Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

38 / 73
第三話 破滅への特急列車

第三話 破滅への特急列車

 

一番大切なことは目に見えない

 

サン=テグジュペリ

星の王子様より

 

 

帝都、銀座

 

 

帝都の空。そこに住まう人の気性を表すかのように晴曇雨と様々な顔を見せるそこは、今、生々しいまでの赤色で染め上げられていた。赤。それは情熱を示す燃え上がった色。あるいは銀座が、帝都が、異界と化した今、その地において悪魔と狼男と英雄と人間の戦争において流れる流血と同じ色。

 

そんな赤い光が支配する曇天の下、帝都の空と同じく赤色の外套を纏ったエミヤは、弓を射る。彼の手からには次から次へと矢が投影され、さらに投影された矢は凄まじい技量と強化された弦により、弦が甲高い悲鳴をあげる暇がないほど、次から次へとライカンスロープ――狼男となったライドウへと放たれる。

 

しかし。

 

 

「くそっ」

 

ライドウの行動を邪魔するために自らが放った数本の亜音速の矢が、ライドウにあっさりと切り捨てられ、あるいは、一部を貫通し、矢が刺さったのにもかかわらず完全に無視されたのを見た瞬間、自然と舌打ちと共に悪態が漏れていた。

 

ライカンスロープ、すなわち狼男となったライドウは、元々の凄まじい身体能力に加えて、狼男の伝承にあるような強大な再生能力を兼ね備えているようで、多少の傷を負ったところですぐに回復する。ライドウは本能的にだろう、その利点を活かして、頭部、心臓、急所を貫きそうな、本当に危険な矢以外を完全に無視してしまうのだ。

 

――こんなもの、どうやって生け捕りにしろというのだ!

 

以前よりもはるかに速い速度で湧き上がりそうになる苛つきが脳裏に定着して冷静さを邪魔する要素となる前に、そんな怒りの感情へと使用されかけたエネルギーを思考と行動に回し、強化した弦が勘弁してくれと悲鳴をあげる前に次弾を装填。そして再び――

 

「その隙もらった!」

 

ランサーの神速の域に達した刺突がライドウの心臓を、一切の加減も遠慮もなしに狙うのへ合わせて、音速を超える速度の一矢を放つ。ランサーの刺突は、先ほどまでの、ライドウを無傷で捕縛する旨を一切理解していないかのような一撃であり、私の放った一矢はそんなランサーの闘志と殺意に呼応するかのような、遠慮なしに頭部を狙った一撃だった。

 

だが。

 

「――」

 

ライドウはまず、ランサーの神速の領域に達した不可視の踏み込みに対して、時を止めたかのような光速の踏み込みでランサーの刺突へと身を乗り出して、ついでといわんばかりにあっさりと私の矢を躱し、ランサーの槍の内側の間合いへと自然な体捌きで入り込み、フェンシングの一撃にも似た、しかし優雅さとは程遠い、荒々しい唐竹割りをランサーの脳天へと叩き込もうとした。

 

「チッ、やりやがる」

 

ランサーは間違いなく世界の英雄の中でも三指にはいる腕前の槍兵だ。その神風が如き速度と合わさり、彼の槍兵としての腕前は世界で最強を名乗っても、誰も文句をつけようがない。ランサーは槍の特性を嫌という程知り尽くしている。槍が本来、間合いを取って戦う武器であることも、槍の最大の武器は、その長さを生かした払いにあることも、槍は刺突を躱された直後が最も隙となる事をも知っている。

 

槍兵にとって、間合いを詰められることは死活問題だ。長柄の武器の場合、それを思う存分振り回せない範囲に短い獲物を持つ敵に入り込まれた瞬間、槍は槍ではなく、棒きれとなり、殺傷能力が一気に減衰する。もちろん、巧みに槍術を駆使する世界最高峰の槍兵であるランサーにとって、そんなことは承知の上で、その対策は講じている。

 

ランサーは、自らの間合いに入り込もうとする相手に対して刺突、払い、薙、体捌きを駆使して、迎撃する。敵を間合いに入らせてやるつもりなど毛頭もない。ランサーが最速の槍兵で、最高の技量を持つ槍兵である以上、彼のその間合いに易々と入り込めるものはいない。

 

「ぬぉ!」

 

しかしそんな死の匂いが色濃く蔓延する間合いにライドウは迷わず踏み込み、ランサーという最速の槍兵に一撃を繰り出したのだ。ランサーは自らの領域に入り込んできた侵入者に対し、瞬時に払いを持って報復の一撃を叩き込もうとするが、一瞬気を取られたランサーの予備動作が大きい一撃よりも、狼男となったライドウが回避と同時に繰り出した一撃の方が、一撃の発生速度が速く、単純な唐竹割りがランサーの頭へ近づき――

 

「させませんよ! 密天!」

「――」

 

ライドウの攻撃はキャスターが放った呪術攻撃によって阻害された。玉藻の意識によって指定された空間で空気が炸裂する。だがもちろん、そんな遅い呪術攻撃は今のライドウに当たらない。彼は自らの攻撃がランサーを仕留めるに至らないと悟ったのだろう瞬間、すでにランサーの間合いから離脱していた。私は彼の動きと跳躍に合わせて、全力で矢を射るも、その全てがライドウの振るう祓魔の剣「赤口葛葉」によって切り払われてしまう。

 

やがて少しばかり距離をとったライドウは、自らの体を覆う狼の肉体の手で、剣を拭った。汚れでも拭ったのか、あるいは動物油でも塗っているのだろうか、

 

「キィー! なんですか、あのチートまがいの身体能力! こちとら恥も外聞も捨てての英霊三人がかり、近中遠とバランスよく揃えた上に、バフデバフ役としてのお助けキャラまで備えての実質四人パーティーですよ! なのにあの狼ヤローは、なんで前転と身のこなしだけでその全てを回避しやがるんですか! 一人だけRPGじゃないゲームしてるんですけど! 世が世なら返品とクレーム対応必死のバグキャラですよあんなの!」

 

敵の見せる余裕の態度が気に食わなかったようで、ライドウの行為に玉藻が地団駄を踏んで、きいきいと騒ぐ。その度に桃色の髪がふわりと舞、振袖がバサバサと淀んだ空気を祓った。喧しいな、とは思ったが、彼女がそうしてわざわざ自ら道化を演じてくれているのは、私たちがそんな感情を撒き散らす彼女を見て冷静になってくれるところにあるのだろうと理屈の上で理解した私は、彼女の望み通り、その茶番に全力で乗っかってゆく事とした。

 

「ああ、全くだ。とあるゲームになど全パラメーターをマックスにして完全装備であるのが戦う為の前提条件だったボスなどがいたが、まさにこれもそれの類と言っていいだろう。最高の装備と最高も味方を揃えると、相手も最高の力を出す……、まぁ、ゲームバランスとしては優れている類の部類じゃないかな」

「そんなそれで難易度調整のシステムくらい搭載して欲しいものです!まったく、これだからゲームバランスも知らないアマチュア素人の作るゲームは嫌いなんです!」

 

すると玉藻は、私が彼女の意図を読んだことに気付いたのだろう、一瞬だけ、ニヤリと笑って見せると、すぐに顔に怒りの表情を浮かべ、両手をブンブンと上下に振りながら、怒りの態度を露わにした。

 

「ライドウはゲーム製作に関してはアマチュアもいいところだろうが、このジャンル……バトルロワイヤルにおいては、垣根を超えて、超一流だぞ。――見ろ」

 

自らが自信を以って繰り出した渾身の一撃が防がれるどころか、完全に見切られ、あまつさえは反撃にて命を刈り取られそうになったのが、よほどランサーの誇りを傷つけたのだろう。ランサーは腰を深く落とし、身が地面に接地しそうなほど低く構えると、大きく脚を開いて、後ろ足を短距離走選手のよう、ふくらはぎが盛り上がるほどに力を入れてライドウの方を見据えた。ランサーの手の中の赤い魔槍『ゲイボルグ』が、ランサーの魔力を吸って、赤く妖しく輝く。

 

「あれは……、あ、あのバカランサー、必殺の宝具を解放しようと……!」

「もはや生け捕りなどという言葉は彼の頭から消え失せているようだな」

「なにを悠長なこと言っているんですか! あの宝具は――」

 

それはランサーの宝具発動の前兆だった。放てば必ず敵に命中する槍、ゲイボルグ。その特性を利用してランサーが編み出した、運命因果を逆転させ、放った時点で既に心臓への命中の運命を確定させる、因果逆転の対個人用の必殺技――

 

「これならどうだ! 喰らえ!『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ!』」

 

ランサーの遠慮ない宝具解放の一撃が放たれる。対軍兵装、放てばを三十の必中魔弾へと分裂する槍の能力を、たった一人を殺すためだけに狙いを絞ることで、その因果逆転確定必中の能力を高め、槍の穂先が確実に心臓を射抜くよう改良した、ケルトの大英雄たるクーフーリンが自ら編み出した必殺技。

 

『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ!』

 

宝具の真名が解放された時点でランサーの繰り出した赤き魔槍の穂先は、相手の心臓を貫く運命が付与されている。どのような防御も、どのような回避も無意味だ。最高の盾で防ごうが、最小の見切りで躱そうが、穂先はそれらの全ての無駄な足掻きと嘲笑うかのようにすり抜けて、心臓を貫く――

 

「なんだと!?」

 

はずだった。だがライドウはそのような他人が定める運命などに己が従う謂れなどないとでも言わんばかりに、ランサーの渾身の一撃を、ひらりと身を前に倒し、一回前転をして運命改変攻撃を回避してみせると、最大の奥義を繰り出したばかりで隙だらけのランサーへと斬りかかる。見切り、回避、攻撃までの一連の動作が淀みなく全て繋がっているライドウの一撃は、まさに光速。漫画の一コマで表されたのかと見間違うほどに速いライドウの一撃をランサーはそして――

 

「――」

「チィィィィィィ!」

 

獣が如き俊敏さと体のバネを全力稼働させて、回避する。ランサーの鎧から放たれる青の光が筆となり、宙に美麗な移動痕を残してゆく。追い詰められた獣が命の危機に際して咄嗟に跳躍するが如きその回避は、ケルト神話における大英雄、クーフーリンであるからこそ可能だった回避。ライドウがこの世界最強の正義の味方であるように、ランサーもまた、とある時代において名声をその一身に席巻した、紛れも無い大英雄なのだ。

 

「こいつはヤベェな! 身体能力もさることながら、運命を改変して絶対に心臓に必中させるはずの、真名解放した『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ』でかすり傷しか与えられねぇってなぁ、マジでどういう理屈だ!とんでもねぇ幸運値か、死なない運命でも持ってやがるのか、コイツは!」

 

ランサーは興奮気味に、がなりたてる。と同時に、ライドウの手のひらから血が一滴垂れ落ちた。どうやら真名解放し必殺必中の能力を得たゲイボルグは、一応、必中の効力は発揮してライドウを傷つけることに成功していたらしかった。

 

だが。

 

「――」

「――はぁ!?」

 

ライドウの手のひらについたその傷は、瞬時のうちに塞がり、傷跡一つすらなくなる。ランサーはその事実にひどく驚愕した。一方、ライドウは、今しがたのランサーの超回避と、回避を行なった自分がそれでも傷を負わされたと言う事実によって、ランサーに対する警戒のレベルをあげたのか、自ら攻め立てて来ようとしない。彼はじっと柳のようにマントを靡かせながら、その場に佇んでいる。

 

『クーフーリン! 心臓を貫くとはどう言うことだ! 傷なしに捕縛するという約定であっただろう!?』

 

やがて対峙する二人の間に、ゴウトが割り込んだ。ゴウトは、ランサーの述べた台詞に大層ご立腹の様子だった。

 

「ああ、わりぃな、忘れてた。いや俺も、俺を召喚する素材になった先代の悪魔『クーフーリン』から、奴の心酔している記憶や、スカアハ/お師匠様を使役しているらしい記憶が俺にも継承されているから、出来る限りそうしてやろうとは思ったんだがよ――」

 

だがランサーはゴウトの怒りの抗議を対して悪びれもせずに受け流す。そして彼は飄々としていた態度と顔の表情を一転させ、視線で射殺さんばかりの凄まじい眼光と迫力をゴウトに叩きつけ、口を開いた。

 

「――ちと事情が変わった。そんな余裕、まったく、ねぇ。やらなきゃ、やられる。おい、ゴウト。 ライドウってぇの腕前が相当ヤバイのはわかっていたが、『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ』がまともにあたらねぇってぇのは、どう言う理屈だ。俺の『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ』は放てば必中必殺、穂先は必ず心臓を貫く運命を得る。相手の幸運値が運命改変に至るほど高くとも、少なくとも体のどこかしらの部位に突き刺さる筈なんだが……」

 

ランサーはゴウトに対して一切の遊びがない視線で、知っていることがあれば吐けと尋ねる。常人ならそれだけで震え上がってしまいそうな威圧を飛ばすその視線を、ゴウトは真正面から凛然と見返すと、言った。

 

『ライドウは以前、貧乏神や疫病神に取り憑かれ、運の要素に苦しめられて以来、あらゆる運要素が絡む攻撃をキャンセルする術を身につけておる。おそらく狼男となった今も、その術を無意識のうちに発動しているのだろう。故に、ライドウに、運命改変系の攻撃は通じないと思え』

