Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜 作:うさヘル
第一話 無力を嫌った世界を喰らおうとする獣
第一話 無力を嫌った世界を喰らおうとする獣
世界樹の迷宮を探索しろ。
自分だけの迷宮の地図を作れ。
なに、不器用でもそうと信じて足掻き続ければ、いつか必ずそうなってくれるさ。
*
新迷宮
*
泣いて、泣いて、泣いて、泣き叫んで、そして翼人が抱えるダリを追ってやってきたのは、見覚えのある場所だった。忘れようはずもない。忘れられようはずなどない。なぜならそこは、俺たちの新たな冒険が始まった場所だったからだ。
――新迷宮
内部への侵入を固く拒むかのように強い魔物が徘徊し、そうしてシンというエトリア最高峰のブシドーすらも葬り去ったこの迷宮には、今、そんな前評判など弱い者が勝手に評判を作り出しただけで自分は何も拒んでなどいないとでも言うかのように、その赤い迷宮は多くのものを呑み込み続けていた。
――迷宮が……
今、大地と大地の狭間、切り立った崖の壁面に空いていた迷宮の入り口を覆い隠スカのように乱立していた赤い樹木は、大地ごと迷宮のあった場所へと吸い込まれてゆく。迷宮の入り口だった穴は、今や大きな狼の口であり、土も、木々も、雲も、空も、その全てが迷宮の食料に過ぎない状態になっていた。そんな中。
――あれは……!
やがて私は、ゆっくりと丸呑みされてゆく赤い世界の中、そんな食いしん坊な口腔の中へと果敢に飛び込んでゆく存在を見つけた。翼を生やしたそいつは、生々しく赤々とした大地が瓦解して溶け合ってゆくそんな中心、迷宮の入り口へと飛び込んでゆく。
――ダリ……!
逆しまになった糸車のようになった黒雲の中をつっきったダリとそれを抱える翼人は、まるで杯の中を水滴が滑り落ちるかのようにするりと迷宮の入り口へと飛び込むと、全てが溶け合っている場所へと消えてゆく。俺はそんなダリをいつもみたいに追いかけようとして――
――アレに飛び込むっていうのか……?
そして自分の中にある小賢しさが、そんな俺の果敢な行為を制止した。
――ッ……、俺は……!
俺は俺の中にいる弱い自分が、「いつものように、結果を待っているだけでいいだろう」と告げている事に気がついている。俺は狼が俺らを殺そうとした時、シンのように飛び出して命を賭けることが出来なかった。
――俺は……ッ!
俺はダリが俺らをかばってヘイに立ち向かった時、そうして命を俺とピエールの為に差し出す奴を止める為に足を踏み出すこともできず、けど、ただそんなダリの覚悟をピエールのように黙って受け止める事もできず、ただ喚いているだけだった。俺はいつだって、辛い時に、ただ、誰かに守られながら、泣き喚いて状況が過ぎ去っていくのを見ていることしかできなかった。
――……、俺は……
俺は俺を守ることしか、考えていないのだ。そうして自分の力じゃどうしようもなくなった時、泣いても叫んでも誰も助けてくれなくて周りじゃどうしようもないって時になって、もうこんなところにいたくなんてないっていう限界になって、初めて、逃げ出すようにして、知らない世界へと飛び込み、そして、また、誰かを頼っては、泣き喚いて、また逃げるのだ。今だってそうだった。俺がこうしてダリを追いかけたのは、あんな場所にいたくないという俺の、必死の逃走だった。
――……、俺
こんな自分が嫌いで、変わりたくて、死ぬ気で変わろうと思って、村を飛び出して、けど、それでも俺は。
――村を出たあの時から、何一つ変わって、ない。
この一年で急成長した乳房の奥、胸が切り裂かれたように痛んだ。俺はずっと、俺のそばで俺を守って、俺にとって都合のいい夢を見せてくれる人を求めているだけだった。多分、この女みたいに大きくなった胸は、その象徴だった。
――成長って言えるのはこんなとこばっかかよ……
ずっと押しつぶされてきたそれを揉むと、女の象徴は、我ながら柔らかく大きく育っていて驚いた。きっとそれは、強くて大きな男の人たちのそばで、その強さを傘に被って、威勢をよくして、都合よく守られている女として、当然の成長をしただけだった。男のようになりたいと思ってきた俺は、私は、ずっと、望んでいた困難を切り開く男としてではなく、守られて当然の女として成長してきていた。
――悔しい……
そうして俺に否定されながらも、サラシの下で育った胸の大きさは、私がどれだけ、無自覚に周囲に迷惑をかけながら自分がエトリア一のアルケミストにという評判を手に入れたという俺の、私の、象徴であるかのようだった。
――ッ、つぅ……
気がつくとぎゅっと握り込んでいて、痛みを感じる。痛覚なんてないはずの重い脂肪の塊がやけに痛む。手放して服の中を覗き込んでも、赤い後すら残っていない肌は、俺にある一つの事実を教えてくれた。
――俺、こんなに痛がりだったんだ……
血が出ているわけでも、青痣になっているわけでも、ないのにこんなに痛い。心が、肉体の痛みを過剰なほどに痛いと捉えてしまう。痛いからすぐに泣き叫んで、耐えられなくなって、逃げてしまう。
――俺は、耐えることが出来ない
俺は悔しかった。俺は、男の体じゃなくって、シンやダリ、ピエール、エミヤみたいに、強くなれない俺が、大っ嫌いだった。私は悔しい。女の体なのに、響みたいに、シンに認められるような才能があって、男みたいになれる彼女がすごく羨ましくって、嫉妬していた。
――そうか
――俺は/私は
――そんな弱い、私/世界が大っ嫌いだったんだ
「――つッ!」
痛い。痛みは今までの迷宮で感じてきたそれの比じゃなかった。今、自分の側には誰も守ってくれる人がない。自分は世界から拒絶されている。自分は世界を拒絶している。そんな事実を切り裂いてくれる人は、私を守ってくれる人は、今、自分の側にいない。
「――ああ」
どうか誰か……
「――助けて……、――――――あぁ……」
漏らした一言が何を意味しているかに気がついた私は、それらの事実が、本当に、どうしても耐えられなくて、そして私は、全てを呑み込んでいる新迷宮の入り口むけて走り出す。そうして世界中を未知なる方法で地下空間の中に呑み込まんとしているその場所は、しかし、全てを呑み込めるほど、絶対的な存在であるように映っていた。
「あ……」
しかし。
「あ……、あぁ……!」
側に近づくと、世界がグラグラと揺れていることに気がつく。足元は蜃気楼で、もう自分がどっちに向かっているのかすら分からなかった。唯一わかるのは、自分は今、自ら進んで絶対的な強者のもとに自分の意志で向かおうとして、しかし途中で、絶対的な強者に捕食される恐怖を思い出して、もう自分の意志では足も動かせなくなったのだという、最悪の事実だけだった。
「――助けて」
言葉を口にするも、それを聞き届けてくれる人はどこにもいない。当然だ。私はそれらを、全て切り捨てて、そうして自分の意思で死んだ人を追いかけて、誰もいない世界の終わりにまでやってきてしまったのだ。
――誰か、俺を救い出して
ここにシンはいない。
――誰か、私を守って
ここにダリはいない。
――お願い
ここには誰もいない。ピエールも、響も、エミヤも、自分の敵となる誰かすらも、ここにはいなかった。ここにいるのは、ただ一人、自分だけで、そうして自分が、誰にも知られずに死んでいくというそんな状況が、何より俺/私にとって、耐え難かった。
――誰でもいい。誰でもいいから
「私を一人にしないで!」
勝手に耐えられなくなって、勝手に飛び出して。そんな我儘な私の声を聞き届けてくれる人は、もう、世界中のどこにもいなかった。きっと、私の声は、もう、私以外、世界中のどこにも届かない。足は地面に呑み込まれてゆく。世界が私を呑み込んでゆく。
「嫌ぁ!」
そして叫んだ瞬間。トプン、と、地面は波打って、まるで水滴が落ちるかのように、私は地面へと吸い込まれていった。
*
???
