のリーダー。ハイランダーの「シグムント」なのです。シギーというのは、おそらく愛称なのでしょう。彼の登場により、剣呑さが支配しかけた場は、一気に安穏なものへと変わりました。うーん、流石、強者はいるだけでその場を安定させるものなのですねぇ。

 

「扉の向こう、廊下にまで騒ぎは聞こえてきたぞ。アーサーは言い過ぎ。リッキィも、怒るのはわかるが、物騒すぎだ」

「う……」

「だって……」

「ほら、二人とも謝る」

 

そうして険悪なムードを発散させたシグムントは、二人に謝罪を促します。まるで保護者の様です、というと、今度は矛先が私に向けられるのが分かっていたので、私はあえて何も言いませんでした。

 

「悪かったよリッキィ。揶揄い過ぎた」

「いいのよ、アーサー。私もちょっと言い過ぎたわ……、でも」

「あ」

 

フレドリカはシグムントの腕から素早く逃れると、同じくらいの背丈のアーサーの頭を思い切り小突きました。

 

「ってぇ! 」

「これくらいは許容範囲よね。乙女心を傷つけた罰よ」

 

なかなかの威力であることがアーサーの痛がりようから察することができます。最強と名高いハイランダーでも制止のすることが不可能な見事な反射速度は、その気になれば、一息の間に二度の行動が可能な、優秀なガンナー特有のものでしょう。いやぁ、シンがいたら喜んだ様子が見れただろうに、残念です。

 

「うぅ、謝ったのに……」

「ね、シギ―!」

「あ、ああ、そうだな」

「サイモン、キュアをくれぇ」

「歩いていればそのうち治る。罰だと思って我慢しろ」

「そ、そんなぁ」

「自業自得よ、アーサー」

自分の所業でコブすら出来たような様子のアーサーを前に、しかしシグムントの彼に向けられた笑みは満面のものでしたが、その可愛らしい笑みに対してハイランダーの彼は少しばかり引いた様子であとずさりました。

 

一方、アーサーはコブのできたらしき頭をメディックであるサイモンの方に差し出すも、サイモンは眼鏡を光らせてバッサリと回復の要望を切り捨てました。肩を落とすアーサーに後にはラグーナの追い討ちが続きます。

 

なるほど、彼らの関係性というものが見えてくる感じがしますね。例えるなら、背の高いシグムント、ラグーナ、サイモンが兄姉役で、アーサーとフレドリカが弟妹。その上で、フレドリカは年上のシグムントに憧れというか、懸想している、と言ったところでしょうか。

 

「死人の分際で王の行く道を妨げるとは不敬であるぞ。退け、雑種」

「ああ、すまない、ギルガメッシュ」

 

やがて入り口で固まっているハイランダー達を命令口調で部屋の中へと退かすと、黒の服を上下に纏ったギルガメッシュは、布に包まれた剣を持ってズカズカと遠慮のない足取りでズカズカと部屋の奥へと進むと、クーマの安楽椅子にまるで遠慮なく腰掛け、「安物か」と舌打ちをしました。

 

その傲岸不遜な態度にも呆気を取られてか、誰も彼の所業に文句をつけるものはいませんでした。いやぁ、他人を見下す無礼さもここ極まっていて、その上、顔や身体つきの造形が整っている彼が行うと、まるで自然であるかの様に思えてくるのですから、不思議なものですねぇ。

 

「―――役者が揃ったか」

 

やがて足を前の机の上に投げ出し、腕を組んだギルガメッシュは私たちを一瞥して言葉を漏らしました。その一言に、弛緩していた空気が一気に締まったものへと切り替わりました。

 

「―――ギルガメッシュ。貴方の指示通り、指定のあった人を揃えました。……、そろそろ、この世界に何が起きているのか、教えてくれますね?」

 

先ほどまでだらし無い顔でハイランダー達のやり取りを眺めていたクーマは、一転して真剣な様子で、ギルガメッシュに問いかけます。ギルガメッシュはひどく億劫そうにクーマを見つめましたが、そうして鋭い視線を叩きつけられたクーマは、しかしまるで臆する様子なくギルガメッシュの手に握られている剣を指差して、口を開きます。

 

「ダリという男の尊い犠牲の元、手に入れた剣です。少なくとも、ピエールという彼には理由を知る権利があり、命じた貴方には王としての説明義務があるはずです。それに、何か考えがあったからこそ、貴方は個々に彼らを収集したのでしょう?」

「ふん……、バルドル、か。気に食わんが、奴の死は我が命により生じたもの。その命と引き換えにして王命を完遂した男の仲間には、礼をもって接しなければ、我が器の狭量さにも繋がる。たしかに貴様のいう通りだな、クーマ」