「そうかい」

 

ゴウトの言葉に対してランサーは、地面を軽く蹴りあげた。自身の身に着けた奥義が封じられたのだ。大いに苛ついたのかと私は思ったが――

 

「つまりライドウは、正々堂々、真正面から己の力と技と速さで捩じ伏せるしかねぇってことか。――ああ、もう、いいねぇ、ワクワクする。益々燃えてきたぜ。こんな誉れを得る機会、滅多にねぇ。小細工に頼ろうとした自分が恥ずかしいなぁ、おい」

 

ところがどっこい、ランサーは自らの奥義を封じられながら一切の悲愴や陰りの感情を抱くことは無く、それどころか、自らの切り札を無力化した相手の手腕を称賛し、それどころか自虐までしてみせた。

 

なるほど、ランサーの価値観からしてみれば、槍の能力を完全に封じられ、仕方なく、自らの能力のみで敵を打ち倒さなければならないという状況は、なるほど、滅多にない、槍の能力に頼らない、彼自身の能力を酷使し、極限に挑戦するという絶好の機会なのだろう。戦闘において、結果もさることながら、過程にも重き価値を見出すなんとも彼らしい考え方だ。

 

「ついでに聞いとくが、ゲイボルグの治癒阻害の呪いが効かないで、ライドウの怪我が再生したのは――」

 

ランサーは槍を前に突き出たいつもの前傾姿勢の構えを取りながらゴウトへと尋ねる。ランサーのさっきに応じるかのように、ライドウは刀を構えた。ゴウトは、ランサーが聞く耳を持たないこと。そしてこれから再び、苛烈な戦闘が再開されるのだという事を確信したらしく、ひどく重苦しいため息を吐くと、それでも真面目な彼らしく、その場から離脱しつつも、彼の質問に返答する。

 

『呪いはおそらく、蠱毒の術のせいだろう。再生はおそらく、狼男の特性だ。大海に水滴を放り込んでも影響ないよう、今の呪いの塊となったライドウに呪いの攻撃を当てても、呪いはもっと大きな呪いに飲み込まれてキャンセルされてしまうのだ』

「つまり」

 

二人の会話へ言峰が割って入った。奴の顔には三日月がごとき笑みが浮かんでいる。私は奴がロクでもないことを言おうとしていることを悟った。

 

「お前の切り札はどうあがいてもあたらんし、武器の能力も大して役に立たんと言うことか……。相変わらずお前はアテにならんな」

「チッ!」

 

やれやれ、と首を振ると、ランサーは大きく舌打ちをしながら、その嫌味に応答する。

 

「うるせぇぞ、言峰! テメェは黙って手術の準備でもしとけ! ――、うぉっ!」

 

ランサーの叫びを再開の合図として捉えたのか、あるいはランサーが言峰へと意識を向けたことを絶好の攻撃機会と捉えたのか、ライドウが音もなくその場から疾駆を開始し、ランサーの槍の間合いの中へと迫っていた。

 

「クソッ! 情けねぇ!」

 

袈裟斬り、一文字、逆袈裟の振り上げ。ライドウが剣を片手で振るうたびに、剣の生み出す風圧が、地面を裂き、その遠く後ろにある壁面を切り裂く。一撃でも喰らえば即死の苛烈な攻撃は、ランサーが満足に槍を振るうことのできない絶妙な間合いから繰り出されるものだった。ランサーはそれでも槍を器用に用いてライドウの攻撃を避けるが、徐々に追い込まれていく。

 

「ランサー!」

 

慌てて私は弓にてランサーへの援護射撃を行った。弓撃は、眉間、喉元心臓、急所を狙っての四連射。ゴウトには悪いが、ランサーの言う通り、加減をしている余裕はなどはなかった。殺意と必殺の意思を込めた全力の攻撃でなければ、ライドウには通用しない。四肢に対して行動阻害をする目的で放ったところで、それはライドウの気をひく役にすら立ってくれないのだから、気をひくだけが目的だとしても、このような、万が一にでも当たれば死ぬような一撃を放ち続けるしかない。

 

「――!」

 

流石のライドウも、急所を狙い全力で射出した私の矢を受けながら、先ほどよりも殺意と闘志を増したランサーの間合いで立ち回るのは厳しいと感じたらしく、彼は獣が如く、背を向けないまま、一足飛びで大きく跳躍して、大きくランサーと距離をとった。

 

「お邪魔だったかな?」

「ホントにな! ――だが助かった。一応、礼はいっとっくぜ! ――さぁ、再開といこうか、ライドウ!」

 

ランサーは私の援護をけなし、しかし、自分が援護に助けられたと言う事実に対してきちんと礼を私に対して乱雑に放り投げると、再度ライドウめがけて突撃し、一撃を放った。奔る穂先をライドウは見切りにて容易く回避して見せる。

 

「ハッ!」

 

だがそんなことは読めていたと言わんばかりに、ランサーは槍持つ腕を引き、片足を軸として、引いた力を利用してその場でぐるりと回転してみせると、瞬間の間に溜めこんだ力と遠心力を利用して、地を思い切り踏み込み、続けてもう一撃を繰り出した。ランサーの放った自らの脚力を乗せた一撃のものよりもさらに早く、しかしそんな一撃を、ライドウはやはり最小限の動きで回避する。ランサーはいっそう張り切り、さらに速い一撃をライドウへと叩き込む。息もつかぬ程の連撃を、しかしライドウは簡単に捌いて見せる。

 

「やるねぇ!」

「――」

 

ランサーはその事実を喜び、ライドウに対して、さらに回転数を上げてゆく。いかなる手腕があればそんな大道芸じみた魔技を可能とすると言うのか、ランサーは独楽のように回転しながら、次々と神速の刺突を繰り出してゆく。ライドウは、ランサーが放つ神速の突きを最低限の身のこなしで躱しながら、ランサーとの間合いを詰めようとするも、ランサーはそれをさせないように、さらに回転の速度と、刺突のペースを早め、一秒、一瞬でも早く、ライドウの体に槍を叩き込もうとする。

 

ここに来て、ようやくライドウとランサーは拮抗した。ランサーが己の能力を完全以上に発揮して、全ての余計な技を捨てて、ただ己に出来る最速の刺突を叩き込むという目的だけに注力する事で、ようやくランサーはライドウの立つ位置に並んだのだ。

 

「――!」

「――」

 

ランサーは、「あとは追い抜くだけだ!」とでも言わんばかりに、笑みを深めた。おそらく私の予測した言葉は間違っていなかったのだろうことが、ランサーがその刺突を繰り出す速度を早めながら、顔に浮かべている喜びの色を濃くしたことから推測ができる。

 

「あの青タイツ、目的を忘れてますねぇ……」

 

そんなランサーの喜色満面の笑みと態度を見て、玉藻は、愚者を見る視線を彼へと向けながら、私の横に並び立つと、私へと話しかけて来た。

 

「生け捕りって言っているのに、全力で殺しにかかっているあたり、猛犬を迷わず打ち殺したというのも納得できる短絡さですよねぇ」

「だが、彼がああして率先してライドウと対峙し、発奮して立ち向かってくれているお陰で、こうして作戦を練る時間が取れたのは事実だ」

「まぁ、助かっているのは事実なんですけど……。で、どうします、実際。なんか名案でも思いつきました?」

 

玉藻の言葉に、私はしばし逡巡する。あいにくと、アテに出来る案が早々には浮かんでこなかったため、とりあえず思いついた案を片っ端から口にすることとした。

 

「君がライドウとゴウトを閉じ込めたと言う結界は?」

「だめですねぇ、発動にまで持っていけやしません。術の効果範囲内に収めるため近づこうとすると、すぐに離脱するんですよ、アレ。獣の直感というか、脅威の反射神経というか、こう、メタ的に言うなら、直感EXとまではいかなくとも、限りなくEX側のAとでも申しましょうか、軽い未来予知くらいは持ってそうな勢いです。速度もランサーの速度よりも上でEXクラスですし、少なくとも呪術師として顕現した私の身体能力じゃ、術の射程範囲内に入ることすらできやしません」

「――なるほどな」

 

たしかに狼男となっているライドウは、完全な未来予知を持っていると言われても納得できるような回避能力を持っている。音速をこえる私の矢や、そんな私の矢と同等か、あるいはそれ以上の速さの一撃を繰り出すそんなライドウをまともに捉えるのは、キャスターである彼女にとっては辛かろう。私は奮闘するランサーへと視線を送ると、彼の意見を聞かずに勝手に命を賭けさせる非礼に対して少しばかり詫びの気持ちを送りながら、申し出る。

 

「――ランサーや私ごとでも結界に封じ込めていい、といっても無理か?」

「あらま、なんともドMな発言」

 

玉藻はそんな申し出を、口に手を当て、尻尾と頭に生えた耳をピンとさせて仰々しく驚いて見せると、しかし、すぐにふっと小さく笑いをこぼして、長く息を吐いた。

 

「――まぁ、実際に貴方達が命を差し出してくれたとして、それでもあれを捉えられる確率は限りなくゼロに近いですかねー。漸近線は軸線側に限りなく接近中! でも結局、軸線には到達しません! みたいな感じで。――あれは聡い獣である上、自身の能力を把握してますからねぇ。不穏な空気があらゆる手段を講じて全力で離脱するでしょう。その辺は、貴方の方が理解できるんじゃないですか? 1%でも隙間があれば、捻じ込んで勝利を引き寄せられる能力持っているんでしょう、貴方」

 

多分、彼女は、私の経験に基づく心眼もどきを指しているのだろうなと察した私は答える。

 

「勝利を導く方法を、経験を収めた戸棚の中から引き出せるというだけさ。そんな便利な能力を持っていたら、ここまで苦労してなどいない」

「ま、そりゃそうですね」

 

いかにも残念そうに肩をすくめて見せると、やはり彼女は大して期待していなかったという体で、私と晒した肩を、私と同じようにすくめてみせた。

 

万事休す、か。

 

「あの……」

 

そして私が玉藻とともに状況の停滞に頭を悩ませていると、遠慮がちな声が、私と玉藻の間に割り込んできた。

 

「――響?」

「おや、マスター、何かご用で?」

 

振り向くと、そこには響がいた。すぐそばにはゴウトと凛もいる。二人の前に立っている響は、片手に玉藻の管を、もう片手に剣『薄緑』を持ちながら、多少おずおずとした態度ながらも、しかし真っ直ぐな視線をこちらへと向けてくる。

 

「玉藻が気付かずに近づければ、なんとかなるんですね?」

 

彼女の問いかけが何を意味しているのか理解できなかった私と玉藻は、思わず互いの顔を見合わせると、やはり互いに眉をひそめた状態で、彼女へと問い返した。

 

「まぁ、呪術ですから、近づけばそれだけ効力は増しますし、あるいは、接触なんて出来るもんなら、確実にその動きを止める手段もありますが――」

 

玉藻の言葉を聞いた響は、一瞬だけ目を伏して、一度開き賭けた唇をぎゅっと結び合わせると、手にした刀剣、薄緑を握りしめ、真っ直ぐ玉藻と私の方を向いて、断言した。

 

「――私に考えがあります」

 

 

「ランサー!」

「あぁ!? ――は!」

 

凛が叫んだ。ランサーが微かにだけ眉をひそめながら応じる。直後、目にもほとんど映らない苛烈な攻撃を繰り出すランサーの唇の端が、微かに上向きへ歪んだ。凛がサーヴァントとの間に使える念話――言葉を用いることなく、魔力を媒介として、直接思考を繋げるとかいうスキルを用いたのだろう。

 

「――」

 

ライドウは自らと相対する相手であるランサーの表情の変化から微かに異変を感じ取ったのか、意識を凛の方へと向けようとするが――

 

「余所見してんなよ!」

「――」

 

それは叶わない。ランサーは相変わらず曲芸じみた方法で、ライドウへと刺突を瞬時に十以上繰り出した。ランサーの繰り出す暴風雨じみたその攻撃は、槍を得意とする身体能力の優れたハイランダーが極めたスキルを用いたところで、放てないだろう。シンが万全の状態であっても、あの神速には追いつけまい。ライドウはそれの対処のために、その場で足を止め意識をランサーへと向けることを余儀なくされ、凛へと向けかけた意識を引き戻されていた。再び剣と槍を交えない静かな剣戟が開幕した。そして。

 

「我が骨子は捻れ狂う/I am the born of my sword……!」

 

凛が話しかけたことにより、ライドウへと生まれたその隙をついて、ランサーとライドウが死闘を繰り広げる場所から少しばかり距離をとり、四階建ての建物の屋上へと登ったエミヤが攻撃の準備を整えていた。彼の唱えた呪文により、その手中へと捩くれた剣が生まれる。剣はやがて多くの稲妻を刀身から放つようになり、エミヤの浅黒い肌と白髪を青い稲光で薄く染め上げてゆく。エミヤはそして、捩くれた剣を弓に添えると、その柄を弦に当てて思い切り引っ張った。弓の弦が限界まで引き絞られ、解放された時を今か今かと待ちわびるように、ギシギシと音を響かせる。

 

「Das schliesen/準備……!」

 

私の近くに控える凛がどこのかわからない言葉を喋った。多分、魔術の準備だ。それを見たのだろう、エミヤは、視線を凛からランサーへと移すと、口を開く。

 

