Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜 作:うさヘル
第七話 夢の終わり、現実の始まり
*
同じ経験を積み重ねなければ属さない他者と理解し合えない。同じ経験ばかりを積み重ねると、自らに属さない性質を持つ他者の事情が理解しにくくなる。
そうして自らに属さない成分のみで構成されたと思わしき他者の中にも、実のところ自分は存在しているのだと理解してしまうのが、万人が望む正義の味方を演じる始まりで。
しかして後に、実のところ万人は『万人を救う正義の味方』なぞ求めておらず、余すことなく自分の成分のみで構成された、自らにとって理解可能な正義の救いのみを求めているのだ、と、理解したその瞬間こそが、万人が望む正義の味方の終焉だ。
*
帝都 千寿区深川
*
「思った以上に手がかりを得られたな!」
鳴海は上機嫌に鼻歌を歌っていた。彼がそうして上機嫌なのは、悪魔事件の被害者たちの情報を得られたから、という理由以上に老舗の遊郭一の花魁や、綺麗どころを集めた女たちにちやほやされたから、という理由であることは明白だった。
―――やれやれ、少しばかり浮かれすぎてやしないかね
以前までの私ならば犠牲者が出た事件の調査に対して私情を挟み込み、女と話すことを楽しむ彼のこんな態度を責め立てたかもしれない。というか、忠言と思って説教じみた言葉の一つくらいは投げかけただろう。
だが、今の私は彼のそんな態度を特別責め立てようという気にはならなかった。考えてみれば、鳴海がそうして男をたてる美女と接して愉快の感情を露わにするのも、私がそんな彼の態度に不満を抱くのも、それぞれの感情を大元にしたものであると気付いたからだ。
同じ話題はどちらも感情を元に言葉が発せられている。同じ事象に対しても、同じ捉え方をするとは限らないし、そんな軽薄な態度を見せたからといって、彼が被害者の女性たちに対して何の感情をも抱いていない訳ではないということを、私はつい先ほど理解したばかりだ。
鳴海は誘拐された彼女らに対して同情心を抱き、誘拐者に対して憤慨し、彼女たちを必ず取り返す、と、琴水という花魁に力強く述べて見せていた。彼の態度や言動が軽薄なものであるのは事実だが、それは切り替えが早いというだけの話であって、薄情なわけではないのは私とて理解している。むしろ、花魁の涙流しながらに心配を誘うような話に乗らず、淡々とただ事実を抽出し、脳裏のメモ帳にまとめていただけの私の方が、よほど薄情者と言えるだろう。だから私は、彼の愉快な感情から繰り出された私にとって不快な話題に対して、私の感情をあまり表に出さないよう努めながら、彼の言葉に乗っかる形で言葉を返した。
「ああ。特に、被害者の名前と背景、出身地がわかったのは大きかった」
「山陰の絲原、櫻井、田部のお嬢さん、だったっけか。―――元はお嬢さんも文明開化の波に乗れないと、『補陀落』へと落ちる、か」
「自ら望んで海の向こうへいったのならまだしも、親に売られた末の入水とあっては彼女らも仏になるのは難しかろうな……。諸行無常だな」
「―――補陀落。観世音の住む霊場、か。一夜の恋を求める客からすりゃ、女の下半身の観音様に自分の魔羅/マーラをぶつけるを遊びは倒錯的、頽廃的で楽しいのかもしれねぇが、そこに住まう者にとっちゃ皮肉が効いててたまったもんじゃないだろうな」
鳴海の言葉に私は思わず彼の方を覗き込んだ。私は彼に好色の気があるのを知っており、そして彼が遊郭をよく利用する人物だと知っていたので、そうして自ら好んで利用する場所を乏したのが意外に思えたのだ。彼は驚き眼を見張る私の視線に気がつくと、意地の悪い笑みを浮かべて、全てを見抜いたぞ、と言わんばかりの視線を向け返してきた。
「ははぁん。さてはエミヤ、お前、俺がこんな話をするのが意外だったな?」
「いや―――」
思わず否定の言葉を発しそうになった口を無理やり閉ざす。おそらく、世界の走狗として利用され、心身が磨耗しきってしまうほどの長い期間、罵声と皮肉を発することにしか脳と口を利用せず、両手と全身にて他者を排除する事しか行ってこなかった弊害だろう、私は今、そんなことはない、と、社会の良識に則った答えを返そうとした。それが最も円満に社会を回す手法だと理解しているが故に、私はそうした答えを返そうとしたのだが、けれど、それはいかにも自分の心から発した答えではなく、彼ではなく、私の中にある正しい社会のルールに則った礼儀作法の答弁として、そんな言葉を返そうとしたのだと気が付いたのだ。
きっとその言葉を返せば、大人のルールを知る鳴海はそれに則り、適当にお茶を濁す言葉をかえして、そして世界は進むだろう。それはいかにも正しい社会に基づいた大人の論理で、しかしいかにも、彼という人物の感情と向き合っていない、下卑た逃げによる反射の返事であると、今の私は認識した。だから。
「―――いや、そうだな。私は君のことを見くびっていた。もっと教養のない人間かと思っていたが、だが思い返してみれば、元は陸軍の秘密部隊軍役を抜けた兵士であるというし、存外、そうでもないということか。素直に驚いたよ」
「……、エミヤ。お前、はっきりいうね。―――ま、変に気ぃ使われるよかましだけど、それでも、もうちょっと気を使った言い方ってもんがあるんじゃない?」
「ガチガチに美辞麗句で固めた言葉の方が良かったかね?」
「いいや、まったく」
鳴海は言うと笑った。とても自然に、感情から生まれた笑みだった。作られたものでない笑みは、それだけで周りにいるものを愉快にさせる。あるいは、感性や性格の違う彼にに対してそう思えるようになったのは、つい今朝がたの事であるのかもしれないが、私はそれでも良かった。そうして社会に迎合するために作り上げた仮面を取り外して、感情の迸るままに下らぬ話をするというのは、中々刺激的であることを、私はようやく思い出したのだ。
―――ああ、懐かしい
思えば、古くは中学、高校までの学生時代あたりは、このように同じ常識と社会性を保有する相手との下らない会話を楽しんでいた気がする。……、なるほど、私はようやく過去の自分が立っていた場所に再び立つことができたのだ。そう思うと、胸を擽る達成感とともに、過去の自分に対しての醜い嫉妬心のようなものが湧き出てきた。いや、それは嫉妬というよりは、もっと別の、ドス黒い、後悔という名前のものだった。
何故自分は持っていたものを手放してしまったのかという後悔が、全身を貫き押し寄せる。現実を知らぬ餓鬼であった頃の方が、技術、思想ともに未熟だった頃の方が、実のところ、人を救うための真理の側にいたのだということを、今、あの過去の自分との直接対決にて負けた晩以上に自覚し、それが羞恥となり、あっという間に凝り固まって、嫉妬へと変貌したのだ。そうして過去の自分に対して敗北感を味わった私は、過去にできたことを出来なくなったという老いに対しての敵愾心のようなものを無理やり心の外に追いやると、そんな自分の醜き嫉妬の感情の波に押し流されぬよう、あえて理性的な話題を口にする。
「さて、鳴海はこの事件をどう見る? 何故、言峰綺礼という男は、補陀落という遊郭から二人を攫い、そして残る一人も攫おうとしたのか」
「どう……って、俺は人間のあれこれに対して探る方面が専業で、悪魔の専門家じゃないからなぁ。被害者の名前と出身地、背景がわかったところで、さらなる調査のための材料が手に入ったな位にしか思えなかったわけだが……、そう言い方をするってことは、エミヤ。さてはお前、言峰綺礼の企みをある程度推測できたな? 」
どうやらこの鳴海という男は、なるほど、たしかに一頭地に本拠を構えて探偵業を営む実力だけのはあるようで、人の言葉から心の機敏を読み取るに長けていた。私は少しばかり戸惑った。確かに私は奴が何故その新米遊女ら三人……いや、二人を攫い、一人を攫おうとしたのかの理由を見つけることはできた。だがそれは、あくまで私の世界の知識により導き出された結論であり、この私が生きていた時代と、時間軸や背景が異なる異世界においてどこまで正しいと言えるか甚だ疑問だったのだ。だからこそ私は一瞬そんな不正確な情報を伝えていいものかと逡巡したが、どうせわからないことだらけなのだから恥をかこうが、自分の意見を述べて修正してもらった方が手っ取り早いかと考え直し、「あくまで私の知識と記憶による予測だが」、と、一言事前に告げると、そのまま言葉を続けた。
「……、山陰の絲原、櫻井、田部といえば、奥出雲のたたら御三家。有名な鉄師氏だ。古くは江戸、近代では大正にかけて製鉄に従事してきたが、大正という時代が十年も進んだ頃、海外との貿易が活発になると、安い洋鉄に負けてたたらを廃業せざるを得なかったという」
「ああ、そういえば、軍にいた頃聞いたことがあるな。なんでも、質が悪い鉄が使われるようになったとかで、鉄製品の耐久だのが悪くなって、銃身の暴発増えたとか、落ちたとか文句を言っていた気がする。たしかお偉いさんは、金屋子神の加護がどうとか……」
「それだ。おそらくそれが核心だ。おそらく奴は、金屋子神に関連したなにかをしようとしているに違いない」
「へぇ?」
鳴海は間抜けな声を漏らした。自分が対して意識せずに漏らした言葉が事件の核心をつくなどとまるで思っても見なかったのだろう。
「どういうことだ?」
「彼女らは今でこそ零落したとはいえ江戸から続くたたら製鉄の御三家で、三百年近くもの間、たたらを続け、玉鋼を作り続けた存在の末裔だ。金属の神である金屋子神とは常人よりも親和性が高かろう。―――この世界は、神霊すらも悪魔という名称で括り、跋扈する事を許容するこの世界だ。また、神霊と関わりの深い縁を持つという事は、関連した神霊を呼び出しやすいということに通づる。そこにきて、金属の神である金屋子神と関わりの深い彼女らが言峰綺礼という男に攫われたというなら、「言峰綺礼という男は、金屋子神に関連したなにか利用しようとしている」、と、こう考えるのが自然の流れではないだろうか」
そう告げると、鳴海の目が鋭く光る。
「―――奴の狙いは何だ? そこまで読んだからには、エミヤ、お前、奴の狙いの大筋のいくつかくらいは思い付いているのだろう?」
鳴海の口調は鋭く、確信を帯びていた。瞬間、私の脳裏に迷いが生じた。迷いはやはり、私と彼は違う考え方をする人間で、鳴海は他人の考えを素直に受け入れられる人間なのだというちょっとした羨む感情に基づくものだった。
「―――先も言った通り、金屋子神、というのは日本古来、山陰あたりを発祥とする金属の神だ。それに関連する女を攫ったからには悪魔召喚のための触媒として攫った、と考えるのこの世界では自然なんだろうが……」
「だろうが?」
「―――金屋子神は女を嫌うという言い伝えがある。女神ゆえ、あるいは木花開耶姫だからという説もあるが、とにかくそのような風聞の方が多く流布している以上、ならば、触媒に使うにしろ、神使役の存在として使うにしろ、男を贄として用いる方が、神が召喚者の要請に応じて協力してくれる可能性は高まる。琴水に聞いた話によれば、彼女らの親族のうち、親父や男どもの一部はこの帝都に残っているという。金屋子神の触媒にするなら、そちらを選べば済む話だ。少なくとも借金のかたに身売りされた遊女たちを攫うよりも楽であるし、何より、借金を背負った彼らが消えたところで、話題として目立ちにくい。もし消えたのが彼らだったのならば、帝都の人々は、男たちはたいそうな借金があるという状況に耐え難くなって逃げたのだろう程度にしか思うまい。つまり、事件としてではなく、単なる経営破綻の果ての失踪として考えられる可能性が高くなるはずだ。その方が、ヤタガラスに不審がられる可能性も低いはず―――……言峰綺礼という男は、唯一神の教徒であるが、魔術の系統にも詳しい。というよりも、金屋子神関連の娘を攫っているのに、その程度の不利益を知らないはずはない。だがそれでも、言峰綺礼たちは、目立ち、金屋子神の触媒になりにくい彼女らは選んで、誘拐したのだ。ならば、そこにはなんらかの意図があるはずと考えるのが自然だろう?」
鳴海は長ったらしい私の説明を聞くと、眉間に皺を寄せながらもなんとか話の論点を理解をしようと務め、考え込んでいた。その理解に努める態度は私にとって好ましいものだった。思えば自身の率直な考えを隠さず他者に述べて、そしてそれを他人に受け入れてもらえるなどというのは、一体、いつ頃以来のことだろうか。
戦場を駆け巡り、説得に応じない他人との接触が起こる度、瞬間だけの闘争という対話の結果、私の手は血に濡れ、一方的な勝利を得るという虚無感だけが残ったものだが、今は違う。鳴海という大正の時代という私の起源にあたる価値観を持つ、それでいて私と異なった性質を持つ男は、私の考えた意見を受けいれて思考を働かせている。それは他者から理解されず、拒絶の剣を突きつけられ続けてきた私にとって非常に心地の良いもの態度だった。
「―――よし、わかった。とりあえず細かい理屈は置いとくとして、お前が、言峰綺礼が金屋子神という悪魔に関連した何かの出来事を起こそうとしている、と睨んでいることは理解した」
「―――そうか」
それがたとえ、俺ではお前の理屈を理解しきれない、という返事であったとしても、他者の中に私の一部が取り込まれ、目の前のそういう存在なのだときちんと理解され認識されるこの感覚は、なんとも得難い快楽である。鳴海は軽薄ではあるが、偽りなく自身の状態を述べる男なのだ。そう言った自身が持ち得ない素直な部分を、私は好ましく思った。
「それでエミヤ。お前さんの事だ。実のところ、そこらのもっと踏み込んだ事情にも、あたりを付けていられるんじゃないか?」