*
俺の体が地面に沈んだ瞬間、俺は世界の裏側を見た。そこは暗くて、何もなかった。空が遠ざかっていく。手を伸ばしても、空は、地面は、どんどん遠ざかっていくばかり。私はただ、世界に呑み込まれただけの存在だった。
――遠い
私が命を落とした瞬間、一瞬だけ私という存在は世界に波紋を作ったけれど、そんな私が生み出した小さな波紋は頼りなくって、すぐに水面は元の通りに消えていく。透明な中に、緩々と体が沈んでいく。もう、地面の境界なんて、どこにも、何にも、存在しなかった。
――あれは
柔らかく赤い地面に沈みゆく私は、そんな赤い地面の中で、迷宮の幻を見た。迷宮は、青々とした樹木と木漏れ日に満ち溢れていた。迷宮は、鬱蒼とした樹林と苔と腐葉土で出来ていた。迷宮は、海の中の空気と光と珊瑚礁と海藻だった。迷宮は、命を失った世界の全てだった。迷宮は、大きな樹木の枝に、葉に、中にも、外にも、あらゆる場所にあった。
そして迷宮の中には、多くの生き物が蠢いていて、そんなを生き物を、人間が倒して、生きる糧にして、いつか死んで、やがて迷宮そのものでもある世界樹へと拡散していく。
――これが世界樹の迷宮
そうして自分で循環して、如何にも大きく立派な世界樹の迷宮には、しかし、その外側に、多くの見えない誰かの意思が存在していることに気がついた。透明な彼らは不器用ながらも、必死で世界樹の迷宮の外側に、内側に手を入れている。透明な彼らは、如何にも小さな存在で、どこにでもあるような光だった。
――あれは
光は、多分、自分たちの周囲にある世界樹の迷宮が、どうにか自分にとって良いものになるようにと願いながら、迷宮に手を加え、心を配っていた。あれは見知らぬ場所の地図を書く冒険者だ。そう思えたのは、きっと、彼らのそんな行いが、シンの、ダリの、ピエールの、響のように見えたからだ。
そしてやがてそうして彼らが必死になった結果、世界樹の迷宮の地図は、自分のみならず、他人にもわかりやすい地図へと変化していっていた。そしてそんな誰かが自分にとって過ごしやすいようにと手を加えた場所には。
――光が……、集まって……
やがて、他の光がたくさんやってくる。その光たちは、地図が自分たちに適していると思ったから、やってきたのだ。すでに地図のある場所なら自分は苦労せずに楽に過ごすことが出来そうだと、思ってやってきたのだ。その姿に、俺は、私は共感を覚えた。なぜならそれは。
――……あれは俺だ
そうしてやってきたたくさんやってきた光によって、迷宮は見た目どんどん大きくなる。そこで活動する光は、いっそう活発に迷宮で動くようになって、世界樹の迷宮の地図はどんどん詳細で複雑なものになっていく。――けど。
――あ……
迷宮の中に、突如としてどでかい光が現れた。それは、他の光と比べて、あまりのも大きかった。それは、他の光と比べて、あまりにも異質だった。それがやってきたことによって、他の、ただ寄ってきただけの光は、一目散に逃げ出してしまった。
――ああ……
巨大な光がやってきた時、そこに残ったのは、元々いた光だけになった。彼らは自分を呑み込んでしまいそうな大きな光に押しつぶされながら、それでもやはり最初のように、自分だけの迷宮の地図を刻み、変わらず煌々と輝いていた。それは涙が出そうなくらい、綺麗な光景だった。胸の奥がジンとする。
――ああっ!
その行為を尊いと思った。憧れた。自分より大きな何かに負けず、めげず、ただそこにあって、負けるもんかと耐えて、そして、自分の足跡と居場所を刻んでいくその行為は目が眩んでしまいそうなくらい、カッコいい光景だった。
――あぁ……、ああっ!
憧れて、憧れて、憧れて、憧れて、――、そして自分には出来なくて。
――あっ……
――、そんな光の抵抗を眺めていると、やがて、そんな光の側、大きくなった彼らの隙間に、そんな小さな彼らとは異なる色の光を放つ、小さな光があることにきがつく。その光は先ほど逃げた光と同じ、燻んだ色をしていた。
――……
既視感を覚えた。途端、胸が苦しくなった。その光は、大きな光のそばで負けるもんかと必死になっている光の側で、最初の彼らが作り上げる迷宮の隙間に潜り込んで、側にあるだけの存在だった。その光はただ、先に大きな光に負けるもんかと迷宮の地図を作る光の側で、隙間を埋めるだけの存在だった。何もしない光はそして、迷宮の拡大に伴って自分自身も大きく、綺麗になっていく最初の光のそばで、やがて大きくはなったりもするけれど、いつまでも、自分から輝こうとはせず、燻んだ色をしていた。
――そうだ
ある時、全ての大きな光が燻んだ光の側からどこかへ行った時、燻んだ色の光はやがて燻みきって迷宮の闇の中に溶けて消えていく。先に逃げ出した光も同様だった。逃げて、逃げて、逃げて、光が輝ける力を使い果たして、光なんて呼べないくらい暗くなるまで逃げ出すまでの間に、自分の居場所を自分で見つけられない光から消えていった。そうだ、結局。
――私はそういう存在だったんだ
私と、大半のエトリアの住人は、そういう存在だったのだ。世界を作っているのは大きな光と、元々自分から動ける光だけで、世界が必要としているのは、きっとそんな存在だけで、逃げるばかりの、立ち向かわないで居場所を探しているだけの俺たちは、私たちはただ――
――いつか世界に呑み込まれてしかるべき、いてもいなくても同じ存在だった
逃げ場所なんてどこにもなかった。逃げた先にあったのは終焉だけ。やがて世界の底に沈んでいく私は、その下層の奥底にたどり着く。そこはまごうことなくきっと、必死になって逃げて、それでも逃げ切れた先にある、世界のどこかの果てだった。私は大きな口に呑まれて、狼の胎内にやってきてしまったのだということを、心底自覚させられた。
――結局、俺は……
そこには何一つなかった。動かせるものなんて何一つなくて、ただ自分がそこにいるだけで、秩序も混沌も、善も悪も何もない、破壊も創造も、何一つすることの残っていない、向こう岸の世界だった。
――ここにたどり着いてしまったものは、もう何も出来ない
あとは溶けて消えるまで、この海の底で揺蕩うだけ。逃げ続けた先には何もない。ああ――
――安寧を求めて逃げ続けた先、そこにはなんにもなかった
誰もいない。何も無い。つまりは、境界がない。自分が俺であるのか私であるのか、そうと定める指標がない。全て世界の中に溶けて消えていく。俺が溶けて無くなっていく。私は溶けて消えていく。迷宮の地図を刻むことのできなかった私は、世界に私だけの地図を生み出せなかった私が、ただ消えていく。それはすごく寂しくて、切なくて、胸が千切れるような痛みで、痛みだけが私を世界に繫ぎ止める鎖だった。
私は苦しかった。寂しかった。縋り付きたかった。それが痛みであってもいい。もっと、自分が自分で、確かにここにいるのだという痛みが欲しかった。
――それが
「いや、丁度いい」
―――このような、文字通り、胸を貫く痛みでも
「叙事詩の名前を持つお前/サガなら、角笛の中身にピッタリだ」
ダリの手が私の胸を貫いた。そんな最中でも、私はこれ以上ないくらいの幸福感を味わっていた。痛みがこれほどまでに愛おしく思ったのは初めてだった。私は誰かに触れられた。それが何より嬉しかった。
「器の材料も揃ったことだし、次は音の材料になる奴を探そうと思っていたが――、手間が省けた。ここにいたのがお前でよかったよ、サガ」
――私は、誰かに必要とされた/助けられた!