「避けろよ、ランサー!」

「慣れてらぁ!」

 

エミヤが叫び、ランサーが応じた。呼応がランサーの隙となる前に、ランサーはもう一度、エミヤに向けてだろう、叫んだ。

 

「撃て!」

『偽・螺旋剣 Ⅱ/カラドボルグ!』

 

ランサーの咆哮に応じて、エミヤもまた、真名解放というやつの為だろう、スキルの名前を思いっきり、声を大にして叫んだ。場にそぐわない弦の弾ける間の抜けた音が響き、直後、目眩い閃光と稲光と閃光が周囲を包み込む。

 

「――!」

 

閃光と爆風と砂塵と熱とが異界の銀座世界の全てを包み込む寸前、狼男となったライドウは、狼の口を初めて噛み締めて、驚愕を露わにした。エミヤの攻撃が原因なのか、あるいは、エミヤが味方もろとも吹き飛ばすような攻撃を放ったのが原因なのかは知らないが、とにかく今、目の前に迫り来る状況が、彼にとってとても予定外で、とても望ましくない方へと転がっているのは確かだと認識ができた。

 

――十分だ

 

シンをまるで路傍の石を蹴り飛ばすかのように簡単に斬り飛ばした狼男/ライドウが、焦燥の様子を見せた。それだけで、今まで抱えていた不安が吹き飛んでくれた。それだけで、私が剣を持った意味は、私は今この瞬間だけ、シンを超え、シンが自分の中にいてくれるような幻視をした。

 

――シン

 

「Es ist gros,Es ist klein,Es ist schalldicht,Es ist schutz/軽量、重圧、防音、防護!」

 

彼のことを想った瞬間、凛の言葉とともに、体が軽くなる。エミヤの放った矢が空気を引き裂く耳障りな音だけが聞こえなくなり、空気が透明化した。私は一瞬、自分が真実世界から切り離されたような幻想を抱いた。

 

「壊れた幻想/ブロウクンファンタズム!」

 

迫り来るその時を前に、瞬間だけ幻想を夢見ていた私を戒めるかのように、エミヤが呪文を唱え、私を目覚めさせた。同時に、ライドウめがけて直進していた矢が破裂。破壊の力を周囲へと撒き散らし、ランサーを、凛を、私を、矢によって生み出された熱と爆裂と暴風と砂礫が私たちの周囲へと乱雑にばら撒かれ、四方八方へと濁流の中の水のように凄まじい速度で飛び散ってゆく。

 

砂塵と熱風が荒くれる中、凛のスキル――魔術によって、それら外部からの余計から守られた私は、刀剣『薄緑』を鞘から引き抜くと、一心に刀へと意識を集中した。その名の通り、薄緑をしたその刀は、ライドウを助けるという私の意思と、そのために狼男と化したライドウに挑むのだという私の覚悟に呼応して、その刀身と名前に秘められた力を貸してやろうと、告げてくる。

 

『刺し穿つ死棘の槍/ゲイボルグ!』

 

未だ鎮まらない砂塵と高熱の嵐の中、それらの影響をまるで感じさせないランサーの声が戦場を引き裂いた。茶色と灰色のみが支配する視界の中に、ゲイボルグの穂先が生み出した一条の赤い閃光が生み出される。

 

「――!」

 

そんな砂嵐の中から繰り出されたランサーの真っ直ぐな一撃を、曲げる存在があった。

 

――そこか!

 

それはライドウの祓魔の剣、『赤口葛葉』の一線によるものだった。ライドウがランサーの繰り出した一撃を、剣で払って、回避したのだ。ランサーはついに、ライドウに刀を使わせ、隙を作ることに成功していた。煙の向こう側であるため見えないが、おそらく今、ランサーは大いに誇らしげに唇を歪めているに違いないと察した。

 

――舞台は整った。あとは……

 

握った剣に力を込めて、自分の力――、ツールマスターとしての力が発揮されるよう、全力で意識する。すると、予想通り、この世界では使えないかもなんて言っていたギルガメッシュの言葉を覆す様に、あちらの世界での力は、こちらの世界でも普通に働いてくれた。そうだ。誰かが予測した道理に私が従わなければならない法則などない。世界はいつだって、自分が信じる通り、自分の望む通りに歪んでいくものなのだ。

 

――今、私の中に受け継がれているシンの魂が、あのライドウにも負けてないんだってことを証明するため……

 

エミヤはライドウの視界と聴覚と触覚と嗅覚を奪い、小さな隙を作ってくれた。ランサーはその小さな隙に自らの全霊を注ぎ込み、ライドウの動きを止め、大きな隙へと作り変えてくれていた。ゴウトは私の考えを後押しする知恵をくれたし、凛は、私を後押しする呪文をかけてくれた。みんなの力を借りて生み出された隙に、私は全霊を持って、シンのように自身よりも強大な存在に挑み、そして――

 

――私が信じる私の力で、勝利をもぎ取る!

 

『――行け!』

 

決意を新たにした時、その言葉をくれたのが、果たして、刀に宿った意思だったのか、はたまた、自分の中に宿ったシンの魂なのかは判別できない。あるいはその両方かもしれないと思いながら、私は全力でそのスキルの名前を叫ぶ。

 

「八艘飛び!」

 

薄緑を片手に全力で地面を蹴り込み、突貫する。凛の魔術によって軽くなった体は羽根の様でありながら、剣に宿った魂が貸してくれる力により、凄まじい跳躍力と瞬発力を帯びて、ライドウへと突進する。色んな人の力を借りて、今まで培ってきたものの全てを投げ出して、乾坤の一撃を狙う今の私は、エミヤが繰り出す一矢よりも、ランサーが繰り出す刺突よりも、ライドウが振り下ろす刃よりも、早く、私はライドウに接近した。その毛深い姿が見えた瞬間、私は迷わず、片手で振り上げていた刀を振り下ろした。

 

「――!」

 

空中、いきなり眼前へと現れた存在が振り下ろした一撃を、しかしライドウはそんな奇襲を紙一重で避ける。ライドウはエミヤによって五感のほとんどを潰され、ランサーによって動きを限定されながら、それでも凄まじい直感と反射能力を駆使して、私の一撃を――

 

「――噛んで止めた……!?」

 

飛翔してきた私の一撃を避けた狼男であるライドウは、ランサーの槍での宝具の一撃に祓魔の剣を絡め取られたままの状態でありながら、その崩れた姿勢のまま、最後の武器――自前の鋭い牙で反撃の一撃まで繰り出してきた。狼男となったライドウは、その大きな口を開いて、鋭い牙で薄緑の刃を押しとどめていた。

 

ギリギリと狼の鋭い歯が上下から『ヨシツネ』の力が宿った剣、『薄緑』を攻め立てる。刀は縦の方面、すなわち、引いて斬る分には優れているが、横からの圧力に弱くできている。

故に。

 

「――……!」

 

薄緑はその上下からの攻撃に耐えきれず、ヨシツネの末期の悲鳴であるかの様に、剣は甲高い音を立てて、バキバキと音を立てて、刀身は八つの破片に砕かれた。剣を噛み砕いた狼男の牙は力強く噛み合わされ、歪んだ三日月を浮かべた。それはこちらの目論見を全て看破し、打ち破ったという自信が齎した勝利宣言でもあったに違いない。

 

だが。一撃を受け止め、剣が折られるのは予定外だったけれど。

 

――私の半端な攻撃が通用しないことくらいは、予定に織り込み済みだ!

 

私は柄だけになった剣を握ったまま、私の胸元で自由を謳歌していたもう片方の手を洋服から引っ張り出す。そうして威力を失った剣の象徴を持つ片手ではなく、引っ張り出された手に握られたものを見て、狼男と化したライドウの狼の口から笑みが消えてゆく。どうやらここに来てようやく奴も私たちの狙いを悟った様だった。

 

――そうだ

 

私の狙いは、私たちの勝利条件は、もとより私が一撃を当てて、ライドウを仕留めることじゃない。私の、私たちの狙いは――

 

「召喚、玉藻!」

 

言葉とともに、管がスライドし、管の中から飛び出したマグネタイトが召喚風を巻き起こす。周囲一面の砂土の光景を嫌うかの様に、マグネタイトは土埃を吹き飛ばしながら人型へと具象化してゆく。やがてそうして私の管から召喚された玉藻は、すぐそばにいるライドウに飛びつき、彼の毛深い狼頭を持つしなやかな人間の体部分、すなわち、下半身の部位に自身の体をくっつけた。

 

「――!」

「おっと、縋り付く女の抱擁を蹴り飛ばすなんて、金色夜叉じみた無粋な真似はさせねぇ!」

 

ライドウはそれを振り払おうと刀を振り上げるも、その行為はすぐ近くまでやってきていたランサーによって妨害される。ライドウは両足を玉藻に、上半身をランサーに抑え付けられ、身動きが一切取れない状況へと追い込まれていた。

 

「貴方のそれは元を辿ればこの体を作っている呪いと同種の呪い! なら、そんな怨念と呪いの塊の化身である私が、あなたの体に巣食うそれをかけらも残さず同化し、喰らい尽くして、私の力として飲み込んで差し上げます!」

 

玉藻が叫ぶ。おそらく、そうして叫んだのは、これから行う目論見がうまくいきます様にと、自身を鼓舞するためでもあったのだろう。

 

「借体成形の術!」

 

玉藻がスキルの名を叫ぶと、すぐさま彼女の体は輪郭がはっきりしなくなり、やがて、黄昏色に発光し、光の泡となり、泡沫の様にライドウの中へと消えてゆく。

 

 

砂埃が晴れ、玉藻の姿が叫び、私が彼女の姿が消えた事を視認した瞬間、狼面の毛皮を被った様な状態のライドウは、刀を手放した。祓魔の力を持つ刀が、地面へと突き刺さる。狼男の墓標の様に突き刺さったそれは、響の提案した案が成功した事を祝福しているかの様だった。ライドウはそのまま立ち呆けている。私は慌てて彼へと近づいた。

 

『言峰!』

 

同じくライドウに近づいたゴウトは、ライドウが玉藻に体を乗っ取られて動かなくなったのを確認すると、すぐさま言峰へと呼びかけた。一秒でも早くライドウを取り戻したいという態度が、彼を急かしているのだ。

 

玉藻、すなわちは九尾の狐はたしかにかつて漢王朝の護国の霊獣だったかもしれないが、現在ライドウの体に宿る狼もまた、古く西洋においては、集落の羊どもを殺し、多くの村を滅ぼし、数多の神話において悪と称される様になった魔性の獣である。

 

しかもライドウの体に宿ったのは、その中でも別格の、フェンリルという終末に現れ、世界を喰らい尽くすという狼だ。玉藻が動きを止めたと言っても、一秒先にどうなるかはわからない。今でこそ拮抗しているし、太陽神の化身であると自信満々の彼女であったが、日の本の国において、太陽神は、破壊神の暴虐にしてやられてしまうものである。

 

「任せておけ」

 

一方で、ゴウトの気持ちを慮った訳ではないだろうが、言峰は待ってましたとばかりにライドウの元へと駆けつけると、自らのカソックの袖をまくり、狼男の口元へと当てると、軽く開いて、その牙で自らの腕を引いた。鍛え上げられた刀剣ですら容易く噛み砕く牙は、人間の薄く柔らかい皮膚や肉を簡単に裂いて、言峰の腕から血が滴り落ちた。

 

「――」

 

言峰はそして、滴る自らの血を、狼頭を持つライドウに振りかけると、彼の頭を瀉血したかの様な有様の腕で、そのままがしりと手のひらの中に収める。

 

『言峰!? お前は何を……!』

 

ライドウへと素早く近寄った言峰の行為に、ゴウトは猫の体の背筋を丸め、尻尾をピンと伸ばして、驚きを顔に貼り付けた。

 

「心霊医療を行い、悪霊を払う場合には、聖なる液体を相手に振りかける必要がある。これを行わなければ、取り憑かれた側と取り付いた悪霊との境界が判別できんのでな。通常は聖別された聖水を用いているのだが、あいにく悪魔となった私は今、そんなものを持ち合わせていない。だから、代替物として、天使である私の血液を用いてそれを行なったわけだ。――、話はそれだけか? 気が散る。少し黙っていろ」

 

だが言峰はゴウトのそんな戸惑いからの質問にバッサリと答えて彼の懸念を切り捨てると、言峰は目をつぶり、聖句――洗礼詠唱を開始した。

 

「kyrie eleison,christe eleison,kyrie eleison/主よ憐れめよ、主よ憐れめよ、主よ憐れめよ」

 

言峰の口元から、厳かな言葉が漏れる。それはミサにおいて合唱される聖歌と呼ばれるものだった。言峰は、神への祈りを通じて、自らの意識をトランス状態へと移行させてゆく。

 

「Gloria in excelsis Deo.Et in terra pax hominibus bonae volutatis/天のいと高きところには神の栄光を。地には善意の人に平安あれ」

 

一拍おいて、言峰の口から、低いテノールの声でルカによる福音書から一文が続いた。見るに、奴の意識はすでに忘我の彼方に到達し、意識と無意識との狭間に自らを置くことに成功している様だった。

 

「Laudamus te.Benedicimus te.Adoramus te.Gloficamus te./我らは主を褒め、主をたたえ、主を拝み、主を崇める」

 