だから私も、なるべく素直な彼に対しては誠実に、実直な回答を返そうと考えた。
「―――干将・莫耶という武器がある」
とはいえ、いきなり結論を述べたところで彼に理解できるとは思えない。また、いきなり結論から入るという話し方というものが、急速な変化を伴うと云うそんな話し方が、空気を読むという日本人の気質に受けないことを私は理解していたため、私はまず本題の話に入る前に、語ろうとする事実を理解するに必要な知識を彼に説明することとした。
「……、ああ、聞いたことがある。昔、中国の方で作られたっていう双剣だろ? 確か、中国の王様が鍛冶屋に作る際、一悶着あったっていう」
そうしておそらく鳴海もそんな私の意図を汲み取ったのだろう、話に乗ってきてくれた。わたしは鳴海のそう言った思慮に感謝を送りつつ話を続ける。
「ああ。ざっと説明すると、昔、呉王が鍛冶屋干将へ最高の二振りの剣を作るように命じた。干将は命に応じて最高の材料をかき集め、まずは刀の材料である鉄を精錬するため、炉心を動かそうとした。しかし、不思議なことに炉心の温度は安定せず、困った干将は、炉心の温度を安定させるために妻、莫耶の爪と髪を捧げたという」
「へぇ、爪はともかく、髪といやぁ女の命に等しかろうに、健気な奥方だねぇ」
私の話を聞いた鳴海は、話の大筋ではなく、枝葉の部分であるはずの女性の気持ちに着目した意見を返してきた。なんともらしいと言うべきか、否、あるいはそんな彼の思考こそが、今の私に足りない余裕や情、と言う奴なのだろうと分析した。
「―――さて、鳴海。爪、髪は、すぐに伸びる、という特徴から生命のシンボル、あるいはそのものとして呪術的には扱われ、代用される、あるいは代言される事が多い。また、少し話を戻して金屋子神だが、この神は通常の日の本の神道的神にしては珍しい穢れを好む特徴を持っている。かの神霊は、たたらの周囲の柱に死体を括り付けると良い鉄が生まれるという伝承があるのだが……」
「うげぇ……、なんだそりゃ。なんとも悪趣味な……」
「実はこれらは科学的な理由で説明できる。死体は単なる鑑賞や儀式、呪術の材料なのではなく実用性を持った温度調整の道具―――、死体に含まれるカルシウムは炉の温度を調整するのに一躍かってくれる。莫耶の妻も、干将の師匠である欧治子がかつて自身の身を犠牲にし、炉に投げ入れたことを思い出して名剣を生み出したが故に、爪と髪を投げ入れることを思いついたというのだ。―――魔術的な視点から例えるなら、人の犠牲を、人身御供を炉心の神たる金屋子神は喜び、贄の代わりに、良質な鉄やそれを生み出す環境を人に授けたもう、とでもいったところかな? 」
「お前もよくそう平然と悪趣味な話を出来るなぁ……。しかしまたなんでそんな話を……」
そこまで言って鳴海は黙り込んだ。私からいくつかの情報を与えられた彼は、それらの情報を結びつけ、私の言わんとしていることを理解してくれたらしい。
「―――つまりはなんだ? 干将・莫耶の逸話とやらで捧げられた爪と髪ってのは、実は女房自身で、同じように、言峰綺礼は、良質な鉄を作るために彼女らを攫った、と、お前はそう睨んでいるのか? 」
「あくまで可能性の一つとして考えている、ということさ。だが同時に、私は、高い確率でそうではないかと考えてもいる」
かもしれない、と言いながら、断言に近しい口調で私が述べると、鳴海は真剣さを保ったまま尋ねてきた。
「なぜだ?」
「言峰綺礼の崇めるあそこの神、YHVHは女嫌いで有名だからな。贄以外の要因で女を欲するような真似をするとはおもえん」
*
「ひどい言い草をする。だが真実でもある」
「―――」
鳴海に対して放った言葉に対して、何処かより返ってきた耳朶を打つ声は私の聞き覚えのある声であり、それに思考が応ずるよりも先に、体が反射した。そうして私の体が反応し、視線が声の主人の元へとたどり着くまでの間、私の思考は周囲の光景をスローモーに捉え、そして同時に、その瞬時の間に、私は周囲の異変に気がついた。まだ太陽が頭上にて燦々と輝いている時刻だというのに、人通りがまるでない。遊郭街の近くであるということを差っ引いても、あまりに不自然すぎる静寂は、周囲に異常が起こっていることの証左だった。
「あいつは……」
鳴海の声が無人の道路に響く。普段の声よりも小さなボリュームの彼の小声がやけに大きく聞こえたのは、疑いようもなく、人払いの魔術が使用された証だった。声の先にいるこの術式を施した人物を眺める。背の高い深掘りのその男は、腕を後ろに組み、この世の全ての闇を凝縮したかのような黒いカソックを纏い、なんの感情もこもっていないかのような胡乱にもみえる、しかし真っ直ぐな視線を私たちの方へと送ってきていた。奴の姿はいつぞや真夜中の異界の中で出会った時よりもはっきりとした像であったにもかかわらず、太陽の下にあるその姿には、まるでそこだけ太陽の光が当たっていない以下のごとき深く、静かな陰鬱さと暗澹さがあり、瞬間、私は私の中の『言峰綺礼』という人物の記憶が劣化していたことを認めざるを得なかった。
「言峰……綺礼……!」
私が奴の名を口にすると、奴は静かに両唇を釣り上げた。そんな落ち着いた挙措のひとつですら、神経は危険を感知して体が戦闘の状態へと移行させられる。脳髄から指先にチリチリとした感覚が流れ込む。思考も直観も、感覚も感情も、その全てが今すぐ奴を排除するべきだと訴えかけていた。ああ、これだ。これが言峰綺礼という男だ。若い頃の私が絶対に生かしておけない悪であると判断し、薄れていた情動を取り戻したばかりのこんな状態の体の今でさえ、なおも全身が、私と相容れぬ者だ、と、判断するそんな男。悪の容認者。他者の不幸を喜ぶ男。衛宮士郎という、他者の喜びを糧とする存在の対極にある男。
「え……、え? あ、か、カソックに長身の深掘りの日本人……―――ちょ、ちょ、っと、まてよ! じゃ、じゃあ、こ、こいつが」
鳴海は言峰を指差すと、私と言峰とを交互に見やると、ひどく狼狽えた様子で、尋ねてきた。
「ああ。私の……、いや、私たちの探していた、事の真相を知るだろう人間だ」
奴から視線を外さないまま返答する。何があっても即座に対応できるよう、周囲に気を配り、全身を脱力させておく。奴の狙いはわからないが、少なくともこうして人払いの結界を敷かれた時点で奴の後手の回ってしまった事だけは確かなのだ。だからこそどんな事が起ころうが柔軟に対応でいるように心構えと体作りだけは行っておく。奴の用意した俎板の上に乗ってはしまったが、その上でまんまと活け造りにされる気は毛頭ない。
「―――ふ……」
やがて遅ればせながらも、私の態度の変貌と、周囲の異変と、場の緊張感から空気を読み取った鳴海とともに正攻、奇襲に備えていると、眉尻を緩め、息を漏らして、構える私たちを嘲笑した。私たちは警戒を崩さない。
「……、反応なしか。嫌われたものだな。―――まぁ、我らの間柄を考えれば当然か」
言峰はそんな私の態度を見て、悠々と首肯する。余裕の態度が挑発を伴っているのかまでは計り知れないが、少なくとも、真実、奴が二人の男から敵意を向けられているこの状況に危機感を覚えていないのだけは確かなようだった。奴が見せる余裕が罠のように見えて警戒を密にする。張り詰めた空気が色濃いものになったのを感知した奴は、一層嘲笑の態度を露わにして、含んだ笑い声を漏らした。
「警戒するな、といったところで、それを律儀に聞く貴様ではないか―――」
―――来るか
奴が言葉を切って息を呑み込んだ。挙動の直前の動作か、発勁の準備かと警戒したが、しかし奴はそうして息を呑んだまま動かない。
―――何が狙いかだ
そうして奴の挙措に集中していると、強化した耳は少し離れた場所より人の声を拾って来る。少しばかり焦燥感を抱く。どうやらこの場所を中心とした一定の空間に人払いの結界は敷いてあっても、遮音の魔術は併用されていないようだった。悲鳴や銃声、破砕音がすれば、訝しんだ人々や警官がこちらへとやって来る可能性は高い。そのように無関係な一般人を巻き込んでしまうのは私の最も嫌いとするところ……。
―――くそっ
つまり、私は剣戟や銃声、破壊音を放つような攻撃は控えつつ、戦闘の範囲を広げないように気を配りつつ、鳴海を庇いながら奴と戦闘をしなければならなくなってしまったというわけだ。相手が最も嫌がるように、一つの仕掛けに二重三重の意味をもたせ効力を発揮するように仕組むあたり、奴らしい周到さと老獪さだ。相変わらず人の一番嫌がる部分を見抜くに長けている。しかし、なるほどなんとも奴らしい―――
「ならば一方的にこちらの要件を伝えるだけ伝えて去るとしよう。―――アーチャー。いや、罪人達が栄華を謳歌する偽りの黄金時代を壊し、煉獄に叩き落とした英霊エミヤよ。喜べ。此度私は、貴様が正義の味方になる機会を与えに来てやったのだから」
そうして葛藤する私の頭を、奴の言葉が斬り裂いた。
―――喜べ
運命の演出か、その言葉は、若かりし頃の私が、奴と始めて出会った折、もっとも私の心に影を落とした、“正義の味方”の在り方を葛藤させる言葉だった。
*
帝都 晴海町
*
足元で黒猫が一鳴。一般の人からすればニャアとしか聞こえないその一言を、しかし猫のすぐそばにいた少年、葛葉ライドウという彼は頷いて同意した。
「―――もう道行く百人ばかりに話を聞いたけれど、妖しい人物は見ていないという回答ばかりです。―――言峰綺礼という男、こちらには来ていないのでしょうか?」
『わからん。だが、悪魔を用いての『読心術』を用いて、道行く人々の本心を覗き込んでいるのに、何一つ手がかりが掴めんのだ。少なくとも、市井の人々に目撃されていない事だけは間違いはないのだろう』
「―――確かに」
ライドウは一旦腰を落ち着ける場所として階段の縁を選出すると、そこに腰掛けた。ゴウトはその隣に静かに佇む。そうして少しばかり疲れを癒していると、ゴウトはポツリと言葉を漏らした。
『あやつら、上手くやれていると良いのだが……』
「―――彼らの動向に何か不安が?」
『……、ライドウ。お主は彼らという人間たちをどう見る?』
「―――信頼できると思います。それに、悪い人間でないことは、ゴウトも『善悪探知法』で確認したのでは? 」
ライドウがいった『善悪探知法』とは、対面の折り、相手の本心が分かると念じつつ、『神火清明、神水清明、神心清明、神風清明、善悪応報、清濁相見』と唱えることで、対面した相手が自分にとって良い人間であるか、悪い人間であるかを知ることのできる、神道系の呪いだ。ここ数年の事件において、身近、あるいは、自分らと接点のあった思わぬ人物が帝都を脅かす事件を引き起こしているという事態が数度続いたことから、ゴウトやライドウは初対面の人物に対しては必ずその呪法を用いて善悪の判別を行なっている。
『無論だ。否、それ以前に、彼らが悪しき人物でないことを、呪い以前に、儂の長年の直観は一目で見抜いておった―――だからライドウ。これはそういった意味の質問でなく、お主という人間が、彼らという人間の性格をどう見るかという話なのだ』
ライドウは、ゴウトが自分に問うているのは、彼らの能力や信頼がどうこうと言った話ではなく、自身が彼らの人格についてどう思っているのか、と問うているのだとようやく理解した。ライドウはゴウトの意図を汲むことができなかったが、おそらくこの問答には、そして、この問答の先には、なんらかの意味あるものが隠されているに違いない事だけは確信した。だからライドウは、ゴウトの問いに、目を瞑りじっくりと考え込んだ。そしてライドウは、しばらくした後、瞼をゆっくりと開けてゴウトの方へと視線を戻した。
「―――シンは、ヨシツネやクー・フーリン、フツヌシのような、誇り高く、自身の誓約に殉じる武人系の性格。響は、葛葉ゲイリンたる『凪』とモー・ショボーのような不安定で感情と理性の間で揺れやすい未成熟な少女の性格。凛は、スカサハやアルラウネのような情感豊かで人を慮ることのできる、理性で感情を制御できる成熟した女性の性格。そしてエミヤ……衛宮士郎という人は―――」
そこでライドウは言葉を止めた。人の性格をどのように思うか、と問われた際、共通しての知人に例えるという行為は便利だ。それは細かい説明抜きで自分がその人物をどのようにカテゴライズしているかを評する事ができる。しかして、ライドウはエミヤという人物をさっと誰かに例えることができなかった。ヤタガラスの使者から譲歩を引き出す強かさと、上位悪魔と戦うことのできる突き抜けた強さを持ちながら、人間臭さを捨てていないという彼に当てはまる人物がライドウの脳裏にパッと浮かばなかったのである。とそこでライドウは深く考える。
―――エミヤという男が、理性的かつ聡明な人間であるのは確かだ。初期、ヤタガラスの使者との交渉において、自らの立場が不安定な状態であるという状態を逆手に取り、自らの強さと持つ情報という手札を必要に応じて粛々と晒しながら自身や、自身が追う言峰綺礼という男を放っておけば不穏分子になりかねない事を説明し、そして自らにとって有利な条件でヤタガラスとの協力関係を結んだ手腕は見事というほかない。
かといって完全に自らの打算や理のみで事を進める情の無い人間というわけではなく、彼が感情豊かな人間であることは、自らに益や理がないと知りながらも自らに見返りのない提案をしてくれたり、あるいは、時に自らの胸の裡に湧き上がった怒りを抑えきれず暴走し、その後、罰が悪い顔を浮かべ謝罪してみせるような彼の様からうかがい知ることができる。普段は打算と損得を考えて冷静に動きながらも、心の大事な部分を踏み荒らされると怒るあたり、エミヤは鳴海という男で例えるのが、最も適当なのかもしれない。