 

この場において、彼に話しかけて文句を言われないのは、彼の性格を良く知っているクーマのみ。クーマの言葉に眉を吊り上げたギルガメッシュは、周囲をもう一度見渡すと、やはり面倒くさいという思いを隠そうとしないまま、しかし鼻を鳴らすと、舌打ちとともに口を開きます。

 

「―――よかろう。では我直々に教授してやろう。今、この世界に何が起こっているかをな」

 

 

「全ての始まりはそこなヴィズルというこのエトリアという街の裏で長々と暗躍していた男が、世界樹の根元で身動きを封じられた状態で槍に刺され死んだのが原因よ」

「暗躍というと何やら物騒ですねぇ」

「―――」

 

ギルガメッシュは机の上に乗せた足の先を部屋の中央にいるヴィズルへと向けました。部屋の中にいる人間の視線がヴィズルへと集中します。私が茶化すように言ってもヴィズルはギルガメッシュの指摘に無反応のまま、鋭い眼光をギルガメッシュの方へと返し、ギルガメッシュの挑発する様な目線とぶつかりました。事態を理解しているもの同士が行う意図の探り合いです。

 

―――おや?

 

私も事情を知って入れば、彼らが何故硬直したまま動かないのか理解できたかもしれませんが、今まさにその事情を聞く立場の私ではそれを理解することができません。もちろん、クーマもそうです。しかし、そうして硬直したまま動かない二人に私とクーマが彼らへ向けたのは純粋に疑問の目でしましたが、ギルド「グレイプニル」の五人が二人に向けたのは、事態の進行を見守る視線でした。つまり彼らは、目の前で視線による静かな戦闘を繰り広げている二人と同様、事情を知っている証にほかなりません。

 

「―――言い訳をするつもりはない。その通りだ」

 

やがてヴィズルは静かに告げました。言葉は恐ろしく冷たく、感情というものが一切感じられません。もともと彼の言葉には感情というものがこもっていませんでしたが、今回のは、その中でも群を抜いて冷たく、だからこそ、真剣な葛藤の果てに絞り出された、真実の言葉であることが伺えます。

 

「―――エトリアはかつて林業で生計を立てている街だった」

 

ヴィズルは部屋の中によく通る声で、静かに語り出しました。

 

「世界樹の上に大地を作り上げた直後はそれでも十分やっていけていたのだが、月日が過ぎ、人が増えてくるとそうもいかない。物の単価を上げねばやっていけないが、物の単価を上げると売れなくなる。木材の値は適正値で、需要と供給の最も丁度良い価格だったのだ。やがて徐々に豊かさを失っていくエトリアを見かね、私は禁断の果実に手を出すこととした―――、世界樹の迷宮だ」

 

世界樹の迷宮。おそらくヴィズルが言っているのは、現在旧迷宮と呼ばれている方でしょう。

 

「元はといえば、世界樹に溜まる毒素を研究するための施設を守るための必要悪として、改造した動植物などの保管、繁殖、管理を名目にして造られたあの迷宮には、多くの富が眠っていた。水も、食料も、薬の素材も、生活を助ける鉱物も、そして、何より、未知という人の原動力となりうる、エトリアに足りないもの全てがそこにはあった。―――だから私は、あの悪魔の迷宮をほんの少しだけ利用するつもりで、最奥にフォレストセルという悪魔が封じられている『フォレストセル封印のための施設』を、『世界樹の迷宮』として解放した」

 

語るヴィズルの顔面は蒼白に変化していきます。元々の無表情さと相まって先ほどまでよりもよほど無機質な感じがするのに、しかしなんとも人間らしく感じるのは、それがヴィズルという人物が、一言、一言ごとに湧き出る罪悪感をなんとか押し殺しながら、それでも自らの罪を淡々と告白するという苦しみに耐え、苦しんでいるのが語り出される言葉から分かるためでしょう。おそらく彼はそうして長いこと耐えて生きてきたのです。

 

「ほんの少し。ほんの少しだけ。初めはエトリアを救う為だけにと解放した施設に、しかし人は予想以上に多く群がった。止めようとも考えたが……、だがそれにより、天秤が死の方へと傾きかけていたエトリアに活気を生み出し、活性化させ、エトリアは死にゆく街ではなく、生きようとする意志に満ち溢れた街へと変わっていったのだ。冒険者と呼ばれる無謀なものどもがやってくるようになり、商人が街へと積極的に訪れるようになり、彼らを泊める為の宿泊施設や、腹を膨らませるための食事施設も発展した。未知を求めてやってきた彼らは、エトリアという街を生き返らせたのだ。―――わたしはこれを保ちたいと思った。考え、エトリアに足りなかったのは、水や食料といった即物的なもの以前に、人の心を刺激する未知というものだと理解した。だから―――」