奴は今、ライドウの魂と悪霊のそれとを選り分けるために、自らの体をパイプオルガンと、喉を鐘楼と化している。それはつまり、奴が今、一つの教会であり、神父であり、聖水であり、十字架でもあり、エクソシストでもあるということを示していた。

 

「綺礼もまともにやれば、そんじょそこらの神父なんかよりよっぽど立派なのよね……」

「……凛」

 

凛はそうして私の側へとやってくると、自らの体をライドウを救うための装置として機能させている言峰を眺めると、非常に複雑そうな視線を奴へと送った。奴が歌うそれの練度の高さは、奴がどれだけ身を削ってそれの修練に時間を費やしたかの証明だった。奴は今、人生の多くの時間を、他人の祈りのために捧げてきたその証明を唄い上げている。それを見つめる凛の瞳に宿っていたのは、憎しみではなく困惑で、怒りではなく悲しみだった。

 

「あれがどう歪んだら、あんな悪の権化みたいな性悪になるのやら……」

「……」

 

凛の言葉に私は何も答えられない。話によると、言峰綺礼は、魔術師であった凛の父母が死ぬ原因を作った、あるいは、直接的に手を下して殺した人物であるという。そんな人間に対して、私はなんと声をかければいいのか、その解答を持ち合わせていなかった。

 

しかし。

 

「――悪」

「え?」

「……世間は自分の性分を悪であると見なしていると、そう理解してしまったかだろう」

 

無様ながらも進む。そう決めた私は、まともな解答を持っていないなりに、今自分が思っている気持ちをそのまま語ることとした。わからないなりに思いを語る。きっとそれこそが正義の味方になる第一歩であると信じて。

 

「言峰綺礼は自らの性分――他人の醜いを美しく思い、無様を喜ぶ感性を持ち合わせていると自覚していた、とそう言っていた。あの男は、自分のそんな性分を悪だと自覚していた。それを悪であると自覚するだけの分別を持ち合わせていた」

「――」

「Sanctus,Sanctus,Sanctus/聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」

 

私の語りに奴の歌声が混じる。奴は目をつぶったままで、また、意識もここにあらずの様相だ。おそらく奴は今、無意識の境界でライドウの魂と、それ以外の、狼の呪いと玉藻の魂を選り分ける作業を行なっているはずなのだ。ならばそうして歌い上げられるラテン語の聖句は、奴の無自覚の領域から、奴を意識無意識の境界に保つため、無自覚のうちから溢れ出る、まさに肉体と魂に刻まれているものを詠い唱えているという証明に他ならず。

 

「中国拳法を言峰から習った君なら、一つの技を無意識のうちに繰り出すという行為を実践レベルで行使するためにどれだけの時間を費やさなければならないかは承知しているだろう。奴の鍛え上げられた体から生まれる、この、周囲に峻厳と静謐の雰囲気をもたらすそれは、奴がその生涯において、どれだけの時間を自らが憎む、世間が正しいとする行為に費やしたかを。そして、自らの存在の否定にどれだけの時間を費やしてきたかをそのまま表している」

「――そうね」

 

凛はそこで私の言わんとしていることを理解した様だった。彼女が言峰へと向ける視線に憐憫の情が混じる。彼女は、言峰が長年抱えてきた懊悩を、ようやくその一端を理解した様だった。おそらく今しがた彼女が抱いた感情は、後悔という感情がもたらす、暗澹としたものであったに違いない。そしてその鬱屈とした感情は、自らを攻め、苛め、多くの時間を自虐と反省に費やし、足掻き続けた者のみが理解できるものなのだ。そう。たとえば、多くの時間、私という存在を助けられなかったことを悔やみ、行動を起こした彼女や、人間の在り方に絶望し、自身の生涯を悔やみ、自らを殺傷せしめようと足掻き続けた私の様に……。

 

「言峰綺礼は、他人の価値観と良識を用いて自らを悪と判断し、自分という存在を他人からも否定されつづけ、そして自分という存在を、自らを否定し続けた。その果ての歪みの結果が、病的なまでに、自己肯定のために、他者が悪と呼ぶものを好み、他者が善意と呼ぶものを拒む様になったのだろう」

「なるほどね。貴方はつまり、あれは、世間が、言峰綺礼という人格を無視して、言峰綺礼という人物に世間の善の在り方を押し付けて、綺礼にそれを求めすぎた結果だと、貴方はそう言いたいのね?」

「そうだ」

 

長年の自傷、すなわち、自らの行いに対する後悔や懊悩がもたらす歪みというものは、本人ですら、否、本人だからこそ、判別不能な呪いとなる。自分自身を救えるのは自分のみであるが、呪いを呪いであると判別し、指摘できるのは、余計な先入観を持たない第三者しかいないのだ。

 

「悪だのなんだのは、所詮、世間の良識と価値観がもたらすもの。そう言った意味で言えば、奴はそんな、奴からすれば歪んでいる世間をなんとか迎合しようとした結果、あれだけの技術を身につけ、そしてやがてそれが辛くなって、我を通した結果、悪と呼ばれる存在になった、と。ただそれだけのことなんだ」

 

あるいは、言峰綺礼のそんな歪みに答えを与えられる存在がいたのなら、彼も違ったのかもしれない。もしかすると第五次聖杯戦争において奴と組んでいた、第四次聖杯戦争において、奴が凛の父親より奪ったサーヴァント、ギルガメッシュという王こそが、そんな存在だったのかもしれない。

 

ギルガメッシュはその優れた智恵で他者の悩みを見抜くに敏い。言峰綺礼は第四次聖杯戦争において、ギルガメッシュというサーヴァントと出会い、歪みを見抜かれ、それを指摘され、自分を本位にすることを覚えたからこそ、言峰はそれまでの他者本位に過ごしていた反動で、他者に自らにとっての善い行い――すなわち、他者にとって悪とよばれるそれをばら撒かないではいられない人格になったのかもしれない。

 

「それが善意から生まれたものであろうと、個人の感情の押し付けは、他者を歪ませる。押し付けたものがその他者にとっての悪であるなら、それは悲劇と反発しか生まない。私はそれを、ようやく、先ほど、身をもって理解した」

 

だから言峰綺礼は、あの時、私を思い切り殴ったのだ。あれはきっと、衛宮切嗣という存在を嫌う奴にとって、そんな切嗣のコピーの様な存在である私に対して、奴なりにできる、最大限私に対して配慮と加減をした、奴の善意から生まれた指摘の仕方だった。

 

「だから凛もまぁ……、奴を許せとは言わないが、そうであると理解する事くらいはしてやってくれ。きっとそれが、奴にとって最大の救いとなるし、今の奴のライドウ救済の行為に対する報いともなるはずだ」

 

私はそんな奴の善意から出た行動に報いるべく、なるべく凛にも、奴のことを理解してくれるよう頼んだ。

 

「――そうね。ま、あんな奴でも一応、私の魔術や格闘術の師だし……。――――――、ライドウを救ってくれたわけだし、一応、知っておくくらいなら、ね」

 

凛はそして、強い彼女らしい割り切りの良さで、ある程度、奴のそんな歪みと在り方を認めることを許容したらしい。私は彼女と分かり合えたこと。そして、言峰綺礼という人物のためになにかできたのかもしれないという自己満足を得ると、聖句を唱える言峰に意識を戻す。

 

「Agnus Dei,qui tollis peccata mundi.miserere nois.Agnus Dei,qui tollis peccata mundi.dona nobis pacem/神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らを憐れみたまえ.神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らに平安を与え給え」

 

奴の詠唱はミサの終盤に語られる、ヨハネ福音書の一説、Agnus Dei/平和の賛歌へとさしかかっていた。世間にとって悪であると自認する奴が平和を詠う。それが奴を理解しようと努め、勝手ながらも、他者に奴を理解をする頼み込んだ私に対しての何よりの報酬として、私の心の中に落ちて、溶け込んだ。

 

 

「Ite missa Est.Deo gratias!」

 

言峰綺礼はそして高らかに声をあげた。解散を意味する語句がそのまま、術式の終わりを告げているのだろう、声とともに言峰綺礼は閉じていた目をカッと開くと、ライドウの頭に乗せていた腕を払う動作をする。

 

「あ、あぁぁぁぁぁぁ!」

 

同時に、ライドウの上半身にへばりついていた狼の顔が彼の纏うマントやメリヤスのシャツごと引き剥がされ、地面へと投げ捨てられる。呪いが引き剥がされた衝撃は相当もものだったらしく、ライドウは雄叫びをあげた。その咆哮は、彼本来の、白皙の顔の口から漏れた、苦悶を告げるものだった。

 

『ライドウ!』

 

ライドウが崩れ落ちると同時に、ゴウトが彼へと駆け寄った。ゴウトは顔を綻ばせて、ライドウの帰還を喜んでいた。正義の味方は呪いの中から救い出されたのだ。だが一方。

 

『の、呪いが……、こ、これは、ちょ、ちょっと、冗談抜きでまずいですね……』

 

言峰綺礼が腕を払った先、ライドウに取り付いていた、そして今しがた依り代を失ったフェンリルの蠱毒の呪いは、黒い塊となって毒々しく蠢いていた。その中からは玉藻の声が聞こえてくる。普段ふざけて飄々としている彼女の声には、しかし、一切の余裕というものが感じられなかった。

 

「響、玉藻を管に戻せ!」

 

玉藻が危ない。そう感じた私は、慌てて響へと指示を飛ばした。

 

「や、やっていますけど、力が大きすぎて……!」

 

そして視線を送ると、響はすでに彼女を管に戻すべく、管のスライドを動かし、呪いの塊の方へと管を向けていた。だが――

 

「で、でも、呪いが強すぎて……」

 

響は玉藻を管に戻せない。彼女が呪いの塊から管の中に収められるマグネタイトは、元の玉藻を構成するマグネタイトにしてはあまりに少ない。私はすぐにその原因に思い当たった。ツールマスターであり、道具の力を十全に引き出せるとはいえ、神道の修行が足りない彼女では、神道の術式に基づいて編み出されたその魔術道具の力を引き出すことができないのだ。

 

「玉藻!」

 

先程、それでも彼女が玉藻――すなわち九尾の狐という、最高クラスの神獣を管に収めることができたのは、玉藻という優れた呪術師である彼女自身がそれを望み、彼女の未熟をサポートしたからである。すなわち、この度も、彼女のサポートなしに玉藻を管に収めることはできまい。そう判断した私は呪いの中にいるだろう玉藻へと呼びかけるが――

 

「やってますよ! でも、フェンリルの……、狼の呪いが犬神化して、私の中の狐の概念に対抗を……! この暗黒イケモンから生まれたやっこさん、優秀な依り代を失って、大暴れなんです! それで失った損失を少しでも補うため、私を取り込もうと――!」

 

だが玉藻は、それに応じることができないという。

 

「狗神と狐という相性の悪ささえなければ、どうにかして見せるんですが、この相性というやつばかりはどうも如何ともし難くて、どうにも……!」

 

どうやらライドウの動きを止めて彼を呪いから解放するため、借体成形の術――がを使って同化し狼男の中へと意気揚々と入り込んだ玉藻は、呪いの中に入り込んでその目的を達成したは良いものの、ライドウと呪いが分離した時、その中の狼成分、すなわちフェンリルが自らを取り込もうとする程に強く抵抗し、狗神化するとは思っていなかったらしい。

 

――どうする?