―――しかし
だが、そこでライドウは考える。エミヤは、鳴海とは異なり、戦闘面においての直接的な、悪魔という異常存在と真正面から戦えるだけの戦闘力を保有している。しかして、彼のその戦闘力は、源義経やクーフーリンの如く純然たる戦闘の才能に基づいた強さではなく、弱いなりに戦いを凌いできた膨大な戦闘経験に基づく老獪で弱者的な強さだ。それは言い換えるなら、自らの苦手とする分野において勝ち続けたと言うことの証だ。
しかも彼のこれまでのあり方から考えるに、彼のその力は、自らの欲望を満たすためではなく、誰かに救いを齎すために古い続けた結果、得たものなのだ。そうでなければ、ソロネ戦において、ああも自然に自らの身を最前線に晒し、傷つく提案を受け入れなどすまい。すなわち、エミヤという男は戦闘という行為の才がないながらも、直接的な暴力の被害にあっている誰かがいる場所に多く飛び込み、彼らの為に身を張って戦ってきたという事になるだろう。であれば、エミヤというとこに戦いの才能というものがないとい部分を棚上げして考えてしまえば、エミヤという男を表すに相応しい人物とはつまり―――
「―――衛宮士郎という男性は、歴代『葛葉ライドウ』の名前を受け継いできた先代達に並ぶような、立派な性格の人物であると思います」
エミヤという男は、自らの弱さを弱いと認め、そして弱さにめげず、現実の課題に対して真正面から立ち向かい、対処してきた男であるという事だ。ライドウはエミヤと重ね合わる対象を、現在この時に存在する人物から、過去の時空軸に存在した人物へと変化させることで、ようやくエミヤという男の人物を他の誰かに当てはめることが出来た。ライドウの言葉にゴウトは頷く。
『うむ。まぁ、そうだな、その通りだ。他者の悪しき気持ちの変化に聡く、自らの身が傷つこうとも他者の盾となることを躊躇わず、弱者の盾となり、悪の芽を挫くためなら労力を惜しまない。なるほど、お主が歴代の『ライドウ』たちと重ねる理由もよくわかる。―――ではライドウ。改めて問うが、お前はなぜ、先代ライドウたちの様だとまで思い浮かべておきながら、今代のライドウであるお主自身と同じ様な存在である、と例えなかったのだ?』
「―――それは」
ライドウはゴウトの質問に対して再び首を傾げた。ライドウはそうして考えるふりこそしたが、もうとっくに答えは承知していた。彼を己にたとえなかった事には深い意味があったわけではない。ライドウはただ―――
『……意地悪な質問をしたな。―――長い付き合いだ。お主がエミヤ―――衛宮士郎という立派な男の事を今代のライドウである自ら自身ではなく、先代のライドウたちと比肩させる存在に例えたのは、ある一面では、お主の謙虚さや謙遜の面が主だってそうさせたのだということを、儂はよく理解しておる。それは自賛になるからな』
未熟さを自覚している自分自身と対比に上げる事で、自らの存在を傲慢に誇るような真似をしたくなかっただけなのだ。
「―――自分は、別に、そういった意図は」
だからライドウは即座に否定したが、ゴウトは静かに首を振ってそのライドウの拒絶を否定すると、こちらの人格を見透かしたかのように頷いた。
『その否定こそが謙虚の証よ。……、まぁよい。だが、それとは別に、お主がなぜ無意識のうちに、エミヤを、先代ライドウという。お主にとって『過去の人物』である存在に例えたのか、その理由を、儂は理解しておる』
「―――それは?」
『お主は、あやつの様な、人並み外れた強さを保有しながら、その力を自らの為にではなく、他人のために使うような、まさに理想的な英雄がこの世にいるはずない、と無意識のうちに思ったのだろう。すなわち、お主はそうした理想の英雄というものは過去、人々の記憶の中にしか存在し得ない存在である、と知っているが故に、お主にとって過去の理想の英雄である『先代葛葉ライドウ』と重ねて例えたのだ』
「―――」
そうかもしれない、とライドウは思った。ある意味で理想的な“護国の守護者”が如き人物だったからこそ、自分はエミヤのことを過去の人物で例えたのかもしれない。しかし。
「―――そうかもしれない。だがゴウト。仮にそうであるとして、なぜこの場でそのような話を? 彼のそんな性質が、今、何かに関係しているのか? 」
自分がエミヤという男に対してどういったイメージを抱いているのか。なぜゴウトは調査の最中、いきなりそれを自分に問いかけてきたのか、ライドウにはその理由がわからなかった。
『―――理由は二つある。―――まず一つとして、此度のお主の調査の仕方を見るに、どうもお主が、エミヤという男の存在に引きずられて、功を焦っているように見えたのでな』
ライドウは虚をつかれた思いがした。自分は普段通りの調査を行なっていると思っていたが、第三者であるゴウトから見ると、自分は焦っているように見えるらしい。
「―――自分が功を焦っている?」
『うむ。任務のためとはいえ、悪魔の術理を使用する事を普段のお主なら、しない。ところが、今のお主は、帝都の民との会話の後、誰彼構わず片っ端から、悪魔の力を用いて『読心術』を用いている。それがお主が焦っている証拠といえるであろうよ。すなわち、お主は、今、どうしても『言峰綺礼』の情報が欲しくて仕方ない状態なのだ』
ゴウトの指摘に、ライドウは今日の自身の行動を振り返り、一定の納得を得た。なるほど、確かに今日、自身は道行く多くの人に声をかけては、片っ端から人の心を直接読む術式をかけて回っている。普段の自分なら、無辜の人々に対して心のうちを覗くような破廉恥な行為はしないだろう。焦っているとゴウトに評価された理由も納得した。その点から考えるに、確かに今日の自分は普段の自分と違うという点をも、ライドウは納得した。しかし。
「―――ゴウト。自分の行動がいつもと違うことは認める。焦っていると言うのもあるだろう。だがそれは、帝都に仇をなす敵を早期に見つけ排除するためのもの。エミヤという男達がもたらした情報に基づく焦りではあるのは確かだが、彼に起因するものでは―――」
『いいや』
その行為は、調査の対象が帝都の敵であるというライドウ自身の事情から生まれたものであり、決してエミヤという男の事情に引きずられたわけではない、とライドウが弁明をしようとすると、ゴウトはライドウの言葉を遮って、その釈明を否定した。
『お主のそれは、エミヤという男に起因する焦りだよ、ライドウ。ライドウ。お主は今、久方ぶりに現れたお主と肩を並べて戦える戦友の出現に浮かれ、彼の役に立ちたいと考え、急いておるのだ。―――あの安倍星命の時と同じように……』
「―――! …………」
ゴウトの言葉によって、ライドウの心にただならない衝撃が走った。ライドウはゴウトの言葉にただの一言すらも言い返すことができなかった。なぜならそれは、確かにライドウの今の心境を的確に表すものだったからだ。
『ようやく自覚したか、ライドウ。そうだ。今、お主は、急いておるのだ。かつてお主が心を許した安倍星命の時と同じように、誰かのため真に身を投げ出して盾となるという性質を帯びた人間の出現に喜び、苦労を分かち合う経験をしたことで、お主は浮かれておるのだ。ライドウ。お主は今、自身と同じような性質の彼のために役に立ちたいと考え、私欲にて動こうとしておる。だからこそ儂は、今、この場でそうして帝都の守護者として冷静さを失ったお主を諌めるため、こうして話を持ちかけざるをえなかったのだ』
*
安倍星命。それはかつてヤタガラスに所属していた陰陽師の名前だ。遡れば安倍晴明の流れを組み先祖に持つ彼は、幼き頃から弱者が強者に一方的に搾取される現実を憎み、現世を、壺の中に毒虫を放り込み、互いに身を食い合わせることで最強の毒虫を作り出すという古代の呪術『蠱毒』が如き残酷な世界として忌み嫌っていた。そんな星命の思想は、『倉橋黄幡』という、彼の兄分の気紛れによって歪められた教育を施され、そしてまた、偶発的にその体に宿った宇宙生物/マレビト、『クラリオン』という悪魔によって意志を誘導された結果のものであったが、それでも安倍星命という人間が弱き者が一方的に搾取される世界を変えたいと願うその気持ちは本物だった。
そしてやがて成長した星命は、そんな蠱毒が如き世界を変革し、世界に平等をもたらすべく、計画を練り、帝都の裏側で暗躍するようになる。彼の願いのあらゆる人々に特別な強さを授ける事で、人々の強弱の格差をなくす事だった。そのために、陰陽師である彼は、景教、すなわち、キリスト教の旧約聖書において終末の日に饗される運命にあるという聖獣『べへモス』を召喚し、弱者の人々に分け与える計画を打ち立てた。
ただし『べへモス』のような最上位に分類される悪魔の召喚には、とても個人では賄いきれない量のマグネタイト、すなわち生命エネルギーが必要となる。人々に力を『分け与える』というのだから、考えてみれば当然の理屈だ。無い袖は触れない。多くの弱者を強者の位置に引き上げるには、それ相応のエネルギーを必要とする。そして星命は、足りないそれを補うため、帝都の人々の生命エネルギーを主だった贄として利用することを考えた。
帝都に住まう多くの弱者の犠牲をもってして、帝都以外の弱者を救済する。そんな彼の目論見は、当然、帝國の裏から護国を担うヤタガラス、ひいてはそこに所属する帝都の射影たる最強の悪魔召喚師、『葛葉ライドウ』の理念と相容れぬものとなる。帝都の守護者であると同時に、強者の最上たる存在である『葛葉ライドウ』は、星命の救いを必要としない存在であると同時に、彼の計画にとっての最大の障害でもあった。ライドウは彼の計画にとって二重の意味で邪魔ものだったのだ。
そこで星命は、画策し、葛葉ライドウを異空間に追いやる計画を画策し、星命は、彼の心に付け入る策にうってでた。陰陽師としてヤタガラスの情報機関に所属していた彼は、今代の葛葉ライドウに近づき、一芝居打つことで、今代の葛葉ライドウである彼の友人の位置に収まった。それは護国を担うライドウにしては迂闊であったが、しかしライドウがやすやす安倍星命という人物の演技に騙されたのは、おそらく星命という人物が、心の底から弱者の救済を願っていたからであり、そうした本心の部分の吐露がライドウの琴線に触れたが所以だった。
ともあれ、ライドウはそうして得た『安倍星命』という友人のために、様々な気を揉み、彼のために動き、しかして裏切られ、危うく帝都の守護を出来ぬ異次元に飛ばされてしまった。しかしライドウの名を継ぐ十四代目たる彼は、歴代においても最強と名高き強者であり、陰陽師としての才に長けた安倍星命といえど敵わぬ存在だった。様々な事情の果てに現実世界へと帰還したライドウは、その後星命らを倒し、帝都の守護を果たしたのだが、そうして私情を排して帝都守護を優先すべきライドウは、そんな、私欲、私怨の為に動こうとして、自らに課せられた使命を果たせない状態に陥りかけたという経験を持っている。
そしてお目付役であるゴウトは、その経験をライドウのそうした経験を、一部始終目撃してきた。故に今のライドウの状態は、過去の、そのようなライドウと肩を並べて戦える得難い友人を得て気持ちが浮ついている状態だと見抜き、危惧し、警告を与えたのだ。
*
「―――ゴウト」
『ん?』
「―――エミヤはどのような人物で、どのような悩みを抱えているのだろうか?」
安倍星命という人物の本心と人格を見抜けなかったからこそ、かつて自身は窮地に陥った。その経験は、ライドウにエミヤの理解をしたいという想いを生み出していた。ゴウトはその質問から、ライドウが己のエミヤという人物のために気を急いていた事実を自覚し、だからこそ、同じ過ちを繰り返さないため、彼という人物のことを知りたいとライドウが願っているのだということを見抜いていた。ゴウトはライドウが、エミヤという人物について考察し、理解しようとしている事を喜び、自らの考えを述べ始める。
『―――初対面時、エミヤという男の本質を神道呪術『善悪探知法』にて探った折りに、儂は奴の内面は非常に歪な構造をしておることが理解できた。奴の人格、すなわち精神に重きを置いて例えるなら、エミヤという男は肉体と精神と魂がそれぞれ別個の性質を兼ね備えておった。魂は我らの様な日の本の人が持つ神道の感性に近しいが、しかしその思想、すなわち精神、価値観は耶蘇教の持つ自然支配欲求のそれに近く、結果、彼奴の肉体は北欧、ケルト神話的な死と名誉を望むような気質である、という異質さがある。すなわち、魂の本能は、敵対する相手の意見の意見にも理があると認め、相手を理解し、相手の論理を自身の中にも組み込む事で、自他の敵対状態を白黒あやふやにしてしまうという融和的なやり方を好むくせ、肉体にて現実的な手段を取るにあたっては、彼は、自分と異なる相手を尊重し、そして相容れないと敵対する相手にも敬意を払い、真正面からの直接対決にて白黒の優劣をはっきりとさせる決着をつけるやり方を好み、しかし精神的な部分、自分は、自身の意見と相容れぬを悪と決めつけ、それら全て討ち滅ぼし自らの色に染めあげる事でやり方を選択する人間であると、儂は認識しておる』
ライドウはゴウトの言葉を聞いて考える。日本の神道は、自然の恩恵と脅威が同時にした場所で、自然と対話し、調和した状態を維持することを目的とした宗教だ。一方で、北欧、ケルトの方の宗教は、自然の厳しく、恩恵は少なく、そして人に容赦なく死を与える極寒の環境で培われたものであるがゆえに、人間は必ず自然と対峙せねばならず、そして結果、いつか必ず負ける、という教えに基づいている。他方、耶蘇教、つまりキリスト教は、もともと砂漠という自然の恩恵がほとんどないような場所を住処とする、さまよう流浪の民が心の支えとすべく信仰していたものであるがゆえに、自然は自分たちを苛める敵であり、御してやらねげばならぬ敵である。つまり。