 

言葉を重ねるごとに多少演説風味、かつ、上擦りつつあった声のトーンが一気に下がり、落ち着いたものへと変化します。言いづらいことなのでしょう、口が数度ぱくつくだけで声は出てきません。無意識のうちに自らを傷つける言葉を拒む気持ちが、喉が喋ろうとする命令に叛逆したのです。ヴィズルは言葉を出そうとする長い間に乾いた唇を舌でなめ潤いを復活させると、一度目を閉じたのち見開き、唇を噛み締めたのち、大きく息を吸い込みました。

 

「わたしは、世界樹の迷宮を閉じた未知なる世界として保つ為に、一定以上の階層に進もうとする冒険者を殺すようになった。―――世界樹の迷宮は、この世界を保つ為、エトリアという街の発展を続ける為、完全解放するわけにはいかない。しかし、この街の発展には、冒険者という存在は必要不可欠だ。未知に対して貪欲な彼らがいるからこそ、エトリアは発展する。しかし、冒険者がやがて世界樹の迷宮の最下層に到達する自体は避けなければならない。だから私は、実力のある彼らが迷宮の四層に辿り着いた際、行くなと忠告し、しかし従わない彼らを殺すことで、世界樹の迷宮の未知性を保っていたのだ」

「―――」

「―――なんという……」

 

私は絶句しました。彼の言わんとしていることは理解できなくもありません。安寧とした環境で人間を放っておけば、増えるのは生物として当然の理です。そしてそうなった際、物資が足りなくなるのも、足りなくなった物資を調達しなければ人死にがやがて起こることも自明。

 

豊かさを覚えた人は貧しい環境に身を置かれること嫌います。そうして街の貧困化に伴い、街に暮らす人々の生活が一度困窮すれば、人の心は一気に荒んだ方向へと向いてしまいます。優れた統率者であるヴィズルという男は、それを嫌という程理解していて、だからこそ、エトリアという街が、せめて人間同士の争いというそんなくだらないものの為に、失われてしまうのを恐れたからこそ、彼はエトリアという街の為に、裏で暗躍することを選択したのです。

 

なんという覚悟。何という選択。彼はエトリアの繁栄を得るために、自らの大切にしていた誇りを捨てたのです。―――私は彼のことを責める気にはなれませんでした。いえ、それどころか、感動すら覚えていました。彼はいかなる犠牲をもってしても、自らの目的を達成しようと、決意した人間なのです。ああ、ヴィズルとは何と強い人間なのでしょうか。

 

「そう。そうしてオーディンの名を持つ男が、裏でこそこそと手を汚しだしたのが、第二幕、この世界の北欧神話概念の広域、浸透化の始まりよ」

 

ギルガメッシュは自らの罪を告白し、天井を静かに見上げるヴィズルを気にすることなく告げると、相変わらずの姿勢で語り出しました。

 

「そうしてオーディンの名を持つものが“強きもの“を選別して殺すという行為は、『決戦に向けてエインヘリヤルを搔き集めるオーディンの選別』という事象と重なり、積み重ねられることで、グラズヘイムという場所には、『エインヘリヤル』、つまり、英霊の魂が送られるようになった。それはグラズヘイムという場所にある人類の無意識下へと働きかけるシステムと、霊長の抑止力という人類の無意識が持つ英霊システムと組み合わさることによって、やがて月の基地というフォトニック純結晶体保管場所の塊の中に『英霊/エインヘリヤル』を格納する『英霊の座/ヴァルハラ』を作るという、新しい霊長の守護者のシステムを構築する事となったのだ」

「えっ……と」

 

ギルガメッシュの言葉の勢いには凄まじいものがありました。それは知恵者が知っていて当然の常識と思っている物事を語る際に見せるものです。その英霊だの英霊の座とだという言葉は彼にとって常識だからこそスラスラと出てきたのでしょうが、意味を知らない私からすれば、未知の言葉以外の何者でもなく、理解に苦しみました。

 