 

助けを求めるようにして辺りを見渡すも、誰一人として私の視線に応じるものはいなかった。凛も、響も、言峰も、ランサーも、誰一人として、呪いが巻き起こす暴風を前にして手出しが出来ないでいる。フェンリルの呪いは、この世の全ての悪/アンリマユと比べても遜色ないほど、否、それ以上に強烈で、目に見えるほど濃密な、呪いの塊だった。

 

アンリマユが人に対する憎しみから生まれ落ちた膿とするならば、フェンリルの呪いは、自然が持つ存在意義そのもの。それは人間に対してのみ破壊をもたらす指向性のある呪いの塊ではなく、無意識が生み出す生存本能の塊とでもいうべき、純粋な、生きたいという意志の塊だった。あの呪いは、ただ死にたくないと足掻くだけの、憐れな祈りによって生み出された存在なのだ。ならばすなわち、あれの正体とは、自然そのもの。すなわち、森羅万象。

 

――そんなもの。どう対処すれば良いというのか

 

「――フェンリルをどうにかすればいいんだな?」

 

悩むその時、そんな停滞と倦怠を吹き飛ばすかのような頼もしい声が聞こえてきた。その声に胸の奥から希望に満ちた感情が湧き上がってくるのは、正しくその声の主人が今代の正義の味方である証明とも言えるだろう。

 

「ライドウ!」

「――すまない。迷惑をかけた」

『まったくだ! これではいつまでも目が離せんではないか!』

 

復活したライドウの側でゴウトが怒鳴る。表面上の態度と言葉こそキツイものがあるが、その実、誰よりもライドウの復活を喜んでいることが、頬の髭を揺らしながら、嬉しそうに尻尾をふる所作から簡単に理解することができた。ライドウはそんなゴウトの声を真摯に受けとったのだろう、目を伏せて、少しばかり顔を逸らすと、しかしすぐさま覚悟を決めたように頷いて、私たちの方を向いた。

 

「――そしてありがとう。助かりました。――、だからあとは、自分がやります」

 

そしてライドウは足の靴下から一本管を取り出すと、スライドさせてその中身を露わにし、呪いの塊へと向けた。本来の所有者である神道の修練を終えている彼の手に収まった管は、響とは比べ物にならないほど膨大なマグネタイトを呪いの塊から吸収してゆく。響のそれがそよ風だとしたら、ライドウのそれは荒れ狂う嵐の中のそれだった。

 

『ライドウ! 何を!』

「――自分が場を整えます。フェンリルの呪いや蠱毒の術式が如何に強力であろうと、それが意思を持たない自然の本能に由来する力であるというなら――」

 

そしてライドウは管とは逆の手に持っていた剣をゆらゆらと揺らした。まるで幣の如く祓魔の剣が左右に振るわれるたび、暴れる呪いは微かにその動きが鈍くなり、荒ぶるマグネタイトの奔流の状態も、鎮静化する。

 

『そうか! ライドウ! 貴様は斎庭を整える神主の役割を果たそうというわけか!』

 

それを見た瞬間、ゴウトは大いに叫んだ。

 

「――はい。自分が、呪いの中の余計なマグネタイト――、フェンリルの呪いの部分を鎮め、調伏する役目を引き受けます。その隙に、響は玉藻を……」

「はい!」

 

ライドウという最高の補助輪を得た響は、一歩前へと踏み出し、管を前へと押し出した。

 

『なんてイケ魂……! ああ、でも、これで、ヤタガラスの尖兵なんかじゃなかったら!』

 

すると、ライドウのサポートと響が近づいた影響か、響の中へと吸い込まれるマグネタイト量が増し、管と呪いとの間から聞こえてくる玉藻の声に余裕の態度が戻り始める。熱を取り戻した彼女が恋慕の方向に暴走するのを無視しながら、響はさらに近づき、そして近づくごとに、彼女の手中に収まっている管へと回収されるマグネタイトの量が増えてゆく。

 

『あと少しで……、ご主人様、ファイト!』

「は、はい――、これで!?」

 

なんとも気の抜ける声援を玉藻が送り、響がそれに応じて、玉藻を回収し終えるその寸前、フェンリルの呪いの塊は、一瞬、ひどく小さな直径一センチ以下の点にまで収縮したかと思うと、直後、膨張し、増大し、破裂した。

 

「――――――――――――え?」

 

それがあまりに瞬時、かつ、予想外の出来事だったのだろう。凝縮された力を放出するかのように黒点より飛び出した呪いの濁流は、呪いより玉藻の成分を回収していた響へ向かって突撃すると、彼女へと襲いかかる。玉藻の回収に意識を集中していた響は、間の抜けた声を上げるので精一杯のようだった。

 

『いけない! ご主人様、避けてください!』

 

玉藻が絶叫する。

 

「いかん、響!」

 

その叫びに反応して、反射的に体が動いていた。私は呆けた彼女を助けようと手を伸ばし、その体を突き飛ばそうとするが、それは叶うことなく、そして――

 

助けてください、お願いです、苦しいんです、辛いんです、なんで僕だけ不幸なんだ、なんで俺だけ報われないんだ、なんで私だけこんなに惨めなの、頑張っているのに誰もわかっちゃくれない、結局コネ持ちが最強かよ、才能あるやつはいいよな、努力は才能だよ俺にはそれが出来ない、金持ちは死ね、なぜ俺はこんなに恨まれるんだ、儂は何のために生きてきたのじゃ、何であいつはあんなに強い、何で俺はこんなにも弱い、何で儂はこんなにも醜い、何で私はこんなにも苦しい、何で僕は生き辛い、何で誰も俺を理解しないのか、何で何で何で何で何で何で何で何で、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い、クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――――――

 

「ッ――!!」

 

脳の神経が焼き切れそうな呪いが脳髄へと直接叩き込まれた。それもただの呪い怨みではなく、この世を自分で道を選ばずに、何もできなかったと後悔した者の、心底、自分を、他人を信じる事のできなかった、そんな人間たちの、極限にまで肥大化した自己愛や、エゴや、ルサンチマンより発せられた、残念の塊だった。さらに彼らは、そんな自らの残念を晴らすべく、自然の力を取り込んで、強大化していた。群れが発するあまりに攻撃的な侮蔑の念の衝撃に情を感じる機能を取り戻したばかりの私は堪えきれず、意識が薄れてゆく。

 

「やれやれ、本当に、手間のかかる……」

 

そんな、誰かの呆れた声が耳に飛び込んできたのを最後に、私はそして完全に意識を失った。

 

 

ハイ・ラガード公国 近隣

 

 

「アカシックノヴァ!」

 

鎧をまとった異形が世界を切り裂く光を放つ。周囲一面へと氾濫した光塵が周囲にある全ての粒子の接合を分断し、光は破滅をもたらす刃となりて、異形の周りにある全てのものを粉砕した。しかし。

 

「フレイ!」

「!」

 

彼が生み出した灰塵からは、一瞬前に自らのみが滅びたという事実を拒絶するかのように、塊が飛び出してきた。塵芥は塊となり再生し、彼への追撃のためだろう、粉塵の中からつい先ほどフレイが空気の中に返したはずの存在が鎌首をもたげる。しゃがれた声の成人男性の呼びかけに反応して、フレイと呼ばれた異形は、その場から飛びのいた。

 

「しつっこいんだよ、この蛇野郎が!」

 

そしてフレイへと声をかけた人物が、掛け声とともに灼熱の炎を放ち、それは煙の中で蠢く再生しフレイへの攻撃体制を整える存在へと叩きつけられた。空中、地上より飛び上がった、灼熱の全身を抑え込むかのように紅い鎧を待とう男から放たれた炎は、鎧男によって酸素濃度を調整制御され、一定空間にしか火が広がらないよう調整されていた。すなわち炎は、再生しかけていた魔物の体へと纏わりつき、苛立った紅鎧男の感情を表すかのように、爆裂する。

 

「爆炎陣!」

 

男の攻撃により生まれた炎は、一定の上下空間にのみへと拡散し、広がった炎はやがて上下天地の一部を絢爛に蹂躙する柱の如きものとなる。一瞬のうちに燃え広がった焔のうち、地に落ちた炎は森林を灰燼と化し、共に大地を焼き、空へと上昇した炎は上空の雲を貫き、宙の彼方へと飛翔した。直後、酸素という燃焼触媒を失い、豪炎より生み出された火が、周辺の森を焼き尽くすよりも先に、あっけなく消失した。その後には、何一つとして、生命の痕跡が残らない、文字通り空白地帯が出来上がる。

 

「これで――!」

 

自らが作り上げた消失空間に、正しく何もいないことを確認した鎧男は、自らが成し遂げた功績を誇るかのように胸を張り、地上に着地すると同時に、着地の際、地面へと移っていた視線を、空白だった場所を戻そうとして――

 

「ベルトランのおっさん、あぶねぇ!」

「――だめ!」

「うぉっ」

 

しかして、自らの攻撃によりなにもなくなったはずの場所から、先ほどと同様の襲撃があることを仲間の声により知った鎧男――ベルトランは、しゃがんだ姿勢から折りたたんだ両足に溜められていた力をそのまま解放して、後方へと大きく跳躍した。

 

「――まじかよ……」

 

跳躍の最中、彼は視線を前に戻した男は自らの眼前、先ほど自分が着地したばかりの位置に、鱗も皮膚も、それどころか脂肪どころか筋肉もないのに、骨だけの状態で稼働する、それなのに、先ほど生身であった時よりも巨大となった蛇の姿を発見して、驚愕した。

 

「どんなバケモンだ、ありゃあ! ――ッ!」

悪態を吐くため一瞬意識を自分の内側へと逸らしたその次の瞬間、自らの戦いにおいては瞬きすらも許さぬと言わんがごとき再生速度で、蛇の体には骨だけだった肉体に血と肉と皮膚と鱗とを貼り付けられた。事象に呆気を取られて実際に瞬きし、瞼を開いた次の瞬間には、完全再生した敵の先ほどの三倍以上は巨大となった頭は、思い切り鎌首がもたげられている。

 

――やべぇ……!

 

攻撃の直後、跳躍したばかりの空中という最悪の条件下に自らが追い込まれたことをベルトランは悟った。鎌首もたげた蛇の首がさらに後ろへと仰け反り、止まる。蛇の攻撃体制が整ったのだ。死の気配を嗅ぎ取ったベルトランは、真っ赤な炎に包まれたような鎧の奥、背筋に思いっきり冷たいものが走り、顔色を青くした。

 

「エイミングフット!」

 

死を覚悟する間も無く放たれようとした蛇の攻撃の瞬間、先ほど彼を救った声が再び割り込んだ。ベルトランが声の方へと視線を送ると、声を発した男がその叫び声とともに、弓から一矢を放っているのが目に入った。強弓から放たれた、声と同等かそれ以上の速度で巨大蛇へと迫るそれは、蛇がベルトランへと攻撃する前に、蛇の地面と接触している肉体部分を貫き、体内へと侵入する。

 

「――――――――」

 

彼の手から放たれた矢には、命中した部位を動きにくくする、縺れ糸がもたらす『縛り』に似た効力を発揮するスキルの力が込められていた。英雄と呼ばれるまでに至った彼が使うそのスキルはかするだけでもが、相応の効力が発揮するほどに威力もスキルの効力も高められているはずで、貫通などした時になどは、どんな敵であろうと一定時間は足止めを保証できる程に極められたスキルであったが、しかし――

 

「――!」

「――チクショウ、やっぱり、あのデカブツ相手だとほとんど効果なしか……!」

 

それは巨大な蛇には通じない。いかに貫通した部分を動かしにくくするスキルが込められていようが、それがノミの一刺しでは意味がない。巨大化した蛇にとって、今彼が放った矢は、糸くずどころか、埃に等しい、障害となり得ないものだった。

 

「いや、ナイスだ、ボウズ!」

 

だが、そのノミの一撃に等しい攻撃は、足止めにこそならなかったけれど、彼の叫びと攻撃という行為自体が、蛇の気を引き、蛇の攻撃のタイミングを瞬間だけ遅らせていた。蛇の視線が微かに自身から逸れた事を見抜いたベルトランは、炎の鎧の籠手部分に取り付けられた長い爪を瞬時に展開し、地面へと突き立て、自らの体を地面と接地させ、そして、再び、跳躍。蛇が再びベルトランの方へと向けた頃、彼はそこからすでに離脱していた。

 

「フラヴィオ、ナイス」

「はは……、ありがとよ、クロエ。……、はぁ」

 

ベルトランの離脱を確認した叫び声をあげたもう一人の人物――クロエという少女は、弓を放った青年、フラヴィオにたいしてあまり感謝の気がこもってなさそうな礼の言葉を送る。クロエの気のない言葉にどう反応して良いものか、フラヴィオは如何とも例え難い唇の歪めかたをすると、後ろに短くまとめた黒髪を撫で上げ、苦笑いとともに、クロエへ返礼し、面を上げて自身の仲間であるフレイやベルトランが全力の状態で戦って、そして押されているのを見て、ため息をついた。

 

「くそっ、なんだよ、あの化け物……。どうしていきなりでかくなりやがる……!」

 

悪態を吐くフラヴィオ。視線の先では、ファーフニールの騎士と呼ばれる特異な姿に変身したフレイとベルトランが一切の加減が加えられていない攻撃を黄色い鱗の蛇へと加えている。彼らの攻撃に遠慮というものがないことは、二人の繰り出す攻撃の一撃一撃が、地を抉り、天を焦がし、大地を焼き、森林を消失させていることからもうかがえる。ファーフニールの騎士という、人間を大いに超える力を手にしている今のあの二人の手にかかれば、ハイラガード公国や、あるいはそこに聳え生える世界樹の中にある迷宮ですら、一日としないうちに廃墟や残骸と化してしまうだろう。しかしそんな破壊の一撃をその一身に受ける蛇は――

 

「クソッ、また再生しやがった、このデカブツ!」

「――やはり先ほどまでよりも大きくなっている……!」

 

彼らの攻撃を食らうたびに、頭部を、首部を、腹部を。背部を、消滅させられているにもかかわらず、次の瞬間には、何事もなかったかのよう、それどころか、以前よりもその身を巨大化して再生し、フレイとベルトランに襲いかかるのだ。

 

「なんだよ、あれ! どうなってんだよ!」

「……攻撃を食らうたび、大きくなっている?」

「そりゃ見りゃわかるさ! わかってるけど、だから、なんで……!?」

「――わからない。でも、理屈はわからないけれど、そうだという結果がわかったのだから、とりあえずは一歩前進」

「けどよ……」

 

フラヴィオは振り返って背後を眺めた。今自分たちが戦闘を行っているこの場所より二十キロほど離れた場所には、ハイラガード公国がある。

 

――もし、この攻撃を食らうたびに巨大化する化け物があそこまで到達してしまったのなら……

 

「でも、それじゃ、何にも解決してねぇ……。なんとか……、なんとかしなきゃ……」

「……」

 

フラヴィオの苦悩に反応して、クロエは頭に乗っけた三角帽子が落ちないように片手で抑えながら、もう片方の手で眼鏡を掛け直して、フラヴィオの見つめる方角を眺めた。彼よりも頭三つ分ほど低い彼女は、フラヴィオが見ているほどハイラガード公国の場所がはっきりとはわからなかったけれど、それでも天にまで屹立する世界樹のお陰で、それがどこにあるかということだけは、はっきりと知ることができた。その時。