「―――、超自我、超意識たる融和の訴えを、潜在意識たる精神が否定しており、結果、顕在意識たる表像面には、エミヤの現実とも理想ともかけ離れた歪んだ性質が発露している。それがエミヤという男であり、そこに彼の悩みの源がある、と?」
『その通り。―――そしてその精神構造の歪さを見るに、おそらくその精神性は自らが自然と選び掴んだ思想ではなく、誰かに植えつけられる形で得たものなのだ。エミヤは自らの心からの望みと異なる、受け入れがたい性質の精神を他者から植えつけられながら、しかしそれを受け入れ、己が理想とし、結果歪みより生じる様々な矛盾の感情を、片っ端から殺すことで対応してきた男……。他者の理想を自らの理想として取り込み、それを成すため自我を殺し続けた、言うならば究極の滅私存在であり、そして、おそらくそれが、奴の強さの原典なのだ。―――ライドウ。お主ほど才気溢れる存在ならば理解できるであろうが、エミヤという男、戦闘における才能というものがかけらほども存在せん。あやつはこと戦闘面においては凡人だ。それでもあやつがああまで強くなれたのは、そのようにして、魂の訴えを自ら無視して肉体を酷使し続けた結果、火事場の馬鹿力を発揮し続けたからなのだろう。お主が歴代ライドウに例えたのもわかると言うものよ』
無茶苦茶だ。
「―――憑依により無理やり体を動かされていた状態に近い、ということだろうか? 」
『違う。エミヤは、奴自身の意思で、おそらくその矛盾に気付きながらも、あえて自身を痛めつけるような道を歩いた。すなわち、あやつはニーチェの言うところの拝火教の教祖『ゾロアスター/ツァラトゥストラ』すなわち、『超人』としてのあり方を体現し続けた男なのだ。―――ふむ、そうさな。それを過去の神霊の状態に例えるなら、憑依と言うよりは、ヴィシュヌとブッダ、いや、YHVHとイエスと精霊、―――というよりかは、魂を元始天尊に分割された王奕と太公望の関係のイメージに近いのか? ああ、それよりは、シヴァ神と大黒天と大国主の関係が近いかもしれん。否、あるいは、阿修羅の三面をそれぞれ同時に正面から見たイメージとでもいうべきだろうか。―――ううむ……』
ゴウトはエミヤという男を言い表すための適切な言葉を見つけることが出来ずにうなっている。ライドウはゴウトの豁然としない説明を受けて彼と同様に首を捻らせていたが、突然大悟し、ある言葉が思い浮かんだ。
「―――、Ich-Du,Ich-Es/我は汝、我はそれ……」
『ユダヤ系哲学者、ブーバーの『我と汝』か。……そうだな。下手に別の人間や神霊で具体的に例えるよりも、別概念で考えた方がわかりやすいか―――、うむ、なるほど、そう考えてみれば、集合無意識的により絶対の神という存在と結ばれる、共同体的信念を根本に置いたカバラの具現化こそ、エミヤという誰かの理念に突き動かされてきた男を表すに最も適した言葉かもしれぬ。―――エミヤという男は、そうして異なる人格が自らの中で自身同士において『我と汝』という最小単位の確固たる共同体を構成し、故に自身の中以外の世界は全て利害関係が結ぶものにすぎないのだと、自身と世界とを隔絶し、自己固有の中で全てを完結させていた男だった』
「―――今朝、エミヤと会話したおり、彼はこちらに気を使い、慮る提案をしてくれました。自分にはそれは本心からの行動であるように思えました。自分にはそんな彼の行動が、自己の中で全てを完結するような人間のそれには見えませんでしたが……」
『―――そうだな。今朝、エミヤという男は、昨晩までとまるで異なっておった。何があったのかは知らんが、今のあやつは魂と精神と肉体が完全に合一しておったのだ。あやつは自らがずっと目を逸らしてきた部分を見つめ、人としての精神的な段階を一段上に上がっておった。今のあやつは、ライドウ。今のお主と近しい人物となっているのだ』
「―――聞くにゴウトはエミヤを相当褒めていますが、ゴウト。自分は、そんなエミヤと自分が近しい性質の人物であると?」
『うむ。お主もかつて儂が出会ったばかりの頃は、主が背負った帝都守護の理念を完全なものとするため、自らの裡に生じる葛藤を全てを押し殺す人間であった。無論、お主は初めて儂と出会った時より精神的に、肉体的に成長し、比べものにならぬほど立派になり、自らの頭で物事を考え、自らの意思と感性で、他者のために何かをしよう人間になってくれた。まるで今のエミヤのようにな。―――、人間、自身と本質が似通った人間に対しては、好意を抱きやすく、善意を与えたくなるもの。だからこそ、ライドウ。お主は此度、自らと近しい人間であるエミヤの目下の悩みである『言峰綺礼を発見』という問題を解決するため、発奮していたのだろう』
「―――」
ライドウはほめ殺しのようだ、と思った。だが、常に自分の側で自分を客観視してきた人間の言うことなのだから、実際のところ、周りからはそう見えているのかもしれないとも考え、ライドウは無言でその言葉は称賛を受け取り、同時に、彼の為にと私情を挟んで駆けずり回る、帝都守護者として失格の態度を反省した。
*
『ライドウ。まぁ、そう落ち込むでない。以前とは異なり、こうして奴について考えようと思えるようになっただけでも成長の証。恥はその場に置きすて、失敗は成功のための糧とすれば良い』
「―――はい」
「―――さて、ここで話をする理由の一つ目は、お主のそうした焦りを解消するためのものだった。さて、そして、二つめだが、これは完全にヤタガラス側の都合によるものだ」
「―――それは?」
「ライドウ。お主もエミヤの簡単な来歴は聞いたであろう?」
「―――ええ。覚えています」
「だろうな。ではライドウ。お主はそんなエミヤの来歴をきいて、何か既視感を覚えなかったか?」
ライドウはゴウトの言葉を聞いて思考を巡らせた。確かエミヤは、向こうの世界で蘇生したのち、エトリアの都に蔓延している赤死病とやらを止めるため新迷宮を攻略している際、協力の相手であるシンという彼の命を失い、シンを蘇生させるためにグラズヘイムの塔に立ち寄ったことで、YHVHという唯一神を復活させる事態になり、ギルガメッシュの命によりYHVHを追って、この世界までやって来たのだったか。
「―――いえ」
「ではヒントをやろう。エミヤは蘇ったのち、道具を持つ男と出会い、蛇を退け、害虫を退け、そして、死者の魂の集う場所を収めるギルガメッシュの命を受けて、YHVH討伐の任を受けたのだ。―――ライドウ。この話に聞き覚えはないか?」
「―――古事記、オオナムチの根の国の段でしょうか? 」
ライドウの答えを聞いて、ゴウトは満足げに頷いた。
「正解だ。オオナムチ、すなわち、オオクニヌシは、兄神の虐めにより数度の死に、蘇生した後、根の国、すなわち、異界―――昔の感覚で言えば異国―――と呼ばれる場所に旅立ち、そして、現地人―――スセリビメ―――の協力を得て、蛇のヒレと蜂と呉公(ムカデ)のヒレを用いて、蛇と害虫を退けた後、現地に住まうネズミと協力し、スサノオの試練を打ち破り、やがて根の国の主人であるスサノオより、大刀と弓矢を持ってして自らたちに従わない八十神を追い払い、オオクニヌシと名乗れと命ぜられた。―――彼らの世界のルールによれば、名は行為に影響を与えるという。それはこの世界にも同様に敷かれているルールであり、そして呪術的に言えば、名は行為に繋がるならば、行為もまた名に繋がるものだ。つまり、ヤタガラスの上の人間はエミヤの行動がすなわち、オオクニヌシの神話的要素を多少の前後はあれどなぞっておるため、やがてエミヤが、我らにとってのオオクニヌシにならないかということを懸念しておるのだ」
「―――多少、穿ちすぎ、いえ、だいぶ強引すぎる解釈では……」
「エミヤだけならばそうも行っていられたかもしれぬが、同行するメンツがメンツだ。シン、すなわち異国の地において月を司る神といえば、我が国においては、元は抹消された男神、天照/アマテルすなわち、物部氏の神であるお隠れになった月夜見/ツクヨミを連想させるし、リンという彼女は、イナンナ、つまり、イシュタルという神の転生体、つまり、金星の神であるからして、タケミカヅチとフツヌシの国譲りに従わなかった金星の神、天津甕星/アマツミカボシを連想させる。つまり彼らは、三人が三人とも、オオクニヌシ、ツクヨミ、アマツミカボシという、アマテラスに逆らった神の名を持つ者たちなのだ」
「―――」
ライドウは理解した。なるほど、ヤタガラスはむしろ、言峰綺礼やYHVHという存在よりも、エミヤたちの存在を危険視している。何故なら彼らが国津神に属する名を持つ者だからだ。そして、しかし、その国津神の名を持つ集団の中において、オオクニヌシに例えられるエミヤという存在がいるために、仮にこの先に何か、例えば、言峰綺礼やYHVHという一神教最大の神との戦闘において予想外の事態が起こったとしても、彼が平定するだろうと楽観視している。そして、その先、国譲りの儀を行うことで帝都、ひいては日本国家の安寧を得られると判断したからこそ、超国家機関ヤタガラスは彼らに対しての全面協力を決心した、という訳か。
―――しかしそう考えると、一つ疑問が浮かぶ
「―――あの響という少女について、ヤタガラスはどう考えているのでしょうか?」
「彼女はあの集団において、唯一、響、すなわち、奈良時代の豪族、日を図る天文や星読を生業としていた天津神側の葛城の日置氏の名が含まれているからな。また、響とは元の漢字を辿れば、饗応にもつながり、食卓ともなる。故に、アマテラスの力の宿った鏡を持たせていれば、あるいは、ニニギとなり、なってくれるだろうと考えて捨て置かれている。―――とにかく、ライドウ。そう行ったわけだから、ヤタガラスの上の人間が、お前にどんな役割を求めているかは、想像がついただろう? 」
「―――自分にタケミカヅチになれ、と仰るのですか?」
「上はそれを望んでおる、ということだ。以前、超力兵団事件においてスクナヒコナを討伐した経験のあるお主は、また、コドクノマレビトとの戦いにおいて、フツヌシを従え、アメノオハバリの力を借りて用いてマレビトを討伐したお主は、その経歴から、本質的に天津神としての、そしてタケミカヅチとしての属性を有しておる。―――だからライドウ。覚悟しておけ。いざという時、お主は、天津神の手先、ヤタガラスの使者として、帝都の守護者として、彼らと対峙し、打ち破らなければならない時がくるかもしれないということを」
「―――……!?」
ゴウトの意見にどうしても納得することができず、しかし全面的に諸手を挙げての賛成はできないと反論の一つでもぶつけようかとした刹那、ライドウは自身の周囲が歪んだものへと変貌していくのを感じた。昼間であるというのに微かに薄暗く、地面のあちこちからはマグネタイトが宙に向けてうっすらと噴出している。間違いない。自分たちは今この瞬間、異界に入り込んでしまったのだ。
ライドウは瞬時に警戒態勢へと移行する。マントの胸側を大きく開き、刀や銃、管のホルスターに手をかけやすいよう体勢を整えると、周囲の気配を探った。すると、晴海町の港正面、東京湾にポツリと浮かぶ島の中に、異常なマグネタイト濃度が放出されていることにライドウは気がついた。あれは―――
「陸軍地下秘密造船所のあった場所?」
東京湾にポツリと浮かぶ第四台場と呼ばれる島は、軍の極秘施設だ。そこではかつて金剛型五番艦を流用して作られた、システムに悪魔の力を流用することで地上での利用を可能とする、自立し人型に変形する可変式揚陸潜水戦艦、通称超力戦艦であるヤソマガツ、オオマガツを製造していた秘密の造船所だ。ある帝國陸軍の少将が、やがて訪れるだろう二度目の世界大戦に向けて、帝國が外敵に蹂躙されぬ兵器として極秘裏に開発されたそれらの超力戦艦は、様々な思惑が交錯したのち、やがてそれぞれライドウの刀において一刀両断され、時空の狭間の中に沈んだはずであるが―――
『諦めの悪い陸軍は、第三、第四の矢として回収した残骸から超神の復元を目論んでいたのだろう。―――なるほど、市井の人々が知らぬはずよ。言峰綺礼め。隠れ場所として、市内ではなく、陸軍の施設を選択したということか』
「―――では、タラスクを呼び出して早速あそこへ……」
「行ってもらっては困るのだよ」
「!」
『!』
ライドウがゴウトの言葉に答えて水上移動用の悪魔を召喚しようとしたおり、屋根の上から声が聞き覚えのある声が聞こえてきた。頭上から聞こえてきた言葉に思わず見上げた先、三階建のビルヂングの屋根の上からは、車椅子の男がこちらを器用に見下していた。その、傷が多くありながらも端正さを保つ顔立ちと、左手と両足を失った彼の存在に、ライドウは心当たりがあった。当然だ。誰がその声を忘れようものか。そのハスキーな声を、他の誰が間違えようと、ライドウとゴウトだけは聞き間違えるはずがなかった。なぜなら。
「―――お前は」
『倉橋黄幡!』
その声は、かつて、コドクノマレビト事件と称される事件において、自らの退屈を潰すために、安倍星命に歪んだ教育を施し、彼の暴走を促し、帝都の滅びのきっかけを作り出した張本人のものなのだ。暇つぶしなどいうくだらぬ理由で他者の意思を弄び、多くの人の命を自らの野望のために消費したそんな輩を、帝都の守護者たるライドウとゴウトが聞き間違おうはずもない。
『貴様……! やはり生きておったのか!』
「あの程度では死ねぬさ。なにせ俺たちの旅はまだ終わっていないのだから」
倉橋は言いながら片手で黒塗りの箱を撫でた。愛おしげに撫でる箱は、よく見ればカタカタと動いているように見える。
―――悪魔召喚の為の箱か?