そして私は多分、生涯で最高の幸福を感じると共に、胸の熱いものが全身に広がって、自分が拡散して消えていくのを感じた。
*
グラズヘイム郊外
*
「ええ、ちょこまかと……! マイク! 次の場所へ我を転送しろ!」
「了解です。――リッキィ」
「あ、ま、まって……いま、消化の範囲が広がって……」
戦火が翼人の手によって広けられていく中、森の片隅で、地面に倒れ伏している存在があった。それはただ捨て置かれていた。それはただ、地面に、自然に、あるがままの状態で、いかにも力尽きたという体裁で倒れ伏し屍だったけれど――、そうして二度と開かぬ瞼のある、地面を眺める横顔は、清々しいほどに満足の笑みを浮かべていた。
その屍は、かつて、ギルガメッシュという存在に、『今代最高の詩人』として称賛を受けた、ピエールと呼ばれる詩人のものだった。過去の偉人に唯一の存在と謳われた彼は、迷宮の中でのたれ死んだ誰かのように、地面の上、自らが撒き散らした血の泉の中で、華々しく命を散らせていた。
彼は、全力で生きて、そして、満足して死んでいったのだ。英雄王ギルガメッシュの眼前で死んだ彼が、そうして英雄王がそのままうち捨て置たのは、英雄王が彼を、全力で生きて、そして、死の運命を受け入れて死んでいった事を気にくわないと思った証だった。
英雄王は彼に生きて精進する事を期待し、しかし彼は、期待に満足する答えを返せず死んだ。ギルガメッシュは、全力で生きた事を認めたからこそ、運命を受け入れて死ぬという自分からすれば気に喰わない死に方をしたピエールの、運命を受け入れたという意志を尊重し、自然の中で必死に生き抜いた獣の運命がそうであるように、捨て置いたのだ。それは傲慢を自覚する英雄王なりの、全力で生きた人間に対する敬意だった。
ピエールの顔は、真っ赤に染まっていた。彼の顔色は、彼が生きていた時にその体内で脈動していた血液よりも赤い、太陽の、生命の色に染まっていた。それはピエールという人物が、そうして生きた生き様から、「目指した人」の名前を持つ誰かではなく、「目指される人」の名前を手に入れたという証のようだった。それは彼が、「その他大勢の誰か」ではなく、「ピエール」という個人になった証のようでもあった。
「――、戻ってきてみれば……」
やがてそんな全力で生き抜いた彼を、誰かが見つけた。死んでいるピエールを見つけたその男の腹からは剣が突き立でていて、手には銀の杯が収まっていた。杯の中では、まるで凪の夢でも見ているかのように、透明な空気が詰まって、揺れている。
「詩人/ピエールの骸とは、都合のいい。やはり運命は今、俺の味方をしている」
やがてその男は呟くと、手にしていた杯を倒れ伏しているピエールの骸に近づける、そしてそのまま、勢いよく、彼の背中に向けてそれを突き出した。骸の背中に男の差し出した杯が、男の腕ごと吸い込まれていく。骸はまるで水面が石を受け入れるが如く、異物のそれを受け入れたのだ。
「おぉ……」
やがて男が得心した様子でピエールの死体から手を引き抜くと、途端、骸は光を放ってその形状を変化させていく。ぐねぐねと変化した外見はやがて、大きな動物の角へと変化していった。それはセイウチの牙のように鋭く、マンモスのように大きかった。
「さすがはシン……」
やがてそんな変化をもたらした男は、自らの行為によって生み出された、自らの背丈の半分ほどもあるそれをひょいと拾い上げると、感心した様子で呟く。
「誰にでも寄り添う事の出来る性質の雌の魂と、素晴らしい外見と音とを出せる雄の骸とに、あらゆる液体を受け入れる万能の器とを加えれば、それは、世界中に音を響かせ、万人に死の運命の音色を届ける角笛となる。なるほど、確かに、シンの言う通りだった」
そしてギャラルホルンを手に入れた男はそれを口に咥えて――
*
帝都、銀座異界
*
黒い、禍々しい色をした魂をある一点へと集中して運んでいくその風の群れは、やがて時間の経過とともに小さくなっていく。ライドウへと謎の力を注入していた渦巻きがやがて完全に消えた時、そこにいたのは――
「――これは」
「狼男!?」
呆然とした響の声に、凛が叫んで答えた。倉橋黄幡という人物の罠にはまり、彼の召喚した悪魔『ガルム』や、自身の体すら素材に用いての陰陽術の呪い『蠱毒』を一身に受けたライドウは、その姿を狼頭人体へと変化させていた。
「なるほど」
そうして変化した彼は、特に頭部の部分が、まさに狼のようだった。頭から胸の方まで猛々しい銀色の毛が生え、しかしその頭頂部には、しかし自身がライドウの変異体である印と言わんばかりに、丸い学生帽が載っている。狼の頭だけをライドウの頭部とすげ替えただけのようなそんな姿は、一見、狼から剥ぎ取った皮をなめして被っているだけのようにも見えた。私はその姿に既視感を覚えた。
――あれは確か、旧迷宮の一層番人の……
「まるでケルヌンノスのようだな。あれが“自然神フェンリル”、か」
「狼の皮を被った人……、つまり、ルー・ガルーやラインカスロープ……、いや、その出生を考えれば、北欧神話のウールヴへジンという呼称が正しいかもしれない。まぁ、ようは、狼男と言うことよ」
「ウールヴへジン……」
『ライドウ!』
凛が付けた名前を呼ぶと、そんな私のつぶやきに反応して、ゴウトが叫ぶ。小さな猫の体からひねり出された人の心配の雄叫びに、しかし返ってきたのはライドウという人間の声ではなく、力ある獣が自らの存在を誇るかのような、そんな、どこまでも荒々しい咆哮だった。
「オォォォォォォ!」
「――下がれ、ゴウト!」
そして、そんなゴウトの声に反応したのか、ライドウが突っ込んでくる。彼は瞬時に刀を抜いて加速すると、虫の羽ばたきすら正確に捉えることができるようになった、そんな機械の私の目にすら霞むような速さで、ゴウトへと迫っていた。
――素晴らしい速度……!
感心しながらも、遅れてなんとか彼の速度に反応した私は、収納状態の左腕の高周波ブレードを解放するまもなく、納刀状態で剣をゴウトの側へと近づいた。彼の刃がゴウトの前に躍り出た私を切り飛ばそうと振り下ろされる。
――おおっ……!
その剣閃に至るまでの一連の動きは、エトリア最高のブシドーであった私ですら感心するような、滑らか、且つ、無駄のない動きで、思わず見惚れてしまいそうな程の見事なものだった。まるでかつての私が剣を振るっているようだった。
――だが、それ故に、わかりやすい……!