「要は、この世界でオーディン、つまりヴィズルに強者と認められた魂は、グラズヘイムという施設を通して全て月にあるヴァルハラに送られる、ということですか? 」

「そうだ。そしてやがて、ヴィズル/オーディンがフォレストセルというものに囚われ、樹木のそばで九日間後液体を浴びせられた後、ハイランダーの“伝承通り槍で刺殺され命を落とす”ことで、ヴィズルはよりオーディンとしての概念が強化され、やがてグラズヘイムというオーディンが魂の選定をする場所にヴィズルという男の魂が通過した際、奴は死後もヴァルハラに強者の魂を送る、まさに概念的存在として成り果てた―――最高神の名を持つものが、グングニルと名のつく兵器がある玉座に座り、魂の選定を行うという神話的伝承行為をなぞることで、世界樹というユグドラシルが存在し、もともと北欧神話と親和性の高かった世界は、いっそう北欧神話の概念に侵されやすい状態となった」

「以前から言っていた、この世界の人間の行為は自らにつけられた名の影響を受けやすい、という奴ですね」

「然り。―――だから、此度のような事態が起きる事となった」

 

ギルガメッシュは気怠げな態度で机の上に乗っけていた脚を下ろして、安楽椅子から立ち上がりました。見下す横柄な態度は相変わらずですが、その表情の真剣さは今までのそれと比べ物になりません。ここからが本番なのだ、と、私は理解しました。

 

「YHVHが召喚されたその瞬間、魔のモノ、すなわち無意識下において繋がっていた奴は全人類に絶叫し、死に絶えた。魔のモノの名は“クラリオン/明快なラッパの響き”、あるいは“クラリオン/明快な呼びかけ”。断末魔の叫びはYHVH降臨の為のラッパの音色であると同時に、すなわち、北欧神話的概念としての概念として捕らわれやすいこの世界においては、無意識下において神々の黄昏の時代にて戦端の幕開けを開く角笛の音色としても働いたのだ。無論、奏でる奏者がおらん上、もっと重要な北欧神話終焉の要素を欠いておったがために、音色はヴィーグリーズでの決戦に向けてヴァルハラの門を開けるという不十分な結果に留まったのだろうが―――、だがそれでも十分にこの世界が終焉に向けて動き出したことは間違いない。黄金時代で止まっていた針はYHVHの到来と共に動き出したのだ。事態の緊急性を悟った我は、貴様らに命じて―――、この剣を持って来させたのだ」

 

ギルガメッシュは言葉を切ると、手に握る剣をゆっくりと掲げました。持ってきた際に露わとなっていた刀身は今布に包まれており、そうして厳重に包まれたそれを、ギルガメッシュは慎重な面持ちで、刃に触れないよう気を使った動きで、机の上に置きました。

 

その慎重な扱いをみた私は、胸に少しばかりの痛みを覚えると共に、安堵の気持ちが生まれました。あのエミヤが認めるギルガメッシュという男があれほど慎重に扱うということは、たしかにあれは、真に必要とされたこの世界にとっての宝物であり、同時にダリという男の命と引き換えに手に入れる価値のあるものだったという証明に他ならず、彼の死は無駄死にではない、そう思えたからです。

 

「それは?」

 

その質問を飛ばしたのはフレドリカという少女でした。質問からも分かる通りその剣に見覚えがないのでしょう、彼女は首を傾げながら問いかけます。見識がないのは周囲の彼女のギルドメンバー四人も同じであるようで、同じような疑問顔を浮かべていました。

 

「フレイが始原の魔神と戦い手に入れたこの剣は、適合者がその名を呼んで使ってやれば、それがたとえフォレストセルの悪魔と呼ばれた擬似不死性を持った相手だろうと永遠に葬り去る事のできる神剣だ」

「―――まて、フォレストセルを完全に殺せる、だと? 」

 

ヴィズルはギルガメッシュの言葉に過剰なまでに反応をしてみせます。顔には困惑と不信の様子がありありとみて取れます。先ほどの話から判断するに、フォレストセル、というのは彼にとって相当思い入れがある敵対者、かつ、強力で抗いようもない敵だったのでしょう。だからこそギルガメッシュが今軽々と述べたことが信じられず、そして、困惑した。

 

「そうだ。実際に、ギルド“ラタトスク”のフレイという男は、この剣の力を完全開放することでギンヌンガの洞窟に潜むフォレストセルの悪魔を討ち滅ぼした。とは言っても、それは、貴様という存在が暗躍し、死に、この世界に北欧神話的概念を広げたからこその結果だがな。それ以前であれば、この剣は単に強力な概念を持つ一振りの宝剣に過ぎなかった。ああ、喜ぶがいい、ヴィズルとやら。ある意味で、貴様が自らの体を改良して千年以上にわたり抱えてきた執念と妄執は、世界を破滅へと導く要素を生んだが、文字通りフォレストセルという悪魔を完全討伐する礎ともなったのだ」

「―――そうか」

 