 

「――フラヴィオ」

「うん?」

「何かきた」

 

ハイラガード方面の空の彼方、世界樹の幹の上、樹木に覆い隠されていた場所から、黒い点が徐々に大きくなりつつあるのを見て、クロエは呟いた。クロエと同じ方向を眺めていたフラヴィオは視点をハイラガード公国のある地の側から、世界樹の葉が青々と萌える天の方へと視線を移すと、瞼を細めて、そして見開いた。

 

「ありゃ……、本物の翼人の方の……、カナーンじゃないか!」

 

カナーン。それは以前ハイラガード公国を襲った、背中に白い翼をもち、全身に赤い鎧を纏う連中とは違う、ハイラガード公国にある世界樹の迷宮――ハイラガード公国に聳え立つ世界樹の中にある迷宮――の第四層に住まいし、亜人と呼ばれる種族の一人だ。カナーンはフラヴィオと同じ時代に空の民を自称する、自身らつまりは翼人たちを束ねていた古い人物のはずだが、どうやら彼もこの大召喚によって現世へと呼ばれていたらしい。

 

「クァナーン」

「発音が難しいんだよ。本人も笑ってカナーンでいいと許してくれただろ」

 

――いや、それどころじゃなくて……

 

「見つけた」

「カナーン! なんでここに!?」

 

フラヴィオとクロエが話している間にも距離を詰めてやってきたカナーンは、二人の頭上で止まると、呟く。フラヴィオは反応して叫び、彼へと問いかけた。頭部の飾り角が軽く揺れる。カナーンはそしてフラヴィオの問いに頷いて見せると、背中の翼を小刻みに羽ばたかせながら木と木の間を縫って地上へと降り立った。そして背中の羽を小さく折りたたむと、軽く指でそれを撫ぜたのち、暴れる巨大蛇を見たのち、背筋をまっすぐ正してフラヴィオを見つめなおした。

 

「ハイラガードの英雄たちよ。まずは君たちに感謝を。君たちがいたからこそ、クランヴァリネがごときあの蛇の――星の定めに従い天へと昇った神の間ではヨルムンガンドと呼ばれていたという不老不死の蛇がハイラガードの世界樹にまで到達することを避けられた。空の民は君たちに感謝をしている」

「ああ、それはどうも……ってそんな場合じゃねぇ! そうだ、あれを倒さなきゃ……!」

「仔細承知している。……ここで奴の足止めをしていたのが、かつて全能がごとき存在であったヌフゥを倒し、地の民を救った君たちであったというのも、星の定めというものなのだろう。――私は、あの蛇を倒す手段を知っている」

「ぬぁ!?」

 

カナーンの発した言葉に、フラヴィオは背を大きくのけぞらせて驚いた。

 

「まじかよ……」

 

意識を空隙にしたカナーンの言葉に、フラヴィオは思わず、後ろに仰け反った背を支えるため、足を一歩、後部へと移動させた。そして靴底が地面を踏みしめた瞬間、大地が大きく振動し、フラヴィオの体を大きく揺るがした。そこでようやく、カナーンの言葉が自身にもたらした衝撃を受け止め終えたフラヴィオは、カナーンの方へと身を乗り出す。

 

「ど、どうすりゃいい!? どうすりゃあの化け物を倒せるんだ!?」

「うむ……」

 

いうと、カナーンは背後、今しがた自らがやってきたハイラガード公国の方を振り向いて、指差した。

 

「今、その蛇を倒すための手段を、あるお方が調達しにいっている。どうやらかつてこの場所から君たちの手によって持ち出されたそれは、今、このハイラガードではなく、エトリアにあるらしいからな」

「え、エトリア!? 誰が! どうやってあれを倒せるっていうんだ!?」

 

蛇を倒す手段を尋ねていたところ、突如として飛び出してきた遠い場所にある街の名を聞いて、フラヴィオの脳裏はついに限界を迎え、混乱した。情報を適切に結びつけるための材料が足りなく混乱しているそんなフラヴィオの気持ちを察したのだろう、カナーンはゆっくりと首を縦に振ると、口を開いた。

 

「かつて我らが決して消えることのない導星――神と信じていたお方がそれを知っておられた。地の民の言葉でオーバーロードと呼ばれた彼は、つい先程、神剣ラグナロク――、否、呪銀の聖杯を求めて、エトリアへと旅立ったのだ」

「――」

 

カナーンの言葉に、フラヴィオは、あんぐりと口を大きく、顎が地面につくのではないかと思うくらいに開けて、言葉を失っていた。

 

「オーバー……ロード……」

 

決して感情の動きが表立って豊かに出ないクロエも、眼鏡がずり落ちそうになる程まで目を見開き、肩に引っ掛けたクローク型のコートがずり落ちそうなほど肩を落として、驚愕をあわらにした。当然といえば当然だった。なぜならオーバーロードというその名は。

 

「君たちの気持ちもわかるつもりだ。あのお方はかつて、禍……フォレストセルを倒すため、君たちの仲間であるフレイを殺し、自らの力にしようとした。君たちはそれを認められず、あのお方と敵対した。だから、その名を聞いて驚き、そして、負の感情が起こされるのは当然だと私は思う」

 

それはかつて、フラヴィオやクロエの所属するギルド――ラタトスクと敵として対峙した存在であるからだ。加えて、オーバーロードは、過去、世界樹の大地に住む新人類を地の民と見下し、ハイラガード公国に住む住人たちを人として扱わず、実験材料として見ていたこともある人物だ。そんな人物が今、世界の命運を握っているというのだから、フラヴィオとクロエの驚きもひとしお大きなものであった。

 

「――だが、信じてほしい。あのお方はあのお方なりに、世界を救いたいと考えていたのだ。彼は真面目で、一人で悩む人間で、だからこそ、追い詰められた時、それでもあらゆる手段を講じて人類を救うために犠牲を出してでも、自らがどのような存在になろうとも、世界を救おうとしたのだ。無論手段は褒められたものではなく、君たちにとっては特に、認めがたいものだっただろうが、それでもあのお方は、旧人類のために何かをしたいと真剣に願ったお方なのだ」

 

だが、カナーンはそんな彼を、庇う言葉を告げる。カナーンはオーバーロードとは異なり、フラヴィオやクロエらを援助し、迷宮踏破のために力を貸してくれた人物だ。そんな人物が自らの敵対者をかばうという事実に、二人は思考を停止させ、ただカナーンの話を聞くことしかできなくなっていた。

 

「――私はあのお方から話を聞いた際、そう思った。あのお方は君たちとの戦いの後に、自らの凝り固まった考え方を打ち倒された後、そういった昔の純粋に人を助けたいという思いを取り戻せたのだという。そして私は、私たちは、たしかにあのお方は空の民を導いたお方なのだと感じた。だからこそ、今回我らの目の前に姿を現した時も、あのお方は率先して地の民との接触を拒む我らを導き、我らは空の民は、こうして世界樹の迷宮の外へと姿を現したのだ」

 

そうしてカナーンの話を聞いていると、やがて彼は自らがやってきた方角を指差した。

 

「――あ……」

「黒い点が……たくさん……」

 

二人の視線に、彼の細い指の先、ハイラガード公国に生える世界樹の上層部、葉の生い茂る部分から黒い点が大量に広がったのが映る。黒い点はやがてこちら……今、さらに巨大な姿となった蛇のいる方角へやってきた。

 

「これは……」

「翼人たちが蛇を攻撃して……」

 

そして黒い点は、やがてカナーンと同じように翼人の姿を露わにすると、巨大蛇――ヨルムンガンドに向かい、手に持った弓から矢を放ち、あるいは、剣を、槍を突き出して、空から蛇を強襲し始める。呆然としている二人にカナーンは告げた。

 

「文化の垣根を越えての交流は難しい。価値観の違うもの、身体能力に大きな際があるもの同士が手を取り合うのは、なによりも難しい。スキルを使えないあのお方は、だからこそかつて、スキルの使える地の民の気持ちが分からず、同じ人として認められず、天の頂に一人でこもることとなった。――しかしあのお方が、そんなあのお方だったからこそ、我らはあのお方を信じることにしたのだ。だから君たちも、どうかそんなあのお方を信じてほしい」

 

カナーンはそしてハイラガードからずれた方向を指差した。フラヴィオもクロエも、カナーンが指差した先には、エトリアがあるだろうことを予想した。彼の細い指が示した先、まだそのような時間帯ではないのに、空は不気味なほど、赤く染まっていた。

 

 

グラズヘイム北、エトリア西、名もなき平野

 

 

山一つ超えた先にある平野では、地平の彼方までを巨大な狼の上半分の頭が覆い尽くしていた。大きく引かれた上顎は下品な位天にまでそそりたち、次々と胃腑の中に森林地面を飲み込んでゆく。空も、雲も、その全てが狼の口の中に消えつつあった。

 

そうして大業に開かれた狼の口からこぼれ落ちた唾液からが地面に落ちると、それは即座に小さな狼となって、口を開いて世界を飲み込む大きな狼よりも早く、平原野山を疾走し駆け回る。

 

やがて疾駆する狼たちは、野山で他の生物を見かけると、即座に襲いかかる。郡となった狼の、牙が、爪が、獲物に対して突き立てられ、哀れ獲物となった生物は、即座にその命を失ってしまう。そして小さな狼たちは、身じろぎ一つしなくなった屍を作り上げると、再び命を奪取するために駆け出すのだ。小さな狼の役目は、大きな狼が小さな命の生物一つすらも取りこぼさないようにするため、仕留めることにあった。小さな狼は、大きな狼の、食事を補助する、肉を柔らかくする牙であり、唾液でもある存在だった。

 

こぼれ落ちる唾液より次々と数を増やす狼たちはやがて千を超え、万を超え、さらに無限に増殖してゆく。

 

「シングルバースト!」

 

そんな狼の軍材に向けて、裂帛の掛け声とともに、ハイランダーであるシギーの槍が突き出された。赤く霞む高速の一撃を見ることが出来たのは、この場において、技を放った彼本人を除いて誰一人としていなかった。スキルの掛け声とともにハイランダー自身の生命力が槍に注ぎ込まれる。彼の込めた命の炎はそのまま眼前に蔓延る敵を満遍なく討ち取るためのエネルギーへと変換され、穂先より神風のごとく扇状に広がった衝撃波は、彼の眼前に群がる狼どもの、頭部を、両前脚を、胴を、彼らの隙間を切り刻みながら貫き進んでゆく。

 

「はぁ!」

 

英雄と化したハイランダーが飛竜の脚より削り出した槍より放つその攻撃は、優れた狩人が獣を屠るための一撃というよりも、もはや自然災害の類が大した労苦もなく命を毟るような一撃に等しく、ハイランダーの一撃により、狼の群れはまるで収穫される稲穂のように、四肢を切り裂かれ、胴を貫かれ、命を手折られて、一秒前よりも軽くなった体が地面の上へと投げ出されてゆく。

 

穂先より生み出された波風が狼の隙間を通り抜けるたび、狼の鮮血と肉片が周囲へとばら撒かれ、血の溜まりは大地を濡らして、泥地の如きさまが拡大されていった。

 

「――大した数、減らせなかったか……」

 

やがてそんな地獄をつくった張本人は、百以上の狼の血と肉が自らのスキルによって赤の海に沈んだ様を見ても大した感想を抱かなかったようで、眼前を見据え、槍を構え直し、穂先を再度前方へと向けた。向けた槍の穂の先には、同類の鮮血と肉片浮かぶ血の海の中へと平然と足を踏み入れる、千を優に超える狼の群れの姿があった。

 

そうして同類の死体を踏みつけて進軍する狼どもの視線には、まるで生気というものが存在していなかった。先ほどまで生きていた同類の屍に対しても配慮や、容赦、情というものがまるで存在しておらず、まだ生きている仲間の身体すら、まるで路傍の石を転がすかの如く、雑然と、踏み、払い、蹴って、一目散にハイランダーの方へと向かってくる。

 

「いいや、十分だ! 大氷嵐の術式!」

 

そんな仲間の屍を文字通り踏み越えて疾駆する狼どもの前方に、巨大な氷塊の大きな楔が打ち込まれた。アルケミストであるアーサーのスキルにより生み出された天より降り注いだ無数の円錐状の巨氷塊は、見事に突撃してくる狼どもの眼前、屍と血の海の中に突き刺さり透明な分厚い壁となる。突如として現れた壁を前にして、疾駆していた狼どもはしかし全力の疾走を突然停止させることもできず、前方へと現れた氷の壁にぶつかった。最前を駆け抜けていた最も勇敢な狼が壁にぶつかった次の瞬間、彼の次に勇猛だった狼が、最勇だった狼の背後より彼へと体当たりをかまし、最勇の狼は、氷の壁に押し付けられることとなる。やがて後続から次々とやってくる狼たちからその衝撃を一身に浴び続けた狼は、やがて圧力に耐えかねて、生命を失った肉塊へと変貌した。

 

「しゃあ!」

 

アーサーは自らの行動が目論見以上の結果となったことに飛び上がって喜んだ。

 

「っと、今度はあっちからか!」

 