そうして収納状態の高周波ブレードで彼の振り下ろした刀剣を受け止めるべく、収納状態の、つまりは刀身が二つ折りに重なっていて厚みのある状態の刃をその軌道に合わせるようにしておく。その判断は、ライドウの剣は、細く、鋭く、その刀身に浮かぶ素晴らしい波紋からは、相応の切れ味を予想することができるが、だからと言って、それの倍以上もある、超振動する特殊合成金属の塊を断てないだろうと判断しての、ひどく常識的な思考が導き出したものだったが――
「オォォォォォォ!」
「おおっ!?」
――これは……!
しかしライドウの刃は、そんな世界の常識など知らないと言わないばかりに、私のブレードと接触した直後、振動する私の刃を、まるで布でも引き裂くかのように、斬り裂いた。彼の件はそしてそのまま地面へと振り下ろされる。彼の振り下ろした刃が私のそれと交錯し、刃とブレードの姿が重なり合ったと判断した瞬間、慌てて身を引かなければ前方の収納部分どころか、根元側の方まで斬り飛ばされていただろう。
――素晴らしい……!
「君は強いな!」
叫ぶと、私は即座に返しの刃として、断たれた左腕の刃を展開させながら、今しがた半分に折られた両刃の剣で斬りつけた。振り下ろした直後で体勢が崩れているはずの彼は、しかし、すぐさま、その振り抜いた勢いを利用したままに、回転するようコマのような動きでひらりと身を翻すと、瞬時にその場から離脱した。
――おぉっ……!
見るにそれは、反射として自然に行われた動作だった。その動きは、思考を挟んでいたのではとてもできない滑らかさを持っていた。彼はそうして、私が攻撃を防ぐのも、自分の刃が私の刃を断とうが、避けたのちに反撃が来るのも、一切勘定に入れず、鍛え抜かれた体のただの反射行動として、その動作を行ってみせたのだ。その動作は、エミヤのそれよりも、さらに洗練されていた。そしてライドウの一撃は、エミヤのそれよりも、さらに無意識のうちに繰り出された一撃だった。
――アレが……
その事実が、私をひどく興奮させた。あれは多分、私の体にオーバーヒート直後の不具合がなかったとして、私が元の肉体を持っていたとして、それでも辿り着けない場所。彼がいるのは、エミヤの更に上。思考を捨てなければ辿り着けない、究極の頂き。私の目指した、まさに、頂点の、さらに頂きの先端だった。
――アレが私の極みにある存在……!
どくん、と、胸が高鳴った。全身の緩いオイルが少しずつ加熱していくのを感じた。
「――響。君の剣を貸してくれ」
そんな場合でないというのは、重々承知だった。だが、同時に、ここで自分を出さなければ、きっと一生後悔すると、私の直感は告げていた。私の直感は、いつだって、私にとって正しい判断をしてくれる。直感を逃せば、その先には後悔しかないのだ。
「シン……」
響は、ひどく不安な表情をしていた。私にはその理由がよくわかった。わからないはずがない。だって、彼女は、私が認めた、私と同じくらいには剣の才能がある人間なのだ。そんな彼女が、どうしてそんな顔をするのか、私にわからないはずがない。
「響」
「嫌です」
そして彼女は予想通り、私の言葉をはっきりと否定した。私はそれを予想していた。私はそれを予想できていた。
「響」
「――」
そして彼女も、彼女がどんな言葉をかけようが、私はどんな言葉をかけられようが、こうと決めたら止まらないことを知っているから、だから少しでも私がここにいる時間を引き延ばしたくて、沈黙を選択していた。私はそれが理解できていた。
同じ才能を持つ私たちは、同じ感性を持つ私たちは、わかり合っていた。だから、こんなやりとりは、互いが後悔しないための通過儀礼に過ぎなかった。重要なのは結果ではなく、一度は、言葉を交わし、わかり合う努力をしたのだと互いが認識することで、言葉なんていうのは、その結果に過ぎないものだと、私たちはわかり合っていた。だから。
「お願いだ。私の刀を返してくれ」
「――」
彼女はそして、刀を差し出した。私はその時、卑怯な手段を使った。彼女が私に好意を抱いていて、そしてこのままだとそんな私に好意を抱いている彼女が、こう言ってしまえば、自らの意思で私の心からの願いを断ったという結果を生むことを嫌って剣を差し出してくれるだろうというのを知っていて、私は、そうして彼女の退路を絶ったのち、彼女に選択を強いたのだ。
――すまない
きっと謝れば泣き出すだろうと思って心の中でこっそりと謝ると、しかしやはり、それを感じ取ったのか彼女は泣き出してしまった。しかし私は止まらない。否――
私は、止まることができないのだ。
*
私は、走り出したらぶつかって砕け散るまで足を止めることのできない人間で、しかし、ぶつかったところで砕け散らない、そもそもぶつかる時には自然と走らないことを選択する体を持っていた。
私は、こんな不自由だらけの体になってから、ようやく、他人がぶつかるかもしれないと思った時にどのような思いを抱くかを、心底理解したのだ。才能に満ち溢れていた私は、何も考えず全力で走るだけで最高の結果を出せる人間だった私は、最短距離をわざわざ遠回りをする人間の気持ちがわからない人間で、出来ないといって逃げる者の気持ちがわからない人間だった。
――しかし
出来ないことだらけの不自由な体になって、私は、ようやく、弱いということは、弱さがもたらす不自由さは、こんなにも余計な感情を生み出して、選択肢を狭めるものなのだということを、私に徹底的に理解させたのだ。
*
――体が
自然と両手が震える。命令がないと動かない機械の体を動かしているのは自分なのだから、生み出すその息苦しさは、自分の思考が生み出しているものに違いないと思った。感情は行けと言っている。理性は引けと言っている。両者はどこまでも噛み合わない。勝手に戦い出した二つの存在が、こんなにも自分の体に影響を与えている。こんな不自由は生まれて初めてだった。多分これが、余人の言うところの、恐怖という感覚なのだろう。
――戦えば、確実に負ける
まず間違いなく、フェンリルになったライドウという存在は、私よりも強く、そして容赦も迷いもない。真正面から戦えば、私は死ぬだろう。そんなことは勝ち続けて命を奪い続けて来た私が、誰よりも他の存在を負かして来た私が、その場の誰より理解していた。
――だから
私を理解してくれていて、ゆえに私と同じ結論に至ってしまった響は、そして私を失いたくないと泣いたのだ。何もかもを少しずつ得て来た彼女は、失う怖さを知っている。何もかもを持っていた私は、両手いっぱいに抱え込んでいたものを失った先、そこにまだ見ぬ新たな景色があると信じている。
――だから私は、命を捨てた先に、私の知らない何かがあるなら、見てみたい
だから私は、私の感情に従って、命を捨ててでも、そこに行くことを自分で決めたのだ。
「ありがとう」
「――」
私の感情を尊重してくれた彼女に礼を言ってもは、彼女は彼女は目を伏したまま何も言わない。響はおそらく今、自分の選択により、私を死地に送り込んでしまったのだという事実から目を逸らしていた。感情と理性が戦っていて、互角の状態だった。
彼女は自分自身の戦いに必死で、私との戦いから意識を逸らしていた。彼女は私のことなんか、眼中になかった。多分、そうして、理性で感情を処理して、いつかは私という傷を忘れていくのが、きっとそれが、彼女にとって、今後の人生に影響を与えない、大きな傷にならなくて済む、唯一の方法であることを私は、本能的に、傷付いてこなかったものの感覚として理解していた。
――どんな道を選ぼうと、どうせいくらかは傷ついてしまう
だから、きっとそのままそうして放っておいてやるのが、少しでも彼女を楽にする、その傷を減らす選択肢を唯一の方法で、私が一秒でも早く彼女の目の前から消え去ってやることが、選んでやることだけが、ダリやサガ、ピエールや響に言わせれば、不器用で人の気持ちがわからない、強者の私なりにできる、私より弱い彼女に対する思いやり――、のはずだった。
「響」
――しかし
「――ん」
私の戦いと魂を理解してくれた彼女が、私の事を忘れようとしている事実が、そんな彼女が私と向き合う事をやめたという事実が、彼女に傷一つつける事なく時間切れの判定負けしてしまうというのだろうという予測が、戦いこそが全てで、戦いこそが全てだった私にとって、死んで命を失うなんていう結末なんかよりも、よほど悔しくて。
「ん――」