一言。ただその一言をポツリと漏らしたきり、ヴィズルは「失礼」といって部屋の片隅に移動すると、片手で目元を覆い、肩を揺らし始めました。その挙動と、抑えた声、水滴の落ちる音が何を示しているかはすぐに理解できました。

 

ヴィズルは、今、胸の内から溢れ出んばかりの歓喜の気持ちを、声、涙を必死に抑えているのでしょう。自分の生涯は決して無駄ではなかった。例えそれが自ら望んだ形や、意図したものでなく、世界を滅ぼすという出来事に繋がっていたとしても、それでも自身がその生涯を賭した結果が、その後、誰かが自らの望みを果たすのに一役買ったのだと知った時、それがどれだけの歓喜を生み出すかは、いうまでもありません。彼は今、自分のして来たことは無駄でなかったことを知り、生涯が報われたと心底それを喜び、噛み締めているのでしょう。男泣きを邪魔するほど無粋なことはありません。私はすぐさま視線をギルガメッシュの方へと移しました。もちろん、そうして気を使ったのは私だけではありません。

 

おそらく私より事情を知っているクーマはもちろん、私たちよりももっと彼と親しかっただろう“スレイプニル”の五人も、彼の気持ちを察して、見ないふりをする度量と思い遣りがありました。

 

ただ一人、ギルガメッシュだけが、変わらぬ様子でしたが、そうして自らから意識を逸らした者に対して何も言わないあたり、それも彼という男の思い遣りというものなのでしょう。

 

「ともあれ、北欧神話概念が浸透した世界において、嫉妬の神である奴が自らよりも上の存在である我を不遜にも狙う際、この剣の使用を目論むかもしれぬ事を危惧し、もしくはフレイという男が剣を回収し、伝承通り、“女を手に入れるため、誰かに渡してしまい、やがてスルトの名を持つ者の手に渡る”という最悪の事態を防ぐ為にも、我はこの剣の回収を貴様らに命じたわけだが―――、一つ誤算があった」

「それは―――」

「バルドルの死」

 

ギルガメッシュがその言葉を発した途端、胸が高鳴りました。サガのように取り乱しこそしませんでしたが、私もショックを受けていなかったわけではありません。ただ、私はサガよりもダリという男の事を知っており、彼が最後に叫んだ言葉が彼が初めて見せた心底からの覚悟と決断を済ませたそれである事を知っていたから、悲しみの感情の処理を彼女よりも早く行うことが出来ただけなのです。

 

「ダリ、光を纏い、完全防御というフォーススキルによって、無敵の光という概念を纏った時のみ、確かに誰にも頼られる、か。ふん、まさかバルドルという概念をあのような形で見つけ出し、“バルドルの死”という世界崩落のイベントを実行するとはおもわなんだ。お陰で完全な形で時計の針が進んでしまった。―――見ろ」

「これは……」

 

ギルガメッシュは懐から紙束を取り出して机の上に投げ出しました。数十枚の紙にはエトリアやハイラガード、アーモロードといった彼方此方の風景が、まるで切り取ったかのように色付いて描かれています。写実を生業にする者でも、ここまでの再現が出来るもの、そうはいないでしょう腕前です。

 

「カラー写真? しかも高画質デジタルの? この時代に? 」

 

そしてフレドリカが疑問に答えをくれます。その口ぶりから、なるほど、この写実の極みのような絵は、過去の技術をもってして描き上げられた“カラー写真”というものなのだという事がわかりました。

 

「カラー写真?」

「うん。カメラ……、えっと、昔の機械で、その場の風景を一瞬で鮮明に写す道具なんだけど……、でもこれ、なんだか……」

「鮮明って割には随分とぼやけてるわねぇ」

「ああ。なんだか霧がかかったみたいにぼやっとしてる」

「“かかったみたい”ではない。実際にぼやけておるのだ」

「え?」

 

ラクーナとアーサーの言葉に、ギルガメッシュは答えました。彼は自らが投げ出した写真から一枚を抜き出すと、指で弾いてこちらへと飛ばしました。私が受け取りそして覗き込むと、それには、近くに描かれた建物が密集するエトリアよりも大きな街が小さく見えるほど大きな地面の裂け目から、周囲の全てを覆い隠してしまうかのように、霧が噴出しているような光景が描かれていました。森の、大地の、街の大半以上が霧に包まれています。

 

「今、この世界はギンヌンガの割れ目より生じた霜に覆われつつある。そのうち太陽は覆い隠され、寒さが到来し、雑種どもは飢えに苦むことになるだろう。そのうち反乱なども起きるに違いあるまい。―――だがこれは過程に過ぎぬ」