異常の最中、非常事態を確信したライドウは瞬時に刀を鞘から抜き、切っ先を倉橋に向けた。
「―――投降を勧告する。そしてお前たちが何を企んでいるのか、洗いざらい話してもらう」
「それは出来ぬ相談だ」
「―――ならば切る」
ライドウは駆け出す。倉橋黄幡は、自らの拒絶の言葉によってライドウが駆け出す前に箱から手を離すと、パチン、と、指を鳴らした。途端、黄幡の周囲に遊女たちが湧いて出た。女達は、着崩れた、着物を羽織っているだけのような状態の遊女たちは、一様に、顔面からは鼻が削ぎ落ち、体に至っては肉の一部が崩れ、髪は水っ気を失い、肌は荒れ放題という、まさに死人が如き体裁のものばかりだった。ゴウトとライドウは、それが遊女にとっての身近な病気である梅毒という病気がもたらした結果であることを、直感的に、あるいはを知識により、理解した。ライドウは困惑した。
「―――なにを」
「あの時と同じだよ。ここで貴様の足止めをするとともに、俺は新たに精製した丸薬の試験を行う。―――さぁ、女ども、安倍星命の力が封じ込められた丸薬を飲め! 飲めば貴様らは、かつてを超える力を得る事ができるのだ!」
「―――! よせ!」
ライドウは叫んだが、その声は遊女たちには届かなかった。いや、むしろ、ライドウの応答に気づいた彼女らは、だからこそ自ら倉橋黄幡の言う通り積極的に丸薬を口にして、飲み込んだように見えた。彼女たちの目には一様に、残酷な現実に対する絶望の色が宿っていた。
*
―――なぜ私たちがこのような目に合わなければならないのか。
なぜ私たちがこのように苦しまなければならないのか。なぜ私たちだけががこんなに苦しんでいるのに、目の前の綺麗な顔をして整った服装をした男の子は、澄ました顔で、自分たちが助かろうとするのを止めようとするのか。
―――あの少年は自分たちに助かるなと言っている。
ライドウの、眉目秀麗な少年の必死な制止は、顔も体も崩れ、もはや人という存在ですらなくなったと自覚している遊女たちにとって、お前達に救われる価値はないし、抗われるだけ迷惑だから、とっとと死んでしまえというセリフに聞こえていた。遊女たちは世界に向けていた暗くドロドロとした湿った情念をライドウへと飛ばした。
―――憎い。恨めしい。
弱者で全てを失った自分たちに対して、若さも美貌も、そしておそらくは、信念も立場も立派に金も持っているような強者が、世間は捨てたものでないから、まっすぐ生きろ、といわれることほど、頭にくるセリフはない。だから世間から見捨てられた側に属する梅毒にかかった元遊女たちは、その誰もが苛ついた様子で、迷うことなく丸薬を飲み込んだのだ。
*
「―――あ」
「―――ああ、ああ、ああああああ!」
「あああああああ!」
連鎖する嬌声にも似た遊女たちの悲鳴とともに、彼女の浴衣や着物、襦袢は変化してゆく。ライドウは遊女たちのを助けられなかった事に歯軋りをしながら、女どもの変貌を観察していた。女たちが憎しみを携えた視線を向けただけで、ライドウに対して何も語らずに丸薬を飲み物言えぬ状態になったことは、まっすぐなライドウにとって唯一の救いであったと言えるだろう。
「あ、ああ、あ、あ、あ、ああ!」
やがてそうして体外に強大なマグネタイトを放出する遊女たちは、蠱毒の壺に閉じ込められた毒虫が如くその身を重ね合わせてゆき、女たちは徐々に一つの黒い塊へと変化してゆく。やがて人とかけ離れた団子のような姿になった彼女たちは、すぐさまグネグネと外殻を蠢かせて、別の、強力な威圧感を醸し出す形態へと変化していく。
―――これは
やがて悍ましい変化が終わった頃、屋上に佇む黄幡の側、遊女達がいた場所には、大きく肩を出した一人の女がたっていた。女たちが固まって出来た塊は、顔の造形は幼げながらも美しく、その頭に狐耳を生やし、臀部から狐の尻尾を生やし、また均整のとれた体躯をした一人の女へと変化していた。桃色に近い色合いの髪の毛は大きな青色のリボンにて短くまとめられている。リボンと同じ色合いの着物は着衣としての役割を半分ほどしか果たしておらず、肩から胸元まで、それどころか大きく豊かな乳房の上半分までが惜しげもなくさらけ出されている。また、そうして女の体をおおう着物は、その細い腰元から下の部分も大きく手を入れられており、ほとんど陰部と周辺の一部太ももを微かに一枚布が覆っているに過ぎないような状態で、一見して、これから客と寝る直前の遊女のようにしか見えない状態だ。豊かな乳房と尻を持ち合わせていながら、身長は隣に立つ黄幡よりも頭一つ、二つ分ほど小さい。体つきは大人の女性のそれでありながら、大きさが少女にちかい体躯であるのが、卑猥な服装と相まって、背徳感と、非日常な存在であることを増長させていた。そうして現れた女は遊女、というよりは、まるで歩き巫女と呼ばれる存在のような、淫乱を具現化したかのような見た目であった。しかし―――
―――凄まじいマグネタイト保有量……
そうして目の前に現れたの半裸の、まさに『来つ寝』のような女は、そんな軽薄な見た目とは裏腹に油断して良い相手でないことが、彼女が身にまとい、そして周囲に発散させているマグネタイトの量から判断できた。また、女のその特異な独特のマグネタイトやしゃんとした立ち居振る舞いから、ライドウは複数の遊女に代わって目の前に現れたこの女が強大な悪魔であるということをも見抜いていた。自分と同じく目の前の存在の危険性に気がついたにゴウトが叫ぶ。
『―――黄幡! 貴様何を!』
「この丸薬は安倍星命の肉体と蠱毒の原理を利用して作り上げた、人間に悪魔変身を促す、高濃度マグネタイトを含有する丸薬だ。丸薬の材料が安倍晴明の末代である星命であり、それを飲んだのが、川の節に打ち捨てられていた遊女ならば、それらを利用した蠱毒より生まれるのは当然―――」
黄幡の言葉が終わらぬうちに、召喚酔いでもしていたのだろう瞳の焦点が合っていなかったのだろう女は、ようやく現状自らのみが置かれている状況の把握が終わったらしく、面に覆われた顔面を黄幡ライドウの側に向けて固定すると、じっと見据えた。
「陰陽師の祖、安部晴明の母親たる『葛の葉』あるいは『白狐』ということになろう。葛葉ライドウに対するいい皮肉だと思わないか……? ん? ―――、やれ、葛の葉! 」
「呪相、炎天!」
―――密教系の術式……!
「―――くっ!」
ライドウはゴウトを抱え込むと、間一髪で女の攻撃を背後に飛んで回避する。女がいつの間にやら手にしていた呪符より生み出した炎は凄まじいマグネタイトを保有しており、一目で危険な威力を秘めていることが理解できたからだ。浄化の力を秘めた炎は地面に接触すると、即座に炎の柱となり、周囲へ炎塵暴風を撒き散らす。身を退けることで回避したライドウは、続けざまに己とゴウト襲いかかる火の粉と風を防塵のマントで防ぐと、さらに大きく二人との距離を開けならが海辺の方へと移動した。
―――管……、コウリュウを……
ライドウの腕が胸のホルスターの銀の管に伸びる。ライドウは奴らの目的が足止めと判明した時点で、奴らの時間稼ぎの行動に付き合ってやろうという気はさらさら無かった。隙を見てコウリュウ―――四神の長たる黄金に輝く瑞獣であり、空を自在に駆けることの出来る巨大な龍―――を召喚し、陸軍の秘密造船所へと向かおうという算段だった。異界であるがゆえに、常人は存在しておらず、召喚にも遠慮はいらない。―――しかし。
「させるか! 短縮詠唱! オン・マリシエイ・ソワカ! オン・アビテヤマリシ・ソワカ!」
ライドウがコウリュウの収められた管へと手を伸ばした瞬間、黄幡は欠損していない残った右手を心臓に当てて大金剛印と隠形印の半分の形を続けざまに作り、呪詛を叫んだ。途端、ライドウを中心とした頭上に複雑な文様の仏の像が大量に浮かび、足元に真円と直線と漢字が刻まれた。天に曼荼羅、地に八卦の魔法陣が生じたのだ。同時にライドウの四方の地面よりさまざまな造形をした人形が現れた。泥土にて作り上げられた泥人形は、両手両足、胴体までは人型ながらも、その頭部はさまざまな動物の頭部を形取ったものであった。
「―――これは……!」
『―――怨霊を自らの手駒へと変貌させる呪法か!』
ライドウは呪法の正体を知らなかったが、猫の体であるゴウトは術式を見抜いたらしく、尻尾を立てて激情を露わにしていた。事情はわからないが、ゴウトの様子から、今のこの小さな泥人形に囲まれている状況が、自分たちにとって不利な状況であることだけは、術を知らぬライドウでも理解出来ていた。
『しかも人形の中に呪符を埋め込み、事前に呪法の発動時間を短縮したのか……。―――この練度。相当に強力な効力を持つ陣であることがわかる。―――ライドウ。この、摩利支天の力を借りて行う隠形法『呪縛秘密成就』は通常の供養では祓えない鬼神や怨霊すら完全に呪縛し、自らの使役する式神と化する呪法だ……。ライドウ。儂の言わんとすることがわかるな?』
「―――悪魔を使うと、主導権を奪われる、ということか」
自身らが罠に嵌められたことが悔しかったのだろう、ゴウトが漏らした忸怩じみた解説を聞いて、ライドウはようやく今の事態を正しく理解した。ライドウはコウリュウの管へと伸ばしていた手を下ろすと、刀へと移行させ、抜き、刀身を露わにする。ライドウが悪魔召喚を諦め、直接戦闘を覚悟し、異界の中で冷たく祓魔の光を放つ刀、『赤口葛葉』を引き抜いたのを見るや、その所作を見た黄幡はつまらなそうに、息を吐き捨てた。
「ふん、さすが、過去の葛葉ライドウであるゴウトは博識だな」
『だがライドウ! この呪法の肝は、鬼王に見立てた象頭人形たる毘那耶迦/ビナヤカにある! それを破壊すれば、本呪法は攻略できるはずだ!』
「―――了解」
黄幡の言葉を無視してのゴウトの助言にライドウが人形を見渡すと、自らの四方を囲む百体はあろう動物頭をした人形の中に、一際目立つ長い鼻と大きな耳を持った人形を発見した。ライドウは即座に腰のホルスターからコルトライトニングを引き抜くと、迷わずその引き金を引いた。暗い空間に閃光が走り、破壊の力を秘めた弾丸が螺旋回転を伴って、象型の泥人形へと直進する。遅れて銃口より硝煙が生じた。人間すらも簡単に殺傷せしめる弾丸は、拳大ほどの大きさしかない人形など吹き飛ばすだろうと算段してのものだったが、しかし。
「―――なに?」
そうして呪詛の核を砕いて散らすはずだった弾丸は象の人形と接触したかと思うと、人形像の中をするりと通り抜け、地面へと着弾した。鉄の塊が地面を削る音が瞬間だけ響く。
「一度、帝都の守護者である葛葉ライドウとゴウトに敗れた俺は、お前らのことを敵として高く評価している。―――お前らは俺の最大の敵だ。元の術の弱点見抜かれた程度で破られるようなの呪法を単体で使用するはずあるまい」
「―――これは……」
今、悪魔どもが跋扈する異界に変貌した空間の中、その中でも特にライドウの周囲には、陽炎と化した百の泥人形と白い靄が生まれ、彼を覆っていた。ライドウは周囲に視線を飛ばすも、霧霞がライドウの視線を遮る。ライドウは今、一寸先すら見えぬ状況に陥っていた。そして。
「呪相、炎天、氷天、密天!」
「―――!」
甲高い女の声色が上がるとともに、陽炎と白い靄をすり抜けて、切り裂いて、三方より炎が、氷が、気圧差により生じた圧を持った風がライドウの体に襲いかかる。ライドウはそれを身を翻して避けようとして―――
「―――!? 」
『ライドウ!?』
しかしそれは完全には叶わなかった。ライドウは己の体をうまく動かすことができず、自身の予定とは異なる方向に飛びのいて回避を行なったは良いものの、自らの思惑とは異なった動きをした自らの体の挙動に対応しきれず、されに受け身を取ることもできずに地面を無様に転がってしまう。そしてライドウは肺腑の空気を大きく吐き出すと、刀を杖代わりにしてなんとか自身の体を起こした。立ち上がったのち、ライドウが自らの手を見ようとしたとき、目ではなく指先が自分の意図と反して勝手に微かに震えているのをみて、今自身の身に何が起こっているのかを理解した。
「―――これは……、安倍星命の陰陽術『奇門遁甲』の時と同じ……、否、それよりもはるかに強力な……」
ライドウが呟くと、ゴウトは目を見開いて、叫んだ。
『そうか! 摩利支天はもともと陽炎や威光の神、マリーチが元だ! その隠れる、という特性を陰陽術『奇門遁甲』に応用し、隠形法『呪縛秘密成就』と組み合わせたのか!』
「―――つまり?」
『この陣の内側にいる限り、対象たる我らは、神経を狂わされ、正しい方向を見定める事ができず、同時に悪魔を召喚できぬ状態にあるということだ!』
「疾れ! 呪相、炎天、氷天、密天!」
「―――く……!」
ゴウトと相談する最中にも、女の呪術がライドウの身に襲いかかってくる。ライドウは霧中の向こう側から到来するそれら殺意の塊を、反応の鈍くなった体に喝を入れなおし、なんとか回避すると、銃をホルスターにしまい、刀を片手に強く握り直し、体勢を立て直した。
―――陣の内側が危険というのならば、無理やり陣より抜け出るまで……!