だが、そうして多少数を減らしても、目の前には千どころか万を優に超えるだろう数の狼が群れている。一切の手加減を考えない広範囲殲滅用の術式を用いれば、数十から数百程度の魔物なら一発で仕留められる自信もあるが、たとえそれだけの数の敵を屠れようと、あの数を前にしては、焼け石に水程度にしかならないのは明白だ。

 

それにもし万が一、相手の集団を討ち漏らしが多くが術の隙を塗って、こちらに攻めてきた場合、自分の身体能力は、シギーやラグーナのそれに大きく劣るわけなのだから、アーサーの死はほぼ確定する。もちろん、そんな万が一の時に備えて、パーティーの守りを担当する、パラディンのラグーナ、傷を癒してくれるメディックのサイモンが控えていてくれる。

 

とはいえ、そうして抜かれた狼との乱戦になった場合、数の少ないこちらが不利になるのは変わらないのだから、まず優先すべきは敵を一方的に嬲れる状況を作ることが肝心だと、アーサーは考えたのだ。

 

「任せたぜハイランダー!」

 

故にアーサーは、まず敵と自分らとの間に、巨大な遮断壁を自らの術式で作ることを味方に提案した。

 

「ああ任せろ! シングルスラスト!」

 

ハイランダーの一撃により、再び敵の血が、体液が、地面へとばら撒かれる。

 

「もいっちょ! 大氷嵐の術式!」

 

そして少しばかりの時間をおいて地面へと浸透した血液や体液といった液体の沈殿により多少柔らかくなった地面に向けて、アーサーの術式によって氷塊が打ち込まれる。スキルの力によって生み出された円錐状の氷塊は地面深くに突き刺さると、湿った地面に打ち込まれた氷塊の杭が持つ氷スキルの力は、即座に突き刺さった地面から広がり、浸透した血液までを凍らせ、多くの摩擦を奪ってゆく。

 

「――」

 

出来上がった即席の氷上で、狼たちは足を縺れさせながら、すぐ目の前に出来た壁へと激突していった。爪を突き立てて止まろうとする輩もいるが、残念、そんな努力は、後続の、地面の異変に気づかぬ狼の蒙昧さによって妨げられる。そうして狼たちは次々と氷壁に突進しては、その命を散らしてゆく。

 

「シングルスラスト!」

「大氷嵐の術式!」

 

二人の攻撃の連携で、狼たちはその数を減らしてゆく。極みに至ったハイランダーが一切の加減なく放つ攻撃スキル『シングルスラスト』は突撃してくる敵の軍勢の命が刈り取られ、生まれたその隙間に、同じく、極まったアルケミストが放つ『大氷嵐の術式』によって生まれた巨大な氷の塊が壁として、柵としてねじ込まれ、敵の進軍の邪魔をし、また同時に、幾分かの狼が命を散らしてゆく。

 

彼らはたった二人で、千万の敵がエトリアに向かうのを防いでいた。

 

「いやー、たいしたものよねぇ、実際。私たち、必要ないんじゃないかしら」

 

赤髪の女性、ラグーナが、手にした巨大な盾と剣をブラブラと遊ばせながら、卑屈がちに二人のそばで言う。パラディンである彼女の役目は、パーティーの盾となり、近づく敵から攻撃役の彼らを守り、傷つくことを防ぐこと……。――なので、味方が、敵の攻撃が届かない、超遠距離からの攻撃による一方的な殲滅戦法を取ると決めた時点で、彼女はこの戦場において、よほどの緊急時以外にはやることのない、置物になってしまっていた。

 

「まぁ、医者と盾役は役に立たない方がいい。そう思うことにしておこう」

 

白衣を着た青年、サイモンがその隣で彼女を慰める。慰めの言葉の中に自虐の言葉が入っているあたり、まだラグーナよりもよほど余裕があるようだ。

 

「大氷嵐の術式!」

「――それに……アーサー!」

「あぁ!?」

 

サイモンはそして聞こえてきたアーサーの術式を叫ぶ声に反応して彼の方へと振り向き返なおすと、肩からかけている肩掛け布鞄を漁って小瓶を一つ取り出して、額に玉の汗を浮かべている彼の方へと放り投げた。

 

「アムリタⅡだ。そろそろ疲れが溜まってきた頃だろう」

「おぉ、サンキュー!」

 

アーサーは自ら向けて飛んできた回転する小瓶を器用に大きな金属籠手のはまっていない方の生身の手で器用にそれを受け取ると、礼を言ってその精神の疲弊を回復させる薬の蓋を開けた。サイモンは彼が道具を使用する姿を見届けることもなく、ラグーナの方を向く。

 

「――こうして、道具使いとしての役割があるから、何の役に立てないと言うわけでもない。それに、どのみち僕たちの役目は時間稼ぎだ。それさえできれば、誰が活躍しようができまいがどうでもいいことだろう」

「……そうね」

 

サイモンの言葉に、空を見上げた。視線の先は、巨大化し、世界を飲み込もうとしている狼の南へと向けられている。巨大な狼が身じろぎひとつしただけで崩れそうな頼りない大地の上、赤髪の彼女の先には、そんな乱暴者が世界の全てを台無しにする前に、静かにその命を刈り取る兵器が、発射されるその時を今か今かと待っている。

 

「ねぇ、サイモン」

「なんだラグーナ」

「あの時、私たちの判断、間違っていたのかしら?」

「――……」

 

サイモンは黙然とラグーナの方を眺めた。サイモンは自身も一歩前にいるラグーナの表情を見ることが叶わなかったが、それでも彼女がいう「あの時」が何を示していて、私たちの判断というのが、何を示しているのかは、はっきりと理解することができた。

 

サイモンは少しばかり逡巡したのち、先ほどまでの戦闘の時よりもよほど肝と目の座った表情を浮かべて彼女の横に並び立つと、その肩を叩いた。

 

「そんなことはない。あの時、僕たちの判断は間違っていなかった。それだけは間違いない。あの時僕たちがマイクを止めなければ、エトリアはかけらも残さず消滅していたし、そこに住まう人々は、死んでいた。――だから、あの時の僕たちがグングニルを止めたという選択をしたのは間違っていなかった」

「でも……」

「二つの手段は、フォレストセルの討伐という目的こそ同じだだったけれど、マイクはマイクの正しいと思う手段があって。僕たちは僕たちで正しいと思う手段があった。彼は過去の経験とデータに基づいた大のために小を切り捨てるが確実に結果を得られる手段を正しいと思い、僕たちは小を切り捨てるということが容認できず、不確実な手段に賭けた。戦略的視点から見れば、マイクの方が正しくて、戦術的視点から見れば、僕たちの方が正しくかった。だから僕たちは敵対することとなって、そして僕たちが彼を撃ち破り、案を成功させて、エトリアを救った。ただそれだけの話だろう」

「そう、ね。――ねぇ……」

「なんだ」

「リッキィ、上手くやれるかしら」

「大丈夫だろう。彼女はあの時と違う。もう大人だ。――そろそろ時間だ。離脱しよう」

「ええ……そうね」

「よし……、シギー! アーサー! 」

 

ラグーナが糸を取り出したのを見て、サイモンが前線で暴れている二人に声をかける。ラグーナは再びグラズヘイムの方向を眺めた。狼の口の端から漏れる気炎が尾を引いて、空がいつもより不気味な赤色に染まっていた。

 

 

エトリア近隣、モリビトの村

 

 

緋色に変わりつつある空を眺めながら、ヴィズルは息を吐いた。地上の位置がかつての地上よりも高くなってから数千年。もう気が遠くなるほど長い間、同じような空を眺め続けてきたが、こんなにも胸のすく、晴れ晴れとした色であるのは初めてだった。

 

「――ヴィズル?」

「いや、なんでもない」

 

燦然と輝く空の色を眺めていると、人と変わった外見をしている女性……モリビトのシララが話しかけてきた。つい先ほどまで村に住むモリビトの避難活動に従事していたためか、病的なくらい真っ白な肌は、少しばかり赤く火照っている。

 

シララ。モリビトの彼女は、かつてまだエトリアの迷宮が攻略されていなかった時代に生まれ落ちた存在であり、そして、特殊な事情により、ほぼ不老不死に近い体質となったその後、数千年もの間、このモリビトの里にて長として君臨し、彼らを守り、そして見守ってきた。シララはモリビトの母であり、父でもあり、親そのものに等しい存在でもあった。故に。

 

「シララ様……」

「なんだ、お前たち。まだいたのか」

 

彼女はほとんど全てのモリビトから慕われている。村からの避難指示が彼女より出されたというのに、誰もが手ぐすねを引いて、彼女の周辺から離れようとしていない。

 

「早く行け。この村はもう捨てろ。最小限の荷物を持ってエトリアに避難し、クーマという男を頼れと言ったはずだが」

「で、ですが、シララ様……」

 

異議を唱えたモリビトは、彼女を慕い集う中でも特に年老いた外見をしていた。もう百年近くは生きて、老境どころか魔境に入ってもおかしくない年頃であるのに、そうした老人が見せる態度が、まるで幼き子供が母にすがるようであるのを見て、ヴィズルは倒錯感を覚えた。

 

「貴女は……」

 

よく見れば、彼以外のモリビトも、同様に、おずおずとした態度で、別れを惜しむというよりは、むしろ、自らたちの手を引いて優しく導いてくれる者がいなくなってしまうことに怯える迷宮に迷い込んだ子供のようだった。ヴィズルは思う。シララ以外のモリビトは、見た目に反して、あまりに思考が幼い、と。

 

「私はやるべきことがある。そしてもう戻らないと言ったはずだ。――さぁ、いけ」

 

そしてシララはそんな彼らの無言の嘆願をバッサリと切り捨てると、手を大きく払って、彼らを村の外に追い出す所作をした。モリビトたちは、シララがもう決断を覆すことはないのだと彼女の所作から悟ると、徐々に、徐々に、一人、また一人と、その場から立ち去ってゆく。ヴィズルはそれを、シララの背後でじっと眺めていた。そうして彼女を除く、全てのモリビトたちが村から脱出し終えたのを確認すると、シララは、その小さな肩を大きく上下させて、ため息を吐いた。

 

「待たせた」

「いや」

「――笑うか?」

「――何を?」

「私と――、彼らをだ」

 

言葉は少なく、そこに込められている感情も少ない。だが、ヴィズルにはシララが何を言わんとしているのか理解ができた。彼女がそうしてやってきた事は、ヴィズル自身もエトリアという街において、行った出来事であるからだ。

 

「彼らはあんなに大きななりと立派な外見をしていながら、最終的に私が判断を下さなければ動こうとしない。私は彼らから決断力と思考力を奪ってしまった」

 

愛しいが故に、守る。自らの庇護下に置き、守る。彼女が善意の元に行ったそんな行為は、彼らは自らが何とかしてやらねば、歩くことすらままならない弱い存在だと思い込んで、自立して自らの足で歩んでゆく力を奪ってしまった、と。シララはおそらく、そう思い込んでしまっているのだろう事をヴィズルは察した。そんな葛藤に、ヴィズルは覚えがあった。

 

「笑わないとも。そう思ってしまいたくなる気分はよくわかる。なにせ、私も君と同じようなことを千年エトリアでやっていたのだからな。だが、なに、そう心配することはないさ」

「――なぜ言い切れる?」

「成長はいつ何歳になってもすることができると知ったからさ。どれだけ行動や思考が凝り固まっていても、きっかけがあり、環境が変われば――、人が何歳になっても変わることができる。そして彼らはこの度、その機会を得た。だから、彼らもなんとかなっていくだろうさ」

「――そうか」

 

ヴィズルの言葉にシララはくよくよとしたお思い煩いが吹き飛んだようで、打って変わって満足した表情で、ヴィズルへと柔らかい笑みを浮かべてみせた。

 

「ありがとう。お陰で最期、先ほどまであった胸のつっかえが取れた」

「――そうか」

「ああ。では、やろうか、ヴィズル。――これから、フォレストセルの封印を解く」

「ああ」

 

ヴィズルの応答に対して、シララは目を閉じて念ずる。すると彼女の体は、その小さな体の輪郭がまるで泡沫のように薄れてゆく。昼と夜の狭間の時のように、空と海の境界のように、彼女と世界とを分けている境界は薄れ、彼女の存在は世界に溶け込んでゆく。

 

やがて薄れていくシララの体は黄金の霞へと変生してゆく。かつてシララだった存在は、ヴィズルを包み込むと、太陽の燐光と見紛うほど大きく光を放ち、やがて光が収まった頃、モリビトの村であったというその場所には誰の姿も見当たらなくなった。

 

ここにモリビトの村は、数千年前より紡がれてきたその歴史を閉じたのだ。すぐ近くでは、巨大な狼が暴れている。

 

 

エトリア、街中心、ベルダの広場

 

 

――グワッシャーン

 

「なんだぁ!?」

 

エトリアに残った数少ない衛兵は、突如として耳に飛び込んできた激しい異音に驚いて飛び上がった。今、エトリアには戦いを前に張り切り仕切ろうとする戦争屋や冒険者は多くいても、エトリアの市民の心を宥め、安心させようとする人間は殆どいない。そんな状況において、街中に蔓延するピリピリとした肌を突き刺すような空気が、彼を神経質にさせていた。

 

「あ……、あ……」

 

そして振り向いた先、見たこともない景色――、否、見慣れてていたはずの建物がなくなっているという事実に、彼はほとんど完全に言葉を失っていた。

 

「て、転移所が……」

 

ベルダの広場の目と鼻と先、微かに側で鎮座しているはずの転移所というエトリアへの窓口は、今、単なる瓦礫の山へと成り代わっていた。

 

「これやひでぇや……」

 

出てくるのは動けなくなるほどの怪我をしているか、あるいは疲労困憊状態の真っ青な顔の冒険者ばかりということで、口の悪い連中からは死体安置所/モルグだの緩和病院/ホスピスだのどこで覚えたのかわからん小洒落た呼ばれ方をする謎を不気味な四角い箱物でも、なくなってしまうとこんなにも違和感と寂寞感を覚えるものなのだと、衛兵は呆然と思い知った。

 

――なんだぁ、敵の攻撃か!?