「……、今のでもだいぶ大ごとだとは思うのですが、これ以上があるのですか?」

「そうだ。……、奴が、YHVHが狙ってバルドルの死を引き起こした事ではっきりとした。YHVHの目的は北欧神話概念を利用してこの世界の全てを燃やし尽くす事だ」

「―――世界の全てを燃やし尽くす?」

「えっと、それはエトリアだけでなくて? 」

「戯け。このような片田舎だけを指し示して世界などと我がいうわけあるまい。世界、というからには、この地球という星と、それと世界樹の縁で繋がった三つの世界全てよ」

「―――」

 

出てきた言葉のスケールの大きさに言葉が出ませんでした。それは私だけでなかったようで、伝説のギルドのメンバーも、クーマも口を開けた間の抜けた表情でギルガメッシュの方を眺めています。

 

「―――どうやってこの世界を燃やし尽くすと?」

 

地球という星だの、世界樹の縁で繋がった三つの世界だの、わからない単語はいくつもあるのですが、一旦はそれを保留として、とにかく私が理解できた内容の中から最も重要だろう事項を私が聞き返すと、ギルガメッシュはめんどくさそうに頷き、再び懐から別の写真を取り出しまし、それをこちらへと投げつけてきました。再び視線が私の手元へと集中します。

 

「これは……」

 

そこに写っていたのは、広大な砂の原でした。写真には紅く、どこまでも広大な砂漠がどこまでも、どこまでも、雄大に広がっています。旧迷宮の四層などとは比べ物にならない大きさのものである事が、手前に小さく映る街と、奥に映る巨大な山の対比から理解ができます。砂の海、と例えるのがいいかもしれません。

 

「砂漠? 」

「珍しいな。このように砂だらけの開けた場所なんて、この世界にほとんどないぞ。アーモロードの方面にいけば少しだけあるが……、いや、違うか。それにしても広大すぎる」

「後ろの山が遠いものね。―――って、ちょっとまって、これ、山も砂漠も大きすぎない? 」

「砂漠の中にポツンとある小さい点って多分、街だよな? 建物の数的にエトリアよりちょっと小さいくらいの街って考えると……、一、十、百、千、万―――んー? ちょっとまて、計算すると、山の高さが万の値を越したぞ。少なくとも二万メートルは有る」

「当然だ。それはこの太陽系で最も高い火山。地球からはるか離れた火星のタルシス高地に存在するオリンポス山だ」

「―――は?」

 

ギルガメッシュの言葉に聞き覚えがあったのは奴の話を聞いている中でもフレドリカだけであったようでして、私やクーマ、他の彼女のギルドメンバーは首を傾げています。

 

「え、ちょっとまって。火星って……、あの火星? 」

「他に火星があるか、戯け」

「―――、いやいやいやいや、おかしいでしょそれは! 」

 

フレドリカは一瞬呆けたのち、慌ててギルガメッシュの言葉を否定しました。ギルガメッシュは自らの言葉を否定してのけたフレドリカに少しばかり苛ついた様子で眉をひそめましたが、しかし、如何にも支配者らしく仕方あるまいといった風体で鷹揚に納得の様子を見せると、慌てふためくフレドリカをじっと眺めていました。

 

「無礼を許そう。雑種。何が不満か」

「何が……、って火星よ、火星! この地球からどれだけ離れていると思っている!?」

「時間、距離など、神格クラスの権能や概念武装があればどうとでもなる問題だ」

「ど、どうとでもなるって、あなた……、きょ、距離とか時間の問題が解決したとしても、火星の大気組成は殆どが二酸化炭素で、人間が暮らすには不向き……」

「それも奴が一定以上神格を取り戻し、権能と概念武装で処理可能だ。そも奴は、まがりなりにも天地を創造し、その後、幾度も天地を揺るがし、テラフォーミングを行った神格保有者だ。一神教の神、YHVHといえば、フレドリカとやら。貴様が本来生きていた過去の時代においての方が、その名は有名で、天地創造の主人としては通りがよいのだろう? 」

「そ、それはそうだけど、だからといって、火星をまるごと作り変えるなんて、そんな……」

「まるごとではない。おそらく現存する信者達から得られる信仰の力にて取り戻した力だけでは足りなかったのだろう。自らの身体を太陽系最大の火山と同化させ、山の神の権能を取り戻したうえで、一部を異界、すなわち、自らの領域とする事で、一時的にタルシス高原からアルカディア平原周辺に人類の生存可能領域を保っているに過ぎん」

「それでも十分無茶苦茶な所業よ、それ……」

 