全力をもってして抗わないと、すぐに膝を屈しそうになるほどに、陣は強力に、ライドウに硬直と恭順を強いてくる。このまま陣の内側にいては事態は貧窮するばかりだと認識したライドウは、多少の被害を被ろうとも陣より脱出する覚悟を決めた。ライドウは進んだ先に何がいようと切る覚悟をしたのち、右手に握った剣を背中に背負い込むように抱えると、左肩を突き出して揺らめく陽炎の中へと突撃する。ライドウの見立てでは、陣はライドウを中心として十四間、すなわち、およそ二十五メートル四方に敷かれているものであり、ライドウの優れた身体能力ならば数秒とかからず脱出できる目算だった。―――しかし。
「―――像が……」
『近づこうとすると遠ざってゆく……!? 』
ライドウの周囲を取り囲む陽炎の人形たちは、ライドウがどれだけ俊敏に駆け抜けようと、人形の陽炎は不気味に、ライドウの射影が如く、常に一定の距離を保ったまま彼を追いかけてくる。
「オン・マリシエイ・ソワカ。オン・アビテヤマリシ・ソワカ……」
その間隙を縫うようにして、女の唱える呪文が静かな異界の空間の中に聞こえてくる。
『―――そうか!』
疾走するライドウと並走していたゴウトは、女の呪詛を聞いて、叫んだ。ライドウは視線を落とすことなくゴウトへと問いかける。
「―――ゴウト」
『ライドウ! どれだけ疾走しようが、あの人形には辿り着けん。この陰陽術『奇門遁甲』と隠形法『呪縛秘密成就』の組み合わせは、先の狐面の術者が常にお前の位置を把握し、術を更新し続けているからだ! 』
「―――ならあの女を倒せば……」
ライドウの前向きな意見に、一瞬、珍しくヒステリックに叫んだゴウトは、すぐにいつものように冷静さを取り戻した。
『そうだな、おそらく、この陣は解除されるだろう。……、だがどうする? 陣の内側にいる限り、お主の攻撃は術の維持をしている女悪魔に当たらん。また、人形と呪符により構築されている陣は、わずかなマグネタイトでの維持が可能だ。どれだけ待ったところで、解除はされぬだろう。かといって、お主の切り札たる悪魔にて状況の打破をしようにも、悪魔を使用すると、その主導権を乗っ取られる。 奴はそうしてじわじわと我らをいたぶり、疲れたところを嬲り殺す算段なのだ。取っ掛かりとしてまずは奇門遁甲をどうにかする必要があるのだが……』
「―――」
疾走するライドウはゴウトの言を聞いて一瞬、手が二つの管へと伸びかけた。そうして管より召喚しようとした悪魔は、クー・フーリンとスカアハ。それぞれケルト神話の英雄と、英雄のその師である女傑の悪魔で、以前、ライドウが安倍星命に奇門遁甲の術をかけられた際、術が悪魔である彼らに齎す混乱の効力を自ら破り、そして奇門遁甲の術を打ち破るのに力を貸してくれた悪魔である。彼らの力を借りれば、あるいは、今のこの術を打ち破る突破口になるかもしれない。
―――だが
「オン・マリシエイ・ソワカ。オン・アビテヤマリシ・ソワカ……」
疾走するライドウの後方から、不吉な成分を含む呪詛が絶え間なく聞こえてくる。ライドウはホルスターからコルトライトニングを左手で引き抜くと、回転させて左手に収め、声の方向へと適当に、続けざま五発撃ち込んだ。しかし。
「オン・マリシエイ・ソワカ。オン・アビテヤマリシ・ソワカ……」
声は、銃声が響く間も、響いた後も、絶えることなく聞こえ、ライドウの後を追いかけてくる。無意味を悟ったライドウはリボルバーから薬莢を排出して弾倉が空になった銃をホルスターに収めると、目を凝らしながら全力疾走を再開した。
―――術は以前にも増して強力で、その上、陣の外、陣の境界に対しての攻撃は通らない
これでは悪魔である彼らを呼んだところで、今の攻撃と同じ結果になるのは目に見えている。いや、むしろ、状況が悪化するで終わる可能性の方が高い。
―――ならば、召喚しないままのほうが、上策……
靄が邪魔をしてほとんど視線の通らない中、それでもなんとか自身の位置を把握すると、ライドウは大まかに倉橋黄幡のいたあたりの位置に視線を送る。薄くしか通らぬ視界の向こう側、しかし今やそこに術を発動させた主たる倉橋黄幡の姿はなく、何処かへと消えてしまっていた。逃げたのか、闇に紛れてこちらを討つつもりなのか、それすらも把握できない。その間にも女の声は迫り来る。ライドウは状況が刻一刻と悪化の一方を辿っている事を悟った。ライドウは目線を前に戻すと、さらに早く疾走する。
『ライドウ! 』
後ろから追いついてきたゴウトが心配げな叫びをあげた。声は、今後どうするのかという対応案を問うていた。だからライドウは考えながら、そして応える。
「―――どうやら敵悪魔は、自分の周りに呪法を発動させている間は、呪術による攻撃が出来ないようです。呪文を唱え続ける必要があるからでしょう。―――今、方向感覚を狂わされている自分たちがどのような方向に走らされているのかはわかりませんが、少なくともおそらく、晴海町南東の湾上にある陸軍施設とは逆方向に誘導されていることは間違いないでしょう。また、現在位置を考えるに、自分以外の悪魔召喚師が守りを固めている皇居方面、すなわち西に誘導する、と言う可能性も低い。つまり、自分たちは今、晴海町の北から東、すなわち北東付近の方面に向けて疾走させられている可能性が高い。なら―――」
『―――そうか、なるほど』
ライドウの状況把握と思考整理の果てに導き出された無言に続く提案を、阿吽の呼吸で理解したゴウトは、先ほどまで浮かべていた混乱面を一瞬で収めると、ライドウの前方へと進み出た。その身のこなしは軽く、陣の影響を感じさせない。ライドウはかつてこの陣を使用した安倍星命という人物が、人間と悪魔に作用する、と言っていた事を思い出し、同時に、動物には作用しないのかもしれないと直感した。
『とにかく、視界が頼りにならないこの陣の中では、動く敵に対しての感知は、猫の体を持つ儂の方が優れておる。主が目指すところまでの案内は儂が行おう』
「―――お願いします」
だからライドウはゴウトを頼ることとした。ライドウが礼を言うと、ゴウトはその小さな背中を震わせて信頼に応え、そのまま一直線に駆け出す。そして一匹と一人は疾走の速度を上げる。異界の中、帝都の守護者たちは悪意の靄を見に纏わせたまま、北上してゆく。
*
異界、銀座
*
サコは言葉とともに銃口を突きつけてくる。アンドロの体となり、普通の人間の反応できない速度で動く事の出来るようになった私ではあるが、過負荷によりオーバーヒートを起こしたこの状態では、身動き一つ取ることができなかった。
無理をすれば上半身を一瞬稼働させて一撃を生み出すくらいはいけるだろうが、それで終わりだ。確実にどこかしらの配線が切れ、自己修復するにしてもさらに多くの時間を要する事となる。つまり、一撃を放てば、それは文字通り、最後の足掻きとなる。それでこのサコという女を仕留められると言うのなら、脱出が望めるというのであれば、そんな一撃を放つのも吝かでないし、逃走のために体を無理やり動かすのも悪手ではないのだろうが、そんな保証がないうえ、ガルムに周囲を囲まれたこの現状、一撃を放つ行為はただ無為に命を散らすだけの愚行だ。だから私はまず観察と考察に徹することとした。
―――現状、私は、ガルム達に囲まれた空間の中、さらにサコという女性によって隔離された謎の空間の中にいる
その領域は片手でフェンリルを縛っている紐を握り、もう片方の手に握った銃器の銃口をこちらへと向けてきているサコを中心とした三メートル程度。ガルム達が私とフェンリルを探しているにもかかわらず、我々のいる領域内に入ってこないあたり、周囲からは私たちのいる部分が認識できない空間になっているのだろうと推測できる。その力の正体は―――
「―――」
『名は全ての力の源。名に込められた意味を知るものは、その力を十全に発揮することができる」
―――その理屈は、なんとなく理解できる。要するに、彼女の力とやらは、スキルを使うようなものなのだろう。完全防御なのか、完全隠密なのかは知らないが、その能力を持ってして姿をくらまして、私たちの視線をかいくぐっていたと言う訳だ。彼女が嘘を言っていないということは、私の直感も告げているがゆえ、その理屈に間違いはないのだろう。だからそれはそう言うものだと理解してしまえば、それはそれで、いい。
問題は打ち破る方法が見つからないというその一点にある。私はその答えを求めて、さらに彼女の言葉を思い出す。
『貴方がそれを望むのでしたら、私は答えましょう』
―――?
「何故君は、私の望みにならば、答えるというのだ?」
そうした時、私が気になったのは、彼女の能力如何についてではなく、目の前の女性の性質についてだった。私は彼女の目的を詳しくは知らないが、サコという彼女が、私らと敵対する獣をガルムやフェンリルを召喚したというからには、私の敵である事だけは間違いないはずだ。その彼女が、敵である私の問いかけに対して、自らの能力を完全に語るという理不尽を、私は理解できなかった。そしてその考えは素直に私の口から言葉として零れ落ちた。
「決まっているでしょう、シン。あなたは私の兄なのですから」
「―――?」
問いかけに帰ってきた答えに、私の混乱はさらに困窮を極めた。意味がわからない。
「―――私に妹はいない」
「いえ、そんなことはありません。なぜなら、シンは私の兄であると断言してくれました。そんなシンが私の兄でないはずがありません」
「―――……?」
私は目の前の女が言っている意味が一切理解できなかった。真っ直ぐに向けられた視線の、その迷いない所から判断するに、彼女はなんら嘘を言っていない事だけは理解できる。彼女は嘘を言っていない。そして、私は彼女の兄でない事を知っている。ならばおそらく、私でないシンが、サコという彼女の兄であると言って、彼女にシンが彼女の兄であるという事実を信じこませた、と言うあたりが真実なのだろう。
「―――どうしましたか、シン」
「……」
だが、それをこの目の前の女性に言ったとして、私の言葉を真正直に受け止める女性でない、自分の信じたい事実しか、真実として認識しない女性であることは、つい先ほど証明されたばかりだ。私は唐突に、彼女は、私と同様に、人の気持ちがわからない、あるいはわかろうとしない人間であり、しかし私とは異なり、その事を自ら理解していない人間であることに気がついた。彼女は、自分の信じる主観こそが世界の真実と理解して疑わない。私はわからない自他の気持ちの考察を客観に委ねて双方の満足に努めるところを、彼女はわからない気持ちを自分で解釈し尽くし他人に押し付ける事で自己満足する。
―――ああ、なるほど
「自分と他者とを隔絶する能力、か」
「……?」
私は彼女の性格に、彼女が持つ能力の原点を見た気がした。私が溜息をつくと彼女は首を傾げる。なるほど、筋金入りだ。彼女は、私の言葉であろうと、彼女にとって都合の悪い事は、脳が理解を拒む仕様に出来ているらしい。私は、人間という存在は、真実を語っていればいつかは、言葉が通じる相手に対してとは一定の相互理解は出来ると認識していたが、まさか本音を語ったところで、言葉が通じたところで絶対に分かり合えない存在がいるとは思ってもいなかった―――
―――まてよ
その時、脳裏に電撃が走った。もしこの能力が、他者からの干渉を求めず、自らの領域を作りだしてそこに閉じこもり、自己の在り方を他者に押し付ける能力なのだとしたら、外部からの干渉を一切拒む能力であるとしたのなら、内部から外部に対して干渉することは可能なのではないだろうか?