――お、おい! 転移所がぶっ壊れてるぞ!?

――なんだと!

――こりゃひどい……噂の翼人とかいうやつの仕業か?

――知るもんか!!

――お、おい、なんか動いてるぞ!?

 

「――うぉっ!?」

 

――き、機械の化け物だぁ!

 

やがて突然の異変に驚かされ呆気に取られていた衛兵は、崩壊した転移所の跡地より巨大な機械が現れたのと、自分と同じく転移所の異変に気付いた街の人間たちが集ってくるのを見て、自らの職責と役目を思い出した。

 

「ま、まて! そこのデカブツ!」

 

衛兵はそうして転移所のあった場所、瓦礫を押しのけて現れた巨大な機械の前に躍り出た。だが。

 

――こりゃあ……

 

機械は衛兵である彼よりも三周りも四周りも、それどころか十周り以上も大きく、転移所の一階、二階部分を埋め尽くして、なお、余りあるくらい巨大な機械の車の化け物だった。真っ赤に塗られた全身を無機質にカタカタと揺らすそれは、彼が迷宮で見てきたどんな魔物どもよりも、恐ろしく映った。

 

――ヤベェもんの前に飛び出しちまったぞ……!

 

彼は以前、ガンナーの職業についている人間と共同で迷宮に潜ったことがある。衛兵の彼は、冒険者の持つ手のひらに収まるほどの小さな銃から飛び出た弾丸が自分よりも巨大な魔物を仕留めるところを、幾度となく見てきた。ガンナーの彼によると、銃というものは、小さいよりも大きい方が威力が高いらしく、さらに弾丸の飛び出す部分――砲身が長いほど、さらに威力が高まるものであるらしい。

 

――なんてデカブツを持ってやがる……

 

しかしてそんな理屈に当てはめると、目の前に現れたこの機械のデカブツは、銃とは引き金を引けば簡単に魔物を討伐できる武器であるという知識を持つ衛兵にとって、とんでもない化け物であるかのように映っていた。

 

なにせ目の前のこいつは、ガンナーの冒険者が持っていた銃よりもずっと長い砲身を七つも持っているのだ。そのうち二つ、機械の足だろう台座の部分に取り付けられている二挺は自分の持つ手槍と同じくらい小さなーーそれでもガンナーの彼が持っていたものよりもずっと巨大な――砲身だが、その二つの銃身が備え付けられた台座の上に備え付けられたそれらは、人間一人をその砲身の中に埋め込んで、なお余りがありそうなくらい、巨大で、長い砲身だった。

 

――あれが撃たれたんなら、タダではすまない……

 

ガンナーの冒険者が放った一撃が迷宮の魔物に命中した瞬間、その命中した部位が弾けて吹っ飛んだ所から予想するに、あの砲身から一撃が放たれれば、その瞬間、自分の身くらいは吹き飛ぶような一撃が放たれるだろうことは、彼にも簡単に予測ができていた。

 

――カタカタカタカタとウルセェし、何考えてるのかわかんねぇ……

 

敵かもしれないあの砲身から弾丸が撃たれれば、自分は死ぬ。あの砲身の開かれた穴が自分の方を向いたそのとき、次の瞬間には自分は木っ端微塵になるかもしれない。今更ながらに飛び出したことを、衛兵は軽く後悔した。が、それでも彼がその場から撤退しようとしないのは、それは彼にとって、長年を衛兵として過ごしてきた本能のようなものだった。

 

――けど……

 

彼は、自身のことをその辺のどこにでもいる、名もない衛兵のうちの一人であると自覚していた。最近現れたエミヤだの、シンだの、あるいは最近いなくなったエトリアの住人の代わりに現れた古い伝説を持つ英雄たちなどよりずっと戦闘の力が劣っていて、彼らなら一捻りで倒せるかもしれないこのような化け物相手でも、簡単に捩じ伏せられてしまう程度の存在でしかないことを、よく知っていた。けれど。

 

――だからといって逃げる理由にはなんねぇな……!

 

彼はどこにでもいるような衛兵で、自分がどこにでもいる一般人であることを理解したうえで、その上で、そんな自分のあり方を気に入っていた。日々の生活に不服はあったし、適当なところばかりで夢中になれるもののない自分を完全に好きになれるというわけではなかったが、それでも彼は自分の存在を完全に嫌いではなかった。

 

彼は生粋のエトリア人で、何か新しいことをしようとすれば案外どんな道にでも進むことのできるエトリアという街が好きだった。多少の不自由はあれど、この自由の気風を重んじる街がこんな自分を育んだということを事実を好んでいたし、元からこの街に住まう古い知り合い達も、そんな自由の街にやって自由に生きていろんな風を巻き起こす異邦人も、その全てを彼は好んでいた。

 

「おい、デカブツ! こっちを見ろ!」

 

だから衛兵はそんな街を破壊する者が許せず、破壊者の前に飛び出したのだ。彼は大きな砲身で身を固めた巨大な機械車の前に飛び出すと、衛兵に貸与される紋章の入った盾を体の前にどっしりと構えて腰を据えて、目の前の機械と相対した。

 

――ひょー、こりゃ、おっかない……

 

叫び声に応じて、機械の砲身が彼へと向けられる。身動ぎひとつしない機械からは、空気や気配というものが一切感じられず、視線がわりに向けられた砲身の先端に空いている穴からいつ弾丸が飛び出してくるかわからない恐怖が、衛兵の体をひどく緊張させていた。

 

――ち、畜生

 

緊張感が衛兵の全身を包み込む。緊張はやがて興奮を呼び、彼は自然と混乱状態に陥り出していた。恐怖が緊張を呼び、緊張が興奮を呼び、自分でも理解しがたい感情の濁流がさらなる混乱を呼ぶ。

 

――情けねぇ……! が、悪くねぇ……!

 

彼は恐怖に弱い人間だった。彼はもう逃げたくなった。それでも彼は恐怖を無視して、その場で自信を混乱の渦へと叩き込む相手をじっと見つめていた。そうして一秒でも多くこいつを足止めしていれば、今にエトリア中に伝説の英雄達の誰かが助けに来てなんとかしてくれることを期待していた。彼は弱くて自分の実力が足りないことを知る、強い誰かを頼る事しかできない人間だった。そして同時に、自分以外の何かのために強くあろうと虚勢をはる、弱い道化の自分を好んでいた。

 

「う、撃つならさっさとうちやがれ!」

 

言葉に応じてか、砲身が彼の方を向いた。やけっぱちに放った言葉だったが、そんな小さな自分が恐怖に駆られて適当に放った言葉に、デカブツの奴が応じたのかと思うと、少しばかり胸のすく思いがした。

 

――ざまあみろ!

 

かちん、と、何かのスイッチが押されたような音がした。心臓が跳ね上がった。多分、銃を動かすためのスイッチか何かが動いた音だろう、と衛兵は思った。機械車の台座との接合部分が動く。少しばかり斜めになったそれは少しばかり傾いて、そして――

 

「――ああ、やっと開いた」

「――はぁ?」

 

転移所をぶち壊した見たこともない機械の中から、見覚えのありすぎる存在現れたという事実が信じられず、衛兵の彼は前のめりになって機械の車から現れたその顔を覗き込んだ。

 

「まったく、ギルガメッシュもヴィズルも困ったものです。人の意見を聞かずに勝手に事を推し進めるんですから……」

 

その人物はフラフラと機械車の中から完全に姿を現すと、大きく背伸びをした。

 

「く、クーマ様!?」

「ん? ――って、えぇ!?」

 

衛兵の驚く声に、クーマはようやく周囲を見渡すという余裕が出来たようで、彼は機械の上からまず足元の衛兵を眺めると、ついで、ベルダの広場へと視線を送り、さらに、自身の足元の瓦礫の山を見てようやく自分の乗った機械がどのような状況を引き起こしたのか理解したらしく、軽く斜めに傾いた機械の面から滑り落ちるのではないかと思うくらいおおいに仰け反ってみせると、ひどく驚いたそぶりを見せた。

 

「これはひどい……。ああ、もう、街を守れとかいっておきながら、街を壊すような事を平気でするんだから……、あの二人は……」

「く、クーマ様? あ、あの、こ、これは?」

 

頭を振って大きくため息をついたクーマに対して、衛兵は素直な疑念をぶつけた。

 

「ああ、そうでした」

 

クーマは彼の言葉に気を取り直すと、懐から何かを取り出して、衛兵の方へと放り投げた。

 

「君、これを執政院に!」

「うわっ! ……と!」

 

衛兵はそれをなんとか受け取った。布に包まれたそれは、衛兵の手中に収まるほど小さく、そして軽いものだった。

 

「く、クーマ様? これは?」

「細かい指示と現状、わたしが把握している情報が記載してあります。それを執政院の……ゴリンか、あるいはレンかツクスルあたりにもで渡しておいてください」

「は、はぁ……」

 

衛兵は何が何だかもはや理解の範疇を超えていたので、生返事を返すので精一杯だった。

 

「よろしくお願いしますよ」

 

そんな衛兵の頼りない返事だったが、クーマはにっこりと笑って見せると、再び機械の中へと入り込もうとする。事情もわからないうちに現実があれこれと勝手に進行するという事態に、衛兵はたまらなくなってクーマに尋ねた。

 

「く、クーマ様! 一体何がどうなっているんですか!? 一体何が起こっていて、貴方はどこへ行こうとしているのですか!?」

 

執政院の実質上の長であるクーマは、エトリアの民草があげる悲鳴じみた声に反応して振り向くと、やはりにっこりと笑って、告げた。

 

「それは……、ちょっと全部をすぐには説明しづらいですねぇ……。でも、まぁ、そうですねぇ……。私は――、柄ではないのですが、エトリアと世界を救うために、久しぶりに戦場へ行ってきます」

 

いうと彼は機械車の中へと飛び込むと、蓋を閉めた。直後、車がふわりと浮いたかと思うと、車の下方に空いている穴から火が飛び出て、クーマを乗せた車は飛び立ってゆく。

 

「エトリアと世界を救う……? ……、――――――――――」

 

そして車が飛び立つ方向を見上げた先、山の向こう側、いつもと変わらないはずの空の中に赤く巨大なそそり立つ壁と、それが持ち上がってゆくという異常を見つけて、普通の衛兵でしかない彼の精神はついに限界を迎え、その場でしばらくの放心した。

 

 

グラズヘイム北東、エトリア西にある山へと寄った平原

 

 

世界に生まれ落ちた時から己の体全体を膨らませる続けるために、悠々と食事を続けてきた大食らいの狼――フェンリルは、突如として自らの眼前に現れつつある、巨大な質量を持つ存在によって、その食事の速度を、一旦、完全に停止させられた。

 

――オ……

 

今まで一言たりと言葉を発しなかった狼は蠕動する全身を揺り動かして、無理やり発声を試みた。それは本能だった。世界樹の大地と一体化した狼の身動きは、地面を揺るがし、世界を揺るがし、地震となって、生まれつつある存在にも伝播した。

 

――……

 

フェンリルの、自身の脳細胞の数ですら刻一刻とその物理量が増大し続けるため、まともに結びつくことのなかった思念の糸が、目の前にいる存在という糸車を中心に巻き取られ、一つの思考を築きあげてゆく。

 

――オォォォォォォ

 

フェンリルの脳裏にある単語が浮かんだ。フェンリルはその単語を叫ぶため、大きく口を開かれていた口を、さらに大きく開いた。しかしそれはフェンリルの呼びかけに何も答えなかった。

 

波濤が次々と集まって津波になるが如く、集合する土の塊は折り重なって、折り重なって、折り重なって、やがて巨大な狼の前で、変貌し、変生し、ある型へと成形されてゆく。そうして巨大になって行くその形は、かつて安寧を約束された揺籠だったはずの地上から居場所を失ってしまった者――人間の姿形によく似ていた。

 

――オォォォォォォ、ディィィィィィンンンンン!

 

そしてフェンリルはついにある一つの単語を思い出し、雄々しく、そして鈍重に叫び、ついにその名を咆哮する。それはフェンリルにとって、喰い殺さねばならぬ存在だった。フェンリルの貪婪な唇がよりいっそうに上顎門を開いて、造形されつつある巨人へと直進する。狼が繰り出した一撃は、狼の攻撃と呼ぶにはあまりに鈍重な緩慢な動きのように見えたが、野山平原そのものに等しい大きさのそれの緩慢は、狼以下の大きさしかもたない存在にとっては神速の一撃にも等しく、生まれ出ずりつつあった巨人は、即座にその口の中に収まった。

 

第三話 終了

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。