ギルガメッシュとフレドリカの話の内容は半分も理解できませんでしたが、それでも会話の後に、フレドリカが呟いた後放心した所から、ギルガメッシュが平然と常識の様にいってのけたYHVHの行ったテラフォーミングという出来事が、どれだけ桁外れの所業であったのか理解する事ができます。

 

「納得がいかんという様子だな。だが理解せよ。我ら過去に神霊と呼ばれた存在は、その様な埒外の出来事を軽々と行う事が出来る存在なのだ。……、さて、では本題に移るとしよう」

 

ギルガメッシュは、椅子に深く腰掛けると、自らの膝を叩きながら口を開きます。

 

「先も言った通り、今この大地は、世界樹の根を通じて、三つの世界が時間、空間の捻れた状態で繋がっておる。一つはこの大地。もう一つはYHVHが初めに逃げた時空間。もう一つは今、奴が潜んでおる逃走先の時空の火星よ。そして今、奴はこの火星に存在するオリンポス火山と一体化し、山の神としての力、すなわち自然神としての力を大きく取り戻した」

「山の神としての力? 」

「大地創造や草木、生命の誕生といった力だ。奴はその力を振るい、タルシス高原オリンポス火山周辺からアルカディア平原まで生命の存在が可能となる大地に造り替えた。これにより、この火星の一部の大地、すなわち火山周辺から平原までがムスペルヘイムとなり、同時に、その周囲の極寒の大地がニブルヘイムともなった。その瞬間は、奴の造り替えた世界は、この世界に広く浸透した北欧神話概念の適合により、ギンヌンガガプという特異点を中心に神話的に正しく繋がってしまった。―――これにより、世界を燃やし尽くすイベントの条件は整ってしまったのだ」

「―――なるほと、神々の黄昏/ラグナロクか」

 

ヴィズルの発したラグナロクという言葉に過剰なまでの反応を見せたギルガメッシュは、途端に全身から殺意を迸らせました。極寒の環境の中に薄着、それどころか裸でいる様な心細さを覚え、全身から血の気が引いていきます。

 

「……ヴィズルと言ったな。王命だ。その言葉を、二度と、この世界の、この剣の前で使用するな。破れば殺す」

「―――承知した」

 

それは、たしかに、注意を促す忠告などといったちゃちなものではなく、絶対禁止の厳命を強制する言葉と態度でした。ギルガメッシュのその所作から只事でない事態を悟ったヴィズルは、静かに言葉に首肯すると、口を閉ざしました。

 

「―――とにかく」

 

一方でギルガメッシュは、ヴィズルに向けていた激情含んだ視線を自らが机の上に置いた視線に移動させると、何の異常もない剣を見ます。それを確認すると、怒気と殺意を発散させ、珍しく大きく息をついて、再び口を開きました。

 

「元は山の神でもあった奴は、北欧神話概念の浸透したこの世界で、ムスペルヘイムにある火山と一体化することにより、限りなくある神に近づいた。……ここまでくれば、ヴィズルとやら。先の言葉を知っていた貴様にならば、“世界を燃やし尽くす”の意味が理解できるのではないか? 」

「―――ああ。北欧神話伝承に従えば、“バルドルの死”というイベントが起こったというのであれば、後はヘイムダルの笛によりヴィーグリーズ平原で戦いが幕を開ければ、戦いの果て世界は火山の神スルトの放つ炎によって焼き尽くされる。お前が言っているのは、その事なのだろう? 」

「そうだ。戦いののち、主たる神々は死に絶え、バルドルや一部の人間どものみが生き残る。―――奴の狙いはそこだ。そのイベントが起きれば現存する人間は激減し、同時に無意識下に浸透している北欧神話的概念も薄れる。その瞬間、世界崩壊のイベントすなわち、北欧神話における“ヴィーグリーズ平原の戦い”と“世界が炎で焼き尽くされる”というイベントを、ヨハネ黙示録の“ハルマゲドンの戦い“と”悪魔どもが火と硫黄の池に投げ込まれる“イベントとして信徒どもに強烈な認識阻害を施し、人間の無意識下の内でそのイベントはキリスト教神話的イベントであると思い込ませる事で、自らが選定した民のみを生き残らせ、千年王国の創造を実現する気なのだ」

「―――」

 

ギルガメッシュの言葉に何か言葉を返すことのできるものはいませんでした。誰もが言葉を失っていました。私のように理解がしきれなかったからという理由の者も、あるいは、理解できたからこそ言葉を失ったという様子の人も見受けられました。私はなんとかギルガメッシュの言葉を咀嚼しようとして、理解に努めます。

 

―――世界が燃え尽きる寸前、認識をすり替える。そうする事で、自らが選定した民のみを生き残らせる。生き残るのは、バルドルや一部の人間のみ……ん?