気がつくと彼女を求めていた。腰を抱き寄せて、後頭部を抱え込み、その体温を交換する。こんな行為に意味がないことなんてよく理解している。機械になった私と人である彼女の間であるなら、なおさらやったところでなんの意味もない行為だ。
「――」
「ん……、ぁ……」
ただ、なるほど、こうして互いに足りない部分を埋め合う行為が、湧き上がるこの想いが、理性と感情の余計な壁を取っ払って、私に足りない微熱と、彼女に足りない冷静さを取り戻させ、互いの迷いを無くして一緒の方向に歩いていくのに役立ってくれるから、人は戦いの前に情を交すのだという事を理解した。
「いってくる。後は任せた」
「――はい。いってらっしゃい」
彼女の心に傷をつけたことに満足した我が儘な私は、夢見心地で名残惜しそうに手を当てる彼女の唇から、私へと繋がる唾液の架け橋が互いにとっての未練へと変わらないうちに、私は背を向ける。歩を前に進めると、今度は凛とゴウトが私の前に立ちふさがっていた。凛はひどく不機嫌そうな顔で、その姿は死地に向かう我が子を守ろうとする母のようでもあった。ゴウトは、負けると分かっている戦いに挑もうとする私を、無言で諌めていた。凛は感情で、ゴウトは理性だった。
――さて、どうしたものか
迷った瞬間、先に感情の記憶が現れた。
――今度はちゃんと相談しなさいよ
「凛」
「なによ」
「行かせてくれ」
「――好きになさい」
頼むと彼女はあっさりと身を引いた。
『凛!?』
ゴウトは驚くが、彼女はもう、納得したようだった。彼女はただ、他人に自分の存在を無視されて怒っていただけで、先ほどの私と何一つ変わらなかった。
「ありがとう」
『なぜだ!? 今、こやつは死にに行こうとしているのだぞ!?』
「知ってるわ」
凛はゴウトの言葉に、静かに同意した。それはいろんなものを押し殺した末に絞り出された言葉だった。ゴウトは凛の口調に、文句を挟まない。フェンリルと化したライドウは、ただずっと暴れまわっているばかりだった。
「でも、ここで止めたら、この馬鹿は、ずっと後悔する。それはやがて、自分自身を縛る呪いになって、やがて自分を永遠に呪い殺す鎖に変わるわ」
凛が続けた言葉は、感情を大事にしながら、人としての理性の正しさをも含めていた。彼女の言葉には、経験の重みがあった。私の世界は天秤で、彼女は天秤の行方を見守ろうとする女だった。
「私はそんな、立ち止まる事を知らなかった馬鹿が、自分の気持ちを押し殺して突っ走った結果が、どれほどの当人にとって惨めで悲しい結果を生むか、嫌っていうほどよく知ってる。……自分で決めた道で、苦しんで、自分が納得し尽くしていて、結果、それでも、死ぬって分かってても、それでもいきたいっていうなら、止められるわけ、――――――、ない」
「――――――」
ゴウトは言葉を失っていた。おそらくその言葉が示すような事態には彼にも覚えがあったのだろう、帝都の守護者であるライドウの後見人であるというゴウトの心に突き刺さっていたようだった。
「結局、世界なんて自分自身のものなんだから、自分で自分の運命をどんな風に扱うも自由の筈よ。独り立ちできなかったら、誰かにぶら下がる人間ができるだけなのよ?」
『だが、死にに行くというのを見過ごせはせん。命は一つでも多く救えるに越したことはあるまい』
凛の感情から発する意見に、ゴウトはどこまでも理性的に食いかかる。多分やはりそれは、強者と弱者の対立で、その手にたくさんの荷物を抱えているものと、たくさんのものを抱えこもうとしている人間の違いだった。
「あなた、そうして他人が後悔する選択肢を選ばせて、それで責任を取れるの?」
「――それは」
だから凛のそんな捨てさせてくれという強者の言葉は、他人をすら自らの中に抱え込もうとするゴウトという弱者の代表で、社会の守護者であるゴウトに突き刺さるのだ。
「責任を取れないなら、そんな気もないってんなら、他人の人生に口出しするもんじゃないわ。そんなの、ただの自己満足で、押し付けの傲慢よ。他人がどうこう言おうが、結局人生なんて、周りがどうこう言おうと、自分で刻んでいくしか無いんだわ。――そう、自分の地図は、自分で描くべきだわ。他人がどうこう言ったって、結局、書くのは自分の意志でなのよ。結局辿り着く場所がみんな同じなら、好きなように生きさせてあげるってのが、大人の在り方で、見守るってもんじゃないかしら」
『――、だが大抵の普通の人は、自分で地図を書く能力など持ち合わせておらん。お主のそれには、あまりに理想的な人間の生き方にすぎる。持たぬ者の視点が綺麗さっぱり欠けておる。殆どの人間はお主ほど生きることに余裕を持っていない。誰もがお主の様に、世界なんて所詮その程度のものかと切り捨てられる余力を持ってはおらんのだ』
天秤に乗る重石は感情と理性で、生と死だった。ゴウトは今、私が出した理性と感情のバランスに文句をつけて、他人の重石を理性の側に動かそうとしている。そして彼女は他人の人生に口出しするならその行く末の責任を取れと言い、極めて感情的な理性の言葉で彼を責め立てている。ゴウトは今、そんな凛の感情と理性を織り交ぜた口撃に、ひどく揺さぶられていた。
――チャンスは今か
「ゴウト」
『――なんだ、シン』
彼は不機嫌そうな態度を貫きながらも、私の言葉に答えてくれた。予想通り、彼は理性の代表の様な存在だ。だからきっと、帝都の守護者である彼は、土壇場において、私の命などよりも、帝都のことを優先する。ならば。
「私の見た所、あれはこのまま放置していれば、異界の帝都を破壊し尽くすまで止まらないだろう。――君はあれを止める手段を知っているのか? 力ずくで止められるのか? 」
「それは――」
そこを攻める。私は彼を説得するべく、思考よりの言葉を発していた。
「……、――、ない」
やがて少しの間、尻尾を動かし、地面を弄り、伸びをするようにして首を傾げていた彼は、はっきりと、とても理性的な結論を出した。
「そうだろう。何故なら、君もああなったあの存在のことは、知らないだろうからだ。君はああして、あれと初めて出会った。戦っていないのだ。それなのに、その存在のことをわかるわけがない。――何かを得るには、何かを捨てる必要がある。私のことは、帝都守護のため、情報を手に入れる試金石とでも思ってくれればいい」
「――しかし」
――ふむ、手堅い
帝都の守護者側の彼は、思ったよりも情も秘めている存在のようだった。
――なら、その情を利用するまでのこと
卑怯を覚えた私に敵はない。後がない私には、もはや恐れるものなど何もないのだ。
「君の目的は帝都の守護で、大事なのは私よりライドウなのだろう? 」
「――」
「ここで情報を集めておけば、ライドウを助け、帝都を救える確率は上がる。なら、君のとるべき策は一つに絞られるんじゃないか?」
そして彼は身を引いた。帝都のために死んでくるなら犠牲もやむなしと、彼は理性的に判断していた。死の運命に挑もうとする私の前に、もはや障害は無かった。彼女らが引いてくれた先、そこではフェンリルとなったライドウが暴れまわっていた。異界、銀座の街が彼の行動で破壊されていく。自然神となった彼は、私たちのことなんて、まるで気にしてもいないようだった。私は迷ったが――
「――ライドウ!」
結局、その存在の、人としての名を呼ぶことにした。
「――!」
そうして、自らの持つ一面を呼ばれたそいつは、反射的に反応した。それは、そいつが自然の持つ無慈悲さでなくて、見た目通り、生物の持つ側面を持っていることに気がついた。あれは一見ただの破壊神だが、その実、半神半人の存在で、人に自然を埋め込んだ結果、自然の荒々しさと、人の弱さを手に入れた存在だった。――、なるほど。
「一手、手合わせ願いたい!」
そして左腕に手にした薄緑を前にやると、ライドウは手に持っていた刀を差し出して、青眼に構えた。無意識で、私の挙動に反応しての態度だろうが、その動作は流麗で、迷いなく、洗練されていて。
――いい構えだ
見てるだけで惚れ惚れする。私は刀を腹の近くにまで収納すると、思い切り柄を握り込む。オーバーヒートした機械の体はもうまともに動かない。多分私が今から繰り出すのは、人生の中で最も、理想とかけ離れた、劣る一撃になるだろう。だって身体中が軋んでいる。衝撃を吸収するダンパーも、信号を発するアクチュエータも、燃料を循環する輸液ポンプも、電気信号が通る配線も、全ての状態は悪く、自分の思い通りにいっていない。だというのに。
――ああ……!