―――そうだ。でなければ、内部にいたサコが外部のフェンリルに弾を撃ち込むことなど不可能だ
疑念は証拠を経て確信へと変わる。突破口を見出した私の脳裏は、事態の打破に向けてフル稼働を始めていた。今の自分にできるのは、一撃を放つことのみ。放てばそこで、私がこの場においてできる全てが終わる。
―――放てるのは一撃
一撃にて自分の思惑通りにいく保証はない。相手が気付くか否かは賭け。目論見が上手くいかなかった時、私の目の前にあるのは死。
―――だがそれでも
「―――フッ!」
「!」
足掻かないでこうして佇んだまま、相手の思惑通りに動かされてしまうより、自らの我欲を貫き通して死んだほうが、ずっとましだ。右腕の前腕部を失っているとはいえ、左手の高周波ブレードは健在だ。目の前にいる人間はもはや言葉を解さぬ獣と同等の、それでいて言葉を解さない獣以上に危険な存在であると判断しての、排除のための奇襲を行う。
その場にて繰り出せる最速の一撃を抜きはなった瞬間、熱にて柔らかくなっていた体内配線の生体金属部分が千切れ、自然と脱力に似た動作が行われた。それにより一撃は、力任せのそれではなく、過去のそれと比しても劣らない、遜色ない、文句なしにこれまで最速の、記憶にある限り最速の一撃であったが、そうして繰り出した刃は彼女の目の前にあった障壁のようなものによって、滑り、三メートル以上ある刀身が中空を舞った。
「―――世界の歯車を回す神秘と一体化した私は、純粋な神秘そのものです。スキルや魔力を伴わないただの一撃で傷つける事は叶いませんよ、シン」
腕を振り上げた状態のまま固まる私を見て、彼女は物悲しそうに呟いた。自身へと攻撃が繰り出された事を当然と思って、きちんと自身の立場を理解している所がまた、彼女のそんな狂気を際立たせる要素ともなっていた。
「そうか」
「ええ」
「ですから、おとなしく……」
それだけ言うと、彼女は銃器をこちらへと向け直して、問いかけてくる。私の短い理解の言葉を、彼女は諦観のそれとでも捉えたようだった。だが―――
―――残念。私の狙いは君ではない。
「……!?」
「Vier Stil Erschiesung/四番、術式、一斉掃射!」
「オォォォォォォ!?」
高らかな、それでいて涼やかな声色の直後、降伏勧告を勧めるサコと私の周囲、ガルム達を包み込むほどの暴力的なエネルギーが降り注いだ。その暴力は、地面に弾着する音から判断して、核熱の術式の威力の質を量と範囲に拡散したようなその攻撃は、サコが持つ突撃銃などよりもはるかに大口径の拳銃の威力を持っていた。
まさに驟雨とでも呼ぶに相応しいそれは、天よりガルム達の体に降り注いで打撃を与えていく。やがて私たちのサコの領域を除いた場所にのみ降り注いでいたそれは領域内にも降り注ぎ、そして私を除いた部位にのみの地面を削ってゆく。
「―――なぜ外からこの場所を正確に……!?見えないはずなのに―――」
私は、私の思惑通り行ったことに、唇が意地悪く歪む。また、私の意図に気付き、読み取ってくれた彼女達には多大な感謝の念を送ると、そんな私の心情の変化は、他者の気持ちを解す努力をしない彼女にもきちんと変化として映ったらしく、私の気持ちをどのように理解したのかはしらないが、目を見開いて大きく叫んだ。
「シン、貴方が彼女らに合図を送ったのですね!? 一体どうやって……!」
「さてどうかな……。それに。もし仮にそうだとしても、敵に手を明かすわけあるまいが」
―――もとより、よくわからない理屈で私達が気づかぬように隠密の状態を保ち、淡々と自らの目的を達成するような相手に対して、真正面からの正攻法が通じるとは思っていない
だから彼女のその、ホモ・サケルだかなんだかの隠密能力が、彼女を中心とした一定の範囲にしか効果を及ぼさないものであり、同時に、内部から外部に対して、音や気配を覗く、質量を持った物質なら干渉可能である事を見抜いた私は、思いつく限り最も不自然でない手段を用いて、私たちはここにいるのだぞという旗を、高周波ブレードを用いて立てたのだ。
「誰も信じず、自らの都合のみで動き、方向性は同じはずのフェンリルやガルムたちを利用しただけの君とは違い、私には、考え方に違いはあれど、手を伸ばせば共通した目的意識を持つ仲間がいる。私はただ、いつも通り、味方を信じて最善と思う行動をとった。そして味方はそれに気付き、応じてくれた。ただそれだけのことだ」
私が彼女に言葉を突き返すと、彼女は下唇を食みながら、寂しげな、それでいて悔しげな表情をした。フェンリルを縛り付けている紐を握りしめると、彼女は手綱が荒々しく振動していることに気がついたようだった。周囲では暴力の驟雨によってガルムが叫び、死んでゆく。するとガルム達の行き場を失った分解されたマグネタイトは、ゆるゆると領域内にいるフェンリルに向けて殺到し、彼の力を強大なものへと変化させているのだ。
「―――くっ……! フェンリルに流れ込む力が大きくなりすぎている……!」
サコは、フェンリルの全身を縛り付けている紐を手にしたまま、大きく飛びのいて後退した。
「オ……、オマエ! ドコカラ……! 」
「イヤ、ソレヨリ“フェンリル”ダ! “フェンリル”ガイナイ」
「ナンダソノシセイハ……! オレタチヲバカニシテイルノカ! 」
そうした彼女とフェンリルが私たちの視界から消え去った途端、つまりは彼女の隠密領域から外れた瞬間、腕を振り上げた勝利を確信した彫像のような状態で固まった私は、ガルムの視界の中へ戻ってきたらしい。ガルム達は困惑しながらも、硬直している私の方へと視線を集中させてくる。やがて様々な理解しがたい事態が立て続けに起こったという事実により彼らの混乱していた感情は、昂ぶる怒りへと変換されたらしく、周囲の視線には荒々しい属性のものが混じり、気配は総じて殺意に変わりつつあった。私はそして自身の置かれた状況を正しく理解した。
―――うむ。いわゆる……危機的な状況だな、これは。
「コロセ!」
「オォォォォォォ! ―――、ッ、ガフッ、ゴフッ!」
「む……」
冷静に絶体絶命を意識すると、その諦観から生まれるすました態度が気に食わなかったのか、周囲が私に飛びかからんとした途端、彼らは途端にむせ返り始めた。ガルムの群れは、鼻をひくつかせると、むせ、悶え、身を捩り、地面の上を転げて他の個体と身をぶつけ合う。先ほどの砲撃により手傷を負った彼らは衝突しあい、悲鳴をあげ合う事で、あたりは一変、血肉が舞い、阿鼻叫喚を常とする地獄が如き様相へと変貌していた。事態の把握に努めようと考えたがあいにく視覚センサー以外の全てが機能麻痺しているため、一体何が原因でこうなっているのか正確には理解できないが、ガルムらが鼻をひくつかせ、咽せているあたり、おそらく―――
「呼吸器官から作用する神経系の毒か……?」
「正解です!」
「……! 響か! 」
「凛が先ほどの魔術に乗せて、樟脳を防虫剤としてではなく、毒としてばら撒きました! これでガルム達はしばらく動けないはずです! とはいえ、それでも数が多い……! シンも早く離脱を……! 」
口に布を当てた響は暴れるガルム達の隙間を抜いながらを私に近づいてくる。だが。
「そうしたいのは山々なのだが、全身がオーバーヒートを起こしていて、体が動かせん。冷却して稼働可能になるまでに、あと数十秒はたっぷりかかる」
「―――! じゃ、じゃあ、とりあえず回復を……!」
響はライドウから託された回復の効果を持つマグネタイトが籠められた石、通称『魔石』を取り出すと、その効力を発揮すべく私の体に押し当て、使用した。
*
「どうやらなんとかなったみたいね」
魔石と響の道具を十全に操る能力により、最低限の稼働が可能となった私は、響のサポートを受けながら、苦しむガルムの群れからいったん離れ、立ち並ぶビルの一棟に近づく。すると、その前には一人、見覚えのある女性が腕を組んで佇んでいた。―――凛だ。
「助かった。ありがとう」
私は助けてもらった礼をするため、凛に対して即座に頭を下げた。すると。
「どういたしまして。―――そして」
「―――」
「―――凛!? 」
凛はぶっきらぼうに私の礼を受け取り、目にも止まらぬ速度で腕を崩すと、私の頬を思い切り叩いた。バチンッ、と、大きな音がなり、響は驚きの声をあげた。彼女に叩かれた人工の頬は、叩かれたという情報だけを伝えてきたが、それ以上の感覚と彼女の怒りの感情が頬を通じて、体の中に染み込んでくる。
「貴方達の絆とやり方は理解したし、貴方に悪気があったわけではないというのは響の言でわかったけれど、それでも、貴方は一緒に命をかけている私に対してなんの相談もなく、貴方は勝手に動いて、勝手に窮地に追い込まれた。これはそれらに対する私の怒りよ。文句は無いわね?」
「―――ああ。ないとも」
「よろしい」
「―――ええっと……」
そうして彼女は、この件は終わりとばかりに、再び腕を組む。そうして凛が組んだ腕の中、彼女が二の腕の部分に、痛みを抑えるかのように手のひらを擦り付けているのを見て、私は彼女の真意を正しく理解した。アンドロの機械の肌を叩いたのだ。むしろ、叩かれたという情報のみが伝わった私よりも、生身の肉体である彼女の方が痛むのだろうに、彼女は勝手に動いた私に自身の怒りと周囲にどのように迷惑になったかを伝え、真っ直ぐ筋を通すために、あえて自らの痛みを度外視して、思い切り私の頬をひっぱ叩いたのだ。
なるほど、彼女は素晴らしい人間だ。私は彼女の気持ちがよくわかった。なぜなら、私は彼女と同じく、多く才能と言うものを持っている側の、優れた人間だからだ。私は彼女のパートナーであるエミヤが羨ましくなった。憧れの人物は、その力に相応のパートナーがいるものなのだ。
「さて、ではどうしようか? 」
私は、凛と私との間に割って入ろうとして、しかし私の手に阻害されて戸惑う響の肩を叩くと、後ろを振り向いた。目の前ではガルム達が今だに苦しんでいる。私の体は回復して機能を取り戻しつつあるし、この体での戦い方も学習した。そしてフェンリルもどこかへと消えている。響が樟脳とやらを麻痺の道具として使ったと言うのなら、ガルムの麻痺はあと数分は効いてくれるはず……。
―――つまり、もはや負ける要素はほとんどなくないと言うことだ。
「とりあえずさっさとかたしちゃいましょう? 色々と言いたいこともあるだろうけど、話し合いはその後でって事で。―――あのサコっていう女の術式はこっちに任せてちょうだい。どうも魔術や概念が絡んでいるみたいだし、探知の魔術を張っていればとりあえず奇襲を受けない状態に持っていくことは出来るわ」
「了解した。―――響もそれでいいな」
「は、はい! 大丈夫です!」
そうして私は剣を抜く……ことができなかった。拾ってきた右手は元の位置にくっついているが、ライドウの特殊弾頭を至近距離で爆散させた影響によりくっついているだけで使用は不可能だった。私は右腕のクラッシャーアームと、左腕の高周波ブレードを使用可能な状態させると、私は私のパートナーである響の方を向いた。
「響」
「あ、はい。何ですか?」
「右腕、手首から先がまともに動かん。サブの付属パーツで戦うことになるが、死角と不慣れによる隙ができるだろうことは否めん。―――手伝って欲しい。君の力が必要だ」
「―――はい!」
響は言うと、ウキウキと薄緑を解き放った。マグネタイトの光を反射して緑がかった刀身は、なんとも美しく異界の中を照らしあげている。凛が、「見せつけてくれちゃって」と、呟いた。私はあえて無視した。
「―――ではいこう……、か……?」
そうして準備を整え、悶え苦しむガルムの介錯をしてやるべく突撃しようとすると、私の回復したばかりの耳は、晴見町の方面から誰かが凄まじい速度で駆け寄ってくるのを感知した。私が視線を向けると、彼女らもそちらの方を向く。すると、視界の先、なにやら多くの人形や図形、文字に囲まれた状態で疾走するライドウとゴウト、それをおいかける狐の耳を生やした、ブシドーのように薄着の女の姿が目に入った。
「―――あれは? 」
「……キツネ耳の女。どうやらライドウ達はあの女に魔術の攻撃を受けているようね」
凛は言うと、体の向きを彼らの方へと向ける。
―――なるほど、彼女はあちらを優先する気か
魔術の事については彼女の方が専門だ。その彼女がそちらを優先した方がいいと考えたのならば、そうすべきなのだろう。私は凛の意思と私の考えを尊重し、彼女の後に続きそちらの方を向くと、一歩を踏み出した。
「―――ライドウとゴウトを助ける。その後合流した彼らとキツネ女を倒し、ガルムを倒す。消えたサコの行方はリンに任せて、一旦保留……雑だが、このあたりでどうだろうか?」
「いいわ。―――それと、無茶するにしても今度はちゃんと相談しなさいよ」
「すまないが保証は出来かねるな。なにせ、勝ちが見えたら一直線に進むのは性分だ」
「―――……はぁ。まぁ、いいわ。勝つ分には文句言わないでおいてあげる。ただし、それが私のカンに触るような方法、納得いかないような理屈、負けに繋がるっていうんだったら私はあんたをぶっ飛ばすからね」
「了解だ」
凛は相棒の無茶には慣れている、と言わんばかりに苦笑すると、構える。彼女の頼りがいある援護を確信した私は、響を連れて、いつものように、敵に包囲され、助けを待っている味方―――、ライドウ達めがけて突撃を開始した。
*
???
*
―――あの女、本当に俺の予想通り、敗北して、逃げ果せたようだな……
ライドウとゴウト、そして彼らを閉じ込める陣を保つ『葛の葉』を、鳥の形を模した紙―――式神を用いて追い、式神を通して上空から状況を俯瞰していた倉橋黄幡は、ライドウたちが逃げて行く先に、自らの予想と寸分違わない、我らの敵対者が、我らの召還したガルムたちを次々と打ち倒してゆく光景を見つけて、嘆息した。
―――やはり際限なく我欲に身を焦がす人間は退屈だな
黄幡は悪態をつく。組織というものにおいて、自身の感情を優先して動くものほど邪魔な駒はない。精緻に組み上げた機械は、小さな歯車の噛み合いがズレることで全てのバランスが崩れてゆく。それは組織といかないまでの小集団においても同様で、しかるに、自らの記憶の中にのみ存在する『兄』を盲信し、そこから生み出される全ての感情を自らの行動の基点として動くサコという女は、どのように言い含めた所で黄幡の立案した計画の通りには決して動かず、絶対にどこかしらで失敗して撤退するだろう事を、黄幡という人物はよく理解し、見抜いていた。だから、サコの失敗というものは、黄幡にとって、予定調和の出来事に過ぎなかった。
―――まあ、あの女がフェンリルの予備を確保できただけでもよしとするか
現在、召還した悪魔『葛の葉』が、こちらの予定通り、ライドウを銀座にまで追い込んでいる。あとは奴らが合流したのを見計らって、かつてと同じように、蠱毒の術式を発動するだけ。以前、コドクノマレビト事件の際に用いた術式を改良したそれは、発動すれば速やかに効力を発揮し、擬似的な絶対的強者を生み出すだろう。だが。
―――蠱毒の果てにある存在では、完全なる絶対的強者になり得ないのだ
それは倉橋黄幡がかつての経験から学んだものだった。それでは倉橋黄幡の望みは果たせない。なぜなら倉橋黄幡の望みは、完全無欠の絶対的強者による蹂躙だからだ