 

「ちょっと待ってください、ギルガメッシュ。バルドルが生き残るとはどういう事です?」

「言葉の通りだ。北欧神話において、一度死んだ奴は、その後蘇るのだ」

 

その言葉が信じられなくてギルガメッシュの顔をまじまじと眺めました。ギルガメッシュは私のその行為をいかにも不愉快そうな顔で受け止めましたが、それ以上の反応はみせませんでした。

 

「―――ダリが生き返るのですか? 」

「そうだ。だが、おそらく―――」

「た、大変です! クーマ様!」

 

そうして私が尋ねた言葉にギルガメッシュが回答しようとしたところ、エトリアに残った数少ない衛兵のうちの一人が息を切らせて飛び込んできました。衛兵はそうして飛び込んできた後、部屋の最奥を眺め、しかしそこに座っている人物がクーマでない事に一瞬戸惑うと、しかし部屋の中央にクーマがいるのを見つけるやいなや、それどころではないと言わんばかりに、両手をあたふたと乱雑に動かしたのち、最敬礼をしました。

 

「ほ、報告です」

「はい。どうかしましたか? 」

「監視塔からの報告です! 北の空より現れた羽根の生えた人間の集団がエトリアの北西から! 西の方へと向かって消えて行きました! そ、そして……」

「羽根、というとハイラガードに現れた翼人ですかね。しかし、西、というと……エトリアから西というと、あるのは……」

 

「グラズヘイム! 」

「ちっ! 」

 

衛兵の言葉を一旦遮ってクーマが自らの考えを述べると、フレドリカがその先にある施設の名前を叫ぶと同時に、ギルガメッシュは大きく苦々しい表情で舌打ちをして椅子から飛び上がりました。同時に彼の体が光に包まれてゆきます。見覚えのあるその白い光は、よく見る転移の際に発せられるものです。

 

「ギルガメッシュ! どこへ!? 」

「我が玉座へ戻る! 奴は認識阻害の概念を広めたい筈だ! ならば月に認識阻害の術式送る陣を敷いてあるグラズヘイムはYHVHの狙いの一つであると考えるのが妥当であろう! ならば、不敬な翼人どもの狙いもそこである違いあるまい! 」

「―――待ってください」

「なんだ雑種! 些事で我の行いの邪魔をしたというのであれば、素っ首を切りとばすぞ!」

 

机の上の剣を引ったくるとクーマの問いかけに激しい答えを返し転移を試みるギルガメッシュを私が引き止めると、彼は心底イラついた様子で荒々しく叫びました。

 

「報告。一応、最後まで聞いてからいった方がいいのでは? 」

「あ……、そ、そうです! まだ、お伝えしたい事が!」

 

そうして私の指摘により部屋中の視線が集中したことを確認した兵士は、部屋の中央にいるクーマではなく、最奥で消えゆこうとしているギルガメッシュの方へと視線を向けなおすと、一旦は弛緩させていた全身に力を入れなおして再び姿勢を正し、叫んだ。

 

「一時が惜しい。手短に申せ」

 

ギルガメッシュは兵士の叫びを聞くと、成る程それも一理あると思ったのか、自らの体に纏わせた光を霧散させ、兵士の方を見て短く命じた。本来なら命令される立場にない衛兵の彼は、しかしその短い命令に拒否権がない事を存分に感じ取ったらしく、ギルガメッシュに向けて敬礼をした。

 

「報告の続きです! その際、翼人という集団の前方、空を飛ぶ彼らのその前方で指揮を取っていたのは、あの……」

 

衛兵は一度ちらりとこちらを見たのち私を見て戸惑い、しかし意を決したかのように嚥下すると、息を吸い込んで、続きを発しました。

 

「彼らの前方で指揮を取っていたのは、ダリという、ギルド「異邦人」のメンバーであったかのように見受けられた、と!」

「……はぁ!?」

 

しかしそして衛兵が続けて述べた言葉は私に取ってあまりにも予想外で、私は思わず、そんな声を発していました。しかし衛兵はそれだけにとどまらず、さらに言葉を続けます。

 

「そして、その事を施薬院前のベルダ広場で目撃した、同じく、ギルド『異邦人』のサガという女性が暴走。我々の制止を振り切り、彼らの後を追いました! 」

「―――」

 

続けざまに告げられる予想外は、私を完全に混迷の渦に叩き込みます。皮肉な事に、このエトリアにおいて、完全な『異邦人』と言えなかった私は、仲間を全て失ったこの時、同時に完全な『異邦人』のメンバーの一人になる事が出来たのです。

 

 


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