だからこそ、いい。今の自分は迷いと弱いところだらけだ。しかしそれでも、いく。だからこその、この高揚感なのだ。不自由な状態で、しかし全力で、自分より上の存在に挑めるのだという快感。
――きっと不可能だ。
いや、間違いなく不可能だ。でも、この先には、まだ見ぬ世界がある。抱えていた自分の中になかったものは、その先にある。だから。
――見たい
ワクワクが止まらない。しかし同時に、これから自分は間違いなく死んでしまうのだと考えると、胸が張り裂けそうなほどに軋んでいた。胸の中に生まれている方向性の違う両者の対立は、やがて悩みと呼ばれるものを生んでいた。それは迷いの感情で、戦いには不要なものだった。
――邪魔だな
「オォォォォォォ!」
そんな思いがよぎった折、共鳴するかの様に彼が叫んでくれたので。
「――! オォォォォォォ!」
最後なので、ふと思いついて真似て咆哮してみた。獣の方向をするなんて初めての経験だったが、胸が空く思いがした。胸の迷いは外へと発散していた。そして、先程よりも一層、胸が高鳴っていることに気がつく。なるほど、だから。
――多くの人は、戦いの際に意味がなくても叫ぶのか
全身が軋んでいる。ネジの緩んでいたパーツが吹き飛んでいく。ちょうどいい。もうこの体なんていらない。今この瞬間、最速を出せれば、それで私はきっと満足する。一歩を踏み出して、そのあと、ただ最速の一撃を願って、目の前の存在に届く様にと祈りながら、そのために、いらなくなった腕すらも途中で不必要と断定して切り離した。勢いさえ乗れば、あとは足もいらないと思い、パージした。そうして質量を減らしての一撃は。
「――」
おそらく現時点で放てる、最も早い一撃で、迷いながら、弱くなりながら、それでも、自分から自分のうちに生じた迷いを自分ごと切り捨てての意識的な一撃は、それは、間違いなく今までで、私の生涯で最遅の一撃で。
「――ははっ」
―――そんな無様な一撃は、しかし目に前の最新に届かなかった
同時に、私は彼の斬撃により左肩から右胴まで真一文字に両断されてしまっていた。一撃は、通過の途中、フォトニック純結晶までを打ち砕いていた。魂を砕かれたのだ。私は自らの死がすぐそこ迫っていることを感じていた。
――まるで敵わなかった……
相打ちではなく、完全なる敗北。言い訳なんか出来ない、余裕のない敗北。やがていつか、というものがもうないのだと思うと、思わず歯ぎしりしてしまっていた。頭がかっと熱くなる。視界ユニットの部分熱がたまっていくのは、おそらく涙を流したかったからなのだろう。
――ああ、これが
この心臓の不随意反応から広がる、全身の撫で回されるような、感覚。機械の体によるものだが、おそらくそれが。
――敗北感
それは私が今の今まで知らなかった感覚。必死の抵抗の果て、私はついに欲しいものを手に入れた。ダリのような戦い方をするエミヤとは異なり、私の戦い方の頂点にいる存在に挑んで、そして言い訳のきかない、不可能に挑んだ先、完膚無きまでに負けたからこそ、手に入れたものなのだ。後悔はなかった。知らない感情が湧き上がってくるこの感じは、こうして彼に挑まないとわからない感情だっただろう。
――悔しい
そして私は、先ほどの絶望感なんか吹き飛ばすほどの幸福を感じるがまま、機械の体が勝手に吐き出すエラー警告と状況改善の要請を無視し、静かに自らの運命を、自然の化身に委ねた。
*
――行かないで
そう引き止めたところで彼は間違いなく行く。彼はそういう人間なのだ。涙を流そうが、感情を使おうが、彼はやりたいことをやらずにはいられない人間なのだ。私はそれをよく知っていた。私はそれを嫌という程知っていた。私はそれを、そんな彼が実は自分とおんなじ人間なんじゃないかと思うくらい、知りつくしていた。だって。
――私はシンのことを愛している
シンに見てもらえると嬉しい。シンに意識してもらえるとそれだけで、世界が輝いて見える。シンがいないと寂しい。シンがどこかに行ってしまうと、世界は一気に燻んだ色に変わる。私にとってシンが全てで、私にとって、世界っていうものは、シンだった。でも。
――シンにとって、世界はシンだけのものだった
シンは脇目も振らず、自分のためだけに進む男だった。障害を邪魔といって、無造作に切り捨てる、それができる男だった。多分、本当に、本当の意味での、他者を一切必要としない、純粋な強者だった。きっとそんな純粋な彼だったからこそ、多くの人が憧れて、私もそんな中の一人だった。そしてだから。
――シンにとって、殆どの他人は石ころだった
何をしても自分の予想から外れることなんて、まずない。どうやろうが、世界はほとんど自分の思い通りにいって、出来上がるものは、自分の中から外れることなんて、滅多にない。シンは基本的に予想外とは無縁の人物だった。どんな敵でも、自分の思う通りに動く。だからこそ、シンは、自分の予想と異なる行動をとる存在に好意を抱く。私はそして。
――そんなシンだからこそ、彼を好きになり、恋をして
彼は、赤死病の両親のせいでひとりぼっちになっていた特別な私を、その他大勢のうちの一人と変わらないと、見て、その上で、私を必要としてくれたのだ。多分、あの時から私は、ずっとシンに惹かれ続けて、想いを募らせ続けていた。そしてあの、彼が一度死んだ夜。
――……、愛するようになった
そこに彼がいる。それだけで私は満足していた。そこにいて、彼が彼らしく振舞ってくれている。それだけで私は満足出来るようになっていた。そうして、いつもみたいにシンがずれた発言をして、不満げながらも戦って、不器用ながらも誰かと話して、それだけで私の心は満たされるようになっていた。シンの存在が私の世界だった。
見てくれるだけで満足だった。そこにいてくれるだけで満足だった。でもいなくなろうとしたから引き止めようとして、でもそれでも私なんかじゃ彼は止まらないことを私は知っていたて、そしてそんなシンだから好きになった私に彼は止められなくて、でもそんな私に彼は。強さが指標で、戦いが全てであるはずの彼は。
――私を求めてくれた
シンは足りていた人だから、恋を求めていて、私は足りない存在だったから、愛を求めていた。そして私が求め続けた結果、彼が弱り続けた結果、あの瞬間、ようやく私達は同じ存在になった恋と愛の中間地点で融け合ったのだ。あの瞬間、私は彼だった。彼の全てを実感した。だから止められなかった。あの人は私だから、こんな結末が待っているだろうことを、私はよく知っていた。それでも、その結末を彼が望んだから、私は彼を止める事が出来なかった。
切断されたシンの体が蹴り飛ばされる。シンの体は色を失った景色の中、驚くほどの鮮やかさを持った絵筆となって、世界に放物線を刻んで、ビルの白い壁面に絵画を作った。
「――、――――!」
「――――――、―――――、――――!」