……、かつて倉橋黄幡は、蠱毒という、壺の中に毒虫を放り込み最後の一匹になるまで喰らい合わせる事で、最強の毒虫を作り出す呪術を応用し、帝都を蠱毒の壺と見立てて、そこに住まう人々を、今回も用いた、欲望を刺激し悪魔へと変身させる丸薬を用いて毒虫の如き役割とし、悪魔化した人々を喰らい合わせる事で、人間よりもはるか絶対的な個となる存在を生み出す計画に加担し―――、そして失敗した。そしてそんな破滅願望を持つ黄幡にとって、自らの絶対的存在となるはずだった安倍星命と、その内に宿る強大な個体である地球外来生物クラリオンは、しかしライドウという存在によって討伐されてしまった。そこで黄幡は考え……、そして悟った。
蠱毒の果て生み出す悪魔は絶対的強者になり得ないのだと。べへモスという、終末、人々に捕食される運命にある存在を選択してしまったから、我々は正しく伝承通り、帝都に終末を齎したが、その後、負け、人々に饗されてしまったのだと。絶対的な強者は、最初から唯一無二に強く、蠱毒により他者との交わりの果てに生み出される客人神ではなく、強すぎるが故に孤独の果て確固として存在する自然神なのだと。
すなわち、聖獣べへモスでも、暴獣レヴィアタンでもダメなのだ。黄幡が必要とするのは、絶対的な捕食者。唯一絶対にして、究極の、他者を一方的に喰らうことの出来る存在。それは群れた仔羊を喰らう狼よりも、群狼を狩る猟師よりも強く、他者に破れたという伝承のない、不変で神聖な絶対的存在であるべきだ。ならばすなわちそれは―――
―――スルト
黄幡はそして世界を燃やし尽くす神の降臨に向けて動き出す。絶対的強者は破滅なんて望みやしないし、考えもしない。強者は地を這う虫の事を気にしないで動き、しかしながら、そんな気まぐれな動きにて世界を壊すからこそ、強者足り得るのであり、ただ、そこにあるだけで、他の全てを踏み潰す存在なのだ。
―――……、頃合いか
だから黄幡は、もし『我は彼』である事を望むのならば、こちらから彼のいる位置に近づく努力をしなければならない事を知っていた。それがたとえ己が身を削り、贄に捧げることであっても……。
―――星命……、俺もすぐにお前のいる所へ行こう
否、あるいは、そんな絶対的な存在に対しての彼に蹂躙され、服従し、絆で結ばれた近しいものと恭順、同化する事こそが、やはり倉橋黄幡という彼の望みなのである。
*
「ライドウ!」
前方を走るゴウトが叫ぶ。自らの名を呼ぶその言葉の意味するところは、ライドウにも理解ができていた。
―――すぐそこに味方がいる
それだけでライドウは頼もしいという気分を得て、気力が湧き上がってくるのを感じた。充実した気分で前を見ると、視界の先には、銀座という街中において、大通りの中、ガルムという悪魔が大量に群れ、そして体を強張らせながらも狂乱しているのが目に入った。そして、その橋、立ち並ぶビルヂングの一棟の前に、見覚えのある顔を見つけて、陣の影響だろう、じわりじわりと重くなっていっている重い体の強張りを、一瞬忘れた感覚を覚えた。
「どうやらあちらも取り込み中であったようだ―――、だが、気付いてくれたぞ!こちらを見てくれている!」
「―――はい」
ライドウは力強くゴウトの言葉に同意すると、ガルムの方へと視線を向けなおした。自分を取り囲む陣は、陰陽術『奇門遁甲』と隠形法『呪縛秘密成就』を組み合わせた、悪魔召喚術師である自分という個人にたいしてのみ最大の効果を発揮するように造り上げられた、葛葉ライドウを閉じ込める檻を造る専用の術式。悪魔『葛の葉』は夜明けの番人で、陣は内部に捉えた籠女を決して逃さぬようにする為の廓。ならば……
―――古来から廓抜けは、外部の手引きにより起こるものと相場は決まっている
「―――ゴウト」
「なんだ?」
「ガルムの群れに突っ込みます。準備を」
ライドウはそう言って刀を抜いた。ゴウトはライドウの言葉に驚いた表情を見せたが、すぐにライドウの意図を察知して、応じた。
「了解だ!」
「―――行きます」
ライドウはそしてガルムの群れに斬り込み、突入する。ライドウがガルムたちの群れに飛び込む寸前、ライドウの周囲を取り囲んでいる陣と、その陣を形作っている人形が一部接触するも、動物頭の人形は揺らぐだけで、自らを取り囲む陰陽と密教の合成陣は何一つ変容しないし、自らの体が鉛のように重いという事態も変わらなかった。だが。
「オ……」
「オォ……、オォ……」
「オォォォォォォ!」
ライドウがその身に背負ってきた陣の内側へと強制的に巻き込まれたガルムたちは、陣が彼らと接触した瞬間、悪魔を混乱させる呪いをその身に受けて、大いに暴れ出した。ガルムらの暴れっぷりや凄まじく、無理な動きで自らの四肢が千切れようと、同士討ちにより傷付こうと御構い無しである。
「オン・マリシエイ・ソワカ。オン・アビテヤマリシ・ソワカ……、くっ……!」
ライドウの後を追っていた狐耳をした巫女風の女は、そうしてガルムたちが互いに傷つけ合い、同士討ちし出したのを見て、呪文を唱えるのをやめた。彼女は、迷ったのだ。
「そこっ!」
「っ……!」
そしてその隙をシンが付いた。誰よりも先に飛び出したシンは、左腕の高周波ブレードを用いて狐巫女『葛の葉』に斬りかかる。直前でその一撃を回避した『葛の葉』にその一撃が当たることはなかったが、彼女が回避行動を起こしたその瞬間、ライドウを中心としていた陣は揺らぎ、ライドウが攻撃のために移動しても、その中心点がライドウの頭上より移動することはなくなっていた。
「しまっ……!」
「位相がずれた! これなら……! ―――ライドウ! 陣を攻撃するわ! 避けて頂戴!」
「―――はい!」
凛の呼応にライドウは首肯する。ライドウが自らの意図を正しく読み取ったと確信した凛は、続けざまに魔術回路に魔力を流し込み、ライドウより受け取ったマグネタイトの篭った魔石を、複数個、ライドウの頭上へと放り投げると、詠唱を介し、攻撃を捩じ込む。
「Stil,Schiest Beschiesen Eruscriesung!/術式解放、敵影、一片、一塵も残さず!」
「これは……!」
「サガの『大氷嵐の術式』!?」
そうして凛が魔石を用いて発動した魔術は、エトリアにおいては、アルケミストの使う大氷嵐の術式にも似ていて、シンと響は、見覚えのある光景を見て、驚愕の声をあげた。凛が投擲した複数の魔石より生じた、曼荼羅の上部へと生まれた人の大きさほどもある巨大な氷の柱は、落下し、地面と接触する。氷の柱はやがてその氷芯から水を滴らせ、柱より伸びたて地面を這った水は、再び氷となって八卦の陣が敷かれたガルムの蠢く地面を薄く覆い尽くしてゆく。
「―――ライドウ! 真後ろだ!」
「―――!」
ゴウトの声に呼応してライドウが振り向くと、何もないはずの虚空に氷が巻きついていた。ライドウは迷わずそちらに向けて駆け出した。自身の体はそこに何もないと訴えていたが、凛の魔力、すなわち、マグネタイトがそこに何かがある事を告げていた。
虚空に屹立していく氷の筋はやがて、象の頭を持つ小さな異形の人型を覆う鋳型の様に変貌していく。凛の自然を利用した魔術攻撃により、人や獣の目を騙し、惑わす陣の核たる人形の在り処が判明し、そして移動、回避する人形の回避行動もが封じられた瞬間だった。
*
「……! 奔れ、炎て……」
「させん! 」
ライドウが陣の核を破壊しようとしていることに気付いた悪魔『葛の葉』はライドウを止めるべく炎の呪術を放とうとするも、シンがそれを食い止めるべく、近接の一撃を繰り出した。『葛の葉』は舌打ちをして、その攻撃を回避した。いつもなら間違いなく敵の首を弾き飛ばすだろう一撃が、虚空を切ったのを見て、シンも舌打ちする。
―――体の動きが鈍い
シンは自らの体が、魔石により一定の回復が行われたとはいえ、完全に元の状態に戻っているわけでない事実を悟った。オーバーヒートを起こした体の機械部分は魔石での修復が不可能で、オーバーホールなしに新品の状態には戻らない事を、理屈でなく、感覚として理解したのだ。完全に回復した生体部分と、傷付いたままの機械部分との差異はエラーを生み、シンの動きを歪ませている。
そのエラーを実測し、修正をかけながら、シンはそれでも攻撃の手を緩めないが、そんなシンの一撃はいつもと比べると鈍く、キレも鋭さもなく、目の前のアルケミスト然とした、いつものシンに比べれば、対して素早くもない術師にすら余裕で回避される程度の一撃しか放てない。一撃を振るうたびに大きな隙が生じる。生じた隙は『葛の葉』がシンやライドウ
を攻撃する絶好の機会であるわけだが―――
「やっ!」
「ちぃっ!」
その隙を響が補う。シンは足りない部分を他所に求めたのである。
「二人がかりとは卑怯な……! 」
「足りない部分を補い合うのは!」
「冒険者として当然のことです!」
『葛の葉』は憎々しげにつぶやく。それだけで呪詛となるなら呪い殺してやりたいと言わんばかりの憎しみが込められたそれを、シンと響は平然と聞き流し、言い返した。葛の葉はそれを聞いてさらに眉間の皺を深くするが、いくら憎しみを増したところで、目の前の現実が覆るわけでもない。
「退きなさい! 」
「断る! ―――ライドウ!」
「―――!」
苛立たしげに吐き捨てた『葛の葉』の要請を断固として跳ね除けると、視界の端にライドウの姿を捉えたシンは、ライドウが邪魔なガルムの群れを斬り払って屹立する氷の鋳型に近く姿を見て、思わず期待の声をあげた。シンの声援を受けたライドウは、瞬間、体の動きを鈍くする陣の効果から解き放たれたかの様に、ガルムを斬り払う速度を上げ、マグネタイトを撒き散らしながら、彼本来の速さに近い速度で駆け抜ける。
「あぁっ……!」
『葛の葉』は自らが黄幡より引き継いだ陣が崩れる未来を予見して、悲鳴をあげた。透明な象頭の人形に接近したライドウは、振り上げた刀を振り下ろす。祓魔の刀はガルムどもの喰い合いと凛の魔術により周囲に生じていたマグネタイトの霧を切り裂いて、透明な薄布向こう側にある魔を祓わんとその威力を発揮しつつ、人形へと迫った。そして。
「急急如律令―――」
「―――!?」
倉橋黄幡の静かな覚悟のこもった声の呪文が響きわたり、象人形を引き裂くはずの袈裟斬りの一撃が、倉橋黄幡の肉体へと吸い込まれる。人間の骨など切るとの覚悟なしには簡単に切り裂けないはずであるが、黄幡自身がいかなる術式を使っているのか、黄幡の体はまるでバターの塊に、熱したナイフを通すかの如く、断ち切ってゆく。
ライドウは目の前の光景と、その違和感ある手応えに困惑しながらも、振り下ろす手を止めることは出来なかった。
*
ライドウの刀が黄幡の体を断ち切るのは、その場にいる黄幡を除く誰の目にも、理解不能な事象として映り、黄幡を除く誰もが呆気に取られていた。当然だ。なぜ、わざわざ刀の前に飛び出して殺されに行くのか。そんな理由がわかるとしたら、それはその本人以外に知り得るはずがない。
『黄幡……!? 貴様、なぜ……!?』
「貴様に答える義理は……、ない……!」
『……!』
そんな周囲の疑問を代表したゴウトの焦燥含む問いに、すでに欠損していた体を真っ二つに断ち切られた黄幡は、ニヤリと笑って、答えた。ゴウトはそんな死にかけの黄幡の静かな返しの言葉に気圧されて、息を呑んだ。一目で勝者と敗者がわかる構図は、しかし、その内面において、真逆の様相を呈していた。
「ラァァァイ、ドォォォウ! 」
「―――何っ!?」
ゴウトの問いを切って捨てた黄幡は、斜めに袈裟斬りされた己の肉体がずれて落ちる前に、己を斬り捨てたままの姿勢で固まるライドウの胸元を残った片手で掴むと、腕に力を込めた。その動作によって断ち切られた断面より己の肉体は断裂し、断ち切られた部位より自らの内臓が零れ落ちるが、黄幡はそんなことを意にも解せずライドウへと接近すると、首元にしがみついた。黄幡が自らの痛みを無視して末期の力を振り絞るその姿は、まさに国家転覆を計った悪鬼にふさわしい姿であると言えた。
「絶対的強者たる自然神のいる場所に近づくためには、自らがせめて蠱毒の壺の勝者となるしかない! しかし、貴様に敗れた俺には、もはやその資格がない……。だが、俺に勝ち、帝都を守るため勝ち続けた貴様なら、蠱毒の勝者と敷いて、すなわち、この陣の内側で、広く欧州において死の象徴たる狼が殺しあうこの蠱毒を勝ち抜いた帝都帝國、いや、世界を見渡しても指折りだろう悪魔召喚師である貴様は、ラグナロクにおいて暴れる、死と破壊の象徴たる、人格を持たない“自然神フェンリル”召喚の贄として、最高の供物となる!」
「―――な! 」
黄幡は血反吐を吐きながら、ライドウの耳元で叫んだ。ライドウは脳髄に染み入ってくる甲高い声の意味を咀嚼すると、驚きの声をあげた。驚愕を、文字通り肌身の至近距離から残された全身で感じた、黄幡は、大いに喜び、声を上げる。
「そしてライドウ! 貴様は今、その事実を、“理解”し、“自覚”したな! これで“呪”がかかり、ここに蠱毒は完成した! 急急如律令!」
「―――はい」
高らかに叫んだのち、黄幡が放った呪文の効力により『葛の葉』は操られ、その手より陣に向けて魔力を生じさせた。それは彼女の完全なる意識の外から強制された動作であるがゆえに、あまりにも流麗なものだった。
「あっ……!」
「しまっ……!」
彼女のすぐそばにいた黄幡の命を捨てた壮絶な捨て身に気を取られていた響とシンは、自らの失態に気付いて反応するも、もはやそれは遅かった。『葛の葉』の放った魔力に反応したライドウと黄幡の周りを取り囲んでいた陣は、その内側にいる、ライドウに斬り殺され、あるいは凛の魔術によって殺されたガルムの残骸や狂乱したガルムの群れごとをマグネタイトへと変換し取り込むと、現在、陣の中心となっているライドウと黄幡を包み込みんでゆく。
「―――ぐぁ……!」
『ライドウ!』
ライドウの苦悶の声に、ゴウトが悲鳴をあげた。自らの体を締め付けるようにして集まってくるマグネタイトの奔流で薄れゆく意識の中、ライドウは、陣の効力が書き換えられたのか、いつのまにかライドウの目の前に現れていた象頭人形も、薄れてマグネタイトへとなり、掻き消えてゆくことに気が付いた。
「―――く……」
「させるかよ!」
ライドウは人形の崩壊を見て悪魔召喚が可能になったことを悟り、刀を持っていない方の空いている手で管をホルスターから抜き取り悪魔を召喚しようとしたが、ライドウのその足掻きに気がついた黄幡の攻撃により、悪魔召喚は妨害された。
「―――が……!」
ライドウの喉元に黄幡の歯が食い込む。もはや体を動かす血液すらほとんど残っていない黄幡には、そのままライドウの首を噛み切る咬筋力は残されていなかったが、それでも首元への攻撃は、ライドウの行動を阻害するに至っていた。ライドウの手から刀と数個の管が零れ落ちる。やがてそれらのうち、刀は氷となった地面に突き刺さり、数個の管は氷上を転がってゆく。そうして抗う手段を失ったライドウには、もはや抵抗の余地が残されていなかった。
『ライドウ!』
それを見たゴウトの悲鳴が、銀座の異界にこだまする。同時に崩れ、薄れつつあった陣は、ライドウと黄幡めがけて収束し、禍々しい気配を携えたマグネタイトが、彼らを中心に、天へと向けて逆巻きの渦をつくった。ライドウと黄幡はそして、黄幡のかつての望み通り、周囲の贄を吸い上げて、マグネタイトが絶対的な強者の元へと還元されてゆく。強制的に献身を施された、他者の存在を饗する事を強要されたライドウは、やがて自らの体内を取り囲む存在が持つ破壊衝動により、己が裡にも潜むそんな感情を共振させられ、燃え上がるような激情を感じながら、意識は闇へと吸い込まれていった。
第七話 終了