誰かが何かを叫んでいる。でも私にとって、もうそんなことはどうでもよかった。世界の鮮やかな染色部分を追っていくと、シンが叩きつけられて崩壊したビルへとたどり着く。そして燻んだ邪魔な色をかき分けて瓦礫をどかすと、私はすぐにシンを見つけることができた。
彼はボロボロだった。昔みたいな万能感なんてなくて、強者然ともしてなくて、身体中のあちこちが埃まみれで、それでも、世界で一番輝いていた。そして。
「ああ……」
私の姿を認めた彼は、初めて縋り付くような目線を向けてきた。彼は尋ねてくれと言っていた。彼は問うてくれと言っていた。彼は無言のうちに、どうか自分がようやくたどり着いた場所にあったこの気持ちを、誰かに知っておいて欲しいと願っていた。
その気持ちの正体を私は知っていた。足りないものを求めて、ようやく手に入った末に感じるそんな気持ちのことを、私は知っていて、それでも言いたいという彼の気持ちもわかっていて、でも私は、だからこそ私は、最後に一言、私の気持ちよりも自分の気持ちを優先した彼に意地悪したくて、言ってやる。
「満足しましたか?」
シンは一瞬真顔になったけれど、すぐにしてやられたと言わんばかりにくしゃりと顔を歪ませて、なんとも悔しそうに、しかし、心底嬉しそうに、出会ったばかりの頃の様に無邪気な子供の笑顔で――
「――ああ。私は私の世界に無かったものを手に入れた。だから――、ああ満足だ」
そして彼は――
*
言峰綺礼の行った『異界送りの儀』によって異界の中へと入り込んだ私は、思わず言峰綺礼に尋ねた。遠く、この場所よりも少し離れた銀座という場所では、まるで水柱が崩れるかのように、コンクリートの建物が次々と瓦解していく。その中で。
「おい、あれはなんだ」
そんなコンクリートの建造物を、刀の一振りで、まるで紙箱のおもちゃを潰すかのように、ぐちゃりと倒壊させて、引きちぎっていく狼男の存在に、私は戦慄を覚えた。それは、神というには整った外見で、人と言うには挙動が野獣じみていて、私の理解の範疇を超えていたからだ。
「……あれは自然神フェンリルに成り損なった存在だ。見るに、葛葉ライドウという個体が人としてあまりに強大すぎたのだろう事が、狼の皮を被っている程度に過ぎないことからわかる」
――ライドウ
「弱者の祈りたる蠱毒の呪いを、その全てを飲み込んで、そのまま世界の全てを喰らい尽くす狼になるはずだったあれは、それでも材料として基準に選ばれた人間が、変貌に用いる素材に対してあまりに強大すぎたため、半神半人の――、いや半獣半人の、帝都に暴力を振るう程度の状態で悪魔化している」
――つまりなんだ
「これはライドウが強すぎた故の失敗で、まだましな結果なのだと?」
「そうとも。狼とは人の作り上げた共同体の破壊の象徴だ。すなわち、世界最大の大きさの狼とは、人の作り上げた世界の全てを壊す狼ということになる。そうして人の作り上げた全てを壊して、咀嚼して、素材を一度食わせて全てを統合して、その後に吐き出させないと、新たなる神話は生まれない。――、一度人の中に取り込まれた獣で、やがて人を取り込んだ、両極端の性質をもつ存在をもとにしなければ、人の純粋な願いによって生み出された人にとってのみ都合のいい神/デウスエクスマキナである自分に、人と自然の調和する完璧な世界は造れないとYHVHは考えたのだろう」
「だからフェンリル――、人の、自然の、世界の全てを喰らい尽くす貪欲な狼が必要だったというわけか」
*
「その通りだ。そして、もうその時を告げる笛の音はなるだろう。世界の生み直しの儀式が始まる。だからもうこんな死の間際になってから、私を理解したところで遅いというのだ……。さぁ、どうするエミヤシロウ。貴様はどうやってこの盤面をひっくり返そうというのだ?」
「――どうにかするさ」
――そうだ。そんなことは知らない。小難しい理屈を捏ねるのはやめだ。私がどうにかすると決めたから、空想はやがて理想となり、理想は具現化する。私の小さな固有結界は、固の境界を超え、空想を共有する鎖となり、やがて鎖は、誰かと何かを繋げる綱となり、個人の保有する小さな結界は、世界をも侵食する大きな獣となり、どこかの誰かにもわからぬ何かとなって、やがてそれは
――すなわち、空想具現化/マーブルファンタズムにいたる
「感情でなく、方法を問うている。どうやってそれをしようと言うのかね?」
「そうだな……私の魔術、固有結界、無限の剣製という存在そのものが、その鍵と言えるかもしれない。――――――、おそらく、誰よりも私の不幸を考えてきたお前なら、私の言わんとしていることがわかるだろう?」
「――ふん、あやふやだな。そんな不確かなもので万人を救えるものかね」
奴は嘲笑った。だが、返ってきた言葉は否定でなく、質問だった。だから私もきちんと答えてやる。
「救えないだろうさ。私はきっといつまで経っても、私以外誰も救えない。自分を救えるのは自分の気付きと行動の結果だけで、人は、自分を救うために、あやふやな状態の中から自分で答えを導き出すしかないなんだ。――、だから私に出来るのは、きっと彼らが求めているのはこういう存在なのだろうなと勝手に思い込みながら、そうして彼らの前で様々な物語を提示していればいつか勝手に彼らが自分を救ってくれるに違いないと信じて、彼らの側で彼らの望む役をあやふやに、間違いながら、いっぱいの矛盾を抱えながら、それでも必至に演じる事だけなんだ。誰に救われて欲しいなら、私がそこに少しでも関与したいというなら、きっと、助けを求める誰かにとって救い手となる人形として、オーディンを、トールを、ロキを、フェンリルを、スルトを精一杯演じるしか無い。そうして誰かの周り、私の作り上げた迷宮の中でどうか自分を救ってやってくれと願いながら、どこかの誰かに伝わる様、様々な幸福と不幸の形を提示し、語り、行動して、私自身を救い、あるいは傷つく事で、そんな人形劇を見せられる誰かの気分が晴れるよう、寄り添いながら、世界樹の様にしっかりと、優雅に、無様に、やがてその誰かが人形を見て、自分と言う人を誇れる様になるまで、感情を動かす人形として踊り続ける――、それこそが――」
―――そうだ
重要なのは、オリジナルとかコピーとかそういう事じゃない。そうして今救われていない誰かが自分の力で歩ける様なるまで、一緒に諦めず足掻き続けることなんだ。見た目綺麗な誰かの出した独創的な答えこそが、万人にとっての絶対の幸福であると結論づけて、押し付けて満足して終わらせる事じゃ、決して、ない。いつか報われていない誰かが、自分を救うことの出来る元気を取り戻すその時まで、必死に側で足掻き、疲れて落ち込んでいる彼らが自分に向ける感情が、愉悦でも、侮蔑でも、どんな風でもいいから、感情を動かせる様になるその時まで、彼らの側で確かな道化を演じ、その時の自分に出来る最高の力でやり続ける事こそが、救われていない誰をも救う正義の味方を目指す私に必要な事だったんだ。
でも、それは、一人じゃ無理だ。
――何故なら
「だがお前のそれは理想論だ。全てを救う力と、全てに寄り添う愛と、全てを見る目が必要になる。全てを――、全てを、だ。いかに力があろうと、所詮は一人でしかない貴様に世界が救えるものか。あまりにもなにもかもが不足している。そこに貴様はどうやって到達しようと言うのかね?」
――そうだ
それは涙が出るくらい悲しい現実で。
「そうとも。そんな願い、私の力を超えている。人類全体を救ってみせるにしても、私一人では絶対に無理だ。でも始まりに終わらせてやるという意志は必要で、ここで終わるものかと走り続ける覚悟が必要だ。どんなに辛くても、それを求めるなら、私から始めないといけない。そして、それを示すためには、私から始めるまえに少なくともあと二人、役者が要る」
だからこそ、そんな涙を止めるが為に、私は行くのだ。
「――、ほう、それはどういう理屈で?」
「裏も表も逆を示せば、それが敵となる。物語を作るだけならそれで良いけど、物語から新たになにかを生み出してもらうには、物語としての機能以外に、余分なものがないといけない。コインの表裏の極端な状態を示すだけでは対立している事がわかって、混乱するだけなんだ。それでは男と女が救われるだけで、陰陽の先にいる、陰陽そのものである子供が救われない。一人では、自分と他人の区別が出来ない。二人では、自分と他人の境界線がわからなくなる。三人になって、ようやく、自分とそれ以外の区別がきちんとできるようになる。三人はいないと、境界という余分は生まれない。余分が無いと、そこに含まれる人間は他人に気付く余裕が生まれない。余裕がないと、自分の善悪に気付けない。そして私は、貴様と同じ様に、そんな悩みを持たない、持たないで済むような、余裕で幸福な人間なんかに興味はない」
余裕で幸福な人間に興味はない。そんな言葉に、ようやく奴は私の提案に対して、興味を示してくれた。それがただ、泣きたくなるくらい嬉しかった。
「――まず、普通とはどういう定義かね?」
「極端じゃないという事だ。混乱していないという事だ。善にも悪にも偏りすぎていない普通の人という事だ。明日の食料と寝る場所に悩んでいる人で、理想に追いつけないと悩んでいる人であるという事だ。強者と弱者の、理性と感情の、幻想と現実の狭間で悩んでいる人の事だ。そんなどこにでもいる普通の誰かが救われて、やがて自分をも救える様になってもらうためには、秩序と混沌、善と悪の極端な対立を示すだけではダメなんだ。舞台の上に必要なのは、最低二人ではなく三人で、対立項を観測し、境界となってくれる、まるで普通の観測者が舞台の上にいるようだと錯覚させる、普通の第三者が必要不可欠――、私が誰かを救うために足りなかったのは、私と対立する真逆の存在と、その狭間を示す、私と敵の中間を示す境界の存在が、貴様風に言うなら、父と子と聖霊が世界に必要だったのだ」
「ふむ……。貴様の英霊としての立ち位置は人類の守護者であり、中立中庸の、すなわち普通の代弁のような属性であるはずだが――」
「違う。人類秩序の側から見れば、私は確かに中立中庸――普通の存在だろう。だが、どこにでもいる普通の人から見れば私は口煩いお堅い人間で、貴様の様な人類悪の視点からすれば感情を殺して秩序に組するとんでもなく気持ち悪い悪党に見えるはずだ。だが同時に、だからこそ、正反対の極だからこそ、互いの感情がよくわかる。属する場所によって意識無意識含めた人間の俯瞰の側からすれば、私はコインの表であり裏、貴様はコインの裏であり表で、どちらも極なんだ。私達に似た、極端な思考の人間なら、私たちが極端に善か悪に寄った活躍をすれば救われるだろう。だが、極端じゃない普通の人に必要なのは、世界というコインをどうやって使えば自分が普通に救えるのかをわからせてくれる存在で、コインの価値と使いかたを提示し、実演してくれる役者達なんだ。私達は、ホモサケルという透明な人間であると同時に、ホモルーデンスという、遊びを知る俯瞰者にならないといけないのだ」
「――つまり?」
「私と貴様だけではダメだという事だ。建物の炎の中から生まれた私は人間の生み出す社会のシステムを愛していて、胎盤の中から生まれたはずの貴様は社会が生み出す人間の憎悪だけを愛していた。それぞれ互いに異常と普通の属性を持って要るのに、ずれた方向に迷走し過ぎて、捻れている。――、しかも不器用に、真剣の度が過ぎる。我らはこの世界でなら望めば英雄や王になれるが、普通の人という存在の属性は被れない。私達は互いに、普通の世界というものに対して、過剰にズレ過ぎている。過剰について来られる人は少ない。それでも普通の彼らを救いたいと願うなら、柔軟性を持って我らを受け入れる、我らを反面教師にして逞しく普通を示してくれる、遊びを受け入れられる存在が必要だ。しかもそれは、なるべくなら私たちと反対の属性を持つ物が相応しい」
「男である我らの反対と言うと――、凛あるいは、響とかいう女の様な?」
「違う。彼女達ではダメだ。今の凛では現実的な母/イナンナとしての面が強すぎるし、響では夢見がちな少女としての側面が強すぎる。我らの様な極端な存在の狭間で境界を示す存在になるなら、もっと純粋に、幻想と現実の狭間で、強靭に、それでいて儚く踊って見せる、女神の様な、子供の様な女性でなくては我らの不器用さに耐えられまい」
「最高の女神を手に入れようというのか? いったい、どうやって?」
「YHVHが新たな神話を始めると言うなら、それを利用する。つまりは世界の全てであるヨルムンガンドを、フェンリルが全てを呑み込み、そこから新たな世界を生み出そうとするというなら、もうそれに辿り着く結末しかないと言うなら、だからこそ、それを利用する。既存のシステムを利用し、新たな秩序と混沌と中道を乗っ取る形で、世界に産み落とされた子供が父と母を巻き込みながら、一緒に幸せになっていけるシステムを構築する」
「それは過去の自分を否定するという事か?」
――違う
「過去の自分を呑み込んで、喰らい尽くし、未来に生きる人たちへ、どうか幸せになってほしいと祈り、行動し、分け与えるという事だ。そこにもう、私の席はいらない。貴様もそうだろう? 私たちはもう、互いのことしか興味がなくなってしまうくらい生き抜いたんだ。私らはもう、十分、普通の幸せを味わった。あとは跡を濁さぬよう綺麗になるように掃除してから、誰かがそこで幸せになってくれると信じて託せばいい。――――――さぁ、もう良いだろう。納得したな、言峰綺礼。――、行くぞ。その為に、まずは荒ぶる自然の中から、この時代に必要な正義の味方を取り戻す」
ここまでお付き合い下さりありがとうございます。わがままですが、もうしばしの間お付き合いくだされば幸いです。次は主にエトリアメインになると思います。いざ行けボウケンジャーです。彼らのいるところはちょっとギャグチックになるのでそこだけご勘弁下さい。
追記
ちょっと修